はてなキーワード: 二兎を追う者は一兎をも得ずとは
どれだけ傷つこうが他者を敵視しない、ネガティブにならない。新しい相手から見た自分は完全に初見。
その敵視やネガティブが性格の一部だと思われる。敵視やネガティブになることでクオリティの低い人間が引きつけられやすくなる。そうするとますます敵視したりネガティブになりやすい。そんな地獄の底のような人間と誰も結婚したくないというのは明らかだ。
相手の嫌なところばかりあげつらって自分の承認欲求を満たそうとすると「お高く」とまりだす。もはや本来の目的を見失った状態になる。これを自覚できなくなると危険。友人にも見捨てられかねない。
何かを勝ち取るためには現状の己の魅力を上昇させなければならない。そしてそれは短期間では得られない。
そうやって今まで生きてきたという自分を受け入れること。そしてそういう自分が他人に認められなかったとしても、それも受け入れること。
何が変化させられるものなのかを考え、ひたすら行動する。欲しいもののために自分の相場を限界値まで上げていく。今の自分で行けるところというのは、大学受験で受験勉強せず入れるところを探すようなものだ。
今まで色々なことをサボってきたから婚活することになっている。
保険を置くことでより状況が悪化する。傷つかないように自分の身を守ることでより傷つく。生きるために死ぬ。怖いからより踏み込む。ベストを尽くす。ベストを尽くせない自分がいたとしても、それすらも己のベストなのだと知る。
本気でやって失敗することでより成長する。魂が破壊されるレベルの失敗があったとしてもそれを乗り越える。
保険を置くから相手のレベルが落ちる。たとえば相手から保険を置かれていることは見抜くだろうし、自分が保険を置いていることは相手に見抜かれるものだ。婚活は戦場であり、狩場である。二兎を追う者は一兎をも得ずという。
相手が二兎を追っていることがわかっていても気にせず追わせておけ。どうせ二兎目が自爆する。自分が一兎目なのだからドッシリと構えておけ。自分の判断と決断と直感を信じろ。自分の人生の相手だぞ。
全力でやっていると応援する人間が現れて、良いアドバイスや良い自己肯定感上げが来ることがある。全力でやるから、自分の力不足を自覚できて、恥と無知を晒して人に頼ることができる。そういう人間を助けたくなる人は多い。
相手の気持ちどころか、自分の気持ちがわからないことがいちばんの問題かもしれない。何を欲しているのか、自分でもわからない。どうしたいのか、これでいいのか、わからない。動いてみてから「やっぱり違った」と思うことは無数にある。
自分が幸せになりたいだけならうまくいかない。これは相手不在の考え方で、相手を理解しようとする気がない。相手に依存するだけになる。だから、そういう人間には相手も「自分が幸せになりたいだけ」の人間までしか集まらない。自分主体でもあり、相手主体でも考えられる、そういう相手を意地でも見つける。
自分主体でエゴをぶつけエゴで支配しようとすると、相手は相手が幸せになれないと判断して嫌われる。相手のことを本当に見ているか、本当に見えているか、自分のことだけしか見えていないと呆気なく終わる。
婚活を通じて人生初の大恋愛を味わう人もいる。それは外からはとてもわかりにくい。それに婚活に限らず、必死で本気に行動している人間を笑う人を相手にする必要はない。
相手にしてしまうのは、己自身がそれを恥じているからだ。「婚活ごときで必死になる自分」というみっともなさ、ここまで落ちぶれたか、これが市場価値かと思う情けなさがあるはず。それを受け入れられないから相手にしてしまいメンタルが落ちる。
こんなことが簡単にできたら苦労はしない。それにこれは金科玉条の絶対遵守すべきルールでもない。
しかし相手からしたら、そういうことが可能な人間と結婚できたらどんなに魅力的だろうか。自分がそういう人間になればいい。もし足りなくてもそれはそれでいい。それを補完してくれるような存在が見つかれば、その人と結婚すればいいのだから。
妥協するから、妥協される。妥協しなければ、妥協されない。どちらを選んでも間違ってはいないが、妥協したくないのなら、妥協しなくてもいいのかもしれない。
競争相手も当然これができると考える。競争相手にもリスペクトを。競争相手も人生を賭けている。
自分だけができると思うと自惚れる。競争相手を祝福する必要はないが、呪う必要もない。競争相手の健闘を祈り、だがそれでも自分が獲得するという覚悟を持つ。
それって紙の本でも同じことが言えるって話だが。二兎を追う者は一兎をも得ずって言葉ぐらい知ってるだろ?ネットのこと知り尽くしても紙の本のこと知り尽くしたことになるわけでもないしなあ。
仰る通りで。給与の上昇も伴うマイルドな物価上昇ならともかく、補助金などを投入して不自然に資金供給すると、単に価格が上がって終わるだけ。
ただ、そう言った政策が必要な場合もある。それはその業界を増やして行かなければいけない場合(例:介護業界)だけど、大学ってどちらかというと少子化に併せて調整が必要な業界だから、逆の事をやってんだよな。
経済対策・・・日本が世界と戦う為の最大の武器に「人材」を据えるならば、大学進学率を極限まで高めていくのは戦略としてやっても良いとは思うが、それは少子化対策とは別に考えてくれと思うし、子育て支援と結びつけるのは目的からして二兎を追う者は一兎をも得ずになっていると思われる。(つまり、多産などの条件を付けずに負担軽減につなげるべきだと)
二兎を追う者は一兎をも得ず 👦なんでなんや! 🐇ネー🐇ダヨネー
💀使用済みコンドームが複数転がってるのに、最終的には膣内射精をしている💀
これマジでコンドームの無駄遣いすぎてすげえハラ立つ!!!!!!!
結局我慢できないカスの猿なんだったら、人類の叡智の結晶たるコンドーム様にその汚い手を触れるんじゃねえよ
破けちゃった、とかならまだわかるけどさあ!
アレだろ、一箱ぜんぶ使い切っちゃって、でも盛り上がっててそのまましちゃった、とか言うんだろう
ふざけんじゃねえよ
お前人間だろ 考える葦だろ
考えろ考えろ考えろ
諦めて最初から生でやるか、一箱使い切ったら潔く諦めるか、到底使いきれない量用意しとくか、使い切ったところでコンビニかどっかに行くか、コンドーム以外の避妊方法にするか
とにかく、この開かれた世界で、貴様にはたくさんの選択肢があったんだ
それでお前はどうしたか?
→コンドームを一箱ぜんぶ使い切った上で生中出しをし、コンドーム一箱を無駄にしたうえに妊娠のリスクも冒した
Worst Choice!
万死に値するだろ
正直、ただ中出ししてるだけのバカにはそんなに腹立たなくて、あーあ、バカだな〜と思うだけだ
まあ、そんな雑な理由で生まれるかもしれない子供はかわいそうだけど、それを言うなら子供なんて全員かわいそうだし、格別に腹を立てる理由はない
つまり何が言いたいかっていうと、俺はコンドームに感情移入している!!!
だいたい、高いじゃねえかコンドーム
いちコンシューマーとしてさあ、知ってるはずなんだあの高さを
童貞だったあの日、彼女と初セックスをしそうな流れになり、コンビニに走った俺の、その沸騰した頭でも、「ゲッ、結構するな……」と一瞬冷えた
そこそこするじゃねえか、値段!!
それをさあ、一つ無駄にするだけでももったいないコンドームを、一箱まるごと無駄にするなよ!!
マジで許せない
6発とか12発やれるその精力を、どうしてコンビニにコンドームを買いに行くことに向けてやれなかったんだ!!!!!
かわいそうだよなあ
You are doomed!
メタ的な視点で言うなら、使用済みコンドームでセックスのラウンド数の多さを示しつつ、ウケのいい中出し要素を入れつつ、「本来避妊が必要なのに中出ししちゃった」という背徳感も入れたい、みたいなことなんでしょうね
背徳感よりも、憤怒に意識がいってしまって、抜けるものも抜けなくなってしまう(というのは嘘で、俺は普通にそんな絵でも抜いてしまうよ)
許せないんだ本当に
やめよう
半端なのが一番良くねえよ
まだイラストの紹介文でデイリーランキングに入ったことについて
「男性に人気○位、女性に人気○位ありがとうございました」なんてふうにアピールする人もいる。
絵を描くときに「これはどちらの性に向けて描いているか」という意図があったたとしたら、
想定外の性別の方にランキング入りしていたとしても伏せておくと思う。
二兎を追う者は一兎をも得ずと言うじゃないか。余計なアピールをしたら本来の客層が「これって俺らの性別に向けたものじゃないの?」と疑念を呈すようになって以降来なくなってしまうかもしれない。
イラストは作る側も見る側もはそういう性別とかを勘案するような狭量な文化ではないのかもしれない
同じ二次元を嗜好対象とするものとして漫画とイラストはファンの属性が似た文化だと思ってたんだけど似て非なるものなのかもしれない
漫画は雑誌文化の一部であり雑誌には男性誌と女性誌があるからというもっともらしい説明を聞きました。
それにくわえて漫画は娯楽性が高くて男には戦いと美女、女には恋愛とイケメンを主な目玉にやってきたから男女の偏差が生まれやすいからということだそうです。
けれども雑誌文化ということであれば日本の近代文学も雑誌文化です。同人誌です。
しかしラノベなど一部のジャンルを除いては男性向けだとか女性向けとか公式にあるいは読者が言う傾向は見られません。
それについて調べてみると文学はそもそも女が見るようなもんじゃなかった時代に販路なりが成立したんだろうといいます。
(漫画は手塚がリボンの騎士、赤塚がアッコちゃんやってた通り勃興早々に少女漫画が分岐していた。 )
男しか見ていないからわざわざ男性向けと自称するまでもなかった。そこから女性が参加するようになれば、余計なラベリングがされていなかった雑誌はおのずと総合誌的な色合いを帯びるようになったということでしょう。
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しかし「販路の成立の仕方」ということで見ると、映画や音楽も小説と似た事情だと思います。
映画や音楽を男や女しか楽しまなかった時期があったとは考えにくいですね。
「映画 男女比」と検索するとハリウッド映画の男女不均衡が調査で浮き彫りに」という見出しも出てきます。男女不均衡を話題として取り上げること自体が、映画はかつで男女に等しく楽しまれたものだったという前提を示唆しています。
(ちなみに、男女差が当たり前にある漫画文化の目線で見ると男女不均衡を記事にすること自体にも違和感を禁じ得ないでしょう)
音楽にしてもそう。伝統音楽が典型的でしょう。ケルト音楽やケチャや中国の音楽を男女の一方しか楽しまなかったということがあったでしょうか。
(まあ中国の音楽はドラマで悪の皇帝が宮廷音楽を楽しんでるのを見てるから男の娯楽みたいに見えてきますが)
他にも伝統音楽というのは数多ありますが、このようなものは部族みんなで囲んで楽しまれるようなものだっただろうから、目的的にも性差が組み込まれようがないわけです。
現代でもCDショップに行ってもアイドルのを除けば男女で棚分けされていることもありませんしね。
ちなみにゲームの場合はハクティビズムが源流にあってこれはギークの趣味、男に偏った文化だったしょう。事情として小説(=文学)に近いと思います。
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映画や音楽の場合では娯楽性という面でも漫画と近接していると思います。
けれども娯楽本位だから、チープな文化だから男女差が起こりやすいという言説は退けられるべきでしょう。
映画でもマーベル系は男性客に偏ってるのかなという印象もありますが、恋愛を主題としてきた多くの映画が別に男性向けとか女性向けとか言われていません。これらはたとえば崇高なメッセージが込められていたから作品としても高尚なものへと昇華し鑑賞者の性別を凌駕したのでしょうか。
そういうこともあるかもしれませんが、そうじゃないものも十分多いと思います。
映画は高尚だから自分の性に関わらず楽しめ、漫画はそうじゃないから性に依存するというのは、漫画側に対する不当な矮小化に思えます。
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音楽だって純粋な娯楽でしょう。上手い人のピアノの即興曲は男女に関係なく人を魅了します。またその旋律に男女の物語を乗せることができるという点でも映画や漫画との違いはありません。
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媒体という表現のあり方が性差を生んでいるかもしれないとも考えました。
その意味では音楽を除き映画と漫画が同じ視覚表現なので近似しているように見えます。
また美術館に展示されるような絵画についても、このような芸術もまた上流階級の主流である男性にもっぱら楽しまれていた点では小説に近い事情ですが、引き合いに出したいと思います(現在の美術に男女差が見られない理由を過去の販路の成立の仕方に限る必然性がないから)。
映画は実写。小説はデフォルメされています。この点はむしろ絵画に近いでしょう。
また小説との比較では、小説は文が主体で漫画は絵が主体という違いがあります。
これらを総合すると、絵による視覚的な刺激は文章と違って刺激が強く、男性に好まれるような描き方は女性にとっては関心を呼ばないばかりか嫌悪感すらを抱かせやすい(逆も然り)という意味で排他性が強い表現なのかもしれない、ということがまず言えそうです。
しかし問題は主体が絵であること自体ではなく、絵画との相違点としての、漫画における絵の特徴が関係しているのだというところに焦点が絞られると思います。
ではその違いは何か、そこが難しいところなのです。
「漫画は実写と比べてもかけ離れたデフォルメを使っているから」と言ってみても、それは程度問題でしかなく、特徴を質的に捉え切れたことにはならないでしょう。今の私の頭で考えられるのはここまでです。
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ちなみによく考えるとテレビなんかは男女差のないこれ以上ない卑近な例ですよね。男女差があるように作っては最高でも人口の半分程度しか視聴者を期待できないということで、視聴率の点でテレビ局が困るのです。
もちろんドラマなどには二兎を追う者は一兎をも得ず式の一方の性別によく愛されるような内容に仕上げる制作方法も見られると思います。
しかしたとえばNHKのゴールデンタイムのバラエティーなんかわかりやすいと思いますが、(ためして)ガッテンや日本人のおなまえの視聴者に男女の有意差があるとは到底思えないでしょう。
それには「ためになる内容を提供する」テーマ的な部分と、人材的な部分があるのかもしれません。
名前の雑学とか医学知識とかいうことのお役立ち度合いに男女差はないでしょう。
人材的な部分というのは、アイドルでもイケメン美女でもなく、とにかく無難なルックスの人たちで出演陣を固められてる傾向があるということです。
男女の一方に好かれるような人を起用すれば、その人数が奇数であればどちらかの性別に向けた色合いを帯びてきてしまうのは自明でしょう。
しかもたとえ人数的に均等であったとしてもパワーバランスの点で完全に均衡させるのは難しいから、やはりおのずと偏りが生まれてしまうと思います。
逆に特に容姿の端正さで採用されたわけでもないアナウンサーや適当なバラエティータレントにはそういう意味でのフックがありませんから、そういう人たちで絵面を構成させることで、ポリコレも真っ青なTHE中性的な番組が生まれるのだと思います。
休業補償…まるでなし。
現金支給…見た目の額だけデカくして言い訳してるがやはり払わない受け取らせない方策ばかり考えている。
自粛の要請…これだけは形だけやってる。責任は一切取らないようにしてな。
検査の拡大…これもやたら消極的。(現在は圧倒的な感染拡大もありどの国もある程度大規模にやってる。)
麻生…事の重大性がまるでわかってないクソ評論家まがいの発言ばかり。
この前も東京の休業補償決断について「他県はできねえだろ」とか。ふざけんじゃねえよ。
二兎を追う者は一兎をも得ずという格言があるそうだけど、安倍ちゃんの対策はむしろ二兎を両方放棄するようなものとしか思えないが。
むずかしい
みんなどうしてるの?じぶんがヘタクソなだけなの?
あまり考えがまとまっていない、雑なやつ
noteは広告がなくて落ち着いてるから難しい話やポエムをするのに向いてる。
twitterやヤフーコメント欄などの「速度の速いSNS」は政治系・言論系には適さない。さんざん懲りて辟易したので、その辺の話題はもっとスローで巧緻な媒体でやったほうが良い。
ニコニコはネガティブな視聴者が多いが、インターネットノリは良い。
等々、たくさんある。
「誰に対してどこまで話すか取捨選択するのが難しい」
言い換えれば、「このハンドルネームのキャラ設定はどうするか」「キャラ崩壊しない運用」に悩んでいる。ということ。
1. 自分がやりたいこと・言いたいことがこれだけあって(リストアップ)、
2. そのためには、このハンドルネームからはこのアイテム、あのハンドルネームからはあのアイテム、を分担する。
という戦略を立てるわけだけど、キャラ設定が壊れがち。めんどくさくなって素が出てくる。そもそも演技が苦手で下手なので、あまりハンドルを細かく分けるのに向いてない自覚がある(ちゃぶ台返し)。
また「この話題はどこでアウトプットするか」を悩んでしまって、アウトプット自体が面倒になる。そうやって溜まってる記事や企画が山ほどあって腐らせて旬を逃してもったいないと思う。そもそも、処理能力に対してやりたいこと(要求)が多すぎるのも問題だと思う。
というか、仲良くしたい・気に入られたい相手がいる場では、ネガティブなイメージを抱かせてしまいかねないことは言いたくないんだよね。でもそれ以外のどこかで言いたいんだよね。という、取り扱いが面倒な話題の需要が自分の中にある。
何か、その辺のガイドや指南してる本とかある?有料のネット記事でもなんでもいい。
「この話題はここなら話し相手がいる、あの話題はあそこなら話し相手がいる」という状態に持っていきたい。
独り言が多いのがさみしい。言い換えれば、「この話題について話せる相手・場を確保できていない」ことがちょっとつらい話題がある。ということか。
「SNSにネガティブなことを書くな原理主義」の人もいれば、ネガティブなことも書くけど上手くやっていけている人もいる。ネガティブな話題にアレルギーのるある人は、ネガティブなことを書く人からは離れていく。それは、政治アレルギーとほぼ同じで、政治的なことを書く人からサーッと離れていく人と似ている。
だから、自分はどうしたらいいのか?よくわからない。あちらを立てればこちらが立たず。
ネガティブな発言・話題で盛り上がってるクラスタに参加してみたら、ポジティブなクラスタから離れて敬遠されてしまうのがさみしい。
ネガティブな発言を減らしてポジティブにすり寄ってみたら、今度はネガティブな話題で会話が成立してるクラスタが羨ましくなり、「自分は能天気な話しかしない人だと他者から見られているのでは」と気になったりする。
「自分はどうしたいか」と問われれば、「ポジティブなこともネガティブなことも、難しいこともとりとめもないことも、言いたいことは全部言いたい」です。
二兎を追う者は一兎をも得ずなのか・・。
べつに特別なことをしているわけではないと思っている。
インターネットがない時代でも、ハンドルネームでなく本名であっても、親に見せる顔、勤め先に見せる顔、友達に見せる顔、子供に見せる顔、・・・それぞれ違うわけでしょ、それと同じだと思う。
なぜかインターネットと比較するとリアル顔の使い分けはうまくいっている。と思う。比較的。
父はオタク趣味を毛嫌いしていて兄弟にもブチギレて映画のパンフレットビリビリ事件を起こした前科があるため、無意識にオタク趣味やエロゲ方面などは出さないように気を付けている。というか意識しなくても、無意識のうちに脳内金盾が発動している感じがする。
会社にはわりとオタクな話してる人を見かけるのだけど、なぜか自分のオタク趣味を話したことがない。なんでだろうか。やっぱお金を稼ぐ場なので、お金を稼ぐのに問題が発生しうるかもしれない余計なことを言わないようにする、というリスク回避意識があるのかな。あるぽい。(というか、そもそも会社に雑談できる人があんまりいない・・)
一般論の「酒の席では野球・宗教・政治の話はするな」ってやつだ。
でもインターネットでも、「身バレ・住所バレ・特定されないように気を付ける」というのは無意識にできてるなぁ。といってもリアルで会ったことある人は複数twitterでつながてるけど。
今の仕事一本で生きていけるのだろうか、という疑問は常にある。だから、何らかの生活費を稼げそうなスキルを伸ばすとか、仕事がもらえそうなスキル持ってますアピールをするとか、再就職に有利に働かないかなー?と思ってるんだけども。どうなのかな。
大学生は逆に「SNSでの活動はネガティブ要素になる」と判断しているようで、むしろ就活に見せないようにしてるみたいだけども。
お金を稼ぐ以外の欲求の充足。恋人とか結婚とかは想定してないです。自分の人生にはもう無関係だろうとおもっているから。
将来の不安。
というと大げさですが、自分が提供できる有意義なことはやっておきたい。自分が調べた情報をまとめて公開するとか。ボランティア。アンケートにちゃんと答えるとか、クラウドファンディングをやるとか、知り合いの宣伝をリツイートするとか。
もし、この作品などの詳細がわかってしまったとしても作品や役者個人に偏見を持たれたくないので、多少フェイクは入れるが、もし時間があれば少しだけ聞いてほしい。最初に言っておくが、作品も役者さんも素晴らしい。これは私が勝手に被害妄想して勝手に傷ついただけの話だ。フィクションだと思ってくれれば嬉しい。
私はある作品が大好きで今までの公式イベントの9割に参加していた。
公式トークショーやらなんやらがあれば必ず行き、出来るだけ全通したし、関連商品はストーリーに関係あるものなら全て揃え、公式ファンクラブにも入っていた。コラボカフェにも通っていた。
勿論公式に一番還元率が高い商品は全て買っていたし、CDはなんなら複数枚買っていた。
作品にハマったのはこれが初めてだからわからないけれど、使用額は30万〜60万くらいなので多少は金は落としていたと思う。いくら使ったのかなと覚えている限りで計算して、映像や楽曲関連だけで20万を過ぎたので数えるのはやめた。でも給料のほとんどはその作品につぎ込んでいたので(本当に給料−税金−作品経費=生活費だった)もしかしたら3桁行ってるのかもしれないがあまり考えたくない。この作品にハマってクレカを作り、初めてリボ分割キャッシングを覚えた。ギャンブルも覚えた。もうこの時点で狂わされている。
何故今まで女性向け作品にハマらなかった人間が、いきなり限界オタクになってしまったかと言うと、私はその作品のキャラに恋をしてしまったのだ。仮にその男の子を彼氏くんとする。(彼は私の中では彼氏なので)
彼氏くんは他人の考えを否定せず受け入れてくれるとても優しい子で、そしていつもポジティブで夢に向かって突き進むキラキラした笑顔の子だ。
その笑顔と優しさに人間不振をこじらせ統合失調による幻聴で引きこもっていた私は救われ、恋の為に引きこもっていた部屋から出るようになった。
勿論、上記のイベントで彼氏くん(の新規イラスト)に会う為だ。
私は典型的な恋愛に狂うタイプのメンヘラだったので、彼氏くんは自分の神様で、運命だと本気で思い込んでいた。次元の壁だとかは関係なかった。彼氏くんの抱き枕が出た時なんかは毎日添い寝していたし、毎晩照れていたし、毎朝惚れ直していたくらいは頭がおかしくなっていた。
都内の占いに付き合いで連れられた時に「貴方の運命の相手は20××年に現れますね」と言われた時は(ちょうどアニメがその年に放送予定だったので)「彼氏くんのことだな」と素で思った。友人達はそれは絵だぞと私を窘めたが、そういう言葉は聞こえなかった。
だって彼氏くんと私は相思相愛だから!相思相愛も何も彼氏くんからは認知すらされていないが……。
ちなみに私と彼氏くんのイニシャルを彫ったリングもオーダーメイドで作った。彼氏くんからすれば知らない女が自分とのペアリングを肌身離さず付けているのだから軽くホラーだと思う。本当に彼氏くんが二次元でよかった。現実なら完全にストーカーになっていた。
そんな生活を数年続けていた。
昔の話だ。
忘れもしないあの日、その作品で舞台が始まるのが発表されたのだ。私は正直2.5次元どころか現実の男が少し苦手だったので興味はなかったが、ほぼ義務感でチケットを取った。
仮にその俳優をAくんとする。Aくんは彼氏くんを演じる役者ではなく、彼氏くんのお助け役兼相方(ここをぼかさないと、知っている人には誰役か察されてしまうのでここは多少フェイクを入れていることを明言する)ポジションの推しくん役を演じる役者だ。
その作品での推しくんはまさに私の好みドンピシャな容姿をしており(ぶっちゃけ初恋の人に似ていた)性格やストーリーでの活躍も相まってグッズを集めたりするレベルで推していた。
勿論彼氏くんは彼氏なので別枠だが、彼氏くんが存在していなければ推しくんにハマっていたと思う(その場合は依存してなかったのですぐに足を洗っていたと思うが)
容姿も良く歌もダンスもキレッキレ、アドリブや日替わりは毎回これでもかというほど(一部界隈に)サービスしてくれるし、何より顔が国宝。あの低価格イタリアンレストランに油絵にして飾ってほしいと常々思うほど顔が良かった。
控えめに言ってかなり推せた。
だけど私は彼氏くんがいるのでガチ恋にはならなかった。あれ程顔がいいと彼女も勿論いると思うけど、万が一カノバレしたらちょっとショックかも〜とは思うが別に役者はアイドル業ではないので公演中だけ推しくんでいてくれればそれでいい。彼氏くんの役者に対してだって同じスタンスだ。
だけどやっぱりイケメンには弱いからイケメンを見るためにチケットを予定より多く取ってしまう時もある。(当日券)
その日は昼と夜を両方取ったのだが(彼氏くんが出演している作品と私は生まれる前からの運命なので必ずチケットがご用意される)なんと客降りがあったのだ。
私は2.5次元俳優周りをよく知らない。観劇マナーは触りは知っているがファンサだとか接触だとかの文化は特によく知らなかった。役者に触ろうとも思わなかった。(イケメンに近づくと死ぬと言うのも多少ある)
だから前方1m先にAくんがいた時も「めっちゃ顔がいいな〜、人間国宝にしてほしいが……」とガン見していただけで、無理にハイタッチも要求しなかったのだが(通路側端二番目辺りにいた)ガン見していたせいでAくんと目が合ったのだ。
だいぶ長い時間見つめ合っていたと思う。
だがこれが全然嬉しくなかった。何故なら終始笑顔を崩さなかったAくんがその時めっっっちゃ真顔だったからだ。今でも思い出すとわりとショックを受けるが、例えるなら汚物を見るような目だった。もっと具体的に言うなら、恋も知らないくらい小さい頃好きな男の自宅を特定したのが本人にバレた時にされた顔と同じ顔をしていた。
その時は「向こう側にいる別の役者さんとこの後のアイコンタクトでもしているのかな?」と思ったが、見つめ合ってんの私なんだからアイコンタクトもクソもない。あと向こう側に役者はいない。
そんな一抹の不安が心の端っこを引っかかるように残るものの、あまりに推しくんの顔が良かったこと、また彼氏くん役の役者さんが今までの公演のなかで一番彼氏くんだったことが濁流のように襲ってきた為、その後は思い出を反芻しながら楽しく次の公演までの待ち時間を過ごした。
1階中間位置通路端、そう。確実にファンサが貰える位置だ。この時点で嫌な予感がして友人たちにLINEで助けを求めたが、皆「ハイタッチできるじゃん!」と言うのみ。私はこの時点で吐きそうだった。何故なら人生というものは全て悪い方向へ行くのを知っていたからだ。
待ちに待った客降りの時間。何故かAくんはこちら側に来ないと確信があった。Aくんはマチネで二階席の方に行っていたからだ。むしろ彼氏くんが来るのではないかと若干ドキドキしていたのだが、頭が悪いので二階席に行くには私の横を通ると言うのを忘れていたのだ。
そして案の定Aくんは私の横を通った。ハイタッチができるように手を下に構えて。前の通路側の人が手を差し出すのを見て恥ずかしいけどそういうものなのかと恐る恐る私も出してみた。
私のところだけ手を引っ込められた。
嘘でしょ?!と後ろを振り向くと真後ろは普通にハイタッチしている。ちなみに私は避けられたが逆側の客席は普通にハイタッチしていた。
いやタイミング悪かったか偶然偶然よくあるよくあると自分に言い聞かせていたが、今まで横を通った役者全員にスルーされていたので流石に傷ついた。
ので、少し意識が飛んでいた。
気がつくと彼氏くんが横にいた。
あまりの彼氏くんに「ヒッ」と奇声をあげていたと思う。彼氏くんはハイタッチの準備をして通り過ぎて行ったが、私は固まって動けなかった為、ハイタッチ出来なかった。正に二兎を追う者は一兎をも得ず。でも彼氏くんに否定されたら生きていけないのでこれで良かったと思う。
舞台はとてもよかった。明日を生きるためのキラキラをいっぱいもらった。複数回行ったが一番いい出来だった。(毎公演言う)アンケートもめちゃくちゃ長文で書いた。彼氏くんのことも推しくんのこともベタ褒めした。
公演中のソロで泣きながらガン見していたから気持ち悪かったのかもしれない、きちんと朝風呂どころかスクラブまでしたが異臭がしたのかもしれない。私の容姿が気持ち悪かったのかもしれない、昼で顔を覚えられて避けられたのかもしれない。
勿論頭のどこかではたまたまだよ、顔なんか覚えられているわけないし、私より顔が悪い人なんて多分腐るほど見てるし、そもそも一々客の顔見てないでしょ(笑)なんてわかっている。
だけど、私は役者はお客さんの事を金のなる木としか考えてないだろうと思っていたので、あからさまに容姿で差別されたのが悲しかった。
事実は違うと思う。
でもそう思ってしまって、家に帰ってリスカして髪の毛をめちゃくちゃに切って泣いて作品関連のものを全てクローゼットにしまった。作品に否定されたら生きていけないから死のうと思ってドアノブにベルトを引っ掛けて首吊りの真似事をしてまた泣いた。死ぬ勇気がないのなんて毎日のようにわからされていた。
で、しばらく泣いた後に切り替えが早いのでネットでカラコンをポチった。(彼氏くんは前向きなので彼氏くんの彼女の私も切り替えが早い)
世の中顔なのだ。顔でAくんを好きになった私が言うのだから間違いない。気持ちが悪い顔ならば努力しないといけない。私はその日かなりメイクに力を入れたが、ブスだったのだろう。可愛く見えなければ全て無意味なのだ。
目指すはリズリ◯やアン◯ールが似合うガーリー系。目がぱっちりしていればなんでも顔がいい認定するから美醜はよくわからないが、なんか周りの人そんな感じだったし多分そういうのが可愛いんだと思う。
いまからずっと昔の話だ。
その日は泣いたし死にたいほど病んだし、作品から足を洗おうとまで考えたが、多分次の舞台があれば行く。というか行ったし現在進行形で次の予定が立っている。
だって作品が大好きだし、Aくんの顔はやっぱり国宝だし、彼氏くんが大好きで、彼氏くんの生きる世界である作品が長く続いてほしいから貢がなければいけないので。
この間2.5舞台でファンサを貰ったと友人が喜んでいたので思い出したから書いてみた。
余談だが、未だにファンサは貰えていない。でも当分この作品からは足を洗えそうにないし、きっと何があっても大好きだ。
まぁ何にしても彼氏くんに出会えて良かった〜!好き〜〜!(惚気)というのは変わってないので今年は私と彼氏くんのツーショ雑コラでも作るかな!(爆笑)
ノンポリ読者の購読停止を止めたいために従軍慰安婦に関する争点の一つが誤報だったということを認めつつも、新聞の編集方針を支持してくれる層へ配慮を目的とした中途半端な訂正記事が、朝日新聞衰退の転換点になると考えている。
自紙に誘導したいと思っているのだろうが、一度購読をやめた読者は二度と再購読しない。他のメディアと比べて最も速報性が劣っているのに、毎月4,000円をまた払おうと思うのだろうか?
部数を落としているのに、今の編集方針を継続するのは最悪な選択だろう。
紙媒体から他のメディアに軸足を移す軟着陸期なのに、何を血迷ったかイジェクトレバーを引っ張ってサバイバルレースから脱落しつつある。
安倍政権もあと数年の寿命と考えて、辛抱して耐えていれば良かったのに。
朝日新聞は、誤報を知りつつも認めないのが最良の策だった。しかし、同紙は二兎を追う者は一兎をも得ずの状態になりつつある。
組織の腐敗や衰退が表面化したときには、もう手遅れなほど根腐れ手していることが多い。同紙は失地回復はもう無理で、残された道はダメージコントロールをきちんとして購読者離れをどう防ぐかという段階にいる。
そして、朝日新聞の編集方針を支持していた層がどこに移るのかと、同紙を隠れ蓑にして世論を誘導しようとしていたスポンサーがどこに鞍替えするのかが気になる。