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はてなキーワード: 泥縄とは

2020-02-20

anond:20200220005823

から泥縄立法ででも辻褄合わせるしかないと思うけど。素人の俺個人が「俺にはできません、参りました」って言ったらそれ何か意味あるの?

自分にできないことを、他人に求めてはいけません」みたいなお行儀論を主張したいの?なんの意味が?

俺にはない権限職能持ってる人は頑張ったけど無理でしたじゃ困るよ。物理的に不可能なことを期待してるんじゃないし、こっちは税金払って真面目に名もなきいち国民やってるんだから

2019-07-24

anond:20190724140502

・・・別に批評する時になってから読めばいいのでは?

批評家の仕事はいつも泥縄だよ

まるで古参でないと批評する資格ないみたいな言い草

ロードオブザリング原作を読んだ人がどれだけいるだろうか?

2018-10-05

市民的公共性存在する(が千田氏の思うようなものではない)

辞書的に言えば「市民的公共性とは、ハーバーマスが『公共性構造転換』(1962)の中で提唱した概念ホルクハイマーらの『人間の理性が頑張っても幸せにならないんじゃないの? だってナチスとか出てきたし』という悲観に対するカウンターとして提出された。ハーバーマスにとっての公共性人間自由平等連帯幸せになっていくためのベースとして存在している」といった感じ。

~性というのはいかにベースとして弱そうだが、ドイツ語のÖffentlichkeitは「Public sphere=公共圏」と訳すこともできるというかこっちのほうが適切だと最近は言われている。なので以下では基本的公共圏統一する。

で、市民公共圏って一体何よ?

それはハーバーマス自身もよくわかっていないようである。その証拠大学図書館には「公共圏ってたぶんこういうのだと思います(こういうものだったらいいな)」という本が溢れている。たぶん最大公約数的には「まあみんなで議論する場は必要だよね」というあたりで理解されている。

しかし、この「みんなで議論する場」というもの曲者である人類の大半の歴史上、「みんなで議論する場=公共圏」には男性だったり社会的強者だったりという入場パス必要だった(今でもそうかもしれない)。しかしそれは今日価値観から見れば明らかに間違っていたわけで、その間違い(入場パス)と長い間仲良しだった概念自由幸せ社会ベースに据えていいのかという問題がある。

ハーバーマスは彼が理想とする市民公共圏がどういうものであるかは、少なくとも『公共性構造転換』の中では(たぶんそして今日に至るまで)ふわっとしたことしか言っていないのだが、どういうものでないかはこれ以上ないほどに詳しく論じている。一見いかにも学者らしい無駄っぽく思えるが、「こっちに行ってはいけない」というガイドブックでもなにもないよりはましである。たぶん。

本稿では、「昔の(入場パスつきの)公共圏にはこのような批判がありました」とハーバーマスが論じている部分を検討し、その批判千田氏の立場にブッ刺さっていることを確認する。その結論として、千田氏の「市民的公共性」という用語用法いかに不適当ないしド適当であるかを示す。

ヘーゲルによる公共圏批判

以下ではハーバーマス細谷貞雄山田正行訳)『公共性構造転換』の第四章 第一四節「公共性弁証法によせて――ヘーゲルマルクス」に基づいて議論を行う。

ヘーゲルは入場パス公共圏関係を真っ先に疑った人であった。とはいえヘーゲル最初からブチ切れたりはしない。「公論公共圏における論議、もしくは公共圏のもの)っていいよね、合理的だし」というところから話を始める。でもその合理性って自由主義がベースになきゃ成立しないよね?(みんなが自由意見を言えることが前提なので)、でもその自由主義って本当に公共圏とそこまで相性いいだろうか?とヘーゲルは問う。考えてみればこの矛盾は明らかである。司会のいない多人数の会議を考えてみればよい。地獄である。間違いなくそこに自由はある。なのに(だから?)地獄である

このことの地獄性は会議室を超えて社会とか国家とかのスケールになるとより増す。例えば少数者差別を考えてみればよい。これはみんなに「自由に」議論させてるだけではそもそも議題にすら上がらないだろう。そうして公論きらきらした合理性の賜物から「多数者の主観的私念」という水準へと転落する。公論は「自然に生じた不平等止揚するどころか、むしろこれらを技能財産さらには知的倫理的教養の不平等まで深めていく」。入場パスを持っていない人はより不利な位置に、持っていても少数派の人もまたより不利な位置に、公論によって追いやられる。

まあとはいえ人間も頑張るもので、法治国家とか市民社会とかを作って頑張って公論して私念から理性に支配権を移そうとするのだが、ヘーゲルいわく土台が腐っているのに頑張っても泥縄だそうである。そうした頑張りはむしろ国家主観的私念を入り込ませる結果になるとヘーゲルは言う。じゃあどうすりゃええのよって言えばヘーゲル最初から開き直って身分制国家を作れとか言ってそれに対しマルクスがいや社会主義でしょとか言って最後ハーバーマスがいや公共圏を作んなきゃダメだよとか言うのだが、そのあたりは略する。

ともかくにもハーバーマスが描く市民公共圏というものは、こうした批判スルーしては論じることができない。ここで重要なのはハーバーマス公共圏をどのようなもの「ではない」と考えていたかということである。以上見てきたようなヘーゲル理論は最終的に乗り越えられる(ということになっているが詳しいことはやはり不明)のだが、であるからこそ少なくともヘーゲル批判したそのままのことをやるのがまずいというのはわかっている。

千田氏は何をしたか

まさにヘーゲル批判した地獄公論インターネット上に出現させようとしているのである

私自身は「表現の自由」は国家から規制されるべきものではない、とは思う。でもそう思うからこそ、国家から規制されるまえに、「市民的公共性」を発達させないといけないと思うんですよ。

あと表現って、さまざまな他者への配慮のなかでこそ磨かれていくものだと思う。フリーハンド表現なんてない。https://twitter.com/chitaponta/status/1047451777220501504

市民的公共性の話って、ハーバーマスのつもりだったんですが…。https://twitter.com/chitaponta/status/1047789073471946752

市民的公共性対話によるものですから、そのことを話し合うことが大切だと思います

いままさに起きていることが、市民的公共性なのではないでしょうか?https://twitter.com/chitaponta/status/1047810256976269312

まず第一に、専門用語を「」で括って注釈なしに使うのはおよそハーバーマスの「市民的公共性」的態度ではないといえる。なぜならこれこそヘーゲル批判した「自然に生じた不平等を(略)知的倫理的教養の不平等まで深め」る態度にほかならないかである

そして第二に、ハーバーマス議論は上のような「話し合えばそれが公共性」というような安易理解を拒絶するものであるということを千田氏はまったく理解していない(か理解していても無視している)。上で見たヘーゲルによる公共圏批判からもわかるように、ハーバーマス議論は「公共圏にはあれやこれやそれや…の批判があるけど、でも、それでも公共圏がなければ人間幸せにはなれないんだ」というひねくれたものであり、単に「話し合いが重要だよね」と言っているのとは違う。仮に結論は一緒だとしてもやはりそれは違う。その違うものを一緒くたにして、専門外の人に「話し合い=市民的公共性」という理解(そんな人のいい理解をしている人はほとんどいないようだが仮に字面だけ虚心に読んだとして)を植え付けることが、ほんとうにハーバーマスであるといえるだろうか?

第三に、「思う」根拠が示されてない。少なくともハーバーマスは「国家規制を前もって回避するために市民公共圏を発達させるべきである」というような具体的な議論はしていないはずであるであるとすればこれは千田氏のオリジナルアイディアが含まれているはずであるのだが、それがまったく説明されていないのと、先に述べたようにそもそも専門家間ですら扱い方に差がある「市民的公共性」という単語のせいで、最初ツイートの二文目は全く意味不明ものと化している。原理的に誰にも意味が伝わらないはずのもの炎上しているのはお気の毒というほかないが、であるからこそ千田氏は「市民的公共性」の意味と「思う」理由をしっかりと説明してほしいと思う。

(2021/2/7追記)書きました anond:20210207093448

2018-07-22

"【選挙ウォッチャー西日本豪雨被害で忘れ去られた北海道被害。"の感想

https://note.mu/chidaism/n/n30420b2066d8

安倍内閣対応が適切かどうかは評価検証していません。あくま評価基準が違うんじゃないの?という話です

結論からいうと日本で「効率の良い働き方改革はムリだな」  

必要仕事さえやっていれば飲み会してようが関係なくないか飲み会に参加してようがそこで仕事してりゃいいじゃないか

  

評価

過去の事例との比較対応が後退していないか(参考http://www.bousai.go.jp/kaigirep/wg/saigaitaisaku/pdf/dai2kai/shiryou2-3.pdf

法律マニュアルに則って物事が進んでいたか

・それまでの政策マニュアルに不備はなかったか

地方自治体関係省庁との連携は十分だったか

など、仕事として適切であったかで行うべきだと思う。

安倍内閣対応検証するなら「空白の66時間」が本当に空白であったか検証必要ではないか

  

"自衛隊を動かす最終決定権は「シビリアンコントロール」に基づき、防衛大臣総理大臣にあります。そして、この2人が同じ空間で酒を飲んでいたわけです。これでリスクヘッジができていると思える人は、おそらくこの世にネトウヨぐらいしかいないと思います。"

裁量を持つ人間現場じゃなくても二人揃っていりゃそっちのほうが話は早い。ITが発達した今、どこか特別場所にいなければ指示が出せないという方がおかしい。

情報量が膨大になるときはやはり大きなスペースや設備必要になるがそのための省庁ではないか?非常時になるからと言って最初から長が出張組織ってのは何の備えもしていない脆弱組織だ。

しろ安倍総理鼻くそほじりながら「オーケーオーケー」と言ってヒマこいてるうちになんでも物事が進んでいくのが理想組織というものだろう。

組織の長というのは『自分が何もしなくても物事が適切に進んでいく組織』を作るのに日々努力するべきで、非常時に張り切って働くのは泥縄と言うしかない。

  

"本来なら、すぐさま非常災害対策本部が設けられ、自衛隊を動かし、可及的速やかに人命救助にあたるべきでした。"

災害にはまず地方自治体対応するし、自衛隊に出動要請をする(参考 http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2006/2006/html/i3251000.html

ア 災害派遣

(ア)要請による派遣一般的派遣形態) 災害派遣は、自衛隊法第83条の規定上(資料75参照)、都道府県知事などから要請により部隊などを派遣することを原則とする。

(イ)自主派遣  防衛庁長官又は長官指定する者は、特に緊急な事態で、要請を待つ時間がないときには、要請がなくても、例外的部隊などを派遣することができる。

私の記憶では発災前に当たる段階で地方自治体自衛隊派遣要請を出しているところもあった

政府地方自治体を飛び越えるような例外的なことを"本来なら"と言っているので評価としておかしい。これは機能不全に陥った地方自治体があることが前提ではないと成り立たない。

  

"非常災害対策本部を設置したものの、安倍総理ご本人はとっとと家に帰ってお休みしていたのです。"

非常災害対策本部の長は誰ですか?まさか総理大臣とか思ってませんか?

災害対策基本法第二十五条 非常災害対策本部の長は、非常災害対策本部長とし、国務大臣もつて充てる。

非常災害対策本部長は国務大臣ですよ。つまり適切な国務大臣を任命すれば後は家に帰って屁をこいててもいいでしょう。むしろ余計な口を出して頭が二人いる状態のほうが害悪です。

外務大臣を任命してたら吊るし上げましょう

  

以上、「皆が大変だから飲み会やめよう」「皆が大変なんだから残業しよう」みたいな評価地方自治をないがしろにするような物言いに腹が立ったので書き散らしました。

重ねていいます安倍総理対応が適切だったかはわかりませんし、その検証もしていません。

  

言われる前(言われる前に誰も見ないだろうけど)の追記

Q・他の政党飲み会はいいの? A・よろしいと思いますよ。行政府じゃないんだから発災時に何ができますか?仕事のフリをするより飲み会の場で情報交換をしている方が有益です

2018-07-18

五輪関連死という評価尺度

真夏東京五輪、暑さ対策打ち水など検討へ : 読売新聞

https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20150417-OYT1T50027.html

実際はもう少し科学的な方法検討しているようではあるが、正直、イメージはとても悪い。

戦う前から負けている。竹槍とか泥縄とか日本お家芸がこれでもかと詰め込まれている。

流石有識者会議だ。クーラー壊れた部屋でやってんじゃねーの?

いっそ五輪関連死という評価尺度定義し、

開催地決定から開催までの間に五輪関連事業でお亡くなりになった方々の数

・会期中の競技もしくは競技観戦中の事故等でお亡くなりになった方々の数

過去五輪比較してみたらどうかね? 誰か卒論とか書けよ。

2018-05-14

匿名の場でレッテル貼りしてる奴ってルール理解せずにメタな横紙破りをやってるアホなんだから一言それを指摘して無視しとけば何の効力も発揮しないのに

何故かやられた側が自分から泥縄の水掛け論(最後レスしたほうが勝ちルール)に持ち込んでくれるからやった側からするとこんな美味しい話はない

2017-11-13

2017年11月13日の日記

若返り好きなのは方針から、良し悪しはいいとして、ベテラン差し置いて、

経験の若手マネージャばかりになると何がおきるのか想像できないのは、情けない。

ベテラン冷遇されるのをまじかでみている若手が、どんどん白けてくる。

何か問題が起きれば、現場担当者のせいって会話をマネージャ間だけで、こそこそ

やってるけど、そういう会話って、漏れ伝わってくる。

自分で何も判断できないから、必ず、どこかの誰かが悪いって論調に、わかてと呼ばれるマネージャ

発言すると、あ~って、白けてしま感情人間から止められない。

そして人事は、年上の部下とのコミュニケーション研修を、(たぶん)外部コンサルに高い金払って

泥縄対応。そんな金払う余裕があるなら、ベテランマネージャに昇格させたらって思うけど。

古来、組織を若手で形成するのは、滅び行く組織苦し紛れに行うって歴史を知らないのか。

2016-04-16

反原発正義感てなんなんだよ

熊本地震被災された方々にお見舞い申し上げます

個人的に縁も思い入れもあるし知人もたくさんいるから心が痛い。

そんでまあ、こんな時にもTwitterをダラダラ眺めてんだけど。

もう原発憎い奴はなんなんだよ。

わかるよ。どんだけ対応してますって言われても、

すでに熊本震度7なんて、想像だにしない状況になっちゃってる。

心配し始めたら止まらなくなる気持ちもわかるよ。

怖い気持ちを解決したくて、原発心配しなきゃ、って気持ちで、

共感求めちゃうのもわかるよ。

でもさあ。

俺今、愛媛にいるんだよね。

地震生地点がどんどん中央構造線沿いに近づいてくる。

今は感じる地震ほとんどないけど、明日はわが身なんじゃないかって、

正直気が気じゃないとこもあるんだよ。

うちはまだ歩けない赤ん坊幼児も抱えてるし、

家も、丈夫だけどかなり古い。

もし今回このまま収まっても、

今後いつ近場の断層で同じことがあるのかわからないって気持ち

抱えてかなきゃならないって覚悟はしてる。

冷静なつもりでいるけど、怖いのは怖いんだよ。

Twitter見てると、原発止めろって話がTLに流れてくるし、

川内原発震度報道されないって、原発守るのに必死すぎだみたいな論調とか、

如何にこれまで自分達が原発危険を訴えてきたか

ここぞとばかりに叫ぶアカウントもいる。

それを見ながら思うよ。

愛媛が揺れたら、愛媛建物愛媛土地被害を受けたら、

この人達は、口を揃えて、

伊方原発の話をするんだろうなって。

伊方の稼働予定をあきらめろって話をしまくって、

なんなら四電電凸して県庁電凸して、

忙しい人達にキレられて、

そのことに不平不満を言ったりするのかな、

くらいのことは考える。

だって伊方のことは怖いよ。

でも県内人間として、正直、やれることはやってるように思える。

からもう、原子力安全委員会アカウント眺めてるくらいしか

できることはないと思ってるよ。

あと、そういうのをたしなめてくれる人たちもいるけど、

これだから反原発はーって調子で回ってくるのも

それはそれで辛いとこもある。

馬鹿にして嘲笑して見下げてみせて、

反原発からも考えなしがーだの政府鵜呑みにーだの

もうこのぶつかり合いそのもの疲弊するわ。

うそういう時期なんだから仕方ないとは思うけどさ。

ニュース熊本アーケード街流してる。

知ってる街並みなんだよマジでキツいわ。

俺、芸予地震の時にも愛媛にいたから、

あの時の揺れの恐怖がだんだん蘇ってくる感じもあってしんどいわ。

しばらく余震が続くのは辛いんだよな。

とりあえず明日防災グッズ買ってくるよ。泥縄みたいだけど。

2015-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20150415090043

計算量オーダーの概念を知らない人?!

と思ったけど、

技術革新じゃなくて、泥縄オプティマイズの話な?!

2014-08-18

キレイ事なんて糞食らえだ

ちょっとモヤモヤしてるので、切り替えるために書き出す。

介護ってのは本当に大変だ。(俺が主でやってるわけではないんだが)

詳細は省くが、「この人がいなければ、どうだろう」などと思ってしまう。

比較的重度の人を介護してるご家族は、一度は同じようなことを思うんじゃないか。

ちょっと極端だが、介護が長引くと、介護する側とされる側のどっちが先に倒れるか、という様相だ。

もちろん楽しい出来事が無いわけではないが、楽しみ続ける、というのはさすがに難しい。

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近頃、障害者タレントと一緒に何かを頑張る、といった映像を時折目にする。

あの手の映像は、本当に同じ障害を持つ「家庭」を元気づけているのか。

テレビの中の障害者家族に比べ、自分たちは何も出来ていない、と劣等感を植え付けるだけじゃないのか。(特に家族に)

どうにかしたい、という気持ちは、どの家庭にもある。だが、それだけじゃどうにもならない事もある。

でも、どうにもならないと分かっていても、それでも「何もしてやれない」と劣等感を感じるのが家族なんだよ。

まぁテレビなんだから、「嫌なら見るな」と言われればおしまいだし、必要な部分もあるのは分かる。分かるんだけど、ね。

実際はドロドロした、マイナス感情の中で、それでも「絆」という泥縄につかまってるようなもんじゃないかな。

キレイ事なんて、糞食らえだ。

2014-07-19

朝日のクソ記事

http://www.asahi.com/articles/DA3S11251769.html

ワールドカップはおろか、サッカーに関する記事のなかでこれほどまでに無知蒙昧、盲目的外れのくせに上から目線な記事は初めて読んだ。

全文を読む為には登録しなきゃいけないところをみると炎上商法か?

以下、興味ある方向けに全文をコピペします。こんなクソ記事読むために登録なんて誰がするか、誰がさせるかクソ朝日

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サッカーワールドカップW杯ブラジル大会が終了した。熱戦続きだったが、「なぜ、開催国ブラジルドイツに7点も奪われたのか」「なぜ、日本代表はまったく精彩を欠いていたのか」など、さまざまな謎も残った。映画評論と共に、斬新な視点からスポーツ評論でも知られる蓮實重彦さんに、謎解きをお願いした。

 ――今回のW杯特に決勝トーナメントに入ってからは、一部の試合を除き、なかなか点の入らない展開が目立ちました。素人が見てもワクワクするような試合もっとやって欲しかった、という思いもあります

 「国民や国の期待を背負うと、どれほどスポーツスポーツ以外のものに変化していくか。それを見せつけられた何とも陰惨なW杯でした。サッカーとは本来ゲーム』であり、運動することの爽快感や驚きが原点のはずですが、W杯は命懸けの『真剣勝負』に見えてしまう。お互いもう少しリラックスしなければ、やっている選手おもしろいはずがないし、見ている側も楽しめない」

 ――なぜ、真剣勝負だとつまらない試合になるのですか。

 「『ゲーム』ではなくなるからです。ましてや負けないための真剣勝負など、見ていて興奮するはずもない。前回2010年の南アフリカW杯で、日本代表岡田武史監督大会直前、徹底的に防御を重視した『負けないサッカー』へと泥縄的に方針転換しました。確かにそれで1次リーグ突破できましたが、『1点でも奪おう』というサッカー本来精神からは、ほど遠いコンセプトだった。今回3位になったオランダ代表は、まあ前線ファンペルシーやロッベンいるからでしょうが、5バックというさらに防御重視の戦術で、まるで『岡田ジャパンのなれの果て』のようにさえ見えました」

 「勝ち上がるのを最優先すれば、どうしても『岡田化』が進む。今後はさらに防御重視の傾向が強まるでしょう。しかし、サッカーはどちらかが防御に徹すると、ゲーム自体が成立しなくなる。日本ギリシャ戦はその典型です。運動の快さを放棄してまで、国が期待する勝利にこだわる。そんな『スポーツの死』には付き合いたくない。W杯はそろそろ限界だ、とつくづく思いました」

 「国を背負うとどこか血生臭さも出てきます。その一例が、コロンビア選手ブラジルネイマール背中にひざを入れ、骨折させた場面です。故意かどうかという問題ではなく、国のために死にものぐるいでプレーすると、ああいうことが起きてしまう。他にもずいぶん負傷して血を流している選手がいました。観客の皆さんは、あの血生臭さにもう慣れてしまったのでしょうが

――日本代表はどうでしたか

 「ザッケローニ監督は、日本サッカーのためにある程度までうまくやったと思います岡田監督とは違い、前々代表監督イビチャ・オシムが作った流れを壊さなかった。私はオシムが率いていた時代ジェフ市原(現・千葉)の、攻守にわたり選手たちがダイナミックに動くプレーを見て、日本でもサッカーが見られるんだという喜びを感じました。ザッケローニにも『みんなが走り、気持ちよくサッカーをしないと意味がない』という姿勢があった」

 「問題はそれを十分に実現できなかった選手の方です。私は前回の日本代表について、岡田監督の急な戦術変更にもかかわらず、選手たちの『運動する知性』が想像以上に高かった、と評しました。選手たちが無言のうちに素晴らしい連係を達成したり、味方をも欺くようなはっとさせる動きを発想したりする知性のことです。前回は、松井大輔からそういうトリッキーな動き方を感じたのですが、今回はみんながまじめすぎた。少なくとも大久保は、もっと不まじめでもよかったのではないか。市原オシムに鍛えられた前代表阿部勇樹のように、『失点のリスクをつぶす責任はオレが負うから、君たちは好きにやれ』という人もいなかった。知的な面では退化していた、と言わざるを得ない。それでも、岡田サッカーで勝つよりも、ああいう負け方の方が日本未来にはよいことだと思います

 ――本田の「目標は優勝」という言葉とは、かけ離れた結果でした。

 「本田の発言の真意は分かりませんが、多分『そうでも言わなければやってられない』という思いがあったのではないか。『オレたちはどこまで伸びられるのか』ということを意識的に試そうとしている選手が、彼以外にはあまり見あたらなかった。そんな仲間たちを鼓舞しなくてはいけない、と思ったのでしょう。ただ、本田自身も、勝利へのこだわりが動きの柔軟さを奪っていたような気がします。それでも1点を取り、1点をアシストした。彼が日本代表の最低限の名誉を守りました」

 ――誰もが国を背負い、勝利にこだわりすぎたW杯だった、と。

 「サッカーの魅力は『うそのように思いがけないことが、ピッチで起こる瞬間を目撃すること』ですが、今回それを味わわせてくれたのは、オランダスペイン戦におけるファンペルシーのヘディングシュートだけでした。決勝戦でのドイツゲッツェシュートは確かにみごとでしたが、ああいう場面で輝くのは真のスターでなくてはならず、まだスター予備軍のゲッツェが決めても、私たちを驚かせることはできません」

 「1カ月も大会を続けていれば、その間に必ず愉快でおちゃめな選手が出てくるものですが、今回はそれも不在でした。唯一、相手選手にかみついたウルグアイスアレスには一種のかわいげを感じましたが、おちゃめと言えるかどうか。02年の日韓W杯で、ブラジルロナウドが前髪だけ三角形にそり残した奇抜な髪形でプレーし、優勝トロフィーさらってしまった。そういう『変な人がおちゃめをしながら勝つ』という楽しさもなく、みんなが必要以上に本気になってしまった」

 「一方で『見たことを一刻も早く忘れたい』という瞬間が多すぎました。世界最高GKの1人、スペインカシリャスオランダ戦で5失点した。彼があんなによれよれで崩れてしまう、という場面は決して見たくなかった。ポルトガルの対ドイツ戦での惨敗にも目を背けたくなりましたが、極め付きはやはり準決勝ドイツブラジル戦です」

――ブラジルが7失点。目を疑いました。

 「あれはもうサッカーではない。ドイツが7点も取ってしまったことは、果たして成功なのか。もちろん、勝利したという点では成功なのですが、『サッカーサッカーではないものにしてしまった』という点においては、醜い失敗だったとしか思えません。誰かがドイツ代表精神分析をやらなくてはいけない。どこまで点が取れるのか、面白いからやってみよう、というぐらいの気持ちになっていたと思うのですが、どう見ても7点も取ってはいけない。何かが壊れるし、人の道から外れているとしか思えない」

 「サッカーから運動の喜びを奪うW杯という枠組みが、選手たちの精神ゲームのものを、いかに異様なものにしてしまっているか。それを象徴する試合でした。サッカーは死んだ、と思いました。前回のW杯でも、国を背負うことの問題は至る所に現れていましたが、それでも決勝、準決勝は緊張感のあるいい試合でした。それが今回のW杯では、なくなった。次回のW杯まで私が生きているかどうか分かりませんが、確実なのは『もう、徹夜をしてまでは絶対に見ない』ということです」

    ■     ■

 ――W杯サッカーの喜びを取り戻すことは可能でしょうか。

 「実は今回のW杯では、二十数年ぶりに心から応援するチームがありました。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表です。1914年に同国の首都サラエボで起きたオーストリア皇太子暗殺事件が、第1次世界大戦の引き金になった。それから100年。20年近く前まで殺し合っていた三つの民族が、オシムの尽力で一つのチームを作り、W杯に参加した。これはもう、応援するしかない」

 「最初の対アルゼンチン戦で、敗れはしましたが、イビシェビッチがチーム初得点を決めた時には、わがことのように泣きましたね。最後イラン戦で初勝利した時にはまさに『オシムサッカー』という感じの躍動感にあふれた闘いぶりで、その華々しさにまたも涙しました。この年になって真夜中に何をやっているんだろう、とも思いましたが」

 ――蓮實さんは、スポーツ世界に、スポーツ外の浪花節的な物語を持ち込むことを嫌っていたのではなかったですか。

 「いや、これは私個人ではなく、人類問題なのです。サラエボ事件100年ですよ! そこから来ている代表民族対立を乗り越え、W杯で初勝利した。その奇跡を、日本関係の深いオシムが実現させたことを、心から祝福するべきなのです。そしてボスニア・ヘルツェゴビナオシム流のサッカーさら継承し、将来のW杯で魅力あふれる運動感をピッチに行き渡らせる。これは私のロマンチックな願望です。そうなれば、W杯をまた熱心に見ることになるかもしれませんね」

 (聞き手・太田啓之、金重秀幸)

    *

 はすみしげひこ 1936年生まれ。東京大教授教養学部長、総長歴任。著書「『ボヴァリー夫人』論」「表層批評宣言」「スポーツ批評宣言」など多数。

2014-07-02

自分語りからの他人の弱さ

大学に入って、飲み会という文化が始まり相対的に観た自分の社交性の無さをまずいと思い、呼ばれた飲み会はすべて参加し、どんな会話をしているか、どんな相槌を打てばいいかを、ストレスお腹を痛くしながら勉強した。

社会に出て、目上の人とうまくつきあう方法がわからず、試行錯誤して、人ごとに反応が良かったリアクションを元にコミュニケーション法を研究し、構築した。

職場飲み会は、大学飲み会とは違うから、また勉強した。気を使いすぎて気持ち悪くなり、食べ物を受け付けず、空腹に酒ばかり流し込んだり。飲み会からの帰り道は毎日一人反省会

そんなの普通なんだろうけど、根本的に他人の感情に興味がないスキゾイド人間泥縄作業だからストレスが溜まるし、アラが出る(気質言い訳にするのは良くないが)。

そしてそんな風に必死に構築してきた自分を、ある知人に冗談交じりに「コミュ障」仲間にされ、どうせお前の過去黒歴史連続だろう、と。

そんなに、私は滑稽か?駄目か?

それならそれで構わないけど、なぜ私にそれを言う必要があるんだろう。

私のことを嫌っている様子ではない。

私のことをわかっているアピールか?

それとも、親近感を持っていた対象コミュニケーションスムーズに取れるようになって面白くないのか?

酒が入って、年下の異性に甘えているのか?

いずれも否定できない。

上記を踏まえると、劣等感を埋める自己愛のための同一化&投影、とかもありそうな感じ。

その人はその人で苦労しているんだろうけど、引きずりこむのはやめてくれ。

2014-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20140613074302

これも貼っとくワ。5-6ページ

2012年10月、CDBは新任の研究室主宰者(PI)の公募を開始した。公募では、特に

細胞研究者採用を掲げていた。11月14 日のGD会議後の公募人事に関する非公式な打合

せの中で小保方氏が候補となり、その結果をふまえ西川センター長(当時)は小保方氏

に新PIに応募するよう打診した。

西川センター長(当時)の打診に対し、小保方氏は応募の意向を示したものの、重要

な応募書類の提出が締切日に間に合わず選考にあたる CDB の人事委員会メンバー

12 月21日の面接セミナー当日、応募書類を受け取った。さらにこの段階では応募に必要

推薦書が添付されていない状況だった。

このため人事委員会は、事前に過去論文や応募書類の内容を精査しないまま、また研

能力についてハーバード大学/ブリガム病院C.バカンティ氏、東京女子医科大学岡野

教授大和雅之教授からの推薦書による確認を経ることな面接セミナーを行い、小

保方氏の採用事実上内定した(*2)。

なお人事委員会は、STAP 研究秘密性が高いと判断し、小保方氏については、通常 PI

候補者に対して行っている英語による公開セミナーを省略したが、さらにこれに代わる

英語での非公開セミナーも行わなかった。

また人事委員会は、若山研究室における客員研究員としての小保方氏の研究活動について

も聴取しなかった。

2012年10月いうたら、山中さんのノーベル賞受賞が発表されたときや。

そこへこの泥縄や。

大人の事情わからんガキは黙っとれ。

まあ、推薦書が先に来たから言うて、

どうせ大和とかバカンティやからクソみたいなもんやけどな

2014-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20140527020613

発展途上国は多かれ少なかれあるらしいが、金持っている家は、金のない両親、兄弟、親類縁者まで援助するのが当たり前っていう助け合いと言えば聞こえがいいが、援助させられる方から見れば「たかり」的なのがひどい場合も多いって聞くが、そんな泥縄結婚して大丈夫か?何かにつけて援助を求められる事があるって聞くけど。

フィリピンもそういうの多いって聞くけど、本当に冷静に判断できるもんか?

まぁ、日本人だって0とは言わないし、支援を求められる事は(それこそ生活保護扶養とかそういう感じみたいだし)あるかも知れないが、やっぱり割合全然違うと思うよ。

親孝行助け合いも、それだけ取り出してみればいい事なんだけどねぇ…

2014-01-21

20年後、日本国内米不足に陥る

100万円賭けてもいい。

10~20年後には、日本は必ずコメ不足に陥る。

今の高齢零細コメ農家引退ないし死亡し、その子供の多くは非農家で跡を継がない。

農地秋田にあって、相続人たる子供東京」とかだと、子供兼業できないから、そのまま耕作放棄へ。

政府は「大規模農家不在地主農地を集約する」と絵空事を言ってるが、

散在している零細農地が複数になったところで効率は上がらない。

農地がまとまっていたら(散在してなければ)多少はスケールメリットが出るが、

「300m離れて零細農地、また700m離れて零細農地」とモザイク状に飛び飛びだと、非効率ママ

引退農地相続農地は、政府の都合のいいように「連続して出現」してくれない。

実際には

「2014年には1200m離れた農地引退で空き、2016年には700m離れた農地相続で空く」

という具合に、ランダムに不規則に出現する。

自分の隣の農地に空きが出た」のなら、意欲ある農家はその農地も取り込んで規模拡大&効率化するかも知れない。

だが「自分の隣の隣の隣の隣の農地」なんかだと、大して効率上がらないから積極的に拡大に走らない

逆に言えば、引退相続農地の「お隣さん」が、若くて積極的農家だったら借り受けてくれる可能性あるが、

「お隣さんも数年後にリタイア予定」とかだったり「お隣さんも兼業農家で、拡大意思なし」だったら、まず借り受けてくれない

そもそも、相続に発展してしまった場合相続手続が完了しないと農地貸し出しが出来ない。

相続手続きや登記手続きは義務じゃないから二束三文農地相続手続は放っておく遺族も多い。

農地経済価値より、相続手続費用の方が高額と言うバカバカしいケースだと、まず放置される

(遺族の中に認知症患者がいて、相続手続きが一向に進まない、というケースも多い)

ということで、相続に至った場合

「ちゃんと遺産分割協議して、相続手続を終えて、更に農地貸し出しに至るケース」の方が少なくなってしまう。

農水省はちゃんと、

零細コメ農家の年齢構成、平均余命相続手続率などに基づいて、

「2020年/2030年の営農農家数」「2020年/2030年の予測コメ生産高」をシミュレーションしてるのか?

甚だ疑問である

日本半導体王国・電機王国で、アメリカ相手に貿易黒字を積み上げていた時代に、

日本半導体・電機が衰退し、日本貿易赤字に転落する」と予言したら笑われていただろう。

だが実際はその通りになった。

コメ余りの今、「将来コメが不足する」と予言したら笑われる。

だが確実に足らなくなる。

20●●年、コメが足らなくなった時点で、農水省はどう対策するのか?

泥縄農業参入を促進しようとしても、「翌年からコメが取れる」と言う訳には行かない。

工業サービス業なら、訓練研修時間は短いから、急遽対策できなくもないが、

農業場合「年に1回しか収穫できない」と言う農業特性上、急遽対策しても

対策が奏功するのに数年掛かる。

2013-12-10

買ってよかったものリスト公開へ向けての提言

はてブリングサイドとして、2013年買ってよかったもの合戦が始まった。

後出しのほうが、質は上がっていくだろうから(例えば使っている写真を張るとか)

今あえて最底辺から苦言を呈する。

ブロガーたるもの無知蒙昧な衆愚啓蒙する高い志を持ってもらいたいからだ。

今よりも高い水準を要求して余りある能力をお持ちだと信ずるからだ。

これはつまり、我儘というやつだ。

まとめ

アタリマエのことは省いて欲しい

高いものが良いものではない

TIPSは血肉があってこそ

アタリマエのことは省いて欲しい

自動車買ったら世界が変わったよ!やっぱレンタカーともタクシーとも違うな!」

どうだろう。

発言した人間との関係性で反応は異なるだろうが、余程でなければ苦笑いだろう。

もちろん、これが電気自動車であるとか、もっと言えば明治時代に馬車から乗換えた元公卿とかなら判らんでもない。

吉田自動車国産だが買い控える必要はない!」

とかなら、十分に価値のある買ってよかったものリストだ。

今あえてルンバを出す価値や、MBAを出す価値が有るだろうか。

アタリマエのことの集合体が意味を持つTwitterのさえずりとは違うだろう。

一つ一つのさえずりは小さくとも、バルスの大合唱世界を揺るがす。

しかし、ブロガー合唱団の一員ではなく、孤高の演奏家だろう。

大衆に紛れて声を上げる煽動者ではなく、先導者であって欲しい。

余程のことがなければ、それはそっと追記すれば良いだけだ。

高いものが良いものではない

そもそもコンナ偉そうなことを書く価値があると感じたのは、このブコメだ。

id:n-styles

現物写真を撮ってるのに他のサイトとかぶってるという指摘すごいなー。独自性を出すためにチョイスを変えるとか本末転倒だし、記事書くためにわざわざ別の何かを買ってくれば満足なのかな。

実に鋭い切り口で本質を見せてくれる。鋭すぎて傷の治りが早そうだ。

オレのリストは他人とかぶってるつまり通り一遍リストだと婉曲的に表現するときに僕も使いたいと思う。

珍奇なものをワザワザ買ってくれば良いのか?という所が凄い。素晴らしい腕をお持ちだ。

なかなか返す刀で「オレはどうせワザワザ買ってこないと他人と被る普通感性だよ≒オマエはどうなんだよ」とは言えない。

精進したいと思う。

閑話休題

まり、買ってよかったものリストというのは、その人間を表すものだ。

なかなか買えない高いものを買ったかレビューしてやろう、というのも人間性だ。

安くてちょっとしたものでも生活が変わったならそれをリストに加えて欲しい。

そうすれば「安くてチョットしてものリストに加える人」なんだと判る。

他人の本棚を覗くような、その人となりを如実に表すバロメーターだ。

TIZEN特集の雑誌が並んでいようとも、Nokia仕様書MeeGo解説書があればその人への評価を改めるだろう。

高くて良い物を買って高いだけあって良かったと叫ぶのは我々で良い。

2013年を総括する、彼にとってこんな1年だったと示して欲しい。

我々はリストを見るのではない。ブロガーを観るのだ。

TIPSは血肉があってこそ

前半Disったように聞こえると本義ではないため、弁明しておこうと思う。

N-Styles(あれっくすさん)のリストは後半流れるように素晴らしい。

[NS] 2013年買ってよかったもの

http://n-styles.com/main/archives/2013/12/10-013000.php

からモノをプレゼントされる人柄、それに引きづられるように泥縄で増えるグッズ、

駄目になると見せかけて健康志向である事を示す志。

さすが老舗、(通称)人間ダメになるソファ写真で如何にもなダメさを魅せつけておいて、

Vitantonio マイボトルブレンダー写真に、テーブルの角のクッションを映し込む感性

年会費1万円のアメックスゴールドカードに入っても旧料金法人会プランがお得なのは

月何回通ってからだろうと相手を引き込むその技法

コレこそがあれっくすさんの2013年を振り返り、2014年を感じさせるリストだと言える。

ルンバが見たいのではない、遅刻しないコツからあれっくすさんを観たいのだ。

「床に物を置かなくなる」みたいなのはTwitterで我々愚民が呟けば良い。

Amazonリンクを我々が踏むのは、「まとめ」を見たからではない。

その生活共感し、そのTIPSからその人を感じ取り、

購入を通じてブロガーと一つになりたいという

燃え上がるような変態性の末路からだ。

まとめ

雨後の筍のごとく2013年買ってよかったものリストがまだ出てくるんだろうが、

取り敢えずで書いたそのリストにはそのブロガーのものが出るぞ。

高額商品Amazonリンクを張るなら、その精神性が、

通り一遍の解説からは、通り一遍の記事の質が、

うかつに書いたキッチン用品からは体型が、

行間から漏れ伝わってくる。

心せよ、

おまえが深淵を覗くのなら、深淵もまたおまえを覗いている。

おまえはリストを見せているつもりかもしれないが、おまえがリストを観られているのだ。

2013-03-23

裏口からプログラミング入門

Software Design 2013年4月号の特集「僕(私)の言語の学び方 裏口からプログラミング入門」を

立ち読みしたら、美容師タワレコ店員、書店員泥縄流でIT土方になってて、読んでて

なんだか悲しくなってきた。

はてブのメイン層もここら辺なんだろうなぁ~

なんとなく感じてたのを雑誌によって可視可された感じだ。

2012-10-21

編集権が所有者に帰属するというのは、日本新聞協会自身が認めていること

編集権は所有者に帰属するというのは新聞社自身の主張だから子会社編集である週刊朝日の件で朝日新聞社が責められた点は橋下側が正しい。

編集権朝日新聞社にはないから、といった朝日新聞記者言い訳は通用しない。

でも、週刊朝日の記事内容を朝日新聞社がチェックしたりなど出来ない、というのももっともな話である

これは、日本新聞協会が公表している編集権概念が、泥縄で作られたせいで現実とうまくマッチしていないという問題であるのだから、そこをまず直すべき。

そうすれば、

朝日新聞社朝日新聞出版の刊行物の内容までは干渉できない、なのでそれを理由に取材拒否をされる言われはない。ただし、朝日新聞出版が問題のある記事を書きそれが元で週刊朝日廃刊されたような時には、経済的な不利益は所有者として当然受け入れる」

と堂々と言うことが出来るようになる。

2012-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20120906173209

不正競争防止法についてはチェックしてませんでした。「知財」関連の法律で見てたので。

不正競争防止法はどっちかと言うと商業としての争いに当たるため、調べたことが無いです。

 

と言う事で、タイトルに偽り有りでしたね。突っ込みありがとうございます

まだまだ私も甘いです。反省

泥縄でざっとチェックしてみた。

Request Rejected

判例漁りは膨大になるので手付かず。法律をざっとチェックしてみました。

確かに2条1項3号

二条  この法律において「不正競争」とは、次に掲げるものをいう。

三  他人の商品の形態(当該商品の機能を確保するために不可欠な形態を除く。)を模倣した商品を譲渡し、貸し渡し、譲渡若しくは貸渡しのために展示し、輸出し、又は輸入する行為

に当たる行為になると思われます

 

しかし、不当競争防止法を用いる場合は、差し止め請求権になるんですね。で、第3条が問題となります

差止請求権

第三条  不正競争によって営業上の利益侵害され、又は侵害されるおそれがある者は、その営業上の利益侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる。

2  不正競争によって営業上の利益侵害され、又は侵害されるおそれがある者は、前項の規定による請求をするに際し、侵害行為を組成した物(侵害行為により生じた物を含む。第五条第一項において同じ。)の廃棄、侵害行為に供した設備の除却その他の侵害の停止又は予防に必要行為を請求することができる。

まり、「営業上の利益侵害されている」事を証明しないといけない。

しかし、シャドウハンターズは確か今、絶版なわけで、復活のためのあれこれを動いてる状況では、営業上の利益侵害されたというのは微妙な気がします。

 

また、同法律にこういう条文もあります

適用除外等)

十九条  第三条から第十五条まで、第二十一条(第二項第七号に係る部分を除く。)及び第二十二条の規定は、次の各号に掲げる不正競争の区分に応じて当該各号に定める行為については、適用しない。

五  第二条第一項第三号に掲げる不正競争 次のいずれかに掲げる行為

イ 日本国内において最初に販売された日から起算して三年を経過した商品について、その商品の形態模倣した商品を譲渡し、貸し渡し、譲渡若しくは貸渡しのために展示し、輸出し、又は輸入する行為

まり、「頒布行為」を「実費のみ負担してもらっての、譲渡である」と強弁を取った場合、「模倣品の譲渡」として適用除外の可能性があるのですね。同人って(それが建前だとしても)そういうものだと言い張ることで。

ちなみに、21条、22条は罰則の規程です。

 

この辺りの「営業上の利益」「適用除外」などの閾値判断がどのようになるかについては、過去判例を漁らないと判りません。

しかし、申し訳ないのですが不正競争防止法関連については調べたことが無いので、即座に閾値がどの辺りか判断できません。

 

一応の私見では、どー考えても「商売」なので、19条の適用除外になるとは思いません。

その上で、「販売を行っていない品物」に対しての複製販売が「営業上の利益侵害」に当てはめてよいのかどうかが判らないという状態です。

 

非常に歯切れの悪い内容で申し訳ありません。

何かの参考なり、調べる足がかりになれば幸いです。

もう一つ

http://anond.hatelabo.jp/20120906181733

その通りです。突っ込みありがとうございます

私もまだまだ甘いです。文章書くのって難しいです。

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