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はてなキーワード: DaiGOとは

2021-08-16

anond:20210816083901

DaiGo発言が本当に刺さった人にとって一生許せないだろうし、反省とか撤回溶かしてもなって感じでしかないよね

anond:20210816090830

DaiGoもちょび髭にすればもっと人気が出てくる

ヒトラーは好きだけどDaiGoは嫌いだよ

別に身内を殺されたわけでもないし

どっちもどうでも良いんだけど

クソみたいに叩かれてる悪魔みたいなヒトラー

やかん成功してるDaiGoだと

やっぱDaiGoの方が嫌いだわ

こういうの結局感情論なわけで

DaiGo燃えるのは好感度的な物だよ

DaiGo等の「何かを否定することで支持されるカリスマ誕生の背景。

現代社会必要とされる情報が「個人の処理能力」を越えて大量に無統制に溢れるようになると、

「何かを力強く断言して否定する」ことで支持される「反省しないカリスマ」が誕生する。

自分たちの住んでるムラ」だけが正常で、他のムラは異常で危険だ、という「隣の芝生

実際は青くないぜ」というハナシが広範に支持される。

なぜなら「自分(たち)は主流から取り残されてるのではないか?」という絶えざる焦燥感から解放されるから

必要とされる情報が「個人の処理能力範囲内」に収まっているなら、この種の「情報不安」は芽生えない。

DaiGoという人の一連の騒動を眺めていて思うこと――「本心」がどうかなんてどうでもいい

DaiGoという人の一連の騒動を眺めていて思うこと。

:

この人の「2度目の」謝罪会見動画についての、SNSにずらりと並んだ反応は、見た限り大きく3種類に分けられる。

1つは

「これも計算なんでしょ?」

的なもので、

2つめが

「ここまで追い込んでるやつらも同類

的な「どっちもどっち」を掲げるもの

3つ目はいわゆる擁護論で、

「みんな内心ではホームレスを汚いと思ってるはずだ」

みたいな、つまり本心」「本音」に即していないはずだから駄目だ、というもの

加えるなら、

「そういう綺麗事あなたたちは、一体ホームレスのためにいくら寄付をしたんですかw」

みたいなのが、この2と3の間に入るのかもしれない。

:

数としてみたとき最初に思うのは、

1つ目の、つまり、この謝罪を、心からのものとして信じない、という表明、これが驚くほど多い。

人間他人の内心というものを知ることはできない。

なので、このDaiGoという人のこの(とくに二度目の)謝罪は、多くの人が指摘するように計算なのかもしれないし、

あるいは意外と、真実の、心から反省に基づいて、あの涙だって流しているのかもしれない。

でも、もしあれが心から涙だったとしても、大勢の人が、それを信じようとしていない。

それは過去のこんな投稿

( https://twitter.com/umiuminemui/status/1426891746487586817 )

を含め、彼が繰り返しあちこち動画とかサロンとかで示してきた、態度や言動の積み重ねによるものが原因であるらしく、

「今回だってきっとそうさ」と受け取られてしまっている。

まるで寓話の狼少年そのままに、自分がしてきた行動や言葉負債が、いまそのまま自分に跳ね返ってきている。

計算なのか本心なのかわからないが、筆者は、むしろ、この謝罪は「計算」であってほしいと思っている。

そうであれば、彼の内面は、「ちくしょう、うまくいかないなあ」といった悔しさで済むが、もし、彼が真実反省からあの動画投稿したのだとしたら……。

これがフィクションであれば、一種の痛快さとともに、一人の悪役の凋落物語として消化できるのかもしれないけれど、

現実出来事としては、教訓劇としたってあまりに陰惨すぎる。目も当てられない。

:

そもそもの発端になった、ホームレス生活保護受給者に対する発言の時点から

このDaiGoという人の「本心」なり「真意」なりは、なぜこれが問題になったのかとは、何も関係がない。

……少なくとも筆者はそう思っている。

本心」や「真意」を気にする人は、例えば最初問題発言についても「DaiGoさんはそんな意図で言ったんじゃない」的な擁護をする。

しかし、繰り返すが、彼の「本心」も「真意」も、これが大きな問題となって「炎上」した理由とは関係がない。

■こういう言葉を(個人の感想であろうとなかろうと)、

■こういう場において(拡散され大勢に届きうる、つまり"公"につながる場所で)、

■こういう態度で(僕はこんな"辛口"な本音を言い放てるほど自分に正直でいられるんですよ、というアピールを"エンタメ"とする認識。なおこれは彼の「1度目の」謝罪発言されているので、もはや「内面」の類推ではない)、

世に向けて放つこと。

それが、ホームレス生活保護受給者の人たちに対する社会視線を、どんなふうに「操作」(メンタリスト肩書とする人のようだから、そのことに無自覚だったとも思えないのだけれど)することになるか。

……問題はそこに集約される。

「この発言の底にある、叩いている人間によって捻じ曲げられたせいで語られることのない真意」のようなものは、

どこにも入り込む余地はない。

:

「彼の放った言動、彼の内側ではなく外側で記録されている言動という事実、それについて彼は責任をとるべきだ。」

これが、DaiGoという人に向けられた糾弾の内実である。……少なくとも筆者にとってはそうである

もちろん、炎上してるとみて一緒になって石を投げてるような手合いだっているんだろう。

しかし、そういうイナゴめいた連中を、「糾弾している人たち」の「代表」に一方的に仕立てて、

「ここまで追い込んでるやつらも同類

批判して事足れりとするのは、不当に問題矮小化している。

また、

「みんな本心ではホームレスを汚いと思ってるはずだ」

的な、「本心」を問題にするような反論も、まるで意味がない。

これを書いてる筆者だって、家の前で不当に浮浪者に居座られたら迷惑なのでどいてもらいたいと思う。

そういうことと、

■「こういう言動を公にすることがどんなふうに社会視線を歪ませるか、セーフティネットというもの存在意義をどんなふうに誤ったイメージすり替えるか」

ということを問題視して批判することは、何一つ矛盾しない。

批判している人が「本心」でホームレスをどう思っていようが、また寄付したことがあろうがなかろうが、何一つ関係がない。

:

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もうちょっとだけ。

本当のところ、

特にDaiGoが好きなわけじゃないが、この綺麗事を主張しているやつを"どっちもどっち"で相対化してやろう。そんなことができる自分はなんて冴えてるんだろう」

という満足を得たいがための投稿、というのについては、

炎上しているところに行って一緒に石を投げてやろう」

の手合いと同様、この件に限らず常にどこにでも発生するものなので、言及してもあまり意味はないような気がする。

そういう「冴えてる私アピール」は、確かにお手軽な娯楽であるが、しかし、何一つ、

それこそ"お花畑理想論綺麗事"を言い募るよりもはるかに、世の中の役に立っていない。

もちろん、当人たちだってそれはよく認識しているはずだ。

要は「言葉で言い負かして痛いところを突いてしまえる私はなんてすごいんだ」という満足感は、

それこそ当人の「内側」から外へ出て、何かのエネルギーになったりすることのないものから

そして言うまでもなく、

事実としての言動」「それがもたらす可能性」「それを批判することの意味」を問うにあたって、

どっちもどっち」が意味もつような余地は、どこにもない。

2021-08-15

なんだかんだでDaiGoって好かれてるなと感じる

やっぱあの天才的な胡散臭さが魅力だわ。

メンタリストってなんやねん!

自称サイコパスって痛過ぎやろ!

いちいちドヤ顔すんねんな……

自称サイコパスなのに今回の一件で謝罪ちゃうかいしか露骨謝罪してるポーズだけやんけ!

などなど、胡散臭さが本当に素晴らしいわ。

anond:20210815195651

> それらが1つの作品として上がってきた時に、どう感じられるかで同じシナリオ、同じキャスト、同じシーンでも全く意味合い作品への理解度が変わってくる

> これは社会に対する考え方や捉え方も同じ

自分が嫌なのはこれなんだなと思った。ありがとう

社会のことについても、ファスト映画・ファスト教養みたいな感じで捉えてる節はある。例えば「DaiGo生活保護についての不適切発言炎上した」とか「東京五輪反対デモ職場の近くで行われている」とか、自分にとって身近なニュースがあっても、字面以上の興味がわかないみたい。そういうニュースが流れてきて家庭で話題に上がると、だいたいいつも「それは俺にとって関係があるのか」という質問をする。わたしにとっては身近に感じられないほうが疑問なんだけど、ニュースしろコンテンツしろ話題になる要素を捉えることが大事だと思っていて、組み合わせを自分なりに理解して考えを持つということが苦手なのかもしれない。

anond:20210815190916

少なくとも本人にとっては予想外の出来事だし、職業柄日々勉強のようなものなので、ここから新たな学びを得ようとする内的な動機が沸き起こるのではないか? というかすかな期待みたいのもある。

最初の一度は思ってもいいと思う。だが、DaiGo女性蔑視動画見た?

韓国女性相手にとんでもない差別意見配信してんだよ?しかも今回の差別話よりも前に。

これ見たら、コイツ常習犯だって分かるよ。そして学び得る事もしないで現在に至ったという事も分かる。

それでもまだ信じたり期待をもてる?出来上がった人間性は結局変わらないというのを、俺は理解したよ。

ファスト映画を見る彼氏が嫌い

その一点だけ除けば問題ないんだけど、許せない。自分はすごく映画好きというほどではないけどそれなりに映画は好きで、年に十回くらい映画館に行ったり配信で見たりする。

彼氏毒親お金をもらえず進学が難しかったり食うに困ったりした過去があり、常にお金無駄につかわないようにしている。そして、映画を「等速で」見ることは時間=お金無駄になるらしい。別に創作物全般が嫌いなわけではなく、本も漫画もよく読む。しか動画だけは二倍速以上でないと受け付けないらしい。(普段も隙間時間はずっとDaiGoとかひろゆき動画を三倍速で聞いている。これは馬鹿みたいだと思うが人の好き嫌いなので何も言わない)

いままで一緒に映画を見に行けないだけなら別に問題がなかった。わたしも一人で見たほうが気が楽だ。でも、昨日彼氏がファスト映画を見ていることを知ってしまい、嫌悪感から離れられない。これから何かの機会に有名な映画のシーンの話が出たら、彼はそれを見たという体で話すだろう。でもそれはファスト映画を見て話しているのだ。それを知ってしまったらもう気持ち悪くて話ている彼氏を見るだけで嫌になると思う。これから生活憂鬱だ。

DaiGo反省について

ホームレス存在理由などについて、頭ではすぐに理解できたとしても、そんなにすぐに腑に落ちるようなレベル?心で理解?ぐらいに考え方が変わることって人は可能なのだろうか?

それを本人が本気で試みようとしているのなら暖かく見守りたい気もする。まだ若い人だし。

anond:20210815184709

DaiGo はただの馬鹿

それを肯定している奴らも馬鹿

ただそれだけの話

anond:20210814104608

要するに「ヒトラーになぞらえる批判」(参照:ゴドウィンの法則)のヒトラーDaiGoに変えただけじゃん。

悪者代表と、そうでない一群の人々との間の共通点(「寄付によって助ける対象選択している」)を挙げて

「この人達ヒトラーDaiGo)って何が違うの?」とやるわけだ。

しょ~もな。

DaiGoだけじゃなくヘイトクライムに加担しているまとめサイト

賛否両論みたいな感じでPVを稼ぐまとめサイトもまじでどうにかしろ

DaiGoだけ批判して終わらしたらいけない問題だぞ

無視して済む問題じゃない

anond:20210815001111

DaiGoさん、こんなところで何してんすか

daigoって言うとややこしいか

彼のことは「メンタリスト」って言えばよくない?

かにメンタリストっていないから。

と、思って検索したら、メンタリストSAIって人がいた。

ウイッシュDAIGOはその界隈ではBL作家(影木 栄貴)の弟認定やぞ

しかもそのBL作家北川景子と義姉妹とか羨ましすぎ

DAIGOさんシンプルに顔がきめぇ

シンプル爬虫類みたいな顔で在日外人という感じで日本人という感じがしないし、シンプル気持ちいか公共の場に二度と出ないでほしい

ああ!!すごいこと気づいた!!

小山田DaiGo

しりとり!!!

次は「ご」がつくやつが危ない逃げて!

小山田圭吾氏辞任騒動から見る虐めの本質考察

以下は小山田圭吾さんの辞任騒動きっかけに、SNS問題マスコミ姿勢についての疑問、虐めの本質とは何かを私なりの視点で考えた物です。

本来Twitterで呟くつもりでしたが、かなりの長文となってしまいましたので、こちらで書く事にしました。


基本私はTwitterであまり呟く事はないのですが、ファンである小山田さんの擁護きっかけに今回の炎上の渦中に入りました。

そんな私のツイートにリプして来た人の殆どが汚い言葉を使い、怒りの感情をぶつけて来ました。私はそれを〝攻撃〟と呼び、ミュートやブロック等でスルーしましたが、冷静に対話出来ると感じた人とは出来る限りやり取りしていました。

そうしたリプの中に、障害者と直接接触する機会がなかったのか、TVドラマによくある表現に影響されたのか、「障害者純粋である」とか、障害者はとにかく「被害者となる対象(弱く可哀想な人)だから優しくしろ」と思い込んでる人が多い印象を受けました。「障害者小山田音楽聴く訳がない」と言う人もいました。

しかしそれこそが私は差別的だと常々思っていて、それを今回の辞任騒動で再認識しました。

障害者の中にはして貰って当たり前の態度の人もいれば、席を譲る等の声かけに強く拒む人もいるし、嘘をつく人もいます。多様な人格価値観があるのは健常者と一緒です。

(その点ではQJを見る限り、小山田さんは障害者である沢田さんを事細かに観察し、〝探究心〟で接しています先入観なく人を知ろうとする姿勢のものは、虐めはともかく差別はしていないと思います。)

それを想像せずに叩いて来るのは〝正義感〟ではなく〝傲慢〟であり、自己中心的価値観の〝押し付け〟でしかありません。

そもそもSNSにおいて、なぜただの擁護者までも攻撃するのでしょう。それはまるで、殺人犯家族まで同罪のように扱うのと同じ事です。

いえ、元々そう言う思考を持っている人達攻撃しているのかもしれませんが。

攻撃問答無用で人を傷付ける事ができます。その武器言葉なら、傷が目に見えない分だけどこまでも攻撃でき、相手が死のうとする迄のダメージを与えていても気付かないのです。その行為こそが「虐め」そのものなのに。

誰かを虐める理由ひとつとして、相手と同じ立場に立った時の想像力が欠けている〝経験の浅さ〟があると思います。それだけなら大抵は躾や注意で改善されるでしょう。

それが駄目なら実際にその立場に立った時にしか気付けないかもしれません。

他には承認欲求が満たされないストレスがその行為に繋がっていると見られるパターン

承認欲求が満たされないと劣等感に繋がります

劣等感は内に向く人と外に向く人とがいて、内に向く人は自分に自信がなく自分を責めて病む。外に向くと他人を見下したり攻撃的になりやすく、虐めに発展しやすくなる。

劣等感の元は無意識下にあるので、罪悪感が伴わないのではないでしょうか。

最近になって本当にケア必要なのは虐める側だと言われていますが、そこに本質があると思います無意識ストレス存在したままの人は、今回のような出来事スイッチとなり、ヒステリーを起こすのでしょう。

虐められる側には理由がなく、仮にあったとしても虐めていい理由にはなりません。だから世間は虐めを許さないと言う。学校会社と言う限られた世界でそうならば、今回の件は異常なまでの規模での虐めです。

しか真実検証も本人の説明時間もない完全に不利な状況で始まっているのです。

それをマスコミはこのまましれっと終わらせようとしている空気になっていますが、私自身は謝罪しない限り許す気はありません。何が出来る訳でもありませんが。

煽られた攻撃者は個人なので、私が何かを要求する義理はく、真実が世に出た時は黙っていればそれでいいと思っています。ただ、最初誤情報拡散した人は別ですが。

ここまでで私が言っている事は虐めを容認している訳ではないと解るはずですが、そうでない人は読解力が足りないと言っておきます

どんな場合でも相手理解しようとする姿勢対話しなければ、お互いの考えや価値観を知る事はできません。その上で解り合えなかったとしても、認め合う事はできます

いきなり断罪しては真実も何もあったものじゃ無い。まだ「真実」には辿り着いていないのだから

今回の件については攻撃側だけでなく擁護側も同じ条件です。

現時点で検証しているのは擁護側(しか個人)だけで、本来攻撃側もしなければなりません。QJ全文を読んだけど印象は変わらなかったと言う人がいますが、それは検証ではなく文字通り〝印象〟で留まっているだけに過ぎません。

しかし、双方が検証をしてもやはりまだ〝検証〟の段階でしかなく、何割が、どこが嘘か真実かは

雑誌からの〝証拠〟の提出

 (取材テープや生原稿等)及び釈明

小山田氏の〝事実と異なる

 多くの記載〟の部分説明

被害者と呼ばれる〝本人〟から

 証言

それら全てが揃って始めて〝真実〟と呼べるのではないでしょうか。

こういう事を書くと「汚名を晴らしたいなら本人が会見すればいいじゃないか」等とよく言われましたが、普通に考えればパラリンピックが終了しないとタイミングとして難しいと思います

オリンピックは終了したと言っても今回の発端が〝障害者を虐めた〟である以上、パラリンピックではより過敏にならざるを得ず、水を差す事になりますから

私はまずそこまでは待ちたいと思っています

会見が行われた場合雑誌から証拠の提出やライター本人の釈明がなければ、小山田さんの発言が全てとなります

そして世に出た情報が嘘であった場合には、彼がこれまでと同じ活動が行えるようになるレベルでの、マスコミコメンテーター謝罪を含まなければ終了にはなりません。

逆に、証拠が全て揃わなければ言い訳しか取らない人がいる事は容易に想像できますが、その場合雑誌社を追及するのが正しい姿勢です。

会見がなかったなら、被害者とされる人が虐められたと思っていたとしても、謝罪文を出していれば本来は〝社会的〟には終了する話であり、これ以上叩く必要はありません。

本人に謝らなければ意味がないと言うならば、謝罪文には〝本人に連絡を取り直接謝罪したい〟と書いてあります。連絡が取れて受け入れられなかったとしても、後は当事者同士の話であり、外野が口を出す事ではありません。会えなかったとしても同じです。

本人に連絡を取っても傷口を広げるだけだと言う人もいますが、それも当事者問題です。何故なら

〝許す〟可能性もあるからです。

その点について言及する人を少なくとも私は見た事がありません。攻撃者が常に小山田さんが〝許されない〟事を前提で話しているのには疑問が残ります

また、この件について同じ経験のある人を刺激したという声もありますが、それは小山田さんだけが悪いのでしょうか?

確認しておかなかったJOC沈黙したままの当の雑誌社、問題になったブログ検証なく報道したマスコミ、間に受けて拡散コメントしたタレントや識者、それに煽られた一般人

無闇に人の目に入るような形にしたのは決して小山田さんだけのせいではありません。その点は責任転嫁ではないかと思っています

本来マスコミは、検証取材時代背景、あらゆる面からひとつ物事を捉えてからでないと報道するべきではありません。憶測がひとり歩きするような今回の事態普通ならあり得ないのです。エンタメ的な雑誌ワイドショーならともかく、公的ニュースを慎重に考察した上で伝えるはずの新聞報道番組でさえ、エンタメ化しているようにしか私には見えませんでした。

しかも著名な識者までもが感情的にコメントしていた事には愕然しました。連続殺人事件のような大きな事件ですら、冷静にコメントしているのにです。

国民の半数が反対していた五輪だったからなのか、コロナ禍でのストレスが噴き出したからなのか、とにかくどこでも爆発的に感情が横行していた事に唖然しました。

敢えてTwitter炎上飛び込みましたが、その異常さを目の当たりにして、文字にここまでの殺傷能力がある事に恐怖を感じました。

木村花さんの出来事が遠い昔でも無いのに、こんなにも簡単に忘れてしまうのかと。

また内容の是非はともかく、その後に起こったメンタリストDaiGoさんや、アーティスト大森靖子さんの騒動は、ご本人の口から出た確実な証言です。

それを考えると、小山田さんの場合本来、ここまでのバッシングを受ける物であったのだろうかと違和感を覚えます

ここまで書いて、ただの擁護という印象を持たれる方もいるかもしれませんが、一度冷静に考えて欲しいのです。「小山田」と言う主語を、貴方敬愛する誰かに当て嵌めて。

争いや虐めの問題を見つめる為に一番簡単なやり方は、

相手立場に立つ〟想像をする事なのだから

そしてそれを守る為にその時、自分はどうするべきなのかを〝想像〟してみて下さい。

傷つける人、傷つく人が一人でも減る事を祈って。

daigoって何年かおきに大問題起こしてるけど

共感性が低い、なんらかの知的または社会性に欠陥があって問題を起こしてるように見える

で、そういう人間心理学勉強してメンタリストと名乗ってるわけだけど、正直にいうと彼は人と共同生活集団生活ができないタイプ個体に見える

メンタリストという仕事も、本筋で言えば彼にはあまり向いてないと思う

彼が生きていくために不便にならないよう心理学というノウハウを身につけて自分不利益が出ないように活用していくレベルにしておくのがちょうどよかった

たくさんの人の目を受けて生きていくには本人の資質・欠陥が足を引っ張っていくのが判明したようなもの

もっと人と関わらない、人と話さなくて済むような仕事を本職にした方が良いのでは

欠陥がある人間分不相応ポジションにいて、常人ならしないような不用意な発言を欠陥性ゆえにして炎上するのを見るのは悲しい

のむシリカって見たけどなんか怪しくね?w

もともとDaiGoを起用するような怪しい企業に見えるんだけどw

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