現代社会で必要とされる情報が「個人の処理能力」を越えて大量に無統制に溢れるようになると、
「何かを力強く断言して否定する」ことで支持される「反省しないカリスマ」が誕生する。
「自分たちの住んでるムラ」だけが正常で、他のムラは異常で危険だ、という「隣の芝生は
実際は青くないぜ」というハナシが広範に支持される。
なぜなら「自分(たち)は主流から取り残されてるのではないか?」という絶えざる焦燥感から解放されるから。
必要とされる情報が「個人の処理能力の範囲内」に収まっているなら、この種の「情報不安」は芽生えない。
Permalink | 記事への反応(1) | 09:06
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昔のドイツに似たようなカリスマの人がいたね