はてなキーワード: 究極の選択とは
ちんこが好きだ。
ああいや、お前の股にぶら下がっているそれじゃない。すまないが、汚いからさっさとしまってくれ。
東京ちんこ倶楽部というTwitterアカウントがある。
僕はそのアカウントが好きで、随分前からフォローして、遠くから眺めてコンテンツとして消費させていただいている。
しかし、彼がコンテンツとして面白いのは、その裏に、人間としての苦しみ、それも、他の人間よりも苦しみ、悩み、不条理な苦さを感じ尽くした、そういう苦しみがあるからだ。
僕のような、ふらふらと生きている人間よりも、彼のコンテンツの方が面白いのは、彼のそういった経験的背景があるからに他ならない。
ただ、痛みは共有できないものだ。アーレントもそう言っているだろう。
彼の、表に現れた痛みは、イロニーとなって、まさにこのグローバル資本主義社会と日本的経営の融合物としてのブラック企業におけるスローガン「圧倒的成長」というフレーズを通して、表象=再現前化された。
しかし、それは彼の痛みではない。彼の痛みを表象=再現前化することによってコンテンツ化され、一般化されたものであって、彼の痛みそのものではない。
「圧倒的成長」
彼の生み出すコンテンツは楽しい。しかしそれは、それをコンテンツとして享受することが許される限りのことである。
彼は、その痛みの中で、しかしなお苦しみ続けている。
僕はそれを、コンテンツとして楽しんでいる、いるがしかし、苦しい。
繰り返すが、「痛み」は個人的なものであり、共有できないものだ。
「憐憫」も「共感」も、それを人々の社会、こう言って良ければ「類的存在」としての我々を、所与としてではなく、帰納的に成立せしめるところの作用ではあるけれども、
しかしながら、それが個人そのものの、内的な連関にまで届くわけではない。
ならば、僕の苦しさは、むしろ他人の不幸をコンテンツとして楽しんでいるという現実にあり、(しかし芸術というのは、ゴッホにせよ金子みすゞにせよ、やはり不幸を源泉にしている場合が多いのだが、)人の不幸を享楽する自分というものが受け入れられなくて苦しいのだろう、この偽善者め。
と、言ってしまえばそれまでかもしれないが、やはり僕は、単にそうはいえない。
僕は、案じている。
あるコンテンツとしてのイロニーという、一つの優れた作品を通じて知った、その先にいる人を、僕は案じている。
彼は、外から見て、明らかに容易ならざる状況にあると思われる。
そして、そういった状況に陥った多くの知り合いは、その、最後には、(最後にはというのは寿命でということではなくて、)究極の選択をすることが多かった。
それこそ、「ツバメのように」。
いや、しかしこうやって、僕がここに書くことすら、単に僕の享楽であり、それは彼には関係のないことだ。
いや、そうなんだけれども。
じゃあお前は何ができるんだ、金か、体か、法か、などと言われたとしても、僕は何もできない。
だから、単に案じている。
案じていることを、ここに念の為、あくまで念の為、書き記しておく。
それだけのことだ。
僕にできることは、何もない。
いずれにしても、風は吹くのだから。
アニメゴジラをレンタルで観た。怪獣惑星、決戦起動増殖都市。面白かった。その後、映画館で星を喰う者を観た。
決戦起動増殖都市が特に良かった。「これは違う」「初めから失敗している」などとひどいレビューが多い。同意はできないが、どんなレビューを書こうがそれは自由である。
批判が多いということは、製作者にとって勲章なのだ。注目されていることと同義なのだから。
作品の価値を判断できるかどうかは別の問題である。誰でも楽しめるかどうかというのは、作品の価値とは別の話である。
皆に褒められるというのは普通、死んでから後のことなのだ。生きている間は目いっぱい批判されるのが普通であり、批判を浴びまくるくらい注目を集められる人などほとんどいない。世間から袋叩きになるくらい批判されるのはそれだけ存在感の大きな人間なのだ。影響力が巨大な人物なのだ。成功者だからこそ叩かれるのだ。
究極の選択に直面するハルオ、ビルサルド(ガルグ)とエクシフ(メトフィエス)両人種の、ハルオに語りかける言葉、合理主義と精神性を重視する宇宙種族。凄く面白かったのだが、それを共感してくれるような人はあまりいないようだ。虚淵玄は凄いなあと痛く感じさせられたのだが、彼は孤独なのではないかとも思った。彼を理解できる人は多くはないはず。それでいて、自身の味をここまで出して、面白い、深い作品を世に出せるのだ。それには大衆受けする重要性を理解し、わかりやすさとテーマの深さを同時に追求しているからこそだ。凄まじい脚本家だという他ない。
すごいプログラムやプロダクトを作って1人で適当に生きていけるように成りたい
1人でやっていきたい、自由にやりたい
っていうモチベーションと
みたいなモチベーションと
まるで別方向のモチベーションが同居してる
1日の中でも両者が揺れ動くことがある
この2つはまるで別の方向を見てるので、行動がとっ散らかることがある
しかも、何か上手く行ってどっちかに寄っても常にモヤモヤが付きまとう
両者を同時に満たすことはできるかとよく考えるが、ほとんど無理だと思う
コミュニティの中で縛られて生きるか、一人で自由に孤独に生きるかは究極の選択かもしれない
まあ、悩んだところでどっちにも成れないし、選択もできないもんだけど
重大な責任を心に留め、公平・公正な審理を尽くしていきたいです。職務上の文書の量が膨大で、あらゆる分野にわたることに強い印象を受け、難しさを日々感じています。
最終審として、公平・公正な裁判を通じて納得のいく判断を下すことが期待されており、そのことが身近な司法ということにつながると思います。
まだ、関与してから日が浅いので、件数は限られていますが、どの案件も関係者にとって重大な結論を出しているのだという意味で重みがあり、心に残ります。
任命された側ですので、個人的な考えを申し述べるべきではないと思います。
国会が発議し、国民投票で決まる話ですので、最高裁の一員として考えを申し上げることは差し控えます。
憲法9条を巡る議論が活発化していることは承知しています。最高裁の一員としてこの議論に加わるのは適当でないと思います。
9月27日に参院選に関する大法廷判決に際して個別の意見を申し述べました。私の基本的な考え方は、そこにあるとおりです。
注:16年参院選の「1票の格差」訴訟で違憲状態の個別意見(17年9月)
原発訴訟についても、個別事例に即して判断していくべきものと考えます。
裁判員の方々は、真摯(しんし)に役割を果たしておられると承知しています。分かりやすく公正・迅速な刑事裁判、国民の司法参加という意味で良い制度だということの理解を更に広げていくことが必要かと思います。
冤罪(えんざい)はあってはならないことであり、裁判の段階においては先入観にとらわれず、証拠に基づいた裁判をしていくということだと思います。
死刑は、刑罰として究極の選択であり、そのあり方については国際的な潮流も踏まえながら、国民の皆様、その代表である国会において議論が深められるべきものだと考えます。
今の段階では、具体的な話を述べるのは尚早ですが、所期の目的に沿って刑事司法プロセスへ信頼が高まる一助となることを期待しています。
グローバル化につれて国際ルールも変化していきます。そうした国際潮流の展開を的確につかむだけでなく、自ら潮流を作っていくとの気構えが必要だろうと思います。
裁判に限らず、電子化は賛否の問題ではなく必然です。世代間ギャップへの配慮も必要ですが、日本標準、世界標準に乗り遅れないようにすることが必要でしょう。
うれしかったのは、サッカー日本代表のワールドカップ(W杯)本大会出場決定です。腹立たしいというか心配なのは、北朝鮮をめぐる情勢です。
娯楽としてはサッカー観戦と音楽が好きです。尊敬に値する先達ばかりで、特に一人挙げることは難しいです。日頃の心構えとしているのは「一期一会」という言葉です。
「外交官の一生」(石射猪太郎)。先輩から勧められた戦前の知中派外交官の回想録で、内政・軍事と外交の交わる難局における身の処し方につき考えさせられました。
自分は仕事に行くときはコンタクトで、家に帰ってくると眼鏡で過ごしてる。
あるとき、5才の娘に「ママは、メガネかけたパパかっこいいっていってたけど、わたしはメガネないパパがかっこいいと思うの」と言われた。
奥さんは割とさっぱりしてるというか淡々としているタイプなので、そんなことを娘に言っていたのかと思うとものすごく嬉しい。
あと、娘がコンタクトの方がかっこいいって言ってくれたのにもときめいた。
しかしとっさに上手い返事が出来ず、「へぇ」みたいなスカした返事をしてしまったら、娘が口を尖がらせながら
「パパはどっちにしてくれるの?」
と言ってきた。
っていうかそんなこと聞く?小悪魔?うちの子将来男を手玉に取りまくったりしない?!とか一瞬でいろいろ考えてしまって、結果、
「パパは娘ちゃんのことも大好きなんだけど、でもやっぱりママに1番かっこいいって思ってほしいから、眼鏡かけておこうかな」
と返したら不満げだった。しばらく(といっても3時間くらい)口きいてもらえなかった。
考えた結果いろいろぶっ飛んで本心そのまんまな回答になっちゃったけど、あれはどう答えるのが正解だったんだろう?
いやでもあまりにも娘に甘すぎても多分ダメだよな?奥さんないがしろにするのもだめだよな?
でも娘をないがしろにしてると思われたらショックだ。どうしたらよかったんだろう。
しかし、自分が5才の頃って全然何にも考えてなくて、虫網で魚掬おうとして破いたり、戦隊ヒーローごっこして花瓶割ったりしてた気がするんだけど、女の子って本当にマセてるっていうか大人っぽくてびっくりする。
こんな試すようなマネしてくるとは。