はてなキーワード: 文武両道とは
6月が終わる。
今まで文武両道でそれなりに努力して成績を残してきた。全国1位になった特技もある。
性格は少し人見知りするけど、明るくて元気だと思う。
沢山の企業がイベントのブースやオファーメールで声をかけてくる。「うちに来ませんか?」
で、実際にエントリーシートやら面接やらし始めるとあっさりお祈り。
エントリーシートはそれなりに通るけど
面接が苦手。上手く話せない。
ああ、やっぱり落とされた。ってメールを見て呟く。
受ける。落とされる。受ける。落とされる。
それを2月からずっと続けてきた。
「○○は早く決まると思ってた」
「気晴らしに飲みに行こうよ」
そんな言葉をまわりは投げてくる。
相手は優しさだろうに、ドッジボールのように
強く投げられてる気がして、痛い。
説明会をさぼってしまった日もある。
外に出るのがいやになる。
なにもしたくない。
部屋が散らかっていく。
環境が、乱れていく。
たまに帰省をして、両親と話をする。
おいしいご飯を用意してくれる。
そんな、今まで大事に育ててくれた両親が
心配している姿を見るのが辛い。
優しい言葉をかけてくれるのも辛い。
「どうして決まらないんだろうね」
お父さん、お母さんごめんなさい。。。
家族が嫌いだ。
たまに2chまとめに取り上げられるような、
親が犯罪者でタイーホされていたり、借金で一家離散してたり、そういう「壮絶」な家庭、では無い。
しかし自身が成人に近づくにつれて、家族に対する「違和感」というものが、実感を持って帯びていった。
父は、典型的な内弁慶だ。家族には高圧的、逆らえば激昂し壁などを蹴り自分の威厳を示さんとばかりに脅す。
一方で他人には、簡素簡潔な会話で済ませただ愛想笑いを浮かべている。自分の親兄弟相手でもそうだ。
父が他人と話しが弾んでいるのを見た記憶が無いし、そもそも話し合っている様子自体覚えが無い。
当然家に客人を招き入れたこともほとんどない。あっても上のような感じだ。
多分、人間が嫌いなんだと思う。
母は、考えない人だ。良く言えば天然、悪く言えばバカ。何でも鵜呑みにしてしまう。
他人にも愛想よく振りまくが、何を言ってるかわからなかったり、会話が成立しない事が多い。
父とはお見合い結婚だ。結婚するまで父の本性に気づけなかった。
父は最初はそこそこ給料の良い会社に勤めていたようだが、私が幼い頃、突然辞めた。
母は説得したが、父は「俺を殺す気か」と母を殺す勢いで捲くし立て、辞めた。
多分、パワハラとか受けてたのかなと今は思うけど、にしても言い方ってものがあると思う。
父も一応思うことあったのかわからないけど、資格を得てどうにかしようとしたようだが、結果上手くいかなかった。
母を怒鳴り散らす日々が続いた。
更に家計が厳しくなった。
にも関わらず、父は家を買うと言い出した。
このタイミングしかないと言い張った。多分世間への見栄だったんだと思う。
もちろん母と母方の祖母は反対したのだが、父は包丁を持って脅し、強行採決された。
母と祖母は号泣していた。私は小2くらいだったが、そのときのやりとりが鮮明に目に焼き付いている。
母は父が最初の会社を辞めてから仕事を探し、当時は懸命に働いていたようだ。母が独身時代貯めていた貯金も、祖母の年金も取り崩され頭金にされた。
ちなみに父は自分の親には頭を下げられないと遠まわしにいい祖父からは一銭も援助を求めなかった。これは今でもクズだと思う。
小4くらいの頃、急に学校に行くのが嫌になって、不登校になった。
そのときは自分でもよくわからなかったけど、単に人間が怖くなったってのもあるんだろうけど、
今思うと、一番は両親に抗議してたんじゃないかな。色々考え直してくれって。
実際、父の会社辞めた経緯とかはこのとき母から聞かされた。車の中で二人っきりのときとかに、母は父のグチを言いまくってた。
母はノイローゼだったんだろう。
知りたく無い事がどんどん耳に入ってくるしなんかそういう話の後はいつも滅入ってた。
不登校になって、父は学校行け!と私を無理やり引っ張ってケツを蹴り飛ばしたりとか、今の御時世では考えられないような扱いをしてた。
朝4時半とかに信者が迎えに来て出て行く。
まあ8時ごろには戻るからある意味健全だけど、あんまりにも朝早いから父はキレまくって迎えを追っ払ったりしてた。
先生がちょくちょく様子を見にきてくれてたけど、不登校から3ヶ月?くらいしたころ、クラスみんなの寄せ書きの入った色紙を持ってきてくれた。
私は病気になって休んでるって体だったらしいけど、今思うと、賢い子は察してただろうし、めんどくさいって思った子もいただろう。
私はどっちかというと母親寄りのバカだったから、そのときはそんな邪推なんてなくてえらく感動して、同時にみんなに嘘ついてる状態に申し訳なくなって、また行くことに決めた。
そしたら、とりあえず家族は喜んでたが、母の一言に私は愕然とした。
「私が祈りはじめたから、○○は登校するようになった」
この人何言ってるんだろう?私は、クラスのみんなの支えで、行くことに決めたんだけどなあ。
でも、そういうこともあるのかなあ。とか思ってしまったりしてた。
もともとこの前から頭がぼーっとなってたけど、もうなんかますます頭がぼーっとなってた。もう意味わからなくなった。
RPGが好きだった。クロノトリガー、ドラクエ5、6、FF7、8、9、、、あのときは本当にその世界にいた。幸せだった。
中学校はずっとゲームだった。ゲームに夢中すぎて回りの友人等の扱いもぞんざいだったと思う。
いわゆる自己中と化した。
母は、大分前から専業主婦になっていたが、金が無い金が無いとか言いながら家事もあまりしなくなって、私がリビングでプレイするFF7のフィールド曲を子守唄に寝てた。
父は二つ目の会社が本社に引き上げとなり、転職したが、人と関わらなくてすむ夜勤中心になってた
朝やっても午前中で帰ってくるから、母が嫌がってた。
仕事の内容は全然話さないからよくわからなかったけど、責任が少ないプレッシャーにならない仕事を選んだんだろうなと思う。
高校に入った。とりあえず進学校に入れた。でも、文武両道は名目の武ばっかりの体育会系高校だった。
マジでゲームしかしてなかったから、案の定クラスのノリとか話題についていけなくなった。
でも不登校だけはもうしたくなかった。部活をやってみたけど人間関係が上手く行かなかったりして、ぐったりしていた。
この変で家族に思いをぶちまけるようになった。この家には愛が足りないとかクサいこと言ってた。家族みんなに鼻で笑われた。
今で言う離人症っていうのかな。自分を自分がみてるっていうか、自分から自分が半分出てる、浮いてるみたいな感覚が続いていた。
文字が頭に入ってこなくて、同じページを何十回も読み返したりとかあった。
このままじゃ駄目だと思った。「環境」を変えないと行けないと思った。上京しよう、と思った。
一生懸命勉強して、なんとか関東の大学に入った。入学金は父方の祖父に、授業料は祖母に出してもらった。生活費は奨学金を借りた。
一人暮らしを始めた。みんな親のありがたみがわかるとか言うけど、私は逆だった。
私はバイトしながら、勉強しながら、なんとか家事やってるのに、なんで母は専業で寝てばっかだったんだろうとか、
父もなんであんなに変な働き方なんだろう、もっとやれるじゃないかとか、両親とも人と交流してないのっておかしくないかとかむしろ疑問ばかり吹き上がった。
友人の家庭環境の話を聞くと、驚くほど違っていた。父親は一生懸命働いていて、みんなで出かけたり、今日あったことを話し合ったり、、、
私は壮絶な家庭ではないけども、やっぱり、振る舞いとか、思いやりとか、常識とか、そういうことが欠落した家庭だったんだっていう実感が湧いてきた。
うちの地元はなんとなく人が良いってイメージがあって、家族団欒なんでしょとか、近所みんなで助け合うんでしょとか言われて、正直かなり苦痛だった。
自分の話をする気にはならなかった。
しかしながら、そういうステレオタイプはあるものの、大学で出会った友人達は、みんな私から見れば高い教養と常識を持った人達だった。
私は彼らにえらく迷惑をかけたと思う。根本的に常識が欠落していた。
なんとか参考にしようとして、真人間になろうと思って、いっぱい気を使った。、
またぼーっとしたりもしてたけどなんとか頑張って、無事卒業し就職できた。
就職して3年目。とにかく人の役に立つ、真っ当な人間であろうと努めてきた。
幸い職場も素晴らしい人格の方々に恵まれ、少しずつ、そうなっていけてると思っている。
しかしみんな素晴らしすぎて、自分の生まれ育った環境と比較してしまい、時折憂鬱になる。
ステレオタイプな質問が来るたび、「あなたがたのほうが、格段に幸せな家族をもっている」と言い返したくなる。
私の親は、私は、あなたたちのような、人を慮る、という事の出来る域にいない。
そういう人達は、自分のルーツに自信があるから、自分が好きだし、他人も好きになれる。それが人を愛するってことのようだ。
私には根本的にそれが不足しているから、誰かと付き合っても、自分を曝け出せないし、
真っ当に振舞おうとする余り、サプライズとかプレゼントとか色々考えすぎて無理してしまう。
そろそろ、誰かと付き合うにも結婚を有る程度念頭に置いたものになってくる。
でも、はっきり言って親を紹介なんて出来ない。ありえない。
親のせいにするなと言ってきた人もいる。でも違う。親のせいにしないために、独り立ちし、今までやってきた。
親に感謝がないわけじゃない。育ててもらったとは思わないけど、食べさせてもらった恩はある。
実際、父は直接の暴力だけは絶対振るわなかったし、母親も、その素直な性格のためにたくさん心配して、振り回されて、その中で無理していたと思う。
二人とも、無理をしたから無理できない人達になってしまったのかもしれないとも思う。
私が何か子として手助けできていれば、また違ったのかなとも思う。
ではこれから手助けしていけばいいのでは、と思ったこともあるが、
少なくとも今は、私はたくさん傷つけられた部分を無視して、その人達と接するという事が、正直言って出来ない。
しかし、先の理屈で言えば、それが出来ないと、自分を愛する事が出来ないし、他人も愛せない。
私が一番望んでいる、目指している、真っ当な人間になる事ができない。
どうすれば、いいんだろう。
文武両道で健康的、それでいて健全な精神を持ち合わせ、誇れる学歴を持っていれば就職活動なんて楽勝なのかもしれない。
僕は勉強はやらず、運動も出来ず、そのためか捻くれた精神が宿り、アホ大学の他の学生を蔑もうと必死なのだ。
こんなヤツがいったいどうして就職なんて出来るのだろうか。
心のどこかで自分は出来ると思い込み、人とは違うと思い込み、キモいドヤ顔と運動神経の無さそうな足取りでキャンパスを歩いてるんだ。
いわゆる真面目系クズ。
怠惰で高慢でありながら、自らに迫る危険に関しては人一倍敏感。愚痴も批判もご達者で、行動は二の次。
頭の中の浮ついた理想をこねくり回し、偉そうにネットに書きつけては悦に入る。今もそうだ。
福利厚生だとか、世間体だとか、将来性だとか就職活動では判断材料が多分にある。
それ以上に「自分はもっと出来るんだ」「自分はこういう仕事はしたくない」といったプライド(欲望)が積もっていく。
「ああ、この会社はよくないな」
なんてふんぞり返ってる。。。
今はまだこうやって自分が振りかえることが出来るだけ人間としてはマシなのかもしれない。といってもクズに変わりはない。
ただ、振り返れないほど馬鹿だったらそれはそれで楽だったかもしれない。
がむしゃらと成り行きに身を任せて突き進む事ができたら楽だったかもしれない。
今、自分は生半可に振り返ってしまったがために、今の自分を受け入れられず甘えに走ってしまっているのだ。
ここでこんなことを書いているのも同じような境遇の仲間が欲しい、もしくは甘えの境地に引きずり込もうと目論んでのことだ。
苦しい。助けて。何もしたくない。誰もわかってない。俺はこんなんじゃない。社会が間違ってる。。。。
でも、気持ちの整理をするためにもはてなに書かせてもらいました。
僕はただのクズどころか、与えられたことも素直にこなせないクズなんです。
世の中では、何故か局所最適が目のカタキにされておる。なぜじゃ?
いわく、部分にとらわれるな。いわく、局所最適は全体最適とは限らぬ。
あげくのハテには、「局所最適は全体最悪」という噴飯レベルの言葉まである。
はあ?何もわかっとらんな貴様らは。本当にそれで結果が出たのか?全体を最適化なんて簡単に言うがそれが出来たら苦労せんわいッ!
まず、
我々が、すべきことは、
「全体」「全体」と言うがそれは本当に全体なのか?全部見えている人間なんているのか?偏ってるんじゃないのか?我々は軽々しく全体という言葉を使いすぎたのだ、そうなのだ。
考えてもみてよ。お前はホントに全体が見えているのか?ホントにホントにか?ホントのホントのホントにか?自問してよ。
それは全体ではないのだ。全体がわかった気になってるだけ。
い・い・か・ね。
その「わかった気の全体」を最適化しようとするから、おかしなことになるんだよキミ!!わかってるのかね!
偏っていて曖昧模糊としていて漠然とした思い込みにまみれた「全体像」を最適化しようとするから、だからおかしなことになる。
現実をみなさい。気にも留めていなかった細部をみなさい。現場をみなさい。
2chが生んだ格言「こまけぇこたぁいいんだよ!」は細部にとらわれるなという意味であって。細部を見るなという意味ではない。細部は見ないと駄目なのだ。ゴミ箱行きにしちゃ駄目。
細部も見ずに全体を語るなど、笑止千万、抱腹絶倒、へそで茶がわいては泣く子も黙る。
それはわかったが細部を見てどうすんだYO、って思うじゃん? 細部を見て、細部の最適化を考えるんだYO。細部の最適化。貴方は細部の最適化を考えたことがありますか?貴方の人生、細部の最適化、考えてますか?
細部って言われてピンと来るまい。なぜなら、我々は細部に気を止めて生活して「いない」。気に留めてないから細部の最適化と言われてハトが豆鉄砲を食ってるような顔する人が多い。
具体的に言おうか。細部とは一挙手一投足、一つ一つの思念のことだよ。キミ。はい今キミが一秒間にとった動作。それ。それだよ。(^^)
1秒、1分、1時間。
1日、1月、1年。
何事も階層的に(hierarchically)、かんがえねばならぬ。
それをすっ飛ばしていきなり人生全体ガー、俺の人生ガー、今年の計画ガー、なーんて語るから、だからうまくいかねえんだよ!
まず、「今」に集中しなさい。
過去はどう、未来はどう、そんなことは一切考えなくていい。鬼の形相でそう断言したい。過去と比べてなんになる。未来を心配してなんになる。
であれば、「今を最適化すること」に集中しなさい。
今この瞬間に、今できること、今すべきことは何なのか?考えうる限りの最善手は何なのか?それをやりなさい。
努力?
何の話をしているんだい?もちろん努力はして当たり前だが。しかし我々の言う「努力」とはうんk我慢大会の域をでない。苦しいだけで何も得られない。我慢することでエクスタシーは得られるがその不毛さには誰も気づかない。
そんなものを「努力」と勝手に呼んでおいて、それで「働きたくないでござる」と勝手なこと言っているのがわれわれ日本人の生態なのである。そう、努力とは無色透明の「パワー」にすぎない。
それをなんでもかんでも勝手に「苦しくてマゾいもの」と色づけして逃げてる時点で、十分にその人も彼らが嫌うマッチョ主義の一員だというオチであるwお笑い草なのである。
だからそういう人は努力という言葉は捨てたほうがいいよ。さよなら、ガンバリズム。こんにちは、ダイゴ、メンタリズム。
決定、そう「決定」って言葉を使うことをお勧めする。そう、我々は実際には決定しか行っていない。何も「努力」はしてない。なのに努力できると思い込むから不幸になる。そう、私は社長。私がしているのは決定だけ。あとは身体が勝手にやってくれる。
そう捉えてみてはいかが?心の中での決定だけが仕事だから楽ちん。そう、これがメンタリズムの神髄。
なんでこんな話したかというと、
努力するとかしないとかそういうことはどうだっていい。そういうこと気にしてる時点では何も局所最適化できてないのであって。そういう人が勝手に局所最適化とはその程度のものだと見切りつけて局所最適化を悪く言ってんだよ。
考えてもみるがいい。最適化とは臨機応変なものなのだ。休むべき時は大胆に休み、働くべき時はストイックに働く。そんな柔軟な対応がだね、
努力について歪んだ信念もったままでそんな柔軟な対応ができると思う?思わないだろう。
もう一つ大切な論点に触れよう。
それは、我々は時系列モデルを扱っているのだ!ということ。人生は時系列である。各点が先行する点に依存する。いわゆる、因果関係。
ダッカーラ、だから、ある時間帯での局所最適は後続する時間軸においても良い影響を残すということ。わかるね?
きちんと毎瞬毎瞬をいきてる人は、メキメキ力をつけていくんだ。
さらに追い打ちをかける論点がここに。
細かいのはいいことだ。小刻みにカイゼンしていけば成長がはやい。PDCAサイクルの鬼。
くっだらねえ全体の幻想をふわふわ抱きながら「努力」してる人なんかよりも、今を生きている人のほうが輝いているし、モテモテで、プールのあるような豪華な家に住んでるだろ?浴室もホテルみたいにオシャレ。あれは何?
時系列システムに生きる我々にとって、小刻みマンがもっとも手強いのだ。逆に言えば、我々が小刻みマンになればいいんだよ。
ダッカーラ14世、だから、「局所最適は全体最悪」は最悪の言葉なの。
局所最適をこき下ろす時点で、彼は時系列システムの特性を理解していない。
っていうか、人生という時系列システムのサブシステムだけを見ている。例えば、仕事をうまくやる。リーダーだから全体を見なきゃとか。それは人生全体ではなく断片をみてるだろ?
人生80年のうちの1年といった短いスパンで成功させることを考えてる。しかも、人生の無数の要素のうち「自分の仕事」という狭い部分だけをみてる。
狭いと言っても、別に今を見てるわけじゃないんだよな。今に集中するのでもなく、本当の全体を見るでもなく、フワフワフワフワやっとるわい。
ここまで読んできた読者にはおわかりのように、そういったフワフワした部分を全体と思って最適化しようとするから、だから駄目なんだよな。皮肉なことに全体最適を標榜するくせに断片ばかりみている。
じゃあ、なんで今を生きる人は局所最適なのに全体的なのか?ここ、試験にでるよ。
それは「常に」局所最適だからだよ。何してる時もどんな時もどんな状況でも何に向かってる時も何が起きている時も、常に、常に、常に、ベストを尽くしているから。
だから最初の一年間で全ての部分がまず局所最適化する。ちょっとした金持ちになる。イケメンになる。頭が良くなる。タフになる。別人になる。別人になるんだけど、まだまだ未熟かなという感じ。
しかしだよ。時系列システムの特性により、最適化された各部が良い影響を与えあうのだよ。時間差で相乗効果がくる。
だから、仕事しか頭にない人間は駄目なんだよ。相乗効果が得られない。昔から文武両道と言うだろう。デキる男は遊びもデキる。そういうことなんだよ。
大学生の私は漫画絵を書くのが昔から好きで、書いては周囲の人間から
「上手いねえ、才能あるよ」などともてはやされていたために
自分には才能がある、という感覚が意識の根っこで潜在的にあったようなのだが
いざインターネットでピクシブというプロアマ入り乱れた巨大フィールドで発表したら
そこで終わりたくなくて、練習や研究を重ねて死に物狂いでやってきたのだが
いよいよ自分の描く絵がすべて駄目に見えて、あげく上手くなりたい気持ちが先行しすぎて
ただここで諦めるのも今までの努力とかを捨て去るような気がしてもったいなく思える。
しばらく離れてみては?というアドバイスも貰ったが
実際にしばらく絵を描いてないとどんどん感覚を忘れてうまく描けず、余計にイライラ。
絵を好きで描いていて、才能があるよ、と言われて本格的な練習を始めたのがきっかけならば
僕はきっと自分の才能ある(と自分で思っていた)センスで描いた絵を褒められたくて、
絵を描くのが苦痛で、才能もないとわかり、あとは努力をどれほどできるか、たまに他人にアドバイスを求めるような自分は
褒めてもらいたい理想の自分ではないということにもうすうす気づいている。
一方で、私は美術系ではなく、普通化の進学校から、一般に難関と呼ばれている大学に進み、在籍している。
現実問題として自分が才能を仕事に出来るようなレベルになれるということは思っていない。
だから当然、普通の(平均的な)人生を送るのが当然(このご時勢それすらも難しいだろうけれど)だということも理解している。
しかし一方でどこかクリエイティブな世界に憧れを抱いており、文武両道ではないが、その分野でも
なんとか満足いくだけの能力を手に入れたいとも思っている。
傲慢で浅薄でくだらないプライドと欲望だということはよくわかっている。
才能という言葉で片付けるにはまだ自分に伸びしろがあると信じたいが、そのための努力というか、
もう描くこと自体が辛くなっている、でも上手くなりたいという気持ちだけはある。
おそらく打ち込む分野は絵でなくてもよかったに違いない。ただ幼少期よりの経験的なイメージから
絵をかくのが成功には一番近いのではないか、というクソみたいな理由から出発している。
同時にそれがプライドを引き上げてる原因でもあるのだが。
いざ他の趣味でも始めようかと思ったが、他に何かやってみようという気になれない。
だからといって画面と睨めっこしたり他人の絵の模写に挑むのがきつすぎる。
ニコニコ動画やピクシブ出身のアマチュアが、金取る世界へ飛び込むことのスゴさ・カッコよさ
35歳になった。
ついこの間、魔法使いになったと思ったらアラフォーならぬヤラフォーになるとは。
自分の場合、ルックスは悪くないと色んな人から言われるし、仕事は正規雇用の中堅SEで趣味は文武両道、でも社会性コミュ力ともに破滅的に酷いせいで総合点マイナスという、自他ともに認める「実に残念なおっさん」だ。
「黙って立ってりゃマネキンの代わりくらいにはなるのに・・・」とも言い換えられる。
スーツだと30前、私服になると20代半ばに見られる。でも若いというより、精神年齢の幼さが顔に出ているのだと思うと、あまり素直に喜べない。
そして20歳になってから15年、性格ブサメンな部分は微塵も治っていない。
いや少しはマシになったのかも知れないが、彼女が出来て結婚してるわけでもなし、要はその程度だ。
「もうすこしがんばりましょう、てかやる気あんのかテメー」って感じ。
なのでこれからの15年もこの流れは変わらないだろう。
そうなると、生涯独身になる可能性も大いに視野に入れ、今後の生き方を模索すべきなのだろうけど・・・憂鬱だ。
というのも、周囲の独身40代50代ともに、ろくでもないオヤジしかおらず、全く希望が持てないからだ。
例を挙げる。
これでどうやって独身貴族(死語?)の夢を見ろというのか。「男やもめに(ry」ってレベルじゃねーぞ!
このおっさんたち、社会と関わる上で開き直ったり無視してはいけない部分を踏み外し、投げ出しているように思えてならない。
しかも自分は多分、上の人達にかなり近いところにいる。遅かれ早かれこうなる気がしてならない。
ここまで「明日は我が身」を見せつけられるのは恐怖以外の何者でもない。
それに引き換え、周囲の既婚男性は皆凄い。カッコイイ。輝いている人達ばかり。
なんで俺を嫁にしてくれなかったんだと詰め寄りたくなるレベル。
せめて年を取るなら、そっちサイドに行きたかった。
そう考えると、「オヤジ臭い」というのが褒め言葉ではない理由がよく分かる。
生臭くならず年老いていくのは、かように難しいということだろう。
アイマスに限った話じゃないけど、「限られた公式情報を頼りに想像力を駆使してゲームの世界観のディティールを深めていく」という楽しみ方があるんよ。パズルのピースを自在に組み合わせていく感じで。
腐女子が楽しむ作品って男性向け作品を素材にするケースが多いし、特に少年漫画の場合は主人公に最初からヒロインが設定されているから抵抗が無いんだろうけど、「アイマス」の場合は違うんだよね。
俺は詳しくないけど、たとえば腐女子向けの「男子校を舞台としたイケメンばかりが登場するゲーム」があったとして、
こんな流れを想像してくれれば良いかと。
でね、そこは浪人生の成績で進学成績を保ってるような学校だったの。
補習科っていうのがあってね、そこに四年生って呼ばれてる人たちがいて、
現役生からは「かっこわりー」とか言われてたの。
毎年320人から100人くらいは浪人してね、それでもいい学校を目指すほうがいいなんて姿勢だったの。
現役だとひっかかりすらしないような人間だらけだったんだけど。
文武両道とか言って、野球部もサッカー部も緒戦敗退するのに数十万部費がもらえて、
軽音部は3万できったねえ6畳のプレハブで活動させられてたんだけど。
今でも思い出すとむかつくのは、管弦楽部とその顧問の音楽教師だ。
たった3校だかの中で1位をとって、全国大会にまで行ってピッチグダグダの演奏かまして帰ってくる。
その遠征費が200万?勘弁してくれよ。お前ら、コードとかの概念すらわかってないじゃないか。
顧問は顧問で、利権にまみれすぎなんだ。
そのくせ俺が大音量で弾くへヴィロックはお気に召さないのか。
死んでしまえ。へたくそ。