はてなキーワード: 年賀とは
プロ野球選手とか、
ミラジョンジョヴォジョヴォヴィッチや、
憧れの人に、
あれって送ってもちゃんと読んでくれるのかな?とかドキドキよね。
とりあえず、
まあ読むか読まないかは知らないけど、
思いを昇華させたいわね。
そんな、
文を巻物帖にしたためる感じって久しぶりよね。
書くのも読む方も大変だわ。
それにさ、
それすらも忘れてしまったわ。
むかーし、
何かの弾みでそういうのを書いて
懐かしい思い出しちゃった。
うふふ。
伝わったらいいなぁ~。
サンドイッチ2つよ、
朝の元気にタマゴは欠かせない。
週末遊びすぎたので節制しなくっちゃ!
ネーブルも久しぶりに美味しいわ。
スライスして水に浮かべるのは面倒くさかったら、
絞って果汁を割って飲むのでもOKよ!
炭酸でもいいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
夫婦の実家両方近いので正月ははしごである。いつも無難に一升瓶ぶら提げていくばかりではつまらないかと思い、このところお取り寄せグルメをいろいろ眺めてるんだが美味しそうなものがたくさんある。
贈答となると自宅用には買わないようなものが選択肢に入ってくるので普段より浮かれた気持ちになって楽しい。義両親はこれが好きそうかとか実家ではこういうの喜ぶかとか考えながら。
しかし美味しそうなものと思ってもお持たせ狙いっぽくなると品がないかも知れんとかいろいろ悩んでしまってなかなか決まらない。みなさんどういったものを選んでいるんだろう。お知恵を拝借したい。ジャンルだけでも商品名でも構わないので、良かったら教えて欲しい。
自分なんかに構ってくれる人間は絶対に良い人間だから・・・教師基本みんな好き・・・嫌な奴もいるけど
あの先生もとい大天使にもう毎日会えないのかと思うとマジで悲しくなる・・・
まず・・・自分は今まで生きてきた中でいい思い出がひとつもない
なぜなら自分の失態やミス、失言、場にそぐわない行動諸々を思い出していかに自分がバカでアホかを思い知らされるからだ
だから友達や家族と旅行に行ったことも遊びに行ったことも思い出ではあるがもう思い出したくないいやな思い出になっている。だから友達からもらった写真は一度も開けたことがない。勇気がなくて開けられない。手紙、年賀も一度読んだらタンスの奥にしまって二度と見ない。
・・・捨てないのは、自分がいたという証明になるからで・・・結局わがままなんだ・・・
ええと、かの大天使先生とはそういったいやな思い出がない。本当によい思い出しかない
放課後にずっと面接練習に付き合ってくれたり、話を聞いてくれたり、忙しいだろうに、相当自分のために時間を割いてくれた。
そして、なにより、自分をバカにしたり、軽蔑するような素振りをいっさい見せなかったのだ・・・そうとう面倒でアホな生徒だったにもかかわらず。
私は誰かが自分をバカにしていることがすぐわかる。ふとした瞬間に今自分をバカにしているんだな軽蔑しているんだなと驚くべき精度で感じ取る。他人の怒ったり喜んだりなどはわからないくせに・・・
でもその大天使先生からはそれを感じなかった。常に一生徒として私のためを思って接してくれていた。少なくともそういう素振りだった
他愛のない会話も議論も全部面白かったし楽しかった。無理して好かれようとしなくても楽しい会話が続いた。たまにめっちゃ叱られたが厳しいとは感じなかった!!まあ自分が悪かったし・・・
そういうときに友達と話すと安心したが・・・でもやっぱり友達には迷惑かけたり面倒かけた思い出があるので素直に懐かしめない。
大天使は最後にあなたは先々悩むだろうからそういうときは来なさい。と言った。驚きすぎて涙も出なかった。
恐らく、先生はそう言うと私が意地でも来ないということを見越して言ったのだと思う。
人付き合いが嫌な先生が・・・すなわちコミュ障ぎみの先生がそんなことを卒業の日とはいえ言ってくれるとは・・・感動しすぎて死ぬかと思った
これからも思い出はいやなものになっていくだろうし、今までと同じように大半の人間を信用せず生きるだろうが、数少ない純粋に頼れる人ができたことに、とても喜んでいる
中学のときに死ななくて本当によかったと思っている。辛い時に思い出せる人間ができるというのはほんとうにほんとうにありがたいことだ!
追記:
ああ・・・いざ大天使先生を訪ねたときに、邪険にされたらと思うとぞっとする・・・
そんなことはないだろうけど・・・
でも、信頼している人に裏切られたような気持ちを抱くというのは誰にでもある話だ
先程、いっとき険悪だったが、今では仲が修復したはずの両親の、醜くて冷たいいやみったらしいやりとりを見て、ああやっぱり安心しちゃいけないんだと思った・・・
絶対のゆるぎない信頼をおくことほど危険なことはないのではないかと
愛しあい子供をもうけたふたりが、10年後に恥ずかしげもなくいがみ合い、貶めあい、子供に互いの悪口を吐くこと
困ってどうしようもなくなって、万策尽きて、いざ頼る人がかの大天使だけになったとき、それが一番危険な状態なんだよ・・・
ある大人に頭でっかちだと言われた。だけど、だったらどうすればいいんだ?
何も考えずに楽観的に考えることができないから悩んでいるのに!!!そんなこと言われたって、何の解決にもならないんだ!!!
だから、今のところ、少なくともあの大天使先生は私のことを考えてくれているということにしておきたい
やっぱり大天使は教養があり、偏屈で、自分と少し通ずるところがあり、ものを教え、信頼に足る、素晴らしい人物なのだから
あなたはまだ若い、果てしない未来があるんだから。と言った先生
え、でも先生にも未来はあるでしょう。と言ったら、わたしはもう短くなりつつあります。と事実を述べた先生
しばしば自分の能力の低さとかバカさアホさに絶望するが、未来があるんだと無理矢理にでも思うと楽になる。先生が言っていたことなんだからと。
先生に報いる方法は、自分がやりたい方面で満足の行く結果を残すことだ。
そして、頼れる人を増やしていきたい
きっと何十年もかかるだろうが、生きていればきっと見つかるはず。夢に向かって生きていればきっと大丈夫
本当は帰りたくなかったのだが仕方がない。
くだらない理由で親の顔を見ないなんてと思う方もいるだろう。
タイトルにも書いたが現在29歳年収350万円の微々たる収入の都内に住む会社員だ。
彼氏は7年もいない。
にもかかわらず
「誰かいないの」
むこうも何を話していいか判らないのだろう
母親から聞いただろう私が嵐ファンだというきっかけだけを頼りに話しかけてきて
くれる。
「嵐のコンサート私もいってみたーいチケット余ってたらちょうだーい」
しかし今はとにかく嵐が見たい、何者にもジャマされず見たい。
今のような勤務ペースで働くことは出来ないだろうから自由になるお金は減る。
29歳で小デブで顔は10人並、なんの努力もせずに玉の輿にのって
やりたい放題の結婚ができるとはいくらなんでも思ってはいない。
だが嵐ももう30代だ、一番好きなメンバーはずっと付き合っている女優が
いると眉つばではあるが噂がある。
していない現在の状態のままだと応援できない気がする。
それが私のジャニーズ卒業の好機になるだろうが、何年先か判らない。
その頃には私も30なかばか40過ぎだろう出産リスクはおろか結婚相手も
まず見つからない。
そうこうしているうちにこの危惧通りの結果になるだろう。
私の人生にどこに分岐点があったのかわからないまま思考を停止し、寒い部屋で
旧友からの赤ちゃんがうまれました写真つきの年賀葉書に寒中見舞いの返事を
書こうと思う。
今30だけど、少なくとも物心つく頃にはあった。別にウチが裕福なわけでもないし人から来るのにも当たり前にあった。
少くとも30年前の自分が生まれた頃には、皆カラーで写真をプリントして持ってるし(デジタルじゃないからフィルムは当然プリントする)
写真1枚がクソみたいに高いわけではなかったと思うけど。フィルムの中から自分で選ぶ、なんてサービスなかっただろうし、
写真なんて残ってる家ならものすごい量残ってるし。(勿論、今のデジタル時代に比べれば少ないと思うけど、1枚1枚が高価なら金持ちの家しかアルバムとか作るほど写真を印刷できないだろう)
年賀状の写真なんて小さいし、普通の写真よりは印刷代そのものが馬鹿高い、ってこともないわけだし、
言っても大したことなかったんじゃん?
まあ、20代が、もう30年くらい前に始まったサービスを超古典、と言っても別におかしくないでしょ。
デジカメが主流になった時点でカメラの概念自体も変わってるし、今なんて普通にフィルムカメラとか超古典でしょ、一部のマニアや仕事カメラマン除いて。
ねーねーおっちゃん、取り敢えずおっちゃん、いつくらいから写真付き年賀もらったか調べてみてよ。
だいぶおっちゃんっぽいからもう家族居て年賀とかどこかにちゃんと閉まってあるでしょ?
写真が普及したのなんてもっとずっと前な。。。それくらいは分かるよ。。。
んで、自分が30代前半で、少なくとも物心付いた頃の年賀は写真付きだったわ。
そんなことも出来ないほど貧乏な家もあった、と言うのはあるかもしれないけど、来てる割合から言って一般的なもんだとは思ってたわ。
で、増田はいくつなの?いつくらいから普及し始めてると思ってるの?
で、俺はその「超古典」って言った増田とは別人物だけど、別に「超古典」って言ったって100年前から、とか思ってるわけでもないし、
ここ最近のよく分からんネット上とかでのハラスメントだとかに比べれば、アナログでもあっただろ、って言うだけの話だろ。
なんでそんなカッカしてるのかが分からん。
その増田がいくつだか知らないけど、写真が一般的に個人が使えるようになったのなんてもっと昔からなんだから、
30代くらいなら年賀なんて生まれた時から写真付きであったんじゃないの?
山ほどってどれくらい?
自分自身、地方で、塾なんて金銭的にも行けなかったけど、それ以上に近くに存在すらしてないとこで育ったけど行けたんだけど。
勿論奨学金で。最初の2年は親の年収次第で余裕で寮入れるし、そしたら支援機構の奨学金だけでなんとでもなろう。
3年まで行くころにはバイトとその多少溜めた奨学金使えば一人暮らしもなんとかなるし。バカみたいにバイト漬けにならなくてもね。
親に虐待されて学校すら行かせてもらえない、とかそういうレベルの人の話をしてるのかな?どれくらい居るの?山ほどってどれくらい?
一番楽なのは既成のデザインで適当に一言書いて出す、っていう形なんだから、その理屈は無理あるって。
いや、君を叩きたくてやってるわけじゃないんだけど、君は子持ち側を擁護したいって気持ちが根本にあるんだね。
まあ、年賀ってのはもう日本の伝統芸みたいなもんで、好きでもないのにやってる人がほとんどだろうから、
家族写真送る側も大概好きで、ってわけでもないんだよね。単純に年賀送らなくちゃいけなくて、家族写真が楽、なんだもん。
で、ちょっと前までのMixiとかならこんな話話題にならなかった。
いや、もしかしたらなってたのかもしれないけど、それこそ「お前の好きで勝手にやってるんだろ?やめろよ?」で終わってたんだろう。
だけど、FBはもう、ある意味、そういう人たちの中で年賀みたいなレベルなんだろうな。
自分の好きで始めるというよりも、流れでいつの間にかやってる。
それこそ、会社の上司だとか、ちょっとした仕事柄、近所づきあい、程度でも友達申請をしあってることすらある。社交辞令。
年賀のように、あるグループの中で存在するために、関係を保つために、半強制の様なものになってるんだろう。
って人も多いけど、だけど、まだまだ単なるウェブサービスで、若者の中にすらその存在を知らない人も居る。
意外と別にやらなくても生きていける。
最近楽しんでいることの話をすれば否定され、大変だったことの話をすれば愚痴言うなと一喝された。
私の行動を終始観察していて、何かと粗さがし。したり顔で注意ばかりしてきた。
一緒にいて全然楽しくなかった。
よほど途中で放り出して帰ろうかと思ったくらい。
思い返せば、顔を会わせた時に「久しぶり、会えてうれしい」って声かけたのもスルーされてた。orz
他の友達とだったら「元気にしてた?変わってないね」とか返ってきて、そこは少し盛り上がるところ。
遠方から来るというから、色々と手配して楽しみに待っていたので余計にがっかりした。
無料の観光ガイドとしての役割しか求められていなかったんだなとよく分かったので、もう金輪際関わらない。
利害関係の無い相手で、親切にされることにこんなにあぐらをかく人は初めてだった。
ちょっと横道に逸れるが、「義務感」がだんだんと消失していってるのは「今の」日本人の感覚だろうな。
お歳暮お中元、年賀状、少しずつなくなりつつあるけれども、「お金が掛かって意味がないからやめましょう」とメディアを通して声が掛かるまで、
止めようにも思い切って止められない状況だったんだよな。
誰もが、一生の節目などでお世話になった(例:仲人、就職の口利き)ので、ちゃんとお礼をしないといけない。貰った厚意を返すのは当然で、返せないのは不義理で恥ずかしいことだった。
そういう大事もなく、お金もなければ、同じ年代の子どもがいる世帯同士をメインに年賀の挨拶回りをした。昨年、ご近所づきあいをしてもらったお礼だ。
その時、子どもにお年玉をあげるからということで、お歳暮を省く。翌日に、お年玉をくれた家の子どもに、同額のお年玉を出して、その家庭同士はプラマイゼロで済む。
年賀状は遠方へのお年賀回りを省いた物で、これすらもったいないと思うのはどうなんだと、今自分で書いていて驚いたぐらいの現象だ。