はてなキーワード: 十人十色とは
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ポケモンBW2対戦においても、対策がなされたとはいえ、未だに「切断」という行為が非常に多く見受けられる。もちろん、回線エラーである可能性もあるということは忘れてはならない。それが故意であると断言できない以上、なるべく切断に関するコメントは控えておいた方が良いと思われる。回線エラーにより勝敗がつかないことは確かに不快であるだろうし、勝利目前となれば尚更ではあるが、心を広く持とう。
前述の通り、ポケモンBW2環境ではBW環境と同じくDSをつかうので、バトレボの様に回線が安定していない。 うp主が切断と断言して、晒す行為をして視聴者側に対戦相手の批判を求めた場合それは 「勝敗が決する直前まで追い詰め、相手に切断させた」 要するに勝ちとしてとらえることが出来るので対戦相手を批判する代わりにうp主に拍手しておこう。
次に対戦相手やうp主が高種族値のポケモン(いわゆる厨ポケ、ガチポケ)、準伝説ポケモン、害悪と言われるようなポケモン(無限型、回避型、複数催眠など)、運ゲー型ポケモン、マイナーポケモンなどをPTに入れていた際、対戦相手を批判してしまうと、視聴者やうp主に迷惑がかかる。 うp主が使っているのが嫌な場合、動画としてのあなたに合わないということなので素直にブラウザバックをするのが良い。
ポケモンというゲームは非常に幅広い戦法があり、十人十色の戦い方ができるゲーム。どのようなポケモンをPTに入れていても自由であるし、技構成・戦法についても同じく自由である。
結局言いたいことは対戦相手を中傷するのはその動画の質を落とし、あなたが見る動画のうp主に迷惑がかかるので相手を中傷しないこと。
そして、動画をうpされてる方も、対戦相手を批判しないように心がけよう。
対戦相手の名前に関して
最近、動画内でよく議論に上がるのが「対戦相手の名前を隠すか否か」という問題。
まず、動画内で視聴者同士喧嘩をするのは好ましくないので気をつけましょう。
さて、先述したとおり、ポケモンBW2は、DSでのランダム対戦が可能です。当然、見ず知らずの人同士で当たる事が殆どだろうと思います。
そして、このランダム対戦の動画を上げることについては、相手の許可を取っている訳ではないから、せめて隠しておくべきではないかという意見が出始めています。
さらにその意見の多くに共通していることが、「自分の動画が勝手に上げられて見ず知らずの人にあれこれ言われるのは嫌だ」といったものです。
対戦を上げるだけなら、ポケモンBW2にはバトルビデオというものがあります。 ここにアップロードされることは納得したうえで、皆ランダム対戦を楽しんでいると思います。
バトルビデオとニコニコ動画の決定的な違いは、やはりコメントの有無かと思います。他にも投稿者の実況や編集なども大きな違いですね。
そしてこのコメントにより、自分の知らないところで、自分が罵倒されている・・・という事態も起こってしまっているのが現状です。
その対策として挙げられた一つが「対戦相手の名前を隠す」という方法。
とはいえ、投稿者に強制することはできませんし、この方法については賛否両論の状態です。
そして、「視聴をする際の注意点」と内容が重複するのですが、私たち動画視聴者が対戦相手を批判するようなコメントをしなければ、このような事態は起こらずに済むのです。
動画投稿者は、「視聴者に向けての注意喚起」、「悪質なコメントは投稿者権限で非表示にする」といった対策を取る必要があると思われますが、
われわれ視聴者がコメントを打つ際、投稿者も動画内の対戦相手も"画面の中にいるから何を言っても大丈夫な相手"ではなく、"喜怒哀楽のある自分と同じ人"だということを意識してコメントして頂ければと思います。
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確率があるから。どんなかっこいい男でも全部成功してるわけじゃない。
女のほうだって、イケメンといえど選ぶんだよ。そりゃ十人十色でいろんな考え方がある。
イケメンだからって「浮気しそう」「女になれてそう」とか考える女もいて避けられたりなんてよくある話。
だから逆にブサでも誠実そうな奴を選ぶ女もいる。まぁ、結局はどうなるかなんてわかんねーよな。
俺も先なんて読めない。成り行き任せが多い。
要は確率のゲームだよね。いかに成功する上で確率を上げて勝負するか。それだけ。
そして失敗したら、もう追いかけない。何回も告白なんざしない。時間の無駄。
女なんて男以上にいる訳だから。
私は海外コメントの翻訳まとめサイト系と、2ch系まとめサイトの2種類を日常的によく閲覧している。
はじめに言っておくと英語原文は読めない。
疑問というものを先に言えば、翻訳サイトなどを一通り読んだ後に
ずっと読んでいたら慣れてしまうが、翻訳サイトを読んだ直後だけに起きやすい事象。
純粋に、この感覚の違いは何なのだろうと前々から疑問に思っている。
自分が思う範囲での原因は、
一、海外コメ翻訳サイトでは日本人が気持ちよくなれるようなコメントしか
ピックアップされていない。反面、2chまとめサイトでは様々なコメントが直接載せられている。
当然それらを見ても、あまりいい気持ちはしないが
もっと掘り下げて考察してみる。
・原文ではなく、あくまで翻訳者の翻訳の仕方によって言い回しが異なるから
その時点である意味、翻訳者1人のフィクション創作物となっている。
(つまり掲載された翻訳済みの全てのコメントの書き方や言い回しに(翻訳者による)統一感があるので、
まるで小説や海外ドラマなどを見ている錯覚に陥っているのではないか)
誹謗中傷やコメ内での言い争いを見てもフィクションに感じてしまう。
・(英語が読めないので勝手な憶測だが)英語は日本語に比べ同じ意味でも言い回しや語彙が少なく
ストレートな言葉が多いので、翻訳しても原文で読んでも多くの人の発言や話し方に統一感ができてしまう。
それに加え、ステレオタイプ的な考えだが海外は物事をストレートに表現するという事も一因ではないのだろうか。
・まとめサイトへの載せ方や編集はサイト管理人の思想で左右されるが
転載した書き込みそのものには手を加えておらず(太字や色付けは別)
書き込んだ人々それぞれの言い回しや書き方を知れてしまうため。
・ネット、しかも2chとはいえ大部分は同じ国内の人間の書き込みだから(と思っている)、
誰かが言い争いをしていても他人事とは思えず、リアリティーがある上身近に感じてしまう。
・日本語は語彙や言い回しが豊富だからこそ、書く人が10人いれば、それこそ十人十色の独特な言い回しがある。
このような違いがあると自分としては感じた。
他には、単純に書き方に温度というか人間味を感じるか否かという事も。
これについてはただの私自身の好みの問題。
翻訳サイトは英語原文を映画吹き替えのようなステレオタイプな言い回しで翻訳されている事が多いから
読んでいて面白い。なので英語原文と比べるとどっちがとは言えないと思う。
ここで、その好みの違いを例を出すと
(好み)
「お~、いったいどうしちまったというんだい?」
「一体全体どういうことなのだ??」
(苦手)
「なんだこれ」
「なんだ?w」← w一個がポイント
「マジでなんでこうなったんだよ」
といった具合。
うん、完全にただの好み。
その理由としては掲示板でありながらチャットさながらのスピードを求められるため
感じた事をすぐに入力→反映できるようにするためなのでしょう。
他にも携帯端末などで書き込み&閲覧する人が増えた事による短縮化の必要性、
ニコ動などに見られる短い言い回しの必要性などもあるのでしょう。
たまに日本人のコメントが抜粋される事もある(原文は英語でも)。
翻訳者の意図かは分からないが、日本人のコメントだと翻訳の仕方が
映画吹き替えのようなものではなく、いわゆる日本人がネットで書きそうな
淡々としていてサラっとした言い回しで翻訳されているのである。
恐らく、日本人らしいと思わせるための翻訳者の善意なのだろうが、
私的には日本人のコメントでも、他の外国人と同じような言い回しで翻訳してほしい。
さて、自分で疑問に思いながら、少し掘り下げて考えてみたら
その答えに近づけた気がする。
おまけにネット上や2chだけで生まれた独特な罵倒語も合わさって
罵倒語の数としては類を見ない多さなのではないでしょうか。
(だからこそ簡単に言葉が差別用語指定されたりのイタチごっこも生まれる)
その罵倒語の数や種類の多さも、2ch系に負のオーラを感じてしまう1つの足がかりなのかもしれませんね。
最後に。
言い争いも生まれやすくギスギスしやすい・・・と感じるのは私だけでしょうか。
もちろん本スレでも内容によっては、本スレの時点で大きな論争があって、それをまとめ記事のコメ欄で続けるという事も多いが、
本スレの内容はネタだったり穏やかな内容であれ、時にはコメ欄にて論争や暴言が発生する事もしばしば見かける。
今度はその疑問ができた。
※おことわり
少し時間ができたので、最近ちょっと考えたことをまとめておこうと思う。
単なるメモでも良かったけれど、次の展開を期待してあえて発信してみる。
ただ、自分の意見への少しの共感が、ごくわずかな人からでも得られたら…
と、どこかで期待しているのも否定しない。
重たいタイトルだが、以下は要するにキャリアについてのまとめ。
自身はすでに就職先の決定など、人生における比較的重要な選択を終え、
どうしても帰納的なキャリアの導き方となるが、そこは了承いただきたい。
--------------------------
俺は哲学者でも何でもないけれど、自分のキャリアを考えているうちに、
進むべき道を定義するためには、自分の生きる意味なり目的なりを
ある程度はっきりさせておく必要があるのでは、と考えた。
いわゆる、人生の“コンセプト”というやつだ。
それが定まっていると、なんとなくラクだろうな~と思う。
例えば就職活動など、人はどこかの段階で人生における重要な選択を迫られる。
この時、選択したものに対して論理的な説明ができなければならない。
特に大きな問題はないだろうというのが正直なところだ。
それでも論理的な説明を用意しておくべきだと考えるのは、
自分を納得させるためでもある。
自らのキャリアを選択するのに悩む場面が出てくる。
そんな時に、思考の上で帰る場所があれば、と思うのだ。
迷ったら帰る場所であり、それは同時に目的地、ゴールでもある。
一度そこに立ち返って、演繹的な思考を重ねれば正しい選択を導ける。
いや、正確に言うと正しいかどうかは判断できないが、
少なくとも自分を納得させられるだけの論理構成を組み立てることが可能だ。
「キャリア」についての説明が不足していたので少し補足しておく。
途中、いくつかの岐路があってどこに進むか選択しなければならない。
選択を誤ると、目的地まで遠回りすることになったり、
これは普段気づきにくいことだが、
…という話をするとどうしても抽象的になるが、
いずれも、ここで言うキャリアに含まれる。
少し脱線したが、そもそもなぜこういうことを考えるに至ったか…
改めて検討しようと考えたからだ。正しかったのか…というよりは、
間違っていなかったことを証明したかったという方が正確かもしれない。
自分が納得のいくための説明をするためには、
論理構成が正しく組み立っていることが大切だ。
論理的に正しいということはつまり、なぜ?に対して答えられるということ。
しかし、なぜ?を何度か繰り返すと必ず壁にぶつかる。
なぜ、生きるのか―。
千差万別の答えが得られそうだが、
俺の結論を先に言うと“子孫を繁栄させるため”だ。
さらに子や孫、あるいはその世代が
よりよい生活を送られるように、環境を整えようとする。
では、どう生きるか―。
これもまた、十人十色の答えがあるだろう。
俺が導いたそれは“適応的に生きる”ということだった。
そんな変化の多い時代、
子孫を繁栄させることができる。
少し横道に逸れるが、キリンの話を。
遺伝の変異で首の長い種が誕生したのだが、それが環境に適応した。
これまで地面に生える草木をエサとしていた草食動物。
しかし、エサとなる草木にも限りがある。
そこにはエサの取り合い、熾烈な生存競争があった。
キリンはその長い首を生かして、
他の動物が手の(口の?)届かない高い樹木の葉を食べた。
これなら他の種と争うことも無く、エサに不自由することがない。
繰り返しになるがとどのつまり、
文明の進展によって、人は社会と呼ばれる環境を自ら作ったのだ。
すなわち、現代を生きる人にとっての適応とは、
すごく簡単な言葉に置き換えると、
時代の流れにうまく乗る、と言ったところか。
その社会環境への適応のためには、今を分析して未来を予想する必要がある。
…ならないのだが、俺は識者でも学者でもなければただの一般人。
ゆえに、ここからは完全に私見になるためやや省略ぎみに。
また、情報爆発の時代ではITリテラシーの有無が情報格差につながる。
情報取得、選別能力の高さがそのまま社会環境への適応力の高さに。
そんな中では、人としてのコミュニケーション能力が重要。
さて、これまで長ーく書き連ねたけど、
もっと言うと子供や孫、さらにはその世代の人々も、
みんな幸せを実感しながら生きられたら、と。
結果、コンセプトのある生き方なのかな、と。
そこから導いたのが上のような考え。
もっと欲を言えば、自らが適応できる社会環境をつくっていけたらと。
そうするために、自分が出来ることはなんだろう?
これからも考えながら歩んでいこうと思う。
--------------------------
※おわりに
それなりにやることやってきたのかな?と思う。
そのためには色々なものを見て、たくさんの経験をすることが必要。
1つのことを徹底的に深める人は本当にカッコイイと思うけど、
自分はそれよりも広さを追求しようと思う。
3歳男児、餓死。15キロ程あるはずの体重が5キロ。母親から聴取…千葉
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110608-00000009-mai-soci
ってゆう意見が多いと思うんだよねぇ・・・・
親には親の事情もあると思うのさ。
(てか、あって欲しいとゆうか・・・)
出産に関しては望まなくても産まないといけなくなったケースって
色々思いつくよね。
金銭的な問題や、精神的な問題・・・・旦那さんの虐待ってのも。
誰もが選択できる環境で生きている訳じゃないし、
そもそも産んでしまってるんやから、そこを責めたってなんにもならないでしょ。
問題は育てられなかった場合。
日本って国は倫理観が強いというか、型にはめたがるというか・・・
それに外れた人達を排除する(いわゆる村八分)傾向にあるような気がします。
産んだら責任もって育てろ・・・そりゃそうだ。それが正しい。
でも、それができない人が育てようとするから
こうゆう事件が起こっちゃうんやないかなぁ・・・
「できない」ものは「できない」んでしょ?
そこを無理しようとするから歪みが起きちゃう。
人には得手不得手、向き不向きがかならずあって
どうがんばってもできない事ってのが十人十色にあると思うんですよね・・・・
要はそれだけの事。
でも、それは周りの人には受け入れられない。
「できない」って言ってしまった時点でどんな目にあうか・・・・
(田舎なら尚更)
で、進むも戻るもできなくなった結果がネグレクト。って事かもしれませんよね。
素直に諦める勇気も必要なんじゃないのかな?
それはそれで仕方ないでしょ。
親が居なければ可哀そうかもしれない。
捨てられた傷は一生消えないかもしれない。
でも、自分が恥を忍んで手放し、誰かに託せば
少なくとも子供は生きられる。
非行に走るかもしれないし、
対人関係を築けずに引きこもりになるかもしれない。
でも生きてる。
生きてさえいれば、どうにでもなる。
産んだら育てなければいけない。そんな事ない。
でも産んだ責任として育てている訳じゃない。
この子達と一緒に生きていきたい。
そうでないなら育てなくていい。
子育てをやめるのは勝手だが、児童福祉施設でも他人の玄関の前でも
とにかく、子供を他の大人に託す。
それが、子供を産んだ事の責任であり、親として最低限の義務でしょう。
そして、子育てができなかった親を受け入れる。
そんな社会を作れれば、不幸な子供達が少しでも減るのではないでしょうか。
育てられない親の為でなく、
生まれてきた小さな命の為に。
容姿以外のその他諸々に関しても低スペを見下してるんだよ!
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simpleknot
ね?
とりあえず人気コメントを全部貼ったけど
容姿云々不細工云々を焦点にしてコメントしてるのは一人もおらん。
何故書かれてないことについて「書かれてる」と思い込んだか
あなたの心に関するなんかの手掛かりかも知れんけど。
http://anond.hatelabo.jp/20101123192319
議論が成立するかどうかは、次の方法で見分ける事ができます。
あなたの主張を聞き、議論相手が
「賛同します」
などと言われたら、議論が通じる相手です。
しかし、返ってくる反応が
・常に自分が正しいと思っており、人の考え方は十人十色という事を知らないタイプ
・議論の勝敗とは、罵倒や毒舌で他人より上に立つ事だと考えているタイプ
・自分の意見を、他人に伝わる言葉で発言できないタイプ(←NEW!!)
ならば、その人とは議論ができないことでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20101106161007
http://anond.hatelabo.jp/20101122004732
二つのエントリーを読んだが、自分はどれほど理解できているのかわからない。
こういうのは読む人それぞれの見方があるだろう。
だからこれを読んだ自分の思ったことを率直に書いてみる。
これはあくまでも一つの視点だ。
人にはそれぞれに様々な欲求がある。
彼女がほしい。
あの本を読みたい。
あの人と喋ってみたい。
あそこへ行ってみたい。
勝ちたい。
生きたい。
これらは十人十色なのだから、いくらあげてもキリがないだろう。
さて、これらの欲求に目的とか理由やらを考えてみる。
あの人と喋ってみたい。→魅力的な人だから。
このように、目的や理由を考えてみるといくつか出てくる。
では、これらの理由を欲求の前に加えてみよう。
魅力的な人だから、あの人と喋ってみたい。
自分の場合、欲求の前にこうした理由を付け加えると少し違和感が出てくる。
~だから~をしたいのか?
~をしたいから理由や目的が出てくるのであって、まず沸き上がってくるのは~したいという欲求。ただそれだけ。
あるCMで本田圭佑選手が、「子どもの頃から一番になりたかった。今もそれは変わらない。理由なんて特にない。」と言っている。
目的や理由なんていうのは、後から付け加えようとして考えることだと思う。
他にも、「人を殴るのはいけないこと」というのにも理由なんて無い。それは当たり前のこと。
でもそれを誰かに説明する場合、そこで初めて理由というものが必要になってくるのだ。
結論としては、「あいつに勝ちたい」とか「~大学へいきたい」だとか、そういうのに目的や理由は無くてもいいんだよということ。
ただ何となくでもいい。
もちろん、~したくないのにも理由はいらない。
しなきゃいいだけ。
「状態動詞」でも同じことだ。
生きているのにも、誰かを好きなのにも目的や理由なんて必要ない。
追記元
http://anond.hatelabo.jp/20100922023512
まず、ありとあらゆる意識的、随意的な思考・行動は すべて目標を達成されるために行われる。
目標を達成するための最適解は存在する。各種、方法論、戦略によって最適解に限りなく近づくことができる。
だが、"いかなる目標を設定するか" ということには最適解はない。
それは、個人がもつ、固有の欲求、価値観、思想、志向性、評価関数というフィルターを通して
"自分が考える、最も満足のいくであろう、望ましいであろう状態、目標"
を定義しそれに向かっていく。
言わずもがなそれは十人十色で、それゆえに人類は、かような多様性を呈している。
逆説的ではあるが、この多様性こそが"人生そのもの"に"目標設定そのもの"に正解がないことを示していると言える。
ここで問題としているのは、そういう「いかなる目標に向かっていくか」「いかに生きるか」
という問いに答えがないということではなく、そういった現実の中で
個人個人は
いかにしていかに生きるかを、いかなる目標を設定し、それを目指して生きていくかを
どのようにして決めれば良いのか? ということだ。
あと、人は、望ましい状態に向かっていくと書いたが それが自分にとって望ましい状態なのかどうかは
"想像することしかできない" のだ。
その望ましさはあくまでも未来において想定されるもので、それは人間の想像力によって判別される。
もちろんそれは完全ではない。想像力をいくら駆使しても "これこそが私が最も満足のいくであろう選択だ" と断言することは無理である。
こうであったらなと思い描いたそれが実現されても、不満足を覚えることは多分にありえる。
だから人は、思考停止・妥協・悟り・諦め ≒ 信じる という行為をもってして生きていく。というかそうしなくては生きられない。 疑えど疑えど答えは出ない。
そういう悩みに消耗し、逡巡、足踏みし続け、人生を台無しにしてる人間は少なくないように思える。
いうなれば、登る山が決まっていなく、彷徨っているに等しいような人生だ。 私はそれを回避したい。忌避すべきものだそれは。
しかし一口に"信じる"といっても、 信じるための方法というか、信じ方があると思うのだ。
一寸先は闇の現実の中、無限の情報に前にし、いかに考えいかに行動するか。
結局どうすれば、良いのか。
私は理性によってそれが(生きていく中で価値観などは遷移していくので軌道修正は必要としても)
解決、、というか処理?できると思っているんですよ。
どうやって? こうやって。
まず人間が意識的に、随意的に目指しうることのできるありとあらゆる目標をネット、書籍などから情報収集し
徹底的に拡散的な思考をし尽し
"それらを全て洗い出して(MECEに)" かつ、その中から
"現実的に(物理的に) 私という人間が達成を目指すことのできる目標" を全て抽出する。
全てはここにある。 私が目指すことが可能な目標は全てここにあって、考えるべきことは全て目の前にある状態。
まずその状態を作り出す。
その個々の目標を"そこに向かうべきか否か" を判断する。その人その人がもつ固有の価値観に照らし合わせて。
ネットや書籍で判断材料を集めたりしたりもする。 その目標に向かうべきかどうかを個々に評価するのだ。
そして達成すべき目標("α"とする)をリストアップする。それを合格可能性が最大化された日常に目標を達成すべく定義されたタスクを巧妙に組み込む。
もちろんその組み込まれた目標は、 合格可能性を減少させてでも達成を目指すべき何かだ。
合格可能性が最大化された日常をベースとして考える。 それはそれこそが今もっとも優先すべき目標であるからだ。最大化こそが(私にとっては)
そして、そういうことを徹底的に追求したその果てに "今、この時間、本当になすべきこと(タスク)" が完全に把握でき
"今、ここで使っている時間は、私が思う最高の(限りなく最適な)時間の使い方だ" という意識をずーーっと持ち続けることができる。私はそれを目指したい。実現させたい。
というか受験生活が終わっても私は人生を通してずっとそうでありたい。これは誰もが思う願望であろう。
それを実現するのがGTDなのではないのか。それこそがGTDの本質ではないのか。
私がGTDに期待したのはそこである。というかそれが実現できるならば
この際GTDじゃなくても良いのだけど。
//何か突っ込みどころはありますか? ちなみに勉強からの逃避にしか見えないという指摘がありますがむしろ逆です。
これは勉強に集中するためになされる能動的な過程です。 顕在意識(=メモリ、RAM)に "今実行すべきタスク"のことしか頭にない状態が理想。
それを実現させてくれるのがGTDなのでは? そうであれば物凄く快適そうに思える。 なるほどその状態は達成すべき目標だろう。最優先で。
//結局、合格可能性最大化を図ることができれば満足なんです。
//他の何か、つまり"α"、それを邪魔する原因としての"α"さえうまく処理できればそれは実現します、それが難しいのですが…
//未知数な、存在するかどうかわからない"α"が見つかろうと見つからなかろうと どっちでも良いわけです。最大化、最適化さえ図ることができれば。
//とにかくすべては合格可能性最大化を阻む原因をいかに排除するか、そこが核心、主眼なんです。
>まだ自分が認識、意識していない時間を割くべき、日常に組み込むべき何か(合格可能性最大化以外の目標、仮に"α"とします。)があるのではないか?
これでいうαは受験生活を脅かす要素です。
返信。
>合格可能性の最大化を図ることによってαの発見・達成が阻害される、と考える理由はないわけだから
合格可能性が最大化された日常ということは極端に言えば、αを意識すらしません。そんな暇があったら問題を一つでも多く解くのです。
だから発見は阻害されますよね
合格可能性の最大化を図ることによってαの発見が阻害されるということで
αの達成を目指すということは最大化が阻害されることになります 最大化が阻害されても
生産性、効率が低下してもそれでもなお目指すべき目標は存在するのか?
存在しないならば最大化されたまま、それを維持した日常を送れます。
しかし存在するならば、考えなければいけないことがいろいろありますね。
>生活の全てを最適化しなければ合格できないとしたら、入ってからついていけるのかい?
あるいは最適化など目指さなくとも、余裕をもって合格できるにしても他に達成すべき目標がないなら
合格可能性を最大化させることに注力します。念には念を。受かる保証などどこにもないのですから。
ここで問題にすべきなのは"学力の向上における効率、生産性を犠牲にしてでも"達成すべき目標、"α"の処理の仕方についてです。
>そうでなく、やりたいことがまだはっきりしないっていうなら、受験勉強を当面のゲームと考えるといい。
そうですね、やりたいことははっきりしていません。大学をいかなる目的のための手段にするのか?という問いには今のところ答えられません。
それに危機感を覚えます。大学がゴールになっちゃって手段になりえてないっていうのが典型的な失敗例でそういう文脈があちこちに散見されるので。(手段の目的化)
なんとなく、俺はこれをするためにあの大学に入るんだっていう明確な意識があった方が動機づけにもなると思うし…
>他にやることがなくて暇だから受験勉強してる、と考えるんだ。そう考えていれば、普段は合格に最適化した生活を送りつつ、他のおもしろいことにレーダーをはっていられる。
こういう感覚良いですね。 しかし受験勉強と同時進行でなくてはならないのでしょうか?レーダー張り。アンテナ?
そうでないといけないというのは常に新しい情報(速報性があるものやまだ読んでないウェブページとか本とかから)を仕入れないといけないということですよね?
それを、なんというか、最初からいっぺんにできないものなんでしょうか?
>当面の目的から目を逸らすために他の目的を探してるだけであり
>しかも見つかってないあたりは救いようがない
前述のとおり、当面の目的に集中するために他の目的を処理しようとしているのです。
これこそが先延ばしの原因であり、心理的な障壁となっているのです。
もし見つからないのなら受験勉強を蔑にしてずっと探し続けることはしません、受験生ですから。
それは大学を出てやりたいことがないからとりあえずニートになるぐらい危険なことです。
>それはGTDとは関係ないけど、難しい。ほとんど人生そのものと同じだからね。
そう言えますね。ほんと難しい…
>とりあえずは「見晴らしのいい場所(客観的に社会と自分を見られる場所)」に行く(社会的・物理的に)こと、かねえ。
心強い意見です。
>うーん。普通は高校生ともなれば、なんとなく将来、こんな風な仕事をしたいとか、目標と言えないまでも、夢みたいなものはあるんじゃないかな。
それがよくわからないんですよね、、、
生活を維持するためのお金を稼ぐために「仕方なく」働いてると思ってるんですよ。
何らかのきっかけで(宝くじあたったりとか)大金が転がり込んできたら現職を続けないであろう仕事に就いているイメージ。
本当にやりたいことができてる人は、好きを貫いている人はほんの一握りなんだろうなって。
ちょっと恥ずかしいですが、ジョブズでスピーチで語ったように"愛せる仕事"をしたいですね
って、これじゃあ何も言っていないのと同じですよね。 "やりたいことをやりたい" みたいな、、トートロジー的な?身も蓋もない、、
>まあ、中央に[人生の目標]と書いたマインドマップでも書いて、自分の人生の目標でもじっくり考えてみたらどうかな。
>でも、人生は思ったより長い。
>間違った山に登ったかな、と思ったら、降りて違う山に登ることも、特にこれからの時代は不可能じゃない。
>また、寄り道、無駄足だったと思っても、それが次のステップへの足がかりになったりすることもある。違う山へ伸びる吊り橋があったりね。
>大学受験で、また会社選びで、人生のすべてが決まる、とか必要以上に深刻に考えなくてもいいと俺は思うよ。
孫正義「なぜならば、自分で決めた自分の職業、自分で決めた自分の仕事、これコロコロ変えるわけにはそんな簡単にはいきません。
だいたい決めたらその道にほぼ行く可能性が高い。その決めたことをフラフラするということは、効率悪いんです。
こういう意識があって、、、
また引用しますが
>私が思うに、人生を計画的に行おう、と思うのは、なすべきことをしたいという欲望が生じるからだ。
>限りある時間の中で、切実にそれを実現するためには、どういう流れ・ストーリー・フェーズを経て
>実現状態に変貌を遂げるのかをクリアにしようとする。そうすれば実現する可能性が高くなるからだ。
http://works4life.jp/2010/03/gtd-before-big-planning/
もっと明確に、クリアに描きたくてたまらないんですよね
多分どちらにせよ私は志望校を目指すので、将来の目標がどうあれ、今やるべきこと、やっていくこと(受験勉強)は変わらないとしても
心の置き場?というかスタンス? 世界観、人生観、死生観、価値観、思想
そういうことにも心を奪われてしまうんですよね、、考えすぎなんでしょうか?
もっと、こう、なるようになるさって感じでいけたら大分楽かもしれません。気楽に。。
xevraさんのいうよう、悩んでも悩んでも仕方がないことなんでしょうか、、
悩めば悩むほど不安は募り、袋小路の奥にどんどん迷い込んでいくのでしょうか、、
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/14(土) 11:03:45.25 ID:YEzroAVm0
1つの道を選んでそのために一生懸命頑張るということができない
何をするにも何らかの価値観の盲信が必要になるという気分
きっと人生における選択の正しさの根拠なんてないんだと思います。
何か一つを選ぶということはその他の一切の選択肢を捨てることだと弾さんもいっているし
それこそがその他一切の選択肢を選ばないことで何か失うものがあるのではないか という疑いを不安を生んでいるわけなんですね。
ある選択をしてその先一般的に(?)成功したとされても、もっと大きな成功が他の道に転がってたかもしれない、、
そういう迷いや悩みは構造的に人生の原則的に解決が可能なのでしょうか?
私たちはラプラスの魔でもなんでもないので、人間が培ってきた知見と経験則によってのみ、なんとか予測を立てることができる程度で
そこを理性的に突き詰めれば何か見えてくるんじゃないのかな…?と思ってはいるんですが、、
例えばこうするとかも。
ジョブズ「自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に
決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、
己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、
きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。
そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。」
しかしなぜ死と隣り合わせであるという事実を直視するとこういうことが可能になるのでしょう?
死の意識というフィルターを通せば真に、自分にとって大切なことが、死ぬまでにこう生きていたいんだってことがはっきりわかってくるようなのですが
どうも、私はそうなれていない?ように思うのです 死を意識してはいるつもりなんですけどね
孫さんやジョブズのように"実際に死にかけた経験"がないから 死を想像してみてもそれは不明瞭で、漠然とした恐怖とかで その程度ではそういう状態にはなれないのかどうか、、、
更に返信。
>今、どうしてもやりたことが見つからないなら、焦っても無駄。君が時間を無駄にしてるんじゃないかって焦ってる間に、既にやりたいことを見つけた人達は何歩も先を行ってる。天職のことを英語でcallingと言う。>呼ばれちゃうんだよ、そういう人は。こっちから選ぶことなんて出来ない。君もいつか呼ばれるかもしれないし、もしかすると一生呼ばれないかもしれない。どっちにせよ、それに振り回されて迷うっていうのはそれ>自体が無駄。呼ばれた時にすぐ応えられるように準備しておくしかない。
やりたいことってのは、天職ってのは能動的に探すものではないのですか? "呼ばれた時にすぐ応えられるように準備しておくしかない" なるべく選択肢とか可能性が維持できるように
したいところですけれどもね。
>http://anond.hatelabo.jp/20100922183732 //長いのでURLだけ。
なるほど。ってことは一週間かけて考えて見つからなければαを放置して学力の向上におけるパフォーマンスを最大化させればいいのですね。
受験が迫っているため、一週間程度のリソースで見切りをつけ、当座は合格を目指し、大学という場でリソースを獲得し
"目標α発見可能性を最大化して実践" すれば良いのですね。 すごくわかりやすく、かつ的確な回答のように思えます。
しかし一週間ではなく二週間であれば見つかるかもしれないわけじゃないですか。
というか期間の問題ではなく、 目標αはまったく(もしくはこれ以上)発見されないであろう、その可能性はないであろうと判断することを私は求めているのです。
目標αはまったく、もしくは、もうこれ以上生まれないであろうと。 気が変わったりするもんですから、人間も。
定期的に そうであるかどうかを確かめるような手段が欲しいところなのですが。
また言いますが、それこそがGTDの本質なのではないのですか?
そういえば私の提唱した方法論についての反応がありませんね、、
今の私って、無数の目指すべきかどうかは判断されていない目標は見えているけど、それを目指すかどうかっていう判断材料になりえる情報(目の前に膨大に広がっています)
に溺れてる感じなんですよ。 "今" 何をすべきなのか? がわからないんです。
わからないから、わかろうとする。 そうやってるとただ情報の海を漂ってるだけになるんですよね、、困ったことに。
一連の考えを要約すると、 人生において早い段階で 「選択と集中」 をしたいんですよ。
自分は何者でもないし、なにか特別な才能があるわけでもない。
特に何ができるわけでもない、 そんな私ができることって 人より多く一つのことに時間を投入することなんですね。
そのためには「選択」が要ります。それも孫さんのいうように腹の底から、覚悟を伴った"選択" それほどまでの"選択"ができて人はやっと"集中"ができる。し続けられる。
集中ができるほどの、それほどまでの選択を私はしたいんですよね。 もちろんここでいうαである目標の達成を選ばないという選択もありますよ。
受験一筋なパターンです。それも一つの選択ですね。 例えばそういうパターンを選択し、集中できないのはαがあるからなんです。 とにかくこのα。これさえなんとかなれば。
またまた追記ですー
http://anond.hatelabo.jp/20100924192440
ギズモード・ジャパンの「自由過ぎるAndroidがユーザーに敬遠され始めてる? 悲劇のガラケー化する懸念まで噴出中...」という記事が話題だけど、コメントでも指摘されてるように超訳ですごいよ。っていうか訳ですらない。翻訳するとき、ちょっと文の構成をいじっちゃったとか、勢いで書かれてないことまでコメントを付け加えちゃったとか、そういう冒険でドキドキすることもあるわけですけども、湯木訳はもう本文以外の電波的ななにかを受信しているとしか思えない。マジでイタコレベル。感動した。イタコ訳と名付けよう。
これがイタコ訳。
http://www.gizmodo.jp/2010/08/android_10.html
「原文」になってるもの。
http://gizmodo.com/5593264/bloatware-creeps-into-android-phones
ちゃんとした訳は下のURLにあるので見比べながら楽しもう。
http://trans-aid.jp/viewer/?id=12179&lang=ja
そもそも米国人の文章なのにガラケー化の懸念が出てくるはずがない。いきなり日本仕様で先制パンチ。百歩譲って米国の非スマートフォンもガラケーなんだと考えたところで、原文には「多機能携帯の再来」とあるだけ。
iPhoneにブロートウェアがないという話はある。原文はそれだけ。対立構造煽りまくり。PV稼ぎまくり。
「大きな苦情の嵐になり始めている」が日本語としてよく分からない。苦情の予測ができるに違いない。すごい。
イタコ訳:実のところ、弊社としましても、本当のところは最初からスマートフォン本体にアプリをプリインストールするのではなく、ユーザーの皆さまが自由に後で欲しいアプリだけをAndroid Marketなどのアプリストアからダウンロードする方式を推奨していきたいと考えています。でも、この点で最終決定権を握っているのは、一般的に携帯電話キャリアのほうでして、弊社もキャリアの方針には従わざるを得ない状況になっています。やはりキャリア側は、ただ単に端末を販売するのみならず、その後の売上げを確保することも含めたビジネスプランを立てていかないといけないでしょうから...
まとも訳:「端末によっても、携帯電話会社によっても十人十色だ」と、HTCの広報担当者であるキース・ノバックは言う。「とはいえ総じて、携帯電話会社の都合でインストールされ、その収益源になっていると言えるのではないか。」(略)「われわれは提携する携帯電話会社と歩調を合わせなければならない。」ただ、「消費者に選択権を委ね、Verizonのように、プリインストールされたアプリを別途ストアに移したいと考えている」
一番戦慄したHTCのコメント部分。原文ではこれだけ。これぞイタコ。HTCの人の心が読める。っていうかHTCの人が「従わざるを得ない」とか言うはずない。インタビュー先が口を割らなくてもなんでも書ける。
イタコ訳:現在、Androidケータイで問題になってきているBloatwareは、フィーチャーフォンの古き良き時代を思い出させるものでもあります。携帯電話メーカーもキャリアも、とにかく他社のモデルとは違う面をアピールしようとするあまり、さまざまな音楽サービスやコミュニケーションソフトなんかを搭載して、かえって多くのユーザーが使わない機能ばかりで膨れ上がった携帯電話の新モデルが次から次へと販売される事態を招きました。それが特にAndroidを搭載するスマートフォンでも生じるようになったということですね。滑稽なことに、メーカーやキャリアは、まさかユーザーがプリインストールされている数多くのソフトウェアアプリを消し去りたいとまではだれも思っていないなどと決め込んでいるのですが、実際にはその逆のようです。アップルのiPhoneでは、最初からキャリアによってプリインストールされているものなんてほとんどありませんけど、Androidならば販売後も売上げを伸ばせそうなソフトウェアアプリを自由に入れられることに着目したキャリア側が極端に走っていることに、ユーザーは不快感すら覚えていますよ。データ通信プランだけでは思ったように利益が伸びないキャリアのジレンマは理解できますが、ここで判断を誤ると、かえって消費者がキャリアから離れていく逆効果になってしまうでしょうね。
まとも訳:「かつての多機能携帯の再来だ」と、Forrester Researchのチャールズ・ゴルヴィンは言う。「端末メーカーやキャリアは、メッセージング機能や音楽機能で多機能携帯の差別化を図ろうとしていた。同様の戦略がスマートフォンでもなされようとしている。」今のところ、これらのプリインストールアプリを削除することは不可能だ。ゴルヴィンは言う。「多くの携帯電話会社は、消費者がそれらに注意を払ったり、削除したいとまで考えているとは思ってもいないのでいだろうか。」
こちらはForrester Researchのチャールズ・ゴルヴィンによるコメント部分。なにこれ。湯木進悟は神か。我々に見えないものが見えるのか。
イタコ訳:どのAndroidケータイを買ってきても、ほぼ間違いなく米国内では多種多彩なソフトウェアアプリがプリインストールされている状態です。
まとも訳:もっとも、全てのスマートフォンがそうだ、という訳ではない。AT&TはiPhoneに余計なソフトウェアを入れないようにしているし、モトローラのDroidには基本的なアプリしか搭載されていない。GoogleやT-Mobileもまた、Nexus Oneにブロートウェアを入れようとする誘惑に抗している。
訳で意味が反対になるパターン。DroidやNexus OneはAndroid。原文読んでない。原文なしでも出来る訳。天才。
イタコ訳:おまけに多くのアプリが、最初の試用期間のみ無料であるものの、一定期間が過ぎると勝手に有料に切り替わって、利用料金を請求される羽目になるというイワクつきだったりもするんですよね...
例えばなに? 書いてない。原文にも書いてない。彼だけが知ってる。本当に翻訳家か。それとも全知全能か。
イタコ訳:現時点では、BloatwareがAndroidケータイのシステム面で与えている影響はストレージ容量の占有くらいに限られていますけど、今後はCPUパフォーマンスにまで深刻な影響を及ぼすレベルになってくれば、もう消費者も黙ってはいないでしょう。そして、とにかくユーザー獲得競争が熾烈な携帯電話業界では、消費者に見限られるほど恐ろしいことはありません。ですから、自然とAndroidケータイのBloatwareも減少傾向をたどって沈静化していくのではないでしょうか。とりわけパソコンよりもリソースの限られるスマートフォンでは、もしBloatwareの問題が根強くなると、一気にユーザーの不満が爆発する方向にだって進みかねませんからね。
まとも訳:現在のところ、携帯端末におけるブロートウェアは、システムリソースではなくむしろストレージを占有するという点で問題である。新規顧客の獲得に鎬を削るAT&TやVerizonが、プリインストールアプリに関して一線を踏み越えてしまうことはないだろう、そうゴルヴィンは考える。「市場は飽和している。顧客の流失を黙って見過ごすことは許されない。」
ふたたびゴルヴィンのコメント。なんかこれくらいならまだ翻訳っぽいかもと思ってくる。日本中の翻訳家歓喜。すごすぎる。
まだまだあるけどきりがない。マジ感動した。この訳を読んだあと、原文を読むとふつうすぎてつまらないもの。これぞエンターテイメント。神の業。湯木イタコ訳に今後とも注目。
学生さんだろうか?
本人が恋愛したい気持ちがあったら、そんな深刻にならなくてもいい気がする。
引っ込み思案な性格だと、きっかけがなかったりするだろうけど、好きな人もいないのかな。
だったら出会いがないだけだし、人間関係の広がりがあればなんとかなりそうだけどなー。
それが一番閉塞感があるというか、焦る原因になるかもだけど、ちゃんと増田でわかりやすく自分のことを説明できるから頭いいと思うし、自分の気持ちを素直に人に言える性格も素敵だと思う。そういう女性を好きな男性は普通にいそうだ。
ずっとパートナーがいないって人は、そもそも恋愛する気がないってことが多いよ。だから二次元で十分だったりするのかも。
見た目とか性格とか人の好みは十人十色だし、案外たいしたことじゃないかなあ。
ファッションは背が低くて細いなら、肩か胸にボリュームが出るような服を選んで、ボトムスをすっきりさせたらそれだけで何とかなると思う。
メイクはベースとチークと口紅だけでまずやってみるといいよ。いわゆるモテ系の人たちってすごく時間なり手間なりかけて丁寧にメイクしてるから、そのコツさえ摑めばなんとかなりそう。
いやー、本当に増田だよねー。
十人十色 ひとそれぞれだし、傾向があっても絶対じゃないし。
正直、どこかの増田が、だからなんなんだ、他人がどうであっていいじゃねーか。とは言っていたがまさにそのとおりだと思うよ。
自分の異性の事で相談しているような内容じゃないもんな、一般の事を一般に言ってるだけなら、ほんとどーでもいー。
でもまぁ、大半は モテてるやつの自己顕示欲か、モテてないやつの恨みか あとは適当に言葉尻に反射してグチ言ってるだけか、そんなもんだよねー。
テメエの事を棚に上げてるか、自慢してるか、自己防衛してるか だよなー、と思いながら
女性団体の人じゃなくて申し訳ないけど、
私は「なんだかんだいって日本は男尊女卑だ!」と思ってる女なので、
それなりに回答する意味はあると思う。
で、そんな私の回答は「男性差別は実際にある」。
女性差別は、女性が男性にとってのペットや性欲処理機、家政婦とか、
まあ要するに「使われる者」として扱われがちである、というところに問題があると思う。
一方、男性差別は、男性に「使う者」としての立場を押し付けることが問題となるんじゃないかな。
男性がみんな「使う者」でいたいという感性の持ち主ならこれでかまわないのだけど、
「使う者」であることの責任や重圧から逃れて、「使われる者」になりたいと思う男性は、
いらない権利や義務に振り回されることになる。
2011卒の人間で、そろそろ社会人生活がすぐそこに来ているわけで、こういったことを考えなきゃならないときが来た。
俺の働く理由は何だろう。飯を食うため。それもある。というか、それが大前提だ。
しかし、それだけだとやはり働く面白みがない。何か、もう一つくらいは目標があった方が、楽しく働ける気がする。
考える。
働くとはどういうことだろう。実際に、労働の現場に入って、利益を出すために行動するということだ。
ところで、最近経済の本を読んで勉強している。円高、円安、公定歩合、日銀がどうのこうの……。今までは全くもってちんぷんかんぷんだったが、いろいろと経済用語が理解できてきた。……しかし。
理解はできた。できたのだが、どうもすっきりしない。仕組みはわかった。しかし、何故か釈然としない。
その理由は何か。
たぶん、実感がないからだ。円高になったとニュースになっても、株価がどうのこうのと新聞に載っても、俺はそういったものに関わる行動を何もしていない。そりゃ、買い物ぐらいはするので一応経済に関わっているのだが、そんなもの無意識的すぎて関わっている実感がわく訳がない。ファンドやら銀行で働く人やらトレーダーみたいな、積極的に経済活動に関わるようなことは何もしていない。なら、実感を持って経済の知識を理解できるわけがない。少なくとも、俺はそこまで賢くない。
物事を勉強するには、俺には実感がどうしても必要なのだ。
そこで、実際の現場に入って働く事により、実感を得て物事を勉強する。これを働くもう一つの目標にしたいと思う。
勉強する目的は何か。自分の能力を向上し、属す組織が不安定でも自分が安定していられるように。それと、自分の人生をより豊かにするために。特に、後者を重視したい。
人生を豊かにするにはどうするべきか。それは、何らかの物事に情熱を持つことだと思う。
正直、俺は人生の目標という大層なものは用意できてない。強いて言えば、面白い物語を書けるようになりたいというくらいだ。まったくもって、目標が定まっていない。だから、何を勉強すべきかもおぼろげで、あっちこっちの分野に中途半端に手を付けている。
こりゃいかん。
目標のない人生ほど面白みのないものはない。俺は、それをこれまでの人生で十分実感している。
しかし、人生の目標を作るにしても、そうそう簡単にできるものではない。今まで自己啓発本やあなたの才能は云々とかいう本を結構読んだが、さっぱり目標は作れていない。
どうすりゃいい。考える。
そうするとして、人生の目標を作るにはどうすれば良いか。……わからん。わからんが、多くの人と接せれば、何らかのヒントを得られるのではと思う。人の生き方は十人十色なわけで、その人その人の価値観、人生観がある。そういうものをぼんやりとでも良いから知り続ければ、何らかの衝撃は得られるのではないか。そう考えた。
また、そういう経験は、面白い物語を書くためにも、結構役立つと思う。
じゃあ、多くの人と接するにはどんな仕事がある? やっぱり営業かな。そしてより深く一人一人の人間を知るには、新規開拓系は少し適さない。何度も何度も同じ人と顔を合わせるルート営業の方が良いかもしれない。
mixiの日記に、こんなのあった。
女の人は共感できるし、男が読めば、「女に媚びてる」と思われるだろうなと私は思った。
でもまぁ、男女関わらず、悩んでる人がいるようなテーマだし、載せちゃおうと思った。無許可で 笑 噂では、本当は続きがあるらしく、そこまで読んで、真意がわかるだろう。とのこと。どういうことでしょうね。ま、とにかくエッチについて悩んでる人は呼んだ方が良いと思うよ
ここからは、筆者さんの本文です↓
まず初めに、この日記は特にエロの要素はございません。
SEXについて、きちんと考えようという日記ですので、これはオカズにはなりません。
だからお前、ちゃんとパンツ履きなさい。
僕は、自分自身の外見・内面共にある程度妥当に評価しているつもりです。
僕は真っ白けでガリガリのガリクソンで、オカマ風、もしくは中性的です。
アメフトのクオーターバックやってた友達から「手がきれいだなぁ」と言われて身の危険を感じたこともあるほどの、極めて頼りなく、華奢で、女々しい外見であると同時に、結婚も決まったということで、一人の男というよりは気の置けない兄貴分、女友達感覚の友人という風に接してもらうことが非常に多いのです。
これは非常に光栄なことです。男同士だけではなく、女友達とも腹を割って話せる、そんな立場にはなかなかなれないでしょう。ありがたい話です。
で、そういう立場で女性陣と接していると普通は話して聴かせてもらえないような話まで聴く機会があります。そのひとつがSEXについて、です。
男性陣、よく聞け。
君たちのセックスは、間違っている!
男の子のほぼ大半はAV(アダルト・ヴィディオ)によってセックスという行為の存在、そのなんとなく甘い感じ、たまらん感じを知り、いつかオレもこんな風にする日が来るのかなぁと思いめぐらせるものです。
実は、もうその時点で間違っているのです。
アダルト・ヴィディオに出ている女優、俗にいうAV女優さんというのは、これプロの方で、お金をもらうことでああいったヴィディオに出演してらっしゃるワケです。
つまり、あれは対価と引き替えに行っている純然たる“仕事”であり、男優・女優共にターゲットとしているのは“視聴者であるお前ら”なわけです。
もうこの時点で普通のSEXとは全く色が違います。
普通に行われるSEXはあまり撮影される機会はないですし、まぁ密室に2人というのが通常でしょう。
つまり男のターゲットは女であり、女のターゲットは男なのです、視聴者ではない。
アダルト・ヴィディオは視聴者をターゲットとしている関係上、
「見て興奮するSEX」というものを重視します。ひとつ例を挙げれば、男優と女優が抱き合って正常位でセックスをしてるシーンはあまりないでしょ?
ああいうシーンでは男優が体を起こし、女優の体や顔を見やすいようにしている。なぜなら、抱き合ってしまえば男優のきたない背中が映ってしまうからです。
繰り返しますが、アダルト・ヴィディオは「見て興奮するSEX」を重視しています。だから、例えばものすごく激しかったり、女優も「あんあん」叫ぶわけです。
これは有名ですが、アダルト・ヴィディオを見た女が「あんな声、出ぇへん」と言いますね? つまりアレは女優の演技、お金と引き替えの“仕事”の一環なわけです。
それを、あんまり声を出していないのを「感じてない」と誤解した男が、これまた誤解に乗っ取って「もっと激しくすれば良いんじゃないか」と考えてさらに乱暴になる。
これ、女性陣に言わせると「痛い以外の何物でもない」です。
アダルト・ヴィディオを見ることを否定しているわけではありません。
そうではなく、アダルト・ヴィディオのSEXと実際のSEXを同じものとして考えてはいけないということなのです。
ひどい奴なんて、SEXの最後は女の顔にかけるものと勘違いしていたりします。
でも、健気な女のコは耐えているのです。「気持ち良かった」なんて嘘をついて、それで男が満足ならいいやと考えるのです。
「早く終わらんかなぁ」と思いながら男に抱かれている女の人も多い。極めて多いです。「寝そうになる」という声もよく聞きます。
さて男性陣、考えてみよう。“抱いてやってる”つもりが、完全に“抱かれてやってる”状態になってるだろ? 女性は懐が深いから言わないけど、もしかしたら、「おっしゃぁ、感じさせたった」と思った直後に「へたくそやなぁ」の一言が飛んでくるかも知れないんだよ?
アダルト・ヴィディオを実践にまで持ってきてしまっているお前のSEXは実生活においては茶番でしかないのです。
今回は、男性陣に対して、女性陣が具体的にどういう部分を望んでいるのか、何を嫌がっているのかを、項目ごとに、不快にならない程度にお話したいと思います。僕もビックリしたことがたくさんあります。
これは女性陣の意見の集約です。
「古くねぇ?」と思ったお前。このやろー。お前みたいな奴が一部偏った人間を母数とするアンケート結果、「女の子の初体験の平均年齢14歳」を鵜呑みにするんじゃ。ホンマに平均的に14歳で初体験しとったら、相手の男は漏れなく犯罪者じゃ。
ちなみに前回言い忘れましたが、この件でいうSEXは「愛のあるSEX」と定義します。ゆきずりとか、ナンパとか、そんなんはもう自由にやってください。なんならオレに見せてください。
──────────────────────────────────────────
では、男性陣、以下の項目を刮目せよ!
女の子はね、1年365日、花柄で上下セットのゴージャスな下着をつけてるわけじゃねーんだよ! もうこの段階で「えっ!」と思った男、おるやろ。オレもそう思てた。
アレはちゃうねん。デートの朝、「もしかしたら今日、あるかも」と思った女の子が、日頃は無印とか3点1980円で段ボール売りされてるの下着なのを、その日は特別にワコールやらトリンプやらの“マシュマロ”だか“天使の”だかしらんけども、ちょっと高めのん着て待ち合わせに来とんねん。
い~や、前夜にゃ脇毛剃ったり、むだ毛剃ったりもしとんねん。
だから、そういう時になったら、女の子の下着を誉めてあげよう。
「かぁいいね」の一言が、女の子にとってどれだけ嬉しいか。その言葉でどれだけお前らへの愛情が増幅するか。「愛の増幅」これが男女のギャップを埋める上でのテーマになってくるから。
まぁこれは、それぞれカップルのSEXスタイルによって変わってくるとは思いますがね、たとえば女性のブラジャーを、一瞬で、片手で外せることを自慢してるお前、男の間では英雄かも知れんが、女は鼻で嗤ってるぞ。んなもんもアダルト・ヴィディオの影響なんや。朝、入念に選んできたブラジャーを一瞬で脱がされてみぃや、悲しいやないか。
女性を正面から抱き締める形で、背後に手を回し、それはもう恭しく両手でホックを外す。そして外れたブラジャーを床に投げ捨てるのではなく、丁寧に畳んで、なんなら一度ブラジャーにも会釈をして、椅子でもいい、テーブルでもいい、そういうとこに置く。
とにかく「大切にしている」という姿勢を女の子に見せてご覧なさい。それはもう喜んでくれるよ。
パンティも同じ! 片手でむしり取るように脱がすのではなく、もうなんやったら一度、横たわる女性の足元らへんに正座して、合掌して深々と頭を下げて、「失礼をいたします」くらい言うて、これもやはり恭しく、大切にゆっくり脱がすこと! んで、きれいに畳んで大切に扱う。
そして、露わになった女性の裸身を誉める。「太ってるでしょ?」だの「あんまり見ないでよ」だの言われても、「んなことないよ、キレイだよ」の一言を添える。こういうひとつひとつが非常に大切なのです。「愛の増幅」ですよ。
ある女友達が4年付き合った彼氏と別れたあとに僕にこぼした一言があります。
「4年間、レイプされ続けたようなもんやったわ」
これを聞いたお前、「そらかなり乱暴にされたんやろ、どうせ」と思たやろ? オレもそう思た。でも、ちゃうかったよ。
その彼氏のSEXスタイルはアダルト・ヴィディオをまんま模倣した物だったのだよ。女性の大事な部分に指を突っ込んで乱暴に引っかき回す。「どや? ええやろ?」との言葉と共にね。
アダルト・ヴィディオなんかでは「潮吹き」なんつって、それをさせることができた奴は“テクニシャン”の称号をもらえるほどの技がある。
でも、あれをさせようとしてるときのアダルト・ヴィディオ内の映像は、すごいよな? もう女性の大切な部分をムキムキマッチョの男がフルパワーで引っかき回してる。
あのね、これについては、僕、1回考えてみたことがあるのよ。
あの感じ、男で言うとどういう状態なんだろう…と。
んで、たぶんこれはけっこう真実に近いと思うんだけど、女性の大事な部分を力任せに引っかき回すというのは、男で言うとチンコにおもっくそ、フルパワーのデコピンを百連発で食らわし続けることと同じなんじゃないかと…「びしっ、びしっ、びしっ…」なんかじゃなく、「ズドドドドドドドドドドドドドド」ってね、デコピンを。
んなもん、死んでまうで。
女性にしかない部分に関しては、女性にしかわからない。でも、そこはとてもデリケートな部分、いつかそこから赤ちゃんがやってくる道なのです。それを荒らしてはいけない、いじめ、カッコ悪い。
そしてなにより、彼女を喜ばせるという行為がその後、円滑に進んでいく準備にもなるわけでしょ。そしたら働き蟻のようにベッド中をはい回って彼女を喜ばせる、エンターテナーに徹することで、その対価をその後にいただけばいいじゃないか。
女友達に「新しい彼氏とのSEXと元彼とのSEXを比べたりするん?」と聞くと、十中八九、「する」とか「してしまう」と言います。んで、まぁ8割方、「なんだかんだ言って、初体験の人が一番良かったかな」って言います。
それは、女性にとっての性への入り口がそこだったからです。男の場合、童貞を“捨てる”と言いますが、女性の場合、処女を“失う”と言います。
ある種、儀式的な要素を含んでいるのかも知れません。だからこそ、初めての恋人とのSEXを特別視してしまう部分があるのかも知れません。
それに打ち勝つには、男ども、お前らが、彼女のためだけを思い、彼女のためだけのSEXを考え、彼女のためだけのSEXを創り上げることじゃないのかぃ?
なによりも、恋人同士であるのなら、話し合うことが大切。
僕に色んな愚痴をこぼしてくれる友人に「それ、彼氏に言ったら?」と言うと「そんなん無理やわ」と言われます。
なぜ無理だ。なぜ話し合えない。それは、女性の方に「喜んでくれてるなら、それでいい」という一種諦めに似た感情があるからじゃないのかな。
でもね、10組のカップルがあれば10通りのSEXがあるのよ。彼氏にとって、彼女さえ喜んでくれたらいいわけでしょ? 彼女にとって、彼氏さえ喜んでくれたらいいわけでしょ? 他に喜ばせたい人がいるなら別だけども。
オリジナルで、お互いに楽しめるSEXを実現するには、なによりも話し合うことが大切なのです。
[オマケ]
もしお前が、今の彼女と結婚したいな、なんて考えているのであれば、彼女の生理に感謝をしましょう。だってそれは、将来お前の子供が生まれてくるための準備なわけですよ。
お前はオナニーしてヘラヘラしてりゃいいかもしれないけども、女の子の生理ってのは聴くところによると、もうすんげぇツラいらしいよ。
だってよ、もんのすごい出血するんだもん、分類するとしたら歴然たる「病気」だぜ?
それでも、お腹痛いのも、腰が痛いのも我慢して、デートに来てくれる。
で、その時に「今日生理やねん」って言われて「マジかよ~」なんて言うたらアカン。
「いつもご苦労様です」くらい言うて、ランチをご馳走するとか、そういう気遣いを見せていこうぜ。
男にとってSEXは原始的に快楽を追求するものかもしれない。それは仕方ないのかも知れない。でも、女性は愛を感じたがってる。男が快楽を追求することは否定せずにね、それでも愛を感じたがってる。
男が快楽を追求することは悪いことじゃない。でも、愛を、底辺に愛を置いて、そしてそれを彼女にわかりやすく伝えながら、その上で快楽を追求すりゃいい。
そういう部分を頭に置いて、素敵な週末を。
その「比較的多め」って部分でおそらく元増田は
って出したんだと思うよ。
それに対して「それは比較的多め」でも何でもない。色んな女がいる、って例えとして「ヒモ」を出したのであれば、例えてとしてあまりに説得力がなさすぎないか?
ヒモってどんだけレアなんだよっていう。
「レア」「魚の多い釣り堀」などで「女性に見られる傾向」みたいなものを示唆すればするほど「いざ結婚する段になると生活力のある人とくっつくケースが見受けられる。 」という元増田の絶望感を補強してるだけに見えるぞ。
まず戦略として
・女は十人十色であり「いざ結婚する段になると生活力のある人とくっつくケースが見受けられる。 」傾向などは一切全くない
なのか(だとすれば服装などをどうこうしたところで成功率は上がらない)
・女にはある傾向がある(十人三色くらい)が、「いざ結婚する段になると生活力のある人とくっつくケースが見受けられる。 」というケースは多数派的傾向ではない(従って服装等で多数派を狙う戦略は有効)
なのかハッキリしないんだ。この両者は全然違うからな。
なんか前半と後半で矛盾があるような気がするなあ。
なのに
ってとこが。これ「清潔で『ベーシック』な服装・毎日の洗顔・髪は美容室で『短めに』切」られた男ならOKというのが女性だ!って言ってるようにも取れる。それ「女性という名前の女性」じゃね?
十人十色なら不潔だろうが何だろうがそれでいいってのがいるんだろうに。
ヒモって知ってる?
ようするに女性という名前の女性はいない。十人十色。百人百色。
余計なことを気にしすぎ、そこは考えてもしょうがないところ。
デートできる身分になってから考えろ。
とりあえず、キャバクラ 風俗 萌え産業などの、お金を払うサービス『以外』で女性との接点を増やせ。
まずは、やれることをやれるだけやってみて、
100回告白してもダメでした。とか、そういう状況になってからダメならもう1度相談したら?
そんだけ自己分析できるなら、そのうち、自分なりのやり方見つけるでしょ。
とりあえず、顔がダメなら清潔で『ベーシック』な服装・毎日の洗顔・髪は美容室で『短めに』切る。毎日セット
ぐらいは最低限始めたら?ダメはダメなりに『底上げ』することは重要。
服装難しければ、ストリートの服装が一杯載ってるホームページか雑誌を買って、『無難』な物から始めれば?
繰り返しになるけど、やるまえに、女性不信とか悩んでも意味無いのは増田も言ってるとおり。やってから、この人信じても大丈夫?という具体的事例付きの相談には乗れても、やる前に女性信じても大丈夫なんて質問に答えられるかwww