はてなキーワード: 十人十色とは
http://anond.hatelabo.jp/20090613120045
を書いた者です。
一般的に、全数検査ができず、証明も不可能な場合、
「○○なんて一例も存在しない」と「○○な存在も一例くらいあるだろう」だったら、一般的には後者のほうが可能性は高いよね。
私が「いる」派よりなのはその程度の根拠。
でも証拠はないので「いるかいないか解らない」としか主張する気はない。
でもあなたは「いない」とかなり強く主張するので、単なる妄想じゃなくて何らかの根拠があるんでしょう?
この事例で感じる女がいると思うか?いるわけないだろう?
(「仮にそれが典型例だとして、たった一例を持ち出して何の意味が」とか「だからそれ典型例じゃないよ」とかいろいろ言いたいことはあるが、まあお望み通り答えましょう)
上述の通り、「いる」とは思うが「解らない」としか答えられない。
十人十色、蓼食う虫も好き好き。他人の性癖を勝手に決めつけることなんてできません。私、神じゃないし。
てかね、スカトロとか達磨とか屍姦とかあともっとグロいプレイで抜ける人間がいるんだから、それくらいで感じたり逝かされたって不思議じゃないだろうに。
一言だけ断っておくと、私、レイプ物はAVもエロ本も受け付けないので、そういう妄想はしてないです。
あと、どっちかというと、「レイプで感じる女なんていない」っていうほうが男の妄想に見える。
「女は貞淑なものであってほしい」という男の欲望になんか近いし。
えっと、「ずっと自分の事をネトウヨだと思っていた」⇒http://anond.hatelabo.jp/20090530222111を書いた増田です。
初めての投稿なので、毎日ドキドキしながら見てました。
数日経って、もう新規さんはあまり来ないと思ったので、一応今回の記事の意図と、皆さんへのレスを少しだけ書こうと思います。
今回の記事について、この最後の文章は完全な釣りですが、それ以外は本当の事です。
実際に自分の事を「ネット右翼」だと思ってた時期も大して長くなかったですが・・・
実は、今回の記事の意図がこれです。
見抜かれていたのかは不明ですが、同じような指摘がブクマコメントに多かったです。
ネトウヨを自称するって変だと思う。
人の考えなどそう簡単に分類できないものだと思うんだが、特定のページを見ていると、そういう考え方自体を拒否する人もいると考えないと説明がつかない変な文章がいっぱい
はい、皆さんがおっしゃる通りネトウヨという言葉の定義なんてどうでもいいんです。
むしろ無理やり定義づけすること自体がおかしいという事を言いたかったのです。
でも、2ch等を見るとなんでもかんでも善悪二元論的な考えに当てはめる人が多すぎて嫌になります。
「愛国なら自民党、売国なら民主党」「韓国朝鮮に侵略されたくなければ自民党、侵略されたければ民主党」「自分の考えを持っている奴は自民党、マスコミ鵜呑みは民主党」といった感じです。
マスコミにしたって官僚にしたって公務員にしたって、中は十人十色でどの党の味方という訳でもないのにどちらかの陣営に属させようとする人が多過ぎる。
そこで、自分の事を例に出してみることにしました。
=====
ひねてるな。ネトウヨというくくりが無意味と分かっているのに、わざわざ持ち出してきて、何がしたいの?匿名なんだし主張があるならまっすぐ言えば。
すいません、誤解されるくらいなら最初から言いたい事を言えばよかったです(汗
よく見かけるのが、「マスコミは麻生叩きばかり、民主党朝鮮人の味方」という文章です。
「マスコミ各社は民主党に政権を取ってもらいたいように見える」のは私も同意ですが、だからといって「マスコミは民主党陣営」と単純には繋げられません。
別に彼等は自分達の利益の為に民主党を応援してたに過ぎません。
二大政党制が現実のものとなりつつ今、「どちらの政党を勝たせるか」というカードはマスコミの手に握られる事になります。国民次第だけどw
今の状況では自民党が勝っても「勝った」で終わりですが、民主党が勝った場合に「俺達が勝たせた」という事実を作る事が出来ます。
それにより、「俺達の有利になる法律を通せよ、なんだったら次は自民党についてもいいんだZE!!」とか「うちの社員を公認候補にしろ」とかいう干渉も可能になるというわけです。(あくまでも例えです)
勿論敗れた自民党にも干渉可能です。
マスコミ各社が何処まで考えているかまでは不明ですが、「この行動は彼等にとってどういう利益になるのだろう?」という視点で見た場合の一つの考えです。
どうも「マスコミは民主党の味方」で思考停止している人が多い気がします。
そこで常に「なんで?」「どうして?」という疑問は常に必要であると思います。
わざわざ書くまでもないと思って省略したのですが、色々と突っ込まれてしまいました。
そういうのは小沢支持のブログとかを読めば納得するかなと思ったのですが、簡単に私自身の小沢一郎支持理由を書きます。
まず、小沢一郎の魅力は政策ではないと思っています。
恐らく、小沢自信も「自分個人の意見なんて政治の荒波の中では大した意味を持たない」程度に考えているのではないでしょうか?
で、それがなんで自民党離党という事に繋がるのか?という事が重要です。
「仮に小沢一郎があのまま自民党に残り総理大臣になったとしても、官僚改革はできなかったであろう」というのが答えです。
理由は簡単、長く与党に居過ぎた自民党では、官僚改革を行おうとしても自分の身を切るような事になってしまい結局は何もできない。
これが小沢一郎の改革だと思っています。
これに何の意味があるのか?という事です。
ですが、この「権力が移動するだけ」というのが非常に重要です。
てか、今までこれが殆どありませんでしたから。
これまで磐石の地位だったものが選挙によって変わる可能性を作る事によって、国民の監視下に置かれます。
官僚が国民の監視下に置かれれば、これまでの省益優先から国益優先にシフトせざるをえなくなるのではないでしょうか?
まぁ、これは政党にも同じことが言えるのですけどね。
小沢にとって民主党は「二大政党制を日本に敷く為の道具」なのでしょう。
「政策なんてそんな飾りみたいなものは後回しでいいから、二大政党制の実現が優先っしょ」な考えを小沢は包み隠しもしていません。
だからこそ「政策よりも政局優先」と叩かれるのでしょう。
ですが、小沢一郎個人の思想も一目置かれるべきであるとは思います。
小沢が常に言っている「今の日米の関係は同盟ではない、日本はアメリカと対等になるべきだ」というのは保守タカ派にとっては良い事だのに・・・・
これを非現実的と切り捨てるのは簡単です。
つまり、非現実的と思っている人は「日本ごときにそんな力はねーよwwww」って考えているのではないかと疑ってしまいます。
勿論危険要素はあります。
過去にこれを言って実行に移して失敗した外務大臣の名前を我々は良く知っているはずです。
まぁ、松岡洋右さんの事なんですけどね・・・
ネットで政治の話を出すと必ずと言っていいほど出てくるコピペです。
しかも本人が本当に言っているからタチが悪いw
これって言い換えれば「日本列島は日本人だけのものじゃないし、アメリカだってアメリカ人だけのものじゃないし、中国だって中国人だけのものじゃない」なのですが、すぐに「日本を中国に売り渡すのか?」という反応になるのは悲しい事です。
とはいえ、私はこの発言は危険だと思います。
単なるグローバリスト的な発言と言えばそれまでですが、「グローバルな考えこそが絶対に正しい」という前提で話しているからです。
これって意見の封じ込めじゃないのでしょうか?
意見の封じ込め⇒損得勘定なしで政策実行 を孕んでいるとも思えます。
というわけで、私は鳩山由紀夫代表は支持しません。
まぁ、小沢シンパですし、あまり個人の思想や人柄で投票先を決めたりはしません。
まぁ、私にとってはそれが投票先を決める最重要事項でないだけの話です。
増田にゃんねるβに嬉しいコメントを発見しました⇒http://masuda.livedoor.biz/archives/51258267.html
これはある程度計算された「工作」じゃないだろうか?
・念の為、民主党に関する噂が本当の事なのかを確認する為に一次ソースを調べてみたが、案の定デマばかりだった。
(ここが嘘。デマだと証明する具体性が全く無い。この嘘を宣伝するのが本件の最大の目的)
ここまで細かく分析して工作員扱いしてくださるなんて!!
てか、マジで本当の事を書いただけなんで、疑われるくらいに典型的ネトウヨ思想なのかもしれません(汗
ちなみに「デマ」ですが、「民主党が政権取ると日本崩壊」についての根拠が乏しい・・・だけの話です。
「そんな事は絶対にないよ~」という事を証明できた、というのとは意味が違います。
南京大虐殺だってそう、「南京大虐殺を実際に行ったかの根拠は乏しい」と言う事は出来るかもしれないけど、「南京大虐殺はでっちあげだ」という事を言ってもそれを証明するのは不可能ではないでしょうか?
一応最初から種明しはするつもりでした。
これを機に匿名ではなく、自身のブログの方へ誘導しようかなとも思いましたが、よくよく考えてみると自分のブログは政治的な話も軍オタな話も皆無でしてwwww
http://anond.hatelabo.jp/20090402142657
↑これを書いた横増田です。変な誤解が発生してるようなので宣言しておきますが、
「空気読め」(http://anond.hatelabo.jp/20090401235551)の人とは別人です。
ついでだからもう一つ宣言、本IDはこっち⇒http://d.hatena.ne.jp/cambrian/
「知らない事は理解しようがない。理解できていない事は実践できるはずも無い」
↑こう書いたとおり、知らないのも理解できていないのも、知覚・判断能力に個人差があるのも止むを得ない。まさに十人十色。知らなかった事、理解できていない事を理由に吊るし上げられてもどうにも出来ないし、誰かをそのような理由で吊るし上げたりする事に何の価値も利益もない。
「全ての事を何も言われなくても理解している」などということが果たして可能なのか?
それでもなお、「空気を読め(=言われなくてもわかっていろ)」と要求するのであれば、それを口にする方だって「言われなくても教えられなくても理解している」のでなければ筋が通らないのではないのかね?
「知らない事、分からない事については大目に見てよ」というのであれば、他人が「知らなかった、理解が及んでいなかった」事についても大目に見なくてはいけないのではないのかな?
端的に言えばそれだけのこと。
発達障害を抱えているので、直観力というものが全く働きません。
CTスキャンでくっきり造影されるほどの「真性」障害は300人に一人だそうですが、“気質障害”“形質障害”といわれる比較的軽度な人は、日本の場合「人口の約5%」程度だそうです。
「私」を含めてこういう人は、“空気を読む””直感的に良好な人間関係を築く”能力を持ち合わせていません。
これは、そのほかの様々な身体的特徴と同様その人固有のもので、多かれ少なかれこういった障害を持つ人物に、
「空気を読め」「勘を働かせろ」と要求する事は、
※目の見えない人に『よく見ろ』という
※耳の聞こえない人に『話をよく聞け』という
このような要求と同様に「物理的に無茶な話」です。
日常的に、それなりに勘働きをして生活をしているように思われていますが、それは星の数を超えるほどの膨大なパターン認識を繰り返す事で“学習”し、不測の事態に熟練する事で補っているだけなんです。
「知らない事は理解しようがない。理解できていない事は実践できるはずも無い」
これが事実であり、真理です。いくら精神論や常識論を振り回してもらったところで、生まれつき動いていない器官が正常に動き始めるわけでは有りません。
手足を失った、あるいはそれらをもって生まれてこなかった人に、
「五体満足でないのは自分が悪いのだから、健常者のように手足を生やして来い」
とおっしゃるのでしょうか?
先年、思うところあって障害者支援・不登校支援に参加して、そこで報告される事例に心当たりがありすぎるから診断を受けたら、冒頭のように宣告されました。35歳のときです。
『誰の理解も、何のケアも受けられないで、良くこの年齢まで生き延びてこられたものだ』
そう言って驚かれたものです。無かった事にしたいほど屈辱まみれだった半生を思い起こすと、類稀な精神力を持って生まれたらしき事を果たして喜んでいいものかどうか判断が付きません。
迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、今でも心臓が止まりそうなほどの不整脈が出ますが、リスクとメリットを天秤にかけて、あえて障害者手帳は取っていません。
一見しただけでは分からない、脳や精神に関する障害をもって生まれた事が、本人だけの責任と言い切れるのでしょうか?
いつ何時、些細な差異を理由に命の危険にさらされるような、そんな不寛容な世界に、果たして「あなた」は暮らし続けたいと思うのでしょうか?
普通人・常識人のつもりな「あなた」の“無知と無理解と無関心”が、今も誰かを死に至らしめているのかもしれませんよ?
4/3追記1
その度に宣言してレスつけて歩くのも面倒なので、ここで追記する事で代えよう。
変な誤解が発生してるようなので宣言しておくが、
「空気読め」(http://anond.hatelabo.jp/20090401235551)の元増田とは別人。ついでだからもう一つ宣言、本IDはこっち⇒http://d.hatena.ne.jp/cambrian/
本IDからリンクをありったけ辿って貰えば分かる事だけれど一応書いておく。零細だけれど一応会社役員の末席で、他にも2つのNPO団体から乞われて理事や事務局を勤めさせていただいている。最初に書いた内容は、全て“id:cambrian”という立場から見てきた現実であり、あるいは経験してきた事実に過ぎない。
それがどうして“分かってちゃん”だとか“自己憐憫”だとかっていう話に転がってっちゃうのかわかんねーよ。
「正論を正論として突きつけるのは控えてくれ」と言われる事もあるけどね。今もって「迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、心臓が止まりそうなほどの不整脈が出る」のだから、「道理は道理、正論は正論」というスタンスしか摂りようがない。
対人関係で衝突が増える事なんかとっくに織り込み済みで、「志半ばで命を落す事もありうる」覚悟は完了してるがそれがどうかしたかね?改めて振り返ってみれば、命を落していたかもしれないような危機の連続を、およそ全て力ずくで踏み潰して乗り越えてきた形になっているのな。どれもこれも、「十人十色であり、みんな違っていてみんな良い」のだと信じてきたから。打たれ強いか、弱いかというなら、抜群に打たれ強いんだろうさ。
「知らない事は理解しようがない。理解できていない事は実践できるはずも無い」でしょ?
知らないのも理解できていないのも、知覚・判断能力に個人差があるのも止むを得ないじゃないか。知らなかった事、理解できていない事を理由に吊るし上げられてもどうにも出来ないし、誰かをそのような理由で吊るし上げたりする事に何の価値も利益もない。
「誰の力も手も助けも借りられなかった」からこそ、「力ずくで踏み潰して」でも生き延びてこなければならなかったのであって、そのこと自体を今更どうこうは言わない。だけれども、
もし、只ひたすら助けを求めて泣き叫んでいるだけだったらどうだったんだろうか?
とか、
もし仮にここまで生き延びてこれずに途中で命を落していたとしたら、「人間一人の命の危機をただ眺めているだけだった」自称普通人たちはどうしたんだろうか?
とか思わなくも無い。
それだけの事なんである。
友達を褒められなくて困る。友達が褒めて欲しいのは分かるんだけど、とっさに褒めてやることができない。何かこうやって書くとえらく見下しているように感じるだろうし、どうもそう見られてるようだ。人として良くないのは分かっている。だから困っている。褒められないパターンとしては大きく以下の2つが考えられる。
プライドが邪魔して、ってパターンはこれだろう。でも自分としては凄いものに対してはつい「スゲー」って口をつくタイプだと思っているから、コレはあんまりないかなぁ、と思ってる。それに本心では凄いと思ってるわけだから、治すのは比較的楽だと思っている。ただ、スゲーと思うポイントがズレてる、とどうしようもないんだけど。
こっちが大問題。当たり前だけど自分に出来ることを、他人がやっても凄いとは思わない(いや、幼い子とかが出来たら驚くし、ショックだけど)。自分にとって当たり前のことに驚くとかどんだけ自信過剰なんだって話。なんだけど、これにも2パターンある。
「これって凄くね?」って言われたから、考えてみると、"それってこうこうこうすれば出来るなぁ、ていうか、こっちのほうが良くないか?そのやり方だと荒いし、出来も良くない。"なんて思ってしまう。まぁ実際にはやってないし、実際にやってみると色々トラブルが出るのが普通だから、こういうのは普通に褒めてやるべきなんだろうなぁ。ただ自分の脳味噌が凄いと認識してくれない。
最近コレが多い。早い話が、最近友達が自分が得意分野で色々やってるんだけど、元々得意なものだから、大抵コッチも出来る。ていうかもっと上手くやれてしまう。それを凄いとか思うわけがない。そんな状況で褒めるほうが友達をバカにしてるみたいで嫌だ。白々しくなるし。これはどうして良いのか本当に分からない。先輩や後輩なら"嘘"をつくのがある意味当たり前だと思っているから、あんまり苦にならないんだけど、友達となると急に難しい。
最近気づいたんだけど、自分は凄いと思う範囲が狭いんだと思う。というか、普通だと思う範囲が広いんだと思う。飯の上手さだとか、芸術品を見たときだとか、小説やら映画を見たときとか。人に勧めるほど良いと思うのはそんなにない。好きなものにはドッぷりなんだけどね。
小学校、中学校くらいまでだと本当に色んな奴らがいて、得意分野もバラバラ。本当に凄い奴らが一杯居た。自分には到底出来そうもないことをやる奴らが一杯居た。高校、大学、大学院と進むにつれて段々つまらなくなった。十人十色で皆違うんだけど、でも、でも違わない。昔の友達は自分の出来る範囲からはるか遠いとこに居る奴らが沢山居た。だから簡単に凄いと思えた、褒められた。今周りに居る友達はそうじゃない。
どうしたら良いんだろう。嘘をつかなきゃいけないんだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20090222105041
横だけど、分かってないな。史実に忠実であろうと思ったら、そんなに正確なところ言えないんだよ。そこまで断言できる証拠がないんだから。だから、「こう言えるのではないか」「ああ言えるのではないか」って言う議論をしてるんだろ。
確定させなきゃそこから一歩も進めないっての。
100年でも200年でもずーっとあなたの論も確からしい私の論も確からしいってやってろよ。ただしそんなあやふやのことをもって「歴史的事実」なんて口が裂けても言うな。「事実」が確定してないじゃないか。十人十色で思い描く「事実」が違うから自虐史観だの歴史修正主義だのと言い合うことになるんじゃないか。
http://anond.hatelabo.jp/20090104120148
男が据え膳を食べない理由は2つあるよ。
1.おなかがいっぱいである
2.おいしそうではないので食べたくない
本人も自覚している通り2の理由が当てはまったのかも。
男が据え膳を食う条件を考えてみた。
男が据え膳を食う条件ベスト5
1.相手をかわいいと思った時
2.スタイルがいいと思った時(実際にはそれほどではなくても、服装や肌の露出など含む)
4.トークの相性がいいので、あっちも合うような気がする時
5.ボランティア
まあ顔であれ態度、仕草であれかわいいと思ったらやっぱいいな、セクロスしたいかもって思うよね。
あとやっぱ男なんでスタイルいいなーと思うとセクロスしたいかもって思うよね。多少太ってても巨乳がいい人もいればとにかくモデルのようにスレンダーなのがいい人もいるから、まあ自分がこの子はスタイルいいと思う時ってやっぱセクロスしたいかもって思うよね。
エロスはこれは個人差が一番あるんじゃないかな。お酒飲んでるときにお酒をマドラーでかき回す時の指の動きとか、タイトなデニムからうっすら見えるTバックの線とか、自分から質問しておいて話が難しくなったときにこっちを見る視線が興味薄れた視線に変わる瞬間とかセクロスしたいかもって思うよね。
話をしていてやたら息が合う子っているよね。こいつとだったらM-1獲れるかもって思えるような。会話が自然とぽんぽんいくとか、無言なのに空気が自然とか、セクロスしたいかもって思うよね。
上記に当てはまらなくても、この子はきっと俺とセクロスしたいんだなと思ったら据え膳食うこともあるよね。
ところで、男子が女子と付き合うと言うことは、「据え膳を食う」ことではなく「その膳しか食わない」という約束をするということだよね。
「その膳しか食わない」という約束をするのは膳を食うよりも重い。当然上記の条件は十分条件から必要条件に格下げになる。結婚となるとむしろ必要条件ですらなくなることもある。
「その膳しか食わない」ことを約束するときの3つ条件
1.膳が美味い
2.約束しないとその膳が食えない
3.この膳があれば他の膳はいらないと思える
「その膳を食う」ということと「その膳しか食わない」ことは全然違うことなんだよ。
自分という膳じか食わないことを約束してもらうことが目的なのであれば、上記3つに当てはまる状況に相手を追い込む必要があるよね。
これはそういうゲームなんだと理解した方がいい。直接告白した方がいいなんて言っている人はゲームを理解していない。
逆に男はそういう状況に追い込まれないで膳を食ってやろうと動いてくるよね。
「体を許す」というのは女子の持っているとても強力なカードなので、それを何の戦略もなしにサクッと切ってしまうとゲームには勝てない。
男も「食事に誘う」「面白い話をする」などのカード切って相手を喜ばせようとするよね。その中に「付き合う」とか「結婚する」とかのカードがあるんだ。最近の女子はそのカードをいかに引き出すかということに躍起になっているから「婚活」などと揶揄されたりするけど、みんなゲームのルールは理解しているんだと思うよ。
でも大事なのは、どんなカードを持っているかではなく、どのタイミングでどうやってカードを切るかなんだよ。このゲームの勝者に求められるのは戦略とコミュニケーション能力。
「膳が美味い」と思ってもらうためにはもちろん素材の良し悪しもあるけど、調理方法や創意工夫が必要だ。相手がどんな料理が好きなのかリサーチもした方がいいだろう。おいしいお店は料理が楽しめる色んな工夫が施されているけどそういう工夫が大事だよね。心意気が伝わるような。
結局は相手をどうやって喜ばせるかってことなんだと思う。そのために創意工夫を常に考えて実行するんだろうなぁ。
君がこのゲームの勝者になることを祈っているよ。
こっちの人にも言えるね。
http://anond.hatelabo.jp/20090104044922
追記:
コメントや返信たくさんあってびっくり!
て人気エントリーになってる!
確かに。据え膳食わない理由はもっとあるわww
どれも怖いねーーーークワバラクワバラ
ブコメで
「この膳があれば他の膳はいらないと感じる」/雄の本能に勝ちうる不可価値ってなあに
てのがあったので自分なりに考えてみたよ。
やっぱり、「想い」なんじゃないかな。
「自分の人生はこの人と出会うためにあったのか」って神に感謝したりとか、「この人に子供を産んでもらって一緒に家庭を築きたい」とかそういう「想い」。
あと、「膳が据えられたことがない」というコメント。確かに。
朝起きたら膳が据えられていたなんて実家の朝ご飯の食卓みたいなシチュエーションなんて2次以外にはなくて、やっぱこれもいかに女子に「据え膳」カードを切らせるかって戦略が必要なんじゃないだろうか。
男子側の戦略で大事なのは女子の「据え膳」カードは切ってもなくならない。ってことを念頭に置く。でもってある意味非情に、
・カードを切らないと「付き合う」カードが出てこなそう。切っても出てくるかどうかわからない。
・もう切るカードがない。
・でももっと一緒にいたい。
って状況に女子を追い込むことだ。
始めるまではなにから手をつけていいかわからないけど、わかってくるとどんどん効率化できる。
自分の得意なカードの集まりをオブジェクトとしてまとめておくといいよ。
どんどん無駄なカードを切らなくていいようになるし、カード選びではなく戦略を立てることに集中できる。
相手の気持ちがより深く理解できるようになったり、喜ばせる一言が上手く言えるようになったり。
プレゼントだって何をあげるかよりもどうやってあげるかを人に合わせてできるようになる。
もちろん仕事でも男同士での付き合いでも相手の気持ちを慮って言い回しや行動を変えていくことの重要性を否定する人は少ないだろう。そういうことにとても役に立つスキルが身につくよ。
このゲームは最高に気持ちよくて人生の役にまで立ってしまうゲームなのだ。
ゲームを始めるのは簡単だよ。
身近にいる気になる女子に「そう言えばこないだめっちゃ美味いスイーツ見つけたよ」とか「ポニョみた?涙が止まらないよ」とか話してみて毎日話しかけるのを1週間続けたら「今度一緒に行かない」って誘う。それを10人くらいに声をかけてみる。ことから始めてよ。断られても気にしない。「行かない?マジで?人生は短いのにもったいない」って気持ちでNOの返答も受け入れる。1人で成功しても10人行かなきゃ意味無いよ。ゲームに上手くなるのが目的だからね。
しかし、40-50代で派遣でしか仕事を得られなくて、かつ貯蓄も無くて、更に切られて次も探してもらえない人ってのは
どういう人生を歩んでどういう風に人と関わってきたんだろう?
事情は十人十色でしょうし、派遣とは違いますが、参考までに: Amazon.co.jp: 今日、ホームレスになった―15人のサラリーマン転落人生: 増田 明利: 本
書評より
本書に登場する方は、その多くが国立大をはじめとした有名大学を卒業し、
リストラや不慮の事故によってホームレスとなってしまった人たちだ。
生まれつきホームレスの人なんてまずいないし、ホームレスになりたくてなる人なんているわけがない。
そんなことは頭では分かっているが、正直私たちはホームレスを「そうした別世界の人種」と
考えがちであるし、「普通に生活してればああはならない」なんて頭のどこかで考えている。
しかし、本書に登場する方は皆が普通、いや明らかに普通以上の人生を歩んできながら、
不慮の事故や年齢を理由とした理不尽なリストラ、土地価格の暴落などによって、無資産となってしまった人たちなのだ。
「いつ何が起こるか分からない」
あと、若い頃から日雇いや派遣を繰り返してる人の方が不況の時の立ち回り方を心得てる分だけマシです。
正社員として真面目にこつこつやってきた人ほど、放り出されたら潰しがききません。
そうだなあ。情報量が少ないのでうまく言えないんだが、少しだけ補足しておく。
まず一番引っかかるのはこの部分。これは夢を諦めたって事で良いのかな?
そうだとすると、諦めた理由が大事になってくるかな。金銭面か合わないことが分かったか人間関係か健康上の理由かその他か。
やむにやまれない理由だってあるからね。
あとは自分が書いたことへの補足。親の言うことが信用できないなら尚のことだけど、今後の自分の進む道を考える際に金銭面での援助が得られにくいんじゃないかなと思ったから、親とは話をした方が良いって書いた。(場合によって歩み寄ることが出来たときに金銭的な援助が期待できる。)でもそのためには少なくとも自分自身の希望をはっきりさせておかないとまずいし、意見が食い違ったときにどうするかも考えておいた方が良いかも。
次に、人の意見を聞きすぎて人の意見を聞けなくなったのは、それはそれで一つの成長なんじゃない?人の意見は十人十色。全てを聞こうと思ったら矛盾だらけになるし、取捨選択するのは自分しかいないんだから、多種多様な意見を聞いた上で良さそうなものを、「俺はこれを選ぼう」って自分で決めればいい。そう考えられる一つ前の段階に来たんだと考えられないだろうか。
友だちがいないのも、いらないと思っていていないのと欲しいと思っているけどいないのでは全然違う。いらないと思っているのなら、それはそれで君の価値観だから私がどうこう言えるものではないし。
欲しいけどいないのなら、仮にどんなとこでもいいから「学校」に進めるのならば、これからつくるチャンスはいくらでもある。
あとは君のおかれている環境によるけど、私の周りには社会人になってから大学に入り直した人もいるし、2浪以上している人だっている。
君の学力も分からないから当てずっぽうなアドバイスになっているかも知れないが。社会人になるときの世の中の景気によって人生いろんな方向に転がる人間が大勢いるんだから、まずどうしたらいいかってじっくり落ち着いて考えることでしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20081130034946
上の無い知恵絞って必死に適当に書いたまとまりのない文章がなんか様々な反響と参考になる意見を沢山もらっていたので
これを元にもうちょっと掘り下げてチラシの裏に自己分析(診断?)してみます。
*
「長所は短所の裏返し」とのことなので、じゃあ短所を長所に昇華すれば(ry
もうこういう発想の時点でダメな気がする。気休めの捏ね繰り返しにすぎないと思うけど。欠点は欠点だし。
まあ「どこを見ても努力の証が見えない能無しだから」とかだけ言ってしまえば
それで俺は大満足だし皆も言うことないだろうからそういうのは自重する。
一番短所だと思ってるのは、学生時代からずっとコミュニケーションが苦手なこと。
その要因は「滑舌が悪い」「話が面白くない(笑える、興味深いという両方の意味でも)」「声質が変」「声が小さい」「自分の顔が嫌い」「無神経で失礼」
といろいろ。「面白くなくてそれで人間のつもりか」なんて思っちゃってるから、自分からコミュニケーションを取ろうとすることもなく、
克服するために路線バスを利用して料金を払う際に声を出して「ありがとう」と言ってみたり、声を使う仕事に就いてみようとしたり、
「話し上手」なんて無理だから「聞き上手」になろうと聞き手としてどんなアプローチが望まれるのか研究してみたり
ネット上の文章投稿で訓練とばかりの怠惰をしながら「コミュニケーション能力上がらないかなー」みたいなことは思ってたけど
それらが実ることはもちろんなく。そもそも努力ってレベルに満てないから。
そういうこと言ってるけど、実際の所は他人の、主に無神経さによく腹を立てたり憎しと思っていたりで、別に博愛主義者ってわけでもなく。
その辺は、子供の頃に人をからかって遊んでたことは隠せないと思った。
俺はこの短所はどうしようもないと思ってるけど、それでも長所に混ぜ返せるものなのだろうか。
*
そんなこと考えずに一心不乱に努力しろってのが正解に近い答えだとは薄々気づいているのだけど。
そもそも自分には実になる努力は無理、ってのは非建設的なのでやめておくとして、
目標を達したとしてもコミュニケーションが怖いからとか、目標に先立つ自信がないから動けないとかで。
*
自分を好きになれるというか、自信を持つこと、その理由を能力か他人以外にどうしても見出せない。
そういう理屈じゃないとは思うんだけど、誰かうまい自信の持ち方とか教えてくれないだろうか。
自信について、充実した人生送ってる母とか、能力生かして世渡り上手でリア充やってる姉とかに聞いてみたら
「誰も自信に満ち溢れて生きてる人なんていない」って共通した回答が返ってきた。
これは才能なんだな、って思った。
自己陶酔は自信のために必要で、それを表に出すのが驕りに見られるからダメなのかな。
そうは分かっても、自分の体のどこにも自分の好きな所はないんだけど。今のところ。
*
人と比べるというのは、なんか違う気はする。確かに負けず嫌いな思いは強いけど、人の良い所だけを見ようとは思ってない。
自分の好きな言葉には「十人十色」とか「一長一短」とか「攻防一体」とかあって、
俺と付き合って損なことも一杯あるけど、同じぐらい得なこともあるよって心意気で人とは付き合いたいと思ってるけど
*
「自分を嫌いと言っておきながら結局自分が好き」という自分ツンデレは、人間としての、抗し難い最低限の防衛機制だと思ってる。
それを含めて自分が嫌いで、そこは持ち上げるには値しないと思う。ここに書いてるのは、部屋に閉じこもってばかりじゃ価値観が広がらないからで。それも怪しいけど。
*
10才の頃に何してたかなんて、そこまで分析するのはどうかなと思った。
その意味を疑問に思うし、過去からは何も生み出さないっていうし。それに絶対途中でうわあああああああああああああああああああってなるからやりたくない。
こうやって自分にクヨクヨしてるのも、そんな風に今の自分の主観というフィルタから見ているだけだからで、
そのフィルタを外すか、とっかえる方法を見つけないとどうしようもないと思う。
*
・そのパラドックスは怪しいかも。自覚が無いあたりその気がありそう。
・そもそもゼネラリストと言えるほど知識が身につくかどうか・・・
・「自分を受け入れてくれる場所」はネット上で探してるんだけど、IRCでもmixiでも2ちゃんねるでもはてなでもTwitterでもないとは感じてる。
*
あー、やっぱまとまらずに長いだけの文章になった。分析と言えるかも怪しいな。要は非モテ思考だよな俺。
そんななのでエゴグラムという、より客観的な自己分析をやってみたらこんな感じだった。
そうと言われたらそうなんだろうけど。
「脱・オタファッションをしたいなあ」って人、何となくと思っている人も考えると結構居ると思うんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20081014180800 とか有村さんとか。
けどね、そーゆー人たちって
http://anond.hatelabo.jp/20081013211518
こういうさ、具体的な実践方法がほしいわけじゃないの。正確にはほしい場合もあるんだろうけどね。
じゃあ、何がほしいのかというと「ファッションに対するコンプレックスを無くしたい」って事なの。まあ、これは自分が前々から行ってるから、自分が誰か解る人もいるかもしれんが気にしない。
んでね、その「ファッションに対するコンプレックスを無くしたい」ってのをかなえる時に「ファッションセンスを磨く」という方法を選択した時に初めてあのエントリみたいな具体的な実践方法が役に立つ訳なの。
けどね、この「ファッションに対するコンプレックスを無くしたい」ってのを叶える為に「ファッションセンスを磨く」ってのを選択したって課程を省いてアドバイスなんて受けても駄目なの。上手くいく場合もそりゃあ有るだろうけど、まあほとんどの場合モチベーションとかの問題で駄目になるでしょ。
だから、悩んでる人は、まずね、「自分のファッションに対するコンプレックスをなくす」為にはどうするのか?ってのを考える必要が有るわけ。その上で、その方法の一つとして「ファッションセンスを磨く」ってのを選んで、そのまた方法の「一つ」、あくまで「一つ」としてあーゆーのを見るってのがあるの。(んで、個人的にはあの増田とかの、考察が超浅いファッション指南なんて、有村さんとかの考察が深い人には役に立たないと思う。スイーツ(笑)じゃなくても、割と人の意見を深く考えずに受け入れられる人ならあの増田の指南はまあ有効かもしれないけど、そういう人はコンビニの男性向けファッション雑誌見た方がよっぽど良いよと、あの増田記事を全否定しておく)
んで、「自分のファッションに対するコンプレックスをなくす」為には他にもいくつかあるんだろうけど、それはコンプレックスの克服法なんて、十人十色というか、絶対的なアドバイスなんて無い訳で、そんなの自分の性格とかと向き合ってどうするのかって話で、自分で方法を探すしかないんだよね。
まあ、がんばれと
Amazon.co.jp: 上司は思いつきでものを言う (集英社新書): 橋本 治: 本
Amazon.co.jp: 会社は頭から腐る―あなたの会社のよりよい未来のために「再生の修羅場からの提言」: 冨山 和彦: 本
「『空気より重い空飛ぶ機械』は不可能だ。」ロード・ケビン、英国学士院総裁
「ギターバンドはもう流行らない」と言われて、大手レコード会社デッカのオーディションに落ちたビートルズ
「将来コンピュータの重量は、1.5トン以下になるかも知れない。」
Popular Mechanics誌、科学の果てしなき進歩を予測して、1949
「家庭にコンピュータを欲しいと思う人などいる訳がない。」
ケン・オルソン、Digital Equipmentの創設者・社長・会長、1977
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
鳴かぬなら、鳴かせてみよう、ホトドギス。
鳴かぬなら、鳴くまでまとう、ホトドギス。
Amazon.co.jp: 戦国武将に学ぶ処世術―信長・秀吉・家康: 津本 陽: 本
やっとわかった。そんなものは技術者の驕りだと。
だから、哲学とか社会科学とかには人を幸せにする方法が長年考えられてきていて、それをうまく使えば面白いものができると思った。
いろいろ漁ってみた。社会システムとか精神分析とか確かにいろいろ考えられていて面白いけど、いま一つ触れることのできない何かがあるような気がした。
たぶん、やっぱりそれは心なんだろう。
20世紀に爆発的に発展してきた科学によって、いろんな意味で豊かになったけど、幸せになった人が増えたかはどうだろう。科学が発展する前から幸せな人はいるし、幸せじゃない人もいた。そして、科学の発展とともにその割り合いが増えたか減ったかは正直わからないところだと思う。そして、日本の金持ちがアフリカの子供より幸せだなんていいきれない。
どんなに議論しても、人の心は十人十色。その人が幸せだと思わない限り幸せではなく、技術がとかサービスがどうこうというのは違う。生活を豊かにはできても幸せにする方法なんてない、技術力で世界中の人を人を幸せにするなんて幻想だと。
例えば、はてなで結果的に幸せにな人もいれば、そうでない人もいる。でも、これはサービスのやり方というよりは、使った人やネット上でかかわった人の考え方一つでしかないと思う。だから、サービスや技術の作り手としては、一人でも楽しんでもらえるようにするようにすればいいと思った。
幸せにするなんてのは、目の届く範囲でがんばって、あとはネットをつかって広くアプローチできるのだから、楽しんでもらえるものを作って自分も楽しめばよいと。
とりあえず、そういう方向でがんばろうと思う。
#そんなにいろんな分野を網羅したわけではないけど、一番影響を受けたのはチクセントミハイです。
それで十分酒は美味い。
それでも不味いんならそれは自分自身の何かが病んでいる証しだ。』
娯楽ってのは基本的に楽しんだものが真の勝者だし、
ゲームは特に能動的に自分から「遊ぶ」余地が大きいものだけれど
自分も負けず嫌いの極めたがりなので
わりと増田の気持ちはわかる気がする。
ゲームも人生もそうだけど平等であることが必ずしも面白さにつながるとは限らない。
有利な面があったりハンデがあったりで自分ならではの物語が生まれるから楽しかったりね。
自分の場合は負けてイライラしたときは本当の敵は自分なんだ、と考えるようにしてる。
「相手が強キャラ、厨戦法使ってきたから」とか「運がわるかった」とか責任転換するより
「自分のできることをすべてやれたのか」という基準から考えれば前に進みやすい。
自分ができることや、持ってる強みを意識するのも大切かも。
できないことをやろうとすると辛いし、
まったくの初心者と比べれば知識や腕の差はいくらでも見つけられるはず。
上には上がいるのも事実なんだけど
内容通りの腕をもってるのはほんとに一握りなんだから。
(煽りだったり単に自尊心から??はできて当然、という書き込みを否定できなかったり)
他人は他人、自分は自分だよ。
スパロボ厨って言葉があろうと楽しんだもの勝ちなのは間違いない。
「強い人は自分で攻略する」って天才ゲーマーにはそういう人もいるかもだけど
だいたいゲームで強い人は貪欲でいい方向に要素を循環させてる人が多い気がするな。
(ex:攻略情報読む→それを元に攻略情報書く→得たフィードバックを読む
ピラミッドも下で支えてる人がいるからこそ上が成り立ってるのであって
勝つだけがゲームへの関わり方じゃないしね。
ネットがある今ならwikiなどで攻略情報を積極的に配信・充実させる楽しみもある。
自分は格闘ゲームが壊滅的に苦手で、
スマブラXもCOMレベル9の同キャラ対戦で安定して勝てないレベルだけど
とりあえず自分が上達できそうな余地は潰せたと感じたからそれなりに満足してる。
いまでもwikiのそのキャラの攻略ページには自分が書いた原型の形跡がだいぶ残ってるようだし。
苦悩するほどゲームが好きならそういう方向もありなんじゃないかな。
あとは自分にあったゲームと遊び仲間がみつかれば最高なんだろうけれど。
自分はカードヒーローを数ヶ月停止してまた再会してを繰り返してるけれど
やはり自分にあったゲームで遊び仲間と対戦するのは格別。
ネットでのみだけど8年くらいのつきあいになれば気心もしれるしね。
相手の顔が見えない分うち解けるのも難しくないし、
わりと気楽に仲間をつくれると思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080824041507
これを見て思った。
「あぁ。人々が必要としている教育っていうのは、技術であり、手法なんだ。」と。
現実生活で役に立つ、How to や ライフハック(笑)なんだな、と。
基本を知りたい。目標を持ちたい。達成感がないとやってけない。・・・
アホかと。
目標が教師によって設定されて、お前らは悔しくないのかと。
自分で目標くらい立てろ、と。
あれか。
すがるものが無いと不安か?
ぬいぐるみ抱っこして無いと寝れないのか?
元来目標なんてのは、自分で立てて、自分で達成するものなんだよ。
宿題は教師によって設定されたものだ。
それを終わらせてもまったく意味がない。当然のことだ。
たとえば社会科。
みんなも行った、町探検。
俺が設定した目標はこれ。
3. 小単元の目標と評価規準
学校のまわりの様子に関心を持ち、地形や土地利用の様子などについて、自分から進んでフィールドワークによる観察や調査をし、白地図に記入したり、絵地図や地図に表現したりすることを通して、地形や土地利用の様子には場所によって違いがあることや、主な地図記号を理解し、地域による特色があることを地形や交通などの条件から結びつける。
4. 本時の学習指導
(1) 目標
・学校のまわりの様子を地図記号で表そうとする《社会的事象への関心・意欲・態度》
・地図記号への理解を深め、適切な記号を用いて地図へ表す《観察・資料活用の技能、表現》
これだけ。
誰だって達成できる。そんな目標を元に授業を作ってるんだ。
というのは嘘で、指導案上には実は技術を教える場面がいっぱいある。
それは、「児童からの問いかけがあった場合」だ。
これが厄介。
子どもたちは十人十色。何が質問されるかわかったもんじゃない。
たとえば、地図記号の由来。
実は、この授業をするにあたって全部調べてある。
ただ1キロにも満たない町探検をするのに、放課後デジカメ片手に100枚くらい写真を撮り、電柱の位置まで把握してある。
そういう下準備があるからこそ、子どもたちに「自由にやらせる」ことができるんだ。
どういった事態にも対処できる。どういう発問も拾い上げて答えを「教える必要があれば」教え、全体に周知することも欠かさない。
児童:「こんな葉っぱの木があって…。」
教師:「あぁ、あのお店の近くね。」
こういうの。
そういう児童と教師の双方向の作用があって、授業って言うのは成立すると思うんだよね。
少なくとも学校では。
「自由に描いてごらん」という教師の指導の裏には、どんなことでも対応できるという裏づけがある。
だから子どもたちはそれに疑いを持たず、本当に思ったとおり描いてほしい。
たぶん上は例示も悪かったので言いたいことが伝わってこないと思うから、以下に小話を。
テニス教室で、日本では指導者が「フォームが崩れているからこうした方がいい」という。
アメリカでは、「そのフォームだとこの点はメリットだが、こっちはデメリットになる。どうする?」という。
この違い。
みんなが求めているのは上かね。
だけれども、教育界は下を目指している。
そして、みんなが大好きなマスコミは、「学力低下」の指標として下の教育方法によって身につくPISAの学力調査を元に叩いている。
どっちがいいんだ?
ほら、目標は自分で立てようよ。
原作への愛なんてサラサラなくて流行に合わせて描いて儲けちゃう人もいる
原作への愛なんてサラサラなくて流行に合わせて描いて儲けようと画策するんだけどうまくいかない人もいる
そんな感じに、非エロ系も含めて十人十色の意図をもった同人作家達が混在するもんだから、
二次創作自体、否定も肯定もしようがない気がする。
ただ個人的には、元ネタ>>>>>>(超えられない壁)>>>>>>二次創作なんだよなあ。
同人誌ってのはそれを許容できる、オタク系の資質を持っている人の手元にしか届かないし、読んで面白いとも思われない。
どんだけ同人作家がキャラクターの魅力を原作者以上に引き出せようが、元ネタの存在に依存している事は覆しようが無いわけだから。二次創作品に鳥山明や尾田栄一郎やジュビロが描く様な作品は生まれないしね。