はてなキーワード: 冤罪とは
最初に、京都アニメーション関係者の皆様にお見舞いを申し上げる。皆様のどなたにも、こんな目に遭ってよい理由はなかった。亡くなられた方々には哀悼の意を表する。癒しがたい傷を負われた方々や深く傷つかれた方々に、心からお見舞いを言いたい。今現在、痛く、辛い思いをしていらっしゃることだろう。あなたは一人ではない。多くの人があなたを気遣っていることが、少しでもあなたの支えになることを願う。そして今生死の境をさまよっていらっしゃる方々に、匿名ながら応援の気持ちをお伝えしたい。どうか生き延びてほしい。
だが、こういう時だからこそ、以下の点は言っておかねばならないだろう。
今回の犯人――状況からみて病院に搬送され警察に事情聴取を受けている男が放火犯本人であるという前提の下で話を進めるが、他の多くの事件においてこのような前提を置くことは危険であることをご承知おき願いたい――が憎むべき罪を犯したこと、その罪は厳正に裁かれるべきこと、この点にはなんら疑いはない。個人的には、どこかで火災に遭って焼け死ねばいいのにとは思う。しかし、それはそれとして、彼を死刑にすべきではない。
死刑は撤廃するべきだ。たとえそれがどのような憎むべき極悪非道の人物であっても、死刑に処されるべきではない。理由の第一は、冤罪の危険性だ。今回はたまたまかなり高い確率で真犯人であろう人物が捕まったが、一家四人が惨殺され放火された別の事件では、おそらく真犯人ではないであろう人物が死刑判決を受け、現在も再審請求中である。人が人を裁く以上間違いはどこにでも存在する。間違った人が首を吊られるなどということはあってよいはずがなく、誤判をゼロにすることが不可能である以上、冤罪で処刑することを防ぐためには死刑を撤廃しなければならない。
理由の第二は、それが真相の究明に繋がらない場合も往々にしてあるからだ。中には改悛して洗いざらい吐いて刑場に向かう死刑囚もいようが、どうせ死刑なのだからとすべてを投げ出して語るべきことを語らず処刑される者もいる。仮釈放のない終身刑にでもしておけば、数十年後に重い口を開くことがあるかもしれない。被害者がどうして殺されたのか、本当の理由を知ろうと思うのなら死刑にせず生かしておいた方がよい。
理由の第三。死刑は過激な犯罪者を焚きつける可能性がある。オウム真理教の幹部を集団で処刑したのには開いた口が塞がらなかった。そんなに「国家権力に処刑された尊師と幹部たち」という物語を演出して、オウムの残党に彼らを神格化してほしかったのだろうか。死刑になりたかったから子供を大勢殺したのだと言い放った死刑囚がいた。彼らのような人物は、刑務所で死ぬまで惨めに生かしておくべきだっただろう。世の中を恨み、せめて大きな衝撃を与えてから死んでやろうと目論む者――ひょっとしたら、今回の放火犯もそういう動機を持っていたのかもしれない――に、死刑制度は大きな誘因を与えてしまう。彼らを英雄や殉教者にすべきではない。
理由の第四。欧州連合やスイス、ノルウェーといった主要な先進国は死刑を撤廃し、日本に強く死刑の廃止を求めている。彼らは死刑をその国の人権感覚の証と信じており、そして彼らの主張に同調する国は増えている。これが鯨食のようなそれぞれの国の伝統文化の話ならば妥協する理由はどこにもないが、別に絞首刑が日本の伝統というわけでもなし、欧州諸国、ひいては国際社会から人権侵害と糾弾されるリスクを抱えてまで維持すべきものでもなかろう。我々は中国や北朝鮮やサウジアラビアではなく、ドイツやフランスやスウェーデンと同じ側に立つべきだ。
そして、彼の行為を社会を統制するための口実にしてはならない。彼のやったようなことは事実上防ぎようがなかった。多少の安全対策で死ぬ人数は減らせたかもしれない。だが、セキュリティをどれだけ強化したところで、悪意をもった攻撃を100%防ぐことは不可能である。
犯罪防止の名の下で行われる様々な施策は、往々にして我々の自由やプライバシーと対立する。もちろんそのような行為をすべて否定するわけではない。軍用の銃器を保持する自由は制限されても仕方があるまい。だが、衆目を引く犯罪が起きる度にそれに応じた対策を採っていたら、我々の社会は生きるには窮屈になるはずだ。
新幹線の車内で凶悪事件が置きたことがあった。だからといって新幹線に乗る度にいちいち持ち物検査を受ける必要があるとなったら、ずいぶん窮屈で面倒だろう。包丁を使った通り魔事件が置きたとして、包丁の購入にいちいち面倒な手続きが必要になったとしたら、料理をする人は困るだろう。我々は秋葉原で執拗に職質をかけられ荷物を開示させられる屈辱ならよく知っているはずである。そのような社会に我々は生きたくない。
犯罪を犯す「法的な」「道徳的な」自由はどこにもない。そのようなものは認められるべきではない。だが「物理的な」自由、つまりやろうと思えば犯罪を犯せる環境を制限しようとすることには、慎重になるべきだ。
犯罪者は「事後に」厳しく罰せられるべきだ。強く非難され、その行為の報いを受けるべきだ。だが、「事前に」規制しようとするなら、それは無関係の者の自由をどこかで奪ってしまう。
包丁を屋外で振り回し無辜の市民を傷つける行為を「システム的に」抑止しようと思ったら、新居で料理道具を揃えようとするのに、あるいはふと思い立って台所に立つのにさぞや苦労するだろう。ガソリンを簡単に購入し持ち運べるのはおかしい、という主張もあったが、なぜ一人の悪人のために農機具を使用する人たちの利便性が損なわれなければならないのだろうか? そのような統制が行き着く先は中国のような監視社会だ。なんの統制もなくてよいとは言わないが――なんといっても私は日本の厳しい銃規制や航空業界の厳密な安全規則から恩恵を受けているので――我々平凡な庶民の自由やプライバシーが徐々に奪われていくことには警戒したほうがよい。
今回の事件の犯人は、相応の報いを受けるべきだ。だが彼は死刑に処されるべきではないし、彼の行為を元にして自由な社会に統制が加えられるべきでもない。
私たちオタクが自由に、幸福に生きていけるのは、自由とプライバシーが尊重された社会においてだけだ。中国のオタクが種々の不自由に耐えている姿を羨ましいとは思えない。我々の社会を監視社会にしてはならない。究極的には、自由は安全に優越するのだから。
ということで、これが死刑廃止派からの回答です> anond:20190719044907
1番は今回当てはまらないし2番は真相究明が済めばやっていいってことになるし3番はこの犯人の信者なんていないので実質的に4番の海外からの同調圧力だけってことか。まあええんちゃう。
1番は「どう考えても無実だったり10%しか疑わしくなかったり50%しか真犯人じゃなさそうな人が吊るされないためには99.99999%真犯人なやつも吊るすべきじゃない」って話やで。
個人的にはそこまで原理的な死刑反対論者ではなく、100%真犯人である人だけが処刑されるなら死刑制度存置を支持する。でも全知全能の神じゃなくて人間が裁判する以上どこまで行っても100%はありえず99.99999%にしかならないので(今回の被疑者だってそうだよ!)、その0.00001%が残っているうちは殺すべきではない。そして全知全能の神の存在が実証されない以上死刑は廃止すべき。
なんでグーグルやwikipediaで検索する手間すら惜しんでしまったのか。
いや、実際に冤罪かは俺は知らんよ。
でも少なくともいろいろモメたことがあるのはわかったよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
https://www.asahi.com/articles/ASM6S5W6XM6SUTIL03Z.html
の話。
先に属性を書いておくと
ぐらいか。
先に言っておくが、以下は賛成する。
ここらへんは、むしろなぜ強力に推進しないのか、よく分からないほどだ。
「上下関係」を利用して性行為を迫る行為はパワハラ/セクハラに属するものであり、懲罰的損害賠償を定義しても刑罰を重くすべきだろう。
当方、弱者男性なので、平社員であり、地位などないので、その意味でセクハラはない。環境的セクハラ?いつの時代の話をしてるのやら。KKOの存在自体がセクハラだとでも言いたいのか?と言いたくなる。
一方、パワハラは他人事じゃない。ぜひパワハラをなくして欲しいという意味で賛成する。
「監護者性交罪」の範囲拡大については、そもそもからしての日本の法運用の立て付けが古すぎで、現代と合ってない。昔は「監護者」の所有物だったが、今はその立て付けで「犯罪」を立証するのは無理がある。
古い所を改めるのは賛成だ。
以下は賛成しない。
大まかに言えば、「刑法犯」なのだから、「先」に何を逮捕するべきか知らせろということになる。
「不同意」を証明することなど不可能だし、「関係性」なるものを前もって分かることは難しいのが理由だ。
モテる男は、何が同意か不同意か分かるかもしれないが、KKOなモテたこともない男性が判別つくとは思えない。
最近の判例で「強制性交等罪」で捕まらないなどと考えるのはおかしすぎる。
平成29年一年間で、認知件数が1,109件。毎年大差ないので、4年で4000件。その中で無罪が4件。その数字を見て「強制性交等罪」で捕まらないと考えるのはばかげてる。
暗数があるというが、仮にどのような暗数があろうが、他国と差があるわけがない。他国とは一桁も二桁も違う。日本は犯罪のない国なのだから。
性行為は「不同意」は存在しない。「不同意」があるとすれば、常に行為の「後」だ。
当然のことだ。
ただし、この「当然」を同意しない人は、以下だと思ってるに違いない。
上記の考えは大いに間違ってる。だけでなく、「男性」を全員犯罪者だと思ってることになる。
ただし、「不同意」の解釈方法はかなり違う場合がある。いや「違いしかない」というところだろう。むしろ男女間というより、個人ごとに違い過ぎるといった方がいい。
だから法律で「暴行や脅迫があったとき」という理由が付いてる。「刑法犯」として捕まえる、しかもかなり重い罪で、なのに避け方が分からない方法は完全に間違ってる。
上記の通り、通常の男性は相手が「不同意」であれば行為をしない以上、「不同意」は常に「後」からしかない。
仮に「不同意」な相手をどうにかするとすれば、間違いなく「暴行や脅迫」が必須であり、「抗拒不能」なことになる。それは立派に今でも犯罪だ。わざわざ要件を外す必要はない。
要件が必要ないと思ってる人たちは「男性は「不同意」でも性行為を行う」と思ってるに違いない。そうでないと説明がつかないからだ。
そういう「間違った」理由は、構成要件(暴行、「準」なら「抗拒」)を無くす理由になるはずがない。
緩和するぐらいならあり得るとしても、論理的にも無くす方向は無理があるだろう。
必ずしも絶対ではないが、「関係性を利用」しての処罰規定は無理があると思う。「上下関係」でない類型を定義できると思えない。
上で書いた通り「上下関係」については、処罰すべきだという考えなので間違えないように。
何度も言うが「刑罰を科すなら先に言え」だ。
もうひとつ、間違った前提があると思ってる。すべての「女性」が弱いという前提だ。
もやはこの時代、女性が弱くて「不同意と言えない」などという前提を置くべきではない。
「不同意」ならはっきりと女性が言うべきだろう。「暴行」が怖い?でも言わないと分からないんですがね。。
もちろん、全部自分で身を守れとか言わない。不同意だったら、警察か何かに連絡すればいいだろう。連絡するふりでもいい。
何も行動を起こさないで、全然関係な他人を「冤罪」に巻き込むのは辞めてくれ。
一言で言えば「例外」というところだろう。これを考慮するのは無理がありすぎる。
かなり際物の判決で、はっきり言えば「コミカド案件」逆に言えば「検察無能案件」とでもいうものだろう。もっと正確に言えば、背後がとっても込み入ってる。
ちょっと考えてみればわかる。小さい子供に性行為する奴が通常の考えのやつだと思うか?しかもいわゆる精神異常じゃないんだぞ?
これは「準」強制性交等罪をトライして検察が負けた案件だろう。強制性交等罪にすればよかったんだ。とはいえ、それはそれで負けてると思うが。
一般常識からみたらとっても不思議なのは認める。だがこれを理由にして「冤罪」を増やすのには、特殊過ぎる。
福岡地裁久留米支部の「準強姦事件の無罪判決」もなかなかに際物で、無罪なのもしょうがない。