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2015-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20150412143139

子宮卵巣全摘になった人も増田読んでるんだぞ。

妊娠してるだけで恵まれてるんだから文句を言わないでください

2015-04-12

親が話があるっつうからいよいよ見合いの話でも持ってこられるのかと思ったら妹がガンだってさ。

予想外すぎてすっとぼけた返事しかできんかったわ。

子宮卵巣全摘らしいから、妹が結婚して孫産めば俺は悠々自適ってプランが崩れそう。

周りのノーテンキな顔したやつらがいきなり憎らしく思えてきて、無差別殺人者ってこんな感じかって思ったけど、昨日までは俺もあちら側にいて、その反対側で今日の俺みたいなこと考えてた人がいたんだろうと思うと、世界って憎しみの連鎖しかないと思った

2015-03-13

僕は正しいことを言っている

父に殴られた。癌で胃を摘出した父の拳は羽のように軽かった。

僕には勇気がない。正しいことを言う勇気が。怒鳴られたくない、叱られたくない、殴られたくない。怖い思いをしたくない。

理不尽に母を怒鳴り、殴る父を見て育った。鼻血を流す母を何度も見た。鼓膜を破られたこともあるそうだ。

父は酒を飲み、暴力暴言が増える典型的アルコール依存症だった。

そんな父は僕には驚くほど優しかった。海や公園に連れて行ってもらった行ったり、一緒にゲームをしたり、充実した日々を送っていた。

だが、父は僕のことを怒鳴ったり、殴ったことがないわけではなかった。それは母に対するそれと異なり、決して理不尽なことばかりではなかった。

僕は父の逆鱗に触れぬよう、ニコニコニコニコ笑顔を作り、楽しい楽しいと口走っていた。

さな僕の瞳の奥にあったのは暴力に対する憎悪と恐怖、そして父からの溢れんばかりの僕への愛情との葛藤だった。

僕が立派な体格だと人に言われる頃になると、父と母の怒鳴り合いは日課と化していた。怒鳴り声が交差する食卓に並べられた食事の味は怒号に掻き消された。

その頃、僕は猫を拾ってきた。野良猫赤ん坊で、死にかけていたところを保護したのだ。

猫が好きな母と僕は猫をひどく可愛がるようになった。父も、以前犬を飼っていたことがあり僕の願いでもあり承諾をしてくれた。

半年程が過ぎると、父は猫に対し度々暴力を振るうようになった。猫が気持ち悪い、部屋に入るなと怒鳴りつけるようになった。

僕は父を殺してやろうかと思った。ここまで、クズだとは思わなかった。心底見下した。

僕は猫を父の部屋やリビングに入らないようにしつけ、保護した。てか、保護するっていうなら他の人に預けりゃいいのに、って書いてて思った

このまま数年が過ぎるが、父の猫への暴力は無くなったが嫌悪感は消えることなく、怒鳴りつける習慣は変わらなかった。

そんな中、父が胃ガンになった。胃を全摘することとなった。転移はなかったが、食事は大きく制限されることとなった。

まあみろ。そうは思わなかった。ここまで酷い父なのに、何故だか、ざまあみろという思いが出ない。むしろ、生きていてよかったと思った。

父が僕にくれた愛情は本物なのだ。本当に可愛がってくれていた。憎いはずなのに、僕の心が邪魔をする。ざまあみろ。だなんて口が裂けても言えない。僕を愛してくれている人に、そんなことは言えない。生きていて良かった。だが憎い。なんなんだこれは

胃を全摘した後の父の態度は増して傲慢になった。自分障害者なのだからいたわれ、気が使えないやつだと母に当たり散らすようになった。

食事を満足にとれなくなった父のアルコールの量は日に日に増えて行き、母に対する暴言アルコールに比例して増えていった。

このまま数年が過ぎる。

ある日、僕は父が猫を殴りつけるところを目撃した。

幼少期の記憶が僕を引き止めるのを振り払ってやめろ、と言うと殴られた。蹴られた。父の拳にはもう力はなかった。殺してやろうかと思った。しかし、小さなから今まで、遊んでもらったり、話をすることも楽しくなかったわけではなかった。父が今まで僕にくれた愛情は本物だ。

殴り返せなかった。父から愛情が、僕を蹴飛ばした際に裂けた父の足を心配させる。殴られ、蹴られたが父の傷を心配してしまった。なんてダメなやつなんだろう。大好きな猫を守るではなく、矛盾した行動をとる自分自分理解が出来なかった。

翌日僕は家を飛び出した。20歳を過ぎたいい大人が家出だ。父を許せないから、ではなく父が怖かったからだ。死ね、と言われたのはさすがに初めてだったからだ。

知り合いの家を転々とし、数週間が過ぎると父から電話があった。謝りたい。と泣きながらの電話だった。

僕は父を殴り飛ばす気で帰宅した。この数週間で気持ちの整理がついたのだ。父は間違っている。僕は正しい。何もいっても僕が正しい。

家のリビングがいた父は、涙を流して謝罪をしてきた。なんて虫のいいやつ、このままぶん殴

ることは出来なかった。父からの涙ながらの謝罪が、僕への愛情を思い出させる。父から愛情笑顔、それは本物だ。この人は僕を愛してくれていて、ほんの気の迷いなのだ

僕は笑顔さらっと父と和解してしまった。殴れない。こんなクズ。と思うはずなのに殴れない。どうしてだ

父の猫への嫌悪感は消えなかったが、暴力はなくなった。

しかし、母への暴力暴言は減ることがなかった。

家出騒動の数ヶ月後、母がついに逃げた。父の暴力に耐えきれず逃げた。僕は心底父を軽蔑した。が、父から愛情邪魔をする

僕も母のようにまた家出し、孤独にさせるという復讐も出来たはずだ。しかし、父は父なのだ愛情をくれたかけがえのない父を見捨てることは出来ない。

父は連日浴びるように酒を飲むようになった。母は一ヶ月が過ぎても連絡がつかなかった。

僕はこの問題に関して一切関与しなかった。家族のゴタゴタに巻き込まれるのはもうゴメンだと、体に染み付いてしまっているのだ。

そんな中、父が倒れた。医学に関する知識は乏しいので詳しいことは割愛するが、多量のアルコール摂取が影響して肝硬変引き起こししまったらしい。

病院に運ばれた父は生死を彷徨った。手術室の前で医者から最善は尽くしますが、覚悟はしておいて下さい。と言われた。こんなセリフドラマ以外で聞いたことがない。

このクズ、母に暴力を振るい、酒に溺れ死にかけるなど、自業自得じゃないか。と軽蔑するも、僕は父の容態を本気で心配していた。このまま死んでしまえ、なんて思えない。こんなクズ、死んで欲しくない。この気持ちは自分でも意味がわからない。なんだこれは

深夜と朝の境目頃になると、母の実家に一報が入ったのか、神妙な面持ちで母がやってきた。一ヶ月ぶりの対面だった。

母と僕は無言で手術室の前のソファで待っていた。

大手術だった。日が登り昼になるか、といった頃に医者が出てきた。

なんとか、容態は安定しています。このまま回復するでしょうとのことだった。

涙が止まらなかった。客観的に見ると僕は手術室に乗り込んでメスを奪い止めを刺しても良いぐらいなのだろう。

だが、涙が止まらなかった。生きていてよかった。母の神妙な面持ちは消えることがなかった。

その後、僕は久しぶりに声を交わした母から離婚検討しているとの旨を聞いた。

しばらく考えた。こんなクズと一緒にいてやることはない。自由になって欲しかった。

答えがでた。僕は母に懇願した。

父を、見捨てないで欲しい。最後のチャンスを与えて欲しい。可哀想な人なんだ。ただ、弱い人なんだ

なんて俺は身勝手人間なんだろう、母の人生をなんだと思っているんだ。

だが、父は父なのだ。こんな人間クズだとも思うし、本気で底辺人間だと思う、ただ、弱いんだ。弱い人なだけなのだ

愛がない人間ではないのだ。愛を持った人間なのだ

母は離婚を取りやめることにした。退院した父は胃に加え肝臓までもが機能しなくなってしまった。

父はそれ以来アルコール摂取することは無くなった。母とは比較的良好な関係を築けているようだ。

父の傲慢な態度は完全になくなったわけではないが、暴力暴言は完全に無くなった。

なんか書いてて美談チックになってて気持ちわりい。正直今でも僕は父を軽蔑している。だが、心から憎いわけではないこの複雑な感情はまだ続いている。








(追記、手術の内容について)

まり医学に詳しく無いので間違っているかもしれないんだけど、肝臓機能が悪くなったことが影響して静脈瘤というのが破裂して血が止まらなくなったのよ。

父は心臓も悪く血液の流れを良くする?薬を服用しててその副作用として血が全く止まらなくなるみたいで、その血を止めるための手術をしてたわけで肝硬変治療のための手術じゃないっす。出血っていうと大したこと無さそうだけど比喩じゃなく体の血全部入れ替わったらしい。輸血パックの量見て引いたわ。説明すると見ての通りにくどすぎるんで適当肝硬変とか書いちゃったゴメンネ

2014-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20141116190540

まりにもお前は俺か!と思ったので、

日経ったけど、初めて増田に書いてみる。


自分も、既婚、子なし、40代

性自認女性、体も女性異性愛者だが、

小学生くらいの頃から自分が産む性であることが苦痛だ。

性自認が一致しているか性同一性障害ではないと思う。

ただ自分性別に納得はしていない。

大人になったら納得できるかと思ったけど全然だめだった。


先日子宮筋腫になって、

全摘したら産まない性になれるかと思ったが、

夫に反対された。

10年後にはあがって産まない性になれると思いながら、

つらい更年期を乗り切っているところ。


自分場合は、原因は母親だと思っている。

女は損だみたいなことばかり言われてきた気がする。

女の子なんだから気をつけなさい、みたいに。

腐女子なのも、自分性別否定したい心理のあらわれだと思ってる。

拒食症みたいな時期もあったし。

拒食症も原因は母親との関係自己否定であることが多いらしい)

母親のことは、この年になってもまだうまくいなすことができない。


子どもが嫌いでも日常生活別に困ることなから

元増田もなんとか折り合いをつけて楽しく暮らしていければいいんだけど。

2014-10-13

妻の乳がん発見と男の影

妻の乳がん発見と男の影

 妻に乳がん発見された。早期発見だが、片方の乳房全摘出することになり、かなり気落ちしている。

 妻とは共通の趣味である音楽で知り合った。音楽と言っても演奏する方で、それも固定のバンドではなく、同じ音楽好きな人たちがスタジオに集まって演奏する、という形のサークルのようなもので知り合った。結婚したのがちょうど1年程前。

 妻をサークルに連れてきた友人含めてサークル内で知り合った人たちでバンドを組んだりして、これまでごく普通生活をしていたので青天の霹靂だ。

 手術は半日、その後一週間入院。摘出した側の腕はリハビリ必要ということで仕事はしばらく休職することになった。

 手術は入院先の病院と執刀医のスケジュールの都合で1か月後となり、それまでは自宅療養。がんといっても胸のしこり以外に症状があるわけでもなく、手術するまでは特に生活に支障はないが、精神的に不安定かつ、診断結果を聞いた日から熱が出て、入院までは自宅で寝て過ごすことが多かった。起きている間は気持ちが落ちるような環境を一切排除したいとのことで、録りためたバラエティ番組をひたすら見ている。録画を見尽くすと、ツタヤバラエティ番組DVDを借りて来て見る、という生活

 番組を見て笑ってる時はいいのだが、ふと気が付くと横で泣いてことが多々あり、家にいる時はテレビを見るか、妻の涙を拭くのが専らの仕事となり、バンドも休止したため、自分ギターを弾いたり、音楽聴く時間ほとんどなくなった。俺は結婚してから職場で異動があった関係で土祝も出勤になってしまったため、今の妻の精神状態で家に独り残しておくのは心苦しかったが、なるべく仕事も早く上がるようにしたし、仕事以外の時間は全て妻との時間に費やした。

 手術2週間前くらいにようやく気持ち的に落ち着いてきたのか、俺の晩飯や昼の弁当を作ってくれるようになった。医者から特に制限されていることもないので、宣告前と同じように夜はビールも飲むようになったし、週末は病気を打ち明けた友人と会って飲んで、見舞いの品をもらって帰ってきたり。

 手術1週間前あたりで、妻が欲しがっていたLINEのスタンプを購入してやろうと、妻が寝ている間に妻のiPhoneを開いた。妻はクレジットカードを所有しておらず、iPhoneも私が支払いをしており、apple IDもクレジットカードを登録していないため、コンビニiTunesカードを買ってきたのでそれで購入してやろうと思ったのだ。だが、これが良くなかった。

 LINEのトークには妻とある男のやりとりがあった。その男バンドメンバーの一人だった。以降その男間男と呼ぶ(体の関係があるかどうかわからないけれど)。バンド内で既婚者は俺と妻のみだが、間男以外は全員彼氏彼女持ちで、間男は寡黙だが顔はイケメンの部類に入る顔立ちで、40手前で日々音楽中心の生活で絵に書いたような独身貴族といった感じ。

 俺はバンドのリハであまりにも練習をして来ないそいつを気に入っていなかったし、妻も寡黙というよりも暗い間男のせいでバンド内の士気が上がらない、とかアイドル好きの面食い(実際女優アイドル写真集DVDを購入するツイートをしている)などと揶揄して嫌っている様子だったので、LINE内で1対1でやりとりしていること自体が信じられなかったが、トークの内容からは前々から二人で会っているような感じだった。それも俺が仕事の土祝の日に朝から間男の家に行っているようだった。

 「週末会える?」とか「明日起こしに行っていい?」とか。手術直前には間男にも乳がん告白しており、その文面には「退院後には違う体になって帰ってきます」とあり、なんとなく体の関係を匂わせるものも。

 入院の日と、翌日(手術当日)は俺も仕事を休むと職場に告げていたので、入院前々日は仕事のやり残しを減らすため、仕事をして帰りが遅くなってしまった。その日は妻が音楽サークルのみんなに「みんなに会いたいなー」とLINEしていたのでその日の晩に「明日の夜はみんなと飲む?」と聞いたがうつむいたまま「いい」と言ったので特に会合は開かず。その後妻が風呂に行っている間にLINEを見ると、俺が遅くまで仕事をしている間に間男と会っていたようだ。

 入院前日。妻は昼間に昔からの友人(女性)と会う約束をしていた。帰りが何時になるかは聞いていたなかったが俺は前日に仕事を大方やってけていたので早く帰れそうだった。夕方から「晩ごはん食べてくる」とメールが来た。友人となのか、間男となのか分からなかったが俺は早く帰って独りで晩飯を食べながら妻の帰りを待った。

 待ってる間iPhoneを探す機能で妻の居場所を探すと、友人と飯を食べに行ける距離でもあったし、間男が家から徒歩で行ける距離でもあった。

 妻が帰って来ると俺が食べてたコンビニ弁当をやたらつまんで来るので「晩ごはんあんまり食べなかったの?」とか「何食べたの?」とか聞いてみたが生返事しか帰ってこず。風呂の間にまたLINEを覗くとやはり間男と会っていた。

 入院前日の晩飯に俺でもなく、サークルのみんなでもなく、間男を選んだのだ。体の関係があるのかは未だに分からなかったがこれは悲しい事実だった。

 そんなLINEを見てしまって、心の中がモヤモヤしたまま手術の日を迎えてしまった。手術は予定時間を90分ほど延長したものの、手術自体は無事成功し、妻がベッドごと病室に帰ってきた。これまでに医師から受けていた説明では、麻酔が切れた後は多少ボーっとしているかもしれませんというくらいだったが、帰ってきた妻の状態はそんなものではなく、息は荒く「苦しい、苦しい」とうめき、呼吸が上手くできない上に酸素マスクが口元にあるのも嫌がるといった状態でとても見ていられなかった。手をつないだり、頭をなでてやったり、そんなことも嫌がるためしばらくは看護師に任せ病室から出ることにした。昼過ぎに妻が病室から帰ってから俺は数時間を病室と同じ階の待合室で過ごし、晩飯を済ませてからまた病室に戻った。

 部屋に入ると妻は眠っているように見えたが、しばらくするとまた「苦しい」と言い出し、ナースコールを押しては喉が乾いた、腕が痛い、枕が高い、氷枕が欲しいと伝えて、まだ体が自分では動かせないようだった。何をしてやったらいいか分からなかったが看護師の作業を見てからは、ベッドを起こすだとか、飲み物を飲ませるとか自分でできそうな事は妻にしてやった。その日の晩は俺も病室に泊めてもらえることになった。その後数日は他の手術の予定がないとかで、結局俺も病院に4泊した。

 入院中、少しずつ元気を取り戻して、後半には一人でトイレに行けたり、半身を自分シャワーしたり、看護師に髪を洗ったりしてもらったりできるようになった。それ以外は自宅から持ってきたノートPCで借りてきたDVDでまたバラエティ番組を見ながら比較的穏やかに過ごした。看護師に髪を洗ってもらっている間、またLINEを覗く。「退院したらまた会ってね」だって。このモヤモヤ退院後も続きそうだ。

 入院1週間で大分元気を取り戻し、無事退院病院を後にして本人の意思で徒歩で自宅まで帰った。子供と歩くような速度で手をつなぎながらゆっくり歩いて帰ったが退院後2日もすると歩く速度も入院前に近づき、コンビニまでなら一人で歩いたりできるようになった。退院3日目には二人で居酒屋で酒も呑んだ。まだ一人で遠出はしないだろうと思っていた退院4日後にまた間男と会った。また俺が出勤している祝日の日にだ。午後一iPhoneを探すを起動すると、ちょうど自宅の最寄り駅にいる。きっとツタヤのある駅にでも行くのだろうと思ったが、ツタヤがある駅とは反対側に進んでいる。そして間男の住む駅へ。iPhoneGPS機能の精度の良さには驚く。間男の家に妻のiPhoneがある(バンドミーティングで部屋には俺も妻も行ったことがある)。結局午後1時から3時まで2時間滞在していた。

 退院後初めて会いに出かけたのも間男の所か…。

 きっと部屋で一人でいるのも滅入るし、寂しいんだろうな。でも会うのはそいつじゃなくてもいいだろ。

 この文章を打ったのがこの日の出来事。

 今後の事を考える。

 1案)現状の情報だけを妻にぶつける。LINEを覗いたことやiPhoneを探すで居場所を調べた事は怒るだろうな。

 2案)現状維持バンドも続ける。ただし、間男とは一言も話さない。妻も間男も何かしら感づくかもしれない。

 3案)バンドは続けない。間男とも会わない(間男が別でやってるバンドライブにも行かない)。間男の他のバンドメンバーとか、対バンとも夫婦で繋がりがあるので、交流の取捨選択に不自然な所が出てくるので妻は何か感づくかも。

 4案)体の関係を突き止める。入院前については調べようがないので今後の証拠を掴むにも妻のリハビリがしばらく続くのでこれはしばらく後になりそう。そもそも体の関係があるかどうかも分からない。逆に体の関係が前も今後もないなら問い詰める機会すらないのでモヤモヤを抱えたまま生活を続けることになる。突き止めるにしても興信所を頼るほかないので費用がかかる。興信所から体の関係否定された場合1~3案をまた考えなければならない。関係が発覚した場合は即刻離婚だろうな、問い詰め方はまた考えるとしても。

2013-12-20

元増田です

http://anond.hatelabo.jp/20131218115145

元増田です。

ひっそりお返事します。

男性でも同調圧力ありまくり、というのは見ていてなんとなくだけどわかる。

それが出世とか社内での地位とかにもかかわるかのような物言いをする人も多いよね。

年配の人だけでなく、若い人でも、最近2人目が産まれたとか家買ったとかそういうタイミングでなんかテンション上がってるのかしらんけど、周りの後輩に「やっぱりこれでこそ男は一人前だってわかったわ!」みたいな感じで言いたがる人いるよね。完全に冗談とかネタで通じるキャラならまだしも、半ば本気で言ってる場合、あれはとても見ていてつらい。確かにそれなりの責任感は否応なしに芽生えるんだろうが、一人身だろうが子どもがいようがいまいが自分生活にかけてはみんな自分が一番責任を負って日々がんばってんだよそれは人それぞれだろ、と。自分女でまだよかったわと心底思う瞬間。

・すいません。結婚する予定、と書きましたが婚姻届とか披露宴とかそういうのの具体的な話を進めている段階ではまだありません。

彼氏は、わたしが子どもを欲しがってないということは知っています

何度か話をして、意見が違うんだね、っていう共通認識はある。

これからも話し合いを続けていくことにはなるけれど、たぶん結論としては、わたしは子どもを産むと思う。

実はわたしは子どもを教える仕事をしていて、机上の教育論についてはそれなりの知識はあるし、よそさまのお子さんであればどんな子でも大抵の子信頼関係を築く自信はある。肝心の我が子とそれがうまくいくかどうかが最大の問題なのだけれども。

わたしの抱える問題を彼がなるべく正確に把握できるように努め、それでもやはりわたしとの子どもが欲しいと彼が思えばわたしの子どもを産む。

でなければ、養子を迎える。

その結論を出すのは結婚までの間にやっておくべきことだと思っている。

常識がない、と言われたがちょっとよくわかりません。

少子化のこのご時世に何を言っているのだ、ってこと?

女性には、やはり年配に「子供産まないなんてありえない」という反応をする人が多い。

知り合いのおばさんに、養子をとることも考えている、と話したら「産める身体があるのにバカなことを言うんじゃない!」と怒られたこともある。

こんなこと言うとクズっぽいし、それこそ「ない人の気持ちを考えてください」って話になるのだけど、子宮のありがたみなんて生まれてこの方一度も感じたことがない。もしわたしが子宮がんになって子宮全摘出しなければならないとしたらどう思うだろう、と考えたことが人生の節目節目で何度かある。思春期は、恐怖を感じた。自分自分でなくなるように思えた。しかしその恐怖も年を取るごとに薄らいだ。今はほとんどない。ていうか、ない。

でもおっぱいは、できればなくしたくはないな。楽しみが減るから。いろいろと。

ちなみにわたしの両親も、わたしが子どもを産みたくないということを知っていて、それについてはかなり理解を示している方だと思う。

家庭環境が大きな要因の一つなので、まあさすがにそうだろうね、というふうに思っているようだ。

弟一家がすでに子どもを産んでいて、孫の顔も見られたことだしね。

・こんなクズ子どもを産むということについては疑問を禁じ得ないのだけれども、たぶん、彼とこれからもいろいろ話をして、わたしはいずれ母親になると思います他人事みたいに書いていますが、他人事とは思っていません。仕事でへんなお母さんたちをたくさん見てきたので、そうはならないように、子ども自然愛情自然に注ぐことのできる母親になることが目標です。

2013-07-05

不妊萌えなんだけど

不妊萌えです。

中世世界観で、子供ができないことを気にしながら生きてる清純派処女もいいし。

過去暴行不妊になって自暴自棄になってるビッチ非処女おいしい。


基本不妊だけど何かをきっかけ(不妊治療ではない)に妊娠できるようになって、まあ純愛子供作るとか最高。

子宮全摘→戦いとかの最中に腹パンで穴が開く→何らかの能力治療→手違いで子宮復元とか。

シオンシステム三島浩司)のめがねっこさんとかやばかった。理想不妊萌え


ここまで極端じゃなくても、ガンダムSEEDの「コーディネーター同士は特定の組み合わせでしか妊娠できないが、ナチュラルならだれでもOK」ってのはたぎった。

ガンダムといえばUCマリーダさんが不妊非処女って噂を聞いたんだけど、なんか幸せになりそうにないから手を出すの躊躇してる。



おすすめ不妊キャラかいたら知りたい。

2012-10-28

不倫中の父、うつ病の母

今年は盛り沢山の一年だった。

4月に新卒入社。通信会社の営業職。

弟は大学入学した。

5月に営業研修担当者パワハラを受ける。

会社はきちんと対応してくれた。

6月に母が乳がんと判明。

7月に日帰り手術。

8月に全摘出手術のため入院

お見舞いへ行くために、頭を下げて定時に帰る。

前々から辞めたかたから、これを理由に転職

9月に弟がアレルギー過剰反応入院

直後、父のメール誤送信により、浮気が判明。

母は時期が闘病中と重なっているを知り、うつ病に。

父はしらばっくれる。母に暴言を吐く。

私には「訴える」と言ってきた。法的根拠は調べたが、全くなかった。

10月になり、不倫中の父が私に対して「生活費」を要求。

6月頃(不倫発覚前)に10月から支払うことを約束させられていた。

しかし、不倫中の人間に払う必要があるのだろうか。

約束したときと状況が異なると主張し、撤回したが、

また暴言を吐き始める。

「家を出て行け」

出て行くことは一向に構わない。

不倫中の人間に指示されることが許せないだけで。

怒りを通り越して、失望

天罰下りますように。

2011-12-30

疲れた

3月に乳ガンの手術を受けた。

右胸を全摘

経過は順調で、再発予防のホルモン剤を飲むだけ。

傷も痛むこともなく、腕も以前と同じ様に動かせる。

癌を患った訳だから健康とは言えない。

でも、私は元気だと思う。

夫は5年位前から精神科に通っている。

本人が言うには鬱病だそうだ。

毎日デパスを飲んでる。

なので私が少しでも怠そうにしていると

それだけで気になるらしく、

彼の方が具合が悪くなる。

私は元気でいなくちゃいけない。

でもさすがに疲れた。

ちょっとゴロゴロしてたっていいじゃない。

元気でいるのに疲れてきたよ。

2010-12-05

http://alfalfalfa.com/archives/1616061.html

DVDコピー、家庭内も禁止へ 暗号保護ソフト対象

思うのだけど、どうせ娯楽に割ける時間なんて労働時間の半分もあるかどうかなんだから、思い切って質はいいけど保存性は悪くして、回転率を上げてしまえばいいんじゃないかと。

つまり、保管させない。勿体無いなんて言わせない。

で、Winnyとかそういうのにある違法配信は全摘発。アップローダーやストレージダメ

それと、こういう話題になると必ず「まずは中国から」とか言う人いるけど、どんなにグローバルになろうと国外国外だよ。海賊版がーなんてのは建前で、ぶっちゃけ彼らを取り締まることなんて微塵も考えてない(考えるわけがない)んだから、文句あれば中国へどうぞ^^ってことになるんじゃないか

2010-08-30

精神が弱い父親

父親の会社倒産して、同時に母親が癌になった。

全摘してその後も色々あってとりあえず今は落ち着いているが、状況からして再発の可能性は低くない。

父親は何とか再就職して、表面上今は落ち着いているといったところ。

ところが、俺はセカンドオピニオンだの何だの、できることを色々やっているのに、どうも父親がその辺を理解してないっぽい。

「なんだそれ」みたいな。いや話しただろ。

ぶっちゃけ現実から逃げてるようにしか見えない。

今なんとなく平和だから何も考えたくない、と思っているように見える。

しかし現実は甘くない。もし母親が死んだとしても人生は続いていくし、何とかやっていかなければならない。

使えない弟達(色々な理由で一人では生きていけない)もどうにかしないといけない。

現実から逃げるような弱い精神を持っていてもらっては困る。

そもそも今生きてる母親を支えるのはお前の役目だろ。

一発ガツンと言ってやりたいところだが、それ自体が原因で心が折れる可能性もある。

どうしたものか。カウンセラーでも挟めばいいのか?

2010-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20100604000100

胃の全摘は味覚まで変わるかどうかは知らないけど、食べるという行為が楽しくなくなるらしいよ。

ただ、お母さんの事で心配だったろうにそんな扱い受けて大変だったな。

うちも全摘ではないけれど、部分摘出でしばらく食生活が変わってたけど

動けるようになったら自分でご飯を作ろうとしてたし頑張ってたなぁ。

お母さんの悪口を言うようになってしまうけど、

子供に対してあまりに未熟な母親だったんじゃなかろうか。

普通の人は少々まずくてもそういう対応はしないぞ。

その時の増田は悪くないし、その分これからいい事があるんだよ。きっと。

2008-01-18

子宮が悪くなって考えたこと

長文です<m(__)m>ガス抜きで書く。

たまにたまってくるから。

27歳位の頃に子宮筋腫になった。

劇団団長なんかをやっていた頃で、粘膜下筋腫でほぼ毎日大量出血。

何度か行った婦人科では「異常ありません」で放置していたら

極度の貧血に。具合が悪いなんて誰にも言えないし、食べても食べても

太れなかった。ひと月の内、出血がないのが一週間位になったので

あまりにおかしいと当時の師匠に相談したら、病院を紹介され、筋腫発見

「中から見てなかったでしょう?」だって。

そう・・腹の上からしかエコーかけてくれなかった。二か所の病院行ったのに。

ま、急にでっかくなったのかもしれないし、これは手術でとれたからOK。

・・・・・あれで懲りたはずだった。

無理をしてはならんのだなあと。

なのに・・・

30代でまたなってしまった。今度は多発性筋腫。

粘膜下筋腫を発症した時のような外科的処置は難しい。

だって、子宮全体がほとんど変異してたんだもの。

「手術しても残す自信ないねえ」と医師

全摘出しかないねえだってさ。

結婚して4年目。

子供子供って方じゃなかったけど、流石にショックで

母親携帯電話で報告しながら、外なのに号泣してしまった。

バカだなって。また再発してたのに、貧血の症状や体重増加も

あったのに氷の異食行動もあったのに、何で早く病院

行かなかったんだろうって。

仕事が忙しいとか前と症状が違う(太った)とか色々と

あったにしても、やっぱり自分の身体を大事にしていなかった。

懲りてなかったんだ。

誰かが同情してくれる訳じゃなく、旦那も「子供いなくても

二人で仲良く」なんて簡単に言うけど、なかなか子供できなくて

医者に行こうって言っても乗る気じゃなかったくせに何言いやがる?

って思っちゃうし。

一般的には成人女性10人中2??4人に筋腫があるとか言うもん

だから「子供ができる可能性はない」と話しても

「そんなことないでしょう??」なんて言われてたりもする。

それに病気の話って、なんて言っていいかわかんないから、話しても

相手が困るもんね。同情してくれって訳じゃなくて・・・たまに

心の中に風が吹くっていうか・・・むなしいって言うか。

「養子を取ればいいじゃん」とか言う人もいるだろうけど、そうじゃなくて

生き物として、女という性別で生まれたとして「産めない」と分かると

思った以上にダメージがでかかったんだ。

不妊治療で悩んでいる人とも違うし、なんだろう。うまく言えない。

基本的に死ぬわけじゃないから、医者もあっさりとした扱い。

「取る以外に治療法はないんですか?」って聞いても

「ないねえ」で終わり。

なんで、全部取らない方法を調べた。

子宮筋腫動脈塞栓術(UAE)ってやつね。

一昨年、それを受けた。

別に子供がいなくても確かに人生生きていけるけど、あとから

結婚する知り合いたちにどんどん出来て行く中で、何も残せない

というのは結構堪えるなあとしみじみ感じている。

それに完全に子宮を取ってないから「もしかしたら?」なんて

奇跡みたいなことを考えたり、肥大化したら今度こそ全摘出?

って怯えたりもする。

別に子供産んでいないからって、生産的な職業につかなくても

良いんだろうけど、焦ってあがいて、営業行ったり、絵やったり、

経済塾行ったり・・・それを見ている知り合いは

「いろいろと勢力的にやってすごいねえ」

って言われるけど、なんだろう・・・たまに気持ちが滅入る。

共感相手がいないからかも。

親が年取ってきて、自分らに気持の上で頼ってくるようになって

(その内、肉体的にもだろうけど)自分には誰もいないんだなあと

ブルーになることがある。頼るためっていうより、本能なのかな?

子孫を残すという。産めないと産まないって違うんだなって。

自分でもびっくりだよ。

だから、わが子を簡単に殺す親のニュースを見るとその子宮よこせ!

って言いたくなる。上手くいかないもんだよな。なくならないと

分かんないものってあるんだよね。

2007-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20071018214555

生理痛が原因で死に至る、ということは無いと思う。

子宮内膜症とか子宮筋腫という病気の症状で生理痛がひどいということはあるけど。ちなみにこれらの病気はひどくなると不妊とか子宮全摘出・・・なんてことにもなる可能性はある。

健康な人でも生理痛は個人差が大きいから「死ぬかも」と思うくらいの痛みがある人も実際いるよ。まあ生理痛と分かっているのならタクシーの方が・・・とは思うけど。それとも痛みでショック死なんてこともあるのかなもしかして。

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