はてなキーワード: ヒーローとは
>まーそれはそれで社会的弱者が一矢報いたって感じだし
残念ながら一矢報いたのはHagexにであって、
刑務所には一矢報いた人たちでいっぱいだが、誰もそいつらの名前も顔も覚えてねーよ。
犯罪ではヒーローになれません、宇宙サイズの勘違いやめよーね。
殺人者よりもマクドナルドの新バーガーとかの方が関心度10000倍くらい高いから。
マクドナルド一矢報いすぎだろ。
あと一矢報いたHagexはもう死んだので
死刑になろうが服役しようが数年後には誰も低能先生のこと覚えてない。
>正直弱かろうが強かろうがどうでもよくね? 殺人を成し遂げた事実になんか関係する?
今そんな話してるんじゃなくて服役生活の話だと思ったんだけど。
単に君の前からフェードアウトするだけで低能先生の時計は止まらないの。
低能先生なんて自分で命絶てばよかったのに自首なんてしたもんだから服役コース濃厚。
高能ゆえの選択でしたね。
>それに弱ってるならそれこそ英雄として差入れしなきゃじゃん
は?
もと南海の電車からホームに降り立つと、千頭駅にはたくさんの親子連れがいた。
妻と、4歳の娘と、1歳の息子と、チケットがとれてから、楽しみにしていたトーマスに会える日だ。
子供だけではなく、大人が見ても、このトーマスはテレビから飛び出した等身大のヒーローだ。大きさだけのハリボテではない。ホンモノなのだ。
トーマスの種車はC11-227。かつてはテレビドラマや映画で大活躍。裸の大将(雁之助の再放送)をよく追いかけていたのを覚えている。
正面にはトーマスの顔をつけ、ライトブルーに化粧をして、動輪までしっかりカラーリング。
大ベテランが子供の前で大活躍する姿をみて、Eテレの幼児番組、みいつけた!のワンワンと中のチョーさんを思い出してしまった。
千頭駅では機回りをした後で転車台で方向転換。ちゃんと顔を新金谷方面に向けるためだ。周りには子供も大人も集まっている。
転車台にのって、係員が人力で回すと、トーマスも汽笛を鳴らしてアピールする。
ぐるぐるっと向きをかえ、止まるかと思ったら、あれあれ、まさかのファイブフォーティ。魅せます、トーマス。一回転半まわって転換完了。
駅構内はイベント会場に整備され、パーシー、ヒロに、方向転換を終えたトーマスが並ぶと、地方私鉄の構内とは思えない華やかさになった。
トーマスの汽笛に合わせて、他の列車も汽笛を鳴らす。効果音ではない。本物だ。
新金谷駅の売店で買ったお弁当をベンチで広げ、子供たちの声を聞きながらお昼ご飯を食べる。ホームに入る風は山岳ローカル駅の風だ。
ただ、駅全体に子供の声があふれている。混んではいるが、人道的な混み方だ。ちょっと並べば、トーマスの前で写真も撮れる。
トーマスは発車直前まで写真撮影に応じている。煙突からは煙が出ている。発車が近くなると、黒い煙が増えてきた。
小型タンク機関車とはいえ、1,600mmの動輪径は子供の身長の倍。ホンモノのトーマスは、車輪の大きさも圧倒的だ。
みんなが並んでいるその前を再びゆっくり走り出し、再び客車に連結。
鉄道界の老老介護、最後尾の補機、電気機関車E10-2に感謝の黙礼をする。
そして、7輌の客車なかほどのスハフに乗り込む。
青いモケットのボックスシートに、トーマスのシートカバー。そして、所々にJNRマーク。
娘は、窓が開く、扇風機があると大喜び。昔はみんなこれだったと喉まで出かかったが、トーマス号とは関係の無いこと。
千頭駅から新金谷駅まで1時間強。途中の鉄橋や通過駅ではみんなに手を振ってもらえる。
特急となっているが途中の駅に止まらないだけで、各駅停車の電車と所要時間はほぼ一緒、のんびり走るのだ。
だから、手を振ってくれる人の顔がよく見える。子供はもちろん、大人も年寄りも、みんな笑顔だ。
白レンズを構えたおじさんもお兄さんも、客車が通過するころにはシャッターチャンスはすぎたとみえ、ニコニコしながら手を振る。
本命はこの後のC56-44かもしれないけど。
大井川にかかる鉄橋は見晴らしも良く、遠くから手を振る人もみえる。
吊り橋の上から手を振ってくれる人もいる。
茶畑のおばさんも手を休めて両手を振っている。
新金谷駅に着くと、車両基地の機関庫に入っていくトーマスがみえた。
子供と近くまで歩いてみると、もと近鉄電車や他の蒸気機関車とならんで、トーマスがみえた。
インプレス総合研究所の動画サイト調査によると日本で一番利用されている有料動画サイトはAmazonプライム・ビデオらしい。
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1806/18/news096.html
日本人の多くはコンテンツがタダだと思っているから、動画に金を払いたくないのだろう。それはわかるが意外だったのがNetflixよりHuluの方が人気が高いということだ。3つのサービスの中で一番利用料金が高いのになぜこれほど人気があるのだろうか。
理由として考えられるのが日本製のバラエティ・アニメコンテンツの充実である。日本人はNetflixが作る上質なオリジナルドラマよりも日本のバラエティやアニメが好きなのだ。名探偵コナンやアンパンマン、戦隊ヒーローなども配信されているためファミリー層はHuluを選ぶのかもしれない。
ちなみにdTVで「三国志 Three Kingdoms」が7月31日まで配信している。このドラマは好きだが全95話を40日で見るのはさすがにキツイので今回は見送ろうと思う。
伝説が蘇る夜ホームに帰還した刻は魔界の門(デモンズ・ゲート)に存在を保持していた
敢えて形容するならば、「それ」が今朝はツヴァイ層の魂の回廊まで新訳しており
つい今しがた、俺という凶悪な“力”の或る者により創られた空間に召喚された
アラクネに恨まれるような覚えはない、だからお前は英雄(ヒーロー)ではないが、恩返しされるオプティマもない(だがキマリは通さない)
暗黒属性だ
この増田は、増田主のブックマークに入りきらないブックマークを整理するための、メモ代わりの増田です。
[メモ][bookmark]ブックマークのメモ:2018年6月15日_①の続き。
まとメモ:はてな匿名ダイアリー(増田),togetter
「個人がアフィリエイトで儲かる時代」の終焉
「シナリオの都合で助けられないヒロイン」かどうかを確認してよいのか問題 - Togetter
『男の子だってお姫様になれる!』プリキュア屈指の名言が飛び出す神回!!!「女の子がヒーロー目指したって良いのがプリキュア」「ジェンダーに切り込んできたな」#precure - Togetter
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新幹線殺傷事件、犯行は許されませんがその背景には何があったのでしょうか - Togetter
https://anond.hatelabo.jp/20180611011239
元増田です。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180611011239
「そのためにプリキュアと、プリキュアを見て育っていく子どもたちがいるんだ」と、ただそれだけの事が言えないのだろう?
呪いなんてプリキュアを見た子どもたちがこれから打ち破っていくのだと堂々と言ってほしい。最後に覚悟が必要だと書いたのは、そういう意味だ。
お姫さま像を変えていこうという試みはもう数十年単位でずっと続いていることで、
本当に少しずつ少しずつ児童文学以外の娯楽作品にも浸透してきている。それは確か。
でも、プリキュアで例のセリフ「男の子だって、お姫さまになれる」のやりとりをしているのは
男の子がオシマイダーに捕まってるのをプリキュアたちが助けるところなので、
守られる存在というお姫さま像は、少なくともこの話の中では残っている。
これを大前提として話を続ける。
自分のなりたいなにかになる、その応援として「なれる」と言ってあげることはもちろん素晴らしいことだ。
でも、守られる存在になるという要素が含まれてしまうと、そうはいかない。
これを自らへの縛りとか、自己承認の問題だけで片付けようとしてはいけない。
どうもルッキズムの話で盛り上がっていたみたいだけど、それを続けるとどうも話が広がりすぎてしまうので
少し目先を変えてみたい。
例えば子どもの場合、子どもであることそのものが守られるための十分な条件であるし、そうでなければならない。
でも、お姫さま(≒守られる存在)に「なれる」ということを、
今まさに虐待されて助けを必要としている子どもに言えばどうなるか。
叩かれないようなお姫さまになるために、必死に自分を変えようとするだろう。
でも、叩かれる。なれるはずなのに叩かれるのは、自分が悪いからだ。
これは本当に本当に本当によく見る、お定まりのパターンだ。悪いのは親なのに。
守られるべき自分に「なれる」というのは違うんだ。
必要なのは、誰かに助けてもらうことを当たり前だと思えること、
それを通じて他人を助けることが当たり前だと思える心を育んでいくこと、
そのような循環の中で、他人を承認するのと同じように、自己承認できるようになっていくことだ。
だからいつだって、子どもたちをお姫さまに「する」必要がある。あなたは守られて当然なんだ、って伝える必要がある。
そうして、いつの日か子どもは親の庇護のもとにはない孤独な戦いを始める。
前に書いたように、現代の現実社会では、お姫さまになるためには素養がいる。これは間違いない。
偏見とか、差別とか、くだらないしがらみとか、どうでもいい風習とか、そういうことでも決まってくる。
でもさ、プリキュアは相手の性別がどうだこうだで守る相手を区別するだろうか?
自分の属性がどうだこうだで、相手に手を差し伸べるのを止めるだろうか?
「女性ガ男性ヲ守ルタメニ戦ウダナンテ、ナントイウオソロシイコトヲ!」
なんていう頭の凝り固まった老人は、きっといつの日か居なくなる。既に時計の針は回り始めて、止まることはない。
それは、女の子が誰かを助けるヒーローになれるっていうのと同時に、
誰かを助けてあげる女の子のヒーローは世界のいろんなところにたくさん居るんだ、と信じる想像力なんだ。
世界を救いのあるものにする手助けを自分もできると信じて行動していくための想像力なんだよ。
プリキュアってのは、結局はアニメだから、虐待されている子どもを助けることなんて基本的にできない。
もう一度書くけど、自分のなりたい何かになれるよ、って応援することは素晴らしいことだ。
でも、男の子だってお姫さまに「なれる」、という言葉は批判したい。それは応援のようで応援じゃない。
プリキュアは、誰かをオシマイダーから救い出してあげることで、すでに誰かをお姫さまにしているんだよ。
そしてそれが最高の応援なんだ。
ディズニーと聞いてディズニープリンセスしか思いつかない方が偏ってる
こっちは最初からディズニーチャンネルとかディズニージュニアを前提としてるんだが
「女の子も男の子と同じように何でもできる」って内容だし、宣伝でも露骨にそれを強調してる
それに気づかないほどの馬鹿親は流石に少ないだろ
親も「女の子がヒーローになるなんて変」と言う価値観は持ってないのが大多数だよ。
アニメだけじゃない。幼児向けコンテンツはその辺に気を遣いまくっている。
アンパンマン世代からメロンパンナだの色々いて、特撮にも女戦隊いて、幼児はそれに何の疑問も持ってないから。
そこにわざわざ「女の子がヒーローってのは一般的には変なんだよ」なんて古びた価値観を教える必要はない。
部落差別なんてない地域で部落差別を教えたら却って差別意識が発生した、なんて話になるだけだ。
プリキュアは「『女の子がヒーローなんて変』っていう奴が変」「『男の子が姫なんて変』っていう奴が変」なんだから、見せたら意識高くなるだろ。
「女の子がヒーローなんて変」という文脈は社会に溢れているのだから、そうじゃないよと伝えられる要素がアニメでも問題なかろうよ。
うちの娘は「今日幼稚園で〇〇ちゃんと〇〇くんとプリキュアごっこしたー」とか普通に言ってる。
(〇〇くんがプリキュアごっこに加わってる時点で、周りの子も言ってないんだろう。
うちの娘に反対する友達を黙らせて遊びのリーダーシップを取れるほどのカリスマはないし)
と言うとハグプリのメッセージが伝わったからだとか言うのが出てきそうだけど、
うちはプリキュアを一切見せてないので友達につられてやってるだけだし、やってるプリキュアごっこは前作のアラモード。
(娘の友達にアラモード好きな子が多いのか皆ハグが嫌いなのか或いは見てないのかは知らないが、
とにかく娘周辺で「プリキュアごっこ」と言うとアラモードらしい。
なんかお菓子の名前をつけりゃいいとか思ってるようで「キュア〇〇(←適当な菓子名)」というオリキャラを捏造してる辺り、
現実の幼児はそんなもんなのに、わざわざ「女の子がヒーローなんて変」「男の子が姫なんて変」という
アメリカ幼児アニメだと母親が働いてて父親が主夫、とか出て来るけど
わざわざ「ママが働いててパパが主夫なんて変なの!」なんて言わせてないのに。
やっぱプリキュアは見せない方がいいな。
見てないのは確かだが、悪役にあんな薄っぺらい台詞言わせてるんじゃ説得力ねえわ。
今時「ヒーローって男の為の言葉だよ、女の子は守られる側だろ」って。
時代物ならともかく現代日本舞台でこれ言うキャラって、おっさんでも不自然なのに中学生が言うって。
http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/ohimesamaのスクショの「正人くん」と「野乃はな」の対立自体が幼稚な展開だろ。
分かりやすーくバカな事言う悪役を正義の主人公が正論()で反論しました!ってだけにしか見えない。
と言うと子供向けに分かりやすい展開が必要だから、とか言うんだろうけど。