はてなキーワード: サラダとは
回転寿司(本マグロ三貫盛・あわびの食べ比べ・スモークサーモンハラス食べ比べ・大トロ焦がし醤油・連子鯛の炙り・真さば信州練り味噌炙り・味噌漬けかつおたたき・たらこのクリームコロッケ・プリンマロンマロンなど)
メニューに迷うと「サラダとか揚げ物とかのカテゴリから一人一品ずつ頼んで、それを皆でシェアしよう」となることがよくある。
が、仲間内で1人、いつも自分で頼んだメニューを1人で独占して食べきってしまう大学生の子がいた。
仕方ないので、同じものをもう一皿頼んでそっちを皆でシェアすることもあった。
結局その子は他の面でも空気が読めないところがあって皆からフェードアウトされてしまったけれど、ちゃんとしたオトナに育っているのだろうか。
つぶあんが添えてあるつぶあん肉じゃが、ポテトサラダにこしあんが練り込んであるこしあんポテサラ、大豆と小豆の不協和音が楽しめる納豆つぶあんパスタなどなど…
そして餡が最初から視界に入っている場合はまだマシな方で、本当に恐ろしいのは突如口内に餡が出現するアンブッシュ、いや文字通り餡ブッシュである
「今日はハムカツか(よかった餡がかかってなくて)」と思いながらソースをかけてかぶりついたところ、薄いハムとハムの間から突如現れるこしあん
こうなるともう脳の処理が追い付かず味覚は大パニック 食べてみるまでどんな味か分からないとか我が家の食卓はこしあんルーレットか!と叫びたくなる有り様である
ちなみに昨日の夕飯はオムライスとちくわ入りのインディアンサラダ
おっ、もしかして今日はあんこフリーな食事なのかと期待しながらスプーンを動かす自分 卵に包まれた中から出てきたのはつぶあん入りのご飯
「オム…あんこ…」
その日の夜は滅茶苦茶セックスした
涼しくなって肉を湯がいても汗をかかなくなったので今日の夕飯は薄切り肉で茹で豚。
時短を重視したてきとうなやつ。
豚肩小間切れを茹でたやつ+タレ
茹で汁利用のスープ
鍋に湯を沸かす。
沸騰を待つ間に豚肉のパックを開けて酒を振り入れておく。肉がほぐれやすくなり、臭み消しにもなる。
冷凍してあったネギの青みと生姜の皮を鍋に入れ、肉を数回に分けて茹でる。アク取りはしない。
合間にボウルにタレを作る。
酢と醤油と砂糖、ネギの千切りと生姜のみじん切り、ラー油とごま油少々。
茹であがった肉はどんどんボウルに入れて、タレを混ぜ絡める。
肉を全部茹でてしまったら茹で汁を小鍋に取り、具材と酒を入れて加熱。
具は乾燥ワカメ、冷凍してあった大根薄銀杏切りとエノキ、残ってた玉ねぎの切れ端、賞味期限昨日の豆腐。塩コショウしてごま油とゴマ入れてスープ完成。
生野菜は今日は冷蔵庫にレタスとキュウリとプチトマトがあったのでそれらを適当に。
これを料理名「サラダ」って言うと失笑する人もいる。見た目と内容がデパ地下サラダレベルじゃないと自作料理を「サラダ」とは呼ばないことにしている。「生野菜」なら嘘じゃない。
肩小間切れとして売ってたけどバラ肉も混じってるようで、ソコソコ脂身もあり筋っぽくはなかった。タレの生姜とネギは倍量でもよかった。茗荷とか紫蘇も合う。
不快感というのを長年何であるか不明のままにしていたかと思われるのですが
不快感というのは自分で納得がいかない、理解ができない、おかしいと感じる、そうあるべきではないと思う感覚なんですね
それが違う、おかしい、理解ができない、そうではない、というのは個人の感情であってオムレツにあんかけとグリーンピースがのっていてかに玉だったりしても
サラダ巻きにかにかまがはいっていても違和感を感じるのは個人の問題であって不快に感じる人からみての価値観の構成で完成品ができたとしても
それはまた別の不快感を生むことがあり、相対的で感覚的なものだということは理解しやすいかと思います
その個人の不快感という異常な状態と関知しているそれを解決するのに、具体的に解決する方法を持っていない場合怒りますね
怒りをもってして強引に自分の理由なき感情の結末にもっていこうとしますね これいらない、これじゃないものを、こっちで、と入れ替えたり調整したりすれば回避できるはずのことを
できないので相手におおよそ無条件に行動させる原因となるほどの騒音や迷惑行為をすることで、交換条件として迷惑をかけてほしくなければ自分の好きな状態にしろと交渉するわけですね
怒りというのは他に手段がないため全員に不快であることがほぼ確実なものをより大きく上塗りし回避すべきとするよう自分の問題を矮小化して交渉する方法なのですね
いじわるな人がいじわるな交換条件を楽しそうに行うのは、これと同じ方向性であるにもかかわらず自分がその状況を無理であることを理解しながら交渉の結果について楽観視することで怒るかわりに
楽しく交渉することができるのですね
そういう意味でいえば怒り狂うのはその交換条件がまっとうなものであるとご本人は思ってらっしゃるというその度合いも計り知れます
あくまで不釣り合いな交換条件を都合よくまとめ上げようとする笑みがこぼれないのは誠実だといえるかもしれません
そこにそれがそうあるべき、のようなこだわりが強いのは一種の病気ではありますね いろいろなものの状態について深くこだわりがあるのだと思います
変化に自分が絶えることができない そこにあるのは勇者の何か、自分はその何かで、どういう影響が自分におよんでくる、ということが決まった形のいつものもので予想通りであるべきなのですね
今日という日が昨日と違うと、なにをどうしていいのかわからなくなるため激昂してでも昨日と同じ今日に戻そうと努力されるのですね
実際それはもどることはないことは薄々感じていることだと思いますが、そのはげしく怒っている時間の間はいつものその時間があるか、もしくは「怒り散らして存在させないことでパスする」ということで昨日と同じ(はず)の今日を過ごしているのではないでしょうか
毎日なにかが変わって、変化しつづけていつかどうなるのかわからない、予想はつくけれどもそうなった場合のプランを持ち合わせていない
プランを思いつくけれどもそれを記録したり思い出したり継続させたりすることができない、ならば固定的ななにかの生活をしたい、そういう不安の解消方法もあると思います
実際にそれが好きなもので組み立てられたものであれば、それを守るという感覚でこれがよいというメモも記憶もなくても計画を進めることができますよね
これが望んだ未来につながっているのか、この方法で努力していいのか、この損失は目的を阻害していないか、都度計画書を参照したり計画をみなおしたり方策を研究したりするのは大変です
いつも自分の好きなことというのがマニュアル的に示されたものであると、計画を再考する必要なく地図をみなおす必要なく、ただ思った方向が目的地だという安心感があるのだと思います
なので不安要素などという計画を考えたり目的を見直したりそのための犠牲を払ったりすることが苦手なのではないでしょうか
これは原因がわかったところであなたがあなたの人生のキャストを雇ってみんなでそこが目的地だったという演技をしてもらわなければキレるのを回避することはできないのではないでしょうか
世の不都合についてあたりちらす時間帯をつくって、それ以外は妄想で過ごすというバランスを得ていただけると、無理な話であたりちらされる側の人にとっても、無駄に怒って体力をつかうあなたにとっても平和的な気がします
ご自分が勇者で世界を正していくという生活をされるのもいいかと思いますが、そうではない時間帯やそうではない場面があるとよいのではないでしょうか
勇者や魔王にも弱点の一つくらいはあると思います 勇者が世を正せないタイミングが一日に一回くらいはあってもいいかもしれません
アンパンマンやドラえもんは古いジェンダーロールやいじめを植え付けるので害悪
というツイートを見たんだけど、
ドラえもんはともかく、アンパンマンってジェンダーに関してはあまり縛られてない気がしてた。
ヒーローは男女ともにいて、
ロールパンナは女の子だけどカッコよくて強いし、クリームパンダは男の子だけど怖がりで弱い。
個々のキャラクターが「僕は男の子なんだからやらなきゃ!」「私は女の子だから働かないもん!」
みたいなことを言うことはあるけど、後から本人がその考えは間違っていたと気付くパターンも多いし。
料理が出来る男キャラなんかいっぱいいるし(焼きそばパンマン、どんぶりまんトリオ…etc.)
強い女キャラもいっぱいいる。(ロールパンナ、鉄火のマキちゃん、サラダ姫…etc.)
カラーリングも、アンパンマン→赤、メロンパンナ→緑、ロールパンナ→紺、だしなぁ。
例えばクリームパンダは名乗るたびに毎回「パンダ?」と聞き直されて、本人が嫌がっているのに「パンダちゃん」と呼ばれたり(周りも笑うだけ)、
キノコブラザースのしめじまんは仕事が出来ないから仲間内で「じめじめまん」とバカにされていて森の中に置いていかれたりするし、
失敗してみんなに笑われるとか、似合わないことをして笑われるシーンも凄く多い。(特にチーズやカレーパンマン、カバオみたいなお調子キャラ)
今日はひどいなぁって思うこともある。
でもジェンダーに関しては全然違和感なく見ていたし、子どもにも見せているんだけど、
アンパンマンのレベルですらジェンダーロール押しつけで害悪って感じ?
そんなにジェンダーフリーじゃないといけないのかなぁ。
もはや一般的な傾向すら示すべきではない?(裁縫が得意な女性を出す、とか)
ジェンダーフリー以外は害悪!ってそれは多様性認めていないことにはならないんだろうか。
《追記》