はてなキーワード: 麻酔とは
それは日本の無痛分娩の多くが実際はただの和痛分娩(痛みを減らすだけであり「無痛」ではない)だからです。
無痛分娩は正しくやれば本当に無痛ですが、日本はそこまで出来る麻酔科医は少ないし
そもそも麻酔科医ではなく産科医が麻酔もかけている施設が大半なので
あと無痛分娩だったらそれこそ分娩監視装置つけないと分娩の進行状況把握できんだろ。
まあ、2030年は今以上に医師不足が深刻化してるだろうから(特に産科は相当ヤバいと思われる)無痛分娩どころではないだろうね。
むっちゃ緊張しているのかと思ったらドキドキして損した
あと歯医者にいかないで噛み合わせが悪い状態でほっとくと顎関節症になってしまうとは
あくびすると顎が痛い
マウスピースで治らないと最悪手術とか…:(´◦ω◦`):
・38週プリミ(初産)と秘書が会社を休めと言っている事から産前休暇中。
・急にうずくまり即病院に連絡していのでおそらく破水した。(急な陣痛にしても周りのリアクションからして破水が妥当)
・さあやは実は医者ではなく助産師。(助産師であれば21歳からなれるらしい)
・ダイガンが産婦人科医師。分娩時になにか(大量出血や会陰切開、吸引分娩など)あった時の為に居るがお産が順調なら特に何もしない。
・ほまれが一番最初にかけつけたのは家族や夫の居る場所よりも空港の方が病院に近かったから。空港に居たのははなの予定日に帰国を合わせたのかもしれない。
・ほまれが来たとき既にいきんでいるので出産も終盤。病院に来た時点でかなりお産が進行しており、麻酔は出来ない(しても効く前に出てくる)状態だったと思われる。
それでも残る疑問
・分娩台じゃなくただのベッド。あれではいきめっていうのはかなり辛い。
・赤ちゃんの心音や陣痛をチェックする機械(NST)をつけていない。お産が順調だから不要と判断したのだろうか。
・血道確保の点滴無し。大量出血したらどうするつもりだったんだろう。
導き出される答え
カエルの解剖をしていた。
自分の班は順調に解剖を進めていた、と思う。
記憶に残っているのは、別の班の解剖。
カエルには麻酔をかけた状態での解剖がデフォだったのだけど、何だったか、麻酔をかけていると出来ない実験があった。
それをやりたい班は、麻酔のかかっていないカエルを解剖しなくちゃならなかった。
氷水に漬けて動きを鈍らせてはいたが、カエルは暴れ続けていた。
数人がかりで抑えつけても、動きは止まらない。
多分、ものすごい力を込めていたのだと思う。
氷水の冷たさと、それから恐怖もあってか、ぶるぶる震えていた。
泣きながらうわ言みたいに、ごめんごめん、と呟き続けていたのが、どうしてか恐ろしかった。
結局、カエルの上顎をハサミで切り落として、それからどうなったのかは覚えていない。
麻酔をかけると出来ない実験が何だったのかも、実験は無事に完遂できたのかも、記憶にはない。
それだけは覚えている。
4本生えてきていて、まずは左の上下を抜いた。身体全然伸びなかったのに髪の毛は爆裂伸びるし歯は全部生えてくる、私の栄養素配分下手すぎる。
上は真っ直ぐで歯の表面3/4くらい見えている。下は斜め向きに生えてちょこっと先端が見えている。私の奥歯は何故か尖っているのでそれが見えた。レントゲン撮ったら「顎の骨が薄いので一般の方より2倍くらい腫れる覚悟で抜きましょう」と言われた。え、怖い。
超健康体なのでメスを使う手術なんて初めて。麻酔は、昔歯の神経抜く時と二重の埋没したときだけ。怯えて「親知らず 腫れる」「痛い」とかで調べまくった。
全く腫れなかった。そして全く痛くなかった。強いて言うなら歯茎を縫った糸が頬に刺さってチクチクしたくらい。鎮痛剤も言われたから飲んだけど1日目の夜にはもういらなかった。
来月も抜くけど右側だけ爆腫れしたらどうしよう?
1.はじめに
「身体髪膚之れを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。
(自分の体は両親から受け継いだものであり,むりやり傷つけてしまわないことが親孝行の始まりである)」という故事がある。
しかし,親から受け継いでしまったものの中には,体を傷つけてでもその痕跡を消してしまった方がよいものがあったりする。
季節を問わず,少しでも汗をかくとツーンと匂ってくるあの匂い。
唯一効いていた某デオドラントクリームを数年間塗っていたら,仕事のストレスも相まって今年の夏に右わき全体が炎症を起こした。
全治一か月。ついでに右乳首にまで炎症が飛び火したため,恋愛適齢期☆であるはずの24歳の夏は,右脇と右乳首にステロイド軟膏を塗りこみ,
打ち合わせ中にバレないように乳首を掻きながら,朝から晩までバグを退治する日々を過ごした。
諸事情により晴れて(?)無職となり,まとまった時間が取れた。
そうだ,ワキガを取ろう。
2.手術前
2018年12月初旬,ネットサーフィンで探し当てた都内の某病院を訪ねた。
以下の3点を満たしている病院から(個人的に)最もHP上の説明がわかりやすかった病院に決めた。
・剪除法かつ日帰りで手術ができること
実は家から近いという理由で,某美容外科クリニックの説明も聞きに行ったのだが,
剪除法を希望しているにもかかわらずミラドライの話しかしてこなかったのでやめた。
病院は一般的な皮膚科で,先生は気を使ってくれたのか小さな声でしゃべってくれた。あと看護師さんが可愛かった。
手術の費用は約4万円程度という説明を受けたが,手術前~抜糸までトータルで5万円見ておくとよいと思う(処方薬もあるので)。
完全に匂わなくなるわけではないという説明も受けた。
手術日はその数日後に電話で決めたが,この時期は余裕があるのか,直近の日付でも空きがあった。
3.手術当日~術後約二週間
以下はEvernoteに残したメモを,時系列にならべたものである。
12:00
病院着。病院で麻酔用のテープを貼ってもらい,会計を済ませる。
電子カルテに「臭い強」と書かれているのを盗み見した。えへへ,知ってた。
12:15
12:30
昼食を摂る。薬を飲み忘れかけたが13:00には飲んだ。
13:25
病院に到着,手術開始。
手術着に着替えて台に乗る。麻酔が下手というネットの評判をみて戦々恐々としていたものの,
これまでの経験(親知らずを破砕したり、爪が生えてこないよう爪母を一部殺す手術など)に比べればあまり痛くなかった。
麻酔が効いているかのチェックをしてくれるが、時折麻酔が完全に効いてない箇所があって内心ドキドキする(もちろんそういう箇所は麻酔を追加してくれる)。
手術は左→右の順番で、それぞれ麻酔をかけてから施術する流れだった。
施術中は特に強い痛みもないが、”バチッバチッ””キュイーン”という,普段匂う以外に取り立てたイベントもない私の脇とはまったく縁のない音が聞こえる。
ちょっとした恐怖心と,何が行われているのか知りたいという好奇心を理性で抑え続ける。
ただ次第に飽きてきたため、用意していたスマホとイヤホンで久しぶりにラジオを聴く。
14:10
右側の手術開始。ラジオニュースが14:10を知らせる頃,左側の患部に大きなガーゼを当てているのが見えた。
程なく左側は終了。手術中はずっと腕を耳の横に上げなければならないので、指先に上手く血が流れないのか冷たくなる。
右側は左側と同じように進む。14:50には終わった。
14:50
手術終了。この手術の1番の難所は服を着て帰宅することである。
ワキガの手術記をググると,概ね術後の生活が大変だったという記述がみられるが,本当にその通りだと思った。
なんせ両脇にテニスボール大のガーゼが挟まった状況である。腕を真下に下げることはできず(なお真上にも上げられないのでつり革は持てない),
肘を横か前に突き出した状態で帰宅することになる。スマートフォンを手に持ち,肘を横に突き出した状態で病院を出る。
駅のエレベータの鏡に映った私の姿は,歴史の教科書に出てくる笏を持った聖徳太子そっくりだった。
スマホは現代の笏。薄着だと明らかに脇に何か起こっているのがバレバレだと思うので,手術するなら冬がおすすめである。
16:30
自宅に帰宅し,なんとか着替えを済ませ(ゆるゆるのパジャマに着替えるのも結構大変だった),
痛み止めが切れそうな気配がしたのでロキソニンを飲んだ。一応食事を摂ろうと思い,カップ焼きそばを食べた。
食事の支度も面倒になるので,一人暮らしは食事も用意しておいた方がいい。
19:30
どうにも頭がかゆい。ガーゼが取れて腕を動かせるようになるまで2日あるため,
どこかで美容室に行ってシャンプーとブローをしようと思っていたが,それまで我慢できそうにない(あと高い)。
洗面台で頭と蛇口の位置を調整すれば腕を上げずにシャンプーできそうだったので,
洗髪と洗顔にトライ。案外いい感じに洗えた(というか普段よりも丁寧に洗えたためよりすっきりした)。
6:30
傷口に痛みが出てきて起床。薬を飲んで二度寝。
12:30
起床。無職なのでよく寝た。痛みはないが,一応痛み止めを飲む。再びカップ焼きそばを食べる。
11:30
抜糸のために病院に行く支度をする。
この手術で1番の難所が術後帰宅することだとすると,2番目の難所は抜糸のために病院に行くことである。
少なくとも服を脱ぐのと同等に,服を着るのが難しい。
加えて,この二日間寝返りが打てていないため(脇を固定すると寝返りが打てない),首から肩・背中にかけて猛烈な痛みがある。つらい。
17:00
脇に挟まっていたガーゼを取ってもらうと,少し傷が痛むものの,相当楽になった。
傷口自体ではなく,ガーゼを皮膚に固定している箇所が痛んでいたのではないかと推測する。
お風呂に入る際に傷跡を見た。傷跡は分かりやすいし,周りの内出血は黄色く変色していた(内出血は1週間後にはきれいに消えた)。
傷跡は少しずつ薄くなりつつある。この調子だと夏にはあまり目立たなくなりそうな感じ。
手術した箇所のしこり(拘縮?)が気になるが,日々マッサージをしていけば柔らかくなるとのこと。日々の生活にも支障はない。
ワキガ持ちなら分かると思うけど,冬の汗のほうが臭い傾向にあるはずなのに,匂わない。夏が楽しみ。
4.まとめ
ワキガの手術を考えている方への申し送り事項としては以下の5点。
・傷跡は術中~術後まであんまり痛くなかった。それよか肩こりがしんどい。
・手術するなら冬。
・日常生活もそれなりに送れるが,一人だと不便なことが多い(シャンプー,着替えなど)。
・翌日から仕事ができるかといわれるとしんどいと思う(病院のサイトには術後すぐに仕事復帰できる旨記載されていたが,事務仕事でもちょっと難しいのでは)。
・直後の傷跡はそれなりに目立つが,時間がたてば消えていく。
個人的な感想としては(今のところ)効果は期待値以上,面倒くささは期待値以下だった。
もっと早いうちに手術しておけばよかったと思う。
就職してやめてしまったが、いろんな客層がいたことを思い出したので書いてみる。
あくまでも、こういう傾向の人が多かったなぁー。という話で
すべての人がこうだったというわけではない。あくまで傾向の話。
何~年も前の話だから、現状とは異なるかもしれない。
しみやしわ取り等のお肌の悩みが多い。
コミュニケーションが取れる。
いいお客さん。
顔中心のがっつりした美容整形しにくる。
元々美人が多い。
声と笑い声が大きい人が多い。
他のクリニックで何かしらすでに整形している。
何をどうしたいのかしっかりとしたイメージを持っている。
コミュニケーション能力がありそれを医師に伝えることができる。
手術前に貴金属外し忘れがち。
いいお客さん。
二重の整形希望が多い。
コミュニケーションとれない。繊細。YES/NOがわかりずらい。
ゆえにカウンセリング長い。
目と鼻の整形希望が多い。
自分で術式とか調べてくる。
元の自分の顔とかけ離れた注文してくることがある。
コミュニケーション取れる人、取れない人がいる。
病んでいる。
思い込みが強い。
医療ローン組みがち。
麻酔の時、痛すぎて泣く。
ネットに書き込む。
自分に自信が持てると憑き物が落ちたようになることが多い。
術後失敗したと感じて、病んでしまう危険があると感じることが多かった。
髪の毛が乱れているの人が多い。
鞄が大きく整理できていない。スリッパや靴など脱ぎっぱなし。
コミュニケーション取れない人が多い。
思い込みが強い。
その場のうそ?をついたりする。
ドクターショッピング、修正手術しがち。
正直なところ、謎。
と大枠はこんな感じ。まだまだあるけど疲れた。
たまにすごい地雷があったが、基本的にはいいお客さんばかりだった。
これだけは言っておきたいのだが、ブスなお客さんは一人もいなかった。
みんなそれぞれ綺麗な人ばかりだった。
色白だったり、おはだがきれいだったり。
とにかく、目も当てられないようなブスは一人もいなかった。
美容整形の手術を受けようとする人は、
「日本の無痛分娩はスタッフが整っていない故に計画分娩が多く、計画分娩はそれだけで自然分娩よりリスクが高い&
日本ではかつて安易な計画分娩で事故を起こしまくってた時代があり、その反動で計画分娩を避けたがる傾向が強い」
「『欧米で(これも主語でかいが置いておく)出産後すぐ退院出来るのは無痛分娩だから』と言うデマが広まっているが、
実際は医療費が高く長期間入院するのは金がかかるからであり、欧米でも当然退院後しばらくは自宅安静が当たり前である。
「更に欧米人(白人や黒人)は日本人より体格が良く骨盤が大きいが胎児の頭は小さく、
貧弱な体格の母体の狭い骨盤から頭でっかちの胎児を出さなければならない日本人の出産より身体的負担もリスクも元々遥かに低い。
そして麻酔かけたからと言って骨盤がでかくなる訳でも胎児の頭が縮むわけでもない」
ってのも知らないのだらけだな
麻酔はちゃんと使ってるけど、自然分娩失敗した痛みと混同して大げさに「麻酔なしでやった」
とかいうやつもいて本人は虚言だと思ってないケースなんて腐るほどあるから
お前は人を疑わなさすぎる
普通分娩は「痛みに耐えてこそ!」って思ってるし
ネットで「出産時にどれだけ辛い目痛い目に遭ったかマウント競争」みたいな事やってる人たちはいるけど、それだと
「麻酔なしで帝王切開しました(緊急手術で麻酔が間に合わないとかでたまにあるらしい)」「ガチで母子ともに死にかけました」みたいな人が優勝候補で、
たかが麻酔なしで自然分娩やりましたって程度じゃ話にならんしさ。
そんな事自慢してる人見た事ないよ。
「無痛分娩に(リスクや費用以外の理由で)反対する人」って大分屏風の中感がある。