はてなキーワード: 釣りとは
ドラえもんでさ、ロビンソンクルーソーセットという道具があってな。その名の通り無人島でロビンソンクルーソーのように自給自足するキット。でも子供向けだから、キャットフードみたいなカリカリを水につけるだけで魚になったりお手軽なんだよね。俺はずっとあれに憧れてた。ロビンソンクルーソーセットが欲しかった。
んでminecraftですよ。無人島でお手軽サバイバルできちゃう。お手軽農業、お手軽な釣り。ボート作って島の外に冒険に行く。ああこれがやりたかったんやって思った。ありがとうノッチ。
日本の教育のいいところって、増田のように勉強が嫌いな人でもほぼ100%、字が書けて掛け算割り算くらいはできるようにしてくれるということ。
コンビニでの支払いの時に、お釣りの小銭がなるべく少なくなるように計算するなんて、海外ではムリ。
日本人のざっくり半分は大学(専門含む)行って、残り半分は高卒で働く。親や友達も同じような学歴が多くなる。
勉強が好きになるか嫌いになるかは、親の影響が一番大きい。親が勉強をバカにしていたり、逆に強制しすぎて反抗したり。
欧米だと階級が分かれていってしまうんだけど、日本は分断させずに一億総中流でやってきた。大学行く気なくても普通科高校に進学する奴が多い。
老後に200万程度の貯蓄があれば大丈夫 家買ってお釣りが来る
※ただし給料は下がる一方 働いても働かなくてもおなじようなベーシックインカムとかナマポとか障害年金とか遺族年金とかもらえるのでみんな怠惰になる
予想通りの内容と反応で草。
釣りでも本気でも同じ事だけど、はてなの病理ここに極まれり、だと思う。
識字率は高くても高等遊民の手慰みが文学を読者から引き離したように、著名な政治家や芸能人がどれだけポーズで擦り寄っても庶民感覚を肌で理解できないように、そして商業左翼が何を言っても本当に助けが必要な人に声が届かないように、こうしたエントリーは常に高慢な冷たい嘲笑で慰めの言葉が必要な人間を切り刻む。
それでも言いたければ好きな事を言い続ければいい。
飲み水の中の残留抗生物質やマイクロプラスティックのような悪意を隠しながら、手中の薄い樹脂の中で揺れるミネラルウォーターのボトルを得意気に振って。
【追記】続編書きました。この記事、釣りなんですがまあ、とりあえず読んでから下記の追記へとお進みいただけると嬉しいです。
https://anond.hatelabo.jp/20190703165854
前々から、ずっとADHDの気配を背後に感じながらも怖くて振り向けずにいた。
いや怖いというよりかは、面倒。知ってしまったらお金、どのくらいかかるんだろ?仕事はどうなるんだろ?制度?調べること多くない?
面倒だー、無理無理、ちょっと頑張ればどーにかなるから医者行かなくても平気平気。
そう思ってたのに、ちょっとの頑張りが積もり積もってメンタル崩して仕事を失い、ニートの期間ができてしまった。
メンタル崩すっていうのは毎日泣き暮らすようなイメージだったけれど、割と私は静かに壊れていた。
生活の中に、至る所で当たり前のように死が紛れ込む。そこに感情の機敏はなくて、ただ当たり前の発想として死にたくなる。そんな生活を数年は続けていたけれどある日行動に起こしてからは即解雇。ただの変わり者だと思ってたのに、こんなことするなんて。その「こんなこと」の原因は、我慢できなかった私に10割の非があるんだろうか。
そんなこんなで、うつ状態から抜け出すために精神科医に向かったついでにふわっと聞いてみた。ADHDってどう思います?
そう話した瞬間から診察の雰囲気が少し変わって検査日程が増え、あれよあれよと面倒ごとが増えていく。あーこれはニートじゃなきゃ無理だわ。生活の全てを費やすつもりで行かないとこなせねーわと思った。キャパシティが驚くほどに少ない。
結論として、うつにプラスしてADHDで間違い無いでしょうね、とのこと。
あっ、マジですか。
お薬も用意できますし、きちんと通えば手帳の申請も視野に入りますね、なーんて言われて。
帰って泣いた。
嬉しくって泣いた。
だってさー、毎日どうして自分は普通になれないんだろうって泣いてたから。
他の人は頭が良くて、どうして私はこんなにも頭が回らないのか。どうしてこんなにも私は話がまとまらないのか。どうして、私はこんなにも空気が読めないと言われるのか。
私の普通、はどうやら周りから見る普通ではないことはわかっていたけれど、私はどうやってもその普通にたどり着けないと泣いていたのだ。
毎日ムカついていた。どうして普通にできないんだと、周りも自分も思ってた。
あなたのそんな個性的なところ、素敵だよ!個性を貫き通して活かせば、今の時代は受け入れられるよ!みたいな風に言われることもあった。
優しい言葉に見えて、「お前は普通じゃないし昔だったら受け入れられてねえからな」って言いたいわけでしょう、っていうか個性的になりたいわけでも貫きたい信条があるわけでも無いし。
どこに行っても、はみ出してて、どうしてもっと頑張ってみんなに並ぼうとしないのかと、もっと頑張れ頑張れって言われ続けてた。
みんなから責め立てられてた。
でも残念でした、私はどうやっても普通になれないキチガイなのでした。
正直、煽ってるとかそういうんじゃなくて心の底から安心してるんだ、もう普通を目指さなくていいから。だって普通になれないんだもん。
今までの自分に対する、なんで、どうしての全ての答えが急に出てきて自分でも捉えきれないほどに喜んでいる。この世の全ての答えは、42じゃなくて私にとってはADHDだった。
私は怠けていたわけじゃない。
私は特別な心情のためにキャラクターを演じていたわけでもない。
私は個性的でありたいわけじゃない。
全部私は生まれながらにして頭がおかしかったんですどうにもならない救いようもない普通には到底なれない障害者だったんです。
幼少の頃、親は、クラスにいた車椅子を使う子に対してこう言っていた。
「あの子には優しくしてあげなさい。障害を持っているかわいそうな子なのだから」
じゃあ、私にも、もう頑張れと言わないでくれますか。もう子供として見ないで、障害者として、私に対して優しく接してくれますか。
肩の荷が降りてしまって、力が抜けて仕方ない。普通になれないと証明されることがこんなにも世界観を変える出来事だなんて思ってなかった。
それに怒りだって湧いてくる。
私に普通であることを、知らないからといって強要し続けてきた全ての世界が憎い。
あの苦しみの日々の全てを与えた人たちに、私の苦しみを分けてあげたい。
今まで、憎しみという言葉は自分にしか向けてこなかったから、明確に行き先のわかる憎悪が自分の中にあるのが不思議で、どうしていいのかわからず持て余してしまう。
と、ここまでその喜びと、世間へのざまあみろ!みたいな心意気を書き連ねてみたものの、書いている途中で、少しずつ昂りがなだらかなものになっていき、物事が冷ややかな輪郭を取り戻してきてしまった。
だって、私今まで毎日、思考と感情のほぼ全てを普通になることに注いできてしまった。
周りに笑われたくない周りにバカにされたくない周りと同化して見えなくなってしまいたいとずっと思って生きてきて、もっと普通にならねばと自己啓発本を読んで続きもしないタスク管理術を何度も試してみて、普通の人になりたい、なりたいと日々を過ごしてきたのに、結局私はなれないのだ普通に。だったらなんのための日々だったんだろう。毎日泣いて毎日苦しい死にたいと言ってきた日々、本当に意味がない。
解釈も文脈も全然違うけど、私の好きな作詞家の言葉で、要約するとこんな言葉があった。
「何も考えがわかないときは、空っぽの頭になんでもいいから知識を詰め込みなさい」
と。
映画でも本でも誰かと話すでもいいから知識を得ることで判断の基準が出来るのだと。
ならば私も今は、新しい自分の日々に向かって知識を蓄える時ですかね、そうですかね。
もう世界線超えたレベルで今までの価値観が全部、障害者手帳の言葉にぶっ壊されてしまったので、大人しく今は今後のためにインプットの日々にします。
映画を見るなら、なんとなく今はトゥルーマン・ショーの気分です。
私の世界は壊れてしまった。いや私が元から壊れてたんですけども。
わかってるわかってるそんな診断されたからって明日からみんながかわいそうなものとして扱ってくれるわけでもなく今まで通り誰からも足手まといの私がただ生きてるだけの日々が地続きでただただ伸びているだけなのはわかってるんだ。
私だけが世の中の不幸を背負ってるだなんて微塵も思ってはないけれど、驚いてしまってるんです。驚天動地で動転してるんですよ。気を悪くされたらごめんなさい。
「外に出てる」。何も間違ってない。
てか、そこまでしなきゃ(してもどうかわからんが)確率的に釣り合わない低さでしかない妊産婦死亡率を、
よくもまぁそこまで取り上げられるもんだ
転職して1ヶ月。コンビニバイト歴はトータル一年1ヶ月になった。
なんか前にコンビニバイトが職場を別の店に変えるのは転職とは言わないと言われたんだけど、じゃあ例えばエンジニアが会社Aから会社Bに移る(業務内容は同じ)とかも転職とは言わないのだろうか。
今の店では、私はオーナー以外からはレジ打ち以外は何も出来ない人だと認識されていて、レジ打ち以外の仕事をほとんどやらせてもらえていない。なんかこの店の人、レジに立つの嫌い過ぎるのでは。一旦品だしに取り掛かると二時間帰って来ないとか、そんな感じの同僚達である。
今の職場は前の職場の三倍以上混むので、袋詰めのスピードがこの1か月でだいぶ上がった私だった。
私はあまりお客様の行動に腹が立ったりうんざりしたりしない方なのだけど、それでもやだなと思うお客様達はこんな人↓
・前の客の真横にピッタリと並んで、前の客の品物の至近距離に自分の品物を置く人。
・お釣りを自分で募金しないで「募金で」って言って店員に募金箱に入れさせる人
・同業者。
ところで、店番してたら前の職場のイケメン正社員氏が買い物に来た。私に気づいた途端、
「ふわぁぁぁぁ!増田さんっ、ここで働いてたんですねええええええ!!」
って近付いて来た姿が、飼い主が帰宅した時の犬みたいだった。けどやっぱり同業者の接客は見知った相手でも脂汗出るなぁ。
と、そこまでは良いんだけど、その後しばらくして、イケメン正社員氏のママご来店。初対面。家で私の事喋るなよ!普通に怖いわ!!
すんごい脂汗出た。
世のドラマやアニメを見ると、どーも、「ロマンチックな恋」がスタンダードな恋のように書かれている。
インスタとかでは、そういうのがもてはやされている気がする。
いやしかし、どうだろうか。
「そんなもの、体に悪いし、永遠には摂取できないでしょ」みたいな感じが自分にはする。
世の女性も、そりゃ、インスタ映えみたいな感じで、イケメンとハイスペに恋をしたいのかもしれない。
恋愛漫画とか10割それ(8割かもしれないが)だが、それ以外がマジで需要無いのだろうか。
こう、感覚としては、オードリーの若林みたいなのが本当はいいんじゃないか?って気がする。
なんだろ。
乃木坂とか欅坂みたいなのの司会にハライチの澤部やバナナマン日村がいるような。
なんだろ。
あそこに、キンプリとか持ってきても多分マッタク面白くないんだよね。綿あめ食ってるみたいな。見れたもんじゃないと思う。
恋愛漫画で、ジャニーズ&乃木坂みたいなのバッカリなのはなんでだろう。
BLでも、イケメン×イケメンみたいな、乙女ゲーの乙女いなくなったみたいなのばっかりだけど。
本当にそれ、面白いか?おいしいか?単なるインスタ映えの自己承認欲求とかそこらへんじゃなくて?
でも、お母さんの味噌汁や、お父さんとの釣りには満たされるんじゃない?
そっちのような、本当の家庭料理みたいな恋愛って、求められていないのって本当なのかな?
お小遣いがもらえるようになってすぐだ。
小銭なので少額だが積み重ねると千円二千円となって(当時の基準では)大金がたまった。
おカネが貯まったらお母さん銀行で小銭をお札に変えてもらった。
そしてそれを財布に入れた。
?????
何のため?
そんなものはない。
よいではないか。
私はバカだったので特に買いたいものとか目標額とかも決めず「多くなってきたな」と思ったら貯金をお札に変えて財布に戻していた。
そうするとなんかボーナスがもらえたきぶんでうれしい。
そしてまた貯金を開始する。
賽の河原っぽい。
でも、両替するだけでしあわせが発生したんだぜ。
すごくないか?
つまんねー釣りだな
女が書いているように思わせつつ、ところどころに男アピールの下ネタを混ぜてるしな。
詳細が書けない、人が生きてる感じを出せない文章のセンスのなさも天狗の文章で間違いない。
そしてトップブコメが「Aさんが信じて話してくれたのにこんなところに書くなよ」ってコメントになってるあたり
はてなブックマーカーは完全に馬鹿にされてもしかたない。
前々から思ってたけど、こういうちょっと面倒くさい話になった時に
この世で一番バカなのはフェミコメントにスター連打する奴らだと思うけど
その次くらいにこの行動はバカにされてもしょうがないと思うぞ。
つーか、どう考えてもこの話リアリティないだろ。
こんなセンスのない天狗のしょうもない釣り話なんか相手にしなくても増田文学たくさんあるだろ.
おまえら見る目なさすぎるぞ。