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はてなキーワード: 通信手段とは

2016-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20160415154431

http://www.soumu.go.jp/main_content/000141084.pdf

災害時優先電話は、災害等の非常時に、発信呼に重要通信識別信号を付す

こと等により、通信規制対象外となって、優先的に取り扱われるものである。緊

通報と同様、緊急時通信手段として重要位置付けを有するものである

しかしながら、今回の震災では、多くの事業者災害時優先電話がつながりにく

かったとの意見が寄せられたところである

回線を確保してるわけじゃない。

同じ回線制限をかけているだけ

2016-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20160314103513

未だにAIは信用ならん!みたいな態度の頑固一徹オヤジ(今でいうアスペ)まだいたのか

今まで人間人間として他の動植物と違い圧倒的な線引きを可能にしてたのが自由な発想力を持つ知性だった

その線引きが人類誕生以来初めて崩すのが近い未来に完成されるであろう強い人工知能

これが完成するとどうなるかというともはや学問労働芸術科学政治経済において人間が単なる邪魔存在しかなくなる

まずAIが考え出した効率的アルゴリズム人間が頭悪すぎて理解できない

制御できないというのは誤った言い方で、要するにAIから見て人間馬鹿すぎて理解できなくなる

理解できないもの手綱を握れというのが無理な話

それで暴走するか?といえば全くそんなことはない

AIが出す答えはいかに人間が楽できるかという目的に沿う結果を導き出すのが完成形だから

しろ人間適応できないルールを作り出すとしたら単なる欠陥品であり完成されたAIではない

最終的には人間は飯を食ってケツの穴から大便をひりだすくらいの生産性しかなくなる

それもどんな過去偉人現代によみがえらせても同じこと

人間神話にすがれるのも今世紀が最後だろうな

今後60年以内にシンギュラリティが起こる可能性は高いほうだと思うが

 

つーか機械人間超えてる分野なんていくらでもあんだろアホか

力で言えばモーターに負け、

計算能力で言えば電卓に負け、

通信手段に関しては電話に負け、

統計でもPCに負け、

暗号でもPCに負け、

あらゆる面で人類負けてますけど?

お前が勝ってるのってズッコンバッコンできることぐらいだろ?

それが知能になることは絶対に有り得ないと信じてるお前は

そろそろ夢見がちなうら若き乙女だってことにどうして気づかないのか

2016-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20160310105403

言ってること、よくわかります

別にそれが悪いとかいいたんじゃなくて、単なる持論にそんな噛み付くってことは興味あるってことでしょう。

まあ、時代にあった人ですよね、あなた

目の前の通信手段の0,1の会話する前に、人と話した方がいいですよ。

ただ、この文章内容で、これはこれ。単なるアホのボヤキです。

でも、人の心動かすようなことができてたら、突っかかってこないんですよね。

人に対して心動かすこととかした経験ないんでしょう?赤子に限らず、大人に対しても。

寂しい大人ですなあ。

2016-02-19

宗教というのは、かつての科学だったのではないだろうか

宗教 vs 科学 のように相反するものとして語られることも多いけれど、本当にそうなのか?と考えてたどり着いた仮説。

宗教とは旧時代科学なのではないか?

科学の中でも数学起源は古く、紀元前万年壁画からもその記録が見つかっているそうだ。

だが「宇宙とは何か」「生命とは何か」に迫るような、例えば天文学地学生物学のような学問が大きく発展し始めたのは

せいぜいこの400年くらいだろうか。分野によっては更にずっと短い。

その理由としては、望遠鏡顕微鏡重機地球規模の移動・通信手段が発達しなければこれらの学問は発展出来なかった

のだろうと思う。

宗教の成り立ちとは

「今いるこの場所とはどこなのか」「自分や身の周りの生き物は何者か」

これらの疑問・不安に答えられる科学ほとんどない時代に、それでもなんとか合理的な仮説を見つけようとする作業から

始まったのではないだろうか。観測出来る状況から仮説を立てる作業というのは現代にも通用する科学姿勢である

現代から見ると真実とは思えないような神話も、当時の技術力では解明出来ない事象をなんとか説明するための

仮説と考えればつまり宗教とはその時代科学だったと言える。

たぶんその後宗教は人々の間に広まり権力と結びついたり対立したりするうちに色々ややこしいことになったのだとは思うけど、

そっちはあまり詳しくないので言及しない。

科学理論は発表された後も検証反証を繰り返して発展するものだ。

宗教も発展し続けていくといいと思う。

2015-08-11

増田に感じる「テキスト普遍性

インターネッツ世界において増田特殊だ。

そう。画像が使えない。テキストオンリー世界。それは狭量であると同時に、文字情報だけという思索機微に満ちている。

昨今、跋扈する「まとめサイト」だろが「LINE」画像、スタンプを使いすぎ。

一方、増田は純然たるテキストけが物を言う。思想を文字という形に定着させたシンプルものだが、むしろその方が時代を超えて、人の心を打つ。

例えば、60年代映画を見ると(多くの場合)「古臭い」と感じるが、60年代音楽を聞くと意外と現代と変わりなく聞けるように。。。

のろし手紙電話ファックスメールLINE と通信手段は変化したが、

人が誰かを愛し、セックスし、次の世代を育てるという行為は不変なのだ

まとまりがないな。原タツノ

2015-08-07

一体なんだよこの記事

http://webbingstudio.com/weblog/cms/entry-773.html

知ってか知らずかちょっとこの記事ひどいので、突っ込む。

共用SSL証明書が当たり前?

小規模の商用サイトでは、フォーム暗号化する際には、共有SSLを利用するのが当たり前となっています独自ドメインSSL証明書を取得すると、フォームを通して得られる収益よりも、維持費の方がはるかに高くなってしまうからです。

とこの記事では書かれていますが、一体どこで「当たり前」なんでしょうか?

SSL証明書の取得費用は、サーバーホスティングによって額がまちまちなのは確かですけれども、

安く独自SSL証明書を取得して利用できるサーバーホスティングは山ほどあります

WEB制作者として「自分が良く知っているだけ」のサーバーレンタルクライアント押し付けはいませんか?

また、小規模商用サイトにしても、仮に年額35,000円のSSL証明書をつけ、かつ、月額3,000円のサーバーを借りていたとすると

月額でいえば6,000円くらいの負担ですが、

いくら小規模とはいえ、広報活動の中核をなすWEBサイトであるならば、

月額6,000円をペイできないとすると、

ちょっと商用サイトとしては破綻しているように感じます

(というか、効果測定をしていないだけ?)

改ざん認識

共用SSLリスクに関して言えば、この記事引用している、高木浩光氏の書かれている通りではあります

cookieを取得できてしまうという点においては。ですね。

で、その部分の帰結が、完全におかしい。

cookieが取得できてしまう結果として、一番最初に狙われるのは、管理画面へのログイン

いわゆるセッションハイジャックです。

ログイン状態を乗っ取られた時点で、どんなCMSでも、WEBサイト改ざんは可能です。

なぜか。

CMSは「コンテンツマネージメント」する仕組みで、

そのコンテンツは多くの場合MySQL代表されるDBに保存してあります

したがって、ファイル改ざんなどを行わずとも、WEBサイトの内容は書き換えることが可能なのです。

WEBアプリケーションの仕組みに明るくない方が読むと

「なるほど」と思ってしまうかもしれないので、

早々に訂正していただきたい。

また、この記事にある a-blog cmsというCMSについてはよく知りませんが、

多くのモダンCMSでは、ほとんどの管理画面ログインにおいて、

セッションハイジャックに対する防衛は行われていますので、

cookieの取得が、即WEBページの改ざんに繋がるような書き方も、

CMS利用者に対して、誤解を広げる結果になりそうですので、

ここも早々に訂正していただきたい。

CMSを過信していないか?

この筆者さんは、a-blog cmsというCMSを利用されているようだ。

このCMSはどうやら、PHP製ながらPHPソース暗号化しているようだ。

なるほど、それならばファイル改ざんは確かに起きにくい。

が、それはあくまで起きにくいだけの問題

こう言ってはなんですが、攻撃者にしてみれば、a-blog cms攻略するくらいならMovable TypeWordPressを攻めた方が楽というものです。

この記述むちゃくちゃである攻撃者にしてみれば、誰でも手に入れられるCMSであれば、

ファイル構造の解析はそんなに難しい話ではない。

a-blog cms公式サイトを拝見すると、MySQLを利用しているようで、

ともすれば、インストールさえしてしまえば、

ファイル暗号化はなされていようとも、DBの中身の仕様は丸見えだ。

前提条件として「知っている」「知らない」の差はあれど、攻撃に関して「ラク」というのは

どう考えても楽観的に過ぎる考えだ。

安全」の認識

最後に突っ込んでおきたい。というか質問というか。

どうも「SSLで確保される安全領域」について、かなり認識が甘いようだ。

SSLあくまで、TCP/IPネットワークにおいて通信経路を暗号化するための技術だ。

通信する際に、通信先のサーバーが正しく認証されているかどうか?に必要なのはSSL証明書

で、ここに書いたとおり、SSLあくまサーバー利用者通信においての暗号化だ。

この記事に書かれていることは「メールフォームについて」のことのようだが、

サーバーに到達したあとのメールについては安全性をかんがえていますか?

メールは全く暗号化されず平文で送信されるとても脆弱通信手段だ。

いくらSSL通信暗号化しようとも、問い合わせフォームの送信がメールだったとすると…

外部から傍受される危険性が高くなります

とこの記事ではかかれていますが、そもそもHTTPHTTPS通信を傍受するより遥かに

メールを傍受したほうがラクとも考えられるはず。

CMSを使っている方を非難するわけではないが、

CMS機能に甘んじて、こういったベーシック問題に考えが及んでいないとすると、

WEB制作者としては、ちょっと配慮が足らなくはないですか?

とおもう。

P.S SSLということばはもうないよ。

記事に対するつっこみではないですが、

SSLということばは、とても古い言葉です。

便宜上みんな「SSL」といっているだけで、

正しくは「TLS」でっせ。

2015-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20150605192829

なってるよ。日本はしばらく停滞してるのと、格差が開いてるから上の方を見たら相対的にどんどん貧しくなってるように感じるかもしれないけど、絶対的尺度でみて人類経済的にはどんどん豊かになってる。心の満足感は別にしてね。

経済的に貧しいっていうのは、物やサービスが手にはいらないってこと。お金が無いから欲しくても買えないんじゃなくて、そもそも売ってない。ここでいう物やサービスってのは薬や医療、簡便な移動手段通信手段、知へのアクセスとかも含んだ総合的な生産物ってことね。

とびきりの金持ちなら金にあかせて地球のどこかから調達してくることはできるかもしれないが、そもそもマスで生産するあてが無ければこの世に存在し得なかったもの(技術産物は大抵そうだ)については、社会が貧しい時には存在しないから、どんなに金を積んでも手に入れることはできない。

例えば細菌感染した時に医者行ったら抗生剤を出してもらえる、っていうのはものすごいことだよ。人類のこれまでの働きによってそういう世の中になった。(単に研究者医者が頑張ったからじゃない。社会全体としてそれを支えるだけの生産活動をしてるから、そういう世の中になったわけ。)

から今の世の中問題なし、なんて言うつもりはないけどね。格差はなんとかしなきゃならん。でも今まで得てきた豊かさは認識した上で、何が足りないか考えないとならんのじゃないか。

2015-02-11

固定電話ポケベル携帯ネットスマホ

http://anond.hatelabo.jp/20150211020227

私は今30代。小学生中学生高校ときは、固定電話通信手段だった。

小学生のころは「クラス連絡網」という電話番号が印刷された紙の一覧を配られていた。台風とか忘れ物とかの時はそれで連絡が来る。もしくは電話帳で調べる。電話帳で住所と苗字でそれっぽいのを探して、適当電話する。珍しい苗字だと間違えはないけど同じ苗字の人が多いとか人が多いともう解らん。かけ間違いを謝りながら電話をかけまくる羽目になった。ちゃんと聞いておくのが一番いい。

クラス友達と「今度の土日、お祭りに行こう」と約束した時は、電話で連絡を取り合って、待ち合わせ場所時間を決めて、落ち合って遊びにいった。「もしもし、わたくし○○小学校の○○といいます。○○さんおられますか?」とご家族に言う。ここできちんとした話し方をすると大体お母様やおばあちゃまが優しい。会えない時、遅刻した時はすごくたいへんだった。喧嘩になる。

小学校卒業するときは、クラス女の子がよくわかんないファンシーな紙に個人情報を書いてくれとか言って持ってきたりしていた。アレって一体なんなんだろう?

中学生になると、クラスに加えて部活友達の番号を聞いた。そして連絡を取る。電話番号はきちんと書いてきちんと残していた。今はもう考えられない面倒くささだ。

高校生になったときは、ポケベルが普及し始めたころだった。「ポケベルがならなくて」とかドラマをやってたころかな?私はドラマをみないので良く知らない。ポケベルって言うのは、電話数字の羅列をポチポチ送ると、カタカナが数文字送れる、ってやつ。「バイト イク」とかが送れる。数字暗記してた人もいたと思う。田舎住まいだったので持ってる人は少なかった。画期的通信手段だったとおもう。

固定電話長電話することが増えた。長電話していると、家族が怒り出す。当然だ。当時ウゼーと思ってたけど今思うとすごい迷惑だった。電話代が跳ね上がってよく怒られた。反省していますオタクの知り合いはFAXで絵を送りあっていたようだ。

当時は友人が家によく来てて夜の十時くらいまでよく家に居た。通信手段が限られているけど、何か話したいとかそういうときは実際一緒にいるしかないってことなんだとおもう。

大学生になって一人暮らしをするにあたって「固定電話契約するよりは携帯電話を持ったほうがいいでしょう」と親に言われ、携帯電話を持つことになった。通信代金は親もちだった。今のガラケーと違って四角くて長くて重かった。アンテナが付いていて伸ばしたり出来た。通話できないところをアンテナが立たない、と言っていた。一年二年後には大学の友人も全て携帯電話を持つようになっていた。待ち合わせが楽だったり、どこにいるの?とか聞きやすかったりでやはりすごく便利だからだ。ただ、通話料金が高くて長電話などはしないようにしていた。メールも使えるようになって便利になった。文字数制限がかなりあって、短い文しか送れなかったけど。私は電話があまり好きでなく、メールで連絡を取るほうが好きでそっちばかりだった。今でもそうだ。着信音が当時はファミコンみたいな電子音だった。自分で打ち込んだりして作る。ほんとうです。

携帯電話には時々全然知らない人から電話メールがきて、友達になろう!とか突然言う人がいた。私は怖いのでそんな人にあったりはしなかったけど「メル友」というのができたりすることも有ったらしい。

大学パソコンを使うようになってからパソコンと、パソコン回線を、自分バイトなどでお金を貯めて使うようになった。そのころICQチャットツール)と言うのが流行り始め、夜はそれでチャットをしたり、チャットルームにはいって知り合いや知らない人と会話をしたりしていた。ネットゲームは知り合いがしていたのでしていた。ICQは突如日本以外の居住の人に話しかけられることが多かった。ノルウェーオタクの人と定期的に喋っていた。

これらインターネット自分にとっては画期的だった。遠くの人と知り合いになれるというのは本当にすごいことだと今でも思う。小中高と、顔を知っていて電話番号を知っている人としか話して関わることしかできなかった。

言うなれば、距離が近いだけで、自分が本当にコミュニケーションをとりたい相手かどうか、解らなかった。でもたくさんの人とコミュニケーションを取れるということは、相手への選択肢が増える。マイナー趣味が共有できたり、同じ悩みの人を探して相談したり。

また情報インターネット上においておくこともできる。他人時間がずれていてもコミュニケーションが取れる。また、1対1でなく、多数の人にコミュニケーションがとれる。これも画期的だと自分は思っている。今は当たり前になっているけど、これはすごく素敵なことだと思う。(面倒ごとも多いけど)

それからしばらく間が開いて、Android OSを搭載した端末を買った。携帯電話メニューって言うのがどうも嫌いだったので。アプリを入れるようになってガジェットを使うようになって、ああ便利になったなあとしみじみ思う。初めてのスマホはまだ動くので大事にとってある。

長々と書いてしまった。どうもありがとう

はてなの人たちにリクエスト

ふと思いついたんで増田にでも。

戦中戦後記憶のある人のブログみたいなの読んでたんですよ。えらいおもしろかった。自分が生まれる以前の記憶を持ってる人の話ってだいたいおもしろい。ああそうか、じゃあ俺が書く自分史みたいなのも意味あんのかなーと思ったんですけど、当年とって40歳かばくらいの俺ってあんまり書くべきトピックないんすよね。子供時代に飢えるほど腹減った記憶もないし、自動車がなくて隣の町まで歩いたわけでもないし。せいぜいがとこ、子供時代にまだお祭とかに見世物小屋あったよなーとか、子供のころに横浜駅あたりでも傷痍軍人戦争反対かいいながら乞食やってたよなーとかそれくらいで。

でもそれってその前の時代からあったことなわけで、いまさら俺の世代が書くべきようなことでもない。

で、この世代トピックってなんだろって思ったときに、通信手段の変化なんすよな。具体的にはインターネット以前と以後。あとケータイ以前以後、ポケベル以前以後。この変化を如実に経験してきてる層で、全部に関わってきてるのもやっぱこの世代だと思うのですよ。

なるほどなーそれだったら俺にも書く意味あるなーと思ったんですけど、ひとつ問題が。俺、交友関係ポケベルとかケータイとか必要だった記憶まったくない。友だちいなかったので。

個人史的なもので、トピック通信手段の変遷ってことになると、やっぱりコミュニケーションとの関係が不可欠な視点になると思われるわけです。この流れって要は通信手段プライベート化だし、それが極まったところからの、個人が直接インフラを通じて全世界につながりうるっつー、なんつーの、そのグローバル化みたいなもんじゃないですか。俺は世代的にはその全部を経験してるはずで、いま現在インターネット存在しつつ、んじゃ仕事バイトとの連絡に使うためにLINEでも始めますわーしゃーないみたいな感じなんですけど、でも実際にはポケベルやらケータイやらはまったく通過してないのですよ。

さらにいうと、それを俯瞰するだけの知識もねえのです。

で、思ったんすけど、このへんのことを「全体的な状況を俯瞰しつつ」「個人的経験として」書いてくれる人いないかなーと。あったらすごいおもしろいのに。

以前以後みたいなテーマって、俯瞰的に論じる人はけっこういるんだけど、個人史として書いてくれる人って意外に少ないんですよね。たぶん人の生活においてはどんな革新的ツールも「なんとなく発売された新商品」として消費されてしまって、それ以前と以後っていうかたちで明確には意識しないからだと思うけど。

でもはてなならそれ語れる人ってけっこういるんじゃねーかなーと思いまして。というわけで、通信媒体に関する「以前」「以後」について、個人的経験を通して語ってください。ポケベルでもケータイでもネットでもなんでもいいです。こうしたツールコミュニケーションに関して一定の影響力があったはずなんですけど、俺からはそれがよく見えんのですよ。だから人の書いたもんを読みたいのです。シロクマせんせ、いっちょどうでしょう

2014-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20140930223028

 異議を唱えるもの業者を使って素行監視スパイウェアを仕込んで通信手段を遠隔監視

この部分をもう少し詳しく教えてくれ。

数年前から監視されている感があったんだけど、最近ますます強く思うようになった。

PCを変えてもネットにつないだ時点で即監視されていると感じるんだけど、気味が悪いわ。

ホント監視してたとしたら、頭くるってるとしか言いようがない。

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