はてなキーワード: 通信手段とは
未だにAIは信用ならん!みたいな態度の頑固一徹オヤジ(今でいうアスペ)まだいたのか
今まで人間が人間として他の動植物と違い圧倒的な線引きを可能にしてたのが自由な発想力を持つ知性だった
その線引きが人類誕生以来初めて崩すのが近い未来に完成されるであろう強い人工知能
これが完成するとどうなるかというともはや学問、労働、芸術、科学、政治、経済において人間が単なる邪魔な存在でしかなくなる
まずAIが考え出した効率的なアルゴリズムを人間が頭悪すぎて理解できない
制御できないというのは誤った言い方で、要するにAIから見て人間が馬鹿すぎて理解できなくなる
AIが出す答えはいかに人間が楽できるかという目的に沿う結果を導き出すのが完成形だからだ
むしろ人間が適応できないルールを作り出すとしたら単なる欠陥品であり完成されたAIではない
最終的には人間は飯を食ってケツの穴から大便をひりだすくらいの生産性しかなくなる
今後60年以内にシンギュラリティが起こる可能性は高いほうだと思うが
力で言えばモーターに負け、
お前が勝ってるのってズッコンバッコンできることぐらいだろ?
それが知能になることは絶対に有り得ないと信じてるお前は
宗教 vs 科学 のように相反するものとして語られることも多いけれど、本当にそうなのか?と考えてたどり着いた仮説。
科学の中でも数学の起源は古く、紀元前数万年の壁画からもその記録が見つかっているそうだ。
だが「宇宙とは何か」「生命とは何か」に迫るような、例えば天文学、地学、生物学のような学問が大きく発展し始めたのは
せいぜいこの400年くらいだろうか。分野によっては更にずっと短い。
その理由としては、望遠鏡や顕微鏡、重機、地球規模の移動・通信手段が発達しなければこれらの学問は発展出来なかった
のだろうと思う。
宗教の成り立ちとは
「今いるこの場所とはどこなのか」「自分や身の周りの生き物は何者か」
これらの疑問・不安に答えられる科学がほとんどない時代に、それでもなんとか合理的な仮説を見つけようとする作業から
始まったのではないだろうか。観測出来る状況から仮説を立てる作業というのは現代にも通用する科学の姿勢である。
現代から見ると真実とは思えないような神話も、当時の技術力では解明出来ない事象をなんとか説明するための
仮説と考えればつまり、宗教とはその時代の科学だったと言える。
たぶんその後宗教は人々の間に広まり、権力と結びついたり対立したりするうちに色々ややこしいことになったのだとは思うけど、
科学の理論は発表された後も検証、反証を繰り返して発展するものだ。
宗教も発展し続けていくといいと思う。
そう。画像が使えない。テキストオンリーの世界。それは狭量であると同時に、文字情報だけという思索の機微に満ちている。
昨今、跋扈する「まとめサイト」だろが「LINE」も画像、スタンプを使いすぎ。
一方、増田は純然たるテキストだけが物を言う。思想を文字という形に定着させたシンプルなものだが、むしろその方が時代を超えて、人の心を打つ。
例えば、60年代の映画を見ると(多くの場合)「古臭い」と感じるが、60年代の音楽を聞くと意外と現代と変わりなく聞けるように。。。
のろし→手紙→電話→ファックス→メール→LINE と通信手段は変化したが、
http://webbingstudio.com/weblog/cms/entry-773.html
小規模の商用サイトでは、フォームを暗号化する際には、共有SSLを利用するのが当たり前となっています。独自ドメインのSSL証明書を取得すると、フォームを通して得られる収益よりも、維持費の方がはるかに高くなってしまうからです。
とこの記事では書かれていますが、一体どこで「当たり前」なんでしょうか?
SSL証明書の取得費用は、サーバーホスティングによって額がまちまちなのは確かですけれども、
安く独自SSL証明書を取得して利用できるサーバーホスティングは山ほどあります。
WEB制作者として「自分が良く知っているだけ」のサーバーのレンタルをクライアントに押し付けてはいませんか?
また、小規模商用サイトにしても、仮に年額35,000円のSSL証明書をつけ、かつ、月額3,000円のサーバーを借りていたとすると
月額でいえば6,000円くらいの負担ですが、
いくら小規模とはいえ、広報活動の中核をなすWEBサイトであるならば、
月額6,000円をペイできないとすると、
(というか、効果測定をしていないだけ?)
共用SSLのリスクに関して言えば、この記事が引用している、高木浩光氏の書かれている通りではあります。
cookieが取得できてしまう結果として、一番最初に狙われるのは、管理画面へのログイン。
いわゆるセッションハイジャックです。
ログイン状態を乗っ取られた時点で、どんなCMSでも、WEBサイトの改ざんは可能です。
なぜか。
そのコンテンツは多くの場合MySQLに代表されるDBに保存してあります。
したがって、ファイルの改ざんなどを行わずとも、WEBサイトの内容は書き換えることが可能なのです。
「なるほど」と思ってしまうかもしれないので、
早々に訂正していただきたい。
また、この記事にある a-blog cmsというCMSについてはよく知りませんが、
多くのモダンなCMSでは、ほとんどの管理画面ログインにおいて、
セッションハイジャックに対する防衛は行われていますので、
cookieの取得が、即WEBページの改ざんに繋がるような書き方も、
ここも早々に訂正していただきたい。
この筆者さんは、a-blog cmsというCMSを利用されているようだ。
このCMSはどうやら、PHP製ながらPHPのソースを暗号化しているようだ。
こう言ってはなんですが、攻撃者にしてみれば、a-blog cmsを攻略するくらいならMovable TypeやWordPressを攻めた方が楽というものです。
この記述はむちゃくちゃである。攻撃者にしてみれば、誰でも手に入れられるCMSであれば、
a-blog cmsの公式サイトを拝見すると、MySQLを利用しているようで、
ファイルの暗号化はなされていようとも、DBの中身の仕様は丸見えだ。
前提条件として「知っている」「知らない」の差はあれど、攻撃に関して「ラク」というのは
どう考えても楽観的に過ぎる考えだ。
どうも「SSLで確保される安全の領域」について、かなり認識が甘いようだ。
SSLはあくまで、TCP/IPネットワークにおいて通信経路を暗号化するための技術だ。
通信する際に、通信先のサーバーが正しく認証されているかどうか?に必要なのはSSL証明書。
で、ここに書いたとおり、SSLはあくまでサーバーと利用者の通信においての暗号化だ。
この記事に書かれていることは「メールフォームについて」のことのようだが、
サーバーに到達したあとのメールについては安全性をかんがえていますか?
メールは全く暗号化されず平文で送信されるとても脆弱な通信手段だ。
いくらSSLで通信を暗号化しようとも、問い合わせフォームの送信がメールだったとすると…
とこの記事ではかかれていますが、そもそもHTTPやHTTPSの通信を傍受するより遥かに
メールを傍受したほうがラクとも考えられるはず。
CMSの機能に甘んじて、こういったベーシックな問題に考えが及んでいないとすると、
とおもう。
記事に対するつっこみではないですが、
正しくは「TLS」でっせ。
なってるよ。日本はしばらく停滞してるのと、格差が開いてるから上の方を見たら相対的にどんどん貧しくなってるように感じるかもしれないけど、絶対的な尺度でみて人類は経済的にはどんどん豊かになってる。心の満足感は別にしてね。
経済的に貧しいっていうのは、物やサービスが手にはいらないってこと。お金が無いから欲しくても買えないんじゃなくて、そもそも売ってない。ここでいう物やサービスってのは薬や医療、簡便な移動手段や通信手段、知へのアクセスとかも含んだ総合的な生産物ってことね。
とびきりの金持ちなら金にあかせて地球のどこかから調達してくることはできるかもしれないが、そもそもマスで生産するあてが無ければこの世に存在し得なかったもの(技術の産物は大抵そうだ)については、社会が貧しい時には存在しないから、どんなに金を積んでも手に入れることはできない。
例えば細菌感染した時に医者行ったら抗生剤を出してもらえる、っていうのはものすごいことだよ。人類のこれまでの働きによってそういう世の中になった。(単に研究者や医者が頑張ったからじゃない。社会全体としてそれを支えるだけの生産活動をしてるから、そういう世の中になったわけ。)
だから今の世の中問題なし、なんて言うつもりはないけどね。格差はなんとかしなきゃならん。でも今まで得てきた豊かさは認識した上で、何が足りないか考えないとならんのじゃないか。
http://anond.hatelabo.jp/20150211020227
私は今30代。小学生中学生高校のときは、固定電話が通信手段だった。
小学生のころは「クラスの連絡網」という電話番号が印刷された紙の一覧を配られていた。台風とか忘れ物とかの時はそれで連絡が来る。もしくは電話帳で調べる。電話帳で住所と苗字でそれっぽいのを探して、適当に電話する。珍しい苗字だと間違えはないけど同じ苗字の人が多いとか人が多いともう解らん。かけ間違いを謝りながら電話をかけまくる羽目になった。ちゃんと聞いておくのが一番いい。
クラスの友達と「今度の土日、お祭りに行こう」と約束した時は、電話で連絡を取り合って、待ち合わせ場所と時間を決めて、落ち合って遊びにいった。「もしもし、わたくし○○小学校の○○といいます。○○さんおられますか?」とご家族に言う。ここできちんとした話し方をすると大体お母様やおばあちゃまが優しい。会えない時、遅刻した時はすごくたいへんだった。喧嘩になる。
小学校を卒業するときは、クラスの女の子がよくわかんないファンシーな紙に個人情報を書いてくれとか言って持ってきたりしていた。アレって一体なんなんだろう?
中学生になると、クラスに加えて部活の友達の番号を聞いた。そして連絡を取る。電話番号はきちんと書いてきちんと残していた。今はもう考えられない面倒くささだ。
高校生になったときは、ポケベルが普及し始めたころだった。「ポケベルがならなくて」とかドラマをやってたころかな?私はドラマをみないので良く知らない。ポケベルって言うのは、電話で数字の羅列をポチポチ送ると、カタカナが数文字送れる、ってやつ。「バイト イク」とかが送れる。数字暗記してた人もいたと思う。田舎住まいだったので持ってる人は少なかった。画期的な通信手段だったとおもう。
固定電話で長電話することが増えた。長電話していると、家族が怒り出す。当然だ。当時ウゼーと思ってたけど今思うとすごい迷惑だった。電話代が跳ね上がってよく怒られた。反省しています。オタクの知り合いはFAXで絵を送りあっていたようだ。
当時は友人が家によく来てて夜の十時くらいまでよく家に居た。通信手段が限られているけど、何か話したいとかそういうときは実際一緒にいるしかないってことなんだとおもう。
大学生になって一人暮らしをするにあたって「固定電話を契約するよりは携帯電話を持ったほうがいいでしょう」と親に言われ、携帯電話を持つことになった。通信代金は親もちだった。今のガラケーと違って四角くて長くて重かった。アンテナが付いていて伸ばしたり出来た。通話できないところをアンテナが立たない、と言っていた。一年二年後には大学の友人も全て携帯電話を持つようになっていた。待ち合わせが楽だったり、どこにいるの?とか聞きやすかったりでやはりすごく便利だからだ。ただ、通話料金が高くて長電話などはしないようにしていた。メールも使えるようになって便利になった。文字数の制限がかなりあって、短い文しか送れなかったけど。私は電話があまり好きでなく、メールで連絡を取るほうが好きでそっちばかりだった。今でもそうだ。着信音が当時はファミコンみたいな電子音だった。自分で打ち込んだりして作る。ほんとうです。
携帯電話には時々全然知らない人から電話やメールがきて、友達になろう!とか突然言う人がいた。私は怖いのでそんな人にあったりはしなかったけど「メル友」というのができたりすることも有ったらしい。
大学でパソコンを使うようになってから、パソコンと、パソコンの回線を、自分でバイトなどでお金を貯めて使うようになった。そのころICQ(チャットツール)と言うのが流行り始め、夜はそれでチャットをしたり、チャットルームにはいって知り合いや知らない人と会話をしたりしていた。ネットゲームは知り合いがしていたのでしていた。ICQは突如日本以外の居住の人に話しかけられることが多かった。ノルウェーのオタクの人と定期的に喋っていた。
これらインターネットは自分にとっては画期的だった。遠くの人と知り合いになれるというのは本当にすごいことだと今でも思う。小中高と、顔を知っていて電話番号を知っている人としか話して関わることしかできなかった。
言うなれば、距離が近いだけで、自分が本当にコミュニケーションをとりたい相手かどうか、解らなかった。でもたくさんの人とコミュニケーションを取れるということは、相手への選択肢が増える。マイナーな趣味が共有できたり、同じ悩みの人を探して相談したり。
また情報をインターネット上においておくこともできる。他人と時間がずれていてもコミュニケーションが取れる。また、1対1でなく、多数の人にコミュニケーションがとれる。これも画期的だと自分は思っている。今は当たり前になっているけど、これはすごく素敵なことだと思う。(面倒ごとも多いけど)
それからしばらく間が開いて、Android OSを搭載した端末を買った。携帯電話のメニューって言うのがどうも嫌いだったので。アプリを入れるようになってガジェットを使うようになって、ああ便利になったなあとしみじみ思う。初めてのスマホはまだ動くので大事にとってある。
ふと思いついたんで増田にでも。
戦中戦後の記憶のある人のブログみたいなの読んでたんですよ。えらいおもしろかった。自分が生まれる以前の記憶を持ってる人の話ってだいたいおもしろい。ああそうか、じゃあ俺が書く自分史みたいなのも意味あんのかなーと思ったんですけど、当年とって40歳なかばくらいの俺ってあんまり書くべきトピックないんすよね。子供時代に飢えるほど腹減った記憶もないし、自動車がなくて隣の町まで歩いたわけでもないし。せいぜいがとこ、子供時代にまだお祭とかに見世物小屋あったよなーとか、子供のころに横浜駅あたりでも傷痍軍人が戦争反対とかいいながら乞食やってたよなーとかそれくらいで。
でもそれってその前の時代からあったことなわけで、いまさら俺の世代が書くべきようなことでもない。
で、この世代のトピックってなんだろって思ったときに、通信手段の変化なんすよな。具体的にはインターネット以前と以後。あとケータイ以前以後、ポケベル以前以後。この変化を如実に経験してきてる層で、全部に関わってきてるのもやっぱこの世代だと思うのですよ。
なるほどなーそれだったら俺にも書く意味あるなーと思ったんですけど、ひとつ問題が。俺、交友関係でポケベルとかケータイとか必要だった記憶まったくない。友だちいなかったので。
個人史的なもので、トピックが通信手段の変遷ってことになると、やっぱりコミュニケーションとの関係が不可欠な視点になると思われるわけです。この流れって要は通信手段のプライベート化だし、それが極まったところからの、個人が直接インフラを通じて全世界につながりうるっつー、なんつーの、そのグローバル化みたいなもんじゃないですか。俺は世代的にはその全部を経験してるはずで、いま現在もインターネットに存在しつつ、んじゃ仕事でバイトとの連絡に使うためにLINEでも始めますわーしゃーないみたいな感じなんですけど、でも実際にはポケベルやらケータイやらはまったく通過してないのですよ。
で、思ったんすけど、このへんのことを「全体的な状況を俯瞰しつつ」「個人的な経験として」書いてくれる人いないかなーと。あったらすごいおもしろいのに。
以前以後みたいなテーマって、俯瞰的に論じる人はけっこういるんだけど、個人史として書いてくれる人って意外に少ないんですよね。たぶん人の生活においてはどんな革新的なツールも「なんとなく発売された新商品」として消費されてしまって、それ以前と以後っていうかたちで明確には意識しないからだと思うけど。
でもはてなならそれ語れる人ってけっこういるんじゃねーかなーと思いまして。というわけで、通信媒体に関する「以前」「以後」について、個人的な経験を通して語ってください。ポケベルでもケータイでもネットでもなんでもいいです。こうしたツールはコミュニケーションに関して一定の影響力があったはずなんですけど、俺からはそれがよく見えんのですよ。だから人の書いたもんを読みたいのです。シロクマせんせ、いっちょどうでしょう。