はてなキーワード: 自意識とは
女性が「あの人はブスなおばさんだけど仕事は良くできるよ」と言われて怒るのは、女性が容姿や年齢だけで評価されることを内面化していて「仕事が良くできてもブスなおばさんは無価値とでも言いたいのか!」と深読みしてしまうから。女性の容姿や年齢が仕事の評価に影響しない社会であれば「ブスなおばさん」というのはその人の特徴の一つでしかないから言っても何も問題にならないはずだ。
男性が「あいつはブサイクなおじさんだけど仕事は良くできるよ」と言われても本人はそんなに怒らないだろうし、むしろ褒められたと気をよくする人の方が多い。それは容姿が悪くて若くなくても仕事の評価に影響しないと思っているからだろう。女性もこのような自意識を持てるようになって初めて女性の社会参画が達成されたと言える。
https://anond.hatelabo.jp/20240126183235
「至らない」とかじゃないんだよシロクマさん
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20240125/1706177922 「オタクを馬鹿にするオタク」と言うシーラカンス俺はあなたの年齢までなんとなくわかる。 エヴァあたりの時代、上の世代にあなたみたいなのが大勢いたから。 自意識との益体もない格闘に血道をあげ、旧エヴァ見終わっての感想も「エヴァを見ているぼくの実存」の話だけしてたような先輩たち。 中でもひときわオタクであることに強い劣等感や羞恥心を持ち、その気持ちを他のオタクをディスることで「俺はあいつらとはちょっと違う」って感じで癒してた人達。沢山いたよな。「サブカル」も多くがそれだった。 ただ、さすがに令和の世で同じようなこと続けてるのは俺が知る限りあなたくらいだよ。 どこも見ていないオタク論未だに自意識と格闘マンなので「オタク」というもはや世にありふれた概念への反応と執着心が強く、今
確かに嫌われるだろうとも思うし、同時に嫌われないだろうとも思う。
どういうことかというと、「オタクというのはただの消費者ではない、ただの消費者以上のナニカなのだ」っていう前提を置きつつ、ただの消費者が自分のことをオタクだなんていう自意識で生きるなら、そりゃ理屈の当然として嫌われるし、嫌われてもしょうがないだろ。一方で、「オタクというのはただの消費者の別名なのだ」という前提をおくなら両者は同一なんだから嫌われないだろ。
じゃあ、前者と後者のちがいはどこにあるのか?
それは例えば、(オタクである自分はオタクではなかった自分とは違って〜)参加コミュニティがあるとか、居場所があるとか、何らかの個性的な自己実現やら、人格的財産が入手できるとか、まぁ、そういう意識だよ。当たり前だけど、ただの消費者なんだから、そんな権利はないしそんなものは手に入らない。
仮に手に入ったとすればそれはその方向に何らかの行動をしたからであって、消費者だったからではない。
行動もしないただの消費者が、ただ単にアニメ見るというような消費だけで、「ただの消費者以上のナニカ」つまり前述のような自己実現を手に入ると思ってるのだとすれば、それはすなわち「オタクというのはただの消費者ではない、ただの消費者以上のナニカなのだ」っていう前提を置いているわけだから、そりゃ嫌われる。
結局パルワールドの件で燃えているのって、ポケモンのブランディングの影響でしょう。
ゲーム的な面白さという点ではだいぶ以前からポケモンは低評価がされつつあって、批判の一つに組み上げたブランドに胡座をかいている、みたいな話がある。
逆に言えば、胡座をかけるくらいには世界的なブランドとして成立しているわけじゃん。
ポケモンという不思議な生き物について、可能な限り愛らしく隣人として存在し、データではなく友人としての扱いを心がけ、暴力的な描写については極力誤魔化し、ぼかし、触れるにしても悪印象を可能な限り避けるように取り計らってきているわけで。
そのブランディング自体は成功していて、全世界の子供を含めた人々に愛されるコンテンツとして成立しているという点では、本当に稀有な存在なわけで。
じゃあ、そのブランドを真っ向からぶち破るのを見た時、どうなるかってったら「よくやってくれた」と「よくもやってくれた」の二つしかないわけじゃん。
ブランドを愛していた側からすれば、ゲーフリ株ポケ任天堂が自縄自縛で雁字搦めの中でなんとか継続しているコンテンツの禁忌を平然と、しかもわざわざ似せてまでされたら冒涜されたような気になるに決まってる。
ブランドを疎んでいたり、大した興味がない側からすれば、今までぼかされたり誤魔化されたりしたところに真正面から取り組み、しかもゲーム性は(どのような組み合わせであれ)洗練されているのだから絶賛しても足りない。
ブランドの問題なんだから自意識に絡みついてくるし、感情的な反論も増えるのは(正しい訳でもないだろうが)理解できる。
そのブランドを築き上げて来たのはポケモン側なんだから、ある意味予期されていたことでもあって、それが正しい形に結実するのか、あるいは間違った形に結実するのかはこれからわかることだろう。
私は、ドマイナー限界集落ジャンルで二次創作小説を書いている。ジャンル自体がドマイナーなため、当然推しカプの知名度も低く、現在推しカプで活動している人の数はおそらく片手以下。ROMもほぼいない。
私は二次創作が下手だ。文章も構成も、とにかく作品を構成するなにもかもが下手。自分の作品に対しては、稚拙で見るに堪えない、という評価しか下せない。自分で見てこの評価なのだから、他者から見たらもっと酷いのだろう。
だが、そんな私を気にかけてくださる方もいる。同カプの絵師・Aさんだ。
Aさんは商業でも活動されている絵馬で、フォロワーも多く、支部でメジャージャンルを描けば4桁後半のブクマをじゃこじゃこ取っている。
Aさんはいつも私の作品を褒めてくれる。これは私の二次小説が優れているからではない。いわゆる、「これしかない需要」というやつだ。それくらい、馬鹿の私でもわかる。
Aさんは以前私に「あなたの二次小説を、もっとたくさんの人に読んでもらいたい」と言っていた。
その言葉通り、Aさんは拙作をリプライで、引用RPで、空リプで、他者に見える場で熱烈に褒めちぎる。その度に、私は苦しく、惨めで恥ずかしくなる。だって、Aさんがいくら私を持ち上げようと、私の実力が5しかないのだから、5は100にはならないのだ。そして、Aさんのフォロワーも5を100として受け取らない。Aさんがいくら私を分不相応に持ち上げて、布教するかのように晒し上げたところで、拙作への評価が増えたことは一度もない。
Aさんの褒め言葉は、タイムライン上で、彼女の5桁近いフォロワーの目の中で、上滑りしていく
私は他者の評価を求めて二次創作をしているわけではないので、評価されないことそれ自体は苦ではない。
ただ、上滑りしていく虚しさが、ままごとのような恥ずかしさが、たまらなく辛い。自分が出来栄えに納得していない自作を褒められることもまた辛い。
こんなことを言うと、ブロックなりブロ解なりすればいいと言われるだろう。だが、私はAさんの描く推しCPが大好きだ。Aさんに存在を知られる前、私がROMの頃から匿名箱を使って熱心に感想を送っていた。それに、Aさんは同カプの話ができる数少ない、というかほぼ唯一の友人でもある。私はAさんとの縁を切りたくはないし、まだ書きたいものがあるから二次創作もやめたくない。
せめて、過剰で分不相応な褒めはDMなどのクローズドな場でやってくれないだろうか。そう思って、しかし良かれと思ってしてくれていることなのに角を立てるのも、私の自意識が過剰であることがAさんにバレるのも嫌で、今日も私は何も言えなかった。
女がどんなポケットの服着てようがどうとも思わないんだけどどんだけ歪に自意識を発達させたら男が抑圧してるせいでポケットの大きな服が着れないなんて発想になるのか
元増田の件も同じだけどお前は恵まれてるって言われて、それが事実だった場合セルフイメージに傷がつくのでその手の発言を封じたいってだけの話じゃねぇの
素直にうらやんだり、素直に悔しがったり、素直に憧れるのは体力がいる。それよりもちょっとスカしたふうにふるまったり、すごい人をかえって下げてみたりしたほうが全然傷つかない。でもそんなひねくれやこじらせた自意識や他人に対するレッテル貼りは、人間を不自由にする。
これが最初の定型発達を攻撃する発達障がい者にかかる言葉なんだとしたら、定型として気持ちはわかるけど結構ギリギリ攻めてるよな
これ思い出したhttps://note.com/ao8l22/n/n382fcb80113b
「できる人」をバカにするのはもうやめよう
インターネットの悪いところの1つとして、「できない人」の声が大きくなるところがある。「要領よくできる人」「コミュニケーションがうまい人」「なんだか楽しそうにしている人」のことを、そうじゃない人が「自分はできないけど」と自虐含みでバカにする。羨ましさが反転して攻撃になる。
たとえば発達障害なら、発達障害ではない人のことを「定型発達」「健常者」などと言い、「定型発達」の生きやすさと発達障害の生きづらさを言い連ね、「定型発達」の人々が非常に無神経であるかのようにまとめる。しかしかなり言いがかり的なものもあるというか、「定型発達、そんなスーパーマンじゃねえから…」と言いたくなるようなこともある。人間、だいたいグラデーションだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/workshain/status/959066779929604096
で、クワーッとなったのを抑えるために、オードリー若林正恭の「完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込」(角川文庫)を読んだ。とてもよかった。
すごいよかったのは、若林の言っていることがだんだん変化すること。連載の最初では「スタバで『トール』っていうのが恥ずかしい」と言ってたりするのだが、途中から「別に恥ずかしくないぞ!」と言い出す。過去の自分のネタ帳を読んでこう振り返る。
「テレビに出たい!」「お客さんに笑ってもらいたい!」となぜ素直に書けなかったのだろう。他人事のように考えを巡らせた。それを書いたら最後、いよいよ本格的に自分の力不足を直視しなくてはならなくなるからだろうな。それを書く強さなんて勿論持ち合わせていなかった。だからこそ、それを手にする気がないことを殊更に強調することが、当時の精一杯の自己防衛だったのだろう。
この辺りの文章が超絶に刺さった。素直にうらやんだり、素直に悔しがったり、素直に憧れるのは体力がいる。それよりもちょっとスカしたふうにふるまったり、すごい人をかえって下げてみたりしたほうが全然傷つかない。でもそんなひねくれやこじらせた自意識や他人に対するレッテル貼りは、人間を不自由にする。
全然関係ない話なのだが、私は非常に感謝していることがある。むかし「部屋が汚い」ということを記事にしていたら、「発達障害(ADHD)なのではないか」というコメントをもらった。それに対して私は「そうなのかな?」と思っていたのだが、自身がADHDであり、それについての文章をよく書いていたYさんが、そのことについて怒ってくれた。その怒ってくれたものの中身はあんまり覚えていないのだが、「青ちゃんは部屋が汚いことを気にしているのに、そういうレッテル貼りはいかがなものか」のようなものだったような気がする(違ったかもしれない)。
ADHDがらみの話は私の中で非常に混迷している。ADHDの特徴を、当事者やその周りの人が知っておくことは、生きやすさ、過ごしやすさにつながると思う。「どうして自分はこんなにできないんだろう」と悩んでいる人が、ADHDの情報を知ることは、とても救いになるし、大事なことだと考えている。
ただそれは当事者と、その周りの人が楽しくコミュニケーションするために知っておくべき情報であり、赤の他人がその相手を理解しやすくするためにレッテルを貼り付けるものであってほしくないという気がする。たいていそういうのは雑になるものだから。それは「発達障害」という言葉でもあるし、「定型発達」という言葉でも同様に発生している。
ttps://x.com/ao8l22/status/960065753872416772?s=20
ttps://x.com/ao8l22/status/960066055988129792?s=20
ttps://x.com/ao8l22/status/960093910063235072?s=20
②パク増
③パク増再投稿(元のパク増本人?)
自分よりプラスに見える人間をまずバカにするやり口、本当に好かない。リ..
https://archive.vn/2021.03.19-214155/https://anond.hatelabo.jp/20210319191550
もっと掘り下げて考えればなぜ天国が存在しない(確率が高い)かわかるよ。
天国が存在するためには「魂のようやものが実在する」と仮定する必要があるが、そんなものは科学的に実在しない確率が高い、ゆえに天国は存在しない。
以下に詳しく述べる。
なぜ「魂のようなものが実在する」と仮定する必要があるかと言えば、天国は「人(や動物)の死後に行く場所」と一般に想定されていると思うが、通常、人(や動物)が亡くなればその肉体はやがて腐って無くなる。
となると「人(や動物)の死後に行く場所」である天国にいくのは肉体ではないもの、つまり「魂のようなもの」と考えざるをえない。これは論理的帰結だ。
ではこの「魂のようなもの」の実在する確率は高いのか、低いのか?科学的に言えば低いわけだ。
我々人類がかつて「魂のようなもの」に担わせてきた自意識や記憶の淵源といった役割は、科学の一分野たる医学によって脳が担っている確率が非常に高いことが何度となく証明されている。
脳が破壊されると人は死ぬし、脳の一部が機能しなくなると体が動かせなくなったり、記憶を失ったりする。脳の変質によって性格が変わることまで明らかになっている。
内発的動機で駆動する『個人主義ユートピア』を、外発的動機で動かされる『資本主義ディストピア』に変えられてしまわないために - 自意識高い系男子
https://l.pg1x.com/w8LgVAuAA84FcSGX9
どんだけの損害が出たのか。
エロゲ屋のプロデューサーの大半は「ニコニコ死ねP2P死ね」だったよ。
なんかユーザーは「エロゲを盛り上げたのはニコニコ!」みたいな態度だけど「ニコニコで盛り上がる」→「割れDLが増える」ってだけで売上には1つも寄与してない。
なんかここ10年ぐらいでリテラシー(笑)が上がったせいで「あの頃のインターネットは清浄なる個人主義のユートピアだった!」っていうウォッシュ(笑)するの、やめてくれません?マジで。