はてなキーワード: 職人とは
そういえば昔気質の職人みたいな人ってみんな口揃えて「道具は大事にしろ」っていうよね。
若くして死んだ俺の父親も中卒で職人やって最終的に飲食の店長に落ち着いたんだが、小さい時にことあるたびに、「道具を粗末にする人間に仕事ができる奴はいねえ」「本を跨いで歩くな」って言われたな。
俺自身はADHDっぽいところがあって部屋はぐちゃぐちゃ、プログラマーやってるけど道具を大事にするってエディタとかバージョン管理ツール大事にするってことか?あ、それ以前にパソコンかってな感じで全くピンとこない。デフレが進んでロジスティクスが発達した、即日配送、大量消費、大量廃棄の世の中で良かったと思う。
物に当たる行為が試合中の適切なアンガーマネジメントであるかのごとく正当化する評論家の口調を見て、自分もテニス界に失望した。ヨーロッパではスポーツの社会的地位が高いとされ、いくらスポーツに秀でていても社会人としての振る舞いが適正でなければ批判の対象となる、という。その中でもテニスのトッププロは社会意識が高く、しばしばその「ノーブレスオブリージュ」な振る舞いが例に挙がるくらい「スポーツ界の優等生」なのだというイメージがあった。だが、この件でそれが「勘違いした貴族意識」なのではないかとさえ思わされた。
「物に魂が籠もる」というのは、決してメジャーではない勝手な信仰に過ぎないのかもしれない。だが一方で、「金さえ払えば好きにしていい」という考えがメジャーなものだとも思わない。一流の料理人は、客が金さえ払えば自分の渾身の一皿を床にぶちまけられても平然と対応するべきか? 一流の家具職人は、客が金さえ払えば全力で作った家具を落下実験に使われても平気か? それでいいなら、テニスのトッププロとやらは、自分らが命を賭けて戦った大会の映像を使ってネタ動画作られても、一言の文句を言う資格もないことになるだろう。
何かを壊したいのなら、最初から自分で土をこねて焼き物でも作ってそれをベンチに置いておけと思う。別に彼女に限った話ではない。そもそもラケットを壊すな。少なくとも人の見本になろうとする人間の振る舞いとして、それは見苦しいことこの上ない所行である。
正直
・工数として消耗
・明らかに工数をドブに捨てる仕事の仕方に改善提案しても足蹴にされる
・そのためには将来に飯を食うための開発をやってるグループを強制解体して、今抱えてる製品群は寿命がきつつあるし、価格勝負になってる
・こんなことしてる都合で業務改善のための工数も捻出できず、低レベルなことが職人芸扱い
念の為ぼかす。
一昨年、近所の庭のある1戸建てに一人暮らしのおばさんが引っ越してきた。
その家は前住居者が離婚して、家族が出ていき、その所有者がリフォームを施し貸家にしたものだ。
日当たりが良く、庭はその家と隣の家の間にあり南側の道路に面していたので、日照権を得られなかった私の家族はその家を羨ましがっていた。道路に面した部分はフェンスと門扉で覆われているが、野良猫がそのフェンスをくぐり、その庭の間を通るのを昔はよく見かけた。
独居中年女性の存在が結構珍しく、母の仲間たちも「未亡人なのかね」「子供が独り立ちしてるのかもね」「ママさんバレー興味あるかな」と引っ越し当初は持ち切りだった。
しかし、あまり周りとのコミュニーケーションを取りたがるような人ではなかったみたいで、周りもソッとしていた。
近所に大きな駐車場があり、そこに結構な数の野良猫がいた。過剰に猫に餌やりをする女がいて、そのせいか野良猫のたまり場になっていて、近所に庭のある家は糞尿の被害にあっていて、夏場の臭いは酷いものだった。
おばさんの家の庭も例外ではなかったのが容易に想像はついた。おばさんは園芸が好きみたいで、庭にはプランターや木の入った鉢など沢山おいてあった。
その横に開封してある猫缶らしきものが置いてあったのが驚いた。庭を荒らされても平気な程、猫が好きなんだろうなと思った。
ある日、珍しくおばさんを庭先で見かけた。おばさんはしゃがみこんで、菜箸で猫缶の中身を混ぜていた。その横に青色の不凍液のボトルが置いてあり、チョビチョビと猫缶に不凍液を混ぜながらかき混ぜているのだ。
ギョッとした俺は、見て見ぬふりを通り過ぎた。
今まで彼女はずっと、野良猫に不凍液を混ぜた猫缶を与え続けていたのだ。
今朝、そういえば最近野良猫全く見なくなったね。と母が言った。去年はふん尿のニオイも無くて良かった。窓を開けて喚起ができたから。そういえば駐車場でも冬場に野良猫1匹も見なかった。保健所に連れていかれたのかもね。車運転する時、誤っていつか踏むんじゃないかと思ってたから、ホッとしたよ。
そんな話をしていた。
俺は猫は好きでも嫌いでもないが、野良猫に餌をやる行為は間違いなく誤りだと思う。動物を飼ったことのある人間ならわかると思うが、餌やり、トイレの世話、健康チェックから看取りまで、全てこなして飼育なのだ。
去勢手術も施さず1番楽な餌やりだけやって猫を護った気になれるならそれは独善的すぎるし、なんなら雑食の猫の自活力を奪い、の不幸の連鎖を繋ぐ手助けをする悪魔的な行為だ。手えだすならしまいまでやれと、俺が子供の頃に働いていた湯屋で世話になっていた職人が言っていたのを思い出す。
おばさんが恣意的に野良猫を殺したことは、褒められたことではない。しかし、おばさんを責める事は誰ができるんだろうか。地域猫としての処置をされた野良猫なんて1匹も居なかった。
愛護法に動物はみだりに殺してはいけないとあるが、おばさんは自分の家の敷地内に不凍液を混ぜた猫缶を置いていただけだ。近所を歩き回って叩き殺したわけでもなく、猫のいるスポットに毒餌を置いて回っていたわけでもない。「みだり」の定義に反するかは疑問である。猫いらずでねずみを殺す感覚に近いのかもしれない。
俺にはおばさんを責める権利が見当たらなかった。
猫殺しの気味の悪い中年女の行為が、近隣住民のQOLの向上につながった事を知っているのは俺だけなんだろうな、と今はもう猫缶が置いてないおばさんの庭先を通り、ふと思った。
40代半ばの女友達が新型コロナの煽りで無職になり転職活動している。なかなか上手く行かずLINEで愚痴が飛んでくるので励ましているが、正直再就職の望みは薄いと思っている。なぜなら性格が悪い癖に『嫌われる勇気』よろしく自分に素直に生きているからだ。
揚げ足取ったり、自分が言ったこと忘れたり、自分の失敗は棚に上げて人の失敗指摘したり、遅刻や忘れ物したり、同じような質問に対してこちらが同じような回答しても気分で喜んだり冷たくあしらったり。自分中心、アドラー先生は神。
私自身その本読んでないけど、そもそもの性格は良くしなさいとか書いてないのかな?彼女自身こだわりや集中力やいざって時の爆発力はあるので作家や職人には向いていると思うけど、恐らく会社での仕事は難しそう。その歳になって順調なステップアップ出来てないのは会社や社会や性別のせいだと思わず自分のせいだと思わないのかな?
たぶん縁を切るのが一番なんだろうけど、正直彼女がどん底まで落ちるのを特等席で見たいので、もう少し適当に付き合おうと思うが、願わくば自分で気付いて性格は治ってほしい。
うちの課の人が育休取ったらどうなるか。
うちの課は、属人化業務が甚だしいというか、職人技というか、その人が開発担当でそれぞれがプロジェクト担当者みたいになってて、本当に脆弱。
その人いなくなったらそのプロジェクトの開発は止まる。メンテナンスはかろうじてできるが開発は進まない。
その人の担当箇所に開発項目が発生しなければいいけど、出たらどうしよう。
フォローできる自信ないな。
代わりの人をとればいいっていうけど、誰がやってもその人の代わりにはならないのよね。
まー、外注頼んで簡単なのはお願いするだろうけど、外注にいろいろ触られてもその人帰ってきて嫌な顔してもなー、こっちも困るしな。
1年ぐらいであれば我慢できるかな。開発項目の内容によるかな。
難しいな。
まあわかる。25年くらい前、もともとパソコン通信とかインターネットは金持ちのサロンだった。
やりたいことを自由にやって未来のことを語っていた。あめぞうでもふたばでも2chでもあやしいでも
裏に変なスポンサーなかったし、フラッシュとか芸達者な職人が当座は商売抜きでいろいろ実験してた。
fjあたりでは変な手斧が飛び交っていたが・・・まあそれも当時は経験値かなと思えた
いまは、無料ニュースは実は広告だし、サーチエンジンもはてブのホッテントリも広告屋さんにつくられた糞みたいなのばっかりだし
ネットイナゴみたいな人は何も考えていないし、政治家もマスコミもその場しのぎだし、
声の大きいクレーマーは暴れるし、時々リアルで刃傷沙汰になるし、
なんかディストピア感あふれるよな。
製造業だが過去の成功体験が強すぎるのとソフトウェアに弱すぎて進歩はなさそう
製造業の主な勝ち筋は
の2つだった。
だがかつての日本は給与安い人に職人芸を取得させ、給与を抑制(タダ働きのQCサークルとかが典型)で金をかけずに高品質なものを作るという新たな勝ち筋を見出し席巻した。
しかし今は貴方が触れているようなソフトウェアの影響で設備に金をかけて人に金をかけずに超高品質をさらに安く作るという新たな勝ち筋ができた。日本の勝ち筋は過去のものとなり中途半端なものになった。
本当は勝ち筋を乗り換えないといけないが成功体験とソフトウェアの弱さで難しく、現実から目を背け職人芸こそが日本の製造業の復活の道と叫ばれているのである。