はてなキーワード: 戒名とは
坊主の後だけで跋扈してる葬儀会社が一番えぐい商売してると思う。
何かあれば戒名の布施が高いだの何だの言って坊主の責任にして逃げてるけど、坊主に聞いたら実際のところ葬儀会社からは1件10万円ももらってないと。
特に最近の派遣サービスは手数料が50%くらいになったみたいだから、ますます坊主の収入は減ってるね。
確かに僧侶という名ばかりの子持ち(笑)が有り難そうな漢字を適当に名前つけて数百万なんてところもあるにはある。
いい加減に子持ちの僧侶なんて宗派が追い出すべきなんだろうけど、お偉い様がみんな妻子持ちだから彼らは緩やかに滅んでいくだけだろうけどね。
そんな僧侶とかいう一般人の話はどうでもいいんだけど、ほとんどが葬儀会社の収入になってて坊主の収入なんて雀の涙みたいなもんよ。
そこに目を付けた本山が妻子を食わすために葬儀サービスを始めてカオスになってるんだけど、実際は葬儀会社が一番えぐいよ。
どっちも滅んでいくものだけど坊主にだけヘイトが溜まるのはフェアじゃない。
おっさんがダジャレ書いておっさんがスターあげてるんだぞ?この世の地獄かよ。
俺が見始めたころのはてなはもっと殺伐としていて、ロジカルな殴り合いがあって、知的な興奮があった。
それが今はどうだ。鋭い切り口の批評なんかはなく、我先にとダジャレを書いている。
昔のお前たちはそんなおっさんがいたら小馬鹿にしてこれだから老害はなどと言っていただろう。
今はお前たちがなってるんだよ、そのクソつまんないおっさんに。
この増田に対してもダジャレを書くやつがいると思うが、そういうとこだぞ。
職場にお前たちみたいなおっさんがいたら嫌だろ。ごめん、もう疎まれてるからはてなに来るんだったな。
あと、もしこの増田が伸びたらホッテントリでタイトルだけ見てダジャレ書くやつも絶対いるぞ。死ねよ。戒名をダジャレにしてもらえ。
増田です。
韓国、文化や言語を学んで見ると面白いですよ!(政治問題は横に置いといて)
似ているところもあり、違うところもあり、そこがまた面白かったり。
ブタは富の象徴なので、街中にかわいいブタのキャラクター広告があるので、なんだか新鮮。
すみません、例がよくなかったですかね。
「あっ、(意外と)高い!この価格!」でした。
ま、実際の会話では抑揚や状況があるので..
何を言っているかはもちろんわかる。
でも北の訛りや独特の言葉はある、と言ってました。
なんとなく意味はわかるけど、
読み方は良くわからないし、かといって
まぁ、名前なんだよな、ぐらい。
単語や文節の間に空白があるので、それでだいぶ読みやすいです。
오늘은 날씨가 좋습니다 (今日は天気が良いです)
慣れると、この空白を頼りに
名詞、動詞や主語、述語、さらに主部、述部が瞬時にわかるようになって
韓国料理も辛くて美味しいですよ~
増田のみんなも一度は来てみて!
葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。
確か数年前、業者に頼まず自分で親を見送った増田のレポートがあった記憶があるが、ああいうものはあれでいてかなりシステマティックに世の中の仕組みができていて、業者に依頼しない=仕組みに乗らないで遺体を焼くのは割と面倒そうだった記憶がある。
この頃は葬式業者もお手軽パックもあるみたいだが、何だかんだでそれなりにしようとなるとお得感が無くなる、オプションなしだとかなり質が下がるという話もあるし、それほど簡単ではないかもしれない。まぁ彼らも商売だから阿漕だなとは思うが仕方ないだろう、商売とは基本的に阿漕なものだ。
簡単に死んで簡単に野ざらしになれればさっぱりして良いなと思うが、残念ながら妙なところで現代社会には「ある種の厄介さ」があり、それを良いことだとも思ってはいないが、ことに生き死ににかかる諸々は出来上がってるシステムに乗ると割と楽だし人と違うことをすると悪目立ちしやすいという困ったところがあるのだ。
増田は親を二人見送ったが、多少金がかかっても出来上がっているシステムで楽をする方を選んだ。
親のうちひとりは病気で亡くなったのだが、死ぬ前の1か月はだんだん意思が柔らかく緩くなっていき、元気な時は「葬式無用 戒名不要」とか「その辺に灰を撒いてほしい」とか言っていたが、最期の病床では墓のことなどをぽつりぽつりと言いだすようになった。家庭の事情が若干複雑で、ある墓を引き継がざるを得なかったのだがその引継ぎについて口が煩いだけの親戚から了承を取る必要があり、まだ元気なころは墓はつぶす葬式もいらんお前たちも家を継ぐなんて考えなくていい、など言っていたのが、私に煩い親戚からの墓引継ぎの了承を取ってほしいと頼んできて驚いた。元気なころは生まれや世代からしたら相当アナーキーな考え方をしていた人だったので、本当にいいのか、別の方法(散骨など)も考えられるがと聞き返したが、それでいいんだ、と言っていた。もう死んでしまったので本意は分からないが恐らく「それで(お前たちが楽な方が)いいんだ」ということだったのだろうと思っている。
もう一人の親は自宅での突然死だったので、もう色々(警察が来たりする)大変で、そのまま業者に頼むほうが気持ちも体も楽だった。というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。検死も必要だし死亡診断書がないと焼き場の手続きが進まないし焼き場の予約も混雑してたこともあり時間が結構かかって、ボディが腐らないかという心配がかなり頭の多くを占めていた記憶がある。先に死んだ親が墓問題を己が死に引き受けたくれたおかげで余計なことを一つ考えずに済んだのがありがたかった。
検死の結果、自然死だったわけだが、病院で死なないというだけでこれだけ手続きが面倒になるのか、そして病院(や誰か看取る人がいる場所)で死なないとこれだけ面倒なのかとかなり身と心を削られた。オフィシャルに死なない(医者などが看取らない)ということは、誰かが疑いの目で見るということだ。警察などからしたら疑うこともなさそうなのが一目瞭然であっても念のため疑わざるを得ないし、遠巻きの第三者はそのような「念のため」をすっ飛ばして、残った我々に色々な憶測を割と無遠慮に投げつけてきたりすることもある。親族などに親の死を連絡をする時はこういうフレーズだと角も立たずこちらも苦しくないです、と教えてくれたのも面白く、ありがたかった。儀礼やコミュニティにおける知恵が企業によりマニュアル化されている面白さ。
身内が死んで1か月ぐらいは、なんていうか、生きている側であるこちらも生死の境にいるようなところがある。頭が回らないし究極の非日常でもある。そういう「境目」にいると体の負担も心の負担もかなり大きい。
業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。参列者がまばらになった通夜ぶるまいの席で親族や親の友人知人たちにお礼を言って回っていて、気が付いたらまる2日たいしたものを食べてないな…とごちそうの名残を眺めていたら、業者が私たち「ご遺族様」用に別に美味しそうにきちんと整えられた食事を用意してくれていたのがありがたかった。まぁそういう気遣いが商売なのだろう。
親ふたりの葬式にはそれぞれ彼らが生きていた時によく聞いていたCDを自宅から持ってきてBGMにしてもらった。
どちらの葬式も業者の葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。勝手の分からないベース基地で、言葉は悪いが良い感じの時間つぶしが必要だった。スマホではてブなんかは、やはり見る気にはなかなかなれない。SNSも、動画サイトも、自分たち大人はもちろん、子供たちもあまり見たい感じではない様子だった。休んでいる間の仕事のやり取りでメールや電話をしても、なんていうかしんどい。確認メールを1本入れるにも、気持ちを整えて橋を渡ってまた橋を渡って戻ってくるというような隔絶感があった。
TVも置いてあったがこれもやはり見る気になかなかなれず、そしてクタクタのはずなのだがちっとも眠くならない。通夜番(とはいえ線香も一晩通して火が消えない蚊取り線香のようなぐるぐるした線香があったり(仏式です)と番をするような必要もないのだ)で残ってくれたごく親しい身内親族がいたこともあって、ふと思いついて実家に一度戻って、親が好んで聞いていたCDを何枚か持ってきて、会場の音響設備を使わせてもらって聞いてみたら良かったのだ。
親と趣味を共有していたからということもあるが、この曲好きだったねとか、このCDは家族でドライブに行くときにはいつも持って行ってたよねとか、そういう話ができたのも良かった。そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCDを葬式にもかけてもらった。見送られる人も、そして何より見送る人も聞きなれた音楽が流れてたのは思いのほか、久しぶりに肺に空気が入ったような悪くない感じだった。
この辺はただの好みの問題だが、業者が用意しているBGMは、ふやぁ~ん系ニューエイジ風の環境音楽みたいなヤツとか耳に残らないようなクラシックの室内楽とか当たり障りのないもので、ずーっと聞いてると逆に耳に障った。当たり障りのない音の方が良いという人も居るだろうと思うが。無音はかなりしんどいと思う。周囲が虫の声とカエルの合唱みたいなところなら良いのかもしれないが、何らかの街のノイズがいちいち気になった。
これはほとんどの人がそうだろうと思うが、ネットやTVラジオ等もほとんどの「日常情報」はしんどくなると思っておいていいと思う。なんていうかすごくしんどかった、「橋の向こうにある日常」が。
あとは業者にもよるだろうが、業者の言うままにすると、妙に感動的な当たり障りのない美辞麗句の式次第アナウンスとともに当たり障りのない感動音楽を流す感じだった。葬式内容の打合せで試しに聞かせてもらったのだが、こんなん葬式コントみたいだと笑っちゃいそうだったので葬式コント化を免れたのは結果的にすごくよかった。この辺は結婚式をオールお仕着せでやるとギャーってなるのと同じ感じかもしれない。
定年まであと5年ほど。そのあと、5年は年金なしで家計を支えなければならない。そのあと年金による生活。自分は死ぬまで貧乏だということを自覚し始めた。死に至るまで、心臓がとまり臨終を迎えるまで、冷静にこの事実から目をそらさない覚悟を求められている。さらには、自分の葬式にかかる費用など遺族が支払うことを現在の日本社会で回避できない費用まで意識しなければならない。
自分の肉親の死の際、僧侶から戒名の代金として60万円を請求された時はそれが普通のことだとは信じられなかった。そして、葬儀会社に請求された費用が200万ほど、さらに墓地に関わる費用など自分の遺族に経済的拷問が課せられることをなんとか回避したい。
うちの家族は「葬式なんかでカネを使うより、生きてる者が未来の為にもっと有意義なことに使ったほうが良い」って考えですね。
資産家だった私の父もそうでした。
生きている間
「罰があたる!」
などいろいろな脅し文句でカネを引き出そうとしてきた坊主の態度に大きな疑問を抱いて、その背景にある仏教をベースにしたビジネスモデルのろくでもなさに気付いたようです。
こういった考えは葬式で商売されている方にとっては都合が悪いでしょうが。
資産・負債という観点、投資という観点からすれば、葬式にカネを使うのはあまりにも非合理的。
今の日本は合理化が進んでいますから、葬式なんて不要!という人が多くなるのは当然。
それに高級車でキャバクラ通いをする坊主を批判しない仏教界の体質にも強いマイナスイメージを覚えていることでしょう。
そりゃそうですよ、自分が葬式の為に出したカネがキャバクラ嬢やクルマやその他もろもろの高級ブランドが肥え太る為に使われてるなんて知ったらね。