はてなキーワード: 思考とは
変態パズルゲームメーカー(誉め言葉)で知られるZachtronicsの最終作『Last Call BBS』を全実績解除するまでやり尽くしたので感想を書く。
私にとって『Last Call BBS』は、3作目に遊んだZachtronicsゲームである。
1作目は『Opus Magnum』、2作目は『SpaceChem』であった。
SpaceChemを全実績解除するまでプレイした時の感想はこちら → https://anond.hatelabo.jp/20240315235948#
いやー、それにしても楽しかった。
ゲーム全体の雰囲気としては、レトロな雰囲気が気に入った。HDDのカリカリ音だったりダイヤルアップ接続のピポパ音だったりもいい。
ただ、日本語訳されていないので、BBSや主人公(?)のテキストメモにおいて英文読解があまりできなかったのが残念だ。とはいえこれは私の英語能力が低いせいなので仕方がない。
『Last Call BBS』に収録されている各ゲームの難易度は、私にとってちょうど良かった。ギリギリクリアできる難易度のものが多かったから、当ゲームの開発者は難易度調整にさぞ力を入れたことだろう。
ゲームの紹介についてはネットで検索すればわかることだから他で参照してもらって、ここは日記なので私の感想を中心に書くことにする。ちなみに当ゲーム内にある各ゲーム(全部で8つ)の感想はクリア順(実績解除順)に並べる。
他のパズルゲームで頭脳を酷使した後のリフレッシュにちょうどいいのでついつい繰り返しプレイして、必要ないのに50勝以上もしてしまった。(10勝で実績解除)
初めの頃はルールを理解するのに苦労した。最初はとりあえず升目を空けてステージクリアしたが、なぜステージクリアになったのかがわからなかった。しかし、次第にルールが理解できるようになると、楽しくステージ進行できるようになった。とはいえ、終盤のほうはなかなか難しくて頭を抱えたりもした。
オブジェクトを運んで加工してと、まさにZachtronicsらしいパズルゲーム。ステージクリア後にコストとステップ数のランキングがグラフで表示されるので(SpaceChemなどでもおなじみだ)、クリア後もついつい効率化を図ってしまうのもまさにZachtronicsだ。コスト低減のためにコンベヤやセンサの設置をシンプルにして、代わりにロジック部分を配線まみれにしてしまうのが楽しくて仕方がない。
難易度の上昇幅もちょうどよく、ステージの終盤になるとロジック部分がギチギチで配線グチャグチャになったりしたのも楽しかった。
ステージクリア後の利用客のレビューも面白い(英文がちょっと難しかったけど)。コーラの製造ステージでコークやペプシを作るのだが、「全部同じじゃないですか」(意訳)というレビューがあって笑った。カップのデザインが違うだけで中身が同じだからだ。
あっさりと最高難易度までクリアして実績解除できた。しかし、クリアしても適切な戦略が良くわからなかった。クリアしても初期配置が良かったからとしか思えなくて達成感は無かったし、失敗してもやはり初期配置が悪かったからとしか思えなかった。ようするに運ゲーにしか感じなかった。やたらめったらカードを動かして積み重ねては駄目なようだけど、さりとてカードを積み重ねることでしかカードを動かせないのだからいったいどうすれば、という感じだった。
おなじく運ゲーなソリティアであるSawayama Solitaireは滅茶苦茶はまったのに対して、Kabufuda Solitaireにはあまりはまらなかった。これは、カード操作で戦略的思考を持てるか否かの違いだろうか。
ゲームというより作業シミュレーター? 無心になって、ニッパーでプチプチとパーツを外してパーツをはめ込むのは、禅の境地だろうか。
ゴア的ホラーな雰囲気を漂わせたパズルゲーム(ゴア表現は無い)。この雰囲気でパズルゲーム? と思ったが、スライム状のオブジェクトを増殖して変化させるパズルは、ゴアな雰囲気がふさわしい。プレイと共に雰囲気が好きになってきた。
難易度の上昇幅もちょうどよく、序盤はテンポよく次々とステージクリアできるが、終盤になると頭を抱えるほどに難しくなる。実績解除してこれで全ステージクリアかと思ったら、まだまだステージがたくさんあることに気づいて愕然とした。どれも難しそうなので、やらずに放置している。
PNPとNPNってどう違うんだっけ? ベース・コレクタ・エミッタってなんだっけ? いまだによくわかっていないが、PNPとNPNを組み合わせて問題解決するのは楽しかった。特に楽しかったのは自己保持回路だ。どうすれば自己保持できるんだと悩んだが、試行錯誤の末に実現して動作を眺めるのが楽しかった。
難易度上昇幅もやはりちょうどよく、終盤は頭を抱えたり奇声を上げるほどに難しかったが、それだけに達成感も大きかった。Zachtronicsおなじみの、ステージクリア後のランキングもやはりいい。ランキング上位を目指そうとステージクリア後も回路を小さくするよう、ついつい改良してしまう。
『パネルでポン』を彷彿させるパズルゲーム。ブロックが消えている間にブロックを投げ込んで連鎖できるのも、パネルでポンにおけるアクティブ連鎖を彷彿させる。
このゲームの攻略は、3ステージ目がなかなかクリアできずに後回しにしていた。
3ステージ目は、運悪く盤面ブロックの種類がバラつくとブロックを消すのに手間取ってしまい負けてしまう。また、プレイが長引くと爆弾ブロックが邪魔になって負けることが多かった。爆弾は発動させても相手にダメージを与えられないので、メリットは無い。逆にブロック配置の運が良いと連鎖を簡単に組めたり、あるいは勝手に連鎖になって相手に大ダメージを与えることができる。
3ステージ目は何度もコンティニューして、運良く連鎖が繋がった時に勝つことができた。
4ステージ目(最終ステージ)はコンティニュー1回で勝てたが、これも運良く画面外で連鎖が繋がったのが主因だ。
このゲームは、ブロック操作の速さやテクニックよりも、運の良さに左右されるゲームだと思う。
全実績を解除した時点の感想としては、とにかく楽しくて苦痛でもあった。それだけに達成感もまた大きかった。さすがはZachtronicsだ。
Last Call BBS内のどのゲームも面白かったが、その中でも『20th Century Food Court』が一番良かった。次に『ChipWizard Professional』だ。
もう当分の間パズルゲームはやりたくないのでしばらくは他のジャンルのゲームをするだろうが、何か月もすると禁断症状が出てまたパズルゲームをやりたくなるだろう。その時には『SHENZHEN I/O』をやろうと思う。
「安楽死に賛成して国民民主党を支持した氷河期世代は自分達がそのターゲットになると分かっていない」
という理屈で氷河期世代叩きをしている人が多いけれど、それはあまりにも氷河期世代の知性を舐めすぎでしょう。
みんなそんな事とっくに分かった上で、まさに自分達が楽に死ぬために安楽死を求めているんだよ。
他人を見下した思考で説得しようとしたところで却って相手は頑なになるだけだといい加減学べばいいのに。
以前、増田で「妻は専業主婦で、家計管理は夫がしている」と書いたところ、「専業主婦にしてお金も取り上げたら、奥さんは逆らえないし、セックスにも応じるしかなくて可哀想」といったコメントが寄せられた。
だが、ちょっと待ってほしい。これって、夫が小遣い制の場合も同じ話じゃないだろうか?
労働で時間を拘束され、財布を妻に握られた夫は、何もできずに逆らえない状況に追い込まれる。
専業主婦は時間があるのだから、お金が欲しければバイトでも何でもすればいいじゃないか。
収入源のない人に家計管理を任せても、コスト削減にしかインセンティブが働かない。そんな人に会計を任せていたら、家計は貧しくなる一方だ。
そもそも小遣い制なんて、自制できない子どもに対して行うものだ。
何これ。
宝物って結局物扱いじゃん
フェミニスト面している人の中にもこういう思考の持ち主が少なくないのが残念。
こういうふうに誰かの大切な「娘」や「妻」や「母」だから大切にしようという思考だから、
@ueeeeeeiyukiti
「みんなが大事に育ててる宝物に性欲向けないで」
マジでこれ
他の家のお子さんでも、未成年なら大人みんなで大切に守りたいし嫌な思いさせないようにしたいし、同世代の異性とピュアな恋愛してほしいって思うやん
自公が減らした分はほぼ立憲に流れた
しかしここが選挙のキーを握るボリュームゾーンなのは絶望しかない
ザコ野党は間で支持者が流動している
しかし、とりあえず写経などという思考はどうにも後ろめたさがある。
写経が目的の写経などやることを見つけられなかった無能のその場しのぎだと言われて、納得のいく返しが思いつかなかった。
・何もやらないよりマシ
・眠くなりにくい
どれも弱い。
私の写経観がよくないこともある。
私は答えを出されると一気にやる気を失ってしまうので、写経はかなりモチベーションが落ちる。
考えながら写経などとしばし目にするが、答えが出ているというのに何を考えろというのだ。
そう考えると、やはり課題の設定力が著しく低いということかもしれない。
毎度毎度のことではあるが、今朝もXを開くと「選挙に行かない若者が日本をダメにする」とか、「日本人はこれだから〜」とか「選挙行かない国民はバカ」みたいな言葉に溢れていた。
こういうの、俺が2chに入り浸っていた15〜6年前にもまったく同じことを言ってる人たちがいたんだよな。
選挙が嫌いだ、とにかく嫌いだ、投票になんて行かない、絶対にだ、なんとでも言え、僕は選挙を憎む。
選挙に行く理由がない、いまの僕には選挙に行く理由さえないのだ、政治なんてどうでもいい、社会なんてどうでもいい、人生なんてどうでもいい、僕は何年も前からおかしい。
選挙に行かないと言うと皆説教をはじめる、僕を説得してどうなるんだ、どうしてお前が上なんだ、それで何かを成したつもりなのか、本気でそう思っているのか、だから投票にも行くんだな。
投票に行くと言う人を見る、三人くらいに褒められている、くだらない、初めて投票に行ったという人を見る、百人くらいに褒められている、くだらない、みんな何かに擦り寄っているみたいだ、結末の決まった思考の跡ばかり目につく、みんなは違和感を覚えないのか、それともみんな怯えているのか?
僕は心底分かり合えないと思う、少なくともいまの僕には、だけどそのことは理解している、でも相手はそうじゃない、僕にとっては何千万分の一でしかないものに無限の可能性を見出す、いまの僕にもそれができると思っている、うんざりだ、何人もと喋った、全員同じことを言う、もううんざりなんだ、彼らはこの仕組みが究極で、完全で、一つの欠陥もなく、このまま永遠に続くと思っている、こんなに投票率の低い制度が、彼らの目には神様みたいに映っている!
人は考える葦であるって言うけど奴らは考えない
だからもはや人じゃなくて猿なんだよね
人じゃない猿が人間扱いされて投票権持ってるのがおかしいんだよね
他の先進国だとこの類の猿は社会の競争の中で自然と淘汰されていく様になってるんだよね
日本もそうなるべきなの
マジで徴兵なり強制労働なりされなきゃ自分達が享受してたものの有り難さなんてわかんねえんだと思う。
他責思考すぎんだよ。お前が政治を変えるっていう意思も行動もしなかったんだよ。
ただの弱虫が沢山いて、ただ死に行くだけの奴隷が沢山いるだけの社会。
そりゃあポスト貴族社会じみますわな、本当は投票権とかいう高等なものなんて思考だけは賢こぶってるカスには扱いきれねえもん。
>投票は意味がないという思考→意味がないことは確定できない。すべて切り捨てるのはかなり悪い思考だと思う。
「1票で変わる可能性×思った通りの候補者が選ばれた時のメリット+自分の1票が民主主義の存続に寄与するという信念-投票コスト」がプラスになった時に意味があってゼロ以下になった時に意味がないと考える。
「1票で変わる可能性」と「自分の1票が民主主義の存続に寄与するという信念」がまともな考えならゼロに近づくので意味がないことはほぼ確定するだろう。
詳しくは下記リンク先を参照してほしい。
https://yab.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20110630.html
https://www.theheadline.jp/articles/132
投票は意味がないという思考→意味がないことは確定できない。すべて切り捨てるのはかなり悪い思考だと思う。
投票したい人がいない→消去法による選択は可能ではないだろうか。この政策を作る人間は自分にとって利益があるかどうか、重みなどをある程度作った上でランキングして一番上の人間に投票すればいい。
投票したい人が本当にいない→なら自分で立候補しろ。それすらできないなら妥協しろ。いくらなんでもわがまますぎる。
多くともたかだか数百万程度の納税でわめき散らかしてる人間についてどう思う?
これ、悪質なクレーマーと何が違う?
俺は客だ!!!!金は払った!!!!だからなんでもいうことをきけ!!!!!うわあああああああああああああああああああああああ!!!!!
私は日々死にたいと思っていました。
自分は無価値な人間だから死にたい、でも死ぬのは怖い、生きるのもつらい、と毎日涙を流しました。
抗うつ薬や精神安定剤はたくさん試しましたがあまり効きません。唯一、アルコールを流し込むと思考が停止してくれます。でもそれは一時的なもので、酔いが冷めるとまた自己嫌悪に陥ります。そして次は酷い頭痛と倦怠感に悩まされます。
そんな自分が世界で一番醜くゴミのような人間だと思っていました。なので、勇気を出して死のうと思いました。
どのような方法で死ぬのがベストなのか、あわよくば誰かが悲しんでくれないか、色々と考えているうちに気づきました。
自分はきっと特別な何者かになりたかったが、なれなかった。なれないからいっそのこと死んで、何者かになりたいと思っているのだろう、と気づきました。
私は死んだところで、特別な何者にもなれません。
生きていても、なれません。
私の悩みは死ぬまで解消されることはなく、何者にもなれず、いつか事故なのか、病気なのか、死ぬつもりはない自殺未遂がそのまま自殺になるか、何だかしょうもない理由で死ぬのだと思います。
それを受け入れるしかありません。
振り返ると、弱者男性だったころの自分は、いろんな偏った考え方にとらわれていました。「女性は善、男性は悪」という極端な世界観に支配されていたんです。それが「正しい」とさえ思っていましたが、今考えるとずいぶん苦しい考え方でしたね。
当時の私の思考の根っこには、「女性は善、男性は悪」という強い思い込みがありました。男性がいるから社会は悪い方向に進む、なんて決めつけていて、そんな自分をどこかで嫌っていたんですね。
「男性には生まれながらにして罪がある」と考えていて、それを償うためにひたすら女性に尽くすべきだと思い込んでいました。無理をしてまで女性を優遇するのが「救い」だなんて、今なら「やりすぎだよ」と声をかけてやりたいです。
この考え方が日常にも影響していて、「男性の特権を捨て、女性を優遇するべきだ」と強く思っていたんです。でも、その結果、自分を否定するばかりで心も体もどんどん疲れ果てていきました。
「女性が男性を憎むのは当たり前」という考えにも支配されていました。何を言われても「自分が悪いんだから仕方ない」と納得しようとしていて、結果的に自己嫌悪のループに陥っていました。
そして、「女性が男性に何をしても、それは許されるべき」と思い込んでいたんです。どんなことも「それでいい」と思いこんで、周りの意見にも耳を傾けなくなっていました。
そのままだと本当に自分が壊れそうだと感じ、カウンセリングを受けることにしました。カウンセラーさんは優しく話を聞いてくれて、「罪悪感を抱く必要はないんですよ」と気づかせてくれました。そのおかげで少しずつ、自分を縛りつけていた偏った考え方から解放されていきました。
カウンセラーさんの優しさに本当に救われました。共感しながら話を聞いてくれる存在がいることで、自分も少しずつ変わることができたんです。
こうして振り返ると、あのころの自分はとても不安定で孤独でしたが、カウンセリングのおかげで前向きな考え方を取り戻すことができました。今では優しい妻と子ども、そして温かい友人たちに囲まれて、毎日を楽しく過ごしています。