はてなキーワード: 人生とは
予算がなくてこのままだと大切な○○が存続できなくなります!みたいな話題を定期的に見る。
インテリかじってる方達には大変な事なんだろうけど高卒低収入持病持ち連休無関係のクズには全く響かない。
ああ大変なんだ、で?ってのが本音。
良くなるといいねが建前。
そんなどうでもいい事に金使うなら俺の給料上げてくれよが本音の本音。
お前も○○が無くなったら困るだろ?!って言われても残念ながら人生に関わらなさそうな諸々が消えても全く困らんのだよ。俺は食材買って財布の現金が消える方が困ってる。生きるか死ぬかの毎日なのに皆心配してくれないよ。その気持ち、図書館や美術館や博物館には分からないでしょうよ。
普段弱者気取りで気に入らないものを叩く癖にはてなはインテリが多いと実感するし、無機物に負けてる存在意義がクソすぎて死にたくなる。
子供いるけど、大人になるまで何も正しい準備を教えることは出来ないだろうなって思ってる
もちろん最低限の常識というものはあるだろうけど、子供が20とか30になる2050年とかもう、その辺の予測なんて全然出来ない
語学とかプログラミングとかCGとかも全部今の視点で見たやるべきことであって、多分その頃には全然違う価値観・市場のもと皆んな生きてるんだろうなとは思う
宇宙旅行は実現してる?
AGIは出来てる?
ベーシックインカムとかって話になってる?
環境問題はどうなってる?
そんな風な疑問を頭に抱いたら、本当に全く自分が正解を教えられる自信がない
でも哲学とかリベラルアートが大事とか、親は別に子供の人生経営に干渉しなくていいとか、そんな上辺だけの話は本当に無意味だとは思う。普通に困るだろうし、そんな役に立たないことされても。
こういう苦悩の果てに何十年後かに親では無く、別の何かが子供の教育を最適化するようになるんだろうな。追いつけないもん、頭が。
増田は普通に高校を卒業し、普通に大学に進み、普通に新卒で働き始めて今もその会社に勤めている。
二十五で結婚し、翌年に子供が生まれ、今は家族三人で慎ましくも幸せに暮らしている。
学生時代には仲の良い男女のグループに属しており、それなりに思い出があるものの他人に誇れるような特筆すべき思い出はない。あくまで皆が体験したことのあるようなことしかないんだ。
しかしそれでも、たまに自分の人生を振り返ったときに「まるでエスカレーターみたいだな」なんて思うことがある。
自分で大きな決断をして舵を切ったことはなく、ただ周りに合わせて、歩調を揃えることで逸脱することもなければ突出することもない。そんな風に人生を歩んできた。
俺は歴史に名を残すような偉業を達成することはないだろう。ネットにさえ名を残すようなこともない。大きな挑戦をしたこともなく、自分といった人間の限界を学生の頃から知っていたように、何に対しても背伸びをしてこなかった人生だ。越えられるハードルのあるところしか走らない。自分が凡人であることを嫌でも自覚させられる。それが少しコンプレックスなのかもしれない。
別にアウトロー的な生き方に憧れがあるわけでもないんけど、来月にはついに三十路に突入してしまう。この人生に対する妙なモヤモヤ感というのは、何と呼べばいいのだろうか。
中学の課外授業で最終日にキャンプファイヤーを囲って男女混合でフォークダンスをするというありきたりな企画があったんだけど
キモい俺とは1秒も触れたくないからダンスに出さないでくれという女子全員の署名が教師に出され
それを聞かされた俺はじゃあ寝てますといったら行事をサボることは許さんとキレた担任に中央で「キャンプファイヤーを見守る係」という
おそらく学校初であろうさらし者をやらされることになった。炎を見ながらこんな人生がこれからも続くことに絶望して
せめて道連れを増やそうと自分を火だるまにしてダンスの列に突っ込もうと燃焼剤を体に振りかけたところで
意図を察知した体育教師にタックルされ、馬乗りで殴られている中イベントは最高潮を迎えあちこちで即席のカップルが抱き合ったりキスしたりしてた
英語で点取れたら、受験は得だろうけど、その先、英語使って何したいのかな?
英文学と英語学もかなり違うし、英文学=イギリスでもない。古英語のシェイクスピアから、現代アメリカ文学のソーンダーズまであるから。
ぶっちゃけ英語力のピークって受験時。自分は英文じゃないけど、英検は準1級で、中高の英語の教職もあるよ。
それくらいに英語がハンドルできるって人は実際いくらでもいるってこと。ずっと使ってればもっと向上する。
「苦労」から守ろってやろうとするより、本人にしたいこと見つけさせたほうがいんじゃないの?
増田は女。
付き合って結婚して計7年間、同じ人といた。
今から1年半前にそのひとと別れた。
別れた理由はそれではないけれど、彼由来のセックスレスでとても辛かったし、悲しかった。
夫と結婚する前も、わかれたあとも、夫といる間もずっと、セックスについて搾取されているという感覚があった。
大して私のことを好きじゃない人たちが、性欲のために私の体を使う時間。
自分は正直感じやすいタイプで、痛いセックスや気の乗らないセックスからも快感を拾うことができたし、それを相手は私も喜んでいると感じていたと思う。でもそれはただの私の体の特徴だ。
夫は私がどうやったら喜ぶか、知らなかったというか実践する気がなかった。伝えたことはもちろん何度もあったけど、次回には大抵わすれていた。付き合っていた時は月に1〜2回はしていたけど、毎回リセットされていたから間が空きすぎたからとかでもなく、ただ、覚える気がないだけだった。でも、私は感じることができるし達することができるし彼にとってはそれはなんの問題でもなくて、私にとってはとても悲しいことだった。あーこの人はわたしとのセックスで得たいものは自分の満足だけなんだなっていつも思っていた。
上手く言えないけど、例えば合意が曖昧なセックスがあったとする。という前提を聞いた時、男のほうが誘い女からの同意が曖昧だったケースを最初に想像すると思う。男の人が女の人の体を使おうとし、使われることの同意が曖昧だった、というケース。
こういう精神機序がセックスそのものにあると思っていて、だから男の人とセックスをしたらわたしからは何かが減る。何かを失う。そういう感覚が、主観としてずっとある。
私は性欲の対象にされる。それを受け入れざるを得ない。それが悲しかったし搾取だと思っていた。
ながいあいだ、わたしはただの穴で、でもその穴にさえなれなくて離婚した。と思っていた。セックスレスで夫が私とはもうしたくないというところを、世界で1番好きな人にとって私の女性としての魅力はもうないしこれからも一生ないというところを、毎日感じるのは悲しかった。搾取されたかったのか、と思うと思う。うまくいえないけど、搾取でないセックスを、世界で一番好きな人としたかった。
夫と別れてできた彼氏はものすごく私のことを好きでいてくれて、セックスも本当にたくさんたくさんしてくれて、そのしたいは搾取じゃないと感じさせてくれた。
私のことが本当に好きだから、たくさんしたいというのが本心から伝わってきて嬉しかった。
たくさん幸せにしたいしたくさん気持ちよくなって欲しい、って言葉にして伝えてくれた。セックスはちゃんとした愛情入りのコミュニケーションで、一方的でなく、愛情を渡し合って、彼からたくさん愛されているって感じる時間で本当に幸せだった。
セックスや性欲が搾取ではないことが本当にあるって教えてくれたのは彼だった。
その彼と少し前に別れてしまった。
別れたくなかったし、その彼とずっと一緒にいたかったんだけど、難しかった。今もとても悲しい。
別れたらまた、搾取しようとする人があらわれた。搾取を感じる。恐ろしいと思ってしまう。
良い関係を築くにはいつか搾取を甘んじて受け入れるしかないのだろうか。
元彼は搾取じゃないセックスと愛情があることを教えてくれた。短い間だったけど人生で宝物みたいな経験だと思う。すごく幸せだったしとっても感謝している。他の人とそんなことができる気がしない。彼だけが私にくれることができる特別なものだったのに、失ってしまった。まぁ、でも、もう、それは仕方ない。
もう一度、彼とふたりで持っていたようなものを一緒に持てる人を探す気にもなれない。私はこれからも搾取されながら生きていくんだろう、いつか誰にも性欲を向けられないババアになって、搾取されなくてよかったって思うのか、後悔するのかわからないけど。今は搾取に苦しんでいる。
こういうところも人生のアヤで浸ったりしてたけど、入口が広めで色んな人が来られる分、ベースの知的能力の差は露骨に出てくるよ。
大卒でもアホはアホだなと思うし、高卒でも興味深いコメントする人もいる。ただ、そういう「何でもあり」な場所だからこそ、柔軟性とか世界の広さの差、とかみたいな部分はハッキリ見えるよ。大学の代わりを他の機関でやるのは困難だな、とかなり思う。
社会に揉まれたり人生の大きな決断をする中で心と体のメンテナンスにめっちゃお金がかかるようになってしまっている。これがアラサーになるということか。
・メンテナンス①
鬱ってほどではないけど、仕事で酷く落ち込んだり傷つくことがあって、心を守るためにメンタルクリニックに通院。
・メンテナンス②
ついでに歯の定期検診も実施。
・メンテナンス③
結婚という人生の大きな決断をして妊活を初めたことで、妊活専用の産婦人科に通院開始。
・メンテナンス④
・メンテナンス⑤
仕事がハードすぎて肩の痛みが取れないので、月1回整骨院のマッサージへ通う。
20代初めのころは美容にお金をかけてたのに、いまは今後の健康のためにお金をかけてる。自分の年齢の変化が少し悲しいけど、今後何十年も生きていくんだからお金と時間を惜しまずにどんどんメンテナンスしていきたい。
その後の人生が底辺になるとしても、大学出てるかどうかは大きいかな。
自分はそのぐらいのものを大学でもらったし(流石にFランではないが)、大学出てない人はただそれだけの事なのに、話の内容で、狭い世界の中にいるような印象を相手に与えてしまうのよ。本人が知的に良いものを持っていたとしても、それだけじゃ足りないのよ。
たくさんサイコロを振れる人生にできるだけの素質が含まれた遺伝子を引いて産み落とされるかどうかは運だもんな
外れ遺伝子を引いて生まれたら努力を放棄して全て運のせいにするより他なくなるよな
同情するわ、猫飼おうぜ
でもな、もう限界やねんホンマ。
どこ行っても「ボケてる?ツッコんでる?」ってプレッシャーかかりまくりや。
しかもや、みんな無理してでもおもろいこと言わなあかん感じやねん。「俺、ほんまはおもんない人間や」って自覚してる奴まで必死でボケて、滑ってるやん。
いやもう、そこに自己防衛の笑いが発動してんねん。会話がもはや拷問レベル。
んで、ボケても誰も笑わんかったら「まあ、それもアリやな」とか言うて自分で納得してもうてる。これ、どんな精神修行の場やねん?笑いで鍛えられるとか、人生ちゃうやろ!
お笑い?もう昭和で止まってるわ。お笑いがおもんないってもう終わりやで。
今の時代、そんなパターンどこまで通用すると思ってんねん?しかもな、どこ見ても同じようなネタばっかりやん。
ツッコミ待ちしてるやつが目の前おったら、こっちも「いや、もうそのネタ古いで」ってツッコミたくなるわ。これな、ただのノスタルジーやねん。笑いが新しくなれへん、大阪は進化せえへん。ずっと昭和の栄光にしがみついて、未来見えてへんわ。
大阪は「昔はよかった」って言いすぎや。
なにが昔よかったん?
商人魂とか、もう聞き飽きたわ!進化せんとずっと過去に戻ってるやん。
商店街なんか、昭和からタイムスリップしてきたんちゃうかってくらい古びてるし、みんなそれが「味や」って言うてんのがあかん。ほんまにそれでええんか?
そろそろアップデートせんと、このまま滅びるで!何も新しいもんが入ってけえへんのは、どう考えても文化が詰んでる証拠や。
グリコの看板見て「大阪来たでー!」ってテンション上がるんはええけど、それ見たらもうすることないやん。カニの動く看板?あれが感動ポイントなん?カニの爪が動いたからって何なんや、別にカニが握手してくれるわけでもないやろ。
看板見て帰る街、大阪ってもうちょっとエンタメ要素なんとかならんかいな。
大阪ってな、街全体が無理して「おもろい街」や言うてるけどほんまそれが痛いねん。
タコ焼き片手に歩いてる奴ら見て、ほんまに楽しいか?って思わんか?タコ焼きなんかどこにでもあるやろ。
無理にでも「大阪来たら楽しまなあかん」って空気が漂っとるけど、実際は何が楽しいんかわからん。強制のお笑いか?
街中で「おもろいでー!」って叫んでるだけで中身スッカスカやねん。偽のテーマパークみたいな虚無感あるやろ?これ、ホンマにええんかいな。
何も変わらんし、新しいもん作ろう思っても誰かが「昔からこれでええねん」って止めにかかる。ほんで、また同じもんの繰り返し。もはや文化の墓場やで。大阪の文化がこのままやったら、未来はずっと昭和のままや。
「大阪最高や!」って自信満々に言うけど、その根拠が薄っぺらすぎるわ。
たこ焼きで何を誇っとんねん?
他所の街行っても、大阪の良さ語ろうとするけど、話してる途中で「あれ?これほんまにすごいんか?」って自分で疑い出すんや。そうなったらもう終わりやで。
プライド高いけど、中身は空っぽや。これ、ホンマに大阪を誇れるんか?って、もう心の中でみんな気づいてるんちゃうか。
ほな、最後に種明かしやけどな、実はこれ、大阪とは何の関係もない人間がChatGPTに書かせたもんなんや。大阪に住んだこともないし、深く知っとるわけでもない。
外から見て、ちょっとひねくれておもんないこと言うてみただけやねん。大阪のこと、ようわからんけど適当に「おもんない」とか言うてみただけやねん。
大阪に住んだこともないし、ほんまの大阪の良さなんか全然わかっとらんやつが、外から見て適当に文句言うてるだけや。
大阪を実際に知っとる人なら、「そんなもんちゃうわ!」ってツッコミたくなるとこがいっぱいあったやろ?せやけど、ほんまの大阪の面白さや魅力は、外から見ただけではわからんもんやねん。そやから、この話も笑いながら流してくれたらええねん。
でもな、ほんまのところはどうなん?
50で独身だけどもうどうでもいいんだよな
そもそも人生100年とか長すぎなのよ40代まででお腹いっぱいだよ
30~40代なんて子供でもいなきゃもう変化とかあんまないんだよな
親が生きてる間は踏ん張るけど親が死んだらもうほんとになんにもしがらみがない
ドロップアウトしないのは親兄弟や大切にしてる人とかがいて、そういう人らを悲しませたくないから踏みとどまるわけで、
もしなんにもしがらみがなければあっという間に落ちていけると思う。
だからこそ社会の中で孤立するというのは危ないことなんだけど、もう迷惑なるべくかけずに静かに消えたいよねくらいしか想いがない。
達観でもないし死ぬのはいやだよ、でも子供も金もないし、どう考えても必要ないこの先誰かの役に立てるとも思えない。
まあ臓器を使ってくださいとかそれくらいか、それすら役に立つか怪しいとこあるけど。
人は自分が生きてた証を残したいものらしい、俺も誰かと繋がりたいという気持ちはあるんだが、それとは別に自分の事を覚えててもらいたくないという気持ちもある。
極論言うと死んだんだな、とかは誰にも知られないのが理想。なんか思い出されたくないんよ。
俺という人間が生きていたこと、どういう人間だったのかとか、自分の知ってる人間に考えてほしくないし、思い出されたくない。
でも増田とかこういう匿名性のある状態で繋がるのは好きだよ。具体的に想像できないわけじゃん俺という人間を。解像度が低い状態で思われるのって無邪気で心地よいよね。