はてなキーワード: 中二病とは
土曜日の昼前、出かけたカミさんの代わりに洗濯物の息子のズボンを干そうと振ったら、飾りのない黒い髪留めがとんだ。小6の息子に問いただしたら「いや、それは、ママの…」。学校の女の子のを盗ってきたのかと思ったよ(「無条件で子供を信じなさい」というにもほどがある)。しかし、どうしてママの髪留めをズボンのポケットに入れていたのかは不明。本人、言い訳さがして口ごもってる感じだし。
ともかく、洗濯物を出すときにはポケットのものを全部出せ、洗濯機を壊して父親に手洗いさせるつもりか――と言ったところで、キレたね。父親である私は。
先日は風呂場の壁に取り付けられてるタオル掛けにぶら下がって壊したし、今日はリビングとダイニングの仕切りの引き戸の桟にぶら下がろうとしたので、慌ててやめさせたんだけど、そういう前段もあって、キレた。怒鳴ったね。まだ殴ってないけど、次は殴るかもよ。こぶしで。
予約を入れていた中学校の受験説明会をやめるくらい鼻水、鼻づまりで体調が悪いのに、朝からマイクラはシッカリやって、それで早起きして眠たいからと再び寝てしまって、一週間前に出ている塾の宿題を全然やってないし、塾の先生にカツを入れられても知らん顔だし、そのくせ勇ましいことばかり言ってる(「超難関校の○○受ける」)、て、もう、これはグーで往復ビンタもんでしょ。
しかも、きょうの塾を休むかどうかウジウジ決められないでいて(一応、逡巡はしているらしい)、最後には休むと決めたのはいいけど、家で勉強するのかというとその気配は微塵もないし。時間ができたんだから、普段から苦手な算数の基本問題やってみるとか、そういう姿勢が皆無なのは、どうしてなの?
年間何十万も塾の費用を支払ってるのは親の勝手だし、そもそも中学受験をさせようなんて「見栄」かもしれない親の勝手に息子が訳もわからず便乗しているだけだろうし、そんなフワフワなお客様気分の息子の持ち帰る塾教材を仕分け、さっさと寝てしまった息子のノートをチェック(日付もページ記載もない汚字を解読)し、間違った問題の解き直しプランを一週間のスケジュールに落とし込んで午前2時半に就寝、なんてのも親の勝手なんだけど。
いや、これで結局のところ「全落ち」しちゃって、3年間という時間と、300万円余という費用が無駄になったとしても、学ぶこと、学ぶ姿勢、学問とは何かについての淡い印象のようなものを息子が得られたとか、家族一体になって努力した納得感のある経験が得られるとしたらいいのだろうけど……。中学受験の天王山である夏休みを目前とした、本番まであと217日前の現在において、この目の前の体たらくを見る限りにおいて、そんな殊勝な結末を迎えらえるとは、到底考えらえれない!
息子には好奇心もないし、忍耐力もないし、想像力もないし、論理力もなくて、愛想も悪くて、じゃあ、いったい何があるっていうの? 華麗に闘って、運の良さだけでラスボス倒せると本気で信じてるみたいだけど、私はどうしたらいいの、こんなバカを。こんな中二病にかかりかけの小学校高学年アホ男子を作っちゃったのは親の責任なんだけど、ほんと、どうしてくれようか。
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創作とは、孤独と共に生まれるものだと思う。ブログを書くこと、ツイッターに投稿すること、撮ること、演奏すること、その他にもたくさん。
わたしは、中高生の頃から常に孤独を感じていた。学校で友達とおしゃべりしても、家で母とゆっくりお茶を飲んでも、いつも心のどこかが寂しかった。隣の部屋から賑やかな音が聞こえる部屋に、ひとりぽつんと座っているような気持ちだった。家族も友達もいて、私立に通わせてもらえる余裕のある家庭に生まれて、環境的には孤独を感じる要素などひとつもないのに、孤独だと感じてしまう自分が情けなくて嫌いだった。
昨年、大学生になって親元を離れ、一人暮らしを始めた。最初だけすごく寂しかったけど、慣れてしまったら結構気楽で、自分のペースでなんでもできていいなあという気持ちになれた。あと、同じ一人暮らしの彼氏ができて、いつでも人の体温を感じられることも嬉しかった。そういった行為がなくても、ただ手を触ったり、ほっぺたを触られたり、肌で人を感じられるのが新しくて、すごく満たされた。もしかしたら、わたしは人に触れることに飢えていたのかもしれないね。自分の家に帰ればひとりだけど、実家で感じていたような孤独感はほとんど感じなくなった。
だけど、最近、文章が上手く書けなくなった。というか、感覚が鈍くなった。大学生になるまでは孤独がそばにあったから、いろんなことに対する感覚が冴えていて、きちんと神経が研ぎ澄まされていた。敏感すぎるくらいに、自分の中にいろんな感情が生まれていた。だけど、もう今は何も感じなくなってしまった。あの頃に比べて生活が満たされてしまったから、日々の出来事に対する敏感さがどこかへ行ってしまった。たくさんの栄養を一気に与えられて、感覚や神経が麻痺している。何も感じない。
日常を幸せだと感じることはいいことだと思う。だけど、わたしは孤独と暮らしていた頃の自分の感性が好きだった。今でも好きで、あの頃の自分を取り戻したいと思う。でも今の幸せを失う勇気もないし、あの孤独をもう一度味わうのもちょっと苦しい。
どうしたら、あの頃の感性だけ取り戻せるのかなあ。
性転換の手術をするときに、二人以上の医師のカウンセリングが必要になるでしょ。
タトゥーも、タトゥーの施術を受ける前に二人以上の医師のカウンセリングを受けて、医師から許可が出たらタトゥーを入れられることにしよう。
タトゥーを入れる行程に一つハードルが出来たら「カウンセリングを受けるのがめんどくさいから」「わざわざ仕事や学校を休んでカウンセリングを受けてまでタトゥーをいれたくないから」という理由で、衝動的にタトゥーを入れる人が減ると思う。
りゅうちぇるみたいな覚悟もなく、中二病みたいな理由でタトゥーを入れる奴らすごくカッコ悪い
誰かに「タトゥーを消せ」「みっともない」と言われても関係ない。自分は自分だと信念を持って、一生そのタトゥーを体に刻んで生きていくことを覚悟して、タトゥーを入れる人はかっこいい。
誰かにタトゥーを消せと言われて、病院にかけこんでタトゥーを消す奴らかっこ悪い。
タトゥーを彫る前に、医師のカウンセリングを受けて、「温泉に入れないですよ」とか社会的デメリットの説明も受けて、精神的に正常な状態なのか確認して、二人以上の医師からこの人の精神は安定している、正常だと判断された者だけタトゥーを彫られたらいいと思う。
そういうルールが社会的に広がったら、信念を持った人しかタトゥーを彫らないから、他人が「タトゥーを消せ」というハードルも上がるし(性転換手術した人に体を元に戻せって言う人はいないでしょ?)
メンヘラがタトゥーを衝動的に彫って、後から後悔することもなくなる。
そういう法律を作ってください。
1話見て、「なんだこれは!意味わからん!つまらん!オタクがすごいな!トットゥルーとか意味不明」と思ってしまった。
それから6年後。
「あれ、意外と許容範囲広がった?」と思った。ちょっと面白く思えた。
オタクっぽいのも、中二病っぽいのもキャラクターとして楽しめるように自分が変わってた。
そのまま2話を見て本の少し内容が理解でき、どんどん見ていった。
それから最新まですべてみた。
(1期と2期って繋がってないよね?確か1期ってハッピーエンドだった気がするんだけど別の世界線?)
日数が経つと受け入れられるようになることは他にもあったりする。
自分が色んなものを少しずつ受け入れて許容範囲が広がったのだろうか。
横だけど、助けになれないと思うけど思ったこと。
そして、ファーストコンタクトのものを1番に信じ込み、染め変わるのは難しい。
良くある、医者に行ったのに素直にいう事を聞かずに文句ばかり言う患者みたいな。
「XXXというサイトで、こういう症状は○○○だと見ました!!これのハズです!」
「XXXというサイトにはこうかいてあったのに…」というようなもの。
書いてある情報を変に読み取り、
「てんかんを起こすおそれのある者が運転していると危険」という文章から
「てんかんの人の運転は絶対に危険」だと思い込む馬鹿が居たり。(薬を飲んでれば大丈夫なんじゃなかったか?)
そして、「てんかんを持つなら運転するな!」という暴言に発展していく。
とはいえ、さすがに被害妄想拡大しているパターンもあるから何とも言えないなぁ。場合によるというか。
「チビ」、「ハゲ」、「おっさん」、「ジジイ・ババア」、「デブ」、「ブス」、「ぎっちょ」もか。
おっさんはあっても、おばさんは無いのか。
また、てんかんを起こすおそれのある者が運転していると危険だから、脳波測定器で運転者の脳波を検査する。
(一部略)
でも、わたしはてんかんではないはずだし、もちろん酒も飲んでいない。何も悪いことをした覚えもないのだ。
http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/socio/satoh/ronbun/tsutsui.html
関係ないけど、てんかんって結構多いんだね。100人に1人か。
てんかんは、大脳の神経細胞の多くに、いっせいにスイッチが入ってしまい、