はてなキーワード: デフレとは
先進国でデフレは日本だけ。20年の失策を生んだ大企業のドケチな経営
http://b.hatena.ne.jp/entry/blogos.com/article/315408/
いやいや、なかなか良い議論だなと思いました。
個人的には、正社員の雇用規制が最大の原因ではないか?という説に一票ですね。
正社員の雇用規制がある故に、残業地獄が続いたり、高プロみたいなのが出来たり、「ハードウェアの技術者をソフトウェアからの配置転換で乗り切ろうとした」みたいな話がまかり通るのだと思います。
要するに、過度の安定、つまりある構造の維持を前提として状況を打開しようとしている事自体に無理があるのであって、なぜならば、「世界はたゆみなく流動している」から、ということになります。
当たり前ですが、今現在の世界のこの構造にせよ、単なるプロセスのある一局面でしか無い訳です。
「完璧な社会構造」など存在しませんし(それを独裁者がやろうとすると、「設計した社会構造の維持」自体が目的化するようですが)、「技術革新によって、最大の武器が最大の弱点になった」みたいな話は良くありますし。
「(時の流れに逆らう極小化した)伝統」という形で天皇システムを残しつつ、ドラステックに変えれるものは変えていく、というのが日本の伝統的なやり方だと思いますし、それが一番楽な気もしますが。
単なる私の個人的見解ですが、ある事業を同じ方法論で続けようとしても旬なのは5年が良いところだと思いますが、血反吐を吐きながら八方塞がりになるまで続ける企業も多い印象もあります。
ザックリ言ってしまえば、それもこれも過度の安定を求めた結果としてのディストピアなのかも知れません。
そして、議論の大前提が「過度な安定」であるが故に、「そこで生じる無理を誰にかぶせるか」つまり、「誰にババを引かせるか」という話にしか議論が収束しないようにも見えました。
分布まで出ているから元データを見ればその疑問にだいたい答えられるのに(可処分所得だけはSNAのhttp://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/h28/tables/28fcm2_jp.xlsとhttp://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/sokuhou/files/2018/qe181_2/__icsFiles/afieldfile/2018/06/07/def-cy1812.csvの消費支出デフレーターを見ないとならないが)な。記事を書いた記者は当然それくらい見た上で賃上げの広がりとかポジティブにまとめている。
最初に断っとく。
オタだがアニオタじゃない。
くっさい自分語りあり。
テレ東では超星神なんてのもやってたし、
良い年だし止めようと思った2年前の夏。
足を洗おうとした矢先にシンゴジの衝撃。
俺は一生この宿痾から逃れられないのか。
ついにこの年まで抜け出せなかった。
うわ!真司と蓮のツーショット!!
これはやべえ!!
今までの俺なら即決で購入してたね。
でも今回は買わない。だって五万だぜ?
五万あれば相当色んなことできる。
五万あれば打つ買うも十分できるだろう。
いずれにせよ自室で鏡に向かって叫んだり、
アドベントごっこするより百倍マシな使い方だ。
とにもかくにも。
スッと熱が冷めて頭がキリッとしてくる。
俺の部屋に跋扈する昨日までの宝物達。
それが一夜にしてガラクタになった。
俺は何をしてたんだろうな。
なんか、もう、ため息しか出てこない。
https://mainichi.jp/articles/20161106/k00/00m/040/144000c
現在では、「1990年代初頭にバブルが崩壊したら、即座に『失われた10年(20年)』が始まった」というイメージがあるようだが、これは実感に大きく反する
「失われた10年(20年)」「就職氷河期」というフレーズは、いずれも小泉改革後の2005~10年代ごろ、改めて1990年代を振り返って出てきた定義のように感じる
1970年代生まれの当事者として、1990年代の印象はこんな感じだった
・1991年:バブル崩壊の年といわれるが、ジュリアナには踊る若者が多数集い、悲惨な印象はなかった
・1993~94年:ようやく「女子大生の就職難」が盛んに報道される。男子学生も就職難だが女子の方がもっとひどかったから
・1995~96年:阪神大震災、地下鉄サリン事件、Windows95発売、小室ファミリー絶頂期、エヴァンゲリオンのブームなどで、就職難や不況の報道は影に隠れてた
・1997~99年:ITバブル起業ブームが派手に喧伝され、上記グラフでは就職率が最悪期のはずなのに負け組はほとんど報道されなかった
・2000年以降:マクドナルドで半額セールの常態化、牛丼チェーンの値下げ合戦などで、ようやくデフレスパイラルが本気で実感として広まる
・2001~2005年:小泉改革で世の中良くなると一方的に喧伝される。結果はご存じの通り
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今では誰も信じてくれないだろうが、1990年代当時、高学歴の経済評論家も含めて、多くの人間は「数年待てばバブルが帰ってくる」と思っていた――というか、そう信じたがっていた
これは無理もない話である
未来というのはまったくの未知だが、過去は既に体験したことである。人間は物を考える手材料として、近過去の印象に強い経験に頼りがちだ。さらに、未来予想には希望的観測というバイアスがかかりがちである
当時は、まだ未知の不況・デフレより、既体験のバブルの方がずっと印象が強かったのだ
石油ショックの起きた1970年代なんざ「狂乱物価」などと言われ、皆インフレにこりごりした記憶が強く残っている
(村上龍の『'69』によれば、石油ショック前の1969年には、150円でラーメンを食べて牛乳を飲んで、カレーパンとメロンパンとジャムパンが買えた)
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自分の記憶に頼る限り、1990年代後半当時の20代の若者にすさまじい悲惨感があったかというと、あんまりそんな印象はない
俺個人のことを言えば、97年に1度失業したが、翌年にはNECの下請け企業に派遣社員として入り、時給は1700円(残業・夜勤は増額)出ていたので、最盛期は月収が36万5000円あった。当時、同年代の正社員でも手取りでは10万円台は多数だった。
短期的な視野で言えば、20代で「正社員より稼げてる非正規雇用」はいくらでもあったのだ。
無論、短期ですぐ職場を離れることになるが、同世代の正社員との差はまだ決定的ではなかった
「なんで氷河期世代は20代当時に声を上げなかったんだ?」と言われそうだが、当時はそこまで悲惨と思ってなかったし、自分が負け組だと認めるのを躊躇する意識もあったのだ
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氷河期世代が本気で自分らが悲惨だと認識せざるを得なくなったのは、ようやく小泉改革が終わって、赤木智弘が出てきた2007年ごろだと思う。1972~75年生まれなら35~32歳、このぐらいになると、逃げも隠れもできようなく、同世代の正社員との差が明確になる
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「これが精神論だと言うなら、大学の経済学の教科書も精神論ということになる」という反論は正しいか?
◯精神論とは「物理的な劣勢や困難は精神的な力でカバーできる」という考え方
日銀黒田総裁は日本の物価が中長期的に上昇しない理由として、デフレマインドを挙げた
物理的な困難(緊縮)を(棚に上げて)精神的な力でカバー(目標達成)できる、と説く日銀黒田総裁発言は精神論的という指摘は正しい
経済学の教科書は、マインドが大事とは書いてあっても、精神論(物理的な困難を精神的な力でカバーできるという考え)は採用していない
節子それBIやない、デフレや!