はてなキーワード: ジェンダーとは
なんか日本の社会で表立って活躍してる『働く女性』って、私がイメージする『普通の女性』じゃない。
皆、過度にキラキラしてたり自然派だったりジェンダーや子育てに敏感だったりと極端な主張が激しくて、
短い文章なのに、いろいろ間違いが多いなあ。
間違い1。認定云々以前に、GIDやトランスジェンダーという概念自体を受け入れないフェミニストは普通にいる(「トランスジェンダリズム」という言葉を使い、transgenderを客観的状態ではなく一種の主義主張として捉えるフェミニストに多い)。後述のTERFは、そもそも「Trans Exclusionary Radical Feminist:トランス排斥的なラディカルフェミニスト」を指す言葉だった。TERFと呼ばれるフェミニストの中には、トランスジェンダーの部分的容認派もトランスジェンダーの完全否定派もいる。
「自認」の場合は女装趣味やオートガイネフィリアが含まれるため、受け入れない派がTARF、受け入れる派がTRAと呼ばれる。
間違い2。まず、上にも書いたとおり、「TARF」ではなくTERF=Trans Exclusionary Radical Feminist:トランス排斥的なラディカルフェミニスト。TERFの中には「女装趣味やオートガイネフィリアが含まれるから受け入れない」という人もいるが、「そもそもトランスジェンダーなど存在しない」という立場の人も含まれる。
間違い3。GID(性同一性障害:性自認が身体的性と一致していない状態)は医学的に定義された疾病概念で、GIDという診断結果を得るには、心療内科医や精神科医によるその他の精神的身体的障害(統合失調症・人格障害・女装嗜好・経済的社会的利益を目的とした性転換希望など)からの除外診断が必要になる。TRA(Transgender Rights Activist:トランスジェンダーの権利を求めるアクティヴィスト)と言われるフェミニストの多くも、基本的にはこのような外在的基準に沿って当事者のクレイムの正当性を判断する。つまり「TRAのフェミニスト」は、性別の自称を何であれ全肯定するわけではなく、GID以外の動機や原因に基づいた「身体的性別と異なる性別の自称」は受け入れない。
FTM:絶対数がそもそも少なく、また身体は女性のため、性暴力の加害者になることも、女性スペースに入りたいという希望も極めて少ないため、ほとんど問題が生じない。
間違い4。日本のジェンダークリニックではMTFよりFTMのほうが受診者が多く、統計的には6割から7割がFTMで、残りがMTFである。
間違い5。レズビアン女性の界隈では、いわゆる「ビアンのタチ」とFTMの境界が、セクマイ男性におけるゲイとMTFに比べて非常に曖昧(たとえば、女子サッカー界における「メンズ」 https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0029/topic051.html は、この両方を包摂している意識のあり方だ)。ある時期までタチを自称していた人が数年後にFTMと自称していることも普通にある。そうした両義的な性意識を持つ人達が女性スペースに入ることは普通にあるし、そこで問題が全く起きていないわけでもない(一部の女性が「男性的なプレゼンテーションをしていて性別不明の人が女性トイレに入ってきた」という状況自体を脅威に感じることは、彼女たちが「女性的なプレゼンテーションをしていて性別不明の人が女性トイレに入ってきた」という状況を脅威に感じることと全く同型の構造で、「前者は架空の脅威で、後者は現実の脅威だ」という主張は論理的でない)。「身体が女性だから性暴力の加害者になることも極めて少ない」というのも根拠不明。
女性の方が高収入であるほど、男性の家事分担が増える‥ことはない。
女性の収入の割合が50-60%を占める場合、男性の育児家事負担率は約20%。
https://president.jp/articles/-/46753?page=4
1. 女性の方が高収入だという状況は、夫が何らかの事情で働けない状態である可能性があり、その場合夫は育児家事ができない
2. 妻の収入の割合が多いため?、夫の男性らしさを保つために妻が家事を担う(ジェンダーディスプレイ仮説)
実際にアメリカでのある調査では、低学歴の男性ほど、ジェンダー役割を担わない女性を罰する傾向がある、という結果が得られている。
上記の記事中では、女性の方が高収入であるほど男性が浮気しやすい、という調査結果への言及(の言及)もある。
つまり、下方婚した女性は、相手の「男性らしさ」を満たすための負担が求められる可能性がある。
男女の賃金格差が縮まれば、女性の社会的成功をサポートできる男性が増えるとは思う。
妊娠出産も間違いなくハードルの一つなのだけど、それは女性のメンタリティの問題ではなくて、社会システムの問題だと思う。
実際、日本ほど育児休業が長い国を知らない。出産後は様々な手段で子供の面倒を見てもらって(親、夫の育休、ケア施設、ナニーなど)、自分の体を回復させることに専念し、仕事に復帰するというイメージがある。
と同時に、容姿がどうのこうのってジェンダー論の本筋じゃないような気がするね。
ただ、世の中がどんなにかわっても、結局、男性が女性を評価する、という構図だけは大きく変わってこなかったとは思う。
男性視点だと、お姫様的な価値と嫁としての価値が伝統的な二大価値、かなと思う。単純化すればですよ、もちろん。
そこに、80年代、バブル期にキャリアという価値が新たに追加された。
キャリアウーマン価値は今再放送している東京ラブストーリーに象徴されるトレンディドラマにみられるように、女性にお姫様でも嫁でもない新たな価値を見いだせると夢と希望を持たせたものの、
結局男性社会を固持する組織風土が根強く、男性に伍して働くことが強制された挙句、ガラスの天井が待っていた。女性を失望させたのがこの40年。
男女雇用機会均等法で頂点に上り詰めたのはほんのごく一部。そもそも嫁価値も求められながら、職場では男性に伍して、という条件はあまりにもハンデだ。
一方、家族構造は戦後、大きく変化して、嫁的な価値は低下。強制的に嫁を教育し、家にそぐわなければ排除も辞さない、子供を産めないなら出ていけという、そんな社会ではなくなった。
なので、そんな時代を反映したおしんや、ふぞろいの林檎たちといったドラマはリアリティを失っていく。
日本社会は、この男性目線で最後に残ったこの価値も何かぼんやりとしたものになってしまったのではないか。テレビドラマの傾向をなんとなくみての感想だけど。
トレンディドラマは、お姫様価値+キャリア価値で、美男美女をおしゃれな職場に登場させて、視聴率をゲットしてきたが、うそっぽくなってしまった。
韓流ドラマはトレンディドラマの潮流を直球で引き継いで、朝鮮半島の男尊女卑の文化を背景に、お姫様価値を全面に打ち出してヒット。いまだにトレンディドラマ路線でいける。韓国では嫁的な価値がいまだに高いので、トレンディドラマにホームドラマをミックスさせたのが韓流となった。
しかし、日本の製作者(男性)からみると、トレンディドラマ自体が空々しいものになってしまって、方向性を見失っている気がしている。
そもそも、お姫様価値なんて、男性からすると嫁的な価値を得るためのジャンプ台のようなもので、嫁的な価値が低下した今、女性にあんまりお金をかける動機付けがなくなってしまった。
しかし、女性からすれば、キャリアもだめ、嫁的な価値も不要ということになれな、お姫様価値を磨く以外に、自分の価値を高めるすべがない(もちろん極論)。
そんな時代は、女性からすれば、不安なんじゃないだろうか。存在論的に、というか承認欲求的にというか。
そんな不安な時代だからこそ、お姫様価値にますます神経質になり、
という「恐怖」に結びつくんじゃないだろうか。
男を「背が高くてカッコいい」と褒めるのはよいのでは。
澁谷 …というのも、女性を容姿で判断する風潮がこの社会にはすでにあって、相手が芸能人やモデルでも、容姿をやたらと褒めることは、そうした風潮の維持に手を貸すことになるからです。
なぜ美人を美人と誉めてはいけないのか? オヤジさんのためのジェンダー問題シン常識 | ライフスタイル | LEON レオン オフィシャルWebサイト
(強調私)
これなんだけどさ。
https://www.leon.jp/lifestyle/148647
いや結論、みんなが"シン常識"とやらでそうだというのなら、オレごとき小市民は黙って従うのよ。怖いもん。
けど、正直まったく正当性がわからん。LEONは読んでないけどそこそこの歳になったオレがこんなこと、リアルでは口にするのも恐ろしいので、増田でききます。誰か教えてください。
渋谷氏の答え。
(本人が望むなら良い?→)良いとは思わないです。というのも、女性を容姿で判断する風潮がこの社会にはすでにあって、相手が芸能人やモデルでも、容姿をやたらと褒めることは、そうした風潮の維持に手を貸すことになるからです。
たとえばオレは仕事ができず気が利かなくて独身という人間で、そういう自分への評価を(自業自得とはいえ)苦々しく思ってるけれど、その話でいうと「仕事ができる」とか「気が利く」とか「子供が三人いて頑張っている」という褒めもアウトにしてくれるのか?
仕事ができる人が昇給するとか、結婚して子育てしている人が税控除をうけるのは当然だとしても、それ以上に、その人そのものの価値のように、やたらと褒めたり評価したりする風潮に、オレは嫌な気持ちだよ。
じゃあ「仕事ができる」「気が利く」「子育てしている」も日常会話でジャッジする権利をなくしていいことになるじゃん。
「女性の容姿」は歴史的に、とか、ジャッジされる頻度と影響力が大きいから、なんて反論もあるかもだけど、オレのまわりでは容姿より仕事のできるできないで人の価値が決まるし、それはオレにとっては大きな問題なんだけどな。
あと差別関連の話題でよく、「本人にはどうしようもないことをとやかくいうのは差別」みたいな話があるけど、容姿はある程度本人努力による要素もあるよな。たとえば「スタイルいいね」という言葉は、「気が利くね」という言葉とくらべて先天性が高いだろうか。
よく読むと渋谷氏の話には「マナー」という言葉がよく出てきてて、ようするにこの人にとっては正しさなんて関係ないのかな、と感じた。世の中の大多数がルッキズムを嫌だとおもってるから、という「お気持ち」のトレンドで作られていくルール。
「容姿についてとやかく言われるのは恐怖でしかない」と決めつけ、「本人が望んでいる」場合にも「風潮の維持に手を貸すな」と叩き、少数派(?)のルッキズム肯定派(男女問わず)を断罪し絶滅させるための思想の整備。
いや、従うよ。正しさがわからなくても。先生から賜ったマナーだもん。
けど、そういうのなんか、あやうくない?
マネージャーは女子に限らず、希望者がやるものなのでジェンダー的役割の押し付けにはあたりません
むしろ「そこら辺のモブ腐女子」は「BL無罪なわけねぇだろ」「男性向けも女性向けも等しく常に規制の危機にある」くらいに思っていて、「BL無罪」は「オタク文化の前線に疎いジェンダー学者が勝手に言ってる」というのが実態かと。(再掲)
少し前は大学院生とか研究者の卵が論文執筆や調査の合間に楽しみや苦しみを書いていたようなエントリがぼちぼちあったような気がする。スタートアップで創業しようとしてる人がもがくエントリみたいなのもぼちぼちあったような気がする。「hagex」さんが殺されたのはスタートアップのインキュベーション施設だったし、「低能先生」でさえベースの知的レベルは高い。みんな経済的社会的には苦しいが基本的な知的レベルが高く、何かをつかもう、生み出そうと悪戦苦闘している姿に共感したり心の中で応援したりしていたが、特に最近そういう知的なバックグラウンドを持つ人達見かけなくなった。今もアカデミック周辺な人たちは一部いるのだが、みな年寄りで偏屈で少し傲慢な決めつけ、みたいなブログやTweetを垂れ流してる感じ。また特に人文社会系、ジェンダー系とかはそもそも人間としてどうなのか、社会に対して何か生み出そうとしているのかあまり理解できない。