はてなキーワード: アナと雪の女王とは
年間の自殺者3万人だったり、東北の復興がまだだったり、消費税が10%に上がりそうだったり30%に上がりそうだったり、日本はこれから問題が山積みなのにそういうのは全部ブサメンがやるからイケメンと女は遊んでいます!やほーいでいいのかいいんだろうなと思ったら楽になったと自己完結してみる今日の俺であったキメッ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.lovepiececlub.com/news/2014/05/01/entry_005132.html
この発言があったラジオ番組、今週放送の「爆笑問題カーボーイ」と「伊集院光の深夜の馬鹿力」はどちらもpodcastを配信しているし、ネット上にいくらでもアップされている。その元の音源も聞かずに、お手軽に炎上させることを目的としたネットニュースを読んでこれだけ批判的な記事を書く事は短絡的だ。もともと持っていた自分の主義主張を周りに撒き散らすためのネタぐらいにしか思っていないのだろう。この記事を読むだけだと、太田光と伊集院光の発言について誤解する部分があると思うので、ラジオを聞いていない人にもわかるように解説したい。
まず、太田光の発言についてだが、太田光はそもそも映画を観ていないし、映画の中身については一言も発言していない。「今すごいヒットしているから」と話題にあがっただけだ。その上で「映画館で皆が一緒になって歌を歌うらしい」という話を聞いてキモイと発言しただけである。「アメリカではそういう文化は昔からあるが、日本には根付かなかった。時代は変わってしまったのか?」とも発言している。「ブサイクが~」のくだりは深夜ラジオではよくあるリア充批判というか、浮かれた世間批判であって女性批判ではない。もしこの映画館で歌う客が、男女半々くらいで、それなのに上の発言をしたならばそれは偏見に満ちた女性批判だと言えるが、実際は圧倒的に女性の方が多いので女性批判とは言えない。性別に関係なく間違ったリア充的な態度を批判しているのである。男が同じことをしていても同じように批判するのが太田光だ。太田光は昔から村上春樹や宮崎駿に対しても「なぜあんなに売れるのかわからない小太りのブサイク」と発言していて、特に女性だから批判しているわけではない。
もちろん、これらの悪口は下品だしラジオの与太話だからって許される話ではないと思う。だがその批判は、フェミニズムや女性差別とは基本的に無関係である。
次に、伊集院光の発言だ。伊集院がこの映画を見たきっかけは、「松たか子の歌と、声優の沙也加の素晴らしさにしか言及しないメディア」と、「1時間のドラマを観てそのストーリーについて2時間も語ってくる」という伊集院の奥さんが、「まったくストーリーについて話さずに歌を口ずさんでいる」ことに興味が沸いたからだ。その上で映画を観て、ストーリーに関しては「悪いところは一切ないが、良いところも一切ない、毒にも薬にもならない映画」と発言している。その後の発言も含めて意訳すると、伊集院は「ディズニーの文法に全てのっとった、そこから一歩もはみ出すことのない映画」と言っているのだ。
この批評が的を射ているかどうかはわからないが、少なくともミソジニーなフェミニズム批判ではなかろう。
つまり、両名とも「女は馬鹿だ」などとは一言も言っていないのである。この批判記事を書いた人は、自分の好きな映画を否定されたことに単純に怒っているだけだ。それなのに自分の単純な怒りを正当化するための武器としてお手軽にフェミニズムを持ち出してきて、まるで自分が全女性の代表であるかのように語るのはいかがなものか。あなたはフェミニストではなく、男性差別主義者だよ。
端的に言うと、日本の女性は家庭内で奴隷労働するべきだと、自分達で思い込んでおり、
米国の女性はふざけんな、私達は自分の力で生きていくのだ、と戦う姿勢を見せている様子がよく分かる。
それは、挿入歌である"Let it go"の原文と和訳の違いに如実に現れている。
まず、私は和訳版を先に見て、言い知れぬ違和感を感じた。
なんでコイツは、そんな
女々しく
ひ弱で
自信満々で挑戦的な表情
で歌ってんだ?と。
思春期の子供が自分がここにいていい理由を見つけて、おめでとうと言われてるみたいな感じ。
ははん、さては翻訳の段階で何かあったなと思って原文をチェックすると、案の定。
原文の方は、徹底的に環境に虐げられ、自分を殺して公務についていたが、
もうそんなの知るか!私は私なんだ!それを認めさせてやる!立ちふさがる敵は叩き潰してやる!
特に、
The cold never bothered me anyway
風よ吹け 少しも寒くないわ
って、翻訳ふんわりしすぎだろ。
ここは、
争いよ吹き荒れろ 望むところだ蹴散らしてやる
ぐらいの感覚で言っている。
その証拠に、この言葉を言うのと同時にまとっていたマント(過去へのしがらみ)を、
まるでゴミでも捨てるかのような目で見て脱ぎ捨てている。
他にも、
Here I stand and here I'll stay
私がここに居るって言ったら 誰にも動かせないのよ
が翻訳されてなかったりする。
全体の印象として、原文が"自分の環境"という"敵"に対して、大胆不敵にも宣戦布告しているという歌なのに、
和文は問題を内包しているのは自分自身で、自分の気の持ちようを変えるだけで周囲はそれを暖かく迎え入れてくれるかのような印象を抱かせる。
確かに、日本の女性が、自分の権利のために敵と戦う、などと力強く歌いあげたら誰も共感しないであろう。
そして女性は男性に与えられる範囲の自由と権利で満足して、それ以上求めることはない。
これが今現在、日本で普通に受け入れられている文化であり伝統である。
その文化的背景にあわせて、原文の好戦的な歌詞が書き換えられたのだろうことは、容易に想像がつく。
一方米国では女性は自分で戦って、自分の立場を守るために誰かを殺す覚悟を持って、自由を勝ち取っている。
返り血に手を真っ赤にしながら、それでも自分自身の独立のために戦うのをよしとするのだ。
アメリカ人の女は、世界で最悪の妻になるというジョークがあるのも頷ける。
このように、ディズニー映画という子供達へのメッセージ性の強いメディアにおいて、
どのようなメッセージが刷り込まれていくのか、日米に違いがあるのは非常に興味深いことである。
個人的にはアメリカに生まれなくてよかったなぁと、しみじみ思うものである。
エルサは子供の頃から触れるものを氷にしてしまう能力を持ち、そのせいで妹アナを傷つけてしまい、その能力を誰にも知られることのないようひっそりと暮らしていた。
成人し女王となったエルサはちょっとしたきっかけでアナと言い争い力を発動させてしまい、自分の制御できない力を恐れたエルサは山奥に引きこもってしまう。
はい、このストーリーを聞けば何をオマージュしているかわかりますね。
そうです、この「アナと雪の女王」はディズニーが作った「幻魔大戦」なのです。
「幻魔大戦」の主人公東丈は超絶サイキックとして目覚めますが、力を制御できない不安定さを自覚し、“高校生教祖”として有名になっても超能力を人に見せることはありません。
エルサが引きこもった山奥は東丈が祈りをささげた奥吉野の大台ケ原そのままです。
そこに現れてエルサを説得しようとするアナは、側近の井沢郁江そのものです。
また雪の女王といえば「新・幻魔大戦」の香川千波が思い起こされますね。
このようにそこかしこに幻魔大戦へのオマージュがしこまれており、日本のファンを楽しませてくれます。
ただ残念なのは東丈の精神的支柱であった姉三千子に匹敵する存在が「アナと雪の女王」にはいなかったことです。それにより物語が平板なものとなってしまったことは否めない。
「アナと雪の女王」のテーマソング『レット・イット・ゴー〜ありのままで〜(Let it go)』、テレビや街でめちゃくちゃ流れていますよね。かっこいい。
まだ映画は見てないのですが、とにかく曲がかっこいい。映画みてないのに、きっと主人公のアナが背負った生い立ちを受け止めて、最後は自分らしく生きていく決心をする映画なんだろうな、と涙しています。
https://www.youtube.com/watch?v=cvj3-MZO9Tw&list=FLF_clbmzwu_aTTbnVmXSsPg&index=2
早速、iTunesで松たか子さんの歌う日本語バージョン買いました。
https://itunes.apple.com/jp/album/anato-xueno-nu-wang-orijinaru/id834877950
色々バージョンがあるのですが、今回は日本語バージョンをとりあげます。やっぱりミュージカル映画ですから、ダイレクトにメッセージが伝わってくる日本語がいいですね。
それにしてもディズニーの曲って全部かっこいいですよね。私はアラジンのテーマソング「ホール・ニュー・ワールド」が好きでした。男性の方はピーボ・ブライソンという人なんですが、けっこういい曲をたくさん出していて、よくDJでかけてます。
このアルバムが最高です。スプレッドウィングが最高!4時半くらい、もうだんだん人がかえるかなあってくらいの最後の盛り上げにベスト。切ない。
https://itunes.apple.com/jp/album/crosswinds/id715936499
ということで本題に入っていきましょう。
最初にはったYOUTUBEで時間を指定していきますので参照ください。
再生もできるので便利です。
http://www.noteflight.com/scores/view/99eca90e7551876a3ec94a53a0ad00e5639fa1eb
例のごとくキーをCになおしてあります。原曲は、Abですので、原曲と一緒にプレイしたい人はM3下げて演奏して下さい。
日本語入力ができないようだったので歌詞はローマ字で。やり方分かる人はおしえてください。
で、楽譜の部分は大サビ、動画でいうと2:00からの場所ですね。一番盛り上がるところ。CMなんかで放送されているのはおそらくこれだと思います。
とても素晴らしい曲なんですが、それゆえ説明すべき場所がほとんどありません!笑
小手先の技でできている曲ではない。ただただシンプルにいい曲。
野球でいったらただのストレートなんだけど、速すぎて誰も打てない笑、みたいな。
コツとかない。ひたすら練習して投げれるようになった速い球、みたいな感じです。
https://www.youtube.com/watch?v=SV2hshsChlk
ということでボブ・マーリーの名曲『ノー・ウーマン・ノー・クライ』を引っ張り出してきました。最初のオルガンのリフ、鍵盤やってる人なら絶対練習したことがあります。かっこよすぎ。
で、なんでこれを出したかというと、レット・イット・ゴーのサビと、1:16ぐらいからの平歌部分、いんざがばめんとやーどいんとれんちたうんー、というところのコード、一緒なんですね。キーはもちろん違いますが。
ノー・ウーマン・ノー・クライではキーがDbなので、Db Ab Bbm Gbと演奏してます。
このコード進行と、レット・イット・ゴーのサビは全く同じ進行です。
好きな曲が同じコード進行ってやっぱり嬉しいじゃないですか。
コードが同じだとパクリだとか定番だとか、良くないことのようにいう人がいますが、そんなことはない。コード同じなのに全然違う良さがある。逆に音楽ってすごいなって思いませんか?同じ構造なのに感動が違うんですよ。すごいですよね。
C G Am F の繰り返しですね。
ここすごい好きです。個人的には切ない感じがする。ぐっとくる。
このブログでも何回も書いているんですが、FからCに戻る進行は、ソウルっぽいというか、ゴスペルっぽいんですよね。
書いてて思い出したんですが、絢香さんの i believe も多分同じコード進行ですね。サビ。レット・イット・ゴーと同じように、女の子が自分自身を受け止める歌ですよね。
https://www.youtube.com/watch?v=sJItuaykRRk
なんというかこう、自分と向かい合う、内向的な、しかし力強くまえに向かう。そんなテーマにあってるんでしょうか。このコード進行は。
ボブ・マーリーの歌も日常にある悲しさと、それでもやっていくしかない、っていう前を向くところがテーマとして似ています。
ここでいいたいのは、このコードを使えばいい曲が書けるとか、切ない雰囲気がだせる、といった小賢しいことじゃあないんです。
自分がいいなあと思う楽曲にたいして向き合い、なるべく多くのことを引き出そうとする営みなんです。より音楽を深く味わうための。
美味しい料理を食べたら、どうやって作るのかな、材料は?香辛料は?焼いているのかな?そういうことが気になるでしょう。
それで、例えばタイ料理好きだったら、そうか!!!私が好きなこの味は、パクチーだったのか!!って発見があったら嬉しい。スーパーに行って大量にパクチーを買ってなんにでもかけちゃう。みたいな。
好きなものがあれば調べて、どうなってるのかたくさん知りたいでしょう。音楽理論も同じです。対象を深く知るための行為だといえると思います。
なのに最近は、「タイ料理はパクチーがかかっているから美味しいんだ!」みたいな雑な人が多くて残念です…それは嘘ですよね。
今食べているこの味はパクチーだということはできても、パクチーを入れれば美味しくなる、ということはできない。
我々ができるのは、何が起きているのか、ということに向かい合うことだけだと思います。
話が長くなってしまいました。戻りましょう。
次はメロディを見て行きましょう。
やはり特徴的なのは、ありのーままでー、という部分ですよね。二回繰り返されています。
ラシドーという部分ですが、これ非常にマイナーキーっぽいサウンドですよね。
コードはFからCに帰る部分ですから、どちらもコードだけ見ると明るいサウンドだといえますが、メロディーはマイナーっぽい。いいですね。
ありのーのあと、Amを弾いてしまいそうになるくらい暗いメロディですが、実際のコードはCなので、この対比が面白いです。
ままでー、はG G D、完全にコードに含まれる音を使うことで力強い印象になっています。またGとDの完全五度の跳躍も力強い。ありのー、の繊細な雰囲気と、ままでー、の力強い雰囲気がうまく対比されています。
二回目の、ままでーは、G 「E」 D とほぼ繰り返しなのですが、「E」でグッとテンションを上げてきています。ここまでは「D」が一番高い音でしたので、さらに高い音「E」が初めて使われたことで、聞いているひとは注目します。
そしてそこから、飛び出してみるのさー、から一気に音高もテンションもあがります。「F」というこの曲中、二番目に高い音が出てきますし、メロディーのラインもぐねぐねと動くテンションの高いラインになっています。
そして最後の、二度と〜、部分です。
高々と「G」を唄い上げます。
「二度と涙は流さないわ。」
彼女の決意が曲中の最高音「G」と共に表明されるわけですね。
僕はいつもあまり歌詞については言及しないのですが、この曲は歌詞と曲の構造が完全に一致し、聞く人を引き込んでいきます。パーフェクト。
このシーンでこのうたを歌う必然性がしっかりとあり、メッセージの高まりと音高の高まりがリンクして、目の前でアナが地面を蹴りつけて氷面ができる。
すごい!
あと動画をみていて思ったのですが、アナは片方しか手袋してませんね。
全く映画をみていないので詳細はわからないのですが、くらい水色の手袋は、アナの心理的なガードの象徴なんでしょう。序盤は全く生身の手を見せずに、手袋しかみえません。
しかし、0:52ごろから、悩んでいたけれどそれももうやめよう、というあたりから左右の手をみせます。つまり生身の手袋をしていない自分自身を、しっかりと見せるのです。
すごいリンク具合。
あの…映画みてないので、もしからしたとんでもない誤解をしているかもしれませんが、許してください。そもそもこの人アナじゃない可能性もありますね笑
ではお疲れ様でした。
ネタバレありありだよー。とにかくシナリオが悪いしなんつーか着地点が気持ち悪いんだよね。
もちろん脚本上の要請から来るところもあると思うんだけど、それにしたってその脚本があんまりだと思うわけ。
純粋な憎しみに燃え上がって人を凍らせて殺した→封印とかならまだ分かる話なんだが、エルサのミスは本人の言うとおり完全なる事故、射撃の命中率的な意味でコントロールに問題があるのであって解決策は明らかに日常的にぶっ放す練習をさせて精度を上げていくのが正解だったのに封じ込め一択とかマジキチ。
どこでどうなったらそんな判断になるんだ政治家向いてないぞ。
実際エルサは完全に萎縮してるし、そのビビリが却って力を増幅させているのは明らかだ。
1年2年ならともかく18になるまでその調子で育てたとか子どもの様子も見てなかったのか。お前ら本当に親か。今流行りの毒親か。
住めよ。せっかく建てたんだから。住み続けろよ。
王国が氷漬け?知った事か。「知った事か」と歌い上げて建てた城じゃねえか。なめてんのか?
本家雪の女王見習えよコノヤロウ。たまにお出かけするけど普通にあそこに住んでるぞ。城主以外は召使いすらいないんだぞ。手違いでついてきちゃったショタを軟禁してるだけだぞ。
唐突すぎるし意味がわからん。呪いだったらまだ「愛はすべてに勝つ!」的な感じで理屈がつかないでもなかったが「生まれつき」なんだろ?
何?自分の能力を愛してなかったから暴走してたとかそういうアダルトチルドレンこじらせた感じだったの?でもそんな描写なかったんじゃね?
これが一番きもちわるい。
これ何の物語だかわかってんのか?
社会とかコミュニティには受け入れられない力を持った人間が、そこから叩き出されて孤独を受け入れると同時に、自由と自分自身のアイデンティティを全力発揮する楽しみを謳歌する物語だろうが。
少なくとも目玉シーンまではそういう話だっただろ。
何が「みんなで歌おう」だアホか。その「みんな」がそいつを蹴り出したから生まれた歌を「みんな」で歌ってどうする。ヘドが出るわ。
「最終的には(コミュニティのために)異分子受け入れエンド」だというこの映画そのものと似た構造のキモさがあるぞ死ね。
ジェンダーとかフェミニズム界隈では評価されてるって話だけど、ぶっちゃけはっきり快挙と言えるのは白雪姫とかのトラディショナルな一目惚れプリンセスは完全否定してみせたという点くらいで、本質的なとこがジェンダー以前の問題なんじゃないのこれ。
あ、逆? 本質的にジェンダー以前の問題であるところを最終的に「能力を抑えることを覚えてみんなのために暮らしましためでたしめでたし」ってオチに持ってかれる、その所以がジェンダーだって話?
だったらわかるんだけど。男主人公だったらどう考えても魔王として覚醒して城に住み続けてみんな凍え死ねーっていう話になりそう。っていうかそういう作品あるっぽくね。ライブアライブとかあのへん。
ディズニーアニメなので日本のアニメと比べて表情が豊かすぎるし、キャラデザがバタ臭いというブヒ阻害要素があるものの、「雪の女王」のキャラクター自体は萌え豚ウケも良さそうな設定だと思う。
アレンデール王国家の長女。優雅で落ち着きがあり、なにごとも慎重に考えてから行動するタイプ。触れるものを凍らせる特別な力を持っていて、幼いころ、大好きな妹のアナを危険な目にあわせて以来、その力がトラウマになっている。人を遠ざけ、ひたすら感情を抑えることで、力をコントロールしようとするものの、やがて秘密を知られてしまい、王国を永遠の冬に閉ざして、雪山に逃げ込んでしまう。氷の城を築き、“雪の女王”となったエルサは、そこで本当の自分に目覚めていく。
あとクリストフという山男のキャラクターが、山中で相棒のトナカイと暮らしており、喋れないトナカイのセリフを自分で補完して自作自演会話?をしているなかなかの変人。トナカイだけでなくトロールとも仲良しだが、どちらにしろ人間の知り合いが全然居なかった。ディズニーのプリンセスものと言えば、イケメン王子が出てきてプリンセスを全面肯定するお話だったけれど、最近の男キャラは皮肉屋が多く、割と好感が持てる。