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はてなキーワード: アドラーとは

2018-09-26

anond:20180926102456

アドラー「死んでないんだから増田は死にたくなっていないのでは?」

2018-09-04

anond:20180812195341

どーだろな。

その虚無感は、もうちょっと即物的というか、生物学感情に根差してる気がするけどな。そういうときは、フーコーとか、もしかしたらハーバーマスとか、そういう思想に頼っても救いはないんじゃないか

まだアドラーとか読んだ方が良くない?

なぜか流行たから、軽薄に感じるかもしれないが。

2018-08-16

anond:20180816115004

遵法が言い訳に足る理由なので自殺できませんが?

欲求に流されることで本物かどうかを決めようとするのは実に低能らしいっすね。

今すぐ水が欲しいから隣のやつ殴って飲み物奪わないなら本物じゃない!はいガイ理論ですね。

アドラーじゃなくて次からソバカと名乗ろうね。アドラーに失礼。

反知性主義と名乗ると怒られるからやめとこうね、低能かクソバカにしとけよ。

anond:20180816114659

アドラー「おみゃーの自殺欲求は偽物ゆうとるんだがや。遵法を言い訳に死んでないだけ」

anond:20180816112940

アドラー「お前がだれか殺すのならともかく、お前が自分死ぬのに合法かどうかを考慮する必要なんてないだろ。お前はただ死にたくないだけ。甘えんなカス

2018-08-08

anond:20180807222403

心理学部卒だけど、ユングフロイトは1年時の授業で教科書に1行、記述あるかないかぐらいの扱いだった。授業で教授言及したのも1年で30秒くらい。

いわゆる実験心理学認知心理学とか知覚心理学とか)の教授の授業を中心に取ってたからかもしれんが、アドラーマズローに至ってはまったく記憶にない。

アドラーマズロービジネス課題解決するための仮説として使うイメージ

そういう意味では有用だと思ってる。

2018-07-31

anond:20180731093730

アドラー先生が聴いたら「死後の身内のことを気にするのは自分が生に執着している証拠」とか言うぞそれ。

おまえがおまえの生存を決定する権利をもってそれを行使しようとしてるんだから他社の介入を許しちゃならんだろうが。

2018-07-11

anond:20180711170504

アドラー「親は関係ないって言ってんだろ。お前がクズなだけ。クズなお前をお前が自分で認めろ」

2018-07-10

anond:20180710121708

アドラー増田が今生きがいが無く精神的に生きていないということは即ち死んでいるということと同じなのです。むしろなぜまだ生きているのか。死にたいなら死ねばいいのに

2018-07-07

anond:20180707150628

演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日本の伝統だ」ということですよね。

「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。

だとすると、

演歌はニセモノの日本の伝統だ」という主張をするためには、

「これがホンモノの日本の伝統だ」という主張が必要不可欠なはずです。

これは正しい。

まずそもそも日本」という単位自体ナショナリズムのものといっていい。

ゲルナーは『民族ナショナリズム』において"政治的単位民族単位を一致させようとする政治的原理"をナショナリズムと捉えた。

日本の伝統と言ってしまうと必然的にそうなる。

肯定する場合でも否定する場合でも主語日本にしてしまうとそうなる。

国家及び民族主語にして語る時点でナショナリズム的と言っていい。

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」

ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。

もし仮に、日本は古来から文化的排他的海外のものを寄せ付けなかった、とかい歴史的事実存在するのであれば、

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」というのは正しいと思います

でも実際には、そんな歴史的事実存在しないんですよ。

箏も三味線も、もともとは海外ナウい楽器だったし、雅楽ももともとは海外ナウい音楽ジャンルだったわけす。

仏教インド発祥だということはだれでも知ってることのはずです。

ようするに、もともと海外のもの伝統になる、ということは日本では古来から普通のことだったわけです。

というか世界的に見てもそれが普通なんですよ。


この段落は非常に雑だし、前提がおかしい。

当該社会集団が何を選択的に残し、何を排除たか。何をナウいと考え、何をダサい判断たか

その価値判断は誰によるものか。どういう思想によるものか。

そういった当該社会集団による意図的選択連続としての受容史を単なる伝播、自然淘汰と読み違えている。

インド仏教日本仏教は全く違いますよね。

また、楽器で例えるなら韓国伽耶琴と日本の琴は全く違いますよね。

ダルシマーヤンチンは全く違いますよね。

文化は伝播してもそのまま伝わるわけではなく、ある種の選択判断が生じている。

雅楽だって日本韓国昔ながらのスタイルのままだと主張しているが、実際には微妙な違いがある。

その価値判断伝統の名の下にくだすのがナショナリズム的言説でしょ。

たとえばですよ、

正月によくかかる「春の海」という曲はたいてい「伝統音楽」の棚においてあります。この曲は洋楽邦楽ハイブリッドです。形式的には完全に西洋音楽です。

から

「春の海は形式的には洋楽から日本の伝統じゃないよ」

という意見もあります。でも同時に、

作曲者バリバリ邦楽演奏家なんだから日本の伝統じゃん」

という意見もあるわけです。

で、このふたつのどちらが客観的に正しいかということを実証することは不可能です。人それぞれ価値観が違う、としか言いようがない。

いやそもそも音楽学者で《春の海》をそういった視点分析する奴は今日びいないです。

伝統かどうかというのはもはや何の問題提起にすらならないんですよ。

なぜならその枠組み自体幻想だという前提で読むからね、まともな音楽学者は。

伝統」とはなんなのか、「日本」とはなんなのか、「音楽」とはなんなのか、

とういうような哲学的な問いにきっちり答えないといけないはずなんですよ、もし演歌はニセモノだと言いたいのであれば。

「創られた伝統」という概念と「創られたわけではない伝統」という概念は、どこがどういうふうに違うのか、

ということを哲学問題として、きっちり論理的説明しなきゃいけないはずなんですよ。でも、そんな作業してる音楽学者なんていないですよね。いたら教えてください。


とっくに議論されています伝統の創出についてはホブズボウムがまず前提。

ヘルダー、ダールハウスタラスキン、ヴィオラリーマン、リッサ、アドラーも読んでどうぞ。

特に19世紀ヨーロッパナショナリズム芸術関係が盛んに論じられていたので、

この分野の先行研究として学びがある。ロシアスペインフィンランドハンガリーなどなど。

繰り返すけど伝統って自然に生じるものではなくて、外と相対化されて初めて気づくものだし

伝統自体共同体による幻想なんだよね。

割と最近テレビラジオ地方地方性を駆逐したのではという話もあって面白い

北海道沖縄も、東京の発信する音楽文化に染まってしまったという話で、

それが国家音楽民族音楽だと大衆勝手に読み替えられているという話ね。

音楽って人間社会性そのものだよねってのはブラッキングの『人間音楽性』の指摘だが、

そういう純粋なる民族性の罠にはまってないですか。増田

あれ、演歌の話どこいった。

2018-07-06

anond:20180706114607

アドラー増田人生を滅茶苦茶にしたのは増田自身だろ。勝手他人責任にするんじゃないぞ」

2018-07-05

anond:20180705093034

アドラー「何がしたいんだよてめーは。まずは増田自己主張したりすることからはじめろやクソ雑魚ナメクジ

2018-06-28

anond:20180628141616

アドラー仕事が終わったらとか甘えてんじゃねえよ。今すぐ辞めろ。今すぐ辞められない理由でもあるのか? 今やってる仕事に未練があんのか? そうじゃないんだろう? なら今すぐ行動に移せ。今すぐにだ。早くしろネット弁慶

2018-06-18

伸びて欲しい増田程伸びない

助けてアドラー

僕が伸びて欲しい増田が伸びなくてどうでもいいのが伸びた!

課題の分離~~~!」

「いいか増田くん。君が伸びて欲しいと思って増田を書くことと、大衆がどれを伸ばすのかは別個の事象なんだよ。自分他人境界線ちゃんと引かないと無駄に苦しむだけだぞ」

2018-04-06

anond:20180406091343

アドラー自分の弱みを武器にしてみたら? よくいるじゃん。自分メンタル弱いです! みたいな自己紹介してるやつ。正直引くけど、それがアイデンティティならそれはそれでひとつ生き方だと思うよ」

anond:20180406090721

アドラートラウマとか嘘松吹いてるんじゃねえよ。お前は引きこもりいから引きこもってるだけだろ」

2018-04-04

大学でこんな張り紙を見つけた

大学っていうのは本来

マルクスを読み、経済とは何かを考え、

フロイトアドラーを読み、心理学がどう発展したか知り、

ニーチェヴィトゲンシュタインを読み、人間とは何かを考え、

夏目漱石ドストエフスキーを読み映画をみてアートを鑑賞し、教養を広げる

場所のはずだ。

でも今の大学絶対にそんなもの提供しない。

学生

「俺は何のために学ぶんだ、何のために就職し働くんだ。何のために友達必要なんだ、

理想人生って何だ?世の中はどこへ向かうんだ?」

って考え始めたら、企業にとって悪夢からだ。

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