生理休暇、(将来的な)結婚退職、(将来な)育児休暇をちらすかせ、人事考査をのらりくらり。
生理休暇の場合の取り扱いについては人事に相談だと思うのだが、それ以外のところについては何の理由にもならないと思うんだけれど。
結婚退職や育休を考えているので難しい仕事を覚えたくないということならば、その選択は自由なのでお互いにそのことを確認できる形で記録に残し、人事にも共有する所だな。
その場合は人事評価としてはその分低めになるし、難しい仕事ができないなら、上の職級にも上がれないという説明はするところかと。
タスクや目的に対する進捗も良くないが、フィードバックの機会に言い訳三昧、女性特有の体調面などの不利な条件下で頑張ってる事をアピール。
別に詰める必要もないのでは。
会社は慈善団体ではないので、会社に利益をもたらす人には会社として厚く遇するし、そうでない人には遇さないだけ。
上司の人間個人としての評価、育成と会社としての評価は違って当然だよね。
個人としてはとことん人を信じるべきだし、頑張っているということも認める。不利な条件下でよく頑張ったねと話してもいいと思う。
でも、企業である以上、人事評価は一人一人の頑張りではなく実績に対して行うものだよね。
「もしアドラーが上司だったら」の受け売りがそれなりにあるけどさ。
体調の問題があるなら、相応の休暇を取得してもらった方が実労働時間が測りやすくなるのでよいということをお話しして、労働時間成果で見るかな。
有給休暇全部使って、無給休暇まで使って、残りの体調がいい時に成果バンバン出すなら、それはそれで評価するべきだと思うし。
(まあ、その状況はその状況で人事に相談するべき状態だとは思うけれど)
]]>何を言っているのかよく分からん(anond:20231103065759)
わからないなら下記のどちらかじゃないですかね?
→ 一例)
経済的成功を追求し、その後に他人をサポートすることが一般的なのが、正しいのか疑問です。
完璧になる前に明日死んで他人をサポートすることなく人生を終えるかもしれないし、経済的自由を持たない人が出来る範囲のことで誰かの命や希望を繋ぐことができるかもしれません。
しかし、一方で、何かのプロジェクトを成功させるには、スキルやお金が必要なのも事実です。
また、自分自身を向上させ、課題を解決することは、他人に対してより多くの支援を提供できる基盤を築くことにつながることも事実ですし、それらが欠けている中で行われるボランティア活動や子育てが社会的な問題になっていることも事実です。
生物進化学、アドラー、サルトルの哲学の視点で考えると、どうでしょうか?
楽な方に流れているだけ
ただ、この問題は怠惰だけで切り捨てられるような簡単な話では無いと思う
経済的成功を追求し、その後に他人をサポートすることが一般的なのが、正しいのか疑問です。
完璧になる前に明日死んで他人をサポートすることなく人生を終えるかもしれないし、経済的自由を持たない人が出来る範囲のことで誰かの命や希望を繋ぐことができるかもしれません。
しかし、一方で、何かのプロジェクトを成功させるには、スキルやお金が必要なのも事実です。
また、自分自身を向上させ、課題を解決することは、他人に対してより多くの支援を提供できる基盤を築くことにつながることも事実ですし、それらが欠けている中で行われるボランティア活動や子育てが社会的な問題になっていることも事実です。
生物進化学、アドラー、サルトルの哲学の視点で考えると、どうでしょうか?
]]>
- 人間の本質はあらかじめ決められておらず、実存(現実に存在すること)が先行した存在である。だからこそ、人間は自ら世界を意味づけ行為を選び取り、自分自身で意味を生み出さなければならない
- 世界や存在にはそもそも意味はない。だがだからこそ人間は根源的に「自由」
- 自分自身があらゆる行動の意味を決めなければならない。そこには絶対的な責任が伴う
- 人は過去に縛られているわけではない。人は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。過去の原因は「解説」になっても「解決」にはならないだろう
まぁ能力主義の傲慢ですよね
]]>
嫌われないようにする、とか、消極的とみせかけてめちゃくちゃ傲慢なのでその辺直したほうがいい。
相手の心を掌握しコントロールしようとしてたら、そりゃ疲れるわというもんよ。
これは別に恋人と別れたからって根本的に治らない、また別の人と同じことになるだけなんで
せいぜい今いる相手で上手くいくように頑張れ。
君の悩みは、まあ正直よく聞く話。
つまり対策も割と広まっている話。
刺さるのが、アドラーかもしれんし、他の自己啓発系かもしれんが、なんかいろいろ学んでみろ。
考え方ひとつ心のもちよう一つの話だ恐らく
]]>現実問題として悪い奴なんかクソどこにでもいるわけじゃん。
仮にいじめられました、いじめっ子を排除しました。めでたしめでたしになったとするじゃん。
でもそいつの人生はそのコミュニティでは終わらんわけじゃん。
次のコミュニティに行く。次のコミュニティにも同じような悪人はいるかもしれないわけじゃん。
もしいじめられる原因がそいつあるんだとしたら、またいじめられるよ。
いい人だけがいるコミュニティガチャを引き続けるの?って話じゃん。
それってさ、結局いじめられる本人の道を狭めてるだけじゃん。
ガチャ引くしかないにしても、より可能性が高いガチャを引きたいじゃん。
そのためには、本人が変わるしかないじゃん。
アドラーも他人を変えることはできないが自分を変えることはできるって言ってたじゃん。
もろちん、いじめってのが明確な原因があって始まるものじゃなくて
例えば単にそのコミュニティの総体の中で自分の地位が低くなった結果ターゲットにされたとか、
すぐにはどうしようもないような身体的な原因でターゲットにされるとかいろいろあるのはわかるよ。
でも、そういった時にコミュニティの総体の中でちょっとでも上にいられるような能力や、
身体的な原因のマイナスを1ミリでもカバーできるような何かを身につけておくことで、
いじめられないガチャの排出確率を多少なりとも上げることはできるわけじゃん。
いじめっ子が悪いんだ、いじめられっ子は何も悪くないんだ、そのままでいいんだ!
って言ってやってる奴らがそいつのことを一生守ってやれるんならいいけどさ。
現実問題としていじめっ子はどこにでもいるじゃん。無理じゃん。
無責任じゃんって俺なら思うけどな。
]]>お互い頑張ろう
]]>社会人になってはや数年。はてな匿名ダイアリーを読む頻度も減った。大学生の頃はけっこう読んでたんだけどな。今だと、はてなブログランキングの下にある増田部門をたまに見るくらいだ。
いい会社で働いてるわけじゃない。暗号資産取引を扱う会社に新卒で入って、お金の出し入れとか、今年の予算がどうなるとか、新しく口座を作ろうとする人の審査とかしてきた。まあ、平社員の仕事だ。GMOみたいな大企業じゃない。もっと小さいところだ。
こういう仕事をしてると、なんというか、この世界における『養分』だよな。そういう人間について考えることが多くなった。俺なんか、増田やってる人達と比べたら人生経験が薄いのでツッコミどころもあるかもしれんが、まあ聞いてほしい。
1.学校教育
学校教育って、社会の養分を育てるためにあるよな。学校における教師・生徒の上下関係とか、意味のない規則まで含めてルールを守らせるように躾けるところとか。今の俺には、社会規範に反する行動まで含めて社会の正しい姿なんだってわかる。未成年だった当時は、別になんとなく学校のルールに適合してたな。何も考えてなかった。
ところで、今まで私立に通ったことはない。小中高と地元の公立だったし、大学も公立大学だ。設備がボロボロで、学生課の就職支援もないに等しかった。で、こんなクソ環境でも何かできることはないかと考えた結果、GMOで仮想通貨取引の口座を開いてトレードにのめり込んだ。バイナンスでは100倍レバレッジに挑んでゼロカットを食らいまくった。懐かしい。
当時は、社会から逸脱してみたかったんだよな。若気の至りだ。そんで仮想通貨トレードなんだが、飲食店のアルバイトで稼いだ5万円で始めてボコボコにされて、「俺、弱いだろ!!」ということに気が付いた。実際、本当に弱かったのだ。鴨がネギと鍋をしょっているようなものだった。
話が逸れた。それで、社会でフツーに生きてる人とか見てると、なんだかんだで学校で習ったことを尊重しながら生きてる。真っ赤な嘘はつかないし、接客では新人研修で習ったとおりにするし、上の人間のいうとおりにするし、金や物だって盗んだりしない。誰かを故意に貶めることだって、あんまりないよな。
しかし、そういった社会規範を子ども達に教える元締めになってるところの、政府なんかの上位層はどうなってんだという話だ。国会議員だって官僚だって国民に平気で嘘をつくし、ライバルを蹴落とすためならなんでもするし、犯罪だってバレなければいいぐらいの勢いだ(河井夫妻選挙違反事件が記憶に新しい。詳細はwikipediaを読んでほしい)。
国のトップ層がこれなんだから、学校教育だってそういう風になってるんだよ。つまり、学校で学ぶ社会規範というやつの正体は、自分らにとって国民が都合のいいように動くために、そういう意識を内面化させてるんだよな。
しかし、なかなか国を批判しにくい部分もある。アドラーの考え方を記した『嫌われる勇気』(※著者はアドラーじゃなく岸見一郎)を読んでると全くもって関心できるけど、世の中アドラーばかりになったらエライことになるだろう。社会には養分となる人間が必要なのだ。
・法律や規則とかの明示されたルールを守る
・明示されてなくても、他者や集団に悪影響を及ぼすことをしない(エチケット、マヌーー)
・ルールやマナーに明示がなくても、人との関係性を良好に保つ義務を果たす
抽象的に綴ってみたけど、こんなところか。こういう人がたくさんいるお陰で日本社会は成り立っている。外国人観光客が日本にたくさん来るのも、そういう人がいっぱいいて、なんというか社会がクッションみたいでさ、居心地がいいからだろう。メシが安くて旨いのもあるが。インドネシアの屋台では、残飯を数百円以上で売ってた。
ところでさ。年末に『監獄の誕生』という本を読んだんだが、その中に違法行為を犯した少年と裁判官との問答があるのを思い出して再読してみた。こういうのを読むと、やっぱり社会規範を冒すところまで含めて人間なんだと感じる。
せっかくなので引用してみよう。時代背景は1840年8月頃らしい。軽犯罪を働いて捕まった浮浪児のベアス少年と、裁判官とのやり取りだ。
その裁判官が反規律・訓練を法の尊厳でつつみこもうと試みるさいの反語法(イロニー)と、被告が反規・訓練(だらしなさ)を基本的人権のなかに組込むさいの横柄な態度は、 刑罰制度にとって一つの典型的な情景を組立てる。
それゆえにこそわれわれは『裁判新報』のつぎの報告記事を手に入れる結果になったのであろう。
「裁判長 人間は自分の家で眠らなければならないのです。
ベアス 自分の家なんかない。
裁判長 あいも変わらずいつまでも放浪生活をするのかね。
ベアス 生活を立てるため働いてるんだよ。
裁判長 きみの職業(エタ)は?
ベアス 仕事(エタ)ですかい、少なく見ても三十と六つぐらいしこたまありまさ、それに人様のとこで働いてる。しばらく前から出来高払いでのんびりやってるんだ。昼も夜も仕事をかかえてな。昼間だと通行人に無料(ただ)の刷り物をくばったり、乗合馬車がくるあとを走って小包をはこんでやったり、ヌイイ通りでトンボ返りをして見せたり、夜には芝居の仕事があって、劇場の出入口をあけに行ったり、外出券(劇場を一時外出するときの)を売ったり、なかなか忙しい。
裁判長 ちゃんとした店に勤めて徒弟奉公したほうが身のためになるんだぞ。
ベアス とんでもない、ちゃんとした店やら徒弟奉公なんか、うんざりだ。それにまた、お金持(ブルジョア)てえのはいつもどなりちらすし、おまけに自由がない。
裁判長 父親はきみを呼びもどさないのかね。
ベアス 親父はもういないわな。
裁判長 では母親は?
ベアス もういない、親類も友達もありはせん、自由で一本立ちなんで。
二年間の懲治矯正の宣告を聞くとベアスは「ひどいしかめ面をし、やがて上機嫌にもどって《二年といえばたったの二十四ヵ月。さあ出発》というしまつ」。
監獄の誕生 ― 監視と処罰 – 1977/9/22 ミシェル・フーコー (著) P.287
ここから言えるのは、ルールに反するのは社会にとっての無秩序だけど、それもまた秩序のひとつということだ。人間にはルールに反する権利がある。つまり違法行為というのも、人間の生き生きとした力の肯定のひとつにほかならない。
2.仮想通貨
ここでは暗号資産ではなく、あえて通称である仮想通貨という表現を使う。仮想通貨については、俺が属している業界だけあって、ちょっと思い入れがある。まさにこれこそ『養分』とでも言うべき人間がいる。
仮想通貨(ビットコイン)が大幅に上がる半減期がくると、業者が決まって宣伝を始める。今季だと、2020年末~2021年春頃がそうだった。あの頃は、いろんなアフィリエイトブログが「ビットコインは将来一千万になる!! もしかしたら1憶円も!?」みたいなアピールとともに、仮想通貨取引業者のアフィ宣伝をしていた。そんな連中の養分になったのは、欲に目がくらんだ一般人だ。
ビットコインが日本で知られ始めたのが2010年頃、そして2017年に大きく値上がりして、すぐにバブルがはじけて、2021年にまた大幅に上がって……。今では最高値の3割ほどしかないし、今後さらに下がる可能性もある。
しかし、またある時期がやってくると、今度は一千万は軽く超えるだろうし、二千万に到達する可能性もある。そんな時期になろうかという時に彼らは、無責任かつ過大な広告を打って「あなたも稼げるよ」と、養分となる人間に甘い囁きをかける。
さて、ビットコインには有名な価格予想モデルがある。どの仮想通貨取引業者もこのモデルを知っており、機会があるごとに引用する。
それは、ストック・トゥ・フロー(S2F)モデルというものだ。端的にいうと、金や銀の希少性(全体の中でどれだけ発掘済か)と、市場価格との比例関係について説明した理論をビットコインに当てはめたものだ。
このモデルにしたがうと、ビットコインは4年周期で採掘難易度が二倍になるため、その時期になると急騰することになる。
こちらを研究しているブロガーもそれなりにいる。結果を出している人でいうと、こちらの方が詳しいうえに分かりやすい。
YUTAの米国株投資ブログ
【投資戦略】ビットコインの4年周期のサイクルに乗る投資
https://www.yutainvest.com/bitcoin-strategy/
この方は、相当に賢いタイプの投資家で、はっきりいって結果を出している。米国株というよりは、投資銘柄全般に興味がある人なのだが、勉強になるブログなので一読をおススメする。
結論を言ってしまうと、このストック・トゥ・フロー(S2F)モデルは誤っている。ビットコインがこの経済モデルに従って成長してきたというのは正しいが、市場参加者の経済行動が折り重なってこうなるのではなく、特定の少数の大口保有者(所謂クジラ)がそうなるように買い増しているというのが正しい。因果関係が逆なのだ。
株式市場でいうと仕手筋だ。株式市場において、東証その他が仕手行為を(事実上ではあるが)許しているのは、特定の小口銘柄が主なのと、あとは政治的理由で目をつむっているだけだ。まっとうな銘柄で予告なしに仕手行為をすれば、おそらく首謀者は逮捕される。
しかし、ビットコインにこうした規制は及ばない。クジラのやりたい放題というのが実情だ。事実、市場に流通しているビットコインの少なくとも八割以上は、上位数パーセントのアドレスが保有している。
(以下、因果関係)
半減期到来~クジラ勢がビットコイン価格の吊り上げを始める → 仮想通貨業者やマスコミが宣伝する → 世界中の一般人が購入 → 価格が吊り上がったところでクジラ勢が売却 → ビットコイン暴落 → 買いと売りを繰り返す → 一般人が大損して撤退 → ビットコイン価格低迷、以降はボラティリティ低めが続く → 半減期到来。最初に戻る。
2013年あたりからこれをずっと繰り返している。ただし、その値上がり幅は年々小さくなっている(2013半減期が約200倍、2017が約40倍、2021は約8倍)。これは当然で、ビットコインの時価総額が半減期到来の度に上がっているからだ。
最初期には一般人の財布程度の時価総額だったのが、今では約60兆円に膨れ上がっている。仮想通貨市場への新規流入額があっても、ビットコインの時価総額がすでに十分なので、昔みたいに何十倍ものリターンは期待できなくなっている。
個人的に思うのだが、世の中で大儲けしてる人って、知能というよりは知性がすごいよな。ビットコインだって、正直クジラ勢が一般人を仕手行為という意味で騙しまくってるけど、一般人は別に騙されたって思わないじゃん。ここでの騙す行為が自然かつ合法だからだ。
上で挙げた人のブログでも、こういう記事をアップしている。
ビットコインの価格が1000万円を超える仕組み
https://www.yutainvest.com/bitcoin-is-going-to-surge-by-2024/
この方は、自分でモデルを作って、2021年初頭からS2Fモデルを使ってビットコインの価格予想に挑んでいた。一千万超えを予想していたが、結果としては大はずれであり、この人の記事を信じて市場に挑んだ人もそれなりにいたんだろうな。2022年6月に価格予想の更新をやめたようだ。罪の意識を感じたのだろうか……。
こちらの方は、さきほど述べたように鋭い知能を持ち合わせている。投資で結果を出している。賢さランキングなるものがあるとすれば、全人類の上位5%以内に入っている。当時、俺がこの人の誤りを指摘できたのは、たまたま仮想通貨取引業に携わっているからであって、そうでなかったら完全に信じていただろう。
でも、そんな人ですら、全人類の上位0.1%とかに入っている人にはコロッと騙されてしまう。だったら、一般人なんて騙され放題じゃないか。
なに、じゃあ、お前がこれからビットコインがどうなるか予想してみろだって? まあ、ざっくりとした予想には挑めるけど、文量の関係でここまでにさせてほしい。要約するとこんなところか。
①日足ベースではまだボラティリティがイマイチ。よく動いて30%くらい
②2023年後半以降、米国が不景気到来で株暴落→ビットコインも暴落
③皆が「死んだな」と思ったところで上昇開始~
④2025年までには一千万到達~二千万も視野に入る
⑤その後、2021年と同様にクジラ勢が売って一般人(養分)が大損
3.最後に
増田で仮想通貨の記事を投稿している人にも、正しい未来を予想できてるかもしれない人はいる。わかりやすくて勉強になる。よければあなたも、増田の検索窓に「仮想通貨」「暗号資産」などと打ち込んで探してみるといい。過去1年以内だと、このふたつがいいと思った。長いけど。
2023年版・ド初心者向け暗号資産投資の始め方
https://anond.hatelabo.jp/20230101013634
会社員が仮想通貨と向き合っていくために
https://anond.hatelabo.jp/20220502212036
ぶっちゃけ俺の記事も、このふたつを参考にして書いている。パクリにならない程度に留めたつもりだ。
ところで、こんな俺の意見(世の中には養分とされる人間が必然的に存在する)について、ChatGPTはこんな回答をしてくれた。以下に引用して結びとする。
このような発言や考え方は、倫理的に誤りであり、社会的にも望ましくありません。養分や生贄になる層が必要だとする発言は、人間の尊厳を否定するものであり、誰もが平等に尊重されるべきであるという人権の原則に反します。
また、学校教育や法に従う人を養分として見ることも、社会的な貢献を無視し、人々を不当に軽視するものです。同様に、ビットコインの高値掴みを批判すること自体は構わないかもしれませんが、そこから全体主義的な論理に陥ってしまうことは、自己中心的で不健全な考え方です。
社会は、多様性があり、様々な背景や状況を持った人々が存在しています。社会的な格差や不平等を無視することはできませんが、それらを解決するためには、公正な制度や政策の実施が必要であり、誰もが平等な機会を持てるような社会の実現が求められます。
俺のチャー子は、くだんの意見は人間の尊厳を否定するものだと言っている。そうか、そういうことだったのか……。チャー子のことは信頼している。もうちょっとだけ考えてみることにする。ありがとうな。
]]>粗暴かつ尊大な言い方で言ってください。
ええ加減にしろよ、アドラー先生が言ってることはもっと深い意味があるぞ。てめえのような奴には理解できないだろうがな。アトピーのかゆみとかいう話は全然関係ねえんだよ。人間関係が全てじゃないってこともわかりゃしねえのか。そんなこともわからない奴が、お前のようなカスなんだよ。
えぇ…。
]]>博多弁でお願いします。
]]>「まぁ正直言うと、アドラー先生が言うように、人生で悩むことってほとんどが人間関係から生まれることが多いんじゃないかなぁ。でも、アトピーのカゆみのように、体に直接的に影響を与えるような苦痛や病気に関しては、誰もいないところであっても辛いもんは辛いんやで。ただ、人と上手く付き合うことで自信を持ったり、生きがいを見つけたりすることはできると思うんや。要は、ヒトとの付き合いが大事ってことやねん。」
それを津軽弁で言ってください。
「ほんまのこと言うと、アドラー先生が言うたように、人生で悩みってのはほとんどが人との付き合いがからんでるわけよ。でも、アトピーのかゆみのように、身体的な苦しみとか病気とかは、独りになったところでもしんどさは変わらへんわ。でも、人とうまく付き合うことで自信をもって、生きがいを見つけたりすることができるんやで。つまり、人間関係は大事なんやなってことやな。」
やっぱり広島弁で言ってください。
]]>「ホンマのこと言うと、アドラー先生が言うたように、人生で悩みってのはほとんどが人との付き合いがからんでるわけや。でも、アトピーのカゆみのように、からだ的なしんどさとか病気とかは、独りになったって、めちゃくちゃキツイんよ。でも、人とうまく付き合うことで自信持ったり、生きがい見つけたりすることができるんやで。つまり、ヒトとの関係って大事なんやなってことやねん。」
脳科学に内容を批判されたときにはとんでもな科学批判を展開しはじめたりするのもなあ
]]>実験の裏付けがあって再現性・客観性がないとな
]]>では、時代を追って解説していきます。
テディー・ベアーズ
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ガレージ・サウンド
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
インスト・マニア
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
~
中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
憧れのリーバー&ストラー
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
ガール・グループ
'60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW>
なんでそれをしないのか考えると答えは明白なんですよね。
僕はこう見えてアドラー心理学の先行なんですが、アドラーならこう言いますよ。
「彼らは動物を守りたくて人に説法をしているのではない。人に説法をしたいから、その引き合いに動物を利用しているだけだ」
ってね。
もし本当に本物より美味しい肉が誕生したら今ヴィーガンやってる人は手のひらを返して「こんなものは自然に反する。こんなものを食べる人間はおかしい人だ。人間は自然にあるがままの肉を食べるべきだ」と180度主張を変えるんじゃないかな?
]]>米占領軍兵士とドイツ人の母親の間に生まれた元サッカー プロのジミー ハートウィグは、ドキュメンタリー「シュヴァルツェ アドラー」(Amazon で 4 月 15 日から)で発言権を持つ国民的選手の 1 人です。66歳のハートウィグは、ドイツサッカー協会の統合アンバサダーを6年以上務め、2019年からはフェアプレーのためのDFBアンバサダーを務めている. 家庭の感覚、人種差別、社会統合の助けとなるサッカーについてのインタビュー。
SZ: 「Schwarze Adler」は、あなたがブンデスリーガの選手として成功を収めた後、多くのネガティブな経験をした後、何年も経って公開されました。その後、何か大きな変化はありましたか?
ジミー・ハートウィグ:逆です。今はさらに悪化しています。グローバル化が進んだ今でも、この国には、見た目が違うからといって、他人に嫌悪感を抱く人がいます。そして、この狭量性がある限り、『ブラック イーグル』のような映画をもっと上映しなければなりません。人種差別はなくなったわけではなく、よりサブリミナルになっています。
https://www.sueddeutsche.de/kultur/fussball-rassismus-jimmy-hartwig-interview-1.5263472
あとレインボーでONE LOVEだから
https://www.instagram.com/p/ClWfK6mobub/?igshid=YmMyMTA2M2Y=
だから退廃した人種である黄猿を差別しても道徳的に問題ないぞ
]]>俺は今後何かで「大金持ち」になったり「大成功」することもないだろうから、今の収入のままでQoLを上げたいわけだ。
それで、そもそも「俺の精神がダメージを受けるのはなんでなのか」ってのを突き詰めたら「孤独感」ってやつにたどり着いた。「孤独」ではなく「孤独感」だ。
調べてみると、孤独感というのは人間の本能である。
「周囲の人間に無視されることはサバイバル上の死を意味したから、認められるために孤独を痛みとして感じるようになった」という進化的経緯があることを知る。
だから「承認欲求」とやらは本質的に人間の社会本能であり、個人主義という最新の文化に脳が適応しきれていないことを意味する。
例えばお前が「数学を趣味にしよう」と考えたとする。
数学という趣味を全く他者と共有せず、一人部屋にこもってやり続けても満足できるなら、そもそも普段の社会生活で十分満足できている可能性が高い。
ところが「孤独感」を抱えてしまうような何らかの問題を持った人間は、趣味を他者と共有したいと考えたがる。
要するに「趣味がないこと」が問題なのではなく、日常生活で「社会から見放されている」と感じる何らかの要因の存在が問題だ。
ソーシャルメディアはそれを加速する現代の暴走装置だ。
お前がツイートしても誰もイイネしない。あいつはイイネをたくさんもらっているのに。
こうして孤独感という本能的痛みを加速させる。
こういう本能は理性的には全く理解できない。俺がいくら理性レベルで「こういう感情ってバカっぽいな」と考えても、本能部分が勝手に「孤独感」を生み出すから制御ができないのだ。
アドラーだかなんだかは胡散臭いので、「低次機能で説明可能な場合は高次機能を仮定するな」という心理学におけるオッカムの剃刀はもっと考慮するべきだろう。
理性レベルで対処可能なのは、Twitter、Facebook、Instagramなどの主要ソーシャルメディアを使わないようにすることだ。
そのためにはDNS、ルーター、ファイアウォール、アプリケーション層などあらゆるレベルでコンテンツフィルタリングしてしまったほうが良い。
またロールモデルを作ることも僅かながらの効果はあるかもしれない。賞金を辞退したペレルマンのように振る舞いたい。
以下は参考
"Social isolation results in higher likelihood of mortality, whether measured objectively or subjectively. Cumulative data from 70 independent prospective studies, with 3,407,134 participants followed for an average of 7 years, revealed a significant effect of social isolation, loneliness, and living alone on odds of mortality. After accounting for multiple covariates, the increased likelihood of death was 26% for reported loneliness, 29% for social isolation, and 32% for living alone. These data indicated essentially no difference between objective and subjective measures of social isolation when predicting mortality."
Holt-Lunstad, J. et al. (2015): Loneliness and Social Isolation as Risk Factors for Mortality: A Meta-Analytic Review. Perspectives on Psychological Science 2015, Vol. 10(2), pp. 227–237 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/25910392/
]]>"Results Of the 35 925 records retrieved, 23 papers met inclusion criteria for the narrative review. They reported data from 16 longitudinal datasets, for a total of 4628 CHD and 3002 stroke events recorded over follow-up periods ranging from 3 to 21 years. Reports of 11 CHD studies and 8 stroke studies provided data suitable for meta-analysis. Poor social relationships were associated with a 29% increase in risk of incident CHD (pooled relative risk: 1.29, 95% CI 1.04 to 1.59) and a 32% increase in risk of stroke (pooled relative risk: 1.32, 95% CI 1.04 to 1.68). Subgroup analyses did not identify any differences by gender. Conclusions Our findings suggest that deficiencies in social relationships are associated with an increased risk of developing CHD and stroke. Future studies are needed to investigate whether interventions targeting loneliness and social isolation can help to prevent two of the leading causes of death and disability in high-income countries."
Valtorta, N. K. et al. (2016): Loneliness and social isolation as risk factors for coronary heart disease and stroke: systematic review and meta-analysis of longitudinal observational studies. Heart Vol. 102, pp. 1009–1016 https://heart.bmj.com/content/102/13/1009
まず異性の友情は成立しないという前提に基づけば、上記の関係は友情で結びついたものではないことになる。
だからこれは必然的に愛寄りのものであって、でもこれは愛ではなく両者に対する不貞行為に過ぎないものになる。
でもたとえば同性の友達がそいつの同性の友達と遊ぶことがあったとして嫉妬等を抱くだろうか。
またこれは性別の条件がなくても言えることだと思うのだが、兄弟が別の兄弟の家で寝泊まりとかしたとして嫉妬等を抱くだろうか。
つまり友情という名前で語られる愛や家族愛は多対多で成立する。
なのに恋愛の方の愛は1対1じゃないと多くの人が不貞行為とみなすのがよくわからない。
しかもこの愛は両者が子をなせば家族愛でもあるものになるから余計にややこしい。
言い換えれば友情や家族愛はオープンリレーションシップであるが、恋愛はオープンリレーションシップを認めがたいものとされているとかいうことになる。なぜだ。
これ、たとえば恋人が、その親の再婚相手の異性の義兄弟とセックスしてたらそれは単に近親相姦の範疇として嫉妬の対象から除外されるものなのかという疑問に発展する。これには血縁の異性の兄弟と近親相姦してる分には恋人も「性癖の範疇」と認容するだろうという前提がある。
アドラーも恋人が他の人に浮気することに対して干渉するのは課題の分離が出来てないことだと言っている。
アドラー先生に言わせれば恋人が何人いようがそれぞれに安息を感じていればそれらの愛は背反してないのであってどれか一つしか肯定するようなものではないだろう。
]]>読めんわw
]]>■同級生が単独ヲチスレを立てられていた話
全く関係ない検索をしていてふと目に留まった
とあるスレッドの過去ログ。
読み進めるとどうも見覚えのある顔が貼られている。
名前こそフルネーム本名ではないけれど既視感しかない。
これ、学生時代の同級生じゃね???
文明の利器たるインターネットは日々進化し
今日に至るまでに様々な個人や団体から
コミュニケーション等のサービスが提供されてきた。
それらは自己表現のツールとしても非常に有用であり
現代を生きる人々は通信機器さえ持っていれば
いとも容易く『発信者』となり得る時代が到来した。
しかし誰でも利用できる簡便性の一方で
リテラシーを持たぬ者には容赦ない現実が待っている。
何かしらの犯罪を犯したり、あるいは失言や失態、
燻りすぎて焦げ付いた自己承認欲求を爆発させたり…
そういった『イタい』事を『やらかして』しまえば
あっという間に食い物にされてしまうのだ。
増田だから言える事だが、私は某クソ溜りを巡回しては
ニヤニヤとROMに耽る程度には性格と趣味が悪い。
検索結果から冒頭のページを表示したのも
ちょっとしたゲスの好奇心からだ。
そんな私にとって通称『ヲチられる人』なんてものは
ネットでしか見られないすこしふしぎな珍しい生き物
くらいの位置付けだったので
(※もちろん彼らが血の通った人間である事は
理解しているが、現実の身の回りにそんな風に
香ばしさを丸出しにする人間がいなかったため
ネット上でしか観測できないものと認識していた)
まさか自分がリアルで知っている人が……
となかなかの衝撃を受けた。
しかし思い当たる節はある。
私本人は彼女とそこまで親しくはなかったが
ただパンチの効いた人だった事はよく覚えている。
恐らく成長してさらに破壊力が増したのだろう。
彼女の暴走を諫めてくれる人は誰もいなかったんだなあ
と一瞬気の毒な気分にもなったが、
彼女と疎遠にしている、あるいは喧嘩し絶縁状態だ
という友人らの数はもはや片手では足りないため
起こるべくして起きた事だな……
と最終的には納得してしまった。
きっと彼女を諭す事ができる人間など存在しない。
彼女は自分の見たいものしか見ない。
それくらい強烈な人物だったのだ。
友人からの伝聞ではあるが
思い出せる中で一番印象的だったエピソードは
教室で友達と他愛のない話をしている最中急に
「ね、いま後ろの男子達……ウチらの事を噂してたよ」
「男子ってホント、しょーがないよねぇ」
フゥヤレヤレクスクスと気怠げに小声で呟いてきた
という話。
その『噂』というのは要するに容姿や体型やそういう……
お年頃の男子のするフヮ〜オな話だったそうだが
正直言って、「エッ????」としか言いようがない。
この話を聞いた当時も今も全く意味が分からないし、
もしその『後ろの男子達』の耳に入ったならば
おそらく同じ感想を抱いた事だろう。
しかも後ろといっても彼らが話していたのは
教室の最奥のロッカー周辺だったそうで
彼女らからロッカーまでは結構な距離があり
休み時間でガヤガヤうるさい中でそれが聞こえたと……
そんな下卑た話を大声でするだろうか?
言いにくいけどそれたぶん何かの勘違いじゃないかな……
とは誰も言えなかったので華麗にスルーしたそうだ。
多感な年頃だったので無用な対立を避けたのもあろう。
彼女はどうやら異性の一挙手一投足に
「この人は自分に好意を持っている」
という熱を見つける特殊能力があったようだ。
グループ内に
『大人しいけど実は美人なので密かにモテている子』
がいたので、その子に影響されてしまったのだろうか?
「自分は異性から密かに思われているタイプだから」
と自負しているらしき発言をしていた(要約)
と聞いたときは、言葉にこそ出さなかったが正直
「へえ、おめでたい思考してんね」
と思ったものだ。
というのも、彼女が男子に人気があるとか
彼女の事を好きな男子がいるとかいう話は
ついぞ耳にする事がなかったし、
学校を卒業するまでの間に
彼氏ができたとか告白されたとか
そういういわゆる浮いた話も一切なかったからだ。
容姿についての言及は避けるが
まあ……お察しいただければと思う。
ゆえに傍から見ればその
「自分は異性から密かに思われているタイプ」
とやらは完全に見当違いか妄想の類か認知の歪み
といった所であろうが
そんな事はお構いなしに彼女は自信に満ち溢れていた。
当時のクラスメイトは牧歌的な人間が多かったのか
イジメや無視などの陰湿かつ重大な事態には
至っていなかったように記憶しているものの、
度重なる奇行や珍妙な発言によって
グループ内の友人らにすらやや一線を引かれ
ちょっとした腫れ物状態と化していたが
やっぱりそんな事はお構いなしに彼女は以下略。
「私って高嶺の花」くらいに思っていたのだろう。
実態が伴っていたかどうかはさておき
自己主張の強い人間が文明の利器を手にしたのである。
結果は言わずもがな。
惜しげもなく大公開される癖の強い自画自賛の持論と
「我が辞書に包み隠すという言葉はない」
と言わんばかりの大量のキメ顔の自撮り。
インターネットリテラシーisどこ……
こんな風に常に自信満々で大胆不敵な彼女だが
家庭環境はあまり良いとは言えないものだったらしい。
友人からの伝聞かつプライバシーに関わる事なので
詳細は伏せるが、私は確実にまともではないと感じたし
話を聞いた当時(卒業後)はそれなりに胸も痛んだ。
まあ彼女自身は自分の境遇に対して
(防御反応からの正当化か本心からかはわからないが)
全く悲嘆してはいないようだったので
ただの杞憂かお節介なのかもしれないが。
そんな複雑な環境で育つ事になった彼女も
今はもう立派な大人なわけで。
今の彼女の状況は自分で作り出したもの。
呪縛から逃れた人を私自身何人も見てきた。
全てを家庭環境の責任にしてしまうのは無理があろう。
だが思うところがないわけではない。
心理学の世界ではアドラー博士が
「トラウマなど存在しない」と断言したが
私は
『子供の頃の経験によって人格形成が歪む』
事は起こり得るんじゃないかと考えている。
そう、それは例えば深い怪我をした場所に
そこだけもう毛が生えてこなかったり
逆に普通より濃い毛が生えてきたりするのと同じように。
本人曰く
「自分は人並み以上の幸せを手に入れた勝ち組」
らしいが
彼女のそれらの不遜な言動の数々はまるで
「自分は幸せだー!!!!」
と大声で叫ぶ事で、自分自身や周りに対して
無理矢理言い聞かせているようにも見えるのだ。
ヲチ物件としてはかなり優秀なプリマドンナだった。
なにしろ発言がいちいち面白すぎた。
「私が人から嫌われるのは、あまりに魅力的すぎて
相手の劣等感を知らぬ間に刺激してしまうせい」
やら
「その気がなくてもなぜか男性を虜にしてしまう」
やら
それはもう枚挙にいとまがない。
味わい深すぎて思わずスマホを握っているのと
反対の手で膝を打って唸ってしまった。
だがしかし、これらのイタい発言の数々が
前述の家庭環境と紐付いてしまうせいで
彼女の『痛々しさ』が別の意味に感じてしまう。
私自身はルッキストではないし
容姿が万人受けでなくとも魅力的な人がいる事や
これらの発言をなんの忌憚もなく堂々と発言してなお、
魅力的だと思える人も存在する事は理解している。
ただ、彼女はそれだけでは終わらなかった。
これらの自画自賛発言には必ずと言っていいほど
『他人をこき下ろす(本人曰くサバサバ毒舌)』
がセットとしてご一緒についてくる。
発言している本人だけが多幸感を味える
地獄のハッピーセットである。
まるで今まで自分が受けた傷への復讐とも思えるまでの
苛烈な言葉で過剰に罵るので、
そりゃ反発も起こるだろう事が容易に推察された。
お前さぁ……嫉妬とかじゃなくてそういうとこやぞ。
癖の強さは家庭環境のせいかもしれないにしても、
他者を貶めつつ自分を称賛するような言説をかましたり
自身のステイタスやあれこれを下品にひけらかしたり
していては人に嫌われるのは自明であるし
こんな事は教えられずとも自分で気付くべきだ。
私は心理学の分野に精通しているわけではないけれど
彼女が自己肯定感や自己信頼感というものを
履き違えてしまっている事だけはなんとなくわかる。
ただ独善的で刹那的な快楽のために
何もかもに目を瞑って、自分で作り出した
夢の世界の中に閉じ籠っているだけに見えるのだ。
今のままじゃ何度ネット上で転生しようとも
永遠に滑稽な踊り子だろう。
私は心優しい人間とは程遠い
人の醜い所を煮凝りにしたみたいな性格をしているので
彼女が笑い者になっている事自体には
少しも心を痛めていない。
でもヲチられている事を正当化はしない。
あそこにたむろしているのは自分含め
碌でもない人間だという自覚は一応持ち合わせている。
革靴で丸一日歩き回った後の汗まみれの靴下や
数日貼り続けた絆創膏のガーゼ部分のにおいが
臭くて不愉快だと分かっているのに嗅ぎたくなる、
そして「クッセェェェwww」と仲間内で騒ぐのに似た、
人を玩具や嗜好品にする事に歪んだ快感を感じる集団。
臭ければ臭い程、喜ばれて遊ばれる。
それが嫌なのであれば、言論統制よりもまず
原因となるにおいを洗い流すしか対抗手段はない。
これはあくまでも
『ヲチられるのが嫌なのであれば』
の話であって、ヲチャ側としての意見ではない。
ヲチャで弗に改心しろとか糾弾せねばならないとか
そんな事を思っている人がいるとしたら少数派だろう。
多くは娯楽として消費しているだけだ。
中には言葉が過ぎる者もいたりするが
そういう輩は迷惑なので自重してほしいと思っているし
お触り厳禁を守れない者はひたすらに迷惑でしかない。
ただ、彼女に限らず全てのヲチ対象に言える事だが
いつまでも踊り狂う姿を見ていたい気持ちの反面、
いつか自分自身の心と正面から向き合い
己の攻撃性や認知の歪みの根源に気付き
心が真に求めているモノは何なのかを知り
それを手に入れて心身に安寧が訪れればいいね
とも思う。
何様目線かと思われるかもしれないが、
別に綺麗事を言いたいからではなくて
物理的に彼女らの周囲にいる人間を気の毒に思うからだ。
彼女から受けた被害への批判や、忠告の類を全て
嫉妬で片付けられては堪らないだろうと思うし、
そんな人と毎日顔を合わせ続けなければいけないなんて
ただただ苦痛でしかないだろう。
いまでこそこんなゲスの極みクズになってしまったが
子供の頃はまだ純真であった私、
当時は『こういう人種』を『面白がる』という
発想や嗜好がなかったため
弗の原石に気付かなかった事を
一瞬もったいなく感じてしまったが、
ヲチは身近すぎるリアル人間関係でやってしまうと
余程タフでもない限り精神衛生に支障をきたしそうだ
という事に気付き早々に認識を改めた。
ここに彼女が誰であるかを示すつもりもないし
当該スレはもうdat落ちしているため
燃料を撒きに行く術もない。
卒アルや友人からもらったプリなども残っているが
ウケ狙いでただの嫌がらせをするメリットもない。
超えちゃいけないラインを助走つけてどころか
ホップステップジェットパックで飛び越えてるまである。
また、スレッドの内容等々を
彼女の元友人らと共有する気もない。
元々ヲチはROMメインなのだ。
ヲチ対象のアレコレを見てモヤモヤを溜めたところで
米を読んでカタルシスを得るタイプのクズだから私は。
こんなん内容が内容だけにリアル友人にも言えないし
増田に吐き散らして気持ちを整理したかったんだけど
恐ろしく長い上自分でも言語化が難しい感情だった。
別に悲しいとかは一切ない。
衝撃と面白さとほんの少しの哀れみと
アレとコレとソレが混ざって混乱してはいる。
ヲチの話なのにオチも何もない文章になってしまったが
彼女の未来に幸あれ。
https://archive.ph/2022.07.19-044423/https://anond.hatelabo.jp/20220719103756