はてなキーワード: もらい泣きとは
俺の母校は、何年かに1度、甲子園に出られるような
運動でも勉強でも生徒を集めて、その中の極々少数の生徒が果たした大きな成果を
学校全体の誇りにするタイプの私学だったが、俺の所属していたバスケ部は弱かった。
長期の休みだって、お盆とか2、3日程度の休みはもらえたが、基本的には部活だった。
海やプールへ繰り出して、同年代の女の水着を見ておかなかったことが悔やまれるが、
女っ気の一切ない部活中心の高校生活もそれはそれで楽しかった。
土日の練習では寝坊してサボることもあったが(無断欠席より遅刻して行ったほうがその日食らう罰が重かった)、
しかし、元々下手くそだったのと、サボっていたことによる顧問からの評価で中学ではスタメンだった俺が、
3年間1度も公式戦に出場することはなかった。
俺以外にも3人、3年間1度もユニフォームを着れなかった制服姿の同級生と(うち1人は1年次、公式戦出場経験有)
メガホンを持った練習着姿の20~30名程度の下級生を従え、制服と白い手袋までして応援団長を気取っていた俺は
とか、そんなことを思っていたと思う。
もっと真面目に取り組んでおくべきだった。
などということは一切思わなかった。
でも、この高校のバスケ部では、こういう振る舞いをする他なかった。
だから、後悔もないし涙も出なかった。
会場にいた似たような他校も、やはり涙を流している生徒がいたという記憶はない。
高校野球中継は好きでよく見るが、
コールド負けしているような高校でも涙を流している姿を目にすることは珍しくない。
あれは何なのか。
硬式野球で全国大会に出場するなんて、全部活の中で一番難しいのではないかと思う。
関東の話をすれば、甲子園へ出場するのは私立で、10年に1度、公立が出られるか出られないかとかそんなレベル。
しかも、各校スタメンの出身中学を見ると全国から集まってきている。
緒戦コールド負けするような公立高校に、はなからチャンスなどないのが事実。
でも、実際は負けて涙を流す弱小ナインをよく見る。
いくら弱小校でも少年野球から10何年も続けた野球が終わるからなのか。
何らかの後悔なのか。
たぶん、本気で部活に取り組んでいただろうし、本気で甲子園を目指していただろうし。
ベスト8、ベスト4ぐらいまで来ると、カメラワークによってはこっちまでもらい泣きしそうになることもある。
でも、弱小校のお前らはちょっと待てって。
3アウト取られた時、俺や俺が見た他校の連中と同じような振る舞いをして、涙なんか出やしないんだろ?
高校野球が注目されるコンテンツだから、弱小といえどもその一端になれているってことに酔っているからこそ出る涙なんだろ?
もし、注目度が全くなくて、それでも涙を流すんだとしたら、それはただただ羨ましい。
あのですね、毎週日曜日夜に感じることがあって、1つ言わせてもらっていいですか。みなさん、渋谷という街知ってます?世界有数の若年層の人口密集地帯ですよ。僕ね、この街に21歳から24歳までずっと入り浸っていましたし、今もまた住んでおります。
その頃から「え?なんで?え?なんでなん?」って函館の片田舎から上京してきてからずぅぅぅぅぅっっっっっっと言いたかったのですが、
もうね、めちゃめちゃ日曜日の夜に、カップルのケンカが多いんですよ!!!この街は!!!めちゃめちゃ多いんですよ!なんでなんですか!?
もう、渋谷という街を人に例えると、頭のてっぺんから足のつま先まで至るところで勃発してるんですよ!紛争が。ある人は大声、ある人は半べそ、ある人はわめき泣き、またある人は大泣き、それを見たサラリーマンがもらい泣き。ってなんでおっさんまで泣くことあるねん!笑
毎日歩いていてわかるのですが、やはり特に日曜日夜のカップルのケンカの量がハンパないんですよ。半端というものが微塵も感じられない完徹ぶりなんですよ。なんでなんでしょうか?
一番ケンカが多いのが、駅の改札周辺なんです。もうね、微妙な位置でカップルがケンカしてるもんだから、改札も開いていいのか、閉じていいのかわからないんですよ。開いたり閉じたり、おかしなってるんですよ。誤作動起こしてるんですよ。パタンパタンから、途中パタパタパタってなってるんですよ。駅員もね、切符切っていいのか悪いのかわからず、改札バサミをカチカチやってるんですよ。わかります? SUICAタッチするところも、ピッってやると「あの子をこのまま置いて帰ってええんか?今なら入場取り消したるで〜」とか気の効いたこと言うようになってるんですよ。どんだけ渋谷駅改札賢なってるねんと。カップルのせいなんですよ。
さらに駅を離れた道端でもすごくて、そこらへんはもう大学生のカップルじゃなくて、大人のカップルがケンカしてるんですよ。「私帰る!」「おい、待てよ!」「いや離して!」とかやっているので、その前に座っている交通量調査のバイトの子が、カップルが行ったり来たりするたびにもうカチカチカチカチカウントして、もうめちゃめちゃおかしな交通量になってるんですよ。今日はあんどん行列でもあったのかぐらいの交通量になってるんですよ!その道は。本当ですよ!いろんな意味で渋滞してるんです。裏道なのに。
そして渋谷に住んでいる人ならわかると思いますが、目立たないところに小さい公園たくさんあるでしょ。公園というかちょっとした広場というか。ベンチが2つ3つ置いてある場所。
もうね、そこでも、女性のすすり泣く音というかむせび泣く音が夏の風物詩の蝉の鳴き声とコラボしよるんですよー。それを慰めている彼氏も大泣き。それを見た向かいのベンチのサラリーマンがもらい泣き。だから、なんでおまえも毎回毎回泣くことあるねん!と。どんだけ涙もろいねん!おい、メガネを取るな!おい、メガネを取ってまで涙を拭くな!ワイシャツの袖で涙を拭くな!奥さん洗うの大変やろー!
よく貧困やなんかの社会問題系の記事で「一番の問題は想像力の欠如だ」みたいな言われ方がされている。
人間は基本的に自分の見たもの経験したものについてしか考えられない。
それ以上の領域に踏み込むためには類推だとか連想だとかが必要で、それにしたってある程度の下知識が求められる。
そういうものをぶちやぶって想像力を飛躍させるレベルともなると、これは一つの才能だ。だから小説家なり漫画家なりで金を取れる。
誰もが小説家になる必要はない、弱き隣人に思いを馳せるのにそんなに大したコストはかからないと人は言うかもしれない。
社会問題を考えるうえで必要とされる「想像力」とはすなわち、「他者の痛みについての想像力」だ。
痛みこそ、自らが体験あるいは目撃しないと想像することができない最たる感覚だ。
実際にその痛みを体験したものでさえ、いったん過去としてしまえばすぐに同じ痛みを味わっている他者に対して冷酷に振る舞える。ルサンチマン。卑近なところでは、体育会系の年功序列がいい例だろう。
そもそも共感に訴えるロジックは、その感情を共有できない人間を包摂できない問題を抱えている。
共感能は誰にでも備わっているようで、グラデーションがあるものだ。映画で人が刺されるシーンを観て自分まで同じ箇所がキリキリ痛むような人もいれば、サイコパスと呼ばれる人々はまったく共感というものを持たない。その二つの極のあいだで我々は「すぐもらい泣きしてしまう人」や「反応が薄い人」として生きている。
たしかに共感に訴えるショッキングな事件は、短期的には法改正などにつながりやすい。しかし、よほど特異でセンセーショナルなケースでないと大衆は食いつかない。たとえば未成年が集団で残虐な事件を引き起こす、だとか。
そこが難しいところだ。貧困など、恒常的で身近な問題に共感は通用しにくい。
状況を良くしたいのなら、我々に「想像力」などないと認めるところからはじめるべきだ。
人間が他者に対して無関心なのは今に始まったことではない。その状況を了解したうえで、どうやってゲームに勝利するかだ。
となると、やはり構造的に問題の根を断つ方法を見つけなれけばならない。なるべく人的コストを必要としない方法がいい。
てっとりばやく、ゲームのルールを策定する側に回れれば話は早い。
権力。
権力。
権力を手に入れろ。
増田たちよ、栄達せよ。
そうして、クソを漏らす自由を。
代表作とキャラクターは、ハヤテのごとく!の鷺ノ宮、さよなら絶望先生の藤吉晴美など多数。
ただし、決定的なこれ!という代表キャラクターははっきりしない。
2015年10月27日、慢性活動性EBウイルス感染症という難病により38歳の若さで夭折。
声優・アニメ業界・ネット界隈を中心に連日、悲しみの声が鳴り止まずにいる。
私も、アニメや漫画を嗜む人間の一人として、松来未祐については存じていた。
いわゆるアイドル声優としては長く活動していると思うし、声についてもそれなりに思うことはある。
死去発覚後は、連日のように死去のニュースや同業声優や有名人によるお悔やみコメントがホットエントリーに入り続ける。
そのたびに、同じようなお悔やみブコメが並ぶ。
まるで、明石家さんまクラスの有名人が死んだレベルの大騒ぎだ。
それ以上かもしれない。
もちろん、世間とネット上の声が大きく離れていることは、特にオタク界隈の話題については言うまでもないことだ。
それがネットだ。それはわかっている。
あるいは、そんなに魅力的な人物か?
こう言ったら、声オタを中心に多くの反発が来るだろう。
しかし、私の知っている範囲では、人気声優の中で松来未祐が特別に評価されていた印象もないし、キャラ付けだって「結婚できないキャラ」を持っている程度で、これも多くのオタクに知られているレベルとは言えない。
平野綾や竹達彩奈、豊崎愛生、茅原実里など知名度、人気ともに(オタクにとっては)高い声優と比べても、名前は知っていて、声は聞いたことがある、それ以上のものではないだろう。
それはお前がニワカなだけだ、と言われそうだが、声優関係の話題を少しは知っているレベルの私でこれなのだから、ごく一部の人間(いわゆる声オタ)を除いて、「結婚できないキャラ」以上の印象を持っている人はいないだろう。
騒いでいるやつらも、オタク同士の一体感を味わいたいがために、「死後」になって色々なエピソードを拾って、さも前からよく知っていたかのように振る舞ってもらい泣きしているやつが大半だ。
ネット断ちでもしない限り、はてブにはホットエントリーで入ってくる、Twitterにも流れてくるこれをどう避けろというのだ。
例えば竹達彩奈のように魅力がある人物が物故したなら、これだけの騒ぎもわかるのだが、言っては悪いが松来未祐程度の死でこれだけの騒ぎが起きるのは異常としかいいようがない。
この声優の偉大さを、ただの面白エピソードやいい人エピソード、仕事熱心エピソードみたいな本質的でない話を抜きに語れる人がいるなら見てみたいが、いないだろうな。
死者を悪く言うなというテンプレや、ただの人格攻撃や揚げ足取り以外の意見があればどうぞ。
追記:ブコメに返信。
勿論、ファンや彼女のパーソナリティを知っている人が悲しむのは理解できるよ。当たり前の話だ。
こちらが疑問を呈しているのは、松来未祐の死を悲しがる人がいることじゃなくて、なんで大して知名度の高くない声優が死んだ割にみんなが大騒ぎしているのか、だ。
まあ、トラバにもあった通り、
こんなに騒がれているんだろうけど。
ショックな出来事があった。
しかし、前々からその可能性があると聞いてから確定するまでそれなりに時間が経過して、いざその時になったときは意外と冷静だった。
淡々と物事が進みその出来事が終了し、思っていたほど酷いショックじゃないのかもと思っていた。
でも全然大丈夫じゃなかった。突然涙がボロボロ出たり、どうにもならないほどマイナス思考になったり、眠れないのに布団から起き上がることも辛くなった。
頭では仕方がないことだとわかっていても、体が勝手に反応する。
どうにもならないので、自分を甘やかすことにした。ひたすら感情の赴くままに任せた。
泣いて、泣いて、泣き叫んだ。家の中だしいいかと、涙がとまるまでずっとずっと泣いた。
涙がボロボロ出てくるのと、泣くのは違う。前者は自分の意志と関係ないが、後者は自分から泣こうと思って泣いている。
泣いている間ずっとその場にいた家族に抱きしめてもらっていた。今から泣くから、でも泣くだけなので、何も言わず背中をさすりながら抱きしめてくれとお願いして。
その宣言に多少困惑した様子だったが、途中から家族ももらい泣きしていた。事情を知っていたからかもしれない。
泣き終わって、とてもすっきりした。心と体の剥離がなくなった気がした。
「ありきたりなこと言っちゃうかもしんないけど音楽ってやっぱり他人に自分の感じたことを伝えるためにあるんだって思ってる。
だから楽しいことはもちろん、辛いこと悲しいこと悔しいことだって音楽で表現する価値があると思う。
次の曲、俺がどん底でやりきれない思いだった時に作った曲で、(ここでどん底エピソード)
だから、聴いてて気持ちよくはなれないけど、でも、今日、ここで、この曲をやる意味、それは当時の俺と同じ気持ちの奴に、お前はひとりじゃないって伝えたいから。…それでは聴いてください」
こういうMCにはより曲のメッセージ性が強まるという鑑賞ガイド的役割があるのはわかっていても、音楽で表現したいとか言いつつ長々と言葉で説明してんじゃねーよと思ってしまう。
駿台だったか他のどこかだったか、大手塾が開催してる夏期セミナーみたいなのが昔あった。
東大京大他有名大狙えるレベルの子にだけ声掛けて、難易度の高い問題を夏休み利用して泊り込んで集中的に解くという合宿形式のやつ。確か会場は箱根だったかな。
難しい問題だけど一流講師が解釈するのでよく解るし志の高い友達もできるという触れ込みだった。
で、そのチラシが、ちょいと高校で(成績面で)ブイブイ言わしてた自分のとこにも舞い込んだ。ウチの高校の在籍者だと特別に割引が利くんだそうだ。
当時哲学にかぶれていたガチぼっちオタの自分は「どんな人が集まるんだろう。誰とも話の合わない自分でも友達出来るんだろうか」と血迷ってしまい親に頼んでカネ出してもらって参加した。
当然のごとくリア充のすくつで到着早々グループになじめなくて孤立したわけだが、そのときの出来ごとがなんか怖かった。
受験合宿なわけだし普通に問題集をひたすら解きまくるだけと思っていたのだが、当然「志の高い友達」を作るための交流タイムとして、東大京大合格者(塾のOB)のおにいさんおねえさんが明るく仕切りつつ何人かのグループになって自己紹介してお互い仲良くなるという時間があった。
これがそもそも「おかあさんといっしょ」の体操コーナー的な雰囲気があって、あのコーナーで空気読まずに一人泣き叫ぶタイプの自分にはしんどかったんだけども、そのあとがやばかった。
塾のカリスマ講師で他人のモチベーションを高めるのが上手いリーダー的な先生がいて、その人が「大学に入るとはどういうことか、社会でやっていくとはどういうことか、受験とはそこにおいてどういうものか」みたいなことを講話のような感じで話してくれた。
細部は覚えてないんだけれども、キミたちが抱いている夢とは素晴らしいもので、それを大学に入ってから極めるっていうのは正直しんどいかもしれないけども踊りだしたくなるような楽しいことで、しかもキミたちにはそれが出来る能力があってもう万々歳で将来ワッホイ♪なんだよみたいな話。
だから今、家庭の事情とか、勉強に対する態度の周囲とのギャップとか、いろいろ辛いことあるかもしんないけど、受験自体が受かるかどうかでどうしても不安になってしまうものだからしんどいかもしれないけど、そういうのは必ず乗り越えられるし乗り越えた先の将来は素晴らしいんだよ、キミたちには必ずそれが出来るよというような話だった。
そしたらそれを聴いてる生徒たちが、いきなりすすり泣きはじめた。
ついさっきまで、交流タイム時点では自信満々でジョークとか飛ばしたりしていて、問題解説の講義のときは鋭い質問飛び交わしていた、イケメンも美人も個性的キュートも何でもござれとばかり取り揃えたような、本当に「リアルが充実しています!」みたいな粒よりの高校生たちが、話の前半ではキラキラ輝かせていた目から突然涙をぼろぼろこぼしてしゃくり上げていた。
そのあとはまた何人かのグループになって、大暴露大会というか不安吐きだし大会みたいな感じになって、「みんなでがんばろうねえええ!!!1!」という話になって締めが入って終わった。
正直言って度肝を抜かれた。何だこれは、と思った。
「成績優秀者だけご招待!」という触れ込みの合宿だっただけに、自分はぶっちゃけ参加の声がかかったことが得意だった。
で、着いて早々ギブった。メンバーも講義もレベルが高すぎる。追いつけないほど高いわけじゃないけど少なくとも今ここで模試やったら自分はビリトップ取れると思った。
でも自分の志望は東大でも京大でもないのでいいや~みたいなユルい逃げを(内心は)打っていたし、社会に出て何になろうとか何をやろうみたいな具体的な目的がなかった。
だから先生の講話に対しても「へ~上手いこと言うなこの先生。言い方が上手いんだな。受験とか社会とかそういう風に言われるとちょっとグッとくるわ。イイハナシダナー」とか感動ものの映画でも観てるような態度で聴いていた。その上でなんとな~く「周囲も自分とさして変わらないだろう」みたいな認識があった。
自分と変わらないもクソも、こんな合宿参加しているくらいだから東大京大本気で目指してるに決まってるんだが、あれだけ優秀な人ばっかなんだからこんな講話くらいで簡単に感情に揺さぶりがかかるわけがないと思い込んでいた。
ある子は超絶出来のいい兄貴と比較されてつらいと言って泣いてた。
ある子はどんなに問題集をやってもそこでいくつマルがついても怖くて眠れなくなる夜が必ず来るのでつらいと言って泣いてた。
ある子は勉強勉強と打ち込んでいたら仲良かった友達と溝が出来てしまってすれ違いが重なっていてつらいと言って泣いてた。
もらい泣きはしそうになったが告白するような悩みはなかった自分はどうしていたんだったか。宇宙人の生活空間に放り込まれたような不思議でちょっと怖い感じがしたのは覚えているんだが。
少なくともその翌日以降の日程においては交流の時間になると頭が痛いと言って一人で部屋に引っ込んで寝かしてもらっていた。
以来、警戒心はものすごく強くなった、と思う。
詐欺系セミナーの怖さ、というか人間の孤独とか恐怖とか不安とかいったものの怖さは間違いなく体感した。言葉でなく心で理解できた。貴重な体験でしたまる。
久々にモヤモヤしてるので吐き出す。
俺がまだ20台なのでその後輩も20台。友達のように(年齢的に)自分に近い人の生死を気にするのはもう少し先の事かなぁと漠然と思ってたので、第1報を聞いたときは10秒くらいフリーズして、「は?」としか言えなかった。ただ、帰って少し飲んだのだけど、そのときに飲み屋で一緒になった(同年代の)人に「毎年、誰か旅立ちますね。ムカつくことに」と言われたので、まぁこれまでは運が良かったのかもしれない。
通夜ではやはりと言うか、しんどいとしか感想が思い浮かばなかった。特に、母親と恋人の悲痛さが目から離れなくて、(自分を含めて)最初は悲しみよりも困惑の方が大きかった人達もほとんどがもらい泣き状態になっていた。
生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り
親と恋人を見ながら頭に浮かんだ歌。別に、世間で騒がれたような是非についてどうこう言う気はないのだけど、残念なことに三日じゃ戻らないんだよなぁ、と感じた。三日を「ある一定期間」の言い換えと考えても厳しいかもしれない。そこにこだわるのは、多分、母親に何度か面と向かって「お前が死んだら立ち直れないから死ぬな」みたいな事を言われたせいだろうけど((特に何か切羽詰まってると言う訳じゃなくて、冗談半分みたいな状況でだけど))。
取り合えず、親が死ぬまでは頑張って生きるかなぁと思った。
何故か。
俺は小学時代広島に住んでいたから、当然のごとく平和教育を受けた。
当然、感想を書かされるわけだな。
でも、「こういう方向で感想を書きましょうね」という無言の圧力が当然ある。
でもそんなのry、とばかりに「本当に思ったとおりの、授業そのものへの感想」を書いた。
正直小学五年生にもなると流石にうっとうしいからな。広島に生まれた者の試練だ。
当然、担任マジギレ。反省文を書かされる。
中学生になると、こういう誘導に対する反発が、普通の反抗期の子供以上に大きくなっていた。
帰ってきた後、「道路を歩く時の態度が悪い!」とわざわざ緊急集会で起こられた。
中でも印象的だったのが「昨日は私の誕生日やった。でもこんなことになって、先生はホンマに、ただ悔しいです。」
と涙ながらに語った女教師。知るかよ!
更にむかついたのが、その後一部の女子たちがもらい泣きしてやがったこと。なんでだ!?
こういうことが積み重なって、煽動とかそういうのに対して異常に反発するようになっちまった。
体育大会の集団演技や合唱コンクールにおける体育教師や女子のうるささとかもう…
俺自身はそういうマスゲームや歌が嫌いじゃなかったんで本気で取り組んだんだけど、
真面目に練習しない友達が影で非難されてるのを聞くといたたまれない気持ちでいっぱいだったよ。
俺も彼らも大差ない。嫌いなことを無理にやらせるとかどう考えても狂気の沙汰。
大学じゃこういう雰囲気を醸す場や人間を回避し続けてきたから楽しかった経験の方が多い。
でも会社に入るとそうは行かないんだろうなぁ。