はてなキーワード: まなざしとは
「本日は、モテコンサルこと茂手茂手男さんに来ていただいております。」
「どうも。シクヨロ!」
「開幕からお寒い感じが不安を覚えますが、このお名前は芸名ですか?」
「いや、本名なんよ。なんか両親?がパリピな感じなんで、藤子不二雄チックでヤバくね?って感じでつけたみたい。」
「それはまぁ、なんというかヤバいですね、両親が。」
(どうすんのこれ、どう処理するの…。)「で、茂手さんは”モテコンサル”ということで、モテるための指南をされているそうで、その辺りを。」
「うぃ。まーあれやね、最近のはやりでマッチングアプリとかあるやん?」
「あれはもうレッドオーシャン、ダメよ〜ダメダメ。これ俺の考えたギャグ、なんつって。」
「ほぅ、今の時代コロナとかアレで難しそうだと思うのですが。」
「ちゃうねん、そこがちゃうんよ。ちゃうちゃう、チャウチャウちゃうで、ちゃうんやで。これ京風ギャグな。」
「はい。」
「まずはつかみ。君ならどうする?」
「え?私ですか?」
「まぁ、お茶でもどうですかとかいうのはテレビで見たことがあります。」
「ダメやね、そこでハイなんて言うスケなんておらんよ。あ、スケバン刑事漫画でリメイクするらしいで、自分知ってた?」
「しらんですけど、話し戻してもらっていいですか?」
「なんやねん、話はリズムやぞ、流れに乗ってやな、そんなぶった切りされたr」
「そういうのいいんで、続きお願いします。」
「続き。」
「わかったよもー、しょうがないなーのび太君は。今なら・・・せやな、道聞くとかな。」
「はっ?何言ってんのこいつって感じなんですが、無言でggrksと目で言われそうな今の時代にですか?」
「話は最後まで聞けや兄ちゃん。その際にはちゃんとガラケーをパカパカさせながら聞くんや。」
「なるほど、私はググれませんアピール、ですか。」
「せや。ほしたらば同情のまなざしで教えてくれるか、知らんでもググってくれるわ。」
「ガラケーをパカパカしている不審者に話しかけられて対応してくれるかは甚だ疑問ですが。」
「教えてくれるってのが重要でな。フットインザヘブンズドアー言うんや、これ。」
「突っ込みませんよ。」
まぁええわ。まずは会話のキャッチボールで相手のガードを外す。で道を教えてもらったらすかさず次、ジャブや。」
「はい。」
「お姉さん、ソフマップのグラビアイベントに出る位可愛いですね、と言うんや。」
「それは、、、知らない人は訳分らないですし、知っている人は喜びます?」
「これは絞り込みや。マーケティングの基本やぞ。まず知らないならそれはそれでええ。
あくまで知っている人を対象にするんや。で、知っているならソフマップへの親和性も高い。」
丁度いい感じにお顔のデッサンが崩れていてかわいいですね、ってその表現がええんや。」
「そう・・・なんですかね。」
「ここまで来たらストレートや。」
「はい。」
「僕とハローソフマップワールドしませんか?、って誘えばイチコロや。」
「何を言っているのか。。。」
「一緒に買い物して”やっぱMAC製品は中古でも値下がりしませんねー。”とか会話が弾むやろ。」
「弾まないでしょ。。」
「弾むんや。何ならあれや、証明してやんよ。今から僕とハローソフマップしませんか?」
「え?」
「え?あ、あっ、アッー!」
いや信じ込んではないんだよ
ただ、アクティブな行動の一環として、この質問をしてみたかっただけなんだ。こういう質問をされて、実際女性がどういう印象を持つのか知りたかっただけなんだ
例えば貴方は「元増田は女性を○○○だと思いこんでいる!」という自分のまなざしに対して、自信を持っているよね?
そこに誤謬があるかどうかとか、そういう「淀み」を持ってないよね?
でも、僕はそうやって何かをまなざすことができない
完全に「気がする」レベルの話なんだけど
いや勿論社会矛盾とか、労働環境の矛盾とか、そういう何か客体としての矛盾を眺めることは誰しもにあると思うんだけど、なんというかそうじゃなくて、何か客体をまなざす時のまなざしそのものの矛盾というか、そういうものについて矛盾を感じることは女性にはあるんだろうかと思う。
ごくごく個人的な感触を述べさせてもらえば、何かを眺めるまなざしそのものに矛盾を感じることは、あまり女性にはないのかな、と
女性は自分のまなざしそのものにとても自信を持っていると思う。何かを見る時の疑いのなさ、何かを信じる時のまっすぐなまなざし、そういうものを女性からは感じる。少なくとも、僕にはそういうものはない
男でも女でも、シスヘテロの人間が「異性って馬鹿だから嫌いなんだよな~」と言う時、そこには「異性には是非とも馬鹿であってほしい。その方がエロいから」というまなざしが少なからず含まれる。
男→女は言わずもがな。女→男では、「性差別を批判する」という体でそのまなざしが正当化されることもしばしばある。
彼らが「男性向け表現ってどうして~」などと語る時、概ね想定されているのは「現実の、現代の男性向け表現」ではなく、「過去の男性向けから現代の女性向け(BLなど)へと輸入された表現」であろう。(現代にそのような表現がひとつも無いという話ではなく、大多数の「その他大勢」によって少数でしかないものが補強されているという話。)
アツギの件については「個々には問題のない要素が、組み合わせによって問題が生じてしまった」案件なので、批判側も擁護側も「○○だから問題」という短絡した論理を採用した時点で話が変わってきて、それがまた別のコンプライアンスに引っかかるんじゃないかしら。と思った。
例えば、次の広告は何が問題か?と聞かれたら、特に問題は無いわけで。
https://twitter.com/Monyaizumi/status/1287667307263569922
その延長として、「二次元美少女が好き」というシンプルな欲望を広告に利用したいというアイデア及び欲求はそれほど異常なものではない。強く共感する。
ただ、「タイツは日用品であること」とか、「性的まなざしが女性を抑圧してきた歴史」とかを鑑みた場合、笑顔で看過することも出来ないわけで。
だからといって、「二次元美少女が好き」という嗜好を異常扱いすることとかは、それらが「セクシュアルマイノリティーとして抑圧されてきた歴史」とかを鑑みた場合、それもまた笑顔で看過することも出来ないのだよな。
「慎重な論理で適切な批判が行われ、撤回と謝罪によって速やかに本件が収束すること」が理想解だとは思うんだけど、机上の空論でしかないし、摩擦は避けられないものとしてお互い最低限の礼節をわきまえるくらいしか選択肢はないよね。
もし日清の社員の目の前でカップヌードルをジョークグッズとして使ったらどうなる?
怒られるよな
たぶんうちの商品をそんな風に使わないでください、とか言うだろう
で、だ
今回のは日清が公式にカップヌードルでシコろうキャンペーンをするようなもんなんだ
「世の中にそういう見方がある」のと「公式がそういう見方を肯定する」のには大きな差があるんだ
たとえば「これを機にタイツがエロアイテムとして認識されるようになってしまったじゃないか! 日用品なのに!」という意見の、「これを機に」の部分とか。「これを機に」ではなく、もともとそうだったでしょ、と。
女性の着衣でエロアイテム化を免れ得ないものはない。男性の両脚の間にある妖怪レーダーは(個々人により異なる指向性を持つものの)総じて感度はたいへん優秀なので、どんなものにでも男は欲情するしタイツとて例外ではない。タイツとは厚みが異なるだけのストッキングの中には男の劣情を喚起することに機能を絞ったものすらあるわけで、今までタイツだけが例外だったとする認識はおかしい。セーラー服やハイヒールがそうであるように、みんな性的にまなざされていることは薄々知りつつ着用していたはずである。
タイツにエロさを感じる資質を備えた紳士であれば今回のキャンペーンなどなくともとっくに目覚めていたはずで、今回のキャンペーンによって「お墨付きをいただきましたので性的にまなざし始めます」みたいな男はおそらくいない。そんなことは内心の問題なので、まなざすやつはもうとっくにまなざしていたはずなのだ。アツギが種を撒いたことにはならない。
つまり、今回のキャンペーンを契機にタイツに対して“新たに”注がれることになった性的まなざしは(考慮が必要なほどには)増えてはおらず、強いて言えば「タイツ絵」という絵画表現の魅力に目覚めてしまう人はいたかもしれないが、そのことが今後「じろじろ見られる」「タイツ着用者の性犯罪被害が増える」などといったかたちで実社会に直接的な影響を及ぼしていくとはちょっと考えにくい。
https://anond.hatelabo.jp/20201107053636
今となってはあれを「タイツ屋のキャンペーンとして適切だった」と考えている人は少ないと思うし、元増田もセーフとは言っておらず批判するなら理論武装したほうがいいよと言っているに過ぎない。
それなのに「そんなことをしてやる義理はない」「理路など必要ない、ひとりひとりの言葉にできない不快感と向き合え」といった感じのブコメが散見されて暗澹たる気持ちだった。そういう人たちは「不快な気持ちにさせて申し訳ありませんでした」という謝罪文が引き出せれば満足なのだろうか? 1件1件の炎上で都度スカッとしたいだけならそれでもいいんだろうけど、そうではないよね。
口々に好き嫌いという気分を述べているだけではただの人気投票であって、そんなもの何万票集まったところで「このキャンペーンはウケなかったな」「フェチは燃えるね」くらいの限定された結果しか導けないでしょう? 一企業の一通の謝罪文止まりで発展性がない。
そうではなく、社会を変えたいならば、つまり女性の社会的地位の向上とか生きづらさの解消とかを本気で目指しているならば、問題をきちんと一般化して「こうしたキャンペーン手法は女性全体にとって、ひいては社会一般にとってマイナスである」というセオリーを確立したほうが効果的(=説得力・影響力がある)だと思いますよ、というアドバイスなんだけど、大きなお世話なんですかね……。
説得力を完全に放棄したこの手の言説をいわゆる「はてフェミ」たちが口にするのをしばしば目にしますが、自分には誠実な態度とは到底思えないんですよね。もっと女性の意見を聞けと言うわりに肝心の対話は拒絶するんだから。たとえばブコメにもすごい境地に行き着いた意見あった。
なぜそんなに偉そうなの?討論するために声を上げた訳ではないのですが。
自分(たち)が上げた声は常にすべて正しくて無検討で聞き入れられるべきだという態度のほうが数万倍偉そうでしょう。せめて話し合いましょうよ。まあこれは極端な例でしたが、「お前は馬鹿なのでわかっていないようだが自分にはわかっている(説明はしないがな!)」というスタンスのコメントはほかにもいくつもありました。
どんな議論でも同じだけど、たくさんの意見の中には問題の核心に迫るものから取るに足らぬくだらないものまで色々あって、種々雑多、玉石混交。その中からノイズをより分けてポイントを整理して論点を明確化していくのは不可欠なプロセスだと思う。そこから全速力で逃げようとするのは「女には理屈が通じない」「論理的な話ができない」っていうジェンダーステレオタイプを自己強化してしまう結果を招きかねない思いますよ。余計なお世話かもしれませんけど。
一例だけど、様々な批判の切り口の中に「タイツをエロアイテム扱いするのはけしからん」というテーマがある。この主張にも数々の派生バリエーションがあるが、その中には検討に値しないものもあると思う。
たとえば「これを機にタイツがエロアイテムとして認識されるようになってしまったじゃないか! 日用品なのに!」という意見の、「これを機に」の部分とか。「これを機に」ではなく、もともとそうだったでしょ、と。
女性の着衣でエロアイテム化を免れ得ないものはない。男性の両脚の間にある妖怪レーダーは(個々人により異なる指向性を持つものの)総じて感度はたいへん優秀なので、どんなものにでも男は欲情するしタイツとて例外ではない。タイツとは厚みが異なるだけのストッキングの中には男の劣情を喚起することに機能を絞ったものすらあるわけで、今までタイツだけが例外だったとする認識はおかしい。セーラー服やハイヒールがそうであるように、みんな性的にまなざされていることは薄々知りつつ着用していたはずである。
タイツにエロさを感じる資質を備えた紳士であれば今回のキャンペーンなどなくともとっくに目覚めていたはずで、今回のキャンペーンによって「お墨付きをいただきましたので性的にまなざし始めます」みたいな男はおそらくいない。そんなことは内心の問題なので、まなざすやつはもうとっくにまなざしていたはずなのだ。アツギが種を撒いたことにはならない。
つまり、今回のキャンペーンを契機にタイツに対して“新たに”注がれることになった性的まなざしは(考慮が必要なほどには)増えてはおらず、強いて言えば「タイツ絵」という絵画表現の魅力に目覚めてしまう人はいたかもしれないが、そのことが今後「じろじろ見られる」「タイツ着用者の性犯罪被害が増える」などといったかたちで実社会に直接的な影響を及ぼしていくとはちょっと考えにくい。
ちょっと身も蓋もないことを書くけど、もともと男性が異性を見るとき、「審美的まなざし」と「性的まなざし」をきちんと切り分けてはいない。「素敵だなあ」と「そそる」の間はグラデージョンというか入り混じっていて、「ここから純粋、ここからスケベ」というきっぱりした線は引かれていないのだ。結果として、女性が審美的な魅力を高めようとすれば多かれ少なかれ性的な魅力も勝手に高まってしまう。これは女性本人が異性の目を惹くことを意図していなくてもそうなる。オシャレとは本質的にそういうものではないだろうか?
議論が深まっ太郎
大妻女子大学の田中東子教授(メディア文化論)は「女性向けの商品を扱う企業でありながら、性的なまなざしにさらされることを女性がどう感じるかという意識が圧倒的に不足している」と「社会との意識のずれ」を指摘する。
「担当者だけの問題ではなく、投稿前に社内で不適切と判断し制止すべきだった」とし、「ストッキングをはく女性を性的消費の対象にする文化は男性中心社会で培われてきた。こうした文化に染まりすぎ、感覚がまひしていたのではないか。社内の意識も変えなければいけない」と話す。
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASNC46FQKNC4UTIL00Z.html
よって、
という前提は誤り。
「タイツを性的に見る人がいるなんて知らなかった」と言うなら、「知っておけ。それが多様性だ」と思いますけどね。
「知識として知ってはいたけど、いちいち意識する必要は無いだろうに。それが抑圧に繋がるんだよ」という話じゃないんですかね。それが「性的まなざし」の議論ですよね。
それがたとえどんなものであれ、「知らない」ことを誇らないで欲しい。
性的まなざしの根源。男は何を見ても性的な妄想を抱く生き物なので視覚を奪うしかあなたの安全を保障する方法はありません。
あなたがお気に入りのシャンプーの香りも、男にとっては性的興奮を掻き立てる興奮剤にしかなりません。今すぐ全ての男の鼻の穴を塞ぐ必要があります。
声優に彼氏が発覚した時「耳に精子がかかる」と発言したオタクが居ました。女性の声それ自体が性的に受け取られてしまうのです。男は耳が聞こえないようにすべきでは?
触覚
痴漢が後を絶たないのだから言わずもがな。触覚を持った男が自由に街をうろつくなんて信じられない。自分の胸か尻に両手を接着してしまえ。
味覚
ハイヒール舐めて興奮するんですよ信じられない。舌を抜けばいいとおもう。
あぁ、これで安心して街を歩ける。
「性的まなざしに晒されることによる抑圧」という至極真っ当な議論に添えて、単なる「キモイ」という感情をセットで付けてくるのが問題なのだが、しかし「キモイ」という感情「しかない」と矮小化する言説もまた同じくらい問題ではあろうな。
それはまなざしじゃなくて実際の行動やんか