佐野源次郎は世の中が大嫌いだった。
この世の中のありとあらゆるものを憎んでいた。
それは小学校の頃に図工で描いたオリジナルの絵を、クラスのみんなに「パクリや!」と言われ、
将来大きな事を成し遂げて、復讐しようと思っていた。
しかし佐野は小柄な体格で成績も並程度で、これといって特別な才能が無かった。
高校になってお笑いを目指してみた時期もあったが、その才能がないことに気付いた。
そんなある日の美術の授業中、ふとデザイン雑誌のロゴを真似して描き、提出してみた。
「佐野、このデザインいいよ。お前はデザインの才能があるんじゃないか!」
そのひとことが、彼の人生を決定づけた。
佐野は大学受験もほったらかして、来る日も来る日もデザイン雑誌に載っているデザインの切り貼りを繰り返した。
当時はパソコンを持っていなかった為、雑誌のバックナンバーも大量に取り寄せ、切り貼りをした。
「これだ、俺はこれを究めて日本一になって、馬鹿どもを見返してやる!」
「俺にはゼロから作る才能はない。だが切り貼りをする能力だけは世界一を目指す!」
大学時代も決してゼロからものづくりをすることをせず、常にパクリ続けた。
PCもいち早く導入し、インターネットから効率よく画像を取ってくる術を磨いた。
佐野はデザインをゼロから作ることをハナから放棄していた為、一般的なデザイナーらしからぬ性格になっていた。
つまり、深く物事を突き詰める職人的性格ではなく、あっけらかんとして、自分のデザインの変更も厭わないし、こだわりがなかった。
それが功を奏したのか、はたまた兄のコネなのか、佐野は大手広告代理店にあっさりと就職が決まることとなる。
「俺はゼロから作らない。考えない! そのぶん、営業とパクリを究めるんだ」
佐野の快進撃はすごかった。何せデザインを考える時間はほぼゼロなので、ライバルよりも圧倒的に社内政治に力を注げるのだ。
佐野は先輩に気に入られ、業界内であっという間に有名になっていった。
あたかも順風満帆に見える佐野の人生だったが、佐野は過去の復讐を忘れていなかった。
「世の中の全てに復讐してやる」
その気持ちは忘れていなかった。
数年後、ついにそのチャンスが来た。
東京オリンピックのロゴの選考委員長に、自分とコネのある人物が選ばれたのだ。
佐野はその選考委員長にお願いし、自分の知り合い複数人を選考委員メンバーに入れて貰った。
もちろん、多額の報酬と引き換えに。
選考は建前上製作者の名前が伏せられるため、予め佐野は「俺の作品は棒と▲ふたつのTだから!」と伝えておいた。
自分で作る能力がないため、今回もパクリで提出をせざるを得なかった。
ついに東京オリンピックが開幕間近となった。東京はお祭りムードである。
「ロゴの展開例も、パクリです。僕が作った昔の作品も、全て、すーべてパクリです!」
男はインターネットにすべてのパクリ元を載せ、自らの罪を告白した。
パクられた海外のアーティストたちは激怒し、すぐに訴訟を起こした。
エンブレムを使用していた企業・団体は大混乱に陥り、とんでもない事態となった。
国立競技場も何故か無理矢理エンブレムの形で作っており、もはやすべてが手遅れだった。
日本はものすごい損害賠償を支払うことになり、世界中の信頼を失い、五輪は歴史的に類を見ないお葬式ムードとなった。
罪を告白した男は、すでに海外にとんでおり、そのまま行方がわからなくなった・・・
後日談。
ヨーロッパの山奥に、あるアジア系の世捨て人が住んでいるという。
仙人のようなその男はたまに市場に姿を現し、フランスパンだけを買って行くらしい。
「あの、日本人ですよね?」
「・・・」
「ずっとこの辺に住んでいるんですか?」
「・・・」
「誰かに似てますよね? 言われません? ・・・誰に似てるんだろう」
男は少し考え、ひとことポツリと言った。
「・・・まったく似てないよ」
それから男は山奥に戻っていったという。
終
ある夏、"デザイン"が死んだ。
きっかけは、とあるデザインがコンペに選ばれ、そしてそれと見た目が似ているデザインが見つかってしまったこと。
そしてそのまま不幸にも、そのデザイナーが関わった過去の作品に盗用が見つかってしまう。
盗用と類似は絡まりあって、「パクリ」という言葉でひとまとまりにされてしまうようになった。
「デザイン業界は信用ならない。みんなでデザインを選ぶべきだ!」
「私たちでも作れるのに、どうしてデザインにお金をかけるの?」
デザイナーたちはできる限りのことを伝えようとした。
"デザイン"のこと、業界のこと、知ってることはほとんど話した。
「とあるデザイン」を肯定するかどうかではなく、そのデザイナーを特別に擁護するわけではなく、"デザイン"を守るために。
でもそれすらも油に変えられ、どこまでも燃え広がっていった。
デザイナーは自分の命を守るために、自分の作ったデザインを犠牲にするしかなかった。
コンペはやり直し。
応募基準は緩和され、だれでもデザインを応募できるようになった。
厳しい選考をくぐり抜け、たくさんの人の目に触れるという名誉と引き換えに、賞金は無しとなった。
選考過程に少しでも透明性をと、応募されたものの中から審査員が選んだ10個を、国民の投票で1つ選ぶことになった。
しかし多くのデザイナーは、目に見えない制約やリスクによって、デザインをつくることが出来ない。
例えば、シンプルなデザインを出せばどこかで類似しているかもしれない。
自分では見つけられなかった類似するデザインも、みんながどこかから見つけてくる。
そうなったときには、過去の作品も全て遡られ、デザイナー個人が攻撃の対象となるだろう。
選ばれることはデザイナーにとって、名誉というよりも炎上のリスクとなっていた。
デザイナーでない人は、選ばれたらラッキーというような感覚で応募する。
"デザイン"の敷居は良くも悪くも下がっていく。
2年後、選ばれたのは著名なデザイナー10人のデザインであった。
もちろん今回は類似するデザインなどない。
複雑かつ新鮮で、一目でオリジナルとわかるようなデザインたちだ。
その上、2年かけて類似するものがないかを世界中調べてまわった。
大成功だ。
みんなのデザインが決まった。
デザインを提出する度に、クライアントからデザインに類似がないかを聞かれる。
出来る限り類似しないように、複雑なデザインを提出すると、
「シンプルでカッコいいデザインがいいんだよね、あ、もちろん(他と)被らないやつね」と言われる。
デザイナーは、7割以上の時間を自らのデザインの検証に費やすようになった。
「なにを伝えるか、どう伝えるか」ではなく、「いかに被らないか」というように。
人々のデザインを見る目も変わった。
なにかのデザインが新しく変わると、まずそれの類似を探すようになった。
ひとたび類似するものを見つけると、新しいデザインを総叩きにする。
非公式のデザインが公式に採用されるようになると、多くの企業はデザインにお金をかけなくなった。
名刺や封筒も、わざわざデザイナーに頼まなくてもロゴをWordやPowerPointに貼り付けたら完成だ。
世の中には派手で複雑な独創性溢れるロゴと、ワードアートで作られた文字が並ぶようになり、
そしてそれこそが"デザイン"だと考えられるようになった。
ただ見た目の被らないデザインを突き詰めていけばそれが一番楽だったという話だ。
そこではもう、独創性こそがデザインと呼ばれていた。
"デザイン"は死んだのだ。
酔っ払ってるから言葉がぐちゃぐちゃかもしれないけど気持ち悪い妄想と惚気話を聞いてほしい。
付き合って1年になる恋人Sは5つ年上。滅茶苦茶性格が良く、仕事ができる。
そして、正統派のイケメンとかじゃないけど、Sはすごく愛嬌があって良い顔をしてる。私のものすごく好みの顔。
で、最近Sの昔の写真を見せてもらったんだけど、どの時代の彼も本気で好きすぎて、動悸がすごい。毎回はあはあ言っちゃう。
彼の家にいった時に、全部こっそり携帯カメラで写して保存して毎日見つめてはニヤニヤする。
小学生の彼はまさに紅顔の美少年で、攫って育てたいし、中学生の彼はちょっと奥手っぽくてかわいいから、露出狂になって怖がらせたい。
高校生のSはちょっとヤンチャそうだから、勉強を教える優しい家庭教師になってお仕置きとかいってちょっとコツンと小突くぐらいしたい。
多分自分日本人だけど、日本人って「だれか」を常に攻撃せずにいられない人達なんじゃないか
それも些細なことで
御隣さんとか、上司とか、後輩とか、同僚とか、娘とか息子とか、義理の・・
そのために古来からある「システム」がDNAレベルで刷り込まれてる、と思う
「村社会」なんだろうか
結局は無限ループなんだけど自分たちはほとんど気がつかないまま、「だれか」を攻撃し続ける
村社会にさらにいい加減な「ネット」が加わればとりかえしもつかない
本当につかれた
土曜半ドンで帰りに近くのお好み焼き屋で食べるのがならわしだった。
友人らと馬鹿話しながら量だけが売りのお好み焼きを食べて帰る。
友人と馬鹿話をしてすっかり気が大きくなっているノリで
そこに年の頃なら30歳になったくらいの多分店主の息子の嫁である従業員がしゃがんでいた。
そのときのお尻の白さ、恥ずかしそうな顔と声。
みんな覚えているけど、別に尻フェチでも熟女好きでもスカトロマニアにもなってない。
どうやったらフェチになるんだろう。
追記が増えてたの見てトラバ
「ゲイとかレズとかカミングアウトうぜーキモい。いちいち宣言すんな。それは性差別なんだよわかったか」
みたいなホモフォビア(レズフォビア?)の延長の末に平等論持ち出してきたイカサマ論者みたな印象だった。
でも追記加えて前の文章見ると
「カミングアウトという方法をとらざるをえない世の中がおかしい。誰が誰を好きになろうがそれは性別ではなくその人という個人への興味のはずだ」
みたいな理想論が匂わせられてる。
一つは「ゲイ/レズという分類そのものがナンセンスで、人は性別ではなく人を好きになるのだから自分のセクシャリティをあえて宣言することは『自分は独自の恋愛観により性別によって目の前の人の評価を変えています』という差別につながる」というまあいってみれべばものすごくリベラル(すぎる)思想を持っている人であるということ。
もう一つは「人間にはもともと他者を思いやる恋愛感情というものはなく自身の利益(子供が産める、子孫繁栄ができる。性欲が満たされる)といったもののために誰かを好きになるのであって、そこに宣言など必要なく、自分にとって必要な利益は誰からしか得られないという宣言は金持ちと貧乏人を区別して付き合う人を決めるような差別につながる」という認識を持っている人間であるかということだ。
しかし残念ながら元増田がこのこのような人類文化的に非常に先進的な思想を持っていたとしても、世の中の認識はそこまで追いつけるところまで達していない。
つまり世のマジョリティは「男は女を愛するもの。女は男を愛するもの」ということを前提にライフスタイルを送っており、
そうでない生活スタイルや人生設計、人を愛し大切にしたいという純粋な思いさえゴミクズのように扱い見下した扱いをしている。
セクシャル・マイノリティがなぜあえて社会的地位を失うかもしれないリスクを犯して自身のセクシャリティをカミングアウトするかというと、
そういう恋愛とは男女の間だけで成り立つものであるという世間の常識は決して全ての人にあてはまる常識ではないということを少しでも多くの人に知ってもらおうとするためだ。
元増田がどういうセクシャリティで身近にどういう問題があるかは想像するしかないが、
あなたのように先進的な意識を持つ人は今現在世界中探してもまだまだ少なく、ほとんどのセクシャル・マイノリティは好きな人に「好き」ということすら犯罪のように感じているという事実は知っておいてもらいたい。
それは言うなれば「はてブでは身内ネタばかりホッテントリに上がってくる」と
「はてブでは身内で結託して特定のサイトばかりホッテントリにしている」の違いだよ。
信じられないことかもしれないが、世の中には「だれかを攻撃したい」という欲求を本能レベルで常に抱えてる人がいるんだ
はいお疲れ
それにしても、だいぶ分かったね
あんたは、「自分がロックだと思ったらそれがロック」「私にとってアスタリスクがロック」というテーマに則して解釈している
だからテーマから少しでも外れるような解釈は受け入れがたいんだ
だりーなにとって、アスタリスクは自分がロックだと思うロックだが、本当にやりたい音楽性やスタイルが備わったロックは別にあるに対して
だりーなにとってアスタリスクこそがロックだから、それ以外にやりたいロックがあるという解釈はあり得ないと考えて受け入れがたいんだな
だがちょっと考えて欲しいんだが
それに対してあんたは、テーマに則して考えるばかりで根拠が薄い
一度頭を切り替えて、真っ新な状態でもう一度19話を視聴することをおすすめするよ
だりーなが悩んでいたのは、単純になつきちとやりたいが、アスタリスクもやりたいというだけか。それとも音楽性やスタイルが備わったロックと、アスタリスクのギャプか。
だりーながアスタリスクで音楽性やスタイルが備わったロックがやれると思っているかどうか
もう一度よく見て考えてほしいね
id:nishinq 受け入れる以外にないわ、嫌ならアフリカで原住民でもやれよ
id:etherealcat この人は国民が自分の意見を自由に言ったり、考えたりすることを規制したいの? 自分が世の中を制御できないと我慢できないの? それこそが独裁主義的であり、遥かに恐ろしい。 スターリンになる才能あるよ。
労基はもう受けないの?
君は労基以外何に向いてるというのか…
社労士になりたいんじゃなかったの?
気が弱そう
小さい会社じゃ多分やっていけないタイプだと思うし嫌になると思うよ。
ベンチャーは君には向いてない。
英語圏住んでてこっちで子供産まれて育ててるけど、注意されたのは「言語の基礎ができるまでは、子供に話しかける時に言葉を混ぜちゃだめ」ってことだった。英語なら一貫して英語、日本語なら一貫して日本語、母親と父親で別でもいいけど、同じ大人が二ヶ国語以上混ぜて話しかけてはだめ。どうしても混ぜる必要がある場合は「今から1時間英語の時間」とか決めてその間は完全に切り替えなさいと言われた。
子供自身は日本語のカタカナ語と対応する英語は完全に別の言葉として認識してる。「cakeはにほんごではケーキって言うんだね」的な。今でも会話で、文単位で英語と日本語が切り替わることはあるけど、日本語の中に英語を無意識に混ぜたりその逆をしたりすることは無い感じ。カタカナ表記と元の英単語を混同することもまずない。