はてなキーワード: 過小評価とは
クラスタの問題でしょう。『男が悪い』って叫んでるフェミニストもいますよ。
あるいはあなたが「見ないようにしている」のか。
akatukikuyaのインタビュー
http://theinterviews.jp/akatukikuya
様々な経験により男性不信でビアン寄りのバイでフェミニストです。
http://twitter.com/#!/akatukikuya/statuses/135384183769022464
http://twitter.com/#!/akatukikuya/statuses/139776171490557952
女の最大の敵は男。
http://twitter.com/#!/akatukikuya/statuses/139776509861822465
http://twitter.com/#!/akatukikuya/statuses/136081140837658624
http://twitter.com/#!/akatukikuya/statuses/135891948421652480
「自分(男)の事は都合良く忘れている」
「女と“対等”になれない」←「普通の男」と話すときはこの四つを前提として話をしよう(^_-)-☆じゃないと男は調子が良すぎて発狂する。
http://twitter.com/#!/akatukikuya/statuses/135384816806936579
色んな考え方の人がいる以上、話し方を聴き手に対して変える必要がある。
哲学科の奴にいきなり経済の素晴らしさを語ったり、電子工学科のやつにカントが~とかいきなり自分のことばで語りだしたって、何が伝わるだろう。
人間は「ある程度理解が得られるであろう内容/話し方」で話すものだ。
だから、読み手に対して自在に変化を遂げ、否定的に解釈されにくい、抽象的な言葉が生き残りやすい。
人はよくわからないと思ってるものに対しては、お互い意見を対立させようとは思わないものだと僕は思っている。
具体的な言葉を用いると、どうしても現実的な様々な解釈と意見が入り混じる。
具体的な話であれば会話がしやすいか?細かいニュアンスの表現が必要とされるがために、それは逆に難しいのだ。
文字だけで、それまで何のコミュニケーションもとらず前提確認も取れず、細かい話をするのは非常に困難だ。
とはいっても、ネットでは主に言葉でコミュニケーションを取らねばならない。
しかし、どんな言葉を使っても(もちろんこの日記も例外にはなれない。)何かしらの否定はされ得る。
僕にとって一番大事な発言者は、ぼくの話をちゃんと聞いて、反応してくれる友達だ。
その信頼感は、ネットを使ってでも、直接会ってでも、電話でも変わらない。
そんなインターネット(と現実)で、からまれたくないし、全力で逃げたいと思ってる3人の馬鹿を挙げる。
発言者による発言の優先度が、僕にとって一番低いのが彼らと言っても過言ではない。
彼らから真っ先に逃げる為に、一度言葉にして確認することにした。
・個人の日記
しかしここで犯罪告白をする人は、新宿とかのでかい公園で犯罪を何千回も叫ぶ(コピペ、RTされる)ようなことをしてるんだから警察に引っ張られてもしょうがない。
やましいことするなら隠れてしないと捕まるのは当たり前。そこくらい知恵使えと言いたい。
主題違いに突っ込む馬鹿。
十分な議論ができる環境ではない(コメント欄でどれだけの納得が得られようか。)のにも関わらず、1から議論しようとする人。
offでお茶会でも開け、と言いたい。
・ブログ
「間違ってるやつは正さないといけない」「間違ってるやつが正さないのは傲慢だ」「間違ってるやつは攻撃していい」というロジックを君が使うなら、「そう言う君が間違ってるから君を攻撃していい」「そういう君が間違ってるのに直さない、傲慢だ」「そういう君は(略)攻撃していい」と僕が言うことも正しい。
そんなループに見ず知らずの名無しさんとラブラブランデヴーしたくないから、僕は全速力で逃げる。できる限り自由にやりつつ、できる限り君と関わらないような人間になる。
僕はこの人には何も言いたくない。目視し次第とにかく逃げる。
相手の知識を、括として無視し去ってしまう場合に、無知が絶対に強い。」
という一文がある。
文脈はともかく(そんなではいけないのだが、)僕はこれは本当にそうだと思っている。
ぶつかったら負け、の戦いからは、逃げることが負けないことなのだ。
僕はそいつと戦わないから、勝たないが、負けない。戦いたくもない。
いやいや、過小評価できない(付き合えば十分に面倒くさいことになる)から逃げるのだ。
僕にとって、勝つよりも、負けないことの方が重要だ。
僕は、類は友を呼ぶという言葉も信じているから、出来る限り自分自身が3人の馬鹿にならないようにしたいと思う。
僕にできるのは、僕を変えることだけだ。
これが僕の最大限だ。
俺も自己評価が低い。けども、リア充を見て、あんなことしちゃって!と思うことは無い。
人を上下関係で見てしまうということもないな、と思ったが違う。
まるで自分は地の底にいて、他の人はみな地上で生きてる感じだ。
だから、人を上下関係で見てしまうというのはある意味言い得てる。自分より下はいないけどな。
いつもそれを眩しそうに見上げてる。
でも嫉妬や他者否定は感じない。
すごいな、眩しいな、俺と違う生き物だな、と思うだけだ。
何故それで自己評価が低くなるのか。自分の場合は警戒心が強すぎるからだ。
褒められると次は殴られるのかと警戒してしまう。
笑顔で近づいてこられると警戒心が全開。
他人の感情や好意や悪意ってやつを感じ取る能力が薄くて、共感性に乏しい。
好意を持たれていてもそれに気づいて認めて自分の充足に充てる事が出来ないし
逆に悪意を持たれていても気づけなくて相手を知らないうちに怒らせることになる。
眩しい世界にいる俺以外の他の連中は、俺にはわからないコミュニケーション方法で
自分には知りえない充足を得ているに違いないとかつては思っていた。
今も少しそう思っている。
そんな世界で人間関係に揉まれるのは、言葉の通じない国を目隠しで歩くようなものだ。
だから、常に最悪のケースを考えて警戒し、自分の能力を最低ラインで算段している。
自分のやることを過小評価する。人は自分を悪いほうに取ってると仮定する。
他者に自分がこう写るであろう、という想像が徹底的に低いから自己評価が低くなる。
そうしないと恐ろしくて生きていけないからだ。
元エントリとそれに対する批判がぐだぐだしてるのは、自己評価が低く自己肯定感が少ないことと、自信が無いことは必ずしも比例しないからだ。
俺は、自己評価と自己肯定感はこれでもかというくらい低いが、自分の実力の測り方については確固たる自信がある。
自分の出来ることと出来ないことは非常によくわかっているつもりだ。
「この人は「自分に自信がない」と「言える自分」に対して、「堅固な自信」を持っているからだ。」
というのはまさしくその通りかもしれない。
でも、なぜそれが批判になるのだろう?もう生きてはいけない?本当に?
俺は自分の性格を変えることは諦めているので、この自己評価の低さをいまさらどうしようとも思わない。
逆に考えれば、どんなに浮かれた状況でも慢心せず、怒らず、個人に肩入れをせず、他人を冷静に眺めて判断でき
些細な事に嫉妬心を抱かないので他者の優れた点に気づきやすい、ともいえる。
非常に承認欲求を充足しにくいのだけはネックだが。
書いてみて思うのは、「まあそんなに面白くないな、おれの文章」ってこと。
いくら社会が大変で「ああしたほうがいい、こうしたほうがいい」と言っていても、文章に魅力がなければ伝わらない。
それは言葉の力というのを過小評価しているせいだと、ふと思ったわけで。
この文章が受け入れられるためには、受け入れてもらいたい人たちに向けて、その人達のプロトコルを使って書かなければいけない。
おれが書いている文章はひとりごとの域を出ない。自分の考えをそのまま書いているだけだから。誰にも受け入れられない。
そしてもうひとつ。もし誰かにこの文章が届いたとして、その人になんらかのアクションを取ってもらわなければ意味が無い。
ふーん、で済んでいい文章というのは、書かなくても同じ。
一番は感動させるとか笑わせるとか、反省させて明日からの行動を変える、とかそういう類のやつかな。
その次は、悲しい思いをさせるとか、怒りをかきたてるとか、そういうやつ。
次はブクマさせるみたいなやつ。
そのどれにも当てはまらない文章は書いてて意味が無い。そして、そういう文章の一つがこれ。
まあいいんだ。精神状態がこんな感じでは、書きたくても書けるわけがない。
とにかく、書く感覚さえ失わずにいれば、いつかまたちゃんとした文章が書けるようになる。
たぶん。
・先方は名前も知らないのに親しいと思い込み、自分の意見を押し付ける
・一方的な片思いなのに個人的に親密な仲であるかのように思い込む
・対価を支払ってサービスを受けとったのに恩に着せる
・自分以外の誰かと個人的に親密になるのは倫理違反だと思い込む
愛情とは借しをつくることだと思い、愛されるとは借りを返してもらうことだと思ってる。
自分が受けたものは過小評価し、与えたもの(時間・金銭・体力)は過大評価する。
そして対価を支払って得た正当なサービス以外のものをどこまでも要求する。
こういう傾向が強いと現実に身近な人間と親密になるのも難しい。
最悪なのは群れて周りを煽ってなんとかしてもらおうとするところ。
こういう人たちって、ネットがなかったらどうしたんだろうね。
というのも、彼らの韓国に対する冷笑的な態度が
焼豚サカ豚、GK妊娠、ドザマカーのそれぞれ陣営の態度と酷似しているから。
相手のネガティブなニュースをネタに笑いあうって構図になってしまってる以上、
ナショナリズムなんぞただのスパイスの一部に過ぎないんじゃないのか?
何かを馬鹿にして楽しむってことが目的化してるだけな気がする。
きっかけは自分の好きなものが馬鹿にされたり愚弄されたり過小評価されたりするだけでいい。
それらをきっかけにしてムカつく相手のネガティブニュースで笑ってやるって気持ちが出てくるのだと思う。
だから、ネトウヨもその感情の表出の一形態に過ぎないんじゃないか?
それはナショナリズムとはかけ離れた何かだと思う。
僕は昨年の10月頃まで2年ともう少しの期間をある女性と付き合っていた。
ある理由から、理由はともかくきっかけはとてもくだらないことだった、が別れる事になった。
当初彼女はまたよりをもどしたいというようなことを言っていた、僕もそれを望んでいた。
その時僕は互いに落ち着く時間が必要だと思っていた。
熱にうなされるのではなく、本当に相手が必要かどうか確かめる時間が必要だと思っていた。実際その時は彼女もそれには同意してくれたようだった。
でも実際はちがった。僕はその期間を経ることで二人の関係がよりよいものになると考えていた。しかしそれは愚かな思い違いだった。
最初のうちは頻繁にあった連絡も頻度が減って行き、いつしかほとんどこなくなった。僕があえてあまり連絡を取らないようにしていたことももちろん影響はあったと思う。そしてよりを戻したいという話ははるか過去の話になり、やがて彼女は僕に苛立ちを感じるようになった。
僕は彼女を見誤った。自分自身も見誤った。彼女は実際のところ、そういう理性的な話よりも安らぎがほしかったのだと思う。
しかし言い出せなかった。なぜならそれは正しかったから。でもそんなものに価値はなかった。よしんばあったにせよたいした価値ではなかった。
そしてそれが理屈よりも優先されることなんて古今東西一度もなかったし、これからもないだろうと思う。
そういうことにいまさら気づいた。あまりにも遅かった。いや本当は知っていた。でも忘れていた。より厳密に言えば、思い出そうとはしなかった。
もはや彼女の気持ちは僕にはない。当然だ。別れてからのおよそ1年ほど僕は彼女に孤独と苦痛しか与えて来なかった。彼女は未来を、幸せをつかむためにすでに踏み出してる。もはや彼女の中で僕は過去の何かだ。それがなんであれ僕の望む未来につながらないことはわかってる。いまどき小説だって、僕の望む奇跡は起こりはしない。
過去にも似たような理由で大切なものを失った。つまり自分の強さの基準で相手を測るということで。その時僕は今度はうまくやると、思った。でも結果はどうだろう。まったくといっていいような愚かな勘違い、自らの傲慢さを味わう結果になった。むしろ過去よりもひどいといっていい。
そしてさらに愚かなことに、そのもろもろのものが彼女に与えている影響のせいで彼女を不幸な未来に追いやったのではないかという考えがどうしても抜けない。ただしなにもしてやれない。そうしたことを考えることすら、愚かであり、もし彼女が聞けばきっと怒り出すだろう。何様のつもりだと。反論のしようもない。
こうしてこんなことを書いていること自体、見苦しいことだというのはわかってる。でもこうでもしない限り気が狂ってしまいそうだった。死んでしまいそうだった。いつかこれを見直したとき笑い飛ばせるときがくるだろうか。今の僕に確信はもてない。
いつだって僕は持ってるものを過小評価する。感謝の気持ちを忘れ傲慢になる。それがこうした結果を招くという事実を何度も味わっているにもかかわらず。いつのまにかその味を忘れてしまうほどに薄く。それは救いなのか呪いなのか。少なくとも今の僕は忘れたがってる。必死に、醜く、すべてがなかったことになれば言いと願ってる。
四六時中批判してないと落ち着かない人っているんだよ。
さっきまで褒めてたと思ったら同じことで批判していたり、どうしようもないこと(身体的特徴、精神疾患など)を批判したり、ということをずーっとしている人が身近にいる。しかも、けなすのは本人の目の前では絶対にしない。たいてい本人がいない場で、そのいない誰かを批判してる。だからみんな「ああ、自分がいないときには同じことをされてるんだろうなあ」と思ってしまう。
その人を見てて思うのは、自分に自信がないんだろうなあということ。誰かより優位に立っているっていう自信がないから、意味がなくても批判して優位にいると思いたい。実際はその人にも優れた部分があるんだけど、それに気付いてないのか、それとも過小評価してるのか。誰かが常に褒めてあげないとダメなのかもね。
ネットってほんとに今は人口が多いから、そういう人も結構紛れ込む。だから意味のない批判であふれかえってるようにみえるかもしれない。けど、批判は声が大きくて目立つから多く見えるだけかも。全体の数としてはどうでもいいチラ裏の日記より少ないんじゃないかと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクのLAコンサート、外国人感想その4。今回は初音ミクという存在についてかなり真正面から書いたものを紹介する。筆者はコンサートだけでなくアニメ・エキスポで行われたいくつかのパネルにも参加したようで、日本から行った関係者の発言も引用しながら初音ミクとそれを取り巻く現象に関する考察を述べている。これを読めば「初音ミクとは何か」について一通りもっともらしい話ができる程度の情報が盛り込まれた、なかなかいいまとめだ。
urlは以下の通り。
ヴァーチャル・ディーヴァ(仮想の歌姫)になるということは、正確にはどういう意味を持つのだろうか? 初音ミクの人気について真に理解できるようになる前に、彼女が正確には何者なのかを確認するのがおそらくは最適だ。しかしながらこのテーマは思いのほか扱いが難しい。最も簡明な言い方をすれば、彼女は明らかにセガとヤマハによって発展してきた音楽制作ソフトのために藤田咲の声を録音しデジタル化した商品のパッケージ用にデザインされたキャラクターだ。だが同時に、彼女が本当の意味では存在していないという主題もそこにある。我々がミクの歌について話している時、我々は厳密に言えば生きていないものに対して隠喩を使っている。思うに初音ミクとは我々が理解しているより遥かに複雑なものなのだ。
アニメ・エキスポ2011は間違いなくミクの全てを取り上げていた。ミクノポリスは、それがノキア・シアターで行われ、かつ売り切れた唯一のものであった点だけを見ても、明らかに週末最大のイベントだった。他のゲスト――クリプトン・メディアの伊藤博之と佐々木渉、ダンスロイド、及び小林オニキス――はミク登場のおまけとして呼び寄せられた。アニメ・エキスポがコンベンション全体のテーマに「ファンの年」を選んだのは、ただのお遊びではない。結局のところボーカロイドは、ヤマハの剣持秀紀マネジャーがコンベンション3日目のパネルMirai no Neiroで言及したように、ファン、製作者、及び消費者の間にある障壁を切り裂いている。
ミクがいくらか人間っぽい性質を備えているのは明らかだが、同時に彼女の存在はメカニカル(機械的)かつヴァーチャル(仮想的)でもある。歌姫という用語は、技術的な能力をほのめかしているのみならず、高い人気という意味も示唆している。だがミクの人気はピンポイントで捉えるのは難しい。小林オニキスがアニメ・エキスポ2011の2日目にミク・カンファレンスのパネルで発言した内容によれば、彼女の成功は3つの要素に拠っているという。ミク自身、制作過程での自由さ、そして世界規模のインターネットだ。私がオニキスの判断に異論を唱えないのは確かだが、彼の指摘した3つの点をさらに分析すれば初音ミクの存在について興味深い事実が判明すると思う。
トヨタの初音ミク・カローラCMを巡る謎がついに明かされた時、トヨタが特にアニメ・エキスポを念頭に置いて若い客に対する濃密な市場調査を行ったことが判明した。トヨタはアニメ・エキスポ2011に2台のitasha(アニメやゲームのキャラを描いた車)、スタッフチーム一そろい、車の前でミクのコスプレをする可愛い女性、そして小さなカローラの絵の上で可愛らしく微笑む子供のようなミクを描いた何千枚ものポスターを持ち込んだ。ミクはただソフトに特色を出すため作られたキャラに過ぎないという事実にもかかわらず、彼女は自動車企業の公式看板娘となるのに充分なほど人気があった。アメリカにおける市場性の存在にはかなりの疑問があったものの、この宣伝活動はミクにとって大きな一歩だった。
初音ミクの生まれは、実際にはどこの馬の骨とも分からないものだ。彼女は、自身が市場に出ることとなった新しいVocaloid2シリーズの、箱に描かれたイラストとしてその生を始めた。つまるところ、それが彼女の全てだ。だが、日本中の製作者たちが楽しく、突飛で、面白い歌を書き、彼女を描いたり動かしたりすることで彼女に性格を付け加え始めたため、彼女はすぐ自らの命を手に入れた。最終的に彼女のイメージにはネギが伴うようになった。
これがなぜ重要なのか? ミクが東方シリーズに出てくるキャラとどれほど似ているかについては、おそらく指摘する必要もあるまい。ゲームに出てくるキャラの多くが極めて限られた背景情報しか持たず、それゆえにキャラの性格をさらに発展させるため製作者とは無関係にファンダム自体が自由に想像をめぐらせる余地があるという事実に、東方厨の一部は対応してきた。同じようにミクの仕様に存在する欠落は、歌やビデオという形式をまとった小さな物語の発生を許し、それが巡り巡って単なるキャラを超えた命の有り様をを彼女にもたらした。彼女は利用者が作り出す製品の力に具象化された肖像であり、概念だ。
そのインターフェイスは、比較的直感的に使える。音楽用語を使う代わりにこのソフトは、メロディーを生み出すためピアノの音程と一致したいくつかの棒の上に長い音符を置く。ピッチとテンポは製作者の目的に合うように変更でき、ビブラートと発音も自由に変えられる。完全な楽曲を作るため、ドラム、ピアノ、ギターなど追加の伴奏も付け加えられる。
ヤマハの音声技術開発チームを率いた剣持秀紀によれば、初音ミクは作曲家と歌手にとって伝統的に必要なものを補完する革命的なソフトの顔を務めたからこそ、ヴァーチャル・ディーヴァなのだという。ミクは、かつてデジタル楽器がやったのと同じように音楽世界のあり方を変えたソフトだと、彼は主張する。それが楽譜制作だけでなく、自然言語における発話パターンの複雑さまでまねしようと試みていることを踏まえるなら、おそらくそれ以上のものと言える。
剣持はプレゼンの際に彼の議論の核心を効果的に実証してみせた。まず彼は、人間の耳とって自然な音をボーカロイドに生み出させるのが、どれほど困難かを説明した。次に英語のボーカロイドソフトSweet Annを使い、極めて短時間でハッピー・バースデーのメロディーを生み出してみせた。そしてボーカロイドは単純に人間の声をコピーしようとしているものではなく、その特別な性質故にある意味で音楽の未来を示しているのだと強調した。極めて広範囲なジャンルにふさわしいものにするため、ライブラリを変更することができる。人間の耳が言葉を理解できないほど速いレートで音を生み出すのも可能だ。どんな歌手より長く引き伸ばして歌うこともできる。最も有名な初音ミク曲の一つ、初音ミクの消失を見るだけでいい。ボーカロイド史の比較的初期段階からソフトが持つこれらの側面を製作者が上手く利用していたのは明らかだ。つまりボーカロイドは、その人間に似たヴォーカルと同じくらい、その機械的側面も売り物になっていたのである。
プロの音楽家とアマチュアの双方に販売されることで、ボーカロイドは間違いなく伝統的に音楽に存在した境界線を壊し、比較的音楽知識の乏しい者たちが数千から数百万ものビューを稼ぐ歌を作り出すのを可能にした。アーティストだけでなく、ネットに詳しい個人がよく知っている視聴者に合わせた歌を作ることもできるようになった。
ニコニコ動画が日本におけるボーカロイド活動の主要拠点であることは否定できない。この動画シェアサイトには、他の種の動画ランキングに加えて人気のあるボーカロイド曲のランキングもある。つまりミクの成功は、彼女自身と製作者あるいはソフトの能力だけではなく、日本のユーザーが新たに作られた歌に関する集計された情報を見つけるのが容易である点にも依存している。
ミクの人気は彼女の声だけにとどまらない。ボーカロイド・コミュニティーから抱き合わせでニコニコ上に出てきた他のコミュニティー、例えば「Utattemita」(歌ってみた)、あるいは「Odottemita」(踊ってみた)などは、それらの人気故に今やニコニコのメーンページにある案内バーにそれ自体のカテゴリーを載せるまでに至っている。国境を越えたアニメ及びゲーム・コミュニティーへのウイルスのようなミクの拡散は、製作者及びファンの双方で似ている情報拡散能力に頼っている。
最初の質問に戻ろう:ヴァーチャル・ディーヴァとはつまり何か?
ミクの「仮想性」は要するにオニキスの言う1番目と3番目の要素に起因する。彼女は世界中の数百数千という人々の想像力に根っこを持ち、一方で彼女の側は人間としてのどのような制約も持たない、骨格だけのキャラだ。同時に、インターネットにおけるファンに基礎を置いて成長するボーカロイド・コミュニティーには、それを統制する法的な枠も基盤も僅かしかないという事実故に、彼女は著作権問題からも比較的影響を受けない。実際、利用者が生み出しファンが作り出す素材に対して日本企業が示す寛大さは、英語を使うユーチューブ・コミュニティーが慣れ親しんでいるものに比べれば衝撃的なほどに大甘だ。技術的にも、誰もが歌わせることのできるミクの束縛のない能力は、有名になるためどんな歌姫にも必要とされる人気と広い支持とを提供する。
理論的にはミクのスターダムへの道は、彼女が完全に作り上げられたキャラではなく、その中身が欠落しているという点にある。オタクの行動様式とポストモダンにおける消費パターンに関する東浩紀の著作から引くなら、ソフトの利用者が作り出した歌と動画に描かれた個人的で小さな物語を生み出すためのデータベースとしてボーカロイドと初音ミクが使われている。同時に人間の声を合成することで達成された技術的偉業が、音楽産業内における伝統的役割に新たな裂け目をもたらした。あらゆる種類の消費者、製作者、ファン、音楽家、個人的技術者が、あたかも300年前にルソーが思い描いた政府のように有機的なコミュニティーへと参加している。
初音ミクとは2つの面を持つ現象だと私は主張する。ミク自身は、情報的に遍在する世界の中にいる個人たちの行動様式に根ざしており、世界的コミュニティー総体の想像力によって生み出されている。一方、ソフトは技術的革新による製品で、それは技術がミクの成長にどれほどの役目を果たしているかを過小評価するのが間違いであろうと言えるほど、過去にあった境界を超越してのけた。
ミクノポリスの会場で照明が落とされ、初音ミクが最初にステージに姿を現した時、聴衆の中で数千のファンが上げた叫びを誤解することは不可能だ。堅実で具現的な光学的幻想を生み出すスクリーンに投影され、ミクはボーカロイド商品の箱を彩る二次元画像という起源から、サイエンスフィクションのポップスターへと素早く進化する。来るべき年月におけるボーカロイド発展への将来性を踏まえるなら、Mirai no Neiroパネルこそまさに新たな造語にふさわしい:「未来の音色」
The Nihon ReviewとAnime Instrumentalityはアニメ・エキスポにおけるミク関連のリポートを協力して提供する。コンサートそのものに対する詳細な報告は、Anime Instrumentalityに掲載されているzzeroparticleのエントリーをご覧いただきたい。
使用画像はPixivにある。この画像がコミケット80で使われたことについて、Moccyにお祝いを申し上げる。
http://www.pixiv.net/member.php?id=191242
この週末にアイデアを論じるという楽しみを分かち合った数十人、同僚のライターであるShinmaruとEternal、同じくAlex Leavittと、そして日本へ戻ったミクノポリス/未来の音色のスタッフに、心からの感謝を。
http://dph.ninja-x.jp/index.html
ミクについてよく知らない人へ、ネット上には利用できる多数の英語資料がある。おそらく外国のコミュニティーを本当に制限している唯一の問題はニコニコ動画への簡単なアクセスができない点であろうが、十二分な興味を持っていくらか賢い検索をユーチューブで行えば、ニコに投稿されたほとんど全てを見つけだせる。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
技術系では自分が素人だという自覚があってだんまりの人も、なぜか法律系は自分が素人だという自覚が無くなるようで。
はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):サッカーボール避け転倒死亡 蹴った少年の親に賠償命令 - 社会
tama_lion 「ボールが道路に出て事故が起こる危険性を予想できた」えええーだったらゴール置いた学校の責任じゃないの?つーか87歳なんて...いややめとこ 2011/06/2826 clicks
「予想できた」のはサッカーボールを蹴った人。なので責任は一義的にはサッカーボールを蹴った人にある。id:tama_lionは、自分の敷地内で遊んでる人間が他人に怪我を負わせたら、その責任が真っ先に自分に振りかかると思っているんだろうか?
napsucks 87って・・・もう寿命じゃんw 社会的生産性もないし命の残存価値など皆無だろw それに1500万って・・・頭おかしいわ 2011/06/284 clicks 40
1500万円も逸失利益があるわけ無いと思いながら、1500万円が逸失利益だと思っているという。ばーか。
solt-nappa ため息, 社会 うかうかサッカーの練習もできないよのなかになるな。イヤダイヤダ。 2011/06/28 18
半分正解。だがうかうかにも程がある。例えば公道を挟んでキャッチボールしたら「うかうか」じゃ済まされない。程度問題であり、遊ぶ側としては公道にボールを出さないべきだろう。
akawi フリーキックでホームランしたら人殺し呼ばわりされた挙句1500万? どう考えてもおかしいだろ 2011/06/2816 clicks
「どう考えても」の「どう」は空集合。「フリーキックでホームランした」というから悪くないように見えるが、「公道にサッカーボールを出したら交通事故が起きた」場合に何も悪く無いと思うのだろうか?
nextworker 普通、こういうときは学校の管理責任を訴えると思うんだけど、遺族はどうして少年を被告にしたんだろう。少年の両親が金持ってたのかな。 2011/06/28 56
それは「普通」じゃない。少なくとも民法の原則から言えば、責任追及は一義的には過失行為を行った者に対して行う。それが少年であるがために714条で両親に追求したわけだ。過失行為の主体ではない学校の管理責任を問うのが寧ろ裏道であり、学校=市町村からは取りっぱぐれないからという、まさに金のために殴る相手を広げる例。
しかも「少年を被告にし」てもいない。記事を見ろよ。「両親に」支払いを命じたって書いてあるだろうがよ。
こんな何一つ正しくないコメに☆が大量についているのはまさに集合恥。
お前は公園で遊ぶとき、公道にボールを出すなと教わらなかったのか?
過失はある。そして、「ある」ならば、1だろうが100だろうが、損害賠償責任を負う。被害者に過失がない以上、過失相殺はされない。
toronei news, 社会, soccer, sports これ少年側の責任なの? むしろ学校側の安全責任が問われるべき例じゃないの? これではもう子どもに球技なんて親は怖くてさせられないよなあ。 2011/06/28
少年側の責任だろ。少年側に過失がなかったらどうして学校側に責任があるんだよ。
学校側に責任があるとしても、それは少年との共同不法行為ということになるから、少年側の損害賠償責任はびた一文免れない。
Kou_RYU 社会, 裁判, ため息 東電の原発事故でも助け舟がでるのに、19歳がボールを蹴ったら1500万円支払えと言われる国ニッポン。年寄りを狙って蹴ったわけじゃないんでしょ? 2011/06/28
年寄りを狙ってないから過失が無いと?ってかボール蹴ったの19歳じゃねーよ。19歳だったら両親じゃなくてガキに直接請求だっつーの。
sasurai7 裁判, 事故 裁判を起こすのなら、サッカーやってた少年より、学校の施設管理責任(ゴール裏にボール飛び出し防止用のネットを張る必要があったか等)が問われるものでは? 2011/06/28
前述の通り。つーか、加害者より加害者が利用してた施設っていうその発想が馬鹿。
kz78 自分ちの庭で壁打ちでもやってたのかと思ったら、校庭でゴールに向かってボール蹴ったのか。それで賠償責任が発生するのはきつくないか。 2011/06/2813 clicks
自分ちの庭と校庭で何が違うんだよ。
相当因果関係の認定は微妙ではある(後述)。が、全然関係なくはないだろ。
Cai0407 これはひどい なんでボール蹴った少年の責任が問われるの?学校の管理責任のほうが大きいと思うんだが。しかもボール避けて転倒→骨折→認知症発症→誤嚥性肺炎で死亡→1500万賠償とつなぐのは無理じゃね? 2011/06/2838 clicks
「のほうが大きい」とか言ってる時点で馬鹿。共同不法行為だから学校と少年の両者が全額の損害賠償責任を負う。つまりどっちが大きいとか関係ない。
施設管理「も」問題になりうるに過ぎない。
bbk0524 これはひどい 87歳が街中でバイク乗り回すことの社会的責任は一切問われないのかよ。老人のゴネ得社会だなこの国は。 2011/06/28 67
なんで87歳(86歳だがな)が街中でバイク乗っちゃいけないんだ?
redfox2667 87歳で認知症になったのが子供のせいか? 因果関係が怪し過ぎ。 2011/06/2833 clicks
あとで書こうと思ったが、ここで書いてしまおう。今回の件と関係なく、しゃっきりしてた老人が骨折して歩けなくなった途端に認知症を発症するというのは、かなり頻繁に見られる症例だ。そうすると「認知症になったのは骨折のせい」とは言いうる。そして今回の骨折は少年のせいだから、事実的因果関係は肯定できる。
ただし87歳ともなればもともとボケやすい状態にあったといえる。それゆえ「被害者の素因」によって722条2項の趣旨に照らして損害額を減じたのだろう。記事にそれらしき言及がある。
絶対おかしいとまでは言えない。もちろん報道を鵜呑みにしない姿勢は良いのだが、存在しない情報を求めるだけでなく、報道の意味を正しく咀嚼することも必要だ。
いやいや、(ボケ→窒息はともかく)事故ぐらいは予測しろよ。公道にボール出したら事故ぐらい起きるわ。「ゴールに向かって蹴ったボールが外れるわけがない」ってか?日本代表になれよ。
hatomaguro これはひどい 転倒→骨折→入院で認知症進行→誤嚥性肺炎→死亡の流れはよくある話。"学校"側が転倒までの責任を負うなら判るけど。。。 2011/06/28
なぜ加害者をおいて真っ先に学校側になるんだよ。その方がわかんねーよ。
chi-bit これ重いよなぁ。これじゃ外で遊べなくなる可能性があるし、それを言うなら小学校側の責任は? 2011/06/28
前述のとおり。あるとしても共同不法行為。
okgwa 酷なようだが、87でバイクに乗るリスクを過小評価してた遺族側の過失のほうがよほど大きいと思う。しかしこの判事、事故と認知症との因果関係をよく認めたなあ。司法の常識ではあり得ないという印象。 2011/06/2813 clicks 67
87でバイクに乗ることが「過失」だって?んなわけねーだろ。「司法の常識」とかいうんなら参酌できる「過失」の意味を理解しとけよ。
ERnanchan これって、賠償命令ひどくねえ? 少なくとも記事の文面だけからみれば。トンデモ判決かどうかの第三者評価が必要そうな第一印象。 2011/06/28137 clicks
賠償「命令」?少なくともお前に「第三者評価」は無理だな。
pwiser これで1500万円はヒド過ぎで加害者は不可抗力、学校で練習中にボールが外に出たってことなんだから払うのもどうかと思うわ。それ以前に87歳でバイク運転してた爺さん側が一番落ち度あるから被害者側屑過ぎて笑えない。 2011/06/28
不可抗力の意味を調べて出なおせ。1500万円「は」ヒド過ぎっていうんなら1万円なら良いんか?それなら不可抗力じゃねーよな?
つか何で「学校で練習中にボールが外に出たってことなんだから払うのもどうかと思う」んだよ。練習無罪ってか?
ちげーよ。本田だって外しまくってんだろーが。「せめて公道にボール出すな」だ。
suyntory_junnama jiken p なんて判決だ!! 少年の行為より、87歳でバイクに乗って出かける行為の方が問われるべき。何故家族はバイクに乗る事を止めさせなかったのか、何時か他人を巻き込む事故につながると予測しなかったのか。其方の方 2011/06/2810 clicks
何を「問われる」ってんだよ。他人を巻き込む事故?他人に巻き込まれたんだよ真逆じゃねーか。
shukaido170 asahi, education 子「ママ、サッカー行ってくる」母「サッカーなんかして誰かに怪我させたら大変だから、DSやってなさい!」な世の中になるんだね…。 2011/06/2813 clicks
nippondanji さっぱり理解できない。入院生活が認知症に悪影響を及ぼしたのなら病院を訴えるべきだろ。老人が入院したら認知症になるなら誰も入院出来なくなるだろ。 2011/06/28143 clicks
ftype パソコンでニートになったのでパソコン会社を訴える、オンラインゲームで人生失ったので運営を訴える、2chで人生棒に降ったのでひろゆきを訴えることもできるようになりますか? 2011/06/28 19
ぜんっぜん関係ないじゃん。
BRITAN 極論、校庭から出るのを防げなかった学校の柵が悪いんじゃないの?飛ぶ方向制御なんてプロでないと無理だよw 2011/06/2821 clicks
そう思うんならそんな場所でサッカーするなってことだ。学校が悪くて少年は毫も悪くないってか?ばーか。
TakamoriTarou 社会, 事故 訴えるなら子どもじゃ無くてネットを張ってなかった学校側なんじゃないかな。子どもが蹴ると超える事が予想できるような状況なら、学校側がそういう状況を予想できるはずだし回避義務があるような気がする。 2011/06/28
rakko74 普通に考えれば学校の責任となるはずだが、どうしてこんな判決になるのかよくわからん。 2011/06/28
mmsshhrr これはひどい 「蹴り方によっては道路に出ることを予測できた」( ゚д゚)ポカーン 2011/06/2814 clicks
お前は予想できないのか?
hi_kmd これがアリなら傷害事件も殺人事件に出来そうな気がするぞ。 2011/06/28
しねーよばーか。民事だし過失だし、何一つ記事と関係ないだろ。
naga_sawa そもそもボールが存在する以上、道路にボールが出る可能性は0にはならない/すなわち、急いで全国の学校・家庭・販売店etcからサッカーボールを撤去しろ!間に合わなくなっても知らんぞー!! 2011/06/28
いや0になるだろ。
You-me 事故, 司法 これはもし事故の責任を問うなら、損害の公平な分担を求めるなら両親じゃなく施設管理者じゃないかなぁ/老人の歩けなくなるような事故と痴呆の関係は割と認められてたような気がしなくもないけどどーだったろ 2011/06/28
だから施設管理者はせいぜい共同不法行為責任。被告になってないなら不真正連帯債務だから施設管理者なんて出てこない。「損害の公平な分担」「施設管理者」なんて言葉を使ってみても、民法知らないのな。
「どんなに」は空集合。
shinkichi1986 記事まとめ このガキに罪があるわけ無いだろ、しかも当時小学生だぜ?むしろ学校側の不十分な安全対策が原因だな。だいたい運動場ではボールで遊んでる生徒が多いのに学校の囲いの金網って低いんだよなぁ。しかも外は通勤道路。 2011/06/28
10歳ともなれば、ボール遊びについて、責任を弁識する能力は書くとしても、事理を弁識する能力はある。
kaeru333 これはひどい, 裁判 裁判官は世界がどんな感じで見えてんだろ・・・ それにしても、なぜ遺族は少年を訴えたんだろ。 2011/06/2845 clicks
被告は少年じゃなくて両親な。そしてそれは極めて当たり前の話だ。加害者は少年なんだから。
ze-ki news 色々おかしい。だいたいバイクの87歳男性、足骨折しただけなのになんで認知症と結び付けられてるのか分からん。どういうロジックだよ。 2011/06/2864 clicks
お前は認知症をどれだけ知ってるんだ?前述のとおり、骨折から認知症発症はかなりよくあるパターンだ。
weekly_utaran なぜ学校側の施設管理責任ではないのか、そもそもこの年齢でバイクに乗ることによる事故の危険性は?高裁で逆転判決が出て欲しい、そうしないと全国の学校の校庭でサッカー禁止になる 2011/06/28112 clicks
原告が少年の過失責任を問うたから。問われてないことについて裁判所は答えてはいけない。被告でもないのに急に賠償責任負わせられたらおかしいと思うだろ?
W53SA これはひどい 「判決は『蹴り方によっては道路に出ることを予測できた』と指摘」裁判官の常識のなさに危機感を覚える。学校ではなく親を責める遺族側の発想を是認するのもおかしい。 2011/06/2814 clicks
いや、ボール遊びするときは公道にボール出さないように気をつけるのが「常識」だろ。お前の常識のほうが実害付きで危険だよ。
そして学校ではなく親を責めるのが民法の原則。なんで場所貸してただけで、蹴り出した張本人(の代位責任)を負うのか、そっちの方が例外的な考え方だ。
kumakuma1967 わからん, 児童の権利侵害 100%少年に責任がないとこの額は出ない気がするが、ボールから死亡まで予期できる裁判長はニュータイプか?事故は愛媛なのになぜ大阪地裁?田中敦裁判長名でググると信楽事故のトンデモ判決も出てきた。http://goo.gl/AVqzd 2011/06/28
100%じゃなかったって記事に書いてあるだろ。
つーか裁判所の管轄について疑義を呈してる時点でテメーのほうがよっぽどトンデモだよ。管轄は民訴法で細かく定められているが、今回はおそらく不法行為の結果(死亡)発生地だろう。不法行為においてはできるだけ被害者に都合よく管轄を認めるのが民訴法の立場で、その立場はまったくもって正当だ。
as62 民事は、一方の主張に対して他方が否定主張をせずにほっとくと事実認定されてしまうから、単に少年側の法廷戦略が下手すぎなだけなような。常識的に負けるわけねえと弁護士つけてなかったとか、あるんじゃないか? 2011/06/28
7年もかかってるのに弁論主義で処理ってのは無いだろ。まして本人訴訟なら求釈明する。
toaruR 少年や両親に過失があるなら、爺さんとその家族にもありそうなもんだけど。せめて、学校のせいだろ……地裁にしても酷い 2011/06/28
なんでそこで「せめて、学校のせい」がボール蹴り出した奴より先に来るんだよ。
「使えばいい」って、使えねーだろ。まさか民事に裁判員制度導入しろってか?悪夢もいいとこだ。
iwamototuka 裁判, 事故 そこまで小学生(当時)個人に責任持たせるのかよ。うかつに校庭でサッカーもできないな 2011/06/289 clicks
責任の主体は親、な。
nobuharasawa バイクでこけて死んだのかと思ったら、足を折っただけ。それで1500万円はあり得ん RT@ 2011/06/2810 clicks
「足を折っただけ」なら「1500万円はあり得ん」のに、なんで「足を折っただけ」で「1500万円」の判決が出たと思うんだ?
yukimi1977 これはひどい ボールが原因で死亡事故を起こしたわけじゃないのに。もしそうでも学校の過失で少年じゃない。ぐぐったらこの裁判官、別の判決でも因果関係が?な過失を認めてる。 2011/06/28
少年じゃないって理屈がおかしい。過失がなくってボールが公道に出るかっつーの。そんなんで責任負わされてたら校庭でボール遊び禁止だろ。
Sophitia 「蹴り方によっては道路に出ることを予想できた」のは、ボールを蹴った本人じゃなくて、そんな環境下で蹴ることを許した学校側の責任でしょ。その辺りを取り違ったおバカな判決。絶対控訴すべき! 2011/06/28
いや、本人だろ。なんで本人が予想できないと思うんだ?
また馬鹿か。
これはその通りで、結構な人が東電から賠償もらえるんだよ。東電のせいで倒産とか自殺とか、ちゃんと賠償請求できるってことをアナウンスしてたらもっと減ってるはず。
daisuk-com *その他, 裁判 どう考えてもこれはひどい。施設管理の学校じゃなくて子供側を訴えたのかわからん。 2011/06/2812 clicks
suzuki_kuzilla 東京電力が原発放置したせいで就職活動が長引き巨額の交通費支払いと長期にわたって授業を受けられないという損害を受けました。って訴訟する? / asahi.com(朝日新聞社):サッカーボール避け転倒死亡 蹴った少年の親 2011/06/28
これはちょっと無理筋かも、と思う。
snowdrop386 司法 おかしな判決だ。事故と死因の相当因果関係がなく、さらに学校管理下での行為によるものなのに保護責任を親と安易に決めている点が特におかしい。 2011/06/28
いや、保護責任じゃなくて714だから親なんだろ。子どもの居場所ごとに714の主体が変わるとでも?
Marin_MTB 事故, 裁判, これはひどい これ認めちゃダメでしょう。校外にボールが飛び出さないような校庭をつくるしかないじゃん。 2011/06/2811 clicks
程度問題ではあるが、そういう校庭が普通だろ。ゴールの方向に出口があるわけじゃなければ、出口方向に転がったボールは大して勢いは無く、外に出る前に走って追いつく。
NOV1975 司法 これは検察と弁護側とどっちの質が悪いの?司法と併せて三冠王か? 2011/06/2868 clicks
hk2mr_hu 社会 サッカーボールを避け転倒→足を骨折→認知症になる→食べ物を気管につまらせ死亡。これでどうして死亡責任まで問われるかが理解できない。しかも問われるとしたら少年の責任ではなく、学校の管理責任だろう。 2011/06/28
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http://real-japan.org/2011/04/15/421/
読んだけど、「ごめんなさい」以外のあらゆる内容が出鱈目で吐き気を通り越して気持ちよくなった。
つまるところあのオバサン、状況何一つ理解しないまましゃべってて、しかもいまだに状況何一つ分かってないのね。
ところが、いま批判されているような東京電力による情報開示の遅れ、政府の指揮命令系統の混乱などは、有事であるにも関わらず、平時の「法令遵守」にこだわった結果として発生した人災です。このような、マネジメント上のリスクの顕在化が今回の事故の深刻化長期化を招いていることは否めません。
統合対策本部が設けられてからの情報公開はレベルが高い。東電から上がった生データはほぼリアルタイムに公開されているし、官邸が乗り込んでからは(従来の原発行政からは驚くべきことだが)隠していたデータが後からばれたケースは無い。公開情報の内容は妥当であるし計測そのものが困難であるケースはそのことをきちんと言っている。指揮系統だって原発に関しては官邸が指揮権を握ってしまっている。平時の法令なんてあってなきがごとしだ。良し悪しはともかく平時のお役所らしい対応はなりを潜め、良し悪しはともかくほとんど蛮勇に近い対応が行われている。
燃料溶融の危険性については3/11の時点で報告が上がっており首相官邸サイトにて3/12の時点で公表されている。勝間が勇猛果敢に朝生でポジトークしてた2週間前に公表されていた内容を勝間が知らなかっただけだ。
水素爆発のリスクはちょっと原発事故の話をペーパーバック1冊程度にも知っていれば誰でも知っている。首相も東電に乗り込んだ際に水素爆発は大丈夫なのかと怒鳴ったそうなので菅直人ですら知っているのだ。勝間が知らなかっただけ。
いまだにこれを言っている馬鹿がいることに驚く。3/12の時点で(略
産経ですら訂正済の情報がいまだにアップデートされない情弱評論家勝間和代
これは確かに遅れた。ドイツ気象庁のアレのように馬鹿に見せるとかえって混乱するという問題もあるが、もっと早く上手く(マスコミに面白おかしく加工されないよう)公表していれば避難区域は十分根拠のあるものだと分かり多少混乱も緩和出来たかもしれない。
もっともこれによって対応が早くなったり遅くなったりすることはないのだが。一体勝間はこの情報が対応をどう左右させたと思っているのだろう。
これも各医療機関や医学界などと協力して適切に開示されている。勝間がそれを知っているかどうかは別だが。
まあ健康問題に関して言えば勝間が朝生で怪気炎を上げていた内容が今でも(アホなマスコミが煽っているのに比べると)まあまあ正しい。
上記のことは、国会質問およびマスコミ等の追求により明らかになってきましたが、本来は政府が主導で情報開示をすべきことだったでしょう。
国会質問およびマスコミ等の追及により明らかになった事実なんぞこれっぽっちもないのだが。つーか具体的に何かあったか?
ばっさりカット。首を切るというのが(もちろん必要ではあるのだが)「解決案」として提案されるところが実に日本的で素晴らしい。本質的なところで馬鹿であることが良く分かる。
具体案の部分では電源供給を保ちつつ軽水炉から他の電源に移行するプランが一切示されていないどころか、現実問題として明らかにこのままずるずると老朽化した軽水炉を使い続ける羽目になる展開しか予想できない内容で、今後事故をなんとかするための提案としては0点。自動車事故が多いので自動車を全面禁止してみんな超能力を身に着けて空を飛ぶべきと提言する評論家(笑)
核燃料廃棄コスト、補助金投入まで含めた維持、管理コスト 以下のように明記してあるため、加筆修正の必要なし。 税金・補助金関係は、詳しくは「資源・エネルギー関連予算案の概要」「電気事業と税金 2010」を参照。 5.9円/kWh程度と、低コスト。これは廃棄費用(原子力発電施設解体引当金総見積額と原子燃料サイクル・コスト)も計算に入れている。 現在は原発は補助金に頼っていない。原子力関連の補助金は1,816億円で、電力会社が払っている電源開発促進税は3,292億円。
だが、以下のように、増田の「論理的」主張を完全に否定する見解が研究者から示されている。
ゆとり脳は、どっちなんだろう。
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110403ddlk26040355000c.html
東日本大震災で発生した東京電力福島第1原発の事故。放射性物質の流出や拡散は多方面に巨額の経済的被害をもたらし、他の電力会社も含めて安全対策の大幅な見直しを迫られている。事故前からエネルギーの費用計算で原発政策の問題点を指摘し、昨秋に原子力委員会で識者として提言した大島堅一・立命館大国際関係学部教授(経済学)に原発に関する問題点などを聞いた。 【聞き手・太田裕之】
◆原発では、(1)発電に直接要する費用(燃料費、減価償却費、保守費など)の他に、(2)原発に特有の「バックエンド費用」(使用済み燃料再処理費、放射性廃棄物処分費、廃炉費)(3)国からの資金投入(開発・立地のための財政支出)(4)事故に伴う被害と被害補償費--を考える必要がある。
(1)(2)は料金原価に算入されており、この合計を発電単価とする。電力9社が公表している有価証券報告書総覧のデータ(1970~2007年度の合計)を経済産業省の料金算定規則に基づき電源別に推計すると、1キロワット時当たり、火力9・80円▽原子力8・64円▽水力7・08円だった。
ここで注意が必要なのは、原発は出力調整が出来ないため、需要の少ない深夜電力で水をポンプで上げて貯水し、昼間に発電する「揚水発電」をしている点だ。原発のコストは「原子力+揚水」で見なければいけない。水力のうち、揚水は51・87円、一般水力は3・88円。「原子力+揚水」は10・13円となり、火力を上回り最高額となる。
--(3)の財政支出はどうなってるのか?
国家財政からの資金投入は、一般会計と電源特会から行われている。電源別に計上された財政資料は存在しないため、「国の予算」を基に可能な限り再集計した。1970~2007年度の合計で見ると、95%が原子力に費やされていた。火力の106倍、水力の27倍だ。
そして、(1)(2)に(3)を加えた「総単価」を電源別にみると、原子力10・68円▽火力9・90円▽水力7・26円。一般水力3・98円、揚水53・14円で、「原子力+揚水」は12・23円に跳ね上がる。原発は安価ではないどころか、国民にとっては最も割高であることが明らかになった。
原発の最大の課題は放射性廃棄物の処理・処分を含む発電後の放射性物質の扱いだ。使用済み燃料の再処理を含む核燃料サイクル事業、放射性廃棄物の処理・輸送・処分、原子炉の廃止措置など(2)の「バックエンド費用」は04年の政府審議会報告書で総額18・8兆円とされた。前述の単価計算でも含んでいる。
ここで問題なのは、劣化ウラン、減損ウランは高速増殖炉で利用できるとして廃棄物に分類されていないことだ。だが、高速増殖炉の見通しが立たない現状では廃棄物として加わる恐れがある。また、使用済みのMOX燃料(ウランとプルトニウムを混ぜた混合酸化物燃料)の再処理または処分の費用も含まれていない。さらに再処理費(11兆円)に算入されたのは使用済み燃料の半分しか対応しない六ケ所再処理工場だけで、単純に考えて全量では倍額になる。高速増殖炉サイクルに関する事業も含まれていない。
そして、これらの事業は世界でも大規模な実施例がない。高レベル放射性廃棄物とTRU(長半減期低発熱放射性)廃棄物は処分地が未定だ。不確実な再処理工場の稼働率も考慮すると、現在のバックエンド費用の見積もりは過小評価ではないか。海外の再処理工場の実績稼働率は07年で仏56%、英4%。政府が想定する100%は不可能で、実際には数倍に膨れ上がる恐れがある。
--こうした指摘に対し、反応はどうか。
これらの調査・分析の結果は講演会などで報告し、昨年3月に東洋経済新報社から出版した。昨年9月には原子力委員会が原子力政策大綱を見直すかどうかの検討で識者として意見を述べた。その場でも疑問や反論があれば議論して正確にしたいと要望したが、特に大きな反論はない。公表データに基づいているので、反論しようがないのではないか。
996 :名無しさん@十一周年:2011/03/17(木) 06:09:26.21 ID:uaodDNNS0
どうやらようやく流れが変わったみたいなので地震発生後の菅政権の裏側を暴露する。
地震発生当初、菅政権は地震被害を決して甘くは見ていなかったが実態よりは過小評価していた。
むしろ被災地支援活動によって支持率をアップさせる絶好の機会と見なして喜んでいた。
菅首相周辺は被災地支援の手柄を独占することを画策して、菅・枝野を中心にレンホーと辻元を広告塔にして
小沢派・野党・自治体首長らを除外して菅首相周辺だけで固めた布陣で支援活動を仕切る方針を早期に固めた。
ところが震災の規模が予想以上に大きかったことや、電力不足問題、福島第一原発問題などの発生で
あっという間に菅政権は機能不全に陥り、他からの協力を拒絶する方針であったため、救援活動はガタガタになってしまった。
電力不足問題と原発問題の対処も東電に丸投げになってしまったが、人気取りのために東電の邪魔だけはしっかりした。
官邸の機能不全で救援活動が暗礁に乗り上げて餓死者も出る寸前となったことで
さすがにマズいと思った自民党と首長連合が連携して独自の動きを始め、自衛隊経由で在日米軍も動かして
半ばクーデターのような状態で独自の被災者救援活動、および原発問題の処理を開始した。今この段階。
仙台って地図見ればわかるとおり、宮城県の端から端、奥羽山脈から太平洋までまたがってるんだよね。
うちの両親も仙台に住んでいるのだけど、やっぱり無事だった。水も止まってないようで、電気さえ復旧すれば大丈夫らしい。
今回クリティカルな被害は仙台、宮城県に限らず、東北から関東の海沿いすべてであって、宮城県だの仙台だのという枠組みで見ると危機感の違いを覚えることになると思う。
逆に言えば、「あれですら地方によってはそれなりに大丈夫」っていう事実が浮かび上がるのだけど、これを書くと「やっぱり日本すごい論」に結びかねないので黙ってようと思ったが、そうでもしないと「ただの過小評価」につながりかねないからこっちも意見表明しておく。大丈夫なとこも大丈夫だけど、津波映像に直面するような危機感は持ってないよ、概ね一次被害が主要因だよ、ということ。仙台駅まで津波来てないもんね。
弱小一般市民がいわれのない中傷を受けて実生活に大きな影響が出る場合は、法による救済を受けるというのは当然。
でも文筆業の方々がその手段をすぐ使っちゃうってのはなんかモニョる。
あくまで一般論だが名誉毀損罪の保護法益である外部的名誉というのは、被害者の言い値で決まる部分もある。
そして現行の運用下では知っての通り警察は無礼状で発信者情報をゲットできる。
つまり被害者が「名誉を毀損された」と警察に駆け込めば、その内容はさして吟味されることなく警察は易々と発信者情報をゲットする。
裏を返せば、いけすかない奴のちょっとした言葉尻を捕らえて陥れる手段に出来なくもない。
(その場合は逆に虚偽告訴罪で捕まるかも知れないが。専門家じゃないんでよく分からん)
逮捕、勾留手続きで令状審査はあるけど、警察が介入するっていうだけで結構な心理的プレッシャーにはなる。
それは警察や事業者の問題であって被害者の問題ではないが、事例が増えれば現行の運用が既成事実化されてしまう。
そうなると文筆業の方、とりわけ批評家の方々なんかは必要以上に言葉尻に気をつけるようになる。
場合によってはやめる必要のない発表をやめたり。
都条例もビックリな、ものすっごい萎縮効果が発生する恐れがあるわけで。
文筆業の方々が気安く警察に駆け込むことで訴訟リスクは吊り上がり、
それに警察頼みというのは、失礼ながらご自身の筆力を過小評価していないか?
筆一本で生きている皆さんには、不当な表現にはまずは表現行為で対抗して欲しい。
理不尽なのは百も承知だが、文筆家の社会的責任ってことで耐えてもらうってのは望み過ぎか?
逆に易々と警察の介入を受け容れるような表現はマジでやめて欲しい。
訴訟リスクを一番吊り上げているのはああいう考えなしの表現をする人達。みんな迷惑。
わざとだとしたら本当に性質が悪い。