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はてなキーワード: 戸別訪問とは

2011-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20111220162820

同性愛ほど答えにくいことじゃないにしろ、いきなり訪ねてきた見知らぬ人相手に答えたいことではないし

どういう条件で戸別訪問を行ったのか気になる。

同性愛者が共同生活をしている家に訪問したのなら、そのパートナーの手前「同性との性的接触の経験」にNOと答えることも憚られるだろうし、夫婦が住む家庭に訪問したのなら、妻の手前「過去1年間に売買春経験した」にYESとは答えづらいだろうから同性愛者に対する質問よりも実際の数値とかけ離れている可能性がある。

http://anond.hatelabo.jp/20111220130732

13.6%って数値が出た調査って戸別訪問の面前自記式だからなぁ。

同じ方法で行われた同性愛の調査では、当の調査機関自体が、答えにくい事柄だから

実際は回答数の3~5倍くらいの割合でいるんじゃないか、なんて言ってるくらいだし

同性愛ほど答えにくいことじゃないにしろ、いきなり訪ねてきた見知らぬ人相手に答えたいことではないし

実際は倍以上いても全然不思議じゃない。

http://anond.hatelabo.jp/20111220122157

戸別訪問というアンケートの取り方に疑問があるのと、母数の中に未就業者が含まれている点を考えると、実際の数値としての%にはあまり信頼性がないと思う。

(ただし、国際比較としては意味がある。日本人男性で女を買う人の割合はアメリカ人男性の約45倍、というのはたぶんそうなんだろう。)

しかも、その数字にしても「1年以内の風俗利用」の割合なので、「今までに風俗を利用したことがあるか」という質問なら、数字もっと高くなるはず。

2010-04-04

そういや浅尾慶一郎がウチに来たことがあったよ。

10年、いやもっと前の話だけどな。


日曜の朝、まだ寝てたんだが親に起こされ、お前に客だ、と。

寝てるからといって断るのもアレだからちゃんと応対しろ、と。


寝ぐせついたまんまで玄関に出たら、こざっぱりした格好の男が一人。

ああ、近所の選挙ポスターに映ってた人だ。浅尾慶一郎

当時もう国会議員だったかな?まだ県議会だったかな?よく覚えてないけど。


どうやら学校卒業名簿をたどって後輩を訪ねてまわっていたようだ。

先輩らしいという話は聞いていたけどさ。


こっちは寝ぼけてたんでよく覚えてないんだが、

「こりゃこりゃどうもわざわざ」とかなんとか応対したんだと思う。


とりあえず政治家だから握手しとくかと思って握手しといた。俺はまだ目が覚めてなかった。


で、次の瞬間、「こちらのカベ(家の塀)にポスター選挙のやつ)はらせていただいてよろしいですか」と。


0.1秒後に「ふざけんな」と思い、0.2秒後に「いやぁ、それはご勘弁を」と言った覚えがある。

実はここのところだけは異様に鮮明に覚えてる。

浅尾氏はあっさり引き下がって去っていった。


その後俺は時計が10時を指してるのを見て顔洗って水を一杯飲んだところでようやく完全に目が覚めて、こう思った。


「なにしにきたんだ今のは」


いや、分かるよ、政治家なんて握手した人数がナンボ、貼ったポスターの数でナンボだ。

それが仕事だ。ましてや当時の浅尾氏みたいな若手であればなおさらそれが仕事だろう。


俺が寝起きで判断力が鈍いのを見越してすかさずポスターを貼る許可を求めたのか?

自分が何者で何しに来て、俺が誰でどんな考えの人かどうか少し話でもしてから最後の最後にポスターを貼る許可を求めよう、とか思わないのか?

ただ機械的に「ポスター貼らせてください」っていうだけだったらポストにチラシ入れに来るバイトにやらせろよ。


政治家戸別訪問は禁止?

おいおい、マジで実弾配ってるド田舎選挙のなごりから発生したそんなくだらない法律なんてどうでもよかろうよ。

学校卒業生政治家になって後輩に支援を求めに来て何が悪い


政治家有権者に支持を求めるんなら、まずそういう「話」をしろよ。相手が寝起きの寝ぼけ眼でもどうにかする程度の営業トークのテクくらい持てよ。政治家はしゃべってなんぼだろ。

選挙期間中でももちろんなく、秘書運動員を引き連れてじゃなく、日曜日に一人でウロウロしてただけだったなら、時間たっぷりあったはずだ。


俺としては、当時から自民党のやり方はアレだと思っていたし、そこへ民主の若手の議員さんが突然の逆OB訪問

政治家の一人や二人くらい仲良くなっておくのも悪くはなかろうという大人の腹黒さだけでなく、本気で「日本の政治ってどうなのよ」って話をその道のプロ目指してる若手とまじめにやるというのはアリだろう。

きっかけは母校のよしみでもなんでもいいんだから。


少し待ってくれればあがってもらって俺が顔洗って着替える間にコーヒーくらい出したのに。

いずれにせよ当時の家の壁にポスターはちょっとカンベンだったろうけど、

そこから10年、支持や支援の仕方も違ったろうに。(政治家への支援の仕方なんてよくわからんけどさ)


トーストコーヒーで朝飯を食いながら、そんなことを思ったのをまじでよく覚えている。

まあ俺も寝起きで無愛想なのも悪かったけどさ。日曜の朝なんだからしょうがないだろ。


それからニュース新聞で「浅尾」の名を見ると、読み飛ばすんではなくむしろちょっと真剣度をあげて読んだりするようにしてたんだが、やっぱり、なんか、ズレてる気がした。言うことなすこと。


そしてさっきこんなトゥギャッターを見かけた。


Togetter - まとめ「浅尾慶一郎は終わっている」

http://togetter.com/li/12403

Togetter - まとめ「みんなの党 あさお慶一郎 大炎上!!!

http://togetter.com/li/12287


うん、やっぱりなんか、ズレてるよ、アノ人。俺のあのとき以来の感覚は間違ってなかったんだと思う。

機械的にこなせばいいコト、そうじゃなく力をいれるべきポイント

そういうのの分けが、なんか、ズレてる人だ。

2009-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20090812214346

カルトじゃない宗教なんて、無用の長物だろ。

それだけ、社会的影響力がないってことなんだから。


キリスト教仏教イスラム教も、創始者の頃はより過激なカルトなわけで。

カルトってだけで「駄目」とは、簡単にいえないはず。

そこで思考停止してるようでは、カルト信者に「思考停止」なんてレッテル貼る思考停止な輩とどう違うの?


反社会的カルトとそうでないカルトとでは、社会との折り合い方で区別ができるだろ。

創価は拡大期には非妥協的だったけど、少なくとも現在では社会と折り合っているし、そういう努力を見せるようになってる。

他にフランスセクトと目されてる宗教団体も、概ね平穏に社会と共存してるんだし。

霊感商法や無作為の戸別訪問はどうかと思うけど。

2008-10-08

元友人であった創価学会員があまりにも怖すぎる件について

事の発端は半年ほど前にさかのぼる

当時、私は非常に精神を病んでおり、助けを求めていた。そんなとき、友人(以下A)に相談を持ちかけた。彼が自分自身が創価学会員であることを私に告げたのはそのときである。彼は自分の将来像が描けず悩んでいた私に向かって「僕は創価学会信条に従っているから迷いがない」とか言いだした。すごく見下されている気分がして、私は彼に猛烈な嫌悪感を覚えた。しかし、それまで彼とは親しかったし、彼の話から学ぶ点も多かった(それらの話はおそらくほとんどが創価学会信条から来たものであるのだろうが)。この一件以降、私は彼に対し距離を置き始める。

1時間にもわたる演説と不可解な電話

夏休みも終わりに差し掛かかった9月のある日、私はAの部屋へ赴いた。自分の将来像を描くきっかけを見つけるため、彼がどういう将来設計プランを描いているか聞いてみたかったからだ。彼はこの申し出を快く受けてくれた。部屋に通されコーヒーを頂き、ゲームや将来設計について数時間語り合った。

楽しい会話の途中で、彼は突然「民主党っておかしいよね」と言い出した。この台詞は半年前彼が自分自身が創価学会員だと言ったその日にも耳にしていた。彼が民主党執拗に嫌っていたのは、公明党を支持しているからだった。それから、彼は私に近い衆議院総選挙公明党に入れるよう求めてきた。「一応考えてはおくけど」とお茶を濁そうとしたら、彼は公明党パンフレットを渡し、公明党の政策をものすごい勢いでアピールし始めた。また、彼と同じ学会員である家を訪問し公明党に入れるようアピールしたら二度と口を利いてもらえなくなったという苦労話まで私に話し始めた(ちなみに、選挙運動における戸別訪問は禁止されている)。

それから、1時間にもわたる演説が始まった。池田大作SGI会長がいかにすばらしいかとか、矢野絢也創価学会公明党裏切り者であることとか、宗教家としてすばらしい人物が議員になっているから公明党員はえらいんだとか、創価学会大企業のお偉いさん方に広めたいから公認会計士になりたいんだとか(将来設計を聞きに言った自分としてはこの発言に超絶望した)、学会員としての活動はしんどいけど楽しいんだとか、延々と1時間、聞きたくもないのにしゃべられた。すごく疲れたと同時に、「もうダメポ」という言葉が頭をよぎった。

それと、私が彼の家を訪問中、彼の携帯電話に二回ほど電話がかかってきた。彼は部屋を後にすることもなく、私のすぐ近くで電話をしていた(同じような光景は半年前の出来事の際にも遭遇している)。会話内容はよくわからなかったが、どことなく私のことを話している印象があった。電話の後、謝る気配も見せず会話を元に戻そうとする彼の態度から見ても、すごく違和感を感じた。

もう二度と彼と長話はしないと誓った。

本当にあった創価学会員の怖い話

ある日、大学の友人(以下B)がふと創価学会の悪口っぽい話をしていた(公明党の演説では学会員サクラになっているとか、身内で創価学会員にひどい態度をとられた人がいるとか)。その人は創価学会について詳しくないらしく、話の内容も憶測の域を出ないものだった。まぁ、私も聖教新聞の内容には違和感を感じたこともあったし、ある程度彼に話を合わせた。

その日の放課後、Aともう一人の友人とで話をしていたら、Aはいきなりこう言ってきた。「君と話していた人誰?創価学会について悪口言ってなかった?憶測だけで悪口を言うのはよくないよ。今度も言ってたら注意しておくよ。」

創価KOEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!!!!!!!!!!!

後日談あとがき

Bから今日聞いた話、Aは授業の際よくBの隣に座ろうとするらしい。ちなみに、この前Aと話している途中にBに話をふったら、Aはものすごく不機嫌そうになった。創価のことしか考えられないこいつ、もうダメポ。

Aは「創価学会について何も知らずに批判している人たちは間違っている」と主張して、政教分離による公明党へのバッシングも批判していた。ただ、Aみたいなぶっちゃけキモイ信者創価学会の印象を悪くしているんだということについて、彼自身は気づいていないのだろうか?いろいろな意味ダメポ。もうAとはまともに会話できないかもね。

どうでもいいけど

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4209922

この動画面白かった。

2008-09-02

公明党創価学会基礎知識2008

日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。



1ページ目 【創価学会の成立と発展】

創価学会の成立と迫害

創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。

しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在日蓮正宗創価学会関係はありません)。

そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。

戦時中宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神指導者として処刑されてしまうわけです。

いずれにせよ、政治実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。

このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。

創価学会の発展

戦後民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会ナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。

戸田は敗戦後学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。

折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世折伏」を実行するよう呼び掛けます。

とほうもないように見えた計画でしたが、戸田1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。

強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本人口構造の転換に求めることができます。

農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。

そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。

学会の国政進出はじまる

こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長戸田はまず1955年統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。

これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。



2ページ目 【公明党の結党と田中派への接近】

社会的地位向上を狙った国政進出?

1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。

折しも創価学会は特に左翼革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会学会員社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。

いろいろ言われているように、戸田国立戒壇、要するに僧侶日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。

公明党誕生池田会長の就任

しかし戸田学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。

この間、会長池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。

この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さ頭角を現わすことになったのです。池田会長就任は実に32歳の時です。

そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。

こうして創価学会公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。

言論弾圧事件」と自民への接近

公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。

しかし1969年公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。

このとき活躍したのが、当時自民党幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。

自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。

さて、田中角栄は地方への「利益誘導政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。

もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派公明党学会関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。

また1972年には、竹入義勝・公明党委員長首相となった田中の依頼を受けて訪中田中訪中日中国交正常化の地ならしを行っています。

学会公明党の「政教分離

さて、「事件」でバッシングされた公明党創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙議席を半数近くまで落とします。

もちろん公明党創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。

また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。

学会共産党支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中ファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家松本清張で、彼は池田宮本顕治共産党委員長を引き合わせ、この学会共産党の「同盟」を実現させたのでした。

もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党学会なしには存在し得なかったからかもしれません。

また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。

結局、これで公明党イメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。

結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党顧問弁護士宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。



3ページ目 【自公連立への道と創価学会

公明党与党

新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。

1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。

1992 年、公明党民社党社会党議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。

また1980年代から地方議会でも公明党都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。

公明党与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄逮捕される国会議員も出てしまったといえます。

もっともこの不祥事には創価学会学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党国会勢力は1989年参院選では前回比1議席減、1990年衆院選では11議席減となっています。

公明党の連立参加と「新進党参加」

1993 年、総選挙自民党過半数割れすると、公明党は非自民・非共産連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。

その後、公明党小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員参議院議員1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。

結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。

その後、旧公明党衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在公明党誕生することになります。

公明党誕生自公連立

新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。

こうして小渕内閣(小渕首相田中派を源流)のとき、公明党自民党と本格的に連携地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上自公連立政権スタートすることになります。

そんななかで小泉政権が発足。公明党小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。

しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。

また先のページで述べた「地方:自民都心公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。

これからの創価学会公明党

微妙になりはじめた自公連立公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。

この間、創価学会会長だった池田1979年日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在会長原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌新聞などをみても明らかです。

政教分離」をした今、創価学会公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員公明党公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。

ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会壮年部長読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。

公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会公明党なしでもやっていけるが、公明党創価学会なしにはやっていけないわけですから。

さて2008年池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。

いずれにせよ現在創価学会組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。

人名について一部敬称略とさせていただきました。


参考書籍サイト

SOKAnet:創価学会公式ホームページ http://www.sokanet.jp/sg/sn/index.html

2007-08-28

国民年金未納差し押さえ1万人超 06年前年度の4倍に激増

 国民年金保険料の未納者に対する預貯金などの財産差し押さえが、二〇〇六年度に過去最高の一万一千九百十人にのぼることを社会保険庁二十三日に発表しました。

 〇五年度の三千四十八人から約四倍に激増。財産差し押さえられた人は、〇三年度二十一人、〇四年度百二十五人とここ数年で大幅に増加しています。

 差し押さえの対象は、十三カ月以上の未納があり、控除後所得が年二百万円以上(単身世帯の場合年収二百八十万円程度)の人で、電話戸別訪問などの納付督励に応じなかった人としています。

 社保庁が未納者に対し強制徴収の手続きに入ることを告げる最終催告を送ったのは約三十一万人。〇五年度の約十七万人の二倍程度となっています。差し押さえの督促件数は約十二万件(〇五年度約三万七千件)でした。

 これらを受け、十万二千三百三十五人が未納分を納付しました。

 厳しい取り立てをする一方、〇六年度の納付率は66・3%で、目標の74・5%に及ばず、〇五年度納付率67・1%よりも低くなっています。財産差し押さえなどの強制徴収をしても、未納が改善していない実態が浮き彫りになりました。

 社会保険庁は〇七年度の納付率の目標を80%とし、強制徴収の強化を社会保険事務所などに求めています。

 所得に関係なく月額一万四千百円という国民年金保険料や二十五年以上納めないと一円も受給できない厳しい条件などには目を向けず、「納付率アップ」のために、払えない人の財産差し押さえるやり方は矛盾を広げるだけです。

2007-06-20

オレ(エホバの証人)がとりあえず応える(1)

http://anond.hatelabo.jp/20070620001103 を書いた者です。

エホバの証人が応えるんじゃなくて、あくまでもオレが応えるということでお願いします。

まずは http://anond.hatelabo.jp/20070620002148 から

小冊子の内容が絵的にも写真的にも文章的にも非常にむちゃくちゃアメリカナイズされていて笑える点について

あー、あるかもしれないなあ。エホ証内では男性信者("兄弟"と呼ばれる)は色んな役割("特権"と呼ぶww)を与えられるんだけど、オレも集会で協会の出版物を朗読する当番が当ったりするのね。で、時々、翻訳調の面白い言い回しがあって笑いそうになったりする。というのも、協会の出版物はアメリカの世界本部にいる偉い人(皆平等という建前ではあるけど)が書いてるはずなので、どうしてもアメリカ視点が入るんだと思う。挿絵とかの人種に関しては、最近のはアジア系もきちんと書かれてる気がしますけどね。写真は確かに黄色人種少ないかも。書いてて思い出したけど、何年か前の地域大会(一年で一番規模の大きいコンベンション)の主題が「神の命の道」から「神の生き方」に変わったことがあったんだけど、これは"God's way of life"の訳し間違いだったらしい。アメリカ主導なんやなって思ったのを思い出した。

キリスト教義がイスラム教義と同根でありながらいがみ合っている点について

工業系の高専しか出てないのであまり知識はないんだけど、イスラムってイエスメシアと認めてないんでしたっけ、その辺気になるんじゃないっすか、"キリスト"教としては。というか、同根だけどいがみ合うものなんていくらでもあると思います。元祖・本家の争いとか。キリスト教イスラム教 の対立じゃなくて キリスト教徒イスラム教徒の対立なんじゃないっすか? 人ですよ人。

・教義も知識であり、経済知識も知識である点について(勉強して、他人を受け入れる素地さえあれば経済系につよい弁護士フィナンシャルプランナーに相談すればよかったのでは?)

確か借金に関しては弁護士に相談してたはず。そっちにもっと感銘を受けてたら今頃司法試験に受かってたかもしれないですね。でもそれは「たられば」だし今結果として自分の状況があるわけだからそれを否定する気にはなれないなあ。

お金を持っている人ほど他人に寛容、他人を信用するという話がある、その良循環に外から飛び込むツールとしては宗教はよくできているが、政党という形になって(特にアメリカで)科学的、論理的な事柄に対して圧力を加えるのがマイナスである。もっといいとこ取りすればいいんジャマイカ。たとえば、奥さんも子供さんも神権うんぬん以外の実用になる資格を取るつもりはないのか。TOEIC800点とか、それだけアメリカの時事に詳しければとりやすいぞ。

ふむ、宗教一般としての話ですか。宗教政治に圧力を加えるのはどうかという事なんだろうけど、宗教以外の圧力団体はどうなんでしょう。アメリカだと、ライフル協会でしたっけ? その辺とか。圧力をかける根拠が宗教上の信条より金儲けしたいという気持ちの方が理解しやすいって事なんですかね。そのどっちがいいのかはよくわかりません。あと、読み違えられたのはこっちも悪いんだけど、オレは結婚してないし、開拓してるのはオレの母とオレの妹です。それと、アメリカの時事に詳しいというのはどこから?

あと他の方からは、輸血、進化論戸別訪問といったところですか。眠いのでまた今度書きます。

2007-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20070416144710

戸別訪問だけはやめてくれたのむ

それなら街宣の方がいい

anond:20070416141233

選挙カー無くして、

戸別訪問を解禁に。

そして、訪問先でお金渡したら死刑

騒音は減るだろう。

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