「地方政治」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 地方政治とは

2011-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20111225021651

坑がってる割には、緊縮財政政策が今の日本の政策の主流なんだよな。



公共投資=悪、公務員=悪、公共サービス=(財政的に)悪

がしっかり国民潜在意識根付いたおかげで、積極的に公共投資を行う地方政治家は、抵抗勢力として軒並み駆逐される仕組みが出来上がったわけだ。



こうなると民営化路線、公務員人件費削減、構造改革小さな政府)が

地方政治でも自動的に推奨される。

効率化の名のもとにお金の流れを国や行政で止め、

一部の財界(力のある者)にさらに力を与えるトリクルダウン理論を忠実に実行する。



結果、雫は一般国民には降らず、貧乏人がわんさか増えることに。



こんなのは本来は選挙で止められるはずなのに、

みんなして構造改革派の政治家に一票を投じている。最近だと大阪がいい例か。

みんなマゾヒズムなんだよね

2011-03-29

政府災害救助や救援物資は、要請が来てから送出する。」

http://tokiy.jugem.jp/?eid=800

長い間平和が続いたせいか行政は、責任回避エキスパートばかりになってしまっているようである専業主婦年金未加入期間をどうするかという問題で、当時民主党の長妻大臣の意向に従って通達を出した課長が、予算措置が必要な事を通達勝手にやったとして詰め腹を切らされたのが、効いたというのもある。民主党大臣責任を取ると言っても誰も信じないし、法や規則で決まった事しかやらないし、それも、可能な限りやらずに済まそうとなってしまっている。法や規則で決まっている事でも、好ましくない結果がでれば詰め腹を切らされると、誰もが理解している状態なのである

災害現場において行政機構が機能していない状態では、誰が要請を出すのか、そして、その要請の書式や届出先はどこで、それをどのように災害現場に伝えるのかという点で、要請が来てからというイベントドリブンでは役に立たないのだが災害現場行政機構崩壊しているのは現地の問題であって、それを受ける側の責任はないという、事勿れ主義が蔓延しているのである

要請が来てからというのは、自称被災者代表というのが現れて、物資や援護金の交付を求めても、詐欺と見なして、門前払いするという手法である

現場に、最低限の物資を持った人間を送り込んで、現地組織の立ち上げ、被災者の名簿作り、必要な物資の量と種類の確認まで行わせた上で、帰参報告させて、以後は現地組織代表から要請を受けて送出という状態になって、初めて、要請が来てから送出するという事務処理が回るようになるのだが、そのような手続きは、法にも規則にも定義されていないので、誰もやらないのである

事務処理を回すには、その為の根回しや組織作りが必要であり、この部分を誰も行わないというのが、今回の大震災における政府行政の行動から、明らかになった。正規の行政ルートが潰れた時には、政治レベルで、すなわち、町会から区議市議県議政党組織といった、地方政治の人脈で臨時の組織を立ち上げるというのが期待されていたのだが津波によって集落が丸ごと消滅するという規模の被害だと、そういった人脈自体が消滅してしまうので、被害にあわなかった地域から人を送り込んでオルガニゼーションをやらなければならなくなるのである

津波によって現地の行政組織政治人脈が崩壊している時に、要請が来ないから何もしませんと開きなおるような政府行政は、必要であろうか。平時においては税収に匹敵する人件費を食い潰し、緊急時においては責任回避エキスパートぶりを発揮して何もしない事を正当化するというのでは、養ってきた意味が無いし行政に携わる人々をそのような体質に変えてしまった政府民主党は、それ以上に害悪しかない。

2011-03-09

いま国会議員ってあくまでも地方の代表なんだと思うの

地方の代表が集まって作る「国会」ってなんか違和感あるんだよな

地方の代表で開かれる議会はあくまでの地方政治に留めるべきだと思った

んで、国の代表は比例代表だけでいいんじゃないのかなー

2010-02-18

http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20100215.htm

外国人選挙権導入は憲法違反する

長尾 一紘/中央大学法学部教授
専門分野 憲法学

 この度の原稿依頼をうけて、二つ返事で承知しました。民主党国会に提出しようとしている法案が憲法に明らかに違反するものであり、しかも日本安全保障に重大な害を与える危険な法案であるからです。

国政と地方政治の区別

 外国人地方選挙権の問題につきましては、学説はこれを認めてもよいとする見解(許容説)と、これを導入すれば憲法違反するとする見解(禁止説)があります。私はこの度この問題について論文を書いて、これまでとってきた許容説が誤りであることを認め、禁止説が正しいということを明らかにしようとしました。なぜ学説を変える必要があったのか。この点について述べることにしたいと思います。学説変更が個人的な心境の変化などではなく、日本の位置する国際環境の変化、そして日本人国家意識の欠如の認識にもとづくものであるからです。

 もともと、国政選挙は許されないが、地方選挙ならば許されるとの見解(許容説)は、国政と地方との切り離しが可能であることを前提としています。ところが、この数年の間にこの切り離しができないことが常態になっています。

在日の二重の選挙権

 まず日韓問題をみることにしましょう。昨年2月に韓国では選挙法が改正され、在日の方々は、日本にいながらにして大統領選挙、そして国会議員比例選挙投票権をもつようになりました。そして韓国内で居住申告をすれば、国会議員選挙区選挙投票権のみならず、地方選挙選挙権被選挙権ももちうることになりました。しかも、居住申告は、日本における住民登録をそのままにして行うことができます。永住資格を失うことなく居住申告ができるのです。現在居住申告者の数は6万人を超えるといわれております。このようなことは、在日の方々が韓国国民である以上喜ぶべきことであると思います。しかし、日本選挙についても選挙権をもつということになると、話はまったく別になります。在日の方々は、二重の選挙権をもち、日本一般国民よりも、より高い有利な地位に立つことになります。これよりも重要なことは、忠誠の問題です。

過ぎたるは及ばざるがごとし

 韓国政府は、選挙対策上も、日本に対して強い態度をとらざるをえないのが実情です。いずれ、対馬問題が日韓の重要外交問題に浮上するものと思われます。北方領土竹島尖閣諸島などの問題で、日本領土であることはまったく明白な事実であるにもかかわらず、常に後退を繰り返してきた歴代政府の失政のつけが回ってきました。ついでにいえば、対馬のつぎは、沖縄ではないかとの声も聴かれます。日韓問題に話を戻せば、対馬市有権者は、約3万人です。市議会議員最下位は685票です。外国人選挙権が導入されれば、対馬韓国領土だとする議員が数名は当選することになるでしょう。

 国際平和は、隙を作ることによって破綻します。友人を同居させ、家族会議にも同席させて発言権を認めるようなことをすれば、必ず友情は破綻します。相手方に無条件の譲歩を重ねることが友情の絆になるわけではありません。外国人選挙権は、自分ファミリー家族会議に友人の参加権、決定権を認めることに等しいということに留意する必要があります。

EUは参考にならない

 EU諸国の例はまったく参考になりません。ドイツの例をみることにしましょう。EUにおいて、構成国相互の地方選挙権保障が決定されたとき、ドイツ政府は大変困りました。外国人選挙権導入は、民主主義国民主権に反することから憲法違反するというのが通説の立場であり、また連邦憲法裁判所の立場でもあるからです。民主主義は、国民自己統治を要求します。国民主権は、国政の決定権は国民のみに属することを要求します。ドイツは、やむを得ずして憲法改正をしました。憲法改正後の現在でも、EU市民以外の外国人選挙権を与えることは、憲法違反するとされています。ちなみに、フランスも、憲法改正を必要としました。日本におきましても、憲法が改正されない以上、外国人地方選挙権を与えることは違憲であるとみるべきです(国政選挙権については、憲法改正そのものが不可とされております)。

外国人選挙権の問題は安保問題である

 外国人選挙権問題は、在日問題から、日中問題に重心を移しつつあります。中国人永住者は、現在、約14万人おります。1年間に約1万人づつ増加しております。在日韓国人との間で数が逆転するのは、単純計算でも17年後です。実際にはずっと近い将来に逆転するものと思われます。外国人選挙権が導入されると、対馬と同様の問題、さらにいえば比較にならないほどの深刻な問題が日中間に生じうることになります。日本最南端の与那国島でおこなわれた町長選挙では、自衛隊誘致が主な争点でしたが、当落の票差はわずか103票でした。沖ノ鳥島について、中国は岩礁にすぎず日本の領土とは認められないとしております。この島は小笠原村に属しますが、この前に行われた村長選挙では、得票は713票でした。外国人選挙権が与えられた場合、このような地方外国人が移住し、選挙を左右する事態が生じうることは容易に予測することができます。日中の間において友好関係を維持するためには、最低限度の距離をとる必要があります。過剰の優遇は、多くの場合友情を破壊するという結果をもたらします。家族会議メンバーに友人を加えるような愚は、さけなければなりません。いたずらに対立と緊張を高めるだけのことです。外国人選挙権法案は、日本の安全を危機にさらすだけでなく、国際平和を害することになります。

地方が国政を決定する

 いまや地方選挙の結果がそのまま国政を左右する事態になっています。沖縄名護市選挙では基地反対派の市長当選しましたが、鳩山総理は、この住民の意思を尊重する旨の発言をしております。日本安全保障の問題は、国政の根本問題です。国政の根本問題が自治体選挙の結果如何によって左右されるという事態は、原則的にあってはならないことです。1000名程度の住民が日本の国政の基本問題を決定するという事態は、議院内閣制本来の趣旨からも問題です。このような事態は、国家意識の欠如、防衛意識の欠如という特殊日本的な現象からきております。このような日本固有の特性は、近時ますます顕著になっているようです。他の国において明確に区別されうる国政固有の問題(軍事、外交、領土などの問題)と地方自治体レベルの問題が日本においてだけ区別されえない事態になっております。このような事情が続くかぎり、地方選挙への外国人参加は、結果的に国政そのものに外国人ないし外国重要な影響を及ぼすものとして、国家主権、国民主権、そして民主政治原理に反するものとされなければなりません。

外国人に対する公約

 ちなみに、外国人の背後に外国政府の意志が働いていることは決して珍しいことではありません。民団は、在日韓国人組織ですが、その運営費の6割から7割が韓国政府補助金によるものであることは周知のとおりです。したがって、民団選挙権要求は、韓国政府の要求でもあります。民主党民団に対する選挙権実現の公約は、外国政府への公約ということになります。いうまでもなく、公約は、通常の国では国民に対してのみおこなうものです。日本における国家意識の欠如は異常の事態に達しているといわねばなりません。民団がこれに対応して昨年の選挙において、組織をあげて民主党選挙運動に取り組んでおります。ちなみに、韓国では、外国人選挙運動に参加すれば懲役3年以下の犯罪として罰せられます。

 外国人選挙権については、数え切れないほどの問題点がありますが、スペースの都合もあり、在日問題、日中問題のみに絞りました。これだけでもいかに危険な法案かということがおわかりかと思います。

着々と反論の素材が集まりつつあるみたいだけど、はてなあたりにたむろしてる賛成派はどうすんの?

「どうせ小沢が強行するから反対しても無駄なのにな。プゲラ」とか言ってんの?

2010-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20100126113943

政治本質税金の使途である以上、狭義の金権政治がなくなっても利権性は失われない。

綱領として「在日同胞の権益を擁護する」民団政治に参加させれば、地方政治を動かす利権リストに「在日同胞の権益」が加わってくるだけだ。

2010-01-13

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100112-00000061-san-pol

外国人参政権法案 政府通常国会提出へ 反対根強く調整難航も

1月12日7時56分配信 産経新聞

 政府民主党は11日、永住外国人地方参政権選挙権)を付与する法案を政府提出法案(閣法)として18日召集の通常国会に提出し、成立を目指す方針を決めた。この法案には自民党を中心に反対・慎重論が根強く、地方議会を巻き込んで国論を二分する事態となる可能性もある。

 鳩山由紀夫首相民主党小沢一郎幹事長らは11日午前、首相官邸政府民主党首脳会議を開き方針を確認した。平野博文官房長官はすでに公職選挙法地方自治を所管する原口一博総務相参政権法案の検討着手を指示しており、今後、政府内の法案提出に向けた動きは加速しそうだ。

 民主党で検討されている法案は、地方自治体首長地方議員選挙権を、戦前から日本にいるか、またはその子孫の在日韓国朝鮮人らの「特別永住外国人」(42万人)に加え、その他の「一般永住外国人」(49万人)の成年者にも与える内容。ただ、「朝鮮」籍保持者には付与しない方針だという。

 地方参政権付与は、韓国在日大韓民国民団民団)が強く求めており社民党公明党共産党などが賛同。民主自民両党では賛否が割れている。また、国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は反対し、法案の閣議決定を認めないと明言している。地方でも、千葉石川熊本などの県議会が相次いで反対の意見書を可決しており、政府与党内の調整が難航し政権運営の火種となりかねない。

 ■国益反する恐れ、対策なく

 政府民主党が検討する永住外国人への地方参政権選挙権)付与法案は国民主権に反し、国益安全保障を損なう恐れがある。

 憲法15条第1項は参政権を「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする。地方参政権付与は国民主権の根幹をなす15条違反の疑いが強い。

 付与推進の動きは、平成7年2月28日の最高裁判決の「傍論」が、立法措置があれば地方選挙権付与は違憲でないとしたことで拍車がかかったが、「傍論」に法的拘束力がないことに目をつむっている。

 地方政治は国政と不可分だ。警察教育行政自衛隊米軍の行動にかかわる有事法制、周辺事態法でも自治体の関与、協力は欠かせない。重要な役割を担う首長地方議員政党外国人外国勢力の影響下に置かれ、国益安全保障に反する政治傾向を示すことへの防止策の議論もない。

 「外国人はわずかだから影響力はない」(推進派の民主党参院議員)との意見は間違いだ。仮に1票でも外国人票がキャスチングボートを握ることはある。日本住民票の異動も自由だ。基地問題にかかわる沖縄県名護市市長選のようなケースで、外国人票が結果を左右してもいいのだろうか。

 特別永住外国人だけでなく、一般永住外国人まで対象を広げたことも大きな問題をはらむ。

 中長期的に見れば、人口構成は移民政策の展開次第で大きく変動する。民主党自民党には労働力確保のための「1千万人移民」受け入れ論者がいる。日本経団連移民受け入れを唱えている。日本移民受け入れに転換すれば外国人の割合が急増したり、日本国民が少数派になる地域も出てくるだろう。

 相手国との相互主義も採らないため、一般永住外国人のうち、民主国家ではない中国国民日本永住権を持つ人も付与されるが、これで対象者は膨れ上がる。

 在日大韓民国民団の幹部は20年7月8日、民主党の会合で「(地方被選挙権も必要だ。ステップ・バイ・ステップで」と述べた。地方選挙権実現後はさらに被選挙権-と、要求がエスカレートする恐れもある。(榊原智)

亀井が唯一の頼みの綱か…。

2009-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20090920220559

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009092000094

外国人地方参政権に慎重=亀井

 国民新党代表の亀井静香金融・郵政改革担当相は20日、永住外国人への地方参政権付与について在日外国人の比率が非常に高い地域がある」と指摘した上で、「(そうした地域日本人から)自分たちの意思が地方政治に反映されないという心配、不満が出てきても困る面もある」と述べ、慎重な姿勢を示した。都内で記者団に語った。 

 民主党小沢一郎幹事長は19日、早ければ来年通常国会に関連法案を提出することに意欲を示している。亀井氏は「正式に民主党から提案があった話ではない。(提案があったら)党として議論していきたい」と語った。(2009/09/20-16:34)

まさにそれが目的で彼らは活動してるからな。そうやって日本人の声が通りにくい地域を作り、時間をかけて日本人を追い出し、日本の中に日本の司直が及ばないエリアを少しずつ増やしていく。この件は民主内の保守派亀井に期待するしかないんかね。まあ、その頃には完全に取り込まれてたりするかもしれんけど。

2009-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20090907221634

宗教団体だけでなく業界団体とか地方政治家も大きくシフトしたはず。民主の比例にそういうの何人かいるし。

2008-11-13

http://www.cnn.co.jp/world/CNN200811130009.html

>カブール(CNN)

>アフガニスタン南部カンダハルで12日午前8時頃、

>登校中の女学生の集団がバイクで接近してきた男2人に水鉄砲で酸をかけられ、

>少なくとも2人が失明した。軍報道官が明らかにした。


>米軍関係者アフガン軍の情報として語ったところによると、

>事件では女学生4人が負傷し、病院で手当てを受けた。うち2人は既に退院し、

>失明した残り2人は現在入院中。

>男2人は現場から逃走した。

>今のところ犯行声明は出ていないが、カタール衛星放送アルジャジーラは、

>イスラム原理主義勢力タリバーンの戦闘員による犯行の可能性を伝えた。

>カンダハル当局者は負傷者数を6人、うち1人が重傷と述べる一方、

>容疑者らを「教育の敵」と非難した。


>旧タリバーン政権時代(1996─2001年)には、女子の通学が禁止されていた。

>アルジャジーラによると、犯行に使用された酸は電池由来で、負傷者には姉妹も含まれていた。

>カンダハルでは女学生制服で判別できるという。


通学どころか教育すら禁じていただろうというニュースへのツッコミは別にして、

こんな機会でないと書けない思い出話。


アフガニスタン中部パルワン州で今月6日、民間ラジオ局女性ディレクターが殺害された事件に対し 、

>ローラ・ブッシュ大統領夫人は10日、犯行を非難する異例の声明を出した。

>殺されたのは、ラジオピースのザキア・ザキさん(35)。

>AP通信によると、アフガン警察はこの事件に 関連して、

>同日までにイスラム原理主義勢力タリバーン系の武装勢力関係者6人を逮捕した。

>ザキさんはラジオ局での仕事のほか、女子学校経営地方政治にも取り組んでいた。

アフガンでは今月1日にも、女性ニュースキャスター首都カブールの自宅で殺害されており、

>相次ぐ女性ジャーナリストへの攻撃に、国内外の報道関係者も危機感を募らせている。

>2007.06.11  Web posted at: 15:31 JST  - CNN


当時、某×××Aのアフガニスタン支部で働いていた知人が、語ってくれたこと。

実はこの時期、アフガニスタン教育問題への取り組みで、

何名かのアフガニスタン人を日本に招待する企画があった。

その招待リストの中に、当初はザキさんの名前もあったのだという。

ところが、日程直前になって、ザキさんの父親が×××A支部を訪ね、

娘の招待を取り消してくれと申し入れてきた。

その理由は「娘を日本にやったら、留守居の家族を殺すと脅迫を受けた」と言う。

どのような検討がされたか知らないが、結果として

ザキさんの名前リストから外された。

そして

…………

…………

…………

なるほど、家族は殺さなれはしなかった。



イスラム教って、カルト認定していいんじゃねーのと思う今日この頃

2008-09-02

公明党創価学会基礎知識2008

日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。



1ページ目 【創価学会の成立と発展】

創価学会の成立と迫害

創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。

しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在日蓮正宗創価学会関係はありません)。

そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。

戦時中宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神指導者として処刑されてしまうわけです。

いずれにせよ、政治実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。

このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。

創価学会の発展

戦後民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会ナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。

戸田は敗戦後学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。

折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世折伏」を実行するよう呼び掛けます。

とほうもないように見えた計画でしたが、戸田1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。

強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本人口構造の転換に求めることができます。

農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。

そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。

学会の国政進出はじまる

こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長戸田はまず1955年統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。

これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。



2ページ目 【公明党の結党と田中派への接近】

社会的地位向上を狙った国政進出?

1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。

折しも創価学会は特に左翼革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会学会員社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。

いろいろ言われているように、戸田国立戒壇、要するに僧侶日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。

公明党誕生池田会長の就任

しかし戸田学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。

この間、会長池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。

この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さ頭角を現わすことになったのです。池田会長就任は実に32歳の時です。

そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。

こうして創価学会公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。

言論弾圧事件」と自民への接近

公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。

しかし1969年公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。

このとき活躍したのが、当時自民党幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。

自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。

さて、田中角栄は地方への「利益誘導政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。

もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派公明党学会関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。

また1972年には、竹入義勝・公明党委員長首相となった田中の依頼を受けて訪中田中訪中日中国交正常化の地ならしを行っています。

学会公明党の「政教分離

さて、「事件」でバッシングされた公明党創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙議席を半数近くまで落とします。

もちろん公明党創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。

また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。

学会共産党支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中ファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家松本清張で、彼は池田宮本顕治共産党委員長を引き合わせ、この学会共産党の「同盟」を実現させたのでした。

もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党学会なしには存在し得なかったからかもしれません。

また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。

結局、これで公明党イメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。

結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党顧問弁護士宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。



3ページ目 【自公連立への道と創価学会

公明党与党

新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。

1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。

1992 年、公明党民社党社会党議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。

また1980年代から地方議会でも公明党都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。

公明党与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄逮捕される国会議員も出てしまったといえます。

もっともこの不祥事には創価学会学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党国会勢力は1989年参院選では前回比1議席減、1990年衆院選では11議席減となっています。

公明党の連立参加と「新進党参加」

1993 年、総選挙自民党過半数割れすると、公明党は非自民・非共産連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。

その後、公明党小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員参議院議員1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。

結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。

その後、旧公明党衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在公明党誕生することになります。

公明党誕生自公連立

新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。

こうして小渕内閣(小渕首相田中派を源流)のとき、公明党自民党と本格的に連携地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上自公連立政権スタートすることになります。

そんななかで小泉政権が発足。公明党小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。

しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。

また先のページで述べた「地方:自民都心公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。

これからの創価学会公明党

微妙になりはじめた自公連立公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。

この間、創価学会会長だった池田1979年日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在会長原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌新聞などをみても明らかです。

政教分離」をした今、創価学会公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員公明党公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。

ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会壮年部長読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。

公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会公明党なしでもやっていけるが、公明党創価学会なしにはやっていけないわけですから。

さて2008年池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。

いずれにせよ現在創価学会組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。

人名について一部敬称略とさせていただきました。


参考書籍サイト

SOKAnet:創価学会公式ホームページ http://www.sokanet.jp/sg/sn/index.html

2008-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20080531220950

下らねえ奴。

この世がその叔父とやら(どうせ作り話で架空の人物だろうが)みたいなクソ野郎ばっかりだったら今頃、自動車飛行機高層ビル存在しなかっただろうな。

貴様が「アニメとか漫画とかゲーム」の価値が分からないからといって「県議会議員」なんてほどほどのエスタブリッシュメント言葉を託してんじゃねえよ。

地方政治家のおっちゃん達だって決してそんな器の小さな奴らじゃねえ。貴様みたいな下衆野郎と違ってな。貴様の小さな脳みそに合わせて矮小化されては彼等もかわいそうだ。

2007-08-29

賭けゴルフをしていたあの人のこと

巷では、週刊新潮さくらパパ報道が話題になっている?ようですが、みなさん、おぼえていますか? えひめ丸事件(2001年2月10日)の時に、事件発生の報告を受けても森喜朗総理が賭けゴルフを続けていたことを。

当時、国民は森総理を強く批判していましたが、森喜朗総理は、議員辞職どころか、総理・総裁も辞職せず、謝罪さえもはっきりとせず、記者に向かって

 

「掛け金はチョコレート程度だ」

「あなた、ゴルフときチョコレート賭けない?」

と言っていました。

 

しかも国民世論の批判が大きくなり、問題が広がったとたん、記者に説明していた事実をひるがえし、「賭けていない」と言い出し、開き直る始末。

当時、国民はみんな森総理に呆れ、事件をきっかけに低かった支持率がさらに下がったのでした。

 

こんな税金セレブ安倍晋三内閣総理大臣の自称後見人とは笑わせます。

いや、こんな税金セレブだからこそ安倍晋三内閣総理大臣の後見人なのかもしれません。

 

事実を報告し、問題となる事実部分については最終的に謝罪し、党の処分を受け入れる横峰氏。対して自由民主党の最高指導者だった方は、賭けゴルフ開き直り、側近はこぞってかばいあう。

対応の違いは明白でしょう。

 

ちなみに、えひめ丸事件当時、森総理に緊急事態の連絡対応責任があったダメダメな副官房副長官の名前は安倍晋三氏。現内閣総理大臣です。

官房長官当時、安倍氏は森総理がゴルフを続けていた事実について国会でこう説明していました。

 

http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815120010216007.htm

松野(頼)委員 

《略》

ちょっと腑に落ちないところがもう一つありまして、本当はこのとき、総理に連絡が入って、それでも総理はゴルフを続けられていたんじゃないかという新聞記事が実はありました。これについてちょっとお伺いしたいと思います。

安倍内閣官房副長官 

《略》

情報を受けやすい場所にとどまったということでございます。

 

モノは言いようですね。この言い訳会社遅刻した時の言い訳に使え…るわけがありません。こんな説明で国民が納得すると思っているのだとしたら、国民も随分とナメられたものです。

 

首相進退>ゴルフでかけたのは「チョコレート」釈明あいまい毎日新聞

 「もう、(記者クラブは閉鎖!」。森喜朗首相のかけゴルフが発覚した21日、定例会見を終えて執務室に向かう福田康夫官房長官は声を荒らげた。会見では森首相ゴルフに質問が集中した。森首相自身の釈明もあいまいで、首相を支える官邸スタッフもいら立ち、対応も迷走している。

 森首相はこの日朝、「かけゴルフなんかするはずないでしょう」と否定した。しかし記者から事務所チョコレート(少額の金額)程度のものをやり取りすることもある、と説明しているが」とただされると、「一般的にはね」と言葉を濁した。

 定例会見に臨んだ福田官房長官は「見たことないから、言いようがない」と断わった上で、現金ではなく、文字どおりチョコレートをやり取りするゴルフが一般的に行われているなどと説明した。「調査しないのか」と追及されると「いいんじゃないですか。チョコレートなんだから」。

 「精算でゴルフ場をたつのが遅れたのではという話もあるが」と畳み掛けられると「失礼なことは言わないでください。そんなチョコレートくらいで。総理は人に対する心遣いがあり、心根のやさしい人ですよ」と語気を強めた。

 自民党衆院議員秘書によると、永田町では「握り」と呼ばれるかけゴルフの場合、「チョコレート」は1打あたりの金の単位隠語として使われるのが一般的だ。ラフに打ち込んだ場合は「スズメ」、池に落とした時は「カメ」などと呼ばれて、加算される。この秘書は「チョコレートそのもののやり取りは、小さな子供を持つ親ならあり得るのかもしれないが、通常は考えられない。1打当たりのレートもかなり高いのではないか」と話している。

 森首相行動をめぐっては、地方政治のトップである知事からもさまざまな反応が出ている。

 宮城県浅野史郎知事は「批判するのは簡単なんだが」と前置きしながら、「危機管理は身近な話題。第1報が来てからの対応は非常に重要だと改めて感じた。反射神経の問題で他山の石と受け止めている。私はゴルフはやらないが、(趣味の)ジョギング中だったら、必要があれば文字通りそのまま駆け付ける」と語った。

 高知県橋本大二郎知事は「森首相に早い段階できちんとした情報がくれば、対応は違ったのでは。国民の多くが『何をしているんだ』と考える感情はよく分かる。早い段階で『申し訳なかった』と一言謝れば、多くの方は理解できたのではないか」と分析する。トップの資質については「どんな批判もきちんと受け止め、反論すべきは反論する。総理は知事と違って国民、県民の声を直接聞く機会がない。国民がどう感じているのか、情報収集は常に必要だ」と語る。

 「私の立場で判断すれば、ただちに官邸に戻っていたと思う」というのは三重県北川正恭知事。「現在は混乱期。混乱、ピンチをチャンスととらえ、実行することが必要と思う。実行できる、決断のできる人がトップに立った方がいい」と資質論を展開した。

 埼玉県の土屋義彦知事(全国知事会会長)は、定例会見で「(自分が首相だったら)ゴルフ場自衛隊のヘリの出動を要請して官邸に戻った」と語る。

 定例会見で「森さんにはアイムソーリとしか言いようがない」とコメントした東京都石原慎太郎知事。19日に羽田空港内で開いた都民との集会で「(森首相は)いつまでもつかなと思ったけれど、そんなこと言わずに、辞めるならさっさと辞めるつもりで、ぱっぱと他の良いことやりゃあ、いいじゃねえかな。そうすりゃ、支持率も上がるよ」と言った。

信濃毎日新聞 社説=森政権 これでは重責を担えない 2/18

 政治民意の上に成り立つ。最高責任者である森喜朗首相は、その自覚や緊張感を欠いた言動を続け、多くの人々の思いと離れたところにいる。次々と問題を噴出させる首相自身と政権に、国政のかじ取りをゆだねるのは難しい。

《略》

 ここに至ってもなお、変わらない。高校実習船と米潜水艦衝突事故の連絡があったにもかかわらず、ゴルフを続ける感覚は、国民の受けとめとは異なる。

 政治と「カネ」の不明朗な関係は、不信を深める。政治家が最も戒めねばならない事柄である。ゴルフ場会員権を事実上、無償で譲り受けたり、利用しているのは、認識の低さを表す。

 どちらの問題でも、率直な反省が聞かれない。政策の是非より前に、首相の資質に疑念が出るようではやり切れない。

 与党、とりわけ森首相を担ぐ自民党責任は重い。もともと、小渕恵三首相が急病になった際に、一部幹部だけで後継に固めた不透明さを引きずる。

 党内にもかねて、リーダーとしての適格性に対する批判があるのに、改めさせることができずにいる。所属派閥の幹部が協議して、首相ゴルフ宴会の自粛を求めるほどの事態だ。次の候補がいないから、そのまま任せるという理由であれば、政権政党としての役割のみならず、自民党そのものの責任能力が疑われるのは当然である。

《略》

 大半の国民の信頼を失っている政権では乗り切れまい。政治根本から立て直すために、首相自民党政権の行方について、厳しく判断する時である。

2007-04-24

企画オープンソース

(考えを深く煮詰めていない点と日本語のつたなさはご容赦頂きたい)


ソフトウェアではなく、「企画」のオープンソースコミュニティを作りたい。

イメージsourceforge.netの「企画」版。

WEB2.0時代と言われる現在でも、オープンソース文化はネットの世界に留まっている。

この素晴らしい文化をリアルにも広げたい!広げたら、きっとすごいことになるはず!



オープンソースの利点は大きく言って、

1.生産性

2.人材(共感)獲得の容易さ

3.利他精神

にあるのではないかと個人的に思っている。



これはNPONGO的なプロジェクトには最適ではないか?

世界的・国家的・地域的・・・、どんなレベルにも目的にも通用するのでは?

個人のアイディアを立ち上げ段階でサポートするような仕組み。

プロジェクトの運営、仲間集めや資金集めを容易にする仕組み。

これがあれば、誰でもアイディアひとつで世界を変えられるのでは?



例えば、先の統一地方選最中に、選挙の手伝いをしながら考えた妄想

R30党」という若い人限定の仮想政党ネット上に作り、仮想党員(10-39歳)とサポーター(40歳以上の人)を募集。

政策の討議・立案をし、実際に民間で考えた国政・地方政治マニフェストを策定。

もし、ムーブメントが起きれば、実際の政治団体として届け出て、選挙に繰り出す。

年齢制限のある政党として、若い政治家を送り出して、40歳過ぎたら除名し、既存の政党に所属してもらう。

NPOとして永世中立でネットで策定した民間の意見リアルに反映させる仕組み。

この立ち上げがオープンソースで出来たら、とこれまた妄想したのでした。

もっと考えを煮詰めたいので、もし少しでもピンときたら言及してください。

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