はてなキーワード: 逃げ口上とは
相変わらず登場するこういう記事を書く人と、それを支持する人に伝えたいこと。
(※福島の米『食べて応援は自殺行為』とまだ信じている人に伝えたいこと https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57961)
あんたらは原発事故前に、原発を安全だと考えていたの危険だと考えていたの? 充分危険だと考えていたなら、どのくらいそれを訴えていたの? 安全だと考えていたなら、事故についてはいまどう反省してんの?
「科学的に安全です」「政府が保証します」……悪いけど、そういう「信頼」は一回全部吹っ飛んだのね。で、「安全」を繰り返していた事故前と同じ口調で「安全です」と今繰り返す人たちが、仮に「科学的」に正しく「公的」な保証をしたとしても、それをどう信じろと言うのか賢いあなたたちに教えてほしいわ。さらに、事故の収拾もつかず原因もまだ本当には究明できていないのに(だって誰も「現場」に入ってないんだからね)、アンダーコントロールを叫び安全です風評被害です黙れとか言いながら、こっそり基準値オーバーの放射性物質を海に流そうとしてたような人らをどう信じればいいのかも教えてくれ。科学的にいかに安全を保証しても、それを運用する人間が信頼できないとき、それは「危険」になる、というのが原発事故から私らが得た教訓だったんだよなあ。「想定外」なんて逃げ口上がまかり通るうちは、エラい人らの言うことを鵜呑みにしろなんて無理でしょ。
というわけで、信頼取り戻すのは、自分らが嘘ついていました・バカでした、ってことをまず認めることからしか始まらないよ。要は誰吊るのって話。それ無しに、信頼が全部元通りになるなんて妄想は捨ててくれ。科学がどでかい事故起こした直後に、「科学ガー!」って意見振りかざして愚民黙れ、みたいな。それってギャグじゃん? そゆこと。
そもそも誰と話してるつもりなの?
逃げ口上も書いてないが。お前とは違うのだよ。
なお、ここでの前提はanond:20181009121939
で、世界で300万売り上げた例を上げたところ、
このたった一例が何を証明するというのだろうか。
具体的に指摘できないのは逃げ口上
海外ゲーとかだとユーザーの批判にバランスに対する批判がものすごく多い
バランスが良いゲームほど長く愛されてユーザー数も安定してるし人気もある
新しい追加要素でバランスがおかしくなることなんてほとんどない
遊びの幅が広がりこそすれ、強すぎるせいで選択肢がなくなるなんてことは大手であるほど無い
話題性とかそんなもん既存ユーザにとっちゃ全く関係ないことだから
それはあんたらの都合でしょと
毎回新要素が追加されるたびにそれを軸にした環境に変わるだけ
どこに続ける楽しさがあるんだよ
そもそも既存の組み合わせのキーカードの上位版追加とかばっかり
ユーザーが作った仕組みに乗っかって更新してるだけじゃねーかそれ
楽だなオイ
こういう状況を繰り返して面白かったゲームがことごとく停止していくか過疎っていった
インフレが嫌なら既存プールの中に入れるような個性をちゃんと考えて追加するか
構想が甘かったって
何でその判断ができない
https://twitter.com/magurohd/status/903115394050691072
このツイートの前からコミケについて色々書き込んでる流れで、当該ツイート本文の如く書くからには
「掲示の画像は全てコミケで撮影されたもの」との確信があって出したんだと事情知らない向きが見りゃ思う罠。
少なくともうち2枚はビッグサイトでないことは分かるんだがね。
https://twitter.com/magurohd/status/903119327666114565
「検索で出てきた」だけなら最初からそう書くべきで、逃げ口上的に書くなやと。
ある事象に対してどんな意見を持とうが当人の自由だし、発表するのも自由。
ただこの前後の流れの中で事実と違うものを混ぜられたらそら指摘されるで、と。
敢えてやったのなら悪質と捉えられてもしゃーないで、と。釣り針垂らしてるつもりなのかも知れんけど。
https://twitter.com/magurohd/status/903100642196983809
十数年行ってるけどコミケが「実質コスプレイベント」という認識はついぞ持ったことがない。
何見てそう認識したんや?
今日は枝野さんが2時間というとんでもない長い質疑時間を持っているので、楽しみ半分、時間を稼がれてしまうことへの悔しさ半分といったところですが、午前中の山尾さんからもうぐちゃぐちゃ。どう考えてもこの「一般の人は捜査の対象とならない」が答弁がぐちゃぐちゃになってる原因なので、最低限そこは認めたうえで、必要性を正面から言えよってんですよ、安倍さんはほんとに卑怯なんだよ。マジで腹立つ。
まずは捜査の定義から、たとえば告発なりがあって、嫌疑があるかどうかを調べるために、警察活動として、検討(by 金田)・調査(by 盛山)の手段として、尾行や張り込み、聞き込みは合法かどうかをまずは金田さんに聞き、金田さんが無理だということで、武士の情けで刑事局長に質問する山尾さん。
林局長
「”嫌疑の嫌疑”という言葉は、直接理解できませんが、嫌疑の前の段階で、尾行による捜査ということであれば、まだ捜査が開始されてないので、できないということ」
山尾
「捜査が始まる前の警察が行う尾行は、100%違法ですか。そういうことですか。」
林局長
「刑事訴訟法上の捜査ということで、尾行ということも任意捜査となると思いますが、その尾行も、犯罪があると思料したとき、その嫌疑が生じた、でたとされなければ、任意捜査もできないということ」
山尾
「大事なことですが、私はここで、強制捜査、任意捜査を区別していません。その上で、一切警察が、嫌疑が生じる前に、これまで尾行を行ったことがあるとすると、これはすべて違法だということですか」
林
「捜査は犯人を特定し、証拠を収集する活動でございます。そういったものとして、任意、尾行捜査をするということは、犯罪の嫌疑がないのにそういった捜査をすることはできない。」
山尾
「質問に直接は答えたないが、嫌疑が固まる前に、告発があって、嫌疑があると確定できない段階で、警察が尾行を行うとしたら、これまでありえた場合も含めて、まったくすべて違法ということですか。」
同じ質問、応答のやりとりが繰り返される
林
「捜査、とういうことでお答えしているが、嫌疑かないのに、捜査を行うことはできない、ということです。」
山尾
「刑事局長に聞けというから聞いてるんだからちゃんと質問を聞いてください、捜査としてではない、といっている、嫌疑が固まる前の検討・調査について伺っているとわかるように定義からやっている。捜査としての話は聞いていない。話をかみ合わせられないならでてこないで欲しい。嫌疑が固まる前にもいろいろな目的があるだろうが、尾行等をすることは100%違法なんですか」
林
「ご質問の前提で、捜査であるとのご質問でしたので、私答えました(山尾:聞いてないよ!)、その上で、捜査でない尾行は許されるのか、ということですが、捜査でない尾行というものがどういうものなのかが特定されない限り、私としてはお答えすることができない(Aのうち、BでないAは存在するのかについて答えろっつってんだよハゲ)
山尾
「私は捜査としての尾行について聞いてないと何回繰り返したんですか。時間を無駄にしないでください。捜査でない尾行が可能かどうかは個別具体的な事情によると、そういうことですか」
林
「警察活動の中での、たとえば行政警察活動の中での尾行が違法かどうかを答えるためには、それが、個別にどういう目的によるものかを知らないと答えることが困難だし、行政警察活動はどの程度許されるのかは、刑事局長としての私の所管外の問題なのでお答えすることは困難だ。同じ尾行でも、ある人を保護するために行っているもののように、それはまったく評価というものが異なるわけで、私が言えるのは刑事訴訟法上の捜査としては嫌疑の前の段階で行うことはできない、ということだけでございます」(なかなかうまい逃げ口上)
山尾
「刑事局長が答えられないなら、誰が答えてくれるのか。議論が進まない。私は、捜査としての尾行については聞いていないし、どの程度許されるかについても聞いていない。捜査ではない尾行はありえるんですか、と聞いている。三役でもいいが、捜査ではない尾行というものが、合法的にありえるのかどうか、誰かお答えいただけますか。」
「大変恐縮ですが、警察は是非公安のほうに聞いていただければと思います。我々は所管外でございます。」
山尾
「捜査手法が問題になっているのに、一般市民は捜査の対象にならないとおっしゃっているが、この法務委員会で、捜査の定義、捜査の前の段階での調査・検討は何なんだと聞かれて、誰も答えられる人がいないのに、”一般の人は捜査の対象にならない”と主張するんですか。私は捜査の対象にはならないが、調査・検討の対象になるというのであれば、捜査と調査・検討の分水嶺がどこなのかを明らかにしないと、一般市民が捜査の対象にならないということがわからないからこういうことを申し上げている。もう一度伺うが、一つの手法として、誰でも尾行されるのは嫌ですが、社会の安全のために、常識の範囲内で行うとして、それは100%違法なのか、それとも社会の安全のために許される場合がありえるのか、誰でも良いです。お答えください。」
林
「告発を受けて被疑者としての嫌疑が生じる前の段階、調査とか検討とかその段階、それが尾行が許されるのかといわれましても、尾行の捜査、犯人を特定するための尾行の捜査は許されないわけであります。今回被疑者段階で、嫌疑がない段階(いや被疑者は嫌疑がかかった人だろ、がんばれ)で告発の対照となった場合、どのように事件を処理するのかといわれれば、それは被告発人を被疑者として捜査開始するのではなくて、たとえば告発人から告発の事情、疎明資料、要求して、なにゆえに人を告発するのか、これを調査、あるいは検討といってもいいですが、いたしますよね、そういったことによって嫌疑が生ずるか、調べるわけです。それ以外に尾行等を捜査以外でするかということですが、被疑者となるかどうかを調べる際に、あらゆる手段、たとえば尾行という手段を通じた場合に、それが違法かどうかと問われましても、どのような目的で警察が尾行するかがわからないと確定できない。」
山尾
「今のでわかりました。今のお答えは、捜査としての尾行はありえない、告発人から、事情を聞く、疎明資料を集める、そのほかに尾行等をするかどうかは一概には言えないということでしたね、土屋理事も大きくうなずいていらっしゃいます(階さん、枝野さんには謝ったのかな?)。これはそうなんだろうと思いますよ、違うとおっしゃるのであれば、捜査以外の尾行は100%違法である真央とお答えになれば良いですけども、何度聞いてもそうはお答えにならない。どうきいても、捜査以外の尾行は、目的によりけり、一概には言えないということですね。時間がないですが、張り込み、聞き込みについてはどういう風にお考えですか。
「えー先ほど刑事局長から答弁したとおり、警察活動の具体的内容、どのような目的でなされるかは、法務大臣の所管を超えているので、お答えする立場ではないのでお答えできない。」
山尾
「刑事局長もあそこまでは、答弁されたので、お答えする立場だと思いますよ。(繰り返し質問)」
林
山尾
「検討や調査として張り込みや聞き込みをすることはありえるのかと何度聞いても。捜査としてはありえない、とおっしゃるので、これは、答弁から逃げていると判断せざるを得ませんが、いいですか。もう一度だけききますが、かわりませんか」
林
「意訳)捜査ではない段階でどの程度できるかについてはお答えする立場にはなく、捜査としてであれば、明確にお答えしているとおり、嫌疑がない段階ではできない」
(速記とまる)
山尾
「(今までの議論をまとめる)結局私が申し上げたいのは、一般人は捜査の対象にならないとおっしゃっているが、調査の対象にはなっているのではないかと思うんですが、大臣いかがですか」
「これまでの、密かに行われる犯罪の捜査で行われることを超えることはテロ等準備罪でもないということは前提として、一般の方々がご不安をもっている、不安をもっているか持っていないかということもですね、この改正の事案について判断をしていかなければならないと考えているから、何度も申し上げております。テロ等準備罪の捜査の対象として、一般の方々が捜査の対象となることはないんだということを申し上げているんですが、そもそも一般の方々という言葉、それは使用される文脈で、いろいろ変わるんでしょうが、我々が、一般の方々はテロ等準備罪の捜査の対象とならないと申し上げている文脈においては、一般の方々が、組織的犯罪集団とかかわりのない方々、我々は、組織的犯罪集団という明文上明らかにした法案を用意したわけですが、組織的犯罪集団にかかわりのない方、何らかの団体に属しておられない方はもちろんのこと、通常の団体に属して、通常の社会生活を送っておられる方々という意味で申し上げているわけで、こういう意味で、一般の方々に嫌疑が及ぶことはなくなった、とこのようにご理解をいただければよろしいんではないかとこのように考えております。」
山尾
「林刑事局長」
山尾
「なぜ?これは大臣です。おかしいでしょう、なぜ?なぜこれが細目的技術的事項なんですか。委員長答えてください」
「議事整理の中です。この後大臣に行きますよ!」(なぜえらそーに。)
山尾議員怒鳴り続ける
林(なんとか答弁する)
「告発についての処理というものは、人に対して行っているものではありません。その案件について調査するといっても、非告発人が調査の対象になっているわけではなくて、告発案件についてそれが嫌疑が生じているのかどうか、疎明資料が十分かどうか(これ基本的に証言だけでいいからね)、この対象はこの告発の案件でございます。」
ひたすら時計を止めない鈴木委員長(こないだ、衆議院規則に照らして間違っていたと認めたことをまたやっとる)
山尾
「至極単純な質問ですよ、調査の定義から丁寧に聞いてきたでしょ。こんなのおかしいよ。時計止めてくださいよ」
「局長の答弁に付け加えさせていただきますが、事件について、嫌疑が認められるか否かを検討するのであって、一般の方々が検討の対象になるわけではありません」(これが噂の2倍時間消費術。同じこと答えるなら出てくんな。)
山尾
「まず委員長、なぜ大臣の答弁から導かれる、素朴な疑問が、細目的技術的事項として刑事局長になるんですか。理由を説明してください」
「一般の方々の使われる文脈がまるで違いますので、全体的な答弁はできませんので、細かいところとして林局長に聞きました」(意味がわからん)
鈴木淳司反省しとらんよー。今まで野党自民党しかやったことないはずだけど、一事不再理の原則を破って良いからもう一回解任決議案だしていいぞ。
山尾
「(話を整理したうえで)嫌疑の嫌疑という段階で捜査することはない、その段階では検討とか調査とかいうと、ここまでは確定した。その結果、嫌疑があるのかないのか、嫌疑があれば、刑事訴訟法上の捜査に向かっていく、嫌疑がなかったという場合がありえる。私は、一般の方だと思うが、尾行、聞き込み、張り込み等がありえるかもしれない、一概には言えない、その中で、嫌疑がなかったとわかったひと、これは一般の方々ですか。大臣の考えはいかがですか」
1分ぐらい考えるが速記はとまらない、逢坂理事が抗議してやっと速記がとまる
「申し上げたくはないが、言わせていただきます。ただいまの質問のような丁寧な質問通告がなかったので、詳しくはお答えできないといわせていただく。その上で、一般の方々に嫌疑がかかる可能性はないと申し上げてまいりました。したがって、その調査・検討の対象となることもありえないということでございます」
山尾
「大臣ご自身の発言の矛盾にお気づきかはわかりませんが、いや、盛山大臣はうなずいておられましたよ。嫌疑の嫌疑がかけられた人と、嫌疑があった人、これ100%完全に一致するということですか。違うでしょ。それならば、調査・検討なんか必要ないじゃないですか。もし今の大臣の答弁なら、警察の検討・調査は必要ないということになりますよ。大臣の説明ですので大臣」
「先ほど申し上げたように、一般の方々が嫌疑の対象となることはありえないと何度も申し上げてまいりました。また嫌疑の検討の対象にもなりません、今まで申し上げてきたとおりでありますが、。捜査の前の実務についても、局長のほうから答弁をさせていただきたいと思います。」
林
「議論の出発点として、組織的犯罪集団に属さない、通常の人は、嫌疑の対象とはならないとしている。その上で、しかしなんびとも告発ができるので、告発されたときにどうなのだ、という議論だと承知している。告発された被告発人は嫌疑の対象ではない。告発人の疎明資料や証言に基づいて、嫌疑の有無が検討される際に、被告発人は名前は上がっているかもしれないが、調査・検討の対象といえるのかどうか。それは調査の対象というものをどうとらえるかによるが、少なくとも、その人が調査の対象になったと申し上げるつもりはなく、手続きとして、処理するために調査検討をするということ」
山尾
「(まとめて)では調査・検討の段階で、たとえば事業者等に、口座情報等の照会を行うことはありえるのですか」
林
「(捜査としてはやらない)」
山尾
「また逃げましたね、捜査としてやるかなんて聞いていない。では口座情報等の任意の照会等をすることはないのかと聞いている」
林
「(捜査としてはできないということを繰り返す)」
山尾(この辺はさすが元検事)
「指摘しておきますが、捜査関係事項照会の書面上、嫌疑の内容、嫌疑の対象を記入する必要はありませんし、いかなる疎明資料に基づいての照会なのかを一切添付することなく、ただ「捜査のために必要である」とかいてあって、大きな空欄の下に、これこれを提示してくれとされるものであります。またかつて、警察の中で、この捜査関係事項照会が非常に広い中で、濫用されてきたことが明らかになり、通達も出ている。ここで照会するのかしないのかと聞いても言うわけないと思うが、こういう危惧があると申しております。(続このあとも、一歩も進まないやりとり)」
山尾
「大臣は、ビールと弁当を持っていれば花見、カメラや双眼鏡をもっていれば下見と判断できるとおっしゃっていた。ではどういう手段でその持ち物を把握するんですか」
「(なぜか嫌疑が発生したあとに、持ち物を調べたときに、その持ち物が持っている意味を検討することは今までの捜査と変わらないという答弁を3分ぐらいする)」
山尾
「質問に答えてないですよ」
「答えてます。答弁してるじゃないですか」
「どうやってわかるのかを聞いてるんですよ」
「答弁してます」
「どうやってわかるのかということですか、ということですが、私が思いついたのは、たとえば怪しい動きをしているときに、職務質問をして、持ち物がわかるということもあるのかなぁと思います」(これが一番やばいやつだよね。特に金田さんが例に出した、カメラや双眼鏡を持っていることは、”法務大臣が言っていたテロ等準備行為だ”といって引っ張れるもんね、職質で)
山尾
「それは行政警察活動なのでちょっと違う話だけど、まぁ答えただけ大臣よりはましですよ。では、いったん嫌疑をかけて持ち物を調べたらビールと弁当を持っていた、とそして実際花見にきただけだったという人は、大臣の定義では一般の方々ですか」
山尾
「おかしいでしょう。大臣のロジックだと、一旦嫌疑かかったんだから、一般の方々じゃないんでしょう。
(略)
今日こうやって質疑してきてまったく不本意です。委員長は時計を止めるべきときも止めないし、すれ違った答弁で時間だけが過ぎていく。こういうことがこれまでの法務委員会であったかはわからないが、こんなことになって本当に不本意です。
(今日の質疑内容をまとめて)
結局一般の方々は捜査の対象とならないなんていうのはフィクションなんでしょ。こういうフィクションの上で、一般の方々は嫌疑の対象にもならないというような、嘘偽りの安心の土台の上で、277の刑罰を議論をしている、詭弁を繰り返しているから、いつまでたっても、疑問点がなくならない。もう少し誠意を持って、デメリットデメリットがあるという前提の上で議論をしていただきたいと思います。(ほんこれ)」
今、ADHDの人と残業反対派で、話が噛み合っていないことが問題になっている。まだやってんのかと思うころかもしれない。手斧とスター手裏剣の投げ合いを見ていると疲れてそこから離れたくなるよな。
だがもう少し聞いてほしい。続く過労死や運輸業界の疲弊を経て、今ようやく「さすがに労働環境について検討し直さないとまずい」という認識が広まってきたところだ。すぐには解決するわけがないので焦らず妥協案を探る話し合いをゆっくりとでも続けてほしい。
今回主語が大きくてすまない。二者択一ではないということは承知している。
ただ、本来「労働者 対 会社」という枠組みで協力し合っていいはずの労働者同士が、現在「弱者 対 強者」もう少し正確には「ADHDに多様な働き方を派 対 それでも残業ダメ派」が争点となっている。どうしてこうなった?
と、せっかくの話題が膠着してしまったことが悲しかったので、一連の流れを見返してみたら原因が分かった。
と考える。他方、
発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメの酷薄さが恐ろしい。「残業禁止は強者のルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。
とADHD側に主眼を置いたコメントにも多くのスターがついており、「交渉決裂」の様相を呈している。が、そうではない。単にハテブが100文字しか記入できないからお互い齟齬が発生しているだけなのだ。ここで諦めずに折衷案を探していけば、仕事ができる人もできない人も今よりずっと働きやすい環境になるので、長くなるが聞いてほしい。
一連のトピックを追う。昨年10月頭の長谷川秀夫教授「残業100時間超で過労死は情けない」等の話題を通過した後、このあたりから始まる。
という内容だ。同時に
とも書いており、お?分かってる人か?と一瞬思わせるが、この人はその少し前に、
問題は105時間という残業量それ自体にあるわけではないのです。自分が心から打ち込め、周りともいい関係を築き、素晴らしい人に囲まれているような環境であれば、残業を何十時間しても苦にはなりません。http://www.outward-matrix.com/entry/2016/10/08/113552
という言葉を残している。ワタミ等多くの例があるが、このような人は「自分ができることは人にもできる(できない奴は無能)」と考える傾向がある。疲弊している人や弱者に寄り添う方針とは相容れないように思う。そこでブコメ欄は次のようなものとなる。
これらは先のブコメを追認しており、残業反対派の言いたいことをうまくまとめてくれている。
そして先日、上記を引きとる形で次のエントリが書かれた。
まず「無能はやめろという方向のブックマークコメント」はごく少数でしかない。先の2エントリ計、約750コメントの内7つ前後(判断が難しいコメントがあるので)。獲得★スター合計、TOP10の1,800個に対し10個前後。
同様に先の2エントリ中にこの方向のブコメは同750中24前後。獲得★スター合計、TOP10 同じく計1,800個に対し16個前後。
ここで『残業禁止は強者のルール』という重要な言葉が出たわけだけど、上に書いたように「無能は辞めろ」「効率上げろ」といった個々人の弱さを責めるコメントはごくわずかだった。
(「残業をしないということは弱者はクビにされる。つまり無能はやめろと言っているのと同義ではないか」という方向からの意見かもしれない。しかし私はこの前提が正しくないと考えている。理由は最下部に書く)
とあるように、このエントリには自身の別記事のやり取りでの経験が尾を引いているようだ。(あの記事かな?と思うものはあったが特定できなかった)
であれば当該記事との関連をもう少し明確にしないと、やはり「何の話をしている?」となりついて行きにくい。
- 根本的なとこ勘違いしてるが、時間内に作業が終わらないのは作業者の問題でなくマネージメントの問題。
- 「すごい人」と「すごくない人」両方いても回る会社・社会を作るのが管理職・強者の役目。そのルールを作る。なのにあなたは「それは弱者の自己責任で負うべき」とわざわざ自身を鎖で縛り強者に逃げ口上を与えてる。
- 個人的には、働きたい人は長時間労働できる自由があっても然るべきだと思うけど、その権利は『生産性の高い人』だけに与えられるべきで、無能な人には家に帰ってゴロゴロして貰ったほうが良いと思う。(筆者注:この発言は良くない。ただこれは、このエントリ自身が発した「効率」「無能」等の言葉を受けて、そんなに卑下すんなよ、できない人は無理しなくていいんだよ。休め。というツンデレ発言のようにも思う。または「できる奴だけ勝手にやれよ、私は帰って寝るぞ」かな。)
これらのコメントを受けて
発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメの酷薄さが恐ろしい。「残業禁止は強者のルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。
とのコメントが付く。これは大事な一文なので、続くエントリのあとで合わせて追記する。
先に記載された通り「労働ダンピングは許せない」は一連の流れにおいて主内容ではない。ダンピングに言及したコメントは先の2エントリ計12個前後/約750コメント。獲得★スター合計、50個前後/TOP10計1,800個。
「噛み合っていないんですよ」と言うのであれば、まず自身が噛み合わせてから話し始める必要がある。
「"仕事が遅いからといって労働ダンピングは許せない"というコメントに対する反論」とするならば正しい。だが、その一部分を主題とせず「一律の残業禁止は是か否か」という大元の流れを自身で呼び寄せたにも関わらず「(全体の話は置いておいて)私は今回ADHDの特性をより詳細にお伝えすることで"労働ダンピングは許せない"という人への反論とします」という内容でしかないのであれば、そちらがズレている。
はてなで”普通”の人を守るためならマイノリティは黙殺しても仕方がない、それが労働規則だ。という多数意見を見るとは思わなかったね。
「残業禁止は強者のルール」でのブコメ。発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメの酷薄さが恐ろしい。「残業禁止は強者のルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。
「マイノリティーにも多様な働き方を」という主張は正しい。だがここで使うのはズレている。システムとしての安全策を構築するのではなく"弱者の自己努力でなんとかしよう(時間はあげるから)"と言っているようなものなのだから。
ADHD側の話題が徐々にずれてきているから「主題は残業に例外を認めるか否かだよな?答えは、ADHDでも例外は認めない。個人に責任を負わせてはいけないから」と主題への返答をしたのに「私は全体のことについて話しているのではない。私自身のことに目を向けてほしいのだ」「マイノリティーを黙殺するのか」という方向にもっていっている。
全体の流れを追って話をしている人たちからすると、いきなりポンと話を支流へ飛ばされてしまうと面食らうんです。えっと…今急にその話題に飛ぶの?その話も確かに大切だけど、主題をもう少し詰めてからでないとややこしくなるよ、と考える。
なぜ話が飛んだんだろうか?カドカワさんに「めっちゃいっぱいPV集めたら書籍化」って言われたから無理やり話題を引き入れたのかな?と一瞬勘繰ったが、いや違う、思い出した。
ADHDの人って「途中から話に割って入ってしまう。今言わないと忘れるから」という傾向があることを。ああそうか、と自分の中では納得がいって、別に喧嘩するほどのことじゃないなと安心できたんですが、どうでしょうか。
そうでなくても、いちいち全体の流れなんか把握してらんないのでちょっとずれたこと書いてしまうということは誰しも思い当たるふしがあると思う。だから「自分の話も聞いてほしい」と思ったり、話がポンと飛んでしまったりすることがあるのは仕方がないけど、同時に、いきなり話題が飛んだことについていけない人がいるのもまた仕方のないことであり、そのことをもって「心無い人たちだ」と思うのは間違い。
このポンと飛んだ話から「言いたいことは発達障害者の切実な状況についてである」を第一に考えられた人はえらい。一方で、他の人がそのことを本当に理解できていなかったかというとそれもまた違うと思う。
話がずれているな、と感じるとき人がすることは二手に分かれる。話題を元に戻すか、一旦主題は置いておいて副題へ移るかだ。しかしこの時点では主題が煮詰まっているとは言い難く、このタイミングで副題へ移ってしまうのは主題が疎かになる可能性があった。こうした理由とハテブの100字制限もあり、「ADHDの置かれた立場という副検討課題」よりも主題に対してのコメントが多くなってしまったのだと思う。
残業禁止は個人の仕事の進め方の話をしてるんじゃなくて、「赤信号は止まりましょう」位のルールの話で。赤信号で止まるのは視覚障害者に厳しいから止まらなくても良いことにしてくれという事にはならないだろう。
そう。視覚障碍者への対応を考えなければいけないのは明らかだが、まずは主題「赤信号は止まる必要がある」という原則を皆が共有する必要がある。しかし「全員が止まるなんて無理」という意見が出ているので「いや、やはり赤信号では全員が止まらなければいけない。なぜなら」という話を進めていく必要がある。
ADHD側が阻害されたと思うのと同様に、根幹の話し合いを疎かにすると以前から話を進めていた残業反対派も進行を阻害されたと感じてしまう。
このエントリでせっかく素晴らしい知見が得られているのに
と、内容に直接触れたものではないコメントが最多の支持を得ることになってしまった。この反応は、率直に言うと「"過労死を防ぐ"という核心部分のために残業規制を話し合っていたのにADHDの人に全部持っていかれてしまった……」という"悔しさ"みたいなものかもしれない。そして「ADHDの人にも関係あること話してるのに黙殺だって言わないでよ」と。なぜなら、その残業問題の主題にはADHDや仕事ができない人も当然内包されているから。どういう意味だろうか?
つまり、こう。
「仕事ができない人はクビになる」と怖がってるけど逆だよ。現状「周囲に助ける時間的余裕がないから、仕事ができない人に厳しい」んだよ。全体の残業が減って時間的余裕がある世の中の方ができない人へも優しいよ。
夢のある予想だが、しょせん理想に過ぎないだろうか?
ここで一度話を切ります。次の増田では、上記理想論を含め当初から出ている多くの疑問点について一つ一つ答えてみる形で進めます。続けて読んでもらえたらうれしいです。→http://anond.hatelabo.jp/20170310204122
もうひとつ。
一番最後のエントリは1000ブクマを超えている。ハテナ民がブクマをする理由はこうだ。「うわー長文だしなんか難しそうだな…でも"知らないままで置いておくわけにはいかない"。ポチっとな(後で読む)」。そう、後で読まない。ともかく、皆発達障害の人を見ないことにしてれば良いなんて考えてないんだよ。知っておかなければいけないと分かってるんだよ。
残業規制問題の盛り上がりはまだ始まったばかりで、発達障害、その他沢山の課題を順次考える必要がある。そのときはADHDについて日々書いてくれている人たちが強力な助っ人になるので、どうか焦らず、でも止まらず書き続けてほしい。
夢の世界かな?現実かな?という逃げ口上じゃなくて明確に夢の世界とされる真世界からこっちの世界に来なければいけない理由があるとして
何でもできすぎるせいで欲望が欠けてしまったために存在が知性体でありかつ欲望があったはずの者たちで維持できなくなったものたちの最後の理想郷が
現実世界であるユートピア空間がこちらの世界なのではないかなと
つまり箱庭のような世界観であまりにも自分たちの持つ力の大きさに逆に絶望をしている状態を解消するための装置がこの世界なのではないかと
全ての有機生命体は知的レベルを上位者からランクダウンさせて上位者が不自由と欲望を再起するための舞台役者にしかすぎず
今も今も参加したくて仕方ない順番待ちの状態かもしれない
大量の餓死者が出たとしても不自由という形で織り込み済みでひたすら記憶を消してまた参加することを繰り返していくが
ついには記憶の残骸を集めた集大成であるテクノロジーが発展してしまい逆アクセスしようとしている段階が今なのだとしたら滑稽でさえある
そんなことはない。
少なくともガチャと同等の何かがそこにある。
反論B「違います~~課金ガチャじゃない時点でソシャゲじゃないです~~」
ならば逆に問う。
あれもまたガチャが一見無いように見えて実はあるというタイプのゲームだ。
艦これはブラゲであるという逃げ口上を吐くのは結構だがそれは敗北宣言と同じだと気づいて欲しい。
反論C「ポケモンGOは引きこもりを歩かせてるから凄いんだぞ家でマウスカチカチの艦これとはぜんぜん違うぞ」
あの会社が出しているゲームには位置ゲーやガチャゲーが沢山あるがその中にはスタプラのような位置ゲーかつガチャゲーという物もあるのだ。
位置ゲーであるならば引きこもりは外に出るという事だし、ガチャゲーである以上それらは明確にソシャゲだ。
つまり引きこもりを外に連れ出すからという言葉によって『ポケモンGO≠ソシャゲ』という図式にすることは不可能なのだ。
わかっていただけだろうか。
だからして「ポケモンGOがソシャゲを駆逐した」等という言葉は世迷い事なのだ。
ただ新しいソシャゲが既存のソシャゲから客を奪っただけのこと。
強者の側に立ちつつ、都合が悪くなると自ら弱者の側に逃げ込んでくる奴。
毎度毎度、ほんとうにいらっとする。
実はあれば介助なんだとか
暗黙の了解とか
金で解決すればよかったじゃない。
持ってんだから。
なんで全部嫁にさせようとするんだよ。
暗黙とかせこい逃げ口上垂れるぐらいなら、最初から合意でやってりゃ不倫だなんだの騒ぎは起きなかったのに。
そこまで嫁を傷つけておいて、さらに矢面に立たせて
私にも責任の一端が云々言わせて
そりゃあ嫌気もさすだろうさ、ついこの間他所の女とヤってきた亭主の「お世話」なんてな。
週刊誌に載ってた様子を鵜呑みにするなら嫁さん相当精神弱ってるだろうから
本当しばらく静かに暮らさせてやってほしい。
レイプをテーマとしてAVには、最後のシーンでレイプされた子を中心にレイプ男たちと集団写真を撮影する場面とか
フェラしている最中に無理やりピースさせ、てその姿をスマホで撮影するシーンをわざわざ入れてあることがある。
あるいはパケ写がレイプ男と女の子の集合写真みたいになってることもある。
あれって一体何の作法なんだ?と思っていたら、最近理由がわかった。
どうやら日本の裁判所の判例で、レイプであったかどうか女性の証言しかないとき、
セックスが合意の上と判断できる状況証拠があったらレイプとはみなされないことがあるんだってな。
つまり、レイプ終わったあと、みんなで仲良く写真撮影した様子を残しておけば
後でトラブったときに「これは当時合意の上での行為であり、レイプというのは女性のでっち上げ」と逃げ口上とすることができるからなんだ。
で、あの手のシーンはよりリアルなレイプ現場っぽさを出すために、「状況証拠を残す卑劣漢たち」という小芝居を入れているというわけだ。
まあ、それだけなんだが、、、ムダに細けぇ作りこみだよ。
何というか我を忘れてという状態になったことがない
何もかも忘れて何かに没頭したためしがない
ここまで書いて痛々しい中二病だなと思ったけど
そういう気恥ずかしさや自嘲気味な感情すら沸いてこない
「終わったな自分」
そういう状態がずっと続いている
「終わった自分」が誕生したのはいつからだろうか、その原因もハッキリとは覚えてないと思う。
その終わった自分になる前は、高校1年生には既に「どんな人間もいずれ死ぬのになぜ必死になって頑張らなければいけないのか?」
という疑問を持つようになった。
今もそれに対して明確な答えは持ち合わせていないし必死に頑張ることによる成果の意味というのは無いと思っている。
過程にこそ意味があれ、成果は結果として名実ともにただの結果であり意味はないと考えている。
単に命という過程の通過点にすぎず、真の結果とは個人の死だと考えているからだ。
先ほど死は約束されていてすべての結果は個人としての死に繋がると言った。
そしてそれが少なからず無感動なもうひとりの自分を生成してしまった一因であると考える。
考えをまとめるまでは自分が体験する事やこれから歩む人生はオリジナルなものだと思っていた。
誰もが見たことの無い体験をしていくのだと。
しかし歳を重ね勉強を重ねるにつれて、自分がこうやって成長していくのに対して、
社会の歴史、世の中の歴史を振り返ると成熟していくどころか定期的に逆行でもしているかのような
退行を周期的に繰り返していることに気付いた。
なぜ、過去から学べる過ちを何度も人の世は繰り返しているのかに疑問を持つようになる。
それは集団としてもそうだし人生の教訓が生まれるだけ同じ過ちを個人レベルで繰り返してきたことの根本的な疑問でもある。
考えた結果
人間は膨大な情報を吸収してもそれを子孫に正確にフィードバックしていくことができない。
学問のような人間主体ではなく徹底的な数値化や平均化をされた分野であるのならば逆戻りすることはないだろう。
人生は個人によって幸せの基準も違うし可能な選択肢もそれぞれ全く異なってくる。
幸せという結果を導き出すための方法は個々で違うのであるし、あるとしてもそれを知る余地はない。
そのため、振り返りでしか反省や教訓を残すことができないのだ。
しかもこの反省にしても人によりけりという強烈な主張の前には霧散しがちだ。
適応することが可能でも逃げ口上に使われて、この言葉の持つ力の強さに払いのけられる場合もある。
ともかく、人間は例え人生において経験値を積み重ねたとしても生物としての終局を迎えることで
その経験を永遠にロストし、なおかつそれを正確に後世に伝えることができていない、
そのために同じ過ちを人の世は何度も繰り返してきたという結論に至った。
自分もその大きな渦の中で溺れるように巻き込まれた者の一人であり、
ろくに正確に引き継ぐこともできずに経験と一緒に闇に帰るだろう。
例え、学問においては足跡を残したとしても、それは自分でなくても良かったことであり、ただの早いもの勝ちに過ぎない。
そしてそれが正解だと歴史が証明するのにもまた自分の死後いくらか経ってからでなければ正確には判断できない。
学問が本当に貢献できたかどうかを疑う余地のないくらい信じることができる瞬間は恐らく生きている内には訪れないだろう。
もし1つの発明や研究が認められただけで心から喜ぶものがいたとしたら
手品をやってお客を喜ばせたほうがまだ幸せな人生を送れるはずだ。
そして生物的な幸福として子供を産み育てるという欲求が用意されているが、
これこそまさに自分の死が約束されているからこそ必然として設定された欲求だろう。
子どもは生まれる前はこの世にいないし産んでくれと頼みもしない。
望まれた子どもたちはすべからく親の寂しさや侘しさや欲望を受け止めるため、
親に利用されるためにこの世に生まれてきている。
その子でさえいずれは老いて死ぬというのに、それを遺伝子に命令されて続ける奴隷として命がある。
それのどこが尊いと言うのだろうか?
ペットを欲しがるということ、自分の子どもを欲しがるということ。
そこに何の違いがあるというのだろう?
人は死ぬということ。
人の世は成長しないということ。
他にも理由はあるかもしれないが、
ただただ虚しくなった。
なのに人の世は成長しない。
虚しくなった。
俺がこの先歩く道が誰かが歩いた道で
俺が歩いた道はこの先誰かが歩く道で
同じことの繰り返し
同じことのくりかえし
人が本当に人として自立できるようになるためには、不死が必要だと考える。
同じことを繰り返さずに進化し続けるためには不死が前提であると考える。
過去の偉人の誰も達成できなかった偉業は不死によって物語は完結されるだろう。
超人が生まれた瞬間にこそすべての人類が生まれ、死んで来た意味があると考える。
俺の感動は俺の虚無感から来ている。
俺は夢をみて眠りにつく。
それ常備薬として持ってる子のアナル掘ったら痛がられて中断してね...
そこで言われたのが「お尻痛くなくなるいい薬あったらね」だった
まぁ体のいい逃げ口上だったんだろうな