はてなキーワード: 次善の策とは
うちの職場に嫌われているオジさんとオバさんがいる。確かに二人ともそれなりに嫌われる理由を持っている。が、そんな人たちの悪口を言ったり飲み会に呼ばなくて済むよう画策している連中は、正義の味方なのかっていうと全然そうじゃないと思う。
単純に嫌いなヤツと一緒に仕事したくないし、一緒に飲みたくないのだ。まぁその感情は自然なものだし、大人の心得としてもわざわざ嫌いな人と一緒に飲んで気まずくなったり言いたくもないお世辞を言ったりするより、気の合うメンバーだけで楽しく飲んだ方がいいだろう。
だけど私はそうやって自分たちが感情で動いていることを認めずに、「私たちは正義感があるから彼らを排除しているのだ」と正当化する人たちが嫌いだ。本来なら嫌われる原因になっている部分を改善するように努力する方が先だろう。ただ、ある程度以上の年齢になると、考え方や行動パターンが固まってしまっていて、矯正のしようがないので、次善の策として彼らと接する機会を最低限に減らすよう努力する方向に行ってしまっているだけだ。少なくともある程度頭が柔らかくて矯正の余地のある若手であれば、「こういう行動は相手に悪い印象を与えるからこういう風に変えた方がいいよ」と指導するべきだろう。
それなのに、彼らを嫌う人たちは、自分が感情で動いていることを認めずに、正義の味方面して「○○(嫌われている人の名)がこういいうことやってさ…」と彼らの悪口を言うことでストレス発散の手段にしている。まぁ相手の方が肩書きが上なので、正面切って言えることは少ないだろうけど、ただ単にあなた方は彼らを嫌っているだけで、それが多数派だから大きい顔をしていられるだけだ。別に正義の味方でもなんでもない。
ボーナスの季節になりましたね。
巷では
「何買う?」
「今でしょ!」
そこで
なんて言おうものなら
「夢がない」
「何のために生きてるの?」
いやいやそんな事ありませんって銀行に預けておけば勝手に銀行が投資をしますって。
そういうのはタンス預金してる人に言いましょう。
おっと話がそれた。こりゃまた失礼。
お金を使うことこそが未来への投資だと言う人もいますしそれを否定はしません。
未来において自分が切れるカードを増やすことが投資なんだと私は思ってます。
その手段としてお金を使って色んな経験を積んでおくのもいいでしょう。
買えるものが沢山有る。
お金って本当に何にでも使えるんですよ。
今上手に使う手段が思いつかないからって無理して使う必要はないんです。
とりあえず銀行に預けるなり潰れそうもない所の株式にでもするなりして取り敢えず取っておけばいい。
お金で解決できないものは沢山ありますけど、解決できるものだって沢山あるんですよ。
なにより切り札ってのは持っているというだけで強気に勝負が出来るようになる。
むしろ、切り札をろくに持っていないと勝負の仕方が制限されちゃうんです。
自分の人生を組み立てる時に、お金を取っておくことで選べる選択肢が増えるんですよ。
今すぐ投資すべきものが見えていてそこに投資するのが最高なんですがね、そうじゃないなら貯金でいいんです。
貯金がいいんです。
折角あるんだから使わないとなんて焦ることはないんですよ。
以上。
相田みつをでした ナハナハ
以上。
大川隆法でございました。
」
「気持ち悪いから嫌」なんであって「気持ち悪ければ排除していい」って理屈だよな
じゃあどうすりゃいいのかっていうと、それが許されない空気を作るしかない
これに至る道は今適当に考えたところ2つほどある
女性やLGBTに対する差別のように、お偉いさんにお願いしてなんとかしてもらうというのが王道だ
また彼らに向けたサービスを展開するという、商業主義からのアプローチも有効だろう
ただ刺青に関しては、正直このルートは厳しいと言わざるを得ない
生まれつきでもなければ刺青の人を守ったところでポリコレボーナスが入るわけでもなく、
刺青フレンドリーを訴えたところで他の客がビビっていなくなってしまえば無意味だからだ
刺青差別らしきものを見かけたら、とにかく刺青の人が団結してネットで雑に炎上させる
事実オタクも、コミケで自分らを馬鹿にしてきたホットドッグ屋台のバイトとか、
そういった輩を過剰防衛的に攻撃しながら今の地位を築いていったわけだ
言っておくがポリコレなんぞに保護者面されるいわれは何ひとつない
同僚がグアムにいくというので、自身の知識再確認も含めて核爆発から身を守る方法について対応をまとめる。なお、私の知識は、「米陸軍サバイバル全書」の第23章「核・生物化学兵器から身を守る」のみであることに注意されたい。また、内容を転載するわけではなく自身で咀嚼した内容になっているため誤りが含まれる可能性もあり、また核爆発後のサバイバルに関しては、そもそも火の起こし方や水の濾過方法など、前提となる知識があるため、核だけを考慮しても生き残れない。なので、興味を持った方は原典を読むのをおすすめする。
当然ながら、核爆発直後に致命的となるエリアにいた場合、取れる対応は殆ど無い。核爆発により引き起こされる障害は
の3種類あるが、攻撃目標・タイミング(火球が見えてからでは遅い)がわからない場合、取れる対応は少ないだろう。
ただし、もし、事前の警報があり少しでも対応が取れる場合には、掩蔽物に隠れることが重要である。これは、爆風や爆風により吹き飛ばされた物体を防ぎ、熱と光を遮断し、核爆発直後(1分間)の深刻な初期放射線を減らしてくれる可能性が高いからだ。隠れる場所は丈夫なコンクリート製の建築物がよいだろう。
生き残った場合、5分以内に放射線を遮ることの出来るシェルター(追記:後述するがこれは核シェルターに限らない)に入ることが重要になる。これは、高レベルで初期ガンマ線を放射する放射性降下物から身を守るためである。シェルターに入るのと入らないのとでは被曝量が全く異なるのである。原典でも強く書かれているので引用しておく。
目安として、5分以内にシェルターに入るのが生死を分けると知れ。早くシェルターをみつけること――これが絶対不可欠である。
P.273
核爆発後にどれくらい活動してよいかの目安については原典を引用する。なお、数値には余裕を持たせているとのこと。
- 核爆発後4〜6日間は完全に孤立化する。
- 3日目。水の調達のためにシェルターを出ても良いが、被爆時間は30分を超えないほうが良い。
- 7日目。1回の被爆時間は30分以内にする。
- 8日目。1回目の被爆時間は1時間以内にする。
- 9〜12日目。被爆時間を2〜4時間にする。
- 13日目以降。きちんと防御整備されたシェルター内で休養を取りながら通常作業を行って良い。
P.276
掩蔽性能、水分食料の備蓄を考えると、シェルターとしてホテルやショッピングモールを選択するのが最適なのではないかと思うが、人が集まると考えられるので、その分物資の減りが早いとも考えられる。難しい所である。
さて、行動のタイムスケジュールがわかったが、その後生き延びていくための残留放射能対策を考えなければならない。残留放射能対策は、放射性下降物起因の体外放射能対策と体内放射能対策に分けられる。
の3点があげられる。時間は半減期、距離は距離による減衰、シールドはシールド材による減衰、を考慮する。ただし、放射性下降物が広い範囲に降っている場合には距離による減衰は期待できない、などはある。動く車があれば距離も稼げる可能性があるが、移動により被曝する可能性もあるし、現実的に考えてシールド、つまり十分な性能を発揮するシェルターを確保することが取りうる最大の防御となるだろう。
コンクリートの建築物以外にも、厚み1メートル以上の土砂で覆った地下式シェルターは放射性降下物に対して最高の防御になると書いてあるが、そんなものは当然無いだろうから、他に下記のようなものがシェルターになると掲げられているので、次善の策を取っていきたい。
P.275
身近にあるものを考えると、マンホールが簡単に空くのかどうか知らないけど、開けられればマンホールから地下に隠れるのが良いのかもしれない。(※追記:マンホールはそんなに簡単に開かないとのことです)その他シェルター地の選択と準備法などは原典に書かれているのでそちらを読むように。
また、シェルター内に放射性物質を持ち込まないようにシェルターに入る場合は、衣服を叩いたり振ったりして汚染を除去すること。髪の毛は沿ってしまうのが良いかもしれない。
続いて放射性降下物を体内に取り込まないようにするための対策。ちなみに汚染された飲食物や傷から体内に入ったものが問題になり、呼吸によって体内にはいる放射性物質はさほど脅威にはならないとのこと。
例えば放射線障害について知っておくことで、むやみにパニックに陥らなくて済むし、「これくらいなら…」といった正常性バイアスからも逃れることが出来る。正しい状況認識を持ち、落ち着いて全ての知識を動員し、工夫し、生き残りのために行動しなければならない。生き残ろう!
女性を神聖視する男性が一定数居るのはそういう教育があるからで、その教育があるのは女性の価値の上昇教育をしないと、旧来の社会にあった「男性の存在価値>女性の存在価値」って言う構造を是正できなかったからだよ。
言っちゃうとその神聖さってただの設定で実態はない。人権上の見地から女性の価値を引き上げたい社会と、もう奴隷扱いされるのは嫌な女性が合同で創作した虚構だと言える。
これはいわば、女性に対して架空のブランド価値をつけてその地位を底上げしようという作業だ。ブランディングによって女性の地位は上がった。
女性から男性に対する神聖視はなぜ逆より少ない(ほぼない)のかといえば、それは有史以来の歴史だと、男性は強者であったからだよ。狩猟採集時代から封建制にいたるまで個人の肉体能力(暴力性能)は地位を守る重要な(ときには唯一の)手段で、男性は女性よりこの点で優位だった。その後歴史の舞台が組織的社会にうつっても、男性は前の時代のリードを守り続けてきた(男性優位の父権型社会)。つまり、男性は底上げをしなくても十分にその地位が保証されてたから、後付の神話が必要なかったんだよ。
だからといって、こういった女性へのブランディング戦略が、ベストに良いものだったかって言うと、それも違う。
本来であれば「女性がその能力を十全に示して、社会において女性は男性と同じように有用だと証明する」ことによって社会における女性の地位向上を図るのが王道だったんだけど、それは色んな理由で当時は難しかった。さっき言ったように男性社会においては、そもそも女性には最初のチャンスが与えられないので、結果を残すことも難しかったから、証明までたどり着かなかったんだわ。いまでも完璧な受入状況を社会が作っているとは言い難い。
そこで次善の策として採用されたのが「女性という存在は尊くて素晴らしい女神のようなものなので、男性はその身命と権利を守るべし」という架空のストーリー(価値観)なんだよ。封建主義社会の騎士道的な世界観とでも言うべきもの。これが現在の童貞力の先祖になってる。
都内私立に入学して「大学教授」と呼ばれる職業の人たちと出会い、憧れ、あんな風になりたいと思った。どうすれば大学教授になれるのかと思い、職業ガイドみたいな本を読んで、博士号を獲らないとなれないと書いてあった。姉に話すと猛反対され、就職することにした。猛勉強をして新聞記者になった。給料は良かったし、いわゆる「社会的地位」も高い。どこへ行っても「記者様」扱いをされる。でも、この仕事に興味は湧かなかった。新聞記者になればどんな有名人にも会える。総理大臣にも会える。権力が好きな人に新聞記者は向いている。自分はそういったことに興味はなかった。偉い人に会いたいとか、有名人に会いたいとかそういう欲求が少なかったから、新聞記者の仕事に夢を感じなかった。出世することにも関心はなかった。組織の中で上に行くことにどういう意味があるのか、それで心が満たされるのかと言えば、そんな風には思えない。多分、自分は変人の部類に入るのかも知れない。いわゆる「お勉強」が好きだったし、多分「お勉強」しか向いている分野がなかったから、社会人としてのスキルとかそういうのは身につかなかったし、身に着けたいとも思わなかった(社会人失格とか、社会不適合とか言われれば、受け入れる)。多分、大学の自由な雰囲気が好きで、そこに身を置きたいという欲求だけが続いたんだと思う。
30代になって会社を辞めて「お勉強」する目的で海外に留学した。最初は語学学校で、そのあと修士課程に入って、博士課程に入って気づくと40代になっていた。博士号はまだ獲ってないし、お勉強と研究は別物なので、実はあんまり研究には向いていないのかも知れないけれど、博士論文のテーマは一応決まったし、想像していなかったようなきっかけで研究予算をもらえたので、「研究しなければならない」という逼迫した立場になったけど、研究については今まで怠けていたとも言えるので、自分を訓練するいい機会になったと思って毎日資料を読んでる。
留学を始めたばかりのころは新聞社の給料が良かったから貯金がなかなかの金額になっていて、それで賄えた。修士課程、博士課程では返さなくていい奨学金がもらえた。運が良かったと思う。今は奨学金はなくなって、貯金も底をついたけど、大学で非常勤で何コマか担当させてもらえるようになって、大学生と同じか、それよりもうちょっといい生活ができる。40代の収入としては笑えるほど低くて、普通の人なら絶対にやらないと思う。大学で大学生相手に仕事をしていれば、自分の生活水準が低くても気にならないから自分は収入の低さはあまり気にならない。非常勤の講師でも初めて講義をさせてもらえた時は感動した。自分が大学生だった時に憧れた職業の最底辺の隅っこの下座も下座とはいえ、入り込めたと思うと泣けてきた。あと、口座に「給与」が払い込まれることにも泣けてはきた。「給与」を受け取るのは、新聞社を辞めて以来のことだった。最近、担当するコマ数が増えた。体力的にはそれだけ厳しくなるけど、生活費は楽になる。大学生と同じ生活をするのなら、少し貯金できるかもしれないくらいにはなった。後で聴いた話によると、少子化なので今後は新規の採用はしない。とのことで、それでも時々辞める人はいるから、結果として今すでに隅っこに入っている自分に担当が回って来たということらしかった。運が良かったと思う。もうちょっと遅く博士課程に入っていれば、非常勤の講師にすらなれなかった。非常勤の講師はアカポスとすらも言えないくらいの立場だけど、自分はそれになれたということにやはり今書いていていても感動してくる。
40代の大学の非常勤講師といえば悲惨な人生の典型例のように言われる。無駄に高学歴で、驚くほど年収は低く、いつ切られるか分からないからだ。そういうのが悲惨で耐えられないという人は、大学院には行かない方がいい。理系は企業に雇ってもらえるけれど、文系博士は大学の教師になる以外に道は残されていない。文系の博士には「著述」という道はあるけど、著述はけっこうしんどい上にあまり金にはならない。それでもいいやと思える人にしか勧められない生き方だけど、自分は大学という場の雰囲気に馴染みやすいと思うから、それでもいいやと思える。教授様になれるとは思っていない。老後のことも分からない。ある人は「詰んでいる」と言うかも知れない。でもやっぱり新聞社にいるより、今の方がいい。姉の反対がなければ人生の途中で新聞社に就職することはなかったと思うし、それがなければ学問の世界のキャリアをもっと積むことができて、もしかしたら教授様も狙えたのでは...と思うこともある。でも、会社を辞めて自分の願望を目指したのは次善の策だったと思う。あと、新聞社にいた時は贅沢な生活はできた。でも、今の生活の方が自分の好きな空間にいられる分、別の意味で贅沢できていると思うし、美味しいものを食べたり、高い服を買ったりするのは若いうちにさんざんやったので、今はあんまりそういうことにも興味はない。贅沢は若いうちにやっておいた方がいい。年を取ると無駄に目や舌が肥えて来るので、無駄な贅沢をしてしまうと思う。若いうちに贅沢しておけば、飽きが来るのでちょうどいい。
今後のことだけど、取り敢えず博士号は獲っておきたい。その後のことは分からない。いずれ帰国したいとも思う。帰国してアカポスに就けるほど甘くはないと思うから、生き延びるという点では今の大学にしがみつき続けるのがベストなのかも知れないけど、もし切られたら帰国するしかないなあとも思う。帰国したらどうしようか...ということは全く分からない。先が見えないという意味ではしんどい生き方かも知れない。でもやっぱり、牛のようなのろい歩みでここまでやれたことは正直に嬉しい。
他人を「あいつ使えねえ」とか言ってんじゃねえよ。お前は自分を「使える奴」だと思ってんのか?お前が思ってるほどお前は有能じゃねえよ。少なくとも他人の能力や資質をどうこう言えるほどのものはお前にはねえよ。
「こうあるべきだ、こうするべきだ、何であいつらはそれをやらないんだ」って、わざわざ抜かしてんじゃねえよ。みんなそれをやった上で次善の策としてそれをやってるんだよ。お前が思いつく程度のことは、もうやってるんだよ。
周りの人間を馬鹿じゃねえのかって態度出してるんじゃねえよ。そりゃ、お前は賢いだろう。周りもお前が頭いい事は知ってるよ。わかるか?周りも、お前と同じくらい頭がいいんだよ。
自分が理解されないからって「それを理解できない奴は不勉強だ、教養がない、感性が古い」とか抜かしてんじゃねえよ。ハイコンテクストだがなんだか知らねえけど、だからお前のいうことなすことは辺境の好事家止まりなんだよ。
https://deepmind.com/research/alphago/alphago-vs-alphago-self-play-games/
いやあ、スゴイ。衝撃。これはカケツも泣くわ。
碁だけではなく、大げさに言えば、ヒトとは何か、人「間」とは何なのかを問い質されているかのようだ。
碁がわからない人にもなるべくわかるように書くとですね。
普通は、というか今までの人間の常識では、いきなり接触するのではなくて、少し間をあけて近づくのが常識。
一間とかケイマとか。
そういうのがない。いきなりフルコンタクト。(Games 1の10手目、12手目ナニコレ?)
それから、関心があちこち飛びまくる。
普通は、というか今までの人間の常識では、とりあえず局地戦を何らかの形でまとまらせてから次に行くんですよ。形を作る、というか。暫定的な結論をつける、というか。
ここは実利を与えるけど、その代わり外向きの厚み、勢力はもらうよ、とか。とりあえずどっちの石もすぐには死なない形にはする、とか。石通しの繋がりは確保しておく、とか。
それが全然お構いなし。
戦いの真っ最中に、全く別の場所で戦いを起こす。で、そこも途中で放置して次に行く。で、思い出したように前の戦いに戻る。と思えばまた放置。
それを繰り返すので、今まで見慣れた形がほとんどでてこない。わけがわからない。どっちが勝ってるのかさっぱり不明。
で、格言っていうのがありまして。だいたいこういう考え方でやれば間違いないよ、みたいなやつ。
「ツケにはハネよ、ハネにはノビよ」とか「もたれて攻める」とか。
全部無視。
この格言っていうのは、何となく理屈じゃなくて感覚的なもので、しっくりくるところがあるというか、少し碁がわかってくると、モノの道理というか、「道」というか、そういうものに感じるようになっているんですよ。今まではそうだったんです。
水は低いところに流れて行く、みたいな感じで。物理でいうとエネルギー保存則的な。細かい経過はともかく、最終的にはそうなるんだよ、という大きな流れがあるように感じてたわけです、我々人類は。
嘘だったんですよ。まあ、全部じゃないですけど、かなりの面で。
人間の感覚なんて全然あてにならない。ということをAlphaGo先生は、つまり神は我々に教えてくれたわけです。
そういう人間の感覚っていうのは、最適解ではなく、次善の策なんでしょうね。わからんなりに大コケしないためにはこうしておけばそんなに間違いではない的な。
で、これまではその感覚をより体得している人が強い。達人。仙人。そのレベルの戦いだったわけです。
それが突き詰めれば、穴だらけだった、と。
で、これをもう少し拡大解釈すると、人間社会にも適応できる可能性に気づくわけですよ。
つまりですね。
空気を読みつつ、間合いを取りながらの人間関係は決して最善のコミュニケーションではない、とか。
一つのことを形にまとめる前に、その時々でもっとも重要と思うことにあれこれ同時に手を出していくというやり方の方が良いかもしれない、とか。
多分、高次元の能力を持った人はそれが良いんでしょうね。実際そんな気もするし。
いろいろ手を出す、と言っても、脈絡無いわけでは無いんですよ、ホントは。遠いところで実は関連があって、今手を出しているところも、実は遠い場所での事柄とうっすら関係している。だから、ここはあえて結論を出さずに、先に別の事業を進めておく。その進捗具合によって方向性を変える、という柔軟性がいるんでしょうね。
それで、やっぱり違うと思えば、これまでの労力は無視して大きな投資もあっさり捨てる。サンクコストは気にしない。
さらに敢えて踏み込んで例えると、
理解できない能力の者から見ると、パーソナリティ障害だったり発達障害、ADHDみたいに見えることもあるんでしょうね。
もしかしたら、発達障害的な特性って能力さえあるなら最適な行動様式なのかもしれないですよね。
まあ、あってるかどうかはともかく、そんな様々な由無し事を、問い直し、突きつけてくるだけの衝撃がAlphaGoにはありますね。
そらカケツも泣くわ。
で、なぜこのような人の常識を問い直すようなことが、チェスや将棋でなく、碁で起こるかというと、それこそが碁というゲームの奥深さ、面白さだと思うわけです。
で、それに目をつけたGoogleは本当に正しい選択をしたと思います。
私が敬愛して止まない、ふみふみこさんという漫画家さんがいる。
その方が本日twitterで下記のような事をおっしゃっていた。
発行部数が少なく、書店にあまりおいてない上、Amazon楽天もずっと欠品状態ですが、重版かからないと打ち切りという謎の状況です。ははは(乾いた笑い)どうぞみなさまご協力ください。としかいえません。まずは一話お試し読みを読んで下さい→https://t.co/QhCOic31uS— ふみふみこ@3/25『qtμt①』発売 (@fumifumiko23235) 2017年4月13日
本日はこの
「書店にあまりおいてない上、Amazon楽天もずっと欠品状態ですが、重版かからないと打ち切りという謎の状況」
漫画家(作家)が本を作って中身が完成してそれが世に出る事になった時、
同時進行で出版社内で行われているのが「部数の決定」です。
この本はどれだけ売れるだろう。
我が社の本はどれくらい売れるだろう。
この作者にファンはどれくらいいるだろう。
類書はどれくらい売れているだろう。
カバーの出来はどうだろう。
中身の出来はどうだろう。
事前の評判はどうだろう。
どんな人が買うだろう。
などなどなどなど、
まあ、いろいろ考えるわけですよ。
毎月たくさんの本を扱っているから、
数字のことはおおよそ分かる。
でも、作品のことは実はそんなに詳しくない。
当然だ。毎月かなりの量の本が出ているんだから、
そんなわけで部数はだいたい
・同一作者の過去実績
・類書の実績
さて、部数が決まったら営業は
これを「配本」って言います。
これを決めるのは営業部だったり、
でもわかりにくいのでその辺はスルーしてね。
全国で書店はだいたい13,000店くらいあるので、
この部数が多いのか少ないのかは、なんとも言えないですね。
ケースバイケース。分かりやすくするための数なので気にしないでね。
さーて、ではここで配本をするわけですが、
めちゃくちゃざっくり言って、
・実績配本
・均等配本
・傾斜配本
名前の付け方は仮です。
【実績配本】
その名の通り、実績で配本します。
シリーズ続刊だったら
「前の本が何冊売れたか」
4巻が2冊しか売れなかったのに、
5巻で50冊の注文を出しても2冊しかくれないよ。
読んで字の如く実績で配本するので、
続刊の時がだいたいこれです。
【均等配本】
全部のお店に均等に入れよう。という配本です。
今回のケースで言えば、
13,000店で13,000なので、
全部のお店に1冊ずつ送ろう!
でも、こんなやり方、ほぼ絶対にやりません。
売れる本が同じだなんてことは無いでしょう。
それぞれ得意不得意があるわけです。
じゃあ、得意なところにたくさん入れて、
不得意なところに入れるのやめようぜ。
というのが、三つ目です。
【傾斜配本】
もう、さっきほとんど全部書いちゃいました。
要するに、お店や地域によって配本数を変えるのです。
13,000部の本だけど、秋葉原でめっちゃ人気ある人の本だから、
秋葉原のオタク向けのお店4店舗にそれぞれ100冊ずつ置いてもらおう。
オタク向けのお店は全国展開していて、
それぞれのお店には15冊ずつ送ろう。
1冊か、送らなくてもいいや。仕方ないよね。
的なことをするわけです。
買いたい人と売りたい人のマッチングを考えるとこれがベターですね。
ん?
全部のお店に最低2冊は入れて、その上で秋葉原とかの量を増やせ?
刷って売れなきゃ赤字。
売れても刷った部数の5割は売れなきゃ赤字。
5割売れても5割じゃ続刊も無理。
って話だから、諦めてね?
さーて、そんなわけでいよいよ発売になった本。
当初の予想と少し違って、売ってみたら一般店で売れました。
なんかね、イオンの中に入ってる本屋さんで主婦が買ってるんだって。
ということは往々にしてあります。
でも、配本した時は秋葉原に傾斜をかけていたせいで、
イオンの中の本屋さんには2~4冊くらいしか入ってなくて、どこも完売。
「どこにも売ってないよー」の声があがりはじめます。
「売れてるし買えない人がいる。重版して!」
ところがどっこい。重版はできないのです。
読んで字の如く「市場に出回っているまだ買われていない在庫」です。
実は2,000部くらいになっていました。
池袋とか、大阪の日本橋とか、そのほか色々にも多めに送っているので、
13,000部のうち4,000部がそれらのお店に置いてあるのです。
もちろん、他にも置いているけれど売れていないお店はたくさんあります。
全部合わせて、2,000部くらい売れ残っているとしましょう。
するとどうでしょう。
世の中には「まだ6,000部の売れていない本がある」のです。
んで、これは「売れずに出版社に戻ってくるかもしれない本」なのです。
その状況で追加の重版はできないですよね……。
これが
「発行部数が少なく、書店にあまりおいてない上、Amazon楽天もずっと欠品状態ですが、重版かからないと打ち切りという謎の状況」
の正体です。
では傾向と対策。
そんなこと、言えるはずがないですよね。
「このお店で買うと栞がもらえるよ」
「このお店で買うと描きおろし冊子がもらえるよ」
「このお店で買うとサイン色紙がもらえるよ」
というのは、要するに
「このお店にたくさん本置いてもらうからそのお礼にいいものを付けるよ」
特典が付くお店には他のお店よりたくさん置いてある
=そのお店に行けば本を買える可能性が高い
のです。
この事実を知ってもらって、
店舗特典情報をきちんと出してもらうことがいちばん効果的です。
あと、例えば
「イオンに入れた4冊が1週間で3冊売れた」
と
「秋葉原入れた100冊が1週間で75冊売れた」
やばいです。100冊入れて75冊売れたら、即重版検討案件です。
しかも、秋葉原で売れたのであれば他のオタク街でも売れるのでは。
なので、オタク向けの本を描いていて、それを売りたいのであれば、
是が非でも「秋葉原で買え」というのがいちばんの効果を生むのです。
そうなんですよね。
読者にそこまで負担を強いるの、下の下ですよね。
買ってくれる人になぜ負担を強いるのか。ぷんぷん。
次善の策として、よく言われるのが「予約」です。
効果的な予約は、発売1ヶ月以上前にしないと、ほぼ無意味なのです。
本屋さんで売り切れてる本を予約して
「2ヶ月待ち」と言われたことありませんか?
あれ要するに
「出版社の手元に在庫無いから重版するか売れ残ったのが戻ってきたら送るね」
という状況なんです。
発売前の予約だと、配本時にその分の冊数が優先されます。
実は思われているほど冊数が極端に売れるわけではありません。
300とか500冊くらいで売れている方だと思われます。
なので、在庫切れは頻繁に起こるんですよね……。
みんなで秋葉原に行こう!
ちなみに重版については
http://anond.hatelabo.jp/20161218163305
を参考にするといいんじゃないかな。
今年も新規採用者が入社してきたわけですが、人事では早くも2018年度の採用準備に入る模様。
で、全員ではないのですが、女子学生(大学生)の職業観が結構大雑把であることが多いらしく、オフィスワーカーを目指すのは良いとして、そのイメージがいきなり天海祐希がテレビや映画で演じているような管理職またはそれに近い総合職になっていて、「とてもあんなの私にはムリ」となる。
おまけに、昨年電通で自殺した高橋まつりさんのイメージが加わると、もっと腰が引ける。
次善の策として、出版社やアパレルメーカーのデザイン担当のようなイメージになるようですが、こっちはこっちでセンスが重要ですから、これもムリとなる。
そうなると、就活から身を引いて婚活に走る人もいるわけですが、主婦を目指すのは良いとして、自分の母親をイメージするとパート勤めをしながら育児と家事に追われて、「あんな惨めな人生はイヤ」となる。
結局、落ち着くべきところに落ち着くのでしょうが、なんだか揃ってテレビと女性雑誌の見すぎじゃないかなぁと思うことしきりで、就活とはいかに早く現実を見据えたかが勝敗の決めてになるのではないかと思います。
地頭(じあたま)の良い人は、自分の能力をよく知っていると同時に限界も知っているからムリのないところにターゲットを絞って就活しているようです。
この手のゲームは、いつでもどこでも、クルマの運転中にすらやってしまう人がいるので、
google glassやクルマのフロントガラス等に表示してハンズフリーで遊ぶ形態へと早く移行するべき。
まあ次善の策としては、近々でるApple watch版やポケGo Plusでもいいけど。
うちの家庭は「機能不全家族」だ。
機能不全家族だとわかれば、脱出することがセオリーとされている。
しかし、機能不全家族であるがゆえに、生活力が身に付いていないので、脱出することができない。
然るべくして、次善の策として、機能不全家族の下で耐え忍びながら生活力を身に付け脱出の機会を伺うという選択肢を取ることになるが、これがものすごくつらい。
そもそも「子供が生活力を身に付けられない」ことを病理として、機能不全家族は定義されているわけだから、それができるなら問題となっていない。
行政による介入でも、家庭に踏み込むのでも、なんでもいいから、この苦しみを軽減してほしい。
人は、家庭をホームベースとして出撃(=仕事をしたりすること)できる存在であればこそ、ホームベースがしっかりしていなければどこにも出撃することができない。
この間、「外の世界」には優しい人たちばかりだということがよくわかった。いますぐにでも私は「外の世界」に飛び出して社会に参画したいと思っている。
しかし、最後の砦として、「内の世界」であるホームベースとしての家族の機能不全がそれを阻んでいる。
「内の世界」の負のエネルギーは強烈で、「外の世界」の溢れんばかりの優しさを打ち消して余りある。
どんなに日本が素晴らしい国だったとしても、機能不全家族の下にいる人にはそれを感じることができないのだ。
どうにかならないものか。助けてほしい。