はてなキーワード: 次善の策とは
結婚制度は廃止できるのだろうか。おそらく難しいだろう。現在、結婚制度はあまりにも深く社会に根付いており、また特権を得ている人々の数も多い。民主的な手続きを持って結婚制度を廃止することは到底できないだろう、といわざるを得ない。
それでは、何が次善の策になるだろうか。結婚制度が本質的に差別的・抑圧的なのであれば、一体どうすればよりマシな結婚制度にすることができるだろうか。
まず、結婚制度から排除されている人々を包摂することである。同性婚の法制化がその最初のステップになるだろう。
そして、結婚の在り方を多様化して結婚制度に包摂されている人々のライフコースの縛りを緩めることである。友人同士の結婚、契約結婚、事実婚など様々な結婚の在り方があり得る。
いま全国で5件の同性婚訴訟が争われている。また世論においても、2019年の電通調査によると20~50代の8割近くが同性婚に肯定的だという(※3)。まさに同性婚に向けての風が吹いているといってよい状況だろう。
ここまで述べてきたように、同性婚が認められるべき理由は、認めないことそれ自体が同/両性愛者差別でしかないからだ。異性カップルを特権化・規範化し、同性カップルの関係性を価値のないものとして貶めている。結婚制度から排除された人々を包摂するために、第一にすべきことは同性婚の法制化であるはずだ。
この風のなか前に進むために、力を合わせようではないか。NPO法人EMA日本のサイトでは、ネット署名もできる。これからのよりマシな社会のために、よりマシな結婚制度を作っていこう。
出典元
http://emajapan.org/donate/advocate
一歩ずつがんばろう!
私は平均年収1000万近い大手SIerで部長職をしている。最近課長以下を含む30代以下の若手が「こんなご時世だしテレワークを」と言い始めた。
もちろんコロナの関係でテレワーク推進はわかる。ただし、そもそも「テレワークをしたいだけの人」なのか「このご時世なので次善の策がテレワークに過ぎない」のかによってその人のビジネスマンとしての一流度合いがはっきり分かれることに気づいた。その理由を以下にあげる。
結局テレワークしたい連中というのは家でサボってスマホでもさわっていたいというのが見え見えである。一方で出社という緊張感を仕事のモチベーションにうまく変換できているようなメンバーはテレワーク推進下にもかかわらず万全の対策をした上で出社によってメリハリを付けて、最低限のテレワークで済んでいる。もちろんサボっているようなメンバーには折を見て電話をかけるなどして緊張感の維持に努めているが、やはり出社して自分から仕事の申し出をするようなメンバーとは差がついてしまう。
テレワーク派がよくいう「集中できる環境で仕事に没頭できるため生産性が上がる」という意見は大間違いである。そもそも一人でプログラミングしているような作業は生産性が高いように見えて単なる自己満足にすぎない。一番の生産性というのは会社の利益であり、結局は顧客の元に足繁く通い仕事をとってくることに尽きる。それができない人材が結局プログラミングのような誰でもできる単純作業を任されるだけであり、その人の生産性というのはたかが知れている。
平社員は一人分の仕事をすれば十分であるが、管理職になると組織として利益を上げることを求められ、目標となる数字は平社員の10倍や100倍となる。参考までに私の半年間の目標値は30億ほどであり、課長職でも3億程度は要求している。30億という数字は実に平社員の200倍以上である。テレワークとはこれだけの生産性を要求される管理職の時間を奪うということを意味している。たかだか年間1000万程度の生産性の人間が3億の生産性を上げる人間の時間をより奪う行為というのがどれだけ犯罪的かというのがわかるだろう。そして一般にテレワークを好む人間は平社員に多い。つまり役に立たない人間が一流ビジネスマンの時間泥棒をするだけの行為なのだ。
おそらく3流ビジネスマンが図星を疲れてあーだこーだ反論してくるのは目に見えているが、テレワーク推進派はこういった生産性の高い人材にフリーライドする傾向があり、一流ビジネスマンの人々は内心「うんうん」って思った人が多いのではないだろうか。
- 以上 -
炭治郎は「僕」って言わないけど、あの歌は明らかに炭治郎をイメージしてて、でも炭治郎は「ありがとう、悲しみよ」なんて言わない。つまり、あの歌は鬼視点と炭治郎視点が混じり合ってる。
あと、紅蓮華なんて用語は作中に出こないけど青い彼岸花なら出てくる。そんでその反対、つまりは正攻法の解決でなく暴力で突破することを意味してる。暴力による殲滅は次善の策であり、本当ならとっとと青い彼岸花でゴールしたいとお互いが思ってるという現状への皮肉だ。
いや、待てよ、乱暴に敷き詰められた棘だらけの道って誰の話だ?炭治郎ではない。鬼も違う。これがハマるのはお館様と無惨ぐらいか。他は道を進んでるのではなく、目の前の敵をただ殺して回ってるだけだもんな。でもお館様が「ありがとう、悲しみよ」なんて言うのかな?いや、だから「何度でも立ち上がれ!」なのか。酷い奴だな、お館様。なんだこの主題歌
竹中7万発言で話題だけど普通にベーシックインカム自体に反対。
だって成功者にまで金を配る分を、お金が足らない人、お金がかかる人に予算を回すのが理想じゃない。
それがかなわないのは、条件をつけていくほど配る効率ががくっと落ちるし、行政に捕捉されず制度が使えない人が増えるから。
じゃあ次善の策が既存の制度+しょぼい額のBIになるか?っていうとそうはなるわけないやん。
結局BIの額で生きていけないんだから困ってる人は行政に頼るしかなくて、かかる行政コストはそのまんま
でBIの一律に配るから細野にも高橋にも渡るよって悪いとこそのまんま。
ポリコレポリコレ言ってる人たちは「LGBTのパイが少ないからLGBTの役はLGBTの役者にやらせろ」とは言うけど、「LGBTの医者が少ないからLGBTの医者の数を増やせ」とは言わないんだよな。(LGBTは黒色人種でも黄色人種でもマイノリティなら何でもいい)
なぜかって、数合わせのために医者にしたやつがとんだヤブで人が死ぬと困るからだろう。
医者に必要な要素は、LBGTではなく、人種でもなく、適切な診断や治療法を考えられる頭脳だから。
でもそれなら、役者に必要なのは当事者性じゃなくて演技力と、役に合った外見じゃないの?(美しければいいとかではなく、運動神経抜群の設定の人物の外見がデブだったら違和感を感じるし、逆にデブだからいじめられてる設定の人物の外見がほっそりした美形だったら違和感を感じるという話)
LGBTだろうがなかろうが棒読みの素人だったら見るに堪えないし、LGBTであるかのように振舞えるなら、本人の性的志向とかどうでもいいと思う。もちろん、当事者の方が、演じている人物の苦悩がわかるから、リアリティのある演技ができる可能性はある。でも、当事者なら絶対にリアリティがあるというわけではないだろうし、それ以外の演技力が劣っている可能性ももちろんある。当事者性はリアリティのある演技をするために貢献するかもしれないが、本当に評価されているのは当事者性ではなく、リアリティのある演技ができるかどうかであるのではないか、と思う。
医者の子供は小さいころから親の仕事を見て、一般人より医学的な知識が多いかもしれない。でも、医者の子供だということを評価されて国家試験に合格したのではなく、医学的な知識を評価されて国家試験に合格したのだ。
実力以外で選ばれた人間が医者になったら医学のクオリティが下がり私が死ぬからそれはダメ。
でも役者なら実力以外で選ばれてドラマなり映画なりのクオリティが下がっても構わない。なぜなら私に害はないから。
って考えだとしたら、ずいぶん舐められてるなぁと、芸術関連に明るくない自分でも思う。
もしもLGBTの役者が演技力は十分なのに、偏見のため選ばれないのが問題ならオーディションでの評価を透明化するとか、そっちを変えるべきなんじゃないの?
オーディションを平等化するのは今は困難であり、平等化するための方法は試行錯誤中だ。いずれ平等に評価できるようにするから、それまでの次善の策として、LGBTに特権を付与している。という話ならまだ納得がいくけど、平等化するためにどういう方策を頑張っているみたいな話は聞かない。
そうなると、いつ次善の策から最善の策に変わるのかなど大した指標もなく、次善の策だけがなあなあでズルズルと続きそうな気がする。
ついでに言うなら今デモが起こってる理由の半分くらいはコロナの不安とかイライラとかをぶつけたい人たちが的を見つけたんだろうなと思っている。
常に差別問題に悩んでいる人もいないとは言わないが、過激化したのはコロナのせいだと思う。
まあ当事者から差別されたことがないからわからないんだ人でなしと言われれば、LGBT差別を受けたことがないのはその通りだし甘受するしかないが、当事者でもないポリコレ翼賛会の一員からなんか言われるとLGBTの問題はLGBTが言うべきでは? 文化盗用では? とか言いたくなってしまうな。
いじめを無くそうとしているって話をしてるんじゃなくてだな。なんて言えばいいんだろ。
お前の話も、いじめ対策っていう観点からすると、ちょっと違うんだよね。
まず最初に「誰かを排斥したい人(子供)」というのが発生するんだよね。
この時に初めて排斥できそうな属性の人、属性の違う人を見つけ出す。
もしも人種の違う人がいなければ、恐らく別の属性の人を探す……というか、人種が違う人がクラスにいようが、矛先が単なるブサメンに向かうことも当然あるんだよね。そこは場の空気というか、単なるランダムなの。誰でもなる。社会に差別があろうがなかろうが対象にはなる。
あくまでも、被害者は誰でもいいんだよね。属性を元に選ばれていたとしても、属性のせいではない。
もしも「属性のせいでいじめられた」なんて理解をしていると(残念ながらこの理解をしている人が非専門家には大半だ)、対策の方向性が全然違う方向に向かうんだよね。例えば、さっきツイッターで、外人タレントか何かが、過去いじめられたときに「みんながハーフはかっこいいから嫉妬しているんだよ」って言われた話をしてたのを見たけど、それなんか間違いの最たるもの。被害者の属性のほうで対応しようとしてしまっている。
やるべきは、誰かを排斥したくなるようなストレスや環境や状況を無くすことなんだよな。人間は排斥をする生き物なんだって簡単にいうけど、それはある特定の状況でするという話にすぎなくて、必ず排斥するって話じゃないから。次善の策が、もし排斥された人がいたらそいつの責任は一切問わずにただケアをすること。
ただ他のところでも、同じように言っているやつが多すぎて、差別に関する知識はないがいじめ関連の知識はある俺が、ちょっと気になっている話。確かに何らかの齟齬があるここには
俺は塾講師だ。この業界、さっさと休みにしてしまったところも結構あるんだが、俺の務めているところは開けている。春期講習のシーズンに閉じるなんて、余程の資本でなければ難しいから。
その代わり、出来得る限りの対策をしよう、という話になった。まず生徒同士の距離を広くし、対面に決してならないように席の配置を改めた。1回の授業あたりの生徒数も制限をかけた。授業間には窓を完全開放して換気し、全ての座席を塩素系漂白剤の希釈液(ノロ騒ぎのときに使われてたアレな)で拭いている。まあこれは、こっちが休業しなければならないかどうかの瀬戸際なんだから、そりゃあ徹底するよな。問題は生徒の方なんだ。
もちろん、生徒側にも対策をさせなければならないので、最初に各保護者に以下のように通知した。
ところが……だ。まずマスクをしてこない生徒がいる。結構多い。次善の策として、マスクをしていない生徒には来てすぐにうがいをしてもらうことにした(正直効果ないと思うが)。あと、特に小学生に多いんだが、マスクが邪魔なのか頻りに触ったり、鼻を出したり、甚しきに至っては外してしまったりする。マスクに触る度に他の生徒の前で手を消毒してやると、触るのは控えるようになるけれど、ふと目をやるとマスクをしていなかったりする。これじゃ駄目だよな。せっかく親が苦労して探してきてくれてるんだろうに。
マスクの有無に関わらず、まず洗面所に直行させて手を洗わせる。ハンドソープはもともと常備してあるので、それで手を洗わせるわけだが、まーその洗い方が酷い。まともに洗える生徒は……ああ、一人だけいたな。確か親が看護師だった筈だが、この子だけは完璧な洗い方を披露してくれて、思わず見て唸った。しかしそれ以外の生徒は、手にピンポン玉位の泡を乗せ、表と裏に塗りつけて数度手を往復してジャー。おしまい、だ。あまりにそれが多いので、手の洗い方を教える気も失せてしまった。まあアルコールで……と思ったが、こういう生徒はアルコールでも同じことをやる。結局十分な手指の消毒ができない状況だ。
アホガキが……と毒突きたくなったが、これってよく考えたら親がそうやってるんだろうな。少なくとも、我が子がそうやって手を洗ったりアルコールで消毒していたりするのを見て満足しているんだろう。これが何を示しているか、というと、つまりは大人も含めて、日本人全体の認識がその程度だ、ってことなんだよな。
まあとにかく、日々これを見ているので、自信をもって言える。日本人、他の国の人達と比べてそう衛生観念、というか防疫の観念において優れてるってわけじゃないんだよ。たまたまハグやチークキスとかいう習慣がないってだけで、他はそう大したことはない。だからこの先COVID-19がどうなるか、俺はとてもじゃないが楽観的にはなれないんだ。
CDBが『「一線」のない運動』『終わりも目的地もない運動』だと宣言した。
https://twitter.com/c4dbeginner/status/1231003694033883137?s=21
サイアクだ。
しかしこれは、実際に宣言はなされて、そうでない論を述べていた他の人たちの見解は上書きされてしまったと考えるべきだろう。
CDBが大物だという意味なんかではない。だがそうなんだ。これは冷静にそう位置付けて、なんとか次善の策を探るべき状況だ。
だれか、チャートやポンチ絵というふうな、図解などを用いてこれをさらに(上書きとはいわないから)再宣言してくれる者はいないか。
私たちが女性の人権を目の前にするときに、ひとり一党派であっても、ひとり一民族であっても、それはとにかく何でも良い。
しかしそれはそれとしておいても、いま示す必要があるのは、私たちはなぜあの批判が可能であったのか? なぜ個々の「お気持ち」ではなく、合意を分かち合えていたように感じることができていたのか? ここにある価値とは何か? そのことをあらためて手渡しできる形で取り戻すことが必要だ。
さもなくば……は、まだ俎上にあげたくない。
どうか、たのむ。
https://maidonanews.jp/article/13028875
を見て思ったこと。
大規模災害が起きるとレイプ事案が発生しやすくなるのは現状仕方がない。
生命の危機が近くにある状況で男性の性欲が上がるのは科学的に証明されているし、その上で性欲発散機会がろくに無い避難所生活を強いられたら、レイプが増えて当然だ。
解決策は被災者の性欲を発散できる仕組みを設けるか、性欲を無くす仕組みを作るかのどちらかしかない。
後者はもちろん被災者を去勢させることである。しかしこれでは大規模災害の度にオカマが大量生産されてしまう。
昨今の女系天皇論争において、悠仁さまが一夫多妻制をとる、側室制度を復活させるということを考える必要があるというのが私の意見である。旧皇族の皇籍復帰という選択肢があることは承知しているが、今回は側室制度の復活について皆様の意見を伺いたい。
仮に悠仁さまが一夫一妻の形で結婚し、2人子供をもうけたとき、男の子が生まれない確率は1/4、25%であり、無視できない程度に高い。一方で悠仁さまが3人の女性と重婚し、それぞれが2人ずつ子供をもうけた場合、男の子が1人も生まれない確率は1/64、1.56%とかなり低い確率になる。
一方で問題は一夫一妻が当たり前の現行社会で、果たして側室制度というのが人権的にOKなのかという話である。私はこのことに関して、短期的な人権問題やジェンダー論、合理性だけで女系皇族を認めるべきではなく、次善の策として一夫多妻制を認めるよりも致し方がないのではと考えている。
もとより皇族は日本国憲法の掲げる「日本国民」とは区別されており、本来存在する基本的人権の多くが認められていない。皇族は現行憲法の適用外であり、したがって憲法の下に存在する 民法も適用外である。民法が適用されないならば、必ずしも一夫一妻である必要はなく、血統維持のために重婚が認められてもいいのではと考えている。
しかもいい加減な育て方なんかされたくはない。
どのくらいの費用を支払ったら満足いく子育てをしてくれる人を雇えるのだろう。
どれだけの教育を受けた優秀なシッターでも自分たち夫婦の方針に沿った子育てでなくては預ける意味はなかろうと思う。
あるいは何も考えずに預けることができて、なにかトラブルがあったら文句を言えばいいのか?
実際毎日の子育ては戦場のようなものなんだろうから、預け先のことを吟味してる余裕なんかないというのが本音だと思う。
あとはそれだけのことを任せられるシッターってそんなに確保できるの?
自分の子供をほっぽっておいてよその子供を誠心誠意我が子のようなつもりで育てるのだろうか?
それとも子供ができなかった人をシッターとして教育するのだろうか?
保育園ならまだ何人もの子供を集団で育てるからそのあたりのことはカバーしやすい。
でも子供にとって一番大事な時期を預けたいと思う人ばかり多くて、でも預けるのに適した人が少なくて、そんな中で宙ぶらりんになってしまうのは間に立たされた当の子供だろう。
でもさあ、一方で孤独な子育てでボロボロになっちゃって苦しんでしまっている親子というのも世の中にはたくさんいるわけで。
多分ね、パート勤めをして子育てをってのはそのギリギリの判断の中で親子にとって最善にはなれなくても次善の策とはなるって計算が働いているのではないかと思うのよ。
最善ではない。
昔だったらこういうときに近所のおばちゃんのところに預けていたのだろうと思う。
でも今は何かあったときの訴訟リスクが高いから、早々簡単に預かってはもらえないだろうし、預ける側だって嫌だろうと思う。
それに自分が近所の子のことまで見てあげてる間に、その子の親は働いてるんだぜ?
いつもそばにいてあげられなくてごめんね、とお詫びの意味も込めて買ってきた我が子の可愛さを引き立てる服。
困った…
できればこんな悲しい展開でない、子供を生み育てるのにふさわしい環境っていうのをはてなーなら思いつけるのではないだろうか?
きっとよいアイデアがトラバやはてブにいっぱい並ぶのではないかと期待してる。
どうか、うまくいきますように
最近気づいたお悩み
で、自意識過剰とはわかりつつも自分の発言も言っていいかすごく考えてしまう。
やってる側も楽しそうだな~と思うので
自分もそうしたいわけですよ。
何かを出せば時には反応がかえってきて、
「貴様は何を言っているんだ?」ってなることもまああるし(それを実際外に出し返すとかはおいといて)
自分の考えにもそういう反応されることはあるよね。時には。
そういうときにできるだけ「そうなんだろうな、貴様の中ではな」
ってできるだけその考えを切り離してその発言者にまでは恨み言をぶつけないようにしたいなって思う。
前置きが長くなったが何が悩みかっていうと
似たようなタイプに同族嫌悪してしまって、その人自体にめっちゃイラっとしてしまう。
わかるから、「おめーのそれもブーメランだっつーの言いたいこと言わせろや!!」
全肯定とかしてらんねーっつーの。
「パクチー好きなんだよね~」に対して
「えー私無理~~~~」つってそれを相手自体の否定に取られてちゃめんどくせえんだよ!
でも好きじゃないってばっさり言われていい気はしないのもまあわかるじゃん。
わかるゆえにじゃあどうすりゃええねんっていう!!!
こうなんか相手ののイラっとを誘発してしまいそう/してしまったときに
ことを収める次善の策があるのか、それが気になる。
だって自分は多分何言われてもイラっとしたらイライラ返しにしかならないもん。
その先には相手自体への否定しか待ってないのよ。そこまでしたいわけじゃないのに、得しないし。
普段発言に気を付けてるつもり故に相手の地雷踏むと繊細ヤクザみたいなこと言いそうになってそれはそれで自己嫌悪コース。
ツイッターのFF外からの殴り込みやブログとかのコメ欄みたいな赤の他人は「そうなんですね(笑)」と切り捨てりゃええけどな。
無理であったとしても次善の策がないならこれが最善なんですよ?