はてなキーワード: 拒食症とは
精神病以外何者でもないよね。
治療が必要だとしか思えないんだけど、なぜか他の精神疾患と違ってその本人の狂った主張のご希望に沿って体を改造する方向に行くのが全ての間違い
拒食症が太ってるからって言うからって脂肪吸引を勧める医者はいないし、腕があるのがおかしいって腕を切りましょうってなるわけないのに、なぜか性別に関しては簡単にそっち系の治療に行くのが怖い
幼少期から耐え難いほどの苦痛を感じて、思春期から成人してもずっとその主張をしてうつ病になったりして初めてホルモン治療するくらいがちょうどいいと思う。
とりあえず男として女と子供作ることできた時点で、男性器に対する嫌悪感がそれほどないからホルモン治療は受けられませんよってことにしないと無法地帯になる。
胸を大きくしたいなら豊胸手術したらいいし、わざわざホルモン入れる必要ないよね。
自認してる性別と違う体で普通に生きてた時期があった人は普通に趣味として楽しめばいいだけだと思う
趣味だから女装おっさんとして男性トイレをうろうろして男たちに見られる自分の中のゲイ要素を目覚めさせて、女装男が好きな男と幸せに暮らして欲しい
「やせているとなぜか安心」「体重を増やすのは怖い」と感じているのはなぜでしょうか?
拒食症の「やせ」にはメリットがあるのです。やせると「嫌なことをそれほど嫌とは感じない」「つらいことも耐えられる」という心理の変化が起こります。
これはストレスへのひとつの防衛反応です。カロリー計算や運動などやせることにのめりこんで、他のことを考えないようにするという不適切な反応が出てしまいます。
「やせていればなぜか安心だった」、「いやな現実を考えないで済む」、「周囲が優しくしてくれる」、「失敗してもやせのせいにできる」、「やせることだけが今までで一番の達成感」と感じてしまいます。
毎週日曜朝8時30分からの放送を楽しみにしていたデリシャスパーティ♡プリキュアが終わった。
デリシャスパーティ♡プリキュアはごはんをテーマにしたプリキュアで、お米がモチーフのキュアプレシャス、パンがモチーフのキュアスパイシー、麺がモチーフのキュアヤムヤムに加え、18話からはデザートがモチーフのキュアフィナーレも参加した4人のプリキュアと、個性豊かなサブキャラクターたちによってストーリーが繰り広げられる。
最終話を見た後、誰の誕生日でもないこの日に合わせて購入したキャラデコパーティーケーキを頬張って、アラサー女は声を上げて泣いた。
プリキュアシリーズは開始から今なお根強い人気を誇っているため、毎週放送の度Twitterのトレンドに関連用語が入る。私がデリシャスパーティ♡プリキュア(以下デパプリ)を知ったのも、次のプリキュアがデパプリになるという発表がトレンドに入っていたからだ。
キャラデザがべらぼうに可愛いと思った。プレシャスに一目惚れした。プリキュアは昔少し追っていて、いつの間にかやめてしまったが即再開しようと思った。仕事と家の往復しかない虚しい1週間に楽しみができるのは非常に良いことだ。それに日曜日に早起きができるとなかなかQOLが上がる。
摂食障害と言うには私の症状は軽いものだったと思う。そも未診断だし、なりかけと言った方がいいかもしれない。でもそうでない人と比べると自分の異常性は明らかだった。思考も発想も認知も歪んでいた。進んで骨と皮になりたがるのはやはり異常なのだ。それに、今だってそういう考えが完全になくなったわけではない。
きっかけはダイエットではあったが、直接のきっかけになったのは親友の存在だった。
親友(以下Sとする)は学生の頃からの付き合いだった。Sは無自覚の拒食症みたいな奴で、一日一食カロリーメイトだけ食べて生きてるような奴だった。同い年で身長は平均ほどあったが、体重は小学生のそれだったし、生理も止まっていた。太ももからふくらはぎにかけての曲線がない棒のような自らの脚を撫ぜ、もっと細くなりたいと言っていた。吐くとスッキリするからと頻繁に吐いていたら吐きグセがついて、食べたものがすぐ戻ってくるようになったとあっけらかんと語っていたこともあった。しかし遊びに行けば人並みに食事をしていたし、ヘルシーなものよりジャンクなものをよく食べていたので、私はSを病気とは思っていなかった(偏食だなあとは思っていた)。
私たちは性格も趣向も正反対だったが、一点だけすこぶる気の合う趣味があったのでそれで仲良くなった。
Sはどこか厭世的で、人間という生き物が嫌いな奴だった。"生きる"という行為そのものを嫌いっている節すらあった。自分の名前を嫌い、本名にかすりもしないあだ名で自分を呼ばせた。夜を好み、自由を好み、意思も感情も存在しない無機物を好んだ。かと言って死にたがっているわけでもなく、自分大好きナルシストで、常に楽で楽しそうな方に漂いながら刹那的に生きている奴だった。早い話が厨二病を拗らせていた奴だったのだが、それがさまになるくらいには顔が良く、雰囲気があった。
対する私はちょっと少女趣味を拗らせているだけの平凡な女だ。どこにでもいるような普通のオタクだ。ダイエットをしていたと言っても「痩せたーい」と言いながらお菓子を食べてたまに気が向いた時に運動の真似事をする程度のかわいらしいものだった。私から見ればSは非凡以外の何物でもなかった。私にはSのような後先考えない行動は怖くてできない。Sと会話していると考え方の違いに驚くことがとにかく多かったし、自分にないものをたくさん持っているSに憧れていた。
そしてSが、ふらふらとあちこちのコミュニティを転々としているSが、唯一私のことは好ましく思って離れずにいることに、私は浮かれていた。いつの間にか、Sが私の親友であることが私の自信になっていた。
アイドルに認知された、みたいな。どこにでもいる普通の女の子が超絶イケメンに気に入られる系の恋愛漫画のヒロインになった、みたいな。そんな気持ちだった。
平凡で普通の私でもSといればその枠からはみ出せる。Sが私を特別にしてくれる。
この人の隣に並べるような人間になろう。
最初のうちは、食事の量を減らせばスルスルと体重が落ちていった。減っていく数字はモチベーションになり精神安定剤になった。前よりも自信を持って可愛い服が着られるのが嬉しかった。空腹は水を大量に飲んで誤魔化した。いつも腹が鳴っていた。毎日SNSのダイエッターを見て試せるものを片っ端から試した。サプリの類も試したが便通が良くなるだけでほぼ効かなかった。そうこうしているうちに摂食障害界隈にもたどり着いたが、自分はこの人たちとは違ってうまくダイエットができていると思っていた。こうはなるまいとも思っていた。結果なったわけだが。
そのうち体重が減らなくなってきた。焦りと自己嫌悪で発狂しそうだったが、どこまでも平凡な人間である私には発狂すらできなかった。家にいるより外にいた方が気は紛れたが、誰かと遊ぶと食事が付き纏ってくるのが憂鬱だった。毎日、道ゆく他人に「私って痩せてますか」と肩を引っ掴んで聞いて回りたい気持ちでいっぱいだった。Sと遊びに行くのは何よりも苦痛だった。Sと並んで歩くと私は世界一デブみたいに思えた。すごく惨めで早く痩せたかったが、体重はずっと停滞していた。SNSで摂食界隈を見に行く回数が増えた。自分と同じような人がいて安心するのと同時に、安心する自分を嫌悪した。私は病気じゃないのになんで病気の人を見て安心してしまうんだ、Sだって私と遊んでいる時は普通に外食しててあんなに痩せてるんだから病気じゃない、食べて吐いたら痩せて当然だ、そうじゃないからSは特別だし私も特別になれるんだ、と自分に言い聞かせた。しかしこのあたりの時期にSに吐き癖があることを本人から聞かされた。この頃には私の頭はだいぶやられていて、Sはあくまで特別な人間で、Sを摂食と認めてしまうと私も摂食になってしまって私は特別では無くなってしまう、なんて思考回路になっていたので、吐きダコとかもないし逆流性食道炎なのかなあとか呑気に思った。
でもぼんやりと心のどこかで、やっぱり吐かないと痩せられないのかなあとも思った。
私は嘔吐恐怖症だ。
他人でも自分でも身内でも、フィクションでも聞くのも見るのも無理だ。職業柄字面だけは慣れたが話題に上がることもしんどい。ノロウイルスが流行る時期になると恐怖しかない。
摂食界隈には過食嘔吐の人が圧倒的に多い。菓子パンとか惣菜とかを大量に並べた写真を過食材と言ってアップしている人をよく見た。病気で苦しんでる人になんてこと思うんだとは分かっているが、私はこの人たちが羨ましかった。あんなに好きなだけ食べてるのに吐いてるから太らない。私だって吐ければもっと食べたいものがいっぱいあるのに。吐ければ今よりもっと痩せられるのに。私だって吐きたい。吐けさえすれば。恐れている嘔吐が甘美な響きに聞こえてきた頃が限界だった。
コンビニに行った。スーパーに行った。何軒もハシゴした。今まで我慢してた食べたかったものを全部買って、両手に大きな袋を持って、気になってた食べ物を片っ端から注文した。全部食べた。美味しかった。少なくとも舌は美味しかったと記憶していた。だからこれは病気じゃない。全部美味しかったから私は病気じゃない。病気だったら美味しいなんて思わないから。病気だったらもっと苦しいから。そう思った。
終ぞ一滴も吐くことはできなかった。
Sとは絶縁した。
デパプリの放送が始まったのは限界を迎えていたそんな時だった。やっぱりキャラデザがべらぼうに可愛くて、動いて喋るプレシャスは最高だった。1000キロカロリー程度のパンチじゃ私は倒れないなと自嘲した。
ただ、子供向け作品だからなのか、食というテーマと連動しやすいダイエットについての話が全くなかったのは非常に有り難かった。
デパプリは、素材の生産者や家族の食事のあり方まで、食というものをとことん丁寧に描いていた。出てくる料理もどれも美味しそうだった。真剣に食と向き合って作られた作品だと心底感じた。
プレシャスは、ゆいちゃんは、いい子だった。明るくて活発で好きなものに真っ直ぐで、優しくて仲間思いで、いつもみんなの中心にいて、それが当たり前で、この子がいる場所はそこしかないと思わせるような子だったけど嫌味がなくて、見ていて気持ちの良いくらいの主人公だった。誰かが立ち止まった時、どの方向を向いたらいいか考えさせてくれる、いつも導いてくれていたのはゆいちゃんだった。この作品の主人公はゆいちゃんしかありえないと思うけど、圧倒的な先導力で引っ張るタイプのリーダーというよりは、すぐ隣にいてくれる友達のような子だった。デパプリは遠い世界、自分と関係ない世界で起こっている話という感じがあまりしなくて、毎週、ゆいちゃんとその友達とで作られていくストーリーの中に、私が居ていい場所が用意されているように感じた。ゆいちゃんもゆいちゃんの周りの人たちもみんな優しくて、あたたかかった。毎週友達の話が聞けるようで楽しみだし楽しかった。
ゆいちゃんが大切にしていることや、みんなが大切に思っていることに特別な事は無かった。小学校や幼稚園、あるいは物心つく前から教わっているような、誰でも知っているようなことばかりだ。特別に何かの能力が優れているとか、他とは違う突出した何かがあるとか、多くの人が持っていないものを持っているとか、そういう事を特別扱いしていなかった。
異端を求めた。大多数とは違う存在になろうとした。死に向かっていけば、みんなが見ている方向と違う方を見ていれば、違う存在になれる気がした。私がしていたのは生の放棄だ。
食事を嫌った。食べることを、食べ物を美味しいと思うことを、何かを食べたいと思うことを嫌がった。食べたらまた生きてしまうから。美味しいと思ったら、また食べたくなってしまうから。
お腹が空くことは、食べ物を食べることは、満腹になることは、卑しい行為だと思い込んだ。生にしがみつく、浅ましい行動だと嫌悪した。
本当は食べることが好きだった。
全部全部大好きだった。
ずっと忘れていた。忘れようとして蓋をしていた。あんなに好きだったことなのに、どうして忘れてしまったんだろう。どうして嫌いになってしまったんだろう。忘れたくなんてなかったのに。嫌いになんてなりたくなかったのに。食べることが好きだった。大好きだった。好きなものを好きな自分のことが、好きだった。嫌いになる必要なんてなかったのに。何よりも自分が自分のことを、特別だと思っていたのに。
やっと思い出せた。
忘れちゃいけなかった。
誰よりも食べることが好きな彼女だから、食べることを大切に思っていた彼女だったから、「ごはんは笑顔」という言葉を信じ続けていた彼女だったから、毎週毎週真っ直ぐに、一年間伝えてくれたのが、彼女が、和実ゆいが、キュアプレシャスになってくれたから。私は大切なことを思い出すことができた。この作品に出会えて、本当に良かった。
毎週日曜朝8時30分からの放送を楽しみにしていたデリシャスパーティ♡プリキュアが終わった。
デリシャスパーティ♡プリキュアはごはんをテーマにしたプリキュアで、お米がモチーフのキュアプレシャス、パンがモチーフのキュアスパイシー、麺がモチーフのキュアヤムヤムに加え、18話からはデザートがモチーフのキュアフィナーレも参加した4人のプリキュアと、個性豊かなサブキャラクターたちによってストーリーが繰り広げられる。
最終話を見た後、誰の誕生日でもないこの日に合わせて購入したキャラデコパーティーケーキを頬張って、アラサー女は声を上げて泣いた。
プリキュアシリーズは開始から今なお根強い人気を誇っているため、毎週放送の度Twitterのトレンドに関連用語が入る。私がデリシャスパーティ♡プリキュア(以下デパプリ)を知ったのも、次のプリキュアがデパプリになるという発表がトレンドに入っていたからだ。
キャラデザがべらぼうに可愛いと思った。プレシャスに一目惚れした。プリキュアは昔少し追っていて、いつの間にかやめてしまったが即再開しようと思った。仕事と家の往復しかない虚しい1週間に楽しみができるのは非常に良いことだ。それに日曜日に早起きができるとなかなかQOLが上がる。
摂食障害と言うには私の症状は軽いものだったと思う。そも未診断だし、なりかけと言った方がいいかもしれない。でもそうでない人と比べると自分の異常性は明らかだった。思考も発想も認知も歪んでいた。進んで骨と皮になりたがるのはやはり異常なのだ。それに、今だってそういう考えが完全になくなったわけではない。
きっかけはダイエットではあったが、直接のきっかけになったのは親友の存在だった。
親友(以下Sとする)は学生の頃からの付き合いだった。Sは無自覚の拒食症みたいな奴で、一日一食カロリーメイトだけ食べて生きてるような奴だった。同い年で身長は平均ほどあったが、体重は小学生のそれだったし、生理も止まっていた。太ももからふくらはぎにかけての曲線がない棒のような自らの脚を撫ぜ、もっと細くなりたいと言っていた。吐くとスッキリするからと頻繁に吐いていたら吐きグセがついて、食べたものがすぐ戻ってくるようになったとあっけらかんと語っていたこともあった。しかし遊びに行けば人並みに食事をしていたし、ヘルシーなものよりジャンクなものをよく食べていたので、私はSを病気とは思っていなかった(偏食だなあとは思っていた)。
私たちは性格も趣向も正反対だったが、一点だけすこぶる気の合う趣味があったのでそれで仲良くなった。
Sはどこか厭世的で、人間という生き物が嫌いな奴だった。"生きる"という行為そのものを嫌いっている節すらあった。自分の名前を嫌い、本名にかすりもしないあだ名で自分を呼ばせた。夜を好み、自由を好み、意思も感情も存在しない無機物を好んだ。かと言って死にたがっているわけでもなく、自分大好きナルシストで、常に楽で楽しそうな方に漂いながら刹那的に生きている奴だった。早い話が厨二病を拗らせていた奴だったのだが、それがさまになるくらいには顔が良く、雰囲気があった。
対する私はちょっと少女趣味を拗らせているだけの平凡な女だ。どこにでもいるような普通のオタクだ。ダイエットをしていたと言っても「痩せたーい」と言いながらお菓子を食べてたまに気が向いた時に運動の真似事をする程度のかわいらしいものだった。私から見ればSは非凡以外の何物でもなかった。私にはSのような後先考えない行動は怖くてできない。Sと会話していると考え方の違いに驚くことがとにかく多かったし、自分にないものをたくさん持っているSに憧れていた。
そしてSが、ふらふらとあちこちのコミュニティを転々としているSが、唯一私のことは好ましく思って離れずにいることに、私は浮かれていた。いつの間にか、Sが私の親友であることが私の自信になっていた。
アイドルに認知された、みたいな。どこにでもいる普通の女の子が超絶イケメンに気に入られる系の恋愛漫画のヒロインになった、みたいな。そんな気持ちだった。
平凡で普通の私でもSといればその枠からはみ出せる。Sが私を特別にしてくれる。
この人の隣に並べるような人間になろう。
最初のうちは、食事の量を減らせばスルスルと体重が落ちていった。減っていく数字はモチベーションになり精神安定剤になった。前よりも自信を持って可愛い服が着られるのが嬉しかった。空腹は水を大量に飲んで誤魔化した。いつも腹が鳴っていた。毎日SNSのダイエッターを見て試せるものを片っ端から試した。サプリの類も試したが便通が良くなるだけでほぼ効かなかった。そうこうしているうちに摂食障害界隈にもたどり着いたが、自分はこの人たちとは違ってうまくダイエットができていると思っていた。こうはなるまいとも思っていた。結果なったわけだが。
そのうち体重が減らなくなってきた。焦りと自己嫌悪で発狂しそうだったが、どこまでも平凡な人間である私には発狂すらできなかった。家にいるより外にいた方が気は紛れたが、誰かと遊ぶと食事が付き纏ってくるのが憂鬱だった。毎日、道ゆく他人に「私って痩せてますか」と肩を引っ掴んで聞いて回りたい気持ちでいっぱいだった。Sと遊びに行くのは何よりも苦痛だった。Sと並んで歩くと私は世界一デブみたいに思えた。すごく惨めで早く痩せたかったが、体重はずっと停滞していた。SNSで摂食界隈を見に行く回数が増えた。自分と同じような人がいて安心するのと同時に、安心する自分を嫌悪した。私は病気じゃないのになんで病気の人を見て安心してしまうんだ、Sだって私と遊んでいる時は普通に外食しててあんなに痩せてるんだから病気じゃない、食べて吐いたら痩せて当然だ、そうじゃないからSは特別だし私も特別になれるんだ、と自分に言い聞かせた。しかしこのあたりの時期にSに吐き癖があることを本人から聞かされた。この頃には私の頭はだいぶやられていて、Sはあくまで特別な人間で、Sを摂食と認めてしまうと私も摂食になってしまって私は特別では無くなってしまう、なんて思考回路になっていたので、吐きダコとかもないし逆流性食道炎なのかなあとか呑気に思った。
でもぼんやりと心のどこかで、やっぱり吐かないと痩せられないのかなあとも思った。
私は嘔吐恐怖症だ。
他人でも自分でも身内でも、フィクションでも聞くのも見るのも無理だ。職業柄字面だけは慣れたが話題に上がることもしんどい。ノロウイルスが流行る時期になると恐怖しかない。
摂食界隈には過食嘔吐の人が圧倒的に多い。菓子パンとか惣菜とかを大量に並べた写真を過食材と言ってアップしている人をよく見た。病気で苦しんでる人になんてこと思うんだとは分かっているが、私はこの人たちが羨ましかった。あんなに好きなだけ食べてるのに吐いてるから太らない。私だって吐ければもっと食べたいものがいっぱいあるのに。吐ければ今よりもっと痩せられるのに。私だって吐きたい。吐けさえすれば。恐れている嘔吐が甘美な響きに聞こえてきた頃が限界だった。
コンビニに行った。スーパーに行った。何軒もハシゴした。今まで我慢してた食べたかったものを全部買って、両手に大きな袋を持って、気になってた食べ物を片っ端から注文した。全部食べた。美味しかった。少なくとも舌は美味しかったと記憶していた。だからこれは病気じゃない。全部美味しかったから私は病気じゃない。病気だったら美味しいなんて思わないから。病気だったらもっと苦しいから。そう思った。
終ぞ一滴も吐くことはできなかった。
Sとは絶縁した。
デパプリの放送が始まったのは限界を迎えていたそんな時だった。やっぱりキャラデザがべらぼうに可愛くて、動いて喋るプレシャスは最高だった。1000キロカロリー程度のパンチじゃ私は倒れないなと自嘲した。
ただ、子供向け作品だからなのか、食というテーマと連動しやすいダイエットについての話が全くなかったのは非常に有り難かった。
デパプリは、素材の生産者や家族の食事のあり方まで、食というものをとことん丁寧に描いていた。出てくる料理もどれも美味しそうだった。真剣に食と向き合って作られた作品だと心底感じた。
プレシャスは、ゆいちゃんは、いい子だった。明るくて活発で好きなものに真っ直ぐで、優しくて仲間思いで、いつもみんなの中心にいて、それが当たり前で、この子がいる場所はそこしかないと思わせるような子だったけど嫌味がなくて、見ていて気持ちの良いくらいの主人公だった。誰かが立ち止まった時、どの方向を向いたらいいか考えさせてくれる、いつも導いてくれていたのはゆいちゃんだった。この作品の主人公はゆいちゃんしかありえないと思うけど、圧倒的な先導力で引っ張るタイプのリーダーというよりは、すぐ隣にいてくれる友達のような子だった。デパプリは遠い世界、自分と関係ない世界で起こっている話という感じがあまりしなくて、毎週、ゆいちゃんとその友達とで作られていくストーリーの中に、私が居ていい場所が用意されているように感じた。ゆいちゃんもゆいちゃんの周りの人たちもみんな優しくて、あたたかかった。毎週友達の話が聞けるようで楽しみだし楽しかった。
ゆいちゃんが大切にしていることや、みんなが大切に思っていることに特別な事は無かった。小学校や幼稚園、あるいは物心つく前から教わっているような、誰でも知っているようなことばかりだ。特別に何かの能力が優れているとか、他とは違う突出した何かがあるとか、多くの人が持っていないものを持っているとか、そういう事を特別扱いしていなかった。
異端を求めた。大多数とは違う存在になろうとした。死に向かっていけば、みんなが見ている方向と違う方を見ていれば、違う存在になれる気がした。私がしていたのは生の放棄だ。
食事を嫌った。食べることを、食べ物を美味しいと思うことを、何かを食べたいと思うことを嫌がった。食べたらまた生きてしまうから。美味しいと思ったら、また食べたくなってしまうから。
お腹が空くことは、食べ物を食べることは、満腹になることは、卑しい行為だと思い込んだ。生にしがみつく、浅ましい行動だと嫌悪した。
本当は食べることが好きだった。
全部全部大好きだった。
ずっと忘れていた。忘れようとして蓋をしていた。あんなに好きだったことなのに、どうして忘れてしまったんだろう。どうして嫌いになってしまったんだろう。忘れたくなんてなかったのに。嫌いになんてなりたくなかったのに。食べることが好きだった。大好きだった。好きなものを好きな自分のことが、好きだった。嫌いになる必要なんてなかったのに。何よりも自分が自分のことを、特別だと思っていたのに。
やっと思い出せた。
忘れちゃいけなかった。
誰よりも食べることが好きな彼女だから、食べることを大切に思っていた彼女だったから、「ごはんは笑顔」という言葉を信じ続けていた彼女だったから、毎週毎週真っ直ぐに、一年間伝えてくれたのが、彼女が、和実ゆいが、キュアプレシャスになってくれたから。私は大切なことを思い出すことができた。この作品に出会えて、本当に良かった。
はっきりいって、公害なんだよなー。
気持ち悪い。
拒食症女を見てたら気持ち悪いと理解できる女も多いくせに、なぜ、メイクが気持ち悪いのが理解できないのか、分からない。もうとっくに適正体重超えてるのに、ガリガリ女が「まだ痩せたい」とか言ってるの見たら、キチガイと思うでしょ。
今のメイク女ばかりの世の中はそれに近い。
そこらの街路樹が、イキナリ作り物ばかりになったら、気持ち悪いでしょ。
過剰に皆と同じメイクしてる女、雑誌のメイクしてる女、これも完全に精神病だと思いますよ。
でも、そうしないと、同性に叩かれるんですってことらしいけど。そんな馬鹿みたいな同調圧持ってるのもまた気持ち悪い。頭がおかしいとしか思えない。
女同士の戦いから、拒食症になるパターンが拒食症では一番多い。そんなのどうでもいいだろうと思うんだけど、女はそれが理解できない。本質的に女特有の頭がおかしい部分なんだろうね。だって、医学的に女ばかりだから、拒食症って。その原因も女同士のいがみ合いがかなりの部分占めてるから。
同性同士で、美人だなんだと言い合ってるかもしれないけど、その気持ち悪さどうにかならないんだろうか。
よーするに、すっぴんのままブスでいることに耐えられないのかもしれないけどさ。
ピエロのメイクばかりの男が町中にいて、ピエロ恐怖症になるのに近い。
ほら、量産型女子大学生がたくさんうつって、見分けつかない画像とかあるじゃん。
あの中で飯でも食ってれば気持ち悪くなるやろ。
その感覚に近い。
コンビ二なんかでも、女性向け雑誌が置いてあるが、目が痛くなる。
気持ち悪いメイク女が表紙で、「メチャモテ」だの「きらきら」だのを毒々しい原色で書かれていて。
デコデコの精神病みたいな表紙。ビビッドとかって話じゃないだろ。幼稚園児の塗り絵みたいで気持ち悪い。
美人だとか、かわいいとか、どーでもよくなるほど、気持ち悪い。
これ叩かれると、女がいきなり発狂するのって。拒食症を叩かれて発狂するのに近い。
頭おかしいよ。
というか。メイクするぐらいだったら、整形してほしいわ。
前回、学校園との体操着の変遷についてまとめると書いたが、気が変わった。
電波ソング歌詞DBから「ブルマ」という歌詞を含んだ歌を検索する。
「バトルアスリーテス 大運動会」という1997年から1998年にかけてのメディアミックス作品の曲。OVAでヒロイン夏樹リオが歌う曲。SF、スペースオペラ、スポ根ものらしい。
……。
「いもうとブルマ」というあまりにもそのまんまなタイトルのゲームのOP。2002年。
主人公と幼馴染の姉妹の親同士が突然再婚し、幼馴染の姉妹が自分の義妹になった。良好だった関係がふとした関係で性的なものとなり……みたいな話。
「体操服とブルマだけでなく、レオタード、水着、チアリーディング服などを収録」だそうな。
はいアウト。
いもうとブルマ2というあまりにもそのまんまなゲームの続編。中身も親の再婚により突然4人の義妹たちの兄になってしまうというもの。2006年。ちなみに歌っているのは上の人と同じ萌娘。
関係ないけどブルマーフェチにも裾だしと裾たくし込みフェチや、食い込みやハミパンフェチと区別があるみたいだ。
ストーリーは、彼女との初体験で挫折した主人公を、義母が教え導くもの。コスプレの一つとしてちょっと言及されるだけである。
2009年のPrincess Party〜プリンセスパーティー〜というエロゲのOP。
古いゲームなので情報が少ないのではっきりしたことは言えないが。メインヒロインが青春禁止令を出しているそうだ。ただ、キャラの振る舞いとしてはツンデレ風だとか。
ブルマは脱がして燃やせばいいよ
暴挙。
片想いの相手が同僚と結婚することを告げられて、何も言えずに田舎に帰ってしまった主人公が、伯父の代理として教師をする物語で、OP映像があの新海誠である。そういわれてみれば主人公のうじうじ具合もそんな気がしてこないか。
それと、「ほしのこえ」ではヒロインのブルマー姿があったよな。
『1・2・3・4・5・6・7・8』
2001年に連載が始まったみづきたけひとによる「こはるびより」という漫画があるが、これを2007年にOVAにしたもののOP。
人間と同等の容姿・能力を持つメイドロボが実用化されている時代を舞台に、オタクでフィギュアマニアのご主人様にあくまでメイドでなく愛玩人形として扱われているメイドロボが、その使命とのギャップに悩む話、らしい。
1000歩譲って着せかえOK
これもブルマーそのものではなく、数多くのコスプレの一つとして出てくるに過ぎない。
anond:20220613080116のブクマにて載っていたので掲載。
「ぶるまー2000」というゲームの曲。2000年のゲームかな? ジャンルが「ケツゲー」。なんじゃそりゃ。エロゲのジャンル、いや、エロゲだけに限らないんだけど、ジャンルの説明が説明になってないケースって多いよね。
内容はここによれば、「地球全土のブルマー化を目論む「BB団(ビッグブルマー団)」と世界の微妙なブルマバランスを監視する国際ブルマ機構「MIB(ブルマーの男たち)」の抗争の中、大陸間弾道ブルマーが発射される」らしい。
エロゲではときおり正気を疑う設定があるので面白い。個人的には設定がぶっ飛んだソローキンとか読むのが好きなのでこういうのは嫌いじゃない。
参考:バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳「ちゆニュース - 歌関連」
Wikipediaによれば「ライターの大澤良貫は、書籍『美少女ゲームマニアックス』に寄せたレビューの中で、新撰組を題材としたアダルトゲームというと冒涜のように見えるが、実際は歴史ファンや幕末ファンをうならせるようなマニアックで愉快な作品に仕上がっていた」らしい。
参考:同上
「scungies」「basketball」という単語で検索をすると、以前の記事のようにバスケでブルマーをはいていた証言がたくさんヒットした。
以前と重複するのもあるが、貼る。記事を見ると豪州では90年代までブルマーは現役だったようだ。
ブルマーの流行、ショーツ化、廃止の流れは日本だけの現象ではなかった傍証がまた一つ増えた。
https://www.facebook.com/bibsnskirts/photos/a.245704185447177/245704202113842/
(これはネットボールか)
あと、こちらの拒食症を扱った記事では、陸上でもブルマーをはいていたことが記録されている。
関係ないけど、体育の教科書なんかだと、普通の体操着以外にレオタードを着ている女子生徒が映っている。普通の体操着以外の体操服を注文させられる学校が昔はあったんだろうか?
こちらでは男子が短パンなのに対して女子がブルマーなのは「不完全」に感じられるということが書いてある(ななめよみ)。
https://sirensport.com.au/op-ed/lycra-wars-when-one-size-does-not-fit-all/
"大学生"という生物はいないので、大学で1日の講義を受け終わった後に、学業・研究に支障が無いように、
そしてその一環で整形するのも自由なんだ
個人的には整形は推奨しないけど、
現実的には、エンターテイメント・ファッション業界は、人が拒食症で死のうが size 00 信仰は消えてないし、ルッキズムが蔓延ってる
市場にウケる容姿というのもが確実にあり、ハリウッドあたりだと、白人以外のメインキャストを起用する場合のみ、
何故か従来のモデル・女優像から離れた比較的ポピュラーな人物像を先進的に採用してぶっ叩かれまくっている。マンガでもぶっ叩かれるね
(例:スター・ウォーズ/最後のジェダイのローズ、ミズ・マーベルのカマラ・カーン、New Warriors の TRAILBLAZER)
なので、エンターテイメント・ファッション業界での仕事の幅を制限したくないという思いと、整形してものしあがるぞ!!!という思いが本人にあったら、
正直、2022年段階では、消去的にやむ無しとは思う
けどこれ、大学"内"で開催されるイベントでやるべきことですか?
人間にとって自らの所属する共同体の価値観は絶対的な影響を持ち、その価値観から完全に離れた個人などありえないのに、
学術の場・専門家を作る場で、美の多様性や差別を考えるのではなく、市場や変えていくべき価値にただただ迎合?????
大学の存在意義を考えられない人しか日本のアカデミアにはいないのかと
少なくとも国公立の中学高校の保護者は、学校外で芸能プロダクションが開催するミスミスターで整形なら学外のことなのでスルーだけど、
キャンパスライフ・青春を応援しまぁぁぁぁぁすでもいいけど、それ芸能プロダクションに任せて学外でやってもらっちゃダメなやつですか?
研究者としては知りませんけど教師としては問題がある教授の入れ替え(予備校TOP講師レベルを目指そう)、
研究費をかき集めるためのイベントでも打ったらどうですか?っていう
『市民感覚からかけ離れてる』『日本の病巣』を取り下げる気はないよ (まぁこのことで時間もお金もかける気もないけど。別のことに使う)
これが大学と無関係の芸能プロダクションなどが大学のお外で勝手にやってることなら、
成人年齢も18歳引き下げられてるし、お好きにどうぞって思うけど、
国公立大"内"で開催するイベントで『整形』ってあのさぁ・・・
それとも日本では公的に美の多様性を認める/ルッキズムを許さないではなく、
本人の自信に繋がるなら積極的に整形を応援😡って方針に変わったの?
少なくとも、芸能プロダクションが学外で勝手にやってるコンテストではなく、
国公立の中学高校"内"でミスミスターやって、優勝するために、あるいは自分自身のベストを尽くすために、
『整形する✨』とか言ったら保護者はミスミスター開催辞めろ!って言うと思うよ
ーーーー
"大学生"という生物はいないので、大学で1日の講義を受け終わった後に、学業・研究に支障が無いように、
そしてその一環で整形するのも自由なんだ
個人的には整形は推奨しないけど、
現実的には、エンターテイメント・ファッション業界は、人が拒食症で死のうが size 00 信仰は消えてないし、ルッキズムが蔓延ってる
市場にウケる容姿というものが確実にあり、ハリウッドあたりだと、白人以外のメインキャストを起用する場合のみ、
何故か従来のモデル・女優像から離れた比較的ポピュラーな人物像を先進的に採用してぶっ叩かれまくっている。マンガでもぶっ叩かれるね
(例:スター・ウォーズ/最後のジェダイのローズ、ミズ・マーベルのカマラ・カーン、New Warriors の TRAILBLAZER)
なので、エンターテイメント・ファッション業界での仕事の幅を制限したくないという思いと、整形してものしあがるぞ!!!という思いが本人にあったら、
正直、2022年段階では、消去的にやむ無しとは思う
けどこれ、大学"内"で開催されるイベントでやるべきことですか?
人間にとって自らの所属する共同体の価値観は絶対的な影響を持ち、その価値観から完全に離れた個人などありえないのに、
学術の場・専門家を作る場で、美の多様性や差別を考えるのではなく、市場や変えていくべき価値にただただ迎合?????
大学の存在意義を考えられない人しか日本のアカデミアにはいないのかと
少なくとも国公立の中学高校の保護者は、学校外で芸能プロダクションが開催するミスミスターで整形なら学外のことなのでスルーだけど、
キャンパスライフ・青春を応援しまぁぁぁぁぁすでもいいけど、それ芸能プロダクションに任せて学外でやってもらっちゃダメなやつですか?
研究者としては知りませんけど教師としては問題がある教授の入れ替え(予備校TOP講師レベルを目指そう)、
研究費をかき集めるためのイベントでも打ったらどうですか?っていう
『市民感覚からかけ離れてる』『日本の病巣』を取り下げる気はないよ (まぁこのことで時間もお金もかける気もないけど。別のことに使う)
こういうのが東京オリンピック開会式や電通ほか広告代理店のノリにつながってるとしか思えないし、
不正研究や国際学会や著名な学術誌で同じこと言えます?な発言をSNSでかましまくってる国公立の教授を生んでる・放置していることにも繋がっているとしか思えない
実際、著名人で太りすぎて死ぬ人は生まれつき難病持ちでもない限りないが(セレブなら深刻な健康トラブルになる前に医師の指導が入る)
ただメンヘラ以外にもいつでも戦っているエリートや勤勉な人がいるからな
『どうして最善を尽くさないんだ』『昨日よりも1%でも成長』『抗老化!健康貯金!』ってやってるから、
デブであることがその人にポジティブな影響を与えてない(無目的なデブ)場合は改善を唱えるだろうな
(デブタレント・庶民的で優しい印象を与えたい・太っていることが好ましい地域ならポジティブな影響を与えている)
あと戦いから降りている人よりも、降りてない人の方が"小金"を持っている傾向があるから(大金は親・異能・運要素の方が強い)
「独身女を貧困に追いやれば仕方なく結婚するので少子化が解決する」って理屈、
男はどんな女だろうとお構いなしに結婚したいし子供を産ませたい、という前提がないと成立しないよね
いわゆる途上国のように社会全体が貧しいならばそれで成り立つんだろうけれど
少なくとも日本のように既に「先進国」として、国民の要求レベルが上がってしまった国には当てはまらないと思うんだよね
だって実際には日本の男って、女の容姿や性格に対する要求レベルがめっちゃ高いじゃん?
容姿や家事スキルは勿論経済力の高さやその上男を立ててくれる精神の安定性まで求めるじゃん?
貧困に追いやられて体型や身嗜みに気を遣う余裕もなくて外見がボロボロで、精神的にも不安定な女が大量発生したとして、そういう女に欲情する男はそんなに多いのか?
言っとくけれどここでいう「貧困ゆえにボロボロな外見」っていうのは拒食症でガリガリに痩せてるとかじゃなくて、現代的な貧困すなわち炭水化物の摂りすぎと運動不足による不摂生なデブの事だからな
小学生の頃同じ班で給食食べてた友達が吐いたのがトラウマなんだと思う。別に吐瀉物がかかったわけではないし、自分にはなんら被害なかったんだけど。
一時期みんなで給食とるのが怖くて教師に事情を話して別室で1人でご飯食べてたし、拒食症みたくなってたし、不登校になってメンクリかかったこともある。
大学生になった今も未だに吐いてる人を見るのが怖い。
電車通学で結構な時間乗ってるんだけど、やっぱり電車だと体調悪そうな人もいるときがあるしマジで怖い。コロナで少しでも体調悪いと休むのが是という風潮ができて助かってる。嘔吐に限らず体調悪い人を見ると自分も影響受けてしまうタイプで、コロナ前の電車で何回か吐いてる人見ちゃって、自分ももらいゲロしたことある。めちゃくちゃ申し訳なかった。
教員免許とろうと思ってたんだけど教師って生徒が吐いたら掃除とかしなきゃいけないよな…ってなってやめたし、看護師とか駅員とか塾系とか介護系とかそういう職業も早い段階で選択肢から外したし、バイト先に困っても居酒屋はゲロ掃除あるからダメだし、サークルも飲みが激しいところはダメだなって思ってどこにも入らなかった。人生の選択肢が狭まる。
両親は全然体調崩さない人で元気だし私も割と健康だから今はいいけど、いつか親とか恋人とか友達とかが体調崩したとき私がそばにいたらちゃんと介抱できるのかとても不安だ。私もへたり込んでしまうかもしれないし、もしかしたら逃げてしまうかもしれない。なんて薄情な人間だろう。怖い。
どうしたらいいんだろう。
https://president.jp/articles/-/28752?page=3
「拒食症のやせ願望は「似合う服を着たい」「もっとかわいくなりたい」といったファッション性の追求だと誤解されがちです。」
……誤解じゃないと思うが。
こないだ久しぶりに服を買いに行ったけど、そこらで売っている服、マジで小さいのばっかりだったよ。ゆったりとした服を着たいと思ってユニクロでXLを買ったけど、だからといってそんなに緩い訳でもなく、やっぱり極端なまでに痩せないと普通に服を着るのは無理なんだなーって思った。
こういうお医者さんとかって若い女性の痩せ願望を本気で問題視するならば個人の意識にフォーカスするのではなく、痩せた芸能人ばかり使うマスメディアや小さい服ばかり作るアパレルブランドも問題視すべきだと思うんだけど