はてなキーワード: 風呂釜とは
あのさ、水酸化ナトリウムを使うとパイプのつまりがとれるのはつまりが石鹸カスだから。
石鹸カスが細い排水パイプに詰まると汚水があふれるからやる価値があるんだ
でも石鹸カスって毒か?カビか?っていうと無害だしカビはわりと生えにくい
石鹸カスの成分は脂肪酸カルシウムなんだがこれが強い撥水性があるんで水分を全くよせつけないからだ
(ちなみに300円ガチャガチャで「水にいれるとかたまる粘土の粉、水からだしたら瞬時に粉にもどるぞ!」ってやってるあれhttp://blog.livedoor.jp/nico__25/archives/1820269.htmlが石鹸カスとおなじ脂肪酸カルシウムを着色したやつです。一回買ってみろ。でもあそんだあとはきっちり濾過して排水口にながすなよ)
だから、風呂の下の石鹸カスくらいほっとけ、見た目が悪いだけだ、としかいいようがない
整形手術でシリコンバッグを胸にいれてのちに垂れて文句いうやつみたいなことをおまえはしようとしている
整形しないほうがおっぱいは手触りもよく母乳もだせて自然な姿だ
もしそれ以外のリンスと抜け毛のからまったでろでろしたスライムなどが風呂桶の下に貯まるというのならたぶんユニットバスの設計がわるいかタイルで施工ミスしてるか、おまえが毎日風呂のあと抜け毛掃除をしてないで排水口をつまらせてるかだ
(まあ横増田にこれいってもしょうがないけど、最初に汚れの種類をみきわめろってどこのお掃除プロも口をすっぱくして言ってるんだよなぁ)
ユニットバスはやめろって言われてたけど予算の都合上3点ユニットバスになった。
いやこれめっちゃいいじゃん。生理のときにシャワー浴びるの超楽。最高。
トイレでパンツ脱いでナプキン取り替えて便器に座ったまんま服脱いでぽんぽんドアの外に投げ捨てて、ティッシュで股拭ってから風呂釜へスライド、トイレの水を流して体を洗う。一回血がついたナプキンを再度装着しなくていいし、床に経血が落ちてもすぐ洗い流せる。超楽じゃん。
トイレの床掃除もルックのバスタブクレンジングをプッシュしておいてシャワーで体を流して、トイレの床をシャワーで流してはい終わり。トイレの便器掃除するときはシャワー浴びる前に全裸になってやる。その後横スライドで自分も洗う。楽。
超楽。全てに置いて楽。
必殺!!風呂釜洗浄!!みたいな~。
一人暮らし歴も20年を超えて、ズボラな自分にもできる掃除方法がある程度分かってきたので、
「どっから手を付けたらいいか分からん」という人に紹介します。
※掃除が得意な人や、やり方を分かっている人は読む必要ないです。
■大方針
・掃除を始める前に、財布・スマホ・家の鍵等、「見つからなくなったら明朝困る物」を絶対に無くさない場所に退避させる。(※物を無くすのは、散らかす時ではなく、片付ける時である)
・整理は最後の最後まで行わない。(※整理を始めるとキリがない上に、整理では全然片付かない)
・窓を開ける。
■手順
1:床の上にある物を全て上に上げる。(最優先)
※机の上でもベッド上でも椅子の上でもいいので、とにかくまず「床の上に物がない」状態にするのが重要。
動線が確保できるのと同時に、残りの作業の見通しが良くなる。
※大きなダンボール等、机に上げられないほど大きなものはこの段階でつぶして隅っこへ。
※衣類は洗濯機へ。
2:洗濯機開始。
3:上に上げたものの中から、正しい置き場所が明確な物を置き場所に戻す。
※整理はしない。食器もまだ洗わない。
※小さな箱(小物家電の箱等)はこの段階でバラしてゴミ箱または紙袋へ。
※紙類にはまだ手を付けない。
5:床の上に紙類を積み、捨てる物をより分ける。
※紙袋を2つ用意し、「捨てる紙」「使わないけど取っておく紙」「近日中に使う紙」に分ける。
※「近日中に使う紙」は、袋に入れる必要はないので、机の上にでも置こう。
6:掃除機をかける
7:この辺で洗濯が終わっているはずなので、干す。
※※※ 洗濯機・掃除機が終わってしまえば、あとは平日夜間にやっても近所迷惑にならないので、以降は順不同でOK
8:食器を洗う。
※水を流しながらは行わない事。まず洗剤を付けたスポンジで拭いて泡まみれの状態で積み上げ、最後に水で洗い流す。
こうする事で、短い時間ながら洗剤の泡につけ置いた状態にできるので、汚れの落ちが良いし、水も無駄にならない。
※風呂場はカビが気になる所にハイターをかけて30分放置後に水で流す。
※最後にパイプの詰まり解消剤を注いで、30分放置後に水を流す。
10:床を拭く
※湿式のクイックルワイパーを使う。(今時雑巾はないでしょう)
以上。
※窓掃除・換気扇等は自分やらないんで(換気扇をやりたくない一心で料理に油使わない位なんで)、他の記事を参照してください。
番外:要らない衣類の分類法
全然使ってないけど、「いつか使うかもしれないので捨てられない衣類」がある場合、
宿は、古い一軒家の貸家。
寒い冬、風呂に入ろうとしたら、湯船に水を溜めてガスで沸かす方式の風呂だった。
水は5℃以下と思えるほど冷たく、外気温もほぼ同じくらいではないかと思った。
プロパンガスを使用した風呂釜は、一時間経っても適温にはならなかった。
少量の水が熱交換器で温められ、浴槽に戻る。
温められた水は冷えた水との熱交換を行い...循環する方式だが、
水温が低過ぎること、ガス釜の能力が低いこと、浴槽の断熱効果が低いこと、
等々が災いして、遅々としてあっついお湯にならない。
夜遅く仕事から帰ってきて、温まってから寝ようと思ってもそれができない。
月日は流れて、今は、温度設定を行い、風呂自動のスイッチを押すと、
夏なら15分もかからない。
これが追い焚きになるとやはり効率が落ちるようだ。
冬は時間が延びることが多いと思う(正確に測った事は無いが)。
仕事柄、UXとかデータ分析とか、その辺が少し強いと思われているらしい。
職場の人からその辺の勉強の仕方を聞かれたので答えようとしたら、意外と長くなりそうだったのでメモがわりに書く。
そもそも、UXという言葉が流行りだしたのは最近の話だと理解していて、バズワードに近いと思っている。概念自体は遥か昔からあるものだし、何を今更世の中がUXというワードを使いたがっているのかが良くわからない。(が、ここでは面倒くさいので、定義が曖昧なUXという言葉で色々お茶を濁す)
また、UXを勉強するという言葉も、正直なところ違和感がある。
というのも、具体的なケースと紐づいて考えない限りは意味がない気がするからだ。文章の批評ばかりしていても小説家になれないのと一緒で、UXについて本や講義だけで勉強していても、UXに強くなることはないと思っている。つまり、自分たちが作っている(関わっている)サービスの中でUXを考えつくすこと自体が、一番の勉強なんじゃないかと思っているので、UXを本や何かで勉強するというのは効果は薄いんじゃないかと思っている。
とはいえ、体系化出来るメタスキル的なものがあるのは事実だし、その部分の話を書いてみる。
「UXを良くしたい」という話をよく相談されるのだが、そもそもとして、UXが良くなった後の世界をちゃんと考えられていないことが多い。
「そのサービスを使ってユーザは幸せになるの?」という問いにきちんと答えられない場合、黄色信号という印象。
UXUXってバカみたいに唱えている人はたくさんいるけど、自分たちのサービスのUXが良くなることでこんな世界が実現できるよっていう話を、具体的に、鮮明に、誰が聞いても腹落ちする形で話せる人ってどれだけいるのかな。UXを良くしたいと言っているのに、良くした後の先の世界がイメージできていなくて、どうやって良くしていくのか甚だ疑問なんだよね。
なので、UXを考えるにあたっては、「自分たちがどうしても叶えたい世界」があって、それが叶うことによって「世の中の誰かがすごく幸せになる」という確信が必要条件だと思ってる。なので、そこがない時点でUX改善どころかサービスを作ること自体をやめた方がいい。
もし、そんな感じの祈りにも似た思いが少しでもある場合は、自分たちが作りたい世界についてしっかりと考えて、そしてそれらを検証して確信に変え、具体的な言葉に落とし込むというプロセスを徹底的に行うことを、UX改善の前に行なった方が良い。そうやって生み出された言葉が、UXを考えるにあたっての拠り所になる部分になっていくから。
自分たちが作りたい世界を言語化できた後は、ユーザの観察と妄想に尽きる。
課題解決系のサービスなら、ユーザに当たる人が本当に困っているのか、何に困っているのかを見極めるために観察すべきだし、何らかのバリューを付加するサービスなら、「このサービスを使ってもらうことで幸せになるのかという妄想」をいかに具体的にできるかが鍵になる。
これらの観察および、具体的な妄想をしていくこと自体がUXを考えることである。
炊飯器が目に入ったので炊飯器のUXを考えるとした時の例で話す。
多分、こんな妄想をする。
炊飯器とか既に他の製品が存在するものは、ユーザの行動もだいたい想像できるし、何より自分が使うものだから妄想しやすい。
逆に、全く新しいものを作ろうとする時なんかは、妄想も中々大変だと思う。バイアウトして話題のCASHとかは、その辺りの参考になるものが中々なく、妄想もやり辛かったと思うので、それを形にできたUXデザイナーの人はすごいなと思う。会ってみたい。
これはかなり適当に書いたが、自分たちが行なった観察に基づく妄想に対して、それらが意味のあるものかどうかを見極めていく必要がある。これがいわゆる価値仮説の検証と呼ばれるもので、妄想が本当に必要とされるものなのかを見極めるフェーズである。必要とされないものなんて作っても意味がないから、この段階できちんと仮説の検証をしておく。検証については対象によって全く異なるため、都度考える必要があるので割愛。
例はかなり適当に書いたが、ユーザをしっかり観察して、その上でどうやったら幸せになるかを妄想して、それらを検証していくというフェーズを、手抜きせず行うことが大事だ。これが業務系のサービスだと、業務フローを作ったりするのだろうし、C向けサービスだとカスタマージャーニーなんかを作ったりすることになる。その辺りの手法は色々あるが、ユーザを見て、考えて、検証してという基本はどれも変わらない。
ユーザをひたすら観察したあとに、初めて解決策を考えるフェーズに移る。
解決策ありきのプロダクトだと(昔の技術先行型の日本の家電だけど)、あまりいい感じにはならない。
あくまでも、ユーザの観察が先にあって、それに対する「解」としてプロダクトを作っていく。
この、課題に対して適切な解を出していくこと自体が、UXの磨き込みに当たるという理解をしている。
そして、それらが部分最適にならないよう、全体最適も意識しながら解決策を考え、プロダクトに落とし込んでいく。
「ご飯は1分で炊けるけど、風呂釜より大きい炊飯器」とか、誰も必要としないよね。だけど、部分最適だけを考えるとそんなことになりがちである。そのためにも、部分を考えたら、全体を見るということを繰り返し行なっていくことが大切だと感じている。その意味では、捨てるべき部分と、活かすべき部分のバランスをどう取るかが大切になる。ここも結局ユーザが教えてくれるので、事前にしっかり観察できていれば、勝手に答えが出る。
長々と書いたが、自分たちが作るサービスを使ってくれる人たちが、「どうやったら素敵な感じになるかを考え尽くすこと」が最高の勉強方法だと思っている。なので頑張って考えると良いと思う。
とはいえ、何を考えればいいかわからないということもありそうなので、その時は
・誰のためのデザイン
・複雑さと共に暮らす
・融けるデザイン
あたりを読んでみるのは良いかもしれない。少なくとも、何かを考えるにあたっての視野は広がるような気がする。
また、解決策を生み出していくにあたっては、ロジカルシンキングが出来るに越したことはないので、
あたりを読んで見るのも良いかもしれない。後者は分類的にはロジカルシンキングの本ではないのだが、ロジカルに考えた時の解決策って一つだけじゃないよねということを身を以て知るためには良い本だと思う。
また、散々書いたが、UX云々の前に、自分たちが作っているサービス(だったり、炊飯器だったり椅子だったり)で「何を届けたいか」という部分が一番大事だと思う。それ抜きにはUXがどうとか議論するのは無駄というか、意味がないので、しっかり考え抜いてほしい。
データ分析というと、Pythonでごにょごにょやるのがそれだと思われがちだが、一部のデータサイエンティストを除いては、基本的にスプレッドシートで十分なんじゃないかと思っている。むしろ、電卓レベルでも足りるんじゃないかという気がしている。(ここで話しているのは一般的なインターネットサービスを運営していくときの話で、気象予報とか経済予測とかそんな感じの難しいデータ分析の話ではない)
というのも、多くの場合において、四則演算以上のことをしなくてもなんとかなるからだ。
どちらかといえば
といったことの方が大事だし、そもそも「何のために分析するか」が抜け落ちていることが多い。
whyの部分が明確でない分析はそもそも意味がないので、まずはなぜ分析するのかを考えるところから始める方が良い。
データ分析ときいて「統計学」や「Python」を勉強すること自体は悪くないのだが、それよりもまず先に、「なぜ分析するのか」「どんなデータが自分たちのサービスのキモになるのか」といった分析の前提になる部分をまずはしっかり見極めることの方が、統計学の勉強よりも優先されるべきだ。それらがハッキリすれば、手法はいくらでもあるし、だいたいはスプレッドシートの関数でなんとかなるので、難しい計算は特に必要ない。
実務でよく使うデータなんて、売上、利益、利益率、ARPU、CPA、CTR、CV、CVRとかくらいだし、これら全て四則演算のみで出せる。分析といっても、平均だったりそれらをユーザの属性で割り振ったりするだけだし、中学生でも問題なく出来ると思う。ただ、重ね重ねになるが、whyの部分がない場合はいくら分析しても何も生まないので、まずはそこを見極めることに重点をおいた方が良い。
長くなったので無理やりまとめる。
勉強<<<<<実務であることは間違いないので、まずは自分が関わっているサービスについて真剣に考えたり、真剣に考える上で必要な数字が何かを自分の頭で考えることが、最高の勉強だと思う。教材とか、具体的なHowを期待していた人、ごめんなさい。でも、Howの意味で見ても、実践に勝るものはないと思っている。
電気釜は時刻を毎回セットしなければタイマーが使えないような状況だったが、
米を炊くことはできていた。でも、つい先日逝った。
次が、風呂釜、正確には給湯器なのだが、風呂が沸かせなくなった。
給湯はできたのでシャワーを浴びることはできたし、シャワーヘッドから水を溜めて、
追い焚きで風呂に入ることもできたけど、給湯器を交換せざるを得なくなった。
「取付に一週間以上は掛かるから、待ってろ」との事だった。
エアコンの買い替え、付いていない部屋への追加等で、施工業者は大忙しらしい。
もう既に1週間、早く復旧して欲しい。
風呂釜も、エアコンもあまりにも古いため、修理の検討は無駄だった。
がっくり来ているところへ、とどめのパンチと思しき事態が発生した。
ガスコンロが逝ってしまった。3口+グリルが有るので、何とか使えなくは無いのだが、
メインだったところが使えないので非常に不便。
以前のフラットブラウン管のテレビは短命だったな。4、5年位のもんだった。
風呂釜、エアコン、ガスコンロは19年。長寿だった。安らかに眠ってくれ。
ただ、俺はこの夏休み、どこにも行けないことが決定した。
あ、冬もどこもいけないんだった。ちっくしょー。
昭和の頃・・・小学校の夏休みに私だけ父の実家に滞在したことがある。
ほんの数日だ。
しかし、とても恐ろしい思い出をもった。
祖父母は和歌山の山奥に住んでいる。
熱く炊きすぎた風呂釜に滑ってやけどで死んだ子がいるような時代だった。
この地で、祖父母は農業をしているんだが、子供心に残酷な祖母の姿を見たことがあるのだ。
小屋に住みついたメス猫が生んだ子猫を、祖母は首根っこ掴んで叩き殺していた。
怖がる私をものともせず、祖母は子猫を殴打しまくってぼやきながら首をひねっていった。今だったら完全、動物愛護違反なんたら・・・。
自分は、とても恐ろしい秘密を祖母の実家で見せられた気がした。
数年後、父もこんな祖母を見て育ったのだろうかと思うとぞっとした。
それで・・・・・・・・・・・・・・あれから数年たって振り返ると、未だに不思議だった。
生まれた子に罪はないとかいう台詞をドラマで見た思春期の頃、殺された子猫のことを思い出してはトラウマになっていた。
だが、祖父母の子である父もそういう環境で育ったことの影響力を後々、両親の離婚の危機で思い知る。
生物や命を粗末に扱う祖父母たちの子である父は、パチンカスになっていた。
やがて、父は借金まみれ賭博まみれで蒸発し、家を売り払い母に借金を肩代わりさせていた。
母子家庭となった私は、嘆く母を支えながら父を恨んで貧困家庭で育った。
本当に、あの祖父母にして父有り。
そう感じてた。
父親はクズだったが、その祖父母もにたようなクズなんだって今になって思う。
猫は獣害とか言われているが、命そのものをむやみに奪うことはダメだと思うってなんとなく小学校の頃、感じてたんだ。
祖母が子猫を殺して命を痛めつけているとき、私は祖父母が残酷な支配者のようで泣くことしかできなかった。
なんで祖父母はあんな残酷に子猫を殺せたのかっていうと、家の畑を荒らすし、人間の生活を荒らす害になるものだってだけなんだろう。
でも、それでも自分は自分の孫娘の前で子猫を殺す場面を見せることなどできはしない。
倫理観が違うんだろうなって思った。