はてなキーワード: 神社本庁とは
具体的な名前を出せないので嘘松扱いされるのではと思うが、自分の見聞した「政治と宗教」の関わりについて書いておく。
かなり昔になるが、家族が政局の中心にいた政治家の関係者だったことがある。
その時に、その政治家の周囲で表には出てこないが脅しの銃撃事件が複数回起きたらしい。
政治家は有力政治家だったが特に後ろ盾になる大きな組織がなく、身を守るために宗教団体に近づいた。
政治家本人だけならSPなんかもあるだろうが、こういう時は関係者の方が危険だ。
そして関係者まで含めていざというとき命を捨ててでも動いてくれるリーズナブルな「武力」って、日本人の組織では宗教団体しかないらしい。
2021年10月25日に先行配信が開始され今日CDが発売される、槇原敬之の復帰作『宜候(ようそろ)』。
(引用という形式ですが、考察として歌詞を書き起こしている都合上、このエントリはすぐ消します。)
こんな素敵な曲なのにネット上でも思ったより反応が薄いのが驚いている。
一方で、仕事中にもかかわらず号泣してしまうほど刺さってる人も居る。俺のことや。
歌詞提供しているのは、尾崎豊・村下孝蔵・玉置浩二・浜田省吾をプロデュースしている音楽プロデューサーの須藤晃。
https://www.youtube.com/watch?v=vjyQTWT-Oe8
歌詞が伝わりやすいよう、敢えて伴奏はピアノだけという最小限のスタイル。
まずは何も言わず配信サービスで聴いてくれ。冒頭35秒だけでいい。
話はそれからだ。
私は普段、歌詞考察・歌詞解説といった野暮なことは一切しない。
その作品に出会った際に各々が感じた時のフィーリングや気づきこそが宝物だと思っているからだ。
たとえ善意でも、ネタバレによって公式の意図と違う形で聴き手に伝わってしまうのはファンとして本意ではない。
ましてや、私個人の解釈というフィルターを通すと全く違った風景で見えてしまうだろう。
「説明しよう!」と割り込む人は、その作品に邂逅した時の感動を減らし自論を押し付けてしまうことになるかもしれない。(本稿の私のことである。)
「今のは何が面白かったの?」と解説を求めると白けてしまうだろう。
もしかしたら自分の前では二度とジョークを言ってくれないかもしれない。
ガルパンおじさんが「ガルパンはいいぞ」としか言わないのは、単に語彙力が足りないからだと思っていた。
しかし、実際に観てみるとそういった優しさからだったのだと今なら分かる。ガルパンはいいぞ。
だが、この忙しい現代社会。
また、曲の背景に想いを馳せるためには少しばかり教養も必要となる。
(YOASOBI「夜に駆ける」の原作小説「タナトスの誘惑」を読んで納得して
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「どちら様かは存じませんが
そのサングラスやめなさい
悪い輩(やから)に見えたら損よ
その目を私に見せなさい」
ばあちゃん 俺に微笑みかけて
かすれた声で叱ったよ
出会いと別れを 繰り返し
「もう慣れたわよ」と言ったけど
「やっぱり一人は つらいから
誰かの傍にいなさいね」
ばあちゃん遠くの空を見て
小さな声でつぶやいた
「夢なんて叶わぬうちが花だけど
待ってるだけでは駄目だから
行きたい場所を目指しなさい」
「橋の袂で声かけられて
赤いかんざし褒められた
あの日の私が一番綺麗
忘れられない思い出よ」
ばあちゃんはにかみ謝った
「ごめんなさいね こんな話」
「毛皮も指輪も 押し入れの中
どこに置いたか 忘れたわ
一度ハワイに 連れてってくれ
息子に頼んでみたけれど
伊勢神宮さえ 行けなくて
膝が悪くて 行けなくて」
「先頭に立たないように気を付けて
争いごとは やめなさい
いつまでたっても あいこでしょ」
「今度訪ねてくれるなら
どちら様かは存じませんが
これも何かの縁でしょう
「人生は思うようにはなりません
それでも希望を持ちなさい
神様なんていないけど
変わっていくものを嘆くより
変わらぬものを愛しなさい
笑う門には福来る
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さて、以降は2回以上聴いた人に読んでもらいたい。
答え合わせをしましょう。(抜け・漏れや解釈違いがたくさんあるはずなので、どうかコメントで補足お願いします。)
歌詞の大部分が、お節介な性分の認知症の「ばあちゃん」が孫(孫と認識されていない)に向けて語りかけるセリフである。
(叙述トリックで多用される「信頼できない語り手」の可能性も考慮せねばならない。なんせ認識が歪んでいるのだから。)
一見すると(前半はともかく)後半は思い出すままに過去を語ったり、
人生の先輩としてアドバイスを始めたり脈絡が無いように思われる。
しかし、言葉のひとつひとつに含蓄や温度感があり何故か聞き流せない。
「出会いと別れを繰り返し」:記憶を失う(別れる)→自己紹介(出会い)のループを指すのだろう。
後半で自分の孫に「どちら様かは存じませんが」とまた語りかけるので、「ばあちゃんまたボケとるわ!」とツッコんでしまう。
「やっぱり一人は つらいから 誰かの傍にいなさいね」と語りかけられても、
「ばあちゃん、いま孫がそばにおるんやで…」とさみしくなってしまう。
ところで、こういった違和感がないだろうか。
・ハワイに行けなかったら妥協点で伊勢神宮が来るのおかしくない?
・というかハワイに連れて行ってもらいたかったら息子より先に夫に頼めよ
・孫のことは何度も忘れてるのに、若い頃に口説かれたことは「忘れられない思い出よ」?
・なぜサングラスをかけるだけで「周囲から悪い輩(ヤカラ)と認定される」と思い込んでいるのか?
(グラサンといえばローランの民からすれば陛下の象徴と言っても過言ではないだろう)
こういった違和感や疑問を紐解き、一本の補助線を引けば、
ハマらないと思っていたパズルのピースが繋がり、この歌詞の全体像が視える。
それを前提にもう一度聴いてほしい。
「先頭に立たないように 気を付けて
争いごとは やめなさい」
この歌詞が異様に生々しく感じないだろうか。
まるで親しい人が先頭に立ったせいで亡くなったかのような物言いである。
→軍艦じゃんけんの掛け声「せーんそっ(戦争)」を嫌ったのではないだろうか。
「グー・チョキ・パー」は「軍艦・朝鮮・ハワイ(軍艦・沈没・ハワイの地域もあるらしい)」に置き換えられている。
小学校の時に「不謹慎だ」と先生に叱られた人もいるのではないだろうか。
実際、その後にお土産としてお寿司を細かくリクエストしている割に、「軍艦巻き」は入っていない。
「一度ハワイに 連れてってくれ
息子に頼んでみたけれど
伊勢神宮さえ 行けなくて」
→夫が居ないので息子に頼んでいる。おそらくハワイで亡くなった(と聞かされており、真偽は不明)。
そもそも、「ばあちゃん」は太平洋の地名でハワイぐらいしか知らない可能性も高い。
なぜなら当時のメディアは時の政府の統制下にあり、大本営発表を検証せず偏向報道をするプロパガンダの道具となっていたからだ。
国威発揚のため、日本軍の勝利を事実以上に喧伝し、大敗の事実を隠蔽する構造であった。
真珠湾奇襲の報道は大々的に宣伝したので、その印象が強いのではないか。
さて、ばあちゃんはハワイに夫を弔いに行きたいが、それが無理ならせめて国内で、
ということで日本全国最高位の神社である伊勢神宮にお参りしたいわけだ。
戦後世代にとっては戦没者を祀るのは靖国神社というイメージが強いが、
戦前世代にとっては伊勢信仰が普通であったようだ。現在も神社本庁の本宗は伊勢神宮。
(ちなみに作詞の須藤晃は富山県出身。槇原敬之は大阪府高槻市出身。)
「夢なんて叶わぬうちが花だけど
待ってるだけでは駄目だから
行きたい場所を目指しなさい」
→これは解釈が分かれるところか。素直に歌詞通りに受け取っても良い。
膝を悪くしてしまい二度と夫の弔いという夢が望めなくなってしまった悔恨にも解釈できる。
「橋の袂で声かけられて
赤いかんざし褒められた
あの日の私が一番綺麗
忘れられない思い出よ」
→孫(俺)のことは何度も忘れるくせに、「忘れられない思い出よ」。
その理由は、夫と過ごした時間が少なく他に思い出が無いからではないか。
・「毛皮も指輪も 押し入れの中」
GHQ連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの印象によるものではないか。
「変わっていくものを嘆くより
変わらぬものを愛しなさい」
→生きている人より、亡くなった夫への執着を感じないだろうか。
ここの「あなた」は孫(俺)に語っているように見えるが本当にそうだろうか。
夫に似た孫の姿を通して、
過去の思い出の姿の夫に、
ここにきて思い当たる。
「その目を私に見せなさい」と言われサングラスを外し、孫の目を見る描写。
ここでばあちゃんは若き日の夫を思い出す。
それをきっかけにこの歌詞のセリフのような回想が始まったのがこの曲じゃないだろうか。
タイトルが「ばあちゃん」じゃないのは、一人称が「俺(孫)」に固定されてしまい
メインディッシュにもなれず世の中の隅っこで苦い人生を送ってきた「ばあちゃん」の象徴として「わさび」がタイトルとして選ばれたのだろう。