はてなキーワード: 救急車とは
日本はコロナに今までかかった人が少ない割に、医療体制が崩壊って、諸外国に比べて貧弱じゃない?
先進国の中では実際人口あたりのキャパは少ないんでしょ。医療従事者に感謝とかいう風潮があるけど、いや体制が貧弱だよ。って気がする。当然、その状況下では頑張ってもらっているし、皆が皆に感謝している社会がいいってことはわかっているけど、もともとの体制とか弱いよ。
個人的には儲け主義で無駄を削ぎ落としてきたから、こういう自体に対応できない気がしてならない。
コロナじゃなくても入院が難しいとか、救急患者の病院たらい回しとかある。俺のいとこは両足骨折で救急車で運ばれて受け入れ先がなく1日家で過ごしたことあるし。正直相当痛いし不安だと思う。救命病棟のようなドラマのように寝ずに頑張って感動みたいなドラマあるけど、救命なんかギリギリで運用している事自体がすでに破綻だよね。
医療体制がどこまで?(保健所は?とか厚生労働省は?)って話もあるけど、いつまでも PCR検査増やせないしさ。大変なら看護師免許なくてもここまで手伝ってもらうボランティアや雇用を始めてもいいと思う。
未来のことはどうなるか誰にもわからないけど、日本だけ感染者数が少なくて、免疫を持った人が少なければ、日本だけ世界と交流できない取り残された世界が待っているんだよね。ワクチンや抗体が出来るかどうかわからないけど、それが出来ないときは集団免疫で一度かかって免疫を持つ人が増えることで収束なんだとすれば、それに向けて一定数の感染が必要なんじゃか無いかな?それに向けた医療体制が必要だ。
少なくとも、
「医療従事者ありがとう」だけど反省すべき点はいっぱいあるよね。他の国より弱い部分があるよね。今後改善していこうね。って風潮になってほしい。
うわー
常識なしやw
本当に「全員が」救急車を譲らなかったら全部ヘリになっとるよいまごろw
ていうかこいつたぶん運転してて緊急車両に出会ったこともないやつw
運転者からするとキョロつかないとどこにいるか視認できないくらいの音だぞ
さらにいえばたいてい前の車がどくことが必要なのは信号周辺だから30秒ではすまない、
コロナ自粛ってただのわがままだろ。なんで僕がそのわがままに振り回されなければいけないんだ。
前らは鎖国だの攘夷だの大義名分を振りかざしているけれども、徳川幕府になろうが明治政府になろうがどのみち地方の貧農でしかないような人が、なんで幕府や政府のために命がけで戦ってくれると思ってるの?
コロナなのに遊び回ってる人たちを見てみんなこう思っているはずだ。
『誰の目にも今は自粛するべき時だと分かりきっているのに、遊びに行く奴はよほど頭が悪いのだろう』と。
でも、それ以前に『そもそもコロナ自粛自体に承服していない人』もいると言うことをわかってほしい。
今、自粛によって僕から当たり前の日常が奪われたのだ。これは重大な問題だ。僕はカラオケに行きたいし、プロ野球を観たい。簡単に言わないでほしい。
今ここで僕が野球を見たいという気持ちとお前が生き残りたいという気持ちがぶつかっている。この対立軸を整理して考えていきたい。
コロナなのに遊びにいきたいというのはわがままだということは認める。でもコロナだから自粛してほしいというのも、もう一方のわがままだ。なんでこっちだけわがまま扱いされてそっちは社会正義扱いされてるか。そこが不満である。
まるで文化祭の合唱コンクールや体育祭の応援合戦で絶対優勝したいクラスの中心人物たちと、クラスの辺境にいる帰ってゲームしたいオタクの構図だ。
僕はわがままが悪いことだと思っていない。言いたいことは言ったほうがいいし、その上でお互いの利害を調整して、譲れるところと譲れないところの落とし所を探っていくのが社会ではないだろうか。
ところが、一方がたまたま『正義』を名乗ることに成功してしまったら、際限なく一方のわがままだけが増長することになる。
これは良くない。
だから僕は、『どっちもただのわがままでしょ』と言い張っていくスタンスである。
これはただのわがままである。僕が自粛したくないというわがままと同列に扱われるべきわがままだ。
確かに、もしかしたら僕がコロナを持っているかもしれない。僕が遊び回った結果誰かが死んでしまう可能性が僅かにある。でも、はっきりいうが僕とお前は完全に他人だ。知らない誰かだ。お前が死なないために僕がそこまでしないといけないのは全く納得いかない。
『自分の大切な人が死んでほしくない』はより自分勝手なわがままである。高齢の両親が心配なんだろう。でも、それはみんなが当たり前の日常を送ったら死んでいたはずの人ということである。放って置いたら死んでた人を救うためになんで周りが気を使わんといかんのだ。お前は自分の力で守れない命を守るために他人に責任をなすりつけている。ヒーローになりたいなら一人でやってほしい。
ちなみに僕は家族が嫌いでとっくに絶縁しているので、特に死んでほしくない人とかいない。友達もいない。子供もいない。結婚もしていない。彼女ができたこともない。少々知らない誰かが死んだって困らないのさ。
コロナ自粛派は様々な理由をつけて「これはただのわがままではない。より上級の命題だ。よってお前の遊びに行きたいというわがままに優先するべき事案だ」と言い張るだろう。
その主張の問題点を指摘して、やっぱりコロナ自粛はただのわがままに過ぎないことを明らかにする。
医療崩壊なんてしない。お医者さんも看護師さんも定時になったら帰ればいいのだ。それで何人死のうがお医者さんも看護師さんも悪くない。
例えば、電車に轢かれて四肢がバラバラになった死体を、お医者さんが直せなかったとして、誰も文句言わないはずである。それは医者の怠慢ではなく『現代医療の限界』である。
そうであれば、お医者さんが定時で帰ってしまったがために誰かが死んだとして、なぜそれを『現代医療の限界』と割り切れないのか。
『お医者さんが残業で診療してくれれば死ななかったかもしれないのに!』なんて、都合が良すぎである。他人に何を期待しているんだ。それこそただのわがままである。
医療関係者は普通の3交代制を引いて、定時になったら病人が何人いようとさっさと帰るべきだ。それで誰かが死んでもしょうがないで済ますべきだ。
確かにそれはそうかもしれない。僕はそう思う。でもおそらくお前は本当はそんなこと思ってない。
僕は昔から8時間寝ている。野菜と肉と魚をちゃんと食べている。毎日運動している。お酒は飲まない。タバコ吸わない。嫌いな人との関係はバンバン切っている。会社に歩いて行ける距離に住むことで満員電車を回避している。
絶対お前の方が健康を粗末にして生きている。これをしていない奴が健康を持ち出して僕を批判するのはおかしくないだろうか。
突然だが、救急車に道を譲らない車が多すぎると思う。僕は運転中であろうと歩行中であろうと絶対に緊急車両に道を譲っている。でも譲らない人が大半である。多分この投稿を見てキレてるお前も普段は救急車に道譲ってない。お前は本当は人命を軽視しているんだ。
救急車のためにたった30秒待たない奴のために、なんで僕が一ヶ月もカラオケを我慢しなきゃいけないのか。
だから、人命や健康に関することはわがままと一括りにせず例外に扱うべきだという主張は納得するが、この件にそれを持ち出してくるのはお前の自己欺瞞だろとも思う。
コロナ自粛派はみんなのために言っている。コロナ自粛反対派は自分のことだけを考えている。そう思ったはずだ。
そもそも、みんなのためという理由で人の自由を奪っていいのであれば、では年金暮らしのジジババや介護が必要な方にはさっさとお隠れになっていただいたほうがみんなのためではなかろうか。お前が腎臓をもっと優秀な人に分け与えたほうがみんなのためになるのであればお前は肝臓を差し出すんだろうな。
年金ぐらしのおじいさんおばあさんも、生きていれば様々なことでみんなのためになっている、などと軽薄な功利主義を唱えるのはやめてほしい。教養がない。一番大事なことはそこではない。みんなのためだからといって個人に我慢を強いるのは限度があり、絶対に超えてはいけない一線があり、その先のことをどうするかについては本人の意思決定を尊重するべきだ。それがこの社会の約束である。
そもそも、僕がカラオケに行きたいというのは『みんな』に含めてもらえないのだろうか。野球を見たい人が野球を見れないのは『みんな』の問題ではないのだろうか。
僕は大変優しい人なので、みんなのために自分が犠牲になることはやぶさかでない。しかし、だからこそ「みんなのため」を誰かが勝手に決めていることに対して腹が立つ。
先に断っておくが、僕は大変な紳士であり善人だ。
定食屋さんでは必ず『いただきます』『ごちそうさまでした』という。
スーパーの店員さんにも必ず敬語だ。怒鳴ったりクレームをつけたことは一度もない。レジでは必ず『お願いします』『ありがとうございました』という。
職場でも全員に敬語だし、いわんや誰かをいじめたりいびったり口撃したことなんて一度もない。いつもニコニコしている。
読みたい本は必ずお金を出して買っているし、聴きたい曲は必ず各種有料サービスを使って作者にお金が回るようにしている。
あくまで、これはこの問題の構図が完全に不公平であるという点を主張しているのであって、僕の人格がおかしいからだとかいって済ますのはやめてほしい。
夫が熱を出した。
とりあえず今は部屋やタオルを分けたり、触った部分をアルコール消毒したり、お互いマスクをつけたり、そんなことをしながら面倒を見ている。
心配なのは4日後に家で見れないほど重症化した時、どうやって病院に検査を受けに行けばいいのかだ。
車は持ってない。夫はペーパードライバー、私は障害の関係で無免許だ。
私の実家が近くにあるので、恥ずかしい話ではあるが、今まで車が必要な時は乗せてもらっていた。
もし4日後夫の熱が下がらなかったら、検査を受けに行くことになったら、実家の車に頼るしか無いのだろうか。
病院はきつい坂×3の上にあるのでふらふらの夫に歩いて行かせることはできない。車が必要だ。
しかしタクシーで行くと運転手さんに移してしまうかもしれない。
救急車は今の時期たらい回しにされるって聞くし、そもそも救急車はタクシーの代わりじゃない。
どうすればいいんでしょうか。
これでICUとか人工呼吸器セットとかにありつけると思うのだが、どうよ?
・救急車を呼んで、「ものすごく呼吸が苦しい」などといった旨を伝える。
・救急科に搬送してくれる。少なくとも現場レベルでは、重症を訴える患者を見殺しにすることは恐らくできないはず。
数回救急車に乗った経験では、消防も病院も怠慢は絶対にしない。
よく知らないけど、もしそんなことしたら万が一死んじゃったとかの場合、刑事でも民事でも行政でも処分される。
・普通の救急科医はどちらかというと血ダルマの交通事故被害者とか黒コゲの焼死体寸前の人間の相手などが専門だろうから(勝手な想像)、必ずしも呼吸器科のプロとは限らない。
・検査をして肺に異常が無かった場合でも、現代の検査では呼吸器官に異常が見つからなかったというだけで、未知の症状・病気という可能性だってあるのだし、
重度の風邪かインフルか肺炎か結核か別の何かか分からないし、最悪タバコの吸い過ぎで風邪が悪化したかもしれないとでも言えばいい
体にも倫理的にもよくないが、飲酒運転や殺人と違って、風邪引いた状態で喫煙とかしたからといって違法ではない
ましてそれで救急車を呼ぶ羽目になっても(ただしイタズラ電話とかは明確に違法だったと思う)
・痛みとか苦しみといった主観的な症状は現代医学でも客観的に測定しかねる場合が多々あるので(例:幻肢痛)、詐病とか悪質な嘘にならない範囲で、逆手にとって大いに主張する
・本当に新型肺炎の重症の場合でも、結核みたいなレアケースでも、上記のようなタダの不摂生による重症でも、毎月月給から大量に搾り取られられている税金や社会保険料による公共サービスを正当に行使しただけである
・命に関わるような大病でなくても、死ぬかと思うような激痛を伴う病気も普通に存在するし(1敗)、自覚症状が無くても即死寸前の重病という場合もあるので(1敗)、そういう判断は専門の検査とか医者が必要になるんだから、遠慮なく呼ぼう
今日、入水自殺をしたひとへの対応をしたときのことを記す。主に自分の気持ちを落ち着けるためだ。
できごと
・もろもろ所用を済ませて17時過ぎに家に帰る。かなりよいことがあったのでうきうきの気分だった。
・前を歩いてた人が橋の途中で何度も下を見るので「なんか珍しい鳥でもいるか、話好きのひとか?」と思ってイヤフォンを外して話しかけると下に人がいるという。
・プカプカ浮いている男性がいる。手足は動いている。なんかダイバーの仕事かな?と思いつつ、大きな声で大丈夫ですか!って聞く。返事があるけど聞き取れない。
・前を歩いてた人がやばそうな顔をしてたので110番する、…体感時間で1分ほど話したが119に誘導されて電話する。
・この時点で自殺をしようとしたひとの顔が水面から見えたり、見えなくなったりする。
・私は水泳の経験があるので助けられると思ったが、119のひとに止められる。
・思ったよりすぐ救急車や消防車がく、る、ような気がしたけどサイレンの音はすれども遅く感じる。
・もう顔は水面から見えない。
・消防隊到着、水面から見えなくなってからの時間を伝えるとわかりましたと返答。
・警察官に連絡先や状況を伝える。ちょっと待っててと言われる。職業を聞かれるのがすこし不愉快。
・自殺をしようとしてたひとが引き上げられる。
・入水自殺したひとがいたと教えてくれたひとにお礼とこれがベストだったのではないかと話し込む。
・以上
わかったこと。
意外と冷静に対応できない。
思ったこと。