はてなキーワード: 回鍋肉とは
なにやらヨッピーとかいう人が「たくさん稼いでるひとのマネーリテラシー」について記事を書いていたんだけど、じゃあ僕らのようにそもそもキャッシュフローの少ない「底辺労働者層」「貧困労働者層」「不安定労働者層」はいったいどうしらいいのかね? この記事を有料にしたいけど、それすらも出来ない僕らは!
だいたい「もってるひと」は「これは努力して手に入れたものだから非難されるいわれはない!お前らの境遇は自己責任」って言うんだけど、わかったよ、じゃあお前らが汗水垂らして支払ってる税金を俺たち貧困層が食らい尽くしても、それも「自己責任」な!文句言うんじゃねーぞ。
同じ貧困層同士のひとと話しててそういう話になったのだけど、「お金に対する執着がみんな強すぎるし、インターネットでそういう話をすると『乞食!』とか逆ギレする人が多くて話しづらい」との事ですが、ちょっと今日は頭を柔らかくして聞いて欲しいところ。
こういう話、以前から書きたいなぁと思っていたんですが、いかんせんお金が絡むことなので媒体とかスポンサーとか絡めてお金がほしいなと思って、ただじゃ書かねえぞと思っていたのだけど、この機会に書きたい。お金くれって思ってるのでご理解頂きたいでござる。
その貧困層の人が言うには、この6つをやっているかどうかでを聞けばだいたいのマネーリテラシーの高さがなんとなく判断出来るらしい。「ひとつもやってない!」という人はこの機会に考えてみても良いかも知れない。逆に「全部やってる!」って人は自分なりに調べたり考えたりした人なんだと思う。
まず自分自身のミニマム生活コストをちゃんと把握しておくこと。
友人知人も本当に大切な人たちとの付き合いだけに絞り込んで、当たり前だけど仕事をしなければスーツなんていらないし、ひとに会う予定もなければ外出着も季節ごとに一着あればいいよね。
そんなふうに色々なものを削っていくと、生活コストはおそらく5万円くらいに落ち着くと思う。税金や水道光熱費も遊興費 雑費 固定費 諸費もすべて込みで。でも「住居費」は別ね、地域差が大きいから。
なんなら冬場はお風呂に入るのも週一ぐらいでも大丈夫だよ。だって誰にも会う予定はないし、臭いと感じて不快になるのは他人であって自分自身では臭くないし。でも冬場で乾燥しているとはいえ、首・脇・股間は濡れタオルで毎日ちゃんと拭こうね。
そうすることで、当たり前だけど所得税の支払いもゼロ。住民税の支払いもゼロ。国民健康保険料が7割減免されて15000円/年くらい。国民年金が全額免除(要 減免申請)で支払いゼロ円だけど1/4は払ったことになる。これすごくない?払ってないのに払ったことになるの。「ゼロ円」を払ってちょっとお金がもらえるようなもん。現代の錬金術だよ。
あと医療費も高額医療費制度が適用されるから、もちろん入院中の食事費用は別途自己負担になるけど、医療費一ヶ月で35000円くらいが支払い上限。どんなに大きな手術をしようが35000円。いえーい。
地域バスなんかも1000円で乗り放題パスがもらえたりするかも知れないので、その辺も調べておくといい。
なので、住民税非課税世帯でいると支払う税金の類は「国民健康保険料が年15000円くらい(7割減免)」だけになると思う。これだけであらゆる社会保障制度を使い放題。れっつフリーライド。
一ヶ月5万円で生活できるよ、というと大概「何食ってんの?」と質問される。答えは簡単。牛乳・玉子・豆腐・納豆・旬の野菜。
「犬の幸せ理論」って知ってる? 犬は毎日同じ時間に同じ餌をたべることが安心幸せなのであって、人間様が良かれと思ってたまに別のご飯をくれるのはいい迷惑ってはなし。
貧乏人は犬だから、毎日同じ時間に同じ食事をとれることが安心幸せなんだよ。
だから、朝は「目玉焼きとトーストと牛乳とビタミンCサプリ」、昼は「目玉焼きとご飯半合」、夜は「豆腐と納豆とご飯半合と旬の野菜」。ちなみにご飯は白米と玄米と押し麦の自作ブレンドだよ。食物繊維だいじだよ。フライパンは鉄製で鉄分補給もだいじだよ。
旬の野菜は高いでしょって聞かれるけど、ちゃんと八百屋に行ってそのときどきで安いものを見繕えば安いよ。冬なら白菜や大根。春夏はキャベツときゅうり。秋はなんでも美味しいよ。もやしは安いけど日持ちしないから使いにくいよ。
冬なら鍋に豆腐と白菜山盛り。春キャベツは酒蒸し焼きにして塩コショウとマヨネーズと醤油で和風回鍋肉っぽく。夏きゅうりは浅漬けにするなり味噌で食うなりして、塩分も補給。
これで食費一日300円くらい。米も調味料も込みで。一ヶ月の食費は8000円から12000円くらいになるよ。少し甘いものを食べても たまに晩酌してもそのへんに収まるよ。
ちなみに、肉・魚は食べないよ、高いし保存も料理も面倒。肉さかなを食べなくなって1年目はテレビのCMを見るだけで食べたくなったけど、2年目くらいでなんとも思わなくなるよ。たぶん腸内フローラとかそのへんが調整されるんだと思う。だからか、たまに肉を食べると翌日下痢になるよ。
それに肉さかなを「美味しい」と思わなくなるよ。「(安い肉だから)歯ごたえがゴムみたいだし、動物性の油が美味しいだけだな」と気がつくよ。野菜のそれぞれ個性ある歯ごたえだったりフルーツさながらのジューシーな感じのほうが「美味しい」と感じるようになるよ。ふしぎだね。
でも人のかねで食べる焼き肉と寿司は最高に美味しいよ。ふしぎだね。
ちなみに油揚げを焼いて焼肉のタレで食べると肉っぽいよ。貧乏人の舌なんてそんなもんだよ。
冷暖房は使わないよ。電気代が高からね。年間通じて水道光熱費は5000~6000円/月で抑えられるよ。電気代だけなら2000〜3500/月くらいだよ。
でも「一人用電気毛布」と「扇風機」ぐらいはつかうよ。死んじゃうからね。夏は室温35度。冬は室温5度くらいになるよ。
冬は室内でもコート着て手袋してマフラーして毛糸の帽子をかぶっておけば乗り切れるよ。
夏は全裸でいることが大事だよ。布一枚あるかどうかで体感温度が10度くらい違うよ。真っ裸で扇風機にあたってるとときどき「さむっ」ってなることもあるよ。あと一日中 水風呂入ってればいいよ、どうせ仕事してないんだし。
冬はともかく夏は冷房使わないと死んじゃうよって言われるけど、餓死とか三大疾病とかで死ぬより熱中症で気を失って眠るように死んだほうが幸せな死に方かもしれないよ、よく知らないけど。死体の処理をするのは他人だからどうでもいいよ。無縁仏で十分だよ。
なにか欲しいものがあったとき。お金持ちは「それが欲しいかどうか」で決めるよ。普通の人は「それがあると便利かどうか」で決めるよ。貧乏人は「それがないと死んじゃうかどうか」で決めるよ。
「よくよく考えたらこれがなくても死にはしないな」って判断したら、それは「いらないもの」だよ。捨てな捨てな。
おかねもちだって、彼らなりの「理由」をちゃんとつけているからね。身体の70%は水分だからお水は大事、だからウォーターサーバーは無駄遣いじゃない。一ヶ月に一回 海外旅行に行くのはストレス発散で大事、それが結果的に健康につながるから。銀座でランチをするのは情報交換のため、上流層の情報交換はプライスレス。このブランドは一生使えるからかえって割安。
うん、いいとおもうよ、たくさん消費税を払ってね。ぼくらのために。
お金は人類共通の指標だから、ついそれを積み重ねて数えることを重視してしまうけど、それはしなくていい。自分だけの仕合せを数えることが大事。
熱いお風呂に浸かるときの仕合せ。子供の寝顔。たまにたべる好物。ネコと一緒に昼寝する時間。なんでもいい、他人には理解できない、自分だけの仕合せ。それをひたすら積み重ねること。
「とはいえ出来ねーよ」という層もいるかと思うのですけど、それぞれ1週間くらいで慣れますで。人間の最大の武器は知性でも二足歩行でもなくて「適応力(慣れ)」らしいです。ゴミ屋敷でも人間 3日で慣れて生活できるようになるそうですよ。
続・お金の話について | ヨツピー | note anond:20190707094714
こころのはなしについて | ヨツピー | note anond:20190706113700
終わりの話について(完結) | ヨツピー | note anond:20190708072506
○朝食:チーズ
○昼食:回鍋肉定食(ご飯、たまごスープ、餃子、漬物、回鍋肉)
○夕食:松屋で何か食べてくる
○調子
むきゅー。
37.2〜37.6あたりの発熱。
強烈な喉の痛み。(痛み止めが切れると夜に目が覚めるほど)
という状態が、かれこれ二週間以上つづていている。
原因はお医者さん曰く、喉が食道のあたりまで腫れていること、らしい。
今日は通院の日。
検査の結果、どうも水曜日のときよりは「かなり、良くなっている」そうだ。
とはいえ、元が重症なので、いわゆる健康な状態と比較すると、まだまだだそうなので、今日も抗生剤を点滴をしてもらった。
この点滴はかなり効くようで、日中はわりと普通に過ごせたので、洗濯をなんとか済ませた。
ただ、ここ数日ろくに眠れていないので、痛みと発熱がおさまったのをこれ幸いと、昼間はぐっすり寝た。
少しづつとはいえ、快復に近づいているようなので、頑張ってちゃんとお薬のんで治そう。
昨日も少し書きましたが、長年使ってきたアーキタイプ「圧迫」の要の中の要
ゾロアークは、相手が攻撃を仕掛けてきたとき入れ替わる能力を持っています。
そのため、MP3で足が早いけど攻撃力はないポケモンを一気に攻めさせて、相手からの攻撃はゾロアークで受ける。
というのが「圧迫」の基本的なコンセプトなのですが……
MP2以下のポケモンとのみ入れ替わることができ、MP3以上のポケモンと入れ替わることができなくなるそうです。
ただれこれ、冷静になって考えると、今の圧迫デッキで「攻めている時」にゾロアークでなりかわるポケモンは、MP2のベベノムであるケースがほとんどなんですよね。
MP3のケルディオは生存保証があるから無理にすぐ交換しなくていいし、
MP3のセレビィは攻めているときに自分から殴りに行くポケモンで、殴られる立ち回りをしてる時点で微妙だし、
MP3のポニータは特性の都合で、ゾロアークと元々入れ替えられないし、
MP3のメガゲンガーは相打ちOKの白技があるから無理に交換せず、メガ進化が終わってMP2のゲンガーのときに交換すればいいし、
と考えると、実のところそこまで影響はないのかもしれない。
ただ。
守りの際にはデオキシススピードフォルムとゾロアークの組み合わせで、相手の事故を誘うって守りの定石があったから、
圧迫で相手のエントリーを無理やりに潰して、相手が少ないポケモンでゴールに特攻を仕掛けてくるパターンの時なんかは、割と困りそう。
というか、
なんというか、
長年の相棒感、ポケカでいう「タッグチーム」みたいなポジションだった
「デオキシススピードフォルムとゾロアーク」のコンビが解散してしまう、というシチュエーションに思いの外、衝撃を受けている。
そうか……
うわ……
まじか……
これからの圧迫どうしようね。
まあとりあえず、適当にルカリオセットとか、アルセウスみたいな一匹で安定して仕事できるポケモン入れとく?
(暁ネクロズマはおりゃん)
四川料理が好きだ。
麻婆豆腐、担々麺、回鍋肉、棒々鶏、魚香茄子(いわゆる麻婆茄子)といった日本における定番は勿論、辣子鶏の燃える岩を食べる感覚、麻辣火鍋の燃える油を飲んでる感、どれも病みつきになって久しい。
コクと旨味と、それを上回る辛さは芸術的ですらある。
そんな四川料理だが、担々麺と麻婆豆腐はこの20年位で大きく変わったなーと思う。
まず担々麺だが、本来の汁無し版をあちこちで見かけるようになった。
個人的に日本ローカルの汁有りは、残った汁を持て余し気味だったので、より軽く、かつ濃厚になった汁無し版はとても嬉しい。
そして本題の麻婆豆腐。
「仕上げに照り出しのゴマ油を回しがけ」
だったのが、最近のは
「仕上げにラー油を回しがけ」
に変わっている感じ?
おまけに先日ホッテントリしたレシピなんて、一味に丸のままの唐辛子まで入れていて、当然豆板醤も入る。
まあ、俺も火のように辛い四川料理は好きだが、プロが作る旨辛レシピを素人がおうちで真似すると辛いだけにならね?
かく言う俺も、その20年くらい前のレシピで作って家族から総スカンを食らったという恥ずかしい過去がある。
だから旨辛って、辛さ以上に旨味のマネージメントがとても難しいと感じる。
最近、社会人サークルで年一回カレーの煮炊き・持ち寄りをするイベントに参加するようになり、「本番」のリハにおいて、カレーを旨辛にバランスさせるのに結構苦労したのを思い出した。
クックドゥって中華調味料を混ぜただけというイメージで、回鍋肉とかまさにそんな感じ。
だから少人数orそこまで頻繁に作らないから調味料ごとに買い揃えると、余らせてしまう、
割高になってしまうというへの対策に使うものという認識がある。あれが手抜きなら、
豆板醤とか甜麺醤とか一から自分で作らないと手抜きでしょ、って。
一方、顆粒ダシなんて手抜きのためのものそのものじゃん。ダシ引くのなんて、小分けでも作れるし
使用頻度も高いので余りにくい。余るとか割高ではなく、ただ手を抜くためだけに
使うものでしょ。
中華料理って一見ハードル高そうに見えるけど実際は決められた調味料の組み合わせだよ
ベース…酒・砂糖・みりん・鶏ガラスープの元・オイスターソース
青椒肉絲…ベース+しょうゆ・甜麺醤(お好みでしょうが・にんにく)
麻婆豆腐/エビチリ…ベース+ねぎ・しょうが・にんにく・トマトケチャップ・甜麺醤・豆板醤(うちは子供居るから入れないが)
で出来る。
・酒
・砂糖
△みりん
・しょうゆ
・味噌
△甜麺醤
・豆板醤
下3つ以外は中華料理以外でも普通に使う調味料だという事が分かる。
△をつけてるやつは砂糖+酒または砂糖+味噌+ごま油で代用可能。
クックドゥの味じゃないと満足できない!って人じゃない限り、自分で作った方がよっぽどコスパ高いだろ。
○朝食:なし
○調子
なんか今年はもう半年ぐらい忙しくなるなると言われ続けているが、ずーっと暇だな。
回鍋肉が美味しいらしいです……
特に気に入っているのが、東方のキャラがTRPGをする動画で「撲殺巫女がSW2.0をプレイするようです」というシリーズ。
東方の、とは書いたけど、東方だけじゃなくアイマスのキャラクタも活躍するし、シリーズが続いていくとアイマスのキャラクタがPCにもなるみたい。
めちゃくちゃ長いシリーズなので、気長にゆっくり見ていこうと思ってるのだけど、見始めると止まらなくて、ここ数日のプライベート時間はほぼほぼこれに全振りしている。
(ただ残念なのが、僕が東方やアイマスで好きなキャラクタは出番がないみたい)
●3DS
●スイッチ
5面と6面を並行的に攻略中。
レートは2700前半。
うーむ、炎パ使う前の3000台だったのになあ……
幼少時は、今思うと味覚過敏だったかもしれない。
とにかく苦いものと、グニャっとした食感を全く受け付けなかった。
それから幼少時は扁桃腺でよく寝込んでいたため、粉薬が嫌で嫌で仕方なかった。食後の薬で毎回泣くほど嫌がっていた(笑)
あと、食べられなくはなかったが、酢の物も結構苦手だった。酸っぱい以外の旨味が感じられず、食べにくいことこの上なかった。
てかさー、保育園ってか園の給食を担当した栄養士に対しては、今でも控えめに言って死ねとしか思えない。
ピーマンのソテーなんて、どう考えても子供が好む味じゃないと思うんだが、なんで毎月毎月、バカの一つ覚えのように出しやがった?
ピーマンが食べられるようにするための「食育」?スライスしたピーマンをバターで炒めただけの代物じゃ、どう頑張っても食べられるようにならねーから!なるわけねーじゃん。
昭和50年代にもなって小麦粉を積極的にすいとんにして、しかも子供に食べさせるとか何の意味があるんだ?戦時中の貧乏体験ツアーですか?
まあでも、大人になって一応ピーマンは食べられるようになった。
青椒肉絲とか回鍋肉とか、肉詰めとかジャンバラヤとか、結構食べる。バーベキューで出てきてもなんとかなる。
でも一番美味しいのはサラダでお目にかかる、赤や黄色のパプリカなんだよなあ。見た目も美味しそうだし、実際ピーマンと違って苦味がなくて、普通にフレッシュな味だし。
そしてすいとんは…一昨年に某所の名物(?)として食べたので、食べられなくはない感じだが、今でも積極的には食べたいと思わない。
酢の物、旅館や料亭で出されれば食べるし、実際食べると凄く美味しいのだが、今日は酢の物食べよう!とはならない件。幼少の記憶って大きいね。
粉薬もなあ、錠剤が喉につかえたら一大事って今なら分かるが、それでもあの苦味は思い出すだけで泣きそうになる。
マジであんなの飲むくらいなら病気治らなくていいと思ったからな。
結局、小学生の時分に引っ越したので、そこの保育園が今でもそんなふざけたメニューを出しているのかは知らない。
でも、ピーマンとすいとんと粉薬に泣いていた保育園児が、後にも先にも自分だけとは思えないので、どうにかなっていて欲しいのだが。
2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。
そのことについて思うところがある。
誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。
私は、ペンライトやうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイルの作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである。
作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。
ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。
ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台やミュージカルではないとも思わない。
うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。
客席に降りてきたキャストにファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトのカラーはすぐに揺らいで、軽率にブロマイドを買ってしまう。
界隈にはよくいるオタクだ。
ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。
あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解と共感ができてしまうのである。
例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。
なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。
先ほど、この応援スタイルの作品は苦手だが、舞台やミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイルに出会っていたのが根源にあるのではと思う。
舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感があるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。
例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。
1部と2部で分けられた構成で、似たようなものが存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。
それから、四季のマンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。
2.5次元作品で名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。
劇作家であるピーター・キルターの作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。
これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。
(ペンライトを持ってくることについて公式からのアナウンスがあった)
少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。
歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。
例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。
こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。
ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルのコンサートと一体化しているようなものが乱立している。
2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。
おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台・コンサート・イベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るもの」なのだ。
ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。
だから、舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出のひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在や要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。
少々暴力的な言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。
あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。
けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっとと要求までされているのものだから、困惑するのだろう。
どうして、と思う。
そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。
パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店はパイナップル入りばかりを提供しているのだ。
こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである。
私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。
2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストのライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。
回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。
けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画やアニメの作品が、うちわを持って応援するスタイルの舞台になってしまったら。
「楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。
きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。
とにもかくにも、最近このドルステタイプの作品が多いのは紛れもない事実だ。
少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルかストレートかといった分類だったように思う。
それを証拠に、ある作品が舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。
この新たなジャンルは、確かに舞台作品の範疇ではあるが、独特な応援スタイルが存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。
2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。
テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?
はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。
けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。
決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることなく3rdシーズン。
その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画を原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉が自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。
今この時代、チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。
映画などとは違い、舞台は初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。
当たり前だが、その通りだ。
先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。
実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。
私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。
だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。
少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルとフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。
そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。
苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラ・キャストを応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。
知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元のアイドルを応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作のプロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイルの舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま。
舞台を観たことがない人を、いかに劇場に来させるか。そんなことを、制作側から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。
きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである。
だからそろそろ、この新しいスタイルの演劇に名前をつけませんか。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。
これを当たり前にするために。
オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんなもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式と市民権を得たミュージカルのように、いつかこのスタイルの演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。