はてなキーワード: マクドナルドとは
よく通る道ならともかく、あんまり通らない道で、何か道混んでるなーと思いつつ、じっと待ってたらマクドナルドのドライブスルーが車道にもはみ出してるパターンがよくあって腹が立つ。いつも通る道ならそのレーンを回避しつつ、マクドナルド過ぎて車線変更できるけど、あまり知ない道は、こんな混んでるなら途中で車線変更しづらいだろうから車線キープしとこうとか思って、全然進まない車線に並ぶ羽目になる。
マクドナルドの入り口には警備員がよくいるけど、ドライブスルーからはみ出した列の最後尾にでも「こちらマクドナルドのドライブスルー待ちです」とか看板持って立っとけボケ。
あと、てりやきバーガーセットが590円て高いよバカ。
まぁ、こんなことは増田で叫ぶよりマクドナルドに直接言えってことですね、
すいません。
猫舌だから全品熱いもので構成される食事については「いただきます」と声に出して覚悟を決めないと箸をつける気になれない。
まぁ冗談はさておき。
例えば麺類食う時に音を立てるか立てないか、という話をしよう。
ちゃんと自己観察してれば、音を立ててすする時とそうでないときがあることに気付く。「麺類はすすって食って美味いという意思表示をするのがマナー」というのの裏返しで、つまり「マズい麺類&美味いという意思表示をする必要が無い場合」は実は音をたててすすっていない。
これは「美味しいと言う意思表示が無意識のうちにされている」結果だろう。たぶん、無意識というのは思っているよりシビアな審判に違いない。
同じように、いただきますと言う時と言わない時がある。
実家に寄生してて言うのもなんだけど、基本的に親とはそれほど仲が良くないので、美味い飯とは言え(実際に美味い)親と食事する時には半々ぐらいの割合(腹の減り具合やその日の機嫌による)でしかいただきますと言わない。
ただ、帰りが遅くなったりして適当に自炊する日があって、その時は必ずいただきますと言う。腹が減って疲れて帰って来て摂る食事は格別だ。
カップ麺なりコンビニ弁当なりの時はほとんど言わないけど、定食屋とかだとほぼ必ず言う。なか卯やすき家辺りが半々。これに関しては、例えばマクドナルドなんかではレジで商品を受け取る時に「ありがとうございます」と言うのが「いただきます」の代わりを果たしているとも考えられる。
自分で淹れたコーヒーに対して「いただきます」とは言わないけど、他人からコーヒーを貰った時には「いただきます」と言う。それが缶コーヒーであったとしても。
あと、朝飯の時はほとんど言わないけど、昼飯や晩飯の時は上記の言わない場合に該当しない限り言う。
これらを総合するに、食事を共にする人間との関係、食事の際の心理状態、食事を供した人間との関係、献立の規模(間食、軽食、食事)などの複合的な要因が、自然な気持ちで「いただきます」と声に出すかどうかにかかわっているのであり、一概に「いただきます」を不要とする元増田は非常に乏しい食生活を送っていると思われる。
この記事を読んで、
を思い出した。
この記事は悪そうだから、みんな「釣りですか」「犯罪ですよ」とかいえるが、ひょっとしたら、
寓話化、拡大化されているだけの話かもしれない。
例えば混んでるスタバの一角で長時間DSをやっている男性4人組を見た時の事を思い出した。
(相当長く居座っていたので、お客が入れなくてどんどん次の店を探しにいってしまったので、見込み客は減っているはず)
スタバで長時間占拠というのは俺もその時資格勉強をどうしてもしないといけなくて、
こんなに長時間占拠してていいのかな、って思いながらやっていた。
一応ドリンクは2杯頼んだりしていたが、逆に俺ぐらい気を使っている人はあまりいなさそうだったし、
これは本当に自律の話で、大人のマナーができるかどうか、ダラダラと悪意をもってなくても
結果悪意につながるっていうような例は探したら結構身近にあると思っている。
それを注意できないのも、見えづらいが、やっぱり勇気の無さとして、悪意の増長に
一役買っていることも付け加えておく。断り力って奴っすか。。
冷蔵庫に入ってバカッターする奴らが、コミュニケーション能力が有る奴らで
人を傷つけてるどうしようと思う奴が、非コミュでぼっち、って 一体何なんだろうな。
大抵の場合、あんたの言い方傷つくよね、っていう人は。自分が他人を傷つけることに関しては無頓着。
とまれ、基本的に、他の増田の言うように、やさしく、人当たり良くなれるようにがんばりつつ。
オルタナティブとしては、人に負けない何かを身につけて、金を稼げ、社会的地位を身に付けろ。
マクドナルドの社長にしろ、ブラックの社長にしろ、元東京都知事の暴走老人にしろ、他人を傷つけまくりでも、全然生きていけるどころか、人生を桜花している。
増田が相手にされないのは、弱いからイジメてもいいと思われてるからだろう。
利用価値がないと思われてるってことだ。(ある意味、言い方を変えればな)
要するに、弱いから、ブッチしていいやって奴が大量にいるって事だ。
そんな奴らの事を気にかけて、気に病むくらいなら。
優しくしてくれるやつを大切にして、金を稼げる奴になれ。
市場の内外と、組織の大小で4分割するフレームワークは概ねあってると思う。
ヒト・モノ・カネの3大リソースはIT化のおかげでますます国をまたがった移動が低コストになっていて、
そうすると大きな資本で集中投資できる大きな組織が、大きな市場で勝負するのが最も効率的で合理的ということになる。
アップル、アマゾン、グーグルのIT御三家は言うに及ばず、ウォルマート、コストコ、日本ならイオンなどの流通業、GAP、ZARA、日本ならユニクロなどのファストファッション、マクドナルド、スタバなどのファストフード、話題の外食チェーン、グローバル展開したりしなかったりしている銀行、保険、証券の金融サービスなど、多くの業種で「大きな組織、大きな市場」モデルによる市場の寡占化が進んでる。
もともと、エネルギー(石油メジャー)、自動車(日米独仏の各国数社)、原発(東芝、日立、三菱)をはじめとする重電分野(米GEが代表例)など参入障壁が高い業種では、「大きな組織、大きな市場」モデルによる寡占的な市場が形成されやすかったが、近年のIT化によって、消費財や消費者向けサービスを提供する上に挙げたような業種でも「大きな組織、大きな市場」モデルが適用できるようになったと見ることもできる。
このように考えると、ひとりの個人として身を立てる、あるいは中小企業やベンチャーが生き残るには夢も希望もない社会のようにも感じられるけれども、俺は必ずしも捨てたもんじゃないとも思ってる。
どういうことかというと、大手資本が「大きな組織、大きな市場」で効率的な市場環境を整えてくれたおかげで、逆説的ではあるが「小さな組織、小さな市場」モデルの個人やスタートアップが活躍できる余地が広がってるんじゃないかということだ。
効率的な市場環境ってなにかというと、例えば決済。国際間の決済が個人レベルでも簡単にできるようになった。
流通もしかり。これは物理的に大きく重いものはまだ敷居が高いけどね。
広告。Googleなどのおかげで世界中に安価かつ瞬時に広告を出せる。
販売。猪木じゃないが「ネットがあればなんでもできる」。そして英語ができれば(かつ物理的に大きく重いものでなければ)世界市場を相手に販売できる。
製造。これはさすがに工芸品のようなものでなければ個人でどうこうするのは難しい。ただしはてな民に馴染みのあるところで言うとenchantMOONが可能性を示したように一介のベンチャーが工業製品を作るのは、規格の標準化や安価な海外リソースの存在もあり、やはり敷居は下がっている。3Dプリンタもここの部分の効率化に大きく寄与しそうだよね。
資金調達:これも可能性は広がっている。上述したようにスタートアップの敷居が思いっきり下がっている現状では競争倍率がハンパないが、ダメなビジネスは資金調達できないという意味ではここも効率化されていると考えることもできる。あとWebサービス系のスタートアップならばプロトタイプ作るところまでは必要なのは人件費だけだから、そういう意味でも個人やスタートアップには恵まれた環境と言える。
こんな感じでビジネスの上流から下流まであまねく効率化、標準化、オープン化されつつあるのが今の世界で、そういうわけで、個人やスタートアップが活躍できる余地が広がっているというのが俺の考えだ。
立ち上げたビジネスは大手に売るか、大手が触手を伸ばさない程度にニッチな市場を狙うか、最高なのはTwitterやDropboxなどのように買収提案を蹴って独立の道を歩めるだけのブランド力あるいは特許をとって身を守りつつ自らが新たな「大手」プレーヤーになるか。
個人にいたっては別にビジネスを立ちあげなくたって能力と英語力さえあれば、国際間での雇用の流動化とクラウドソーシングの普及で、収入を得る方法は格段に広がっている。
逆に今後厳しい立場になると思われるのは、とくにこれと言って強みのない個人や、接待や御用聞きなどの人間関係だけで仕事をとっていた企業。
これまでならそういった企業でも「呼べばすぐ来てくれるから」とか「他に手頃な業者がいないから」ということで仕事にありつけていたのが、コミュニケーションコスト・移動コスト・情報コストの低下で、探せば他に同じ(あるいはもっと高い)バリューを安価にを提供してくれる業者にコンタクトしやすくなると、仕事を失う。
これは日本の製造業や小売業が過去20年でイヤというほど経験してきたことだからここであらためて書くまでもないけどね。
そんなわけで俺は今後数十年の競争社会というのは、増田が言うように大資本が中心にはなると思うけど、大資本以外にも十分にチャンスがある世界だと思ってる。
かくいう俺はフリーランスでやっててこの手の話っていうのはガチで人ごとじゃないので、意見にそういうバイアスがかかっているかもしれないことは断っておく。まあ正直なところ、ここに書いたようなことを自分に言い聞かせてないとやってられんという気持ちはあるな。
ただ同時に、こういうボーダレスな世界だからこそ、俺みたいな組織で生きられない社会不適合人間でも、独立という選択肢を持てて、それなりに家族を養うことができてることも事実なんだよ。まあ俺個人の話は余談でした。