猫舌だから全品熱いもので構成される食事については「いただきます」と声に出して覚悟を決めないと箸をつける気になれない。
まぁ冗談はさておき。
例えば麺類食う時に音を立てるか立てないか、という話をしよう。
ちゃんと自己観察してれば、音を立ててすする時とそうでないときがあることに気付く。「麺類はすすって食って美味いという意思表示をするのがマナー」というのの裏返しで、つまり「マズい麺類&美味いという意思表示をする必要が無い場合」は実は音をたててすすっていない。
これは「美味しいと言う意思表示が無意識のうちにされている」結果だろう。たぶん、無意識というのは思っているよりシビアな審判に違いない。
同じように、いただきますと言う時と言わない時がある。
実家に寄生してて言うのもなんだけど、基本的に親とはそれほど仲が良くないので、美味い飯とは言え(実際に美味い)親と食事する時には半々ぐらいの割合(腹の減り具合やその日の機嫌による)でしかいただきますと言わない。
ただ、帰りが遅くなったりして適当に自炊する日があって、その時は必ずいただきますと言う。腹が減って疲れて帰って来て摂る食事は格別だ。
カップ麺なりコンビニ弁当なりの時はほとんど言わないけど、定食屋とかだとほぼ必ず言う。なか卯やすき家辺りが半々。これに関しては、例えばマクドナルドなんかではレジで商品を受け取る時に「ありがとうございます」と言うのが「いただきます」の代わりを果たしているとも考えられる。
自分で淹れたコーヒーに対して「いただきます」とは言わないけど、他人からコーヒーを貰った時には「いただきます」と言う。それが缶コーヒーであったとしても。
あと、朝飯の時はほとんど言わないけど、昼飯や晩飯の時は上記の言わない場合に該当しない限り言う。
これらを総合するに、食事を共にする人間との関係、食事の際の心理状態、食事を供した人間との関係、献立の規模(間食、軽食、食事)などの複合的な要因が、自然な気持ちで「いただきます」と声に出すかどうかにかかわっているのであり、一概に「いただきます」を不要とする元増田は非常に乏しい食生活を送っていると思われる。