はてなキーワード: タブーとは
数は多くないが必ずいる。幹准曹士問わず、レンジャー出てようが、大臣直轄だろうが部隊の雰囲気関係なくたまに出くわすマジだせえ奴がいる。それは雑談なんかしてる時、戦争が起きたら自分は逃げるとか言い出す奴である。
この手合いは申し訳なさそうに言うでもなく、自らの説の合理性を滔々と述べる。曰く、別に自分でなくともよいとか、誰か知らん人間より家族を守った方がいいとか言う。聞いてもねえのに。
合理的で首尾一貫した、しかしそれでいて場のタブーである主張をするのに酔ってる。おれはなんも言わんけど、熱くなって言い返す奴はいるよ。話噛み合ってねえけど。
噛み合ってねえついでに話飛ぶけど、例えば、この社会自体が、選挙とか言う一人が一票を投じるめちゃめちゃシンプルかつ極めて重要な制度でありながら、個人視点での参加意義めちゃめちゃうっすい制度で成り立ってる。投票行く奴は休みが潰れて、交通事故リスク、感染リスクを負い吹けば飛ぶような一票を投じる。投票って全然合理的行動じゃねえから絶対行かないって言う奴絶対いるし、理解できる。こういう奴に投票行動させるにはどうしたらいいんかな。
よく投票率の低さを憂いて選挙に行かないと世代間格差は広がるよとか社会的立場を同じくするなら投票してとか言うけど、個人的な合理性が常に勝っちゃうからね。話噛み合ってねえんだよ。交通事故に遭い、コロナに感染して休み潰れるけどそれでも投票に行くことを勧めるのは何故か。という問いなんだよな行かない奴の言ってることは。それにはマジで合理性ゼロだけど、そうすべきって信じてるし、そうしてるからお前もよろしくとしか言い様ない。そういう考え方あんのか。わからんけど腑に落ちた気もする。行くわ。って形しかないと思ってる。
そしてこの説得は超だっせえ。ただ選挙制度みてえなもんをみた時、合理性を超えた信条、美学や格率みたいなあやふやなもんに社会は立脚してんのかなと思うと少なくとも合理性だけを考察すべき地域の範囲に乗せてる奴より誠実だと思う。
合理性のステージだけで一貫してるだけでマウント取ってくる奴はマジそこで論理を一貫させんのなんか簡単なんだからいばんねえでくれよ。露悪的なのもかっこよくねえからな。よろしく。
猫がよくバズってる。自分でもなぜかはっきりわからないが、それを見かければ見かけるほど嫌な気持ちになる。
{最初のしつけは要るだろうが)文句は言わないし、散歩に行く必要もなければ、自分でごはんを食べるし排泄もする。
自分(飼い主)がいないと生きていけない猫。
人間の子どもだったら生まれて数年は世話しまくる必要があり、自分とは別の存在として尊重し、依存なんてもってのほか。
そういうタブーを堂々と見せつけてくるのに違和感を感じるのだろうか。
飼い主が「ママ」を自称してたり、「うちの子」なんて呼んでたりもするので、大変な人間の子育ての代替として猫を飼ってるんじゃないかと思うこともある。
この前テレビで「日本人は苦労や努力を美徳とする」と言ってた。楽するのが許せないのだろうか。
猫に大金をかけるなら人間の子を助けてやれよとも思う。(まともに飼ったら200万とかかかるらしい)
猫に罪はない。飼い主が嫌い。猫を持ち上げる猫好きも同類。
ここまでが単なる現実。
それで、これからどうなるかについて考えてみたいんだけど、患者数が増えそうなことがわかっても、マスコミも政治家も医療崩壊についてタブーにして真面目に考えてくれる人がいないので、患者数がいくつになったら医療崩壊状態になるのかわからないんだよね。
感染した人のうち入院治療が必要になる人の割合は厚生省のデータだとこれまで4%くらいなのでそれを採用すると。
これから2週間170%ペースで患者が増えると二週間後(8/8)には2週の累計患者数が単純計算で56879人になる。
この4%が入院が必要なので、2275人が入院する必要がある。
ということなので、退院する人や増加率の誤差もあるけど、このペースだと2週間とちょっとで病床が全部埋まって新規患者が入院できなくなるんじゃないかな。
そもそもこの病床はスタッフが足りている数字なのか? ボトルネックが保健所にあるのでは? とかの疑問もあるので限界はもっと近いのかもしれない。
まず件のネタは、馬鹿な人たちがタブーな言葉の持つ意味をそうと知らずに使うというネタで、
用いる言葉が深刻であるほどネタの威力が出ると思う。だから小林氏はそうした。
そしてホロコーストを選んだところに、他には代えがたい小林氏の実力がある。
人類史上最大級の悪事であるホロコーストは、同時に日本にとっては「同盟国の悪事」だ。
当事者だが直接の加害者ではないという、絶妙に奥ゆかしい距離感がある。
この距離感を、日本人がネタにして演じることで面白くなる事実を、小林氏は発見したのではないか。
例えば日本人が関東大震災の朝鮮人虐殺をネタにするのは、ドイツ人がホロコーストをネタにするのと同じで
ただ加害当事者が厚かましくタブーを犯しているだけで、政治や倫理の論点しか無くて浅いネタにしかならない。
また日本以外の国の芸人がホロコーストネタをやっても、スリルや緊張に欠けるし、文脈の奥行きも無い。
日本人がホロコーストネタをやることでしか達成できない巧妙なお笑いがあるわけだ。
小林氏がそれを発見したとき、彼がお笑いに誠実な人だからこそ、たとえ批判や抗議に晒されようとも
ネタを作って演じざるをえなかったのだ。
そんなにキレる気がしない
「あぁ、倫理観のないことを言っているな、声の大きい人が聞いたら怒るんじゃないか」と思う
政治的な場面で、例えばどこかの大統領が「被ばく者の国」と嘲笑目的で言ったのならムッとなる。
逆にネット上のネタ動画でキノコ雲の映像を素材にしたり「原爆落とすぞ!」というセリフがあったら、
そういうのはあったとしたら「そんなこというなよ!」なんてツッコミが脚本に載ると期待するかもしれないけど、
すぐさまおいやめろふざけるななんていうことにはならない。私は。
政治は倫理的タブーに気を遣う場面で、ネタは倫理的タブーにあえて触れることでそのズレを感じて面白さをとる場面が部分的に存在する。
レイプネタとか、もっと言えばツッコミがボケを叩いたりするのも気に障る人もいるけど、それは程度の問題だと反論される。確かにそう。
12分割をさらに分割するとか、12分割以外というのは民族音楽にもあるわけだけど、
音楽理論を破壊再構築する現代音楽的な発想を面白く解説してたと思う
小山田氏の件で悪く言われてるけど、YMOも音楽理論の破壊と再構築をやってたみたいだし
ディープパープルのジョン・ロードだって半音ずらしの不協和音好きだし
ノンダイアトニックコードがないとドミナントモーションというか、
既存の音楽理論が、聴ける曲はこう作れ、という既成概念を作っているわけで、
それを敢えて壊してみるというのがまずあると思う
で、壊すととても聴ける曲ではなくなってしまう、壊すことが目的化しているからだけど、
それはまた新しい音楽理論だと思うんだよね