はてなキーワード: ケアとは
https://www.pref.yamanashi.jp/gyoukaku/public/gikaisom/kodomo.html
定義の中に、「この条例において「子ども」とは、おおむね18歳未満の者をいいます。」とあるので、18歳を過ぎてしまった元増田は、この条例の対象外になってしまった。
18歳未満か・18歳以上にかかわらず、家族を介護するケアラーへの公的なサポートを求めているのに、18歳過ぎたら「ヤングケアラー」じゃないんだからサポート対象外です!という立場に置かれてしまっていることを嘆いていると読みました。
とてもとても忙しくてこれまでに辞めようと思った回数は数え切れないけれど、優しくて素敵な人たちに囲まれていたので、ほんの少し寂しいような気がしなくもない…かな。
4月から新しい職場で働くわけですが、私は看護師をしていて、病院から病院に移るだけなので正確には転職ですらないのかもしれません。
入社するまで配属先が分からないためこれまでの経験をあまり活かせず苦労するかもしれないという不安はありますが、それよりも、新しい病院への期待が大きいです。
なぜなら前の職場の労働環境がクソすぎたからです。新しい職場はマシなところでありますように。以下に前職場のクソな点を語っていきます。
まず最も最悪なのが、残業ありきなところ。
4年間在籍していた中で定時に帰れたことなんてほとんどありませんでした。
三次救急に分類される病院でしたので、患者の重症度は比較的高く、検査や手術、緊急入院も多くありました。それは病院の役割として当然です。
だが、圧倒的に人手が足りない!
看護業界はどこも人手不足なのでしょうが、小さい子供を持つママさんナースに残業や夜勤を迫って結果的に大量に退職させたり、無駄とも思える時間外の委員会やら会議やら勉強会を頻繁に行ったり、時間外申請を看護師長の裁量で却下したり。貴重な働き手に残ってもらおうという努力などはなく、辞めたいなら辞めれば?とでも言うかのような傲慢な態度。そりゃ皆やめてくわ。残っていたら皺寄せがくるから早く逃げるのが吉。病院なんてたくさんあるんだしね。
そんなんで人手不足が深刻化していくし残っているのも殆どが1-3年目みたいな感じになる。なのに断らない救急(笑)を一丁前に掲げちゃって、人はいなくてもベッドに空きがあるからと入れちゃうんだよね。そんで時間外に清潔ケアをやるようなことになるってわけ。圧倒的キャパオーバー。そんなの明らかなのに改善しようとしない。スタッフの犠牲のもとに成り立ってる、それって成り立ってるっていうのか?破綻してるだろ。
断らない救急は基本的にクソなんだよ。私も看護師として働き出す前は医療ドラマとかドキュメンタリーの影響を受けちゃってカッコイーとか思ってたんだけどさ。断らない病院ってのは他病院から出禁になった患者とかも来るわけね。スタッフへの暴言暴力。セクハラ。病院のルールを無視。治療への非協力的な態度。こんなやつ治療する価値ないやろって奴が大勢来るわけ。ただでさえ業務過多なのに治療する意思のない奴ら、我々に害を及ぼす奴らの相手なんかしてらんないんだよな。クソ共の相手をするのに手間取られて本当に看護が必要な人のところに行けないのは悔しいよ。さっさと退院させてくれよ。スタッフを守るためにもさ。
尻を撫でられたり陰洗してるときに「先っぽが気持ちいい…」とかキモいこと言ってきたりする奴もいるよ。警察に突き出したいが?上に訴えても特に何も対処してくれないのでスルーするしかないのマジでクソ。職場も患者も地獄に落ちろ。
私は1カ所しか経験ないからよく知らないけど、これってどの病院もそうなのか?だとしたら看護師なんて辞めた方がいいね。尊い仕事?白衣の天使?馬鹿馬鹿しい。死ね!!!!!
さして効果も出さず有耶無耶になっていく事が多く不信感が極めて大きいのも理解はできる
私は当事者です。
10代の時点から山梨県の関係窓口には相談していて、心身に異常きたし日常生活送れないことも伝えてましたが「施設に入れろ」「複数抱えてる人は対応できない」など言われたこともありずっと対応してもらえませんでした。
この1年あまり県内ニュースで連日専門家参加の話し合いがされた、当事者・元当事者同士の話し合いがされたと、
知らないところで知らないうちに進み、手厚い対応をするような印象だけが報じられ、先日「やまなし子ども条例」が全会一致で可決されてしまいました。
私は年齢は成人してるので“元”になりますが20代になってからもひたすら耐えるしかありませんでした。誰も助けてくれませんでしたし現在進行形です。
条例が中身について報じられませんでした、
対象者の選定がどこからともなく発生した専門家に行われて、ただでさえ生きづらい人が対象外のレッテル貼られて更にしめつけられることが容易に想像でき不安でなりません。
男も女も両方信用したり不信感を抱いた経験があるから、単に環境だと思うよ
・日本で、大人になって男性に迂闊に近寄ると「肩を抱かれて、拒否しないと触られそうになる」「2件目に行こうでホテル前に連れて行かれた」のような嫌なことを無数に経験しているから警戒している
・日本で、女性からは一度もそういうことをされたことがなく、むしろ女性からは「何があっても他の女性を性犯罪に遭わせるわけにはいかない」という態度で心配されることが多い、何となく怪しい雰囲気の男の人に付き纏われそうになっていると知らない女性でも知ってる女性でもすぐに気付いて助けてくれたことが無数にあるから女性に安心感を感じている
・某島国で働いてた時、男性上司や男性が不審な男性のそういう行為に徹底的に厳しく、「かもしれない」「そうなる可能性がわずかでもある」だけでも「何度も意味なく話しかけてきた」のような些細なことでも非常に重く受け止め(君はあれを困った会話だと思ってるかもしれないが、あれは性加害だよ、次同じことを誰かにされたら僕に教えて欲しい。と教えてくれる始末)、日本の感覚では大袈裟すぎると感じるほどに深く深刻な顔で深刻に対処してくれ、精神的ケアをして必ず助けてくれた。
痴漢に見える男性がいた時は社の全員が激怒して暴言を浴びせ、通報したり、内部の人間の時は徹底的に制裁してくれた。
そのときは上司や顔見知りの男性によく助けを求めていて、安心していた(日本では男性上司はイマイチ信用できないけど)
・某地(日本)の某女性は性に関して非常に奔放というか緩い感覚を持っており、女は男に抱かれてナンボ、男から求められるのはいいこと、もっと男遊びをした方がいい、みたいな価値観を持っていたときは女を信用していなかった
性犯罪を受けていてももっとやれとか、他の男に軽々しく言いふらして「可哀想だからアンタが抱いてやってよ」と言うとか、勝手に男に連絡先を教えられた
2人きりの時に近寄られると高確率で腕を引っ張られて男に触らせようとしたり、スカート捲られたり、嫌な目に遭うので避けていた
そもそもこういうアンチフェミとか弱者男性って、辛い現実を受け入れると死ぬんだなと加害者フォーラム見て思った。みんなカウンセラーいけ。男同士でケアを学び合う自助組織にいけ。変わりたいと努力すれば変われるぞ
(加害者には女性もいるけど弱者男性のことなので男性で話を進める、)
辛い現実を受け入れるのがあまりにしんどいので、話が通じない感が出るらしい。
「男のプライドを立てるべきだとか、男だから仕方ないとか、男は分からなくてもいいとか、相手が悪い、女が悪い、女があてがわれるべき」などといった言説には、麻薬的な魅力があるのだそうだ
自分が悪いことを認めなくて良い楽な言説で、自分が肯定されてるような、相手が自分の理屈を理解できないのは相手が馬鹿だからだ、という全能感があるらしい。
周りから見たら現実を認められないのは甘えで愚かに映るんだけど(あえて厳しく言おう)
自分が加害的で差別的であることを自覚するのは理解の難しいことで(加害されて育っているから)、仮に理解できたとしても永遠に後悔と反省の繰り返しで辛いんだそう
彼らは相手が自分を気遣って当たり前で、自分を気遣わない相手が悪いと言い切るけど、ケアをしてくれない相手をケアする必要はないし、なぜか自分は嫌われ孤立すると思ったら相手のせいにせずカウンセラーいこうな。
男性の弱者男性の定義は「配偶者がいない男性」であり、彼女や妻がいなくて負け組っていう女性蔑視のホモソの最底辺を指す考え方
女性の弱者男性の定義は「性犯罪者、ホモソーシャル、差別主義者、女性蔑視、を内在化する性格の悪いインセル」のこと
低収入で恋人がいたことがなくても性格がよく好人物である場合にはここに入らない
「ソシャゲやアニメの媚び続けている女性キャラに慣れて普通の人間関係のバランス感覚が失われてること」を指して、弱者男性とか恋人がいないという文脈を使っている
「他人をケアし、ソフトなコミュニケーションで相手を不快にさせない気遣いを人間関係に対するコストとして支払えない人」も近い概念かな
結婚しても恋人がいてもホモソに染まった差別主義はやはり同じ括りになる
というのがフェミニストの主張の本懐で、
「ホモソを内面化したインセル、インセルの女叩きやセクハラやエロネタや性犯罪を軽視するノリ、それについて表現の自由を主張するところ、女性蔑視、実際の性犯罪……もう嫌気が差しまくっている」
大体フェミの人らはこういう話をしているんだが、
具体例を挙げるときに「ホモソーシャルの話」だと読み取れず、具体例について「いつもこうなってるよ、みんなこう考えて普段使ってるんだよ、このノリや文脈が読み取れないの?」と返すアンチフェミと、「ホモソーシャル文化をやめろという話をしてるのに揚げ足取りをされる」と怒るフェミが大バトルをしている
同じ話をしているようで違うことを話しているので全く噛み合っていないんだよなあと思った
今後は女性的な弱者男性と、男性的な弱者男性で別の呼び名を使うべきだと思う。それぞれお互い何の話をしているのかを識別できるような言葉を作るべき。
見かけはどうはあれ主題としては「ホモソーシャルをやめろ」「女性差別を残すな」の話をしているから、
反論したいなら「ホモソーシャルはあってもいい」「差別思想は存在しても良い」って内容で話さないとズレていることになる
男性の弱者男性の定義は「配偶者がいない男性」であり、彼女や妻がいなくて負け組っていう女性蔑視のホモソの最底辺を指す考え方。この考え方自体がホモソーシャルで女性蔑視を含んでいるのでこのように叩かれているのでしょう。
女性の弱者男性の定義は「ホモソーシャル、差別主義者、女性蔑視、を内在化する性格の悪いインセル」のこと
低収入で恋人がいたことがなくても性格がよく好人物である場合にはここに入らない
「ソシャゲやアニメの媚び続けている女性キャラに慣れて普通の人間関係のバランス感覚が失われてること」を指して、弱者男性とか恋人がいないという文脈を使っている
「他人をケアし、ソフトなコミュニケーションで相手を不快にさせない気遣いを人間関係に対するコストとして支払えない人」も近い概念かな
結婚しても恋人がいてもホモソに染まった差別主義はやはり同じ括りになる
というのがフェミニストの主張の本懐で、
「ホモソを内面化したインセル、インセルの女叩きやセクハラやエロネタや性犯罪を軽視するノリ、それについて表現の自由を主張するところ、女性蔑視、実際の性犯罪……もう嫌気が差しまくっている」
大体フェミの人らはこういう話をしているんだが、
具体例を挙げるときに「ホモソーシャルの話」だと読み取れず、具体例について「いつもこうなってるよ、みんなこう考えて普段使ってるんだよ、このノリや文脈が読み取れないの?」と返すアンチフェミと、
男性の弱者男性の定義は「配偶者がいない男性」であり、彼女や妻がいなくて負け組っていう女性蔑視のホモソの最底辺を指す考え方。この考え方自体がホモソーシャルで女性蔑視を含んでいるのでこのように叩かれているのでしょう。
女性の弱者男性の定義は「ホモソーシャル、差別主義者、女性蔑視、を内在化する性格の悪いインセル」のこと
低収入で恋人がいたことがなくても性格がよく好人物である場合にはここに入らない
「ソシャゲやアニメの媚び続けている女性キャラに慣れて普通の人間関係のバランス感覚が失われてること」を指して、弱者男性とか恋人がいないという文脈を使っている
「他人をケアし、ソフトなコミュニケーションで相手を不快にさせない気遣いを人間関係に対するコストとして支払えない人」も近い概念かな
結婚しても恋人がいてもホモソに染まった差別主義はやはり同じ括りになる
というのがフェミニストの主張の本懐で、
「ホモソを内面化したインセル、インセルの女叩きやセクハラやエロネタや性犯罪を軽視するノリ、それについて表現の自由を主張するところ、女性蔑視、実際の性犯罪……もう嫌気が差しまくっている」
大体フェミの人らはこういう話をしているんだが、
具体例を挙げるときに「ホモソーシャルの話」だと読み取れず、具体例について「いつもこうなってるよ、みんなこう考えて普段使ってるんだよ、このノリや文脈が読み取れないの?」と返すアンチフェミと、
男性の弱者男性の定義は「配偶者がいない男性」であり、彼女や妻がいなくて負け組っていう女性蔑視のホモソの最底辺を指す考え方
女性の弱者男性の定義は「性犯罪者、ホモソーシャル、差別主義者、女性蔑視、を内在化する性格の悪いインセル」のこと
低収入で恋人がいたことがなくても性格がよく好人物である場合にはここに入らない
「ソシャゲやアニメの媚び続けている女性キャラに慣れて普通の人間関係のバランス感覚が失われてること」を指して、弱者男性とか恋人がいないという文脈を使っている
「他人をケアし、ソフトなコミュニケーションで相手を不快にさせない気遣いを人間関係に対するコストとして支払えない人」も近い概念かな
結婚しても恋人がいてもホモソに染まった差別主義はやはり同じ括りになる
というのがフェミニストの主張の本懐で、
「ホモソを内面化したインセル、インセルの女叩きやセクハラやエロネタや性犯罪を軽視するノリ、それについて表現の自由を主張するところ、女性蔑視、実際の性犯罪……もう嫌気が差しまくっている」
大体フェミの人らはこういう話をしているんだが、
具体例を挙げるときに「ホモソーシャルの話」だと読み取れず、具体例について「いつもこうなってるよ、みんなこう考えて普段使ってるんだよ、このノリや文脈が読み取れないの?」と返すアンチフェミと、「ホモソーシャル文化をやめろという話をしてるのに揚げ足取りをされる」と怒るフェミが大バトルをしている
同じ話をしているようで違うことを話しているので全く噛み合っていないんだよなあと思った
今後は女性的な弱者男性と、男性的な弱者男性で別の呼び名を使うべきだと思う。それぞれお互い何の話をしているのかを識別できるような言葉を作るべき。
男性の弱者男性の定義は「配偶者がいない男性」であり、彼女や妻がいなくて負け組っていう女性蔑視のホモソの最底辺を指す考え方
女性の弱者男性の定義は「性犯罪者、ホモソーシャル、差別主義者、女性蔑視、を内在化する性格の悪いインセル」のこと
低収入で恋人がいたことがなくても性格がよく好人物である場合にはここに入らない
「ソシャゲやアニメの媚び続けている女性キャラに慣れて普通の人間関係のバランス感覚が失われてること」を指して、弱者男性とか恋人がいないという文脈を使っている
「他人をケアし、ソフトなコミュニケーションで相手を不快にさせない気遣いを人間関係に対するコストとして支払えない人」も近い概念かな
結婚しても恋人がいてもホモソに染まった差別主義はやはり同じ括りになる
というのがフェミニストの主張の本懐で、
「ホモソを内面化したインセル、インセルの女叩きやセクハラやエロネタや性犯罪を軽視するノリ、それについて表現の自由を主張するところ、女性蔑視、実際の性犯罪……もう嫌気が差しまくっている」
大体フェミの人らはこういう話をしているんだが、
具体例を挙げるときに「ホモソーシャルの話」だと読み取れず、具体例について「いつもこうなってるよ、みんなこう考えて普段使ってるんだよ、このノリや文脈が読み取れないの?」と返すアンチフェミと、「ホモソーシャル文化をやめろという話をしてるのに揚げ足取りをされる」と怒るフェミが大バトルをしている
同じ話をしているようで違うことを話しているので全く噛み合っていないんだよなあと思った
今後は女性的な弱者男性と、男性的な弱者男性で別の呼び名を使うべきだと思う。それぞれお互い何の話をしているのかを識別できるような言葉を作るべき。