はてなキーワード: 注射とは
なんつうか、みんな騒ぎすぎ。
みんな、「○時間後に37.X度の発熱、倦怠感」とか楽しそうにわいわいSNS発信してて、うざい・・・
筋肉注射うったら腕は痛くなるの当たり前だし、ちょっと発熱したくらいで、いつもSNS発信してるんすか。
「ホロコーストは嘘」って主張自体が嘘である、と言うことは日本ではあまり知られていない。せいぜいが「ホロコーストを否定してはいけない」程度の認識であるようだ。私ほどの物好きでもない限り、そのファクトチェックを行うという面倒なことをする人は滅多にいないから仕方ない。欧米は否認論の本場なので、否認論に対抗する人もそれなりにいて「ホロコーストは嘘」自体が嘘であることはそこそこは知られているようである。Twitterなどで状況が意外と簡単にわかる。
だが「嘘」と言っても、その実態はややこしい。そのほとんどは事実を用いた印象操作のようなものであり、細かな具体的主張それ自体が嘘そのものであることは少ないからである。いわばホロコースト否定論はその主張をする人が意図的か無自覚であるかは別として「詐術」なのである。しかし、あなたの知性が正しく働いているのならその詐術に騙されることはない。例をあげよう。
「アウシュヴィッツには遊泳プールが存在し、親衛隊員や囚人が水球で楽しく遊んでいたという事実まで存在する。アウシュヴィッツ収容所は地獄のような過酷な収容所ではなかったのか?」というものである。後段の疑惑はともかく、これは事実であり、確かにアウシュヴィッツには遊泳プールが存在し、元囚人の手記によると親衛隊や囚人が水球などで楽しんでいたようである。
先に結論を言うと、遊泳プールがあったからと言って、アウシュヴィッツ収容所が地獄のような過酷な収容所であった事実は変わらない。登録囚人に限定しても(登録されずに殺されたユダヤ人が圧倒的に多いが)、毎月数千人単位で死者が出る収容所だったのである。だけど、そう説明されたところで、遊泳プールの存在は思っていたアウシュヴィッツのイメージと全然違い、かなり違和感があると思う人もいると思う。実は肝心なことは「思っていたアウシュヴィッツ収容所のイメージ」なのである。そしてこのプールの話は、実際、相当色々とよく知っていないと納得しづらい人もいて当然だと私も思う。
あまりに何もかもをここで説明するのは無理なので、アウシュビッツ収容所のみに限定して簡単に解説する。アウシュヴィッツ収容所はポーランドにあり、1940年5月ごろから実質的にスタートした強制収容所である。最初は、ユダヤ人のためではなく、政治犯を主体として収容するための強制収容所であり、ドイツ人やポーランド人などが収容されていた。翌年1941年6月を過ぎると独ソ戦によって発生した赤軍捕虜が大量に収容されるようになっていく。が、この赤軍捕虜に対する扱いはあまりにも非道であり、特に政治将校はその大半が銃殺刑で処分された。いわゆる国際法ガン無視のコミッサール司令である。また、アウシュヴィッツで行われた最初のガス室での殺害犠牲者はこのソ連兵捕虜だった。そして、元のアウシュヴィッツ強制収容所から三キロ離れたところにあるビルケナウ捕虜収容所の建設が始まると、そのソ連兵捕虜が建設労働に駆り出され、一万人くらいいたはずのソ連兵捕虜の大半は一年も経たずに大半が過労・餓死などで死んでしまったのである。
ユダヤ人については、当初からユダヤ人も含めて政治犯として収容はされていたものの、囚人登録もせず収容もしないで収容所到着時にそのままガス室送りにしてしまう、いわゆる「ユダヤ人の絶滅」がアウシュヴィッツで始まるのは1942年3月からであり、ビルケナウの敷地外にある農家を改造したガス室(ブンカーと呼ばれる)で最初の一年くらいは実施されており、1943年3月にクレマトリウムと呼ばれる火葬場が完成すると、その後はビルケナウのクレマトリウムで行われるようになっていく。アウシュヴィッツの基幹収容所のガス室は併設された火葬場の火葬能力が低いこともあり、実は絶滅にはほとんど使われておらず、1942年末でガス室の使用を終了している。ともかく、ビルケナウ収容所でのユダヤ人のガス室での大量殺害は、ヒムラーが中止命令を出す1944年の10月末ごろまで続いた。ガス室ではトータルで100万人程度虐殺されたと言われている。
もちろんだが、ガス室での殺害は何も囚人にさえしてもらえなかった非登録ユダヤ人だけではない。最初の選別では老人や14歳以下の子供、子持ちの女性などが労働不適格としてガス室送りにされたが(概ね到着したユダヤ人の75%、ただし選別条件に当てはまるのに例外的に囚人登録された人もいた)、囚人登録されたところでその大半は3ヶ月程度で役立たずになりガス室送りになるか病棟バラックで注射で殺されたりもした。こうした収容所内での「選別」は常時行われており、その選別方法も親衛隊の選別の担当長が適当に恣意的に選んでいるだけなのが実態だった。親衛隊員による囚人への暴行も日常茶飯事であり、殴り殺すことさえ珍しくなかった。些細なことでも見せしめ的に処刑されたし、収容所内での配給食料だけに頼っていたらすぐに死んでしまうほど食料の質も劣悪だったりもした。
……とまぁ、これだけ酷い話を聞いていたら、「プールで遊ぶなど考えられない」と思う人がいても全く不思議ではないと思う。プールの存在に対する疑念はこのアウシュヴィッツの悲惨なイメージとあまりにかけ離れているから生ずるのだ。だが……。
このプールの詐術に引っかかる人は、人間が斯様にも残酷になれるということを理解出来ていないのである。ここで一つ解説を加えておくと、このプールは絶滅の行われていた現場であるビルケナウではなく、アウシュヴィッツ基幹収容所の方にあったが、元々の目的は防火用であり、完成したのは1944年8月ごろであると推定される(フランクフルト・アウシュビッツ裁判の証言にある)。収容所の親衛隊員は、ユダヤ人囚人に命じて飛び込み台を作らせ、遊泳プールとしても使えるようにした。で、このプールを利用して遊んでいたのは親衛隊員と、上級囚人だけだったのである。上級囚人とはユダヤ人でない囚人のことであり、おそらくは過酷な労働をしていなかった囚人長であるカポなどであろう。つまりは、大半の囚人が毎日酷い目にあっているそのすぐ側で、収容所生活を存分に謳歌している人たちがいたというのが事実なのである。ビルケナウの方ではサッカーでさえ楽しんでいたそうだし、有名なアウシュヴィッツオーケストラに演奏会をさせたり、囚人に劇団まで作らせて劇場で公演させたりもしていた。また親衛隊員は当然として上級囚人も、ユダヤ人ら下等囚人の食事量・質とも全く違ったし、親衛隊員は恣意的に食品などを横流しさえしていた。さらに、ユダヤ人が持ってきた私物(「再定住させられる」と言って騙されて連れてこられているのだから、それらはユダヤ人の全財産と言っていい)を全部収容所の方で掻っ攫うのであるけれど、そこから横領しない親衛隊員などいなかったと言われるほどである(ただし横領は発覚すると厳罰な処分が下される)。
もちろん、囚人たちの多くはそうした私腹を肥やす親衛隊員たちの行動や、プールなどを楽しんで収容所生活を謳歌している姿も知っていた。だから戦後の地元法廷で、少ないとはいえ裁かれた親衛隊について証言者となった元囚人たちのほとんどは、それら親衛隊員被告の非道ぶりを存分に告発したのである。
ほんとに否定論の細かい具体的な主張ってこの手の話があまりに多い。例えば「ガス室の扉が木製だなんておかしいじゃないか。アメリカの死刑用ガス室は鉄製の部屋でありドアだって厳重なハンドルまでついていて非常に厳しい毒ガス管理をしているくらいだ。あんな木製の簡易な扉だったらガス漏れして外にいる人まで死んでしまうに違いないから、あれがガス室だったなんてあり得ない」ってのがある。んでこの話、たくさんの米国の死刑専用ガス室の写真とともに出回っている。
えー、青酸ガス発生用に使っていたチクロンBは害虫駆除用として当時一般に広く使われており、それなりに密閉処理さえすれば「どこでも」使えた。それなりの密閉処理とは空気漏れ起こしそうなドアの隙間などにダクトテープを貼る程度のものである。アウシュヴィッツ収容所にも、殺人ガス室以外に衣服などのシラミ駆除のための専用ガス室が複数存在し、現在も現存しているが、それらのガス室の扉も殺人ガス室と同じ木製扉であり、気密には隙間にフェルトが貼られているだけである。チクロンBの製造元であるディケシュ社の文書にも別に木製扉がダメだとは書いてない。専用の頑丈な鉄製のガス室でしか青酸ガスを発生させられないような害虫駆除剤だったとしたら、当時一般的に広く使われたはずがないだなんて、少し考えればわかることなのに。
「じゃぁ何故米国の処刑ガス室があんなに頑丈そうに出来ているのか?」と聞かれたって答えは知らないが、それなりの要求仕様があるとか昔からの慣習であるとか、何か理由があるからであろう。でもそーういうことは否定派さんは全く調べない。いずれにしても、実際にチクロンは当時広く使われていたのだから、米国の処刑用ガス室の構造は、アウシュヴィッツのガス室に関しては何の参考にもならないのである。どうしてそんな見た目の単なる印象に過ぎないことが、アウシュヴィッツのガス室を否定する理由になるのか?
今年はホロコースト映画公開が少し多いようだけど、一つとして見に行こうとは思わなかった。あんまり興味が湧かなかったからだけど、しかし最近、古い映画にすごいホロコースト映画があるのを発見した。YouTube全編上がっているのだけど、惜しいのはポーランド映画であり全編ポーランド語でさっぱり言語がわからなかったりすることだ。日本でもDVDは発売されてるけど、買ってまで見ようとは思ってない。しかし何が凄いって、何気に再現度が凄い。興味がなければ何のことはないシーンだけど、ガス室にガスを投入する作業のシーンが思ってた通りの再現だった。ガス室というかクレマトリウムはすでに破壊されてなかったからわざわざセットで作ったのかと思うと尚更すごい。何気にあのチクロン投入煙突の位置が正確なのも素晴らしい。未完成で監督が死んでしまい、友人達で残っていた映像を繋ぎ合わせただけらしいけど、唐沢寿明の『白い巨塔』よりもずっと前にアウシュビッツ収容所をロケ地に使っていた映画が存在したというのも発見だった。
PASAŻERKA - POLSKI FILM PSYCHOLOGICZNY HD, WYSTĘPUJĄ: ALEKSANDRA ŚLĄSKA (SOUS-TITRES FRANÇAIS)
たぶん「注射が怖い」でBadになってるヤツなんだと思う
https://news.livedoor.com/article/detail/20708648/
発表によると、4日に冷蔵庫からワクチンを取り出し、シリンジ(注射筒)へ分ける作業をした際、紛失が判明。職員に聞き取りを行い廃棄物も確認したが、見つからなかった。
恐怖に真剣に向き合いすぎでは。考える度に強化されそう。
注射で迷走神経反射を起こす人は一定数居るし、業務で注射を打つ人なら知っている。
打つ前に申告すれば、横になって打つか、設備が無ければ補助役をつけられる。面倒をかけると思いそうだが、黙って倒れられるよりずっといい。
というか居るのは前提なのでそのコストは織り込み済み。対処フローは向こうが持っているから任せればいい。
読み返したら採血のときは申告しているから、言うまでもなく知っているか。失礼。
エレベーターの方も乗らなければいいと思うんだが、ご家族の理解が無いと難しいか。別行動を取ると「大丈夫だから」とか「そんなに怖がるのはおかしい」とか言われそうだ。
人と居れば何かが起こってもどうにかなりそうと思えるなら、一人の時はエレベーターを使わないだけで済みそう。それをおかしいと思う必要は全然無い。
素人なので聞きかじりだが、恐怖症の治療も「怖くなくなるようにする」のではなく、「現実的に困っていることにフォーカスし、対処法を積み上げていく」という方針になるらしい。怖くても大丈夫になるというか。
個人差が大きいというモデルナワクチンの副作用。一例として参考になれば幸い。
増田は40代前半、中肉中背の男です。平熱は36度5分ぐらい。
ワクチンは一回目も二回目も10時45分頃に左肩に打たれています。どちらも注射そのものは痛くありませんでした。
一回目は打たれて数時間したら左肩から左腕にかけて筋肉痛のように痛みました。夜寝る前に検温すると37度でした。翌日起きると平熱に戻っていましたが、左肩から左腕の筋肉痛のような痛みは依然としてありました。この痛みは数日するとなくなりました。
二回目は打ってから5時間ほどでかなり左肩が痛くなり左腕が動かしにくくなりました。8時間ほどで自分で左腕を動かすのはかなり根性がいるようになり、かつ、少し熱があるように感じました。
9時間後に検温すると37度9分で、冷房を入れずに過ごしたが全く暑くなかった。
さらに9時間半後で38度1分。この頃から左腕がとにかく痛くてTシャツを脱ぐの着るのも辛く、甚兵衛で過ごすように。
13時間後に38度8分を記録(最高温度)。全然汗をかかないので焦る。インフルなどだと高熱とともに筋肉痛や関節痛が起きるが、そういう痛みはあまりなかった。強いて言えば多少膝関節が痛いような気もするぐらい。熱さまシートを額と首の後に貼って寝る。
4時間寝て目を覚ます。接種後17時間後の時点で検温すると38度7分。多少汗をかいていた。脚がだるい。寝直す。
20時間後。二度寝から目覚める。食欲はあって朝食を普通に摂る。体温は38度。左腕はたれ下げているだけで痛い。相変わらず空調を入れていないが全然暑くない。
ここから数時間ごとに検温したが、だいたい38度1分を記録。変化があったのは1日と7時間後で、暑く感じるようになり汗をかくようになった。その他は変化なし。
1日と9時間後、37度8分。左腕の痛みは多少マシになったような気がしなくもない程度。ちなみに左腕の見た目は普段と変わなかった。モデルナアームとかにはなっていなかった。
1日と11時間後から17時間後の間は、だいたい37度7分。熱が引いてきている気がする。腕は相変わらず痛くて寝返りをうつのも苦痛。
1日と21時間後。眠って起きると37度1分。熱は下がってきたが腕の痛みは変わらず。腕を上げると痛いので頭も上手く洗えないし何かと不便。食欲は相変わらずある。
連休なのでよく休むことにする。普段の寝不足もあってか眠いので寝たり起きたりを繰り返す。起きるたびに体温を測るがだいたい37度1分。夜になると体温が下がって、2日と13時間後に36度9分とついに37度を下回る。
2日と20時間後。目覚めて直ぐの検温は36度4分。寝起きだから多少低いだろうが、まあまあ熱はなくなったと考えてよい。左腕は相変わらず痛くて左腕だけでは痛くて動かせなくて、気合を入れて右手で介助をすれば動かせる程度。時間がかかるがTシャツを着ることもできた。職場の階段を上り下りしたら腿が痛くなった。これまでたかだか2日間家に閉じこもったからといって階段で腿が痛くなることはなかったので、何かしらワクチンの副反応ではないかと疑っている。
そして1週間経ったが、左腕は相変わらず痛い。さすがに右手の介助は無くてもある程度動かせるけど、未だに左腕だけだで前に腕を上げるのはかなり厳しい状態。そしてお腹が緩くなった。
記録としては以上です。周りでは同じモデルなワクチンなのに全然平気な人や、私以上に高熱が出て吐き気に悩まされた人もいて、本当に個体差が大きいのだなぁという印象です。