はてなキーワード: 屁理屈とは
善自体自分より他人を重んじる、悪自体他人より自分を重んじるという面もある。
あほな道を選んでしまってる。さらに、親が霊感商法のくせに、お人よし家族なのでいろいろ引っ掻き回される。引っ掻き回されるうえでわかったのが、こちらが激怒すると情や圧力をかけようとする。折れても裏切られることの連続。
妹がもうすぐ結婚式なのに、ひろゆき構文で引っ掻き回してきたことをなかったことにしたり、こちらを引っ掻き回す情報を引き出そうとしたときには結婚式いくのをやめようかとおもった。何かしてきたら速攻帰るつもり。
ひろゆき構文も使う時点でコイツ悪人だなってわかるな。妹もこれで押し通せば俺を折れると当人が思ったのか他人に引き込まれたのか。一気に結婚を祝う気が無くなったわ。
昔はビジネスライクの奴って冷たい悪い人間かと思ってきた。だけど、ある程度お金が絡みうることをすると、やはり悪い奴が紛れ込んでくるんだ。こちらを害したり、害する懸念の強い奴には冷たくあしらわないとならない。
所詮家族のつながりという、切ってもかまわないような代物で痛い目を見るだけで済んだのはむしろ幸いというべきか。
ガーシーの事件でガーシーが泣き落としに入ってるのを見て、ああ、悪い奴だなぁと笑ってる。
悪い奴に情をかけちゃだめよ。さらに、悪い奴に情をかけようという回りも切るべきだ。悪い奴からは逃げるか、境界を設けて落とし前をつけさせるべきかをするべきだ。
・二者択一に対する思考実験でありトロッコの物理的な性質は重要ではない
・回答する人間は世界トップクラスの学歴の持ち主であり人類社会の幹部候補である
・「なにもしないことを選択すれば責任を回避できるのか」は命題に含まれている
・「5人と1人の内訳(終身刑5人vs合衆国大統領1人、他人5人vs肉親1人、等)によって選択は変わるのか」は命題に含まれている
・回答者側が屁理屈をこねて全員助かる道を探すことは可能だが出題者はそれを拒絶することが出来る
・「どのような思考過程を持って選択をするか」が最重要であり結果として生かす人数そのものを問うて多数決をしているわけではない
特に一番最後の「大事なのは途中過程であって、前提条件ごとに正しい結論があるわけではない」こそが本質なのにそこが一番雑に扱われている気がする。
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
2回目失敗したおかげで屁理屈こねなくて済むようになってよかったね
全部屁理屈だな
論理的な理由がないとそんなに悪いことかな?それとも論理的に子供を作らない理由を説明できるの?俺にはそのどちらもどうでもいい
単純に、君には子供を作るのに明確な理由が必要でありそれを誰かに肯定して欲しい、あるいは相手を否定する動機になれば良いと思っているだけ
それはもはや屁理屈だなと
人間が何かをしたい欲求というのは他の何にも代えがたいものだからだよ
「子犬の頃しか可愛くないんだし飼育大変だから犬の動画で満足しろ」って言うのはナンセンスだと思う
実際に犬を飼い苦労をした人の意見ならまだしも、君のように何にもチャレンジをせず知識も無い人が同様のことを言っても話にならない
反論を全力で屁理屈をまくしたてて封じ込めてしまう系のモラハラ旦那も
こういう「なんで親のほうばっかりによりそうんだ」ってなってて
妻からみると「親という大義名分がなければこの旦那のモラハラに対抗できない
親も「自分の名前をだせば旦那が渋々でもいうことをきいてくれるならぜひつかいなさい」っていってくれた」
とかあるあるだよね
で夫側も一緒にカウンセリングいったりして解きほぐしていくと「俺は男兄弟か一人っ子で、学校も体育会系で男子校で、
からだが弱いとか自分が弱いと人に訴えること自体の意味がわからなかった
体が弱いなら走り込みでもして強くなればいいとおもってた
それを口に出すことがモラハラだなんて今でも信じられない」とかなるやつ
なんか元増田と俺とで「ネットリンチ」の定義がかなり違う印象がある
俺の中では、例の殺人犯のように、特定のネットコミュニティーを長期間執拗に荒らし続けているような悪質なユーザーを嘲笑する行為はリンチではないよね?と
悪質ユーザーの荒らし行為を止めることができない(被害を甘受するしかない)から、せいぜい馬鹿にして嗤ってやろうという風潮は、別にリンチじゃないよね?
むかし2chあたりで、暴走族を珍走団って呼ぼうぜ、あいつらクソだせーよな、みたいな提案がなされたことがあるけど、あれに近いものだと思う
あれを「暴走族に対するネットリンチだ」と問題視する人はほとんどいなかったはず
俺の脳内でのネットリンチは「事実無根もしくは言いがかりレベルの屁理屈で相手を攻撃的に批判する、もしくはそういった批判を誘発する」なので、昨今の事例で一番近いのは草津町議セクハラ捏造事件だと思ってる