はてなキーワード: 声かけとは
東京での人の道でのすれ違う時の様子には時代の変化も感じます。
私は昭和の高度成長期育ちなのですけど、子供の頃は都内の狭い道を大人同士が交差する時に「すみませんな」、「ごめんなさいよ」、「どうもね」等と声を掛け合って体を捻じ曲げるようにしてでも衝突を避けている人が大勢いましたね。下町だったからまだ江戸期から明治、大正、戦前の昭和までの庶民文化の片鱗が残っていたのかも知れません。衝突率は酔っぱらい以外はほぼほぼゼロです。
まぁ、無愛想な人もいるので頭を気持ち下げて片手をちょっと上げて無言の「どうも」サインの人も沢山いたけれど。個人的には、この時期に東京は地方からの大量の集団就職とかで来た人々が暮らしていて、地方のなまりを聞かれるのが嫌で黙っている人が増えたのかなと感じていました。そして、この無言派の人々が増えたよね。結果、無言同士の「どうも」サイン交差がメジャーになってたな。まだ聞こえるか聞こえないか位の小さな声かけが残ってたけど。
平成の中頃になってから気がついたのは「おや?日本人(東京でだけど)は全く無言で交差するようになったなぁ」と言う変化。ベビー・ストーラー(ベビー・カー)を押して来るお母さんや松葉杖の人に道を100%譲っても、かなりの人は無言「どうも」サインもないんだなー。まぁ、感謝して欲しいから道を譲ってる訳でもないし、個人主義とやらの時代なんだろうが、知らない人同士のコミュニケーションや潤滑油は消えたと感じたかな。悪意で解釈するとそれが当然の権利だとか主張されてる感じ。善意で解釈すると、そこまでシャイで内向的な人が増えちゃったの?と言う感想。そんなんだと結婚生活やら家庭生活大変だろうなとか余計な事を思ったりする。さらに雨の日なんかには「傘かしげ」すらしない人も激増しているから、無言のぶつかり合いをよく見るようになった。私はそういうの嫌なんで速攻逃げてますが。。そのうち、出るんじゃないかな、「お前の傘で怪我したろ治療費払えよ」詐欺。
因みに、米国とか雑多な民族が一緒に暮らしてる国だと、知らない人同志の声掛けやあいさつは常識レベル。日本で暮らし始めた米国人とかと目があうだけであいさつしてきたりする、あれ。あんな感じ。ビジネス街ではいちいち挨拶なんかしないけど、郊外の住宅街とかだと知らない人同士でも挨拶してた。日本ではバス待ちとかでは皆黙って静かに待ってるけど、米国(といってもワシントンDC近辺)では結構、知らない人同士でも会話する。ある時、赤ちゃんをだっこしたお母さんと私だけでバスを待ってたら、そのお母さんがいろいろ話しかけてくる。私もそういうのに慣れて返していると、途中で、そのお母さんとっても安心した表情になったんだよね。その時の雰囲気である事を悟った。あなたはヤバイ人じゃないよね、安全な普通の人だよね、私達親子に手出ししないでお互い何事もなくバス乗っていきましょうね、と確認してるんだなぁ、と。因みにこの国では通行で体がぶつかるなど絶対禁忌だからまず無い。もしそれが起こったらかなり面倒くさい。
米国から日本に帰ると、日本を良くも悪くも感じた。デパートのガラスドアの向こうに女性がやってくる。私が慣れたのは男性がドアを開けてあげて、女性をまず通してあげる文化。女性はニコッと微笑んで「ありがとう」と言ってくれる社会。日本でこれをやると女性が戸惑うか、極度に恐縮される。もしくは一部は過剰に喜ばれる。まぁ、早いもの勝ちで通ってく文化に、そう文句がある訳ではないけれど。
私は特に今の日本の悪口を言いたいわけでは無くて、その特徴や変化を述べたかっただけ。今の日本、暮らしやすくなったところもたくさんありますよ。例えば、昔は赤ちゃんを「おんぶひも」するのはお母さんの役割で、お父さんがこれをすると周りから奇異な目でみられて大変なプレッシャーがあった。我が家ではお母さんが疲れたら、赤ん坊のおんぶは犯罪ではないと社会の逆風に逆らってお父さんがおんぶしてたのですが、隣から物笑いの種にされたりでもう大変。今は普通にお父さんも「だっこひも」できる時代で良いよなーと感じます。
昔は良くも悪くも男尊女卑の時代。この時はみんなが喜んで暮らせる鍵は男にあって、男が周りを思いやって親切に努めるとかなりうまくいっていた。今は良くも悪くも女性の権利の時代。この時期にみんなが喜んで暮らせる鍵は女にあると思うな。女が周りを思いやって親切に努めると何が起こるだろうか。東京の通行で、実は女性がぶつかってくる時代の電子記録に、残しておきたい思いです。
マジレスするが、若い人(特に大学生より下の年代)には男女問わず、「知らない人に声をかけられる」という事態にただただ慣れていないって人が存在するのよ。話した事もない通りすがりの他人が自分に話しかけてくるなんて、事態としてはそりゃあるだろうと知ってはいるが、体験としてはとにかく人生初、みたいな。
そして自分の経験上、ひたすら驚いた時にパッと見の態度が凄く悪くなる人というのは結構いる。ギョッとして固まり、相手を凝視し、返事をしないか、モゴモゴと短めに喋り、足早に立ち去ったりする。(そんで人によっては後からちゃんと話せなかった事を後悔したりする。)
ので、自分の見解としてはあなたは相手を不快にしたのではなく、相手の子が急に他人に話しかけられた事にめちゃめちゃ驚いてただけなんじゃないか、と思う。
だいたい人生長くなると、あなたみたいに勇気出して声をかけたり、かけられたりが増える事で「知らない他人」に対するハードルが低くなっていき、次第に遠慮のない中年のおじちゃんおばちゃんが出来上がるものだけど、あなたの場合は最初の引きがちょっと悪かったね。
自分は学生くらいから他人に小さな親切するのにハマっていてよく席譲ったり落し物の声かけたりするけど、同じくらい人に親切にしてもらうことも多いし、どんな人でも有り難いよ、落し物なんか特にね。今日も荷物と傘と寝ちゃった18kgの息子抱えて電車座ってたら傘倒しちゃったけど、サッと拾って貰えて本当に助かったよ。あなたも懲りずにまた落し物拾ってくれたら嬉しいな。
ありふれた話だと思う。
友人は会社で上司に詰められまくっててSNSでもリアルでも落ち込んでた。
本当につらそうだったから、他の友人たちと(友人の家族もらしい)辞めちゃえよとか言ってた。
そんで辞めたらしい。
が、その後の就活がうまくいかなくて、更に落ち込んでしまった。たまに辞めろと言った人間への呪詛も吐いてるから、無責任な奴らに辞めさせられたみたいな感覚を持ってるんだと思う。
マメでテキパキしてるいい奴だけど、愛想悪くてキレやすいから、環境さえよけりゃパフォーマンスを発揮できるんだろうなとは思ってるんだけど、環境悪かったら最悪だろうな。
さすがに職場でどう振る舞ってんの?なんてコメントとして最低だし、向こうの認識が正しいかも分からないから、藪はつついていない。
悪いことしたなぁ。とは思う。
愚痴だけ聞いて指示みたいなことしないで、本人が決断するまで見守っておけばよかった。
共通の友人は距離置いてるっぽい。一回声かけて向こうの都合でスパッと断られたとかなんとか。
その友人と遊んだり通話したりすると1日とか夜通しコースになる。
卑屈になっているのか自虐がすごい。
大丈夫だよも何とかなるとかの励ましも当たり前ながら地雷だから、ほぼ相づち。ずっと相づち打ってる。
うっかり地雷踏んだらひたすら謝るだけ。
おうむ返ししたり、大変なんだね、頑張ってるんだねとか言ったり、そんなんばっか。
最初からこれやっときゃよかった。その方が友人は穏やかなんだよな。
本当に悪いことをしてしまった。
さすがに重すぎないか?
思い入れが強すぎない?
親友とか友達とか恣意的な括りを、グラムやメートル方みたいに、さも一般的な共通概念のように扱うと危険。
冷淡だと思われるかもだけど、増田親友(と増田が思ってた彼女)は私レベルの淡白女だったのかもよ。
私も小学校からつるんでて、今も年に何回か会う友人が3~4人いるが、正直誕生日もうろ覚え。
当然誕プレを交換しあった事もなく、彼氏は紹介したりされたりするが、20代の時ほどお互いの恋愛や結婚に干渉もしない。
旅行に一緒に行くこともあるが、海外でさえ現地集合で、行きたいスポットが別ならお互いに合わせる事すらせず、単独行動してホテルでご飯だけ一緒に食べたり。
結婚はしてても誰も式を挙げてないので、出席もへったくれも無かったし…
趣味も仕事もお互い違うけど、(アニメ、洋画、洋ドラ、スポーツ観戦とか)うっすら互いのジャンルの興味が無くも無いので、趣味や悩みや世の中の話しで、毎度数時間はペチャクチャ喋れてとても楽しい。
今書いてて、こんな薄めな付き合い方だから、30年はつるんでいられるんだなと思った。
そういや、あの人に××してあげた、○○もあげた、みたいな事を思い出そうとしてみたが、できない。
一人マメな子がいて、会うたびにうちの子供に絵本やお土産やら持ってきてくれる。
けど、ありがてーな!!と思って、次会う時にちょっとデカ目のお菓子をお礼に渡したり・・・そんくらいだわ。
みんな氷河期世代で孤独死怖いから、年食ったらお互い近い場所に住んで生存確認とかしよーぜと言ってるけど、まあ死ぬまでこんな薄めの付き合いで行くと思う。
これは私が薄くて増田が情が濃い、ってはなしじゃなくて、増田--友人の関係がモノラル接続だから、そんなに思い入れタップリでツラくなるんじゃないか?
こないだ「依存先を増やして依存の濃度を薄めろ」っていうTweetがバズってたけど、そっちに舵切ってみた方がよくない?
彼氏、
友人(知り合い以上、二人旅行未満)、
同僚(でも趣味の話しできる)、
いやいやこれも違う気がする。
ってこれ凄いな、そんだけやってくれる他の友人がいっぱいいるんよね。
私そこまでの頭数も濃密な関係性も無いわ。
新しい趣味つくるで~くらいの気持ちで卓球部に入ったら、ガチでインターハイを目指してる子がある日突然「なんでみんな真面目に練習しないの!!」って激怒&号泣し、「えっそんなノリだったの!?」と初めて知ってビックリ。
私の知人も何人か主催側で参加するらしい。
だから言えないんだけれど、
ぜんぜん興味ないし、楽しそうだとも思わない
小説が原作で、もう十数年も続いている作品だから、ファンも古参が多い。
関連文献をあたったり、作品の用語を熱心にまとめてるようなファンもいる。
キャラの進路とか、そういうことをあれこれ
ぜんぜん人のそういう考察に興味ない
むしろ聞きたくない。
正直、原作が一番で原作を受け入れその中で自分が噛み砕いたものが好きなのに、どうして人の噛み砕いたものを流し込まれないといけないの?苦痛
こうだと思っていたのに、相手が読み込みが甘い!こういう解釈でこれこれこうで実はこれなんだ!って言われるとゲボ出るよ。
なんで人の解釈を聞かねばならんのだ。
そして、それが喜ばれる楽しいイベントとして持て囃されてるんだ
ついていけないな、考え方があまりにも違うと思って、主催はミュートして、それに関しては触れないようにしている。
しかし、もう締め切ったけれど、アンケート募集時も、何度も何度も何度も何度もリツイートリツイートしてて、「もっと数が欲しいです」とか言っていて
いや答えたくねぇんだよ気付けよ忘れてるんじゃないんだわ
こういう場合って仲良くなりに行ってない(書くだけで仲間に入れてもらえると思ってる、新規なら声かけて行かないと小説が下手なら取り入ってもらえるわけない)場合があんまりにも多いよなと思って毎回悲しくなる。
小説を書く以外に何をしたんだ。
こっちだって仲良くなりたいんだよ。ジャンル斜陽なら尚更。でも声をかけてもらえないと、新規の人が交流したいのかどうかがわかんねえんだよ。いいねとかだけじゃわかんないんだよ。
黙って金払ってるやつ
黙ってたら金払ってるかどうかもわからない
しんどくなって描けない時
普段高みの見物のくせに
もう飽きたのかな…… アカウント移動したのかも……?
何なんだお前は
何なんだお前らは一体何なんだよ
何様のつもりでそこにいるんだよ
私の苦しみの倍苦しめよ
黙ってみてるだけのやつ
ただ粗探ししてるようにしか思えない
黙ってみてるだけのやつ
お前らの罪の名は神殺し