はてなキーワード: 中毒とは
もう無理でしょ。
こんなのが平和の祭典なはずがない。
日本がしょーもない自民党歴代幹部達に牛耳られていたからって言い分でオリンピックを守ろうとするスポーツマニア共はいい加減黙ってて。
(有名な「健全な精神と健全な肉体がまずはほしいぜ~~~と口にしてただけなのに、マッチョになれば心がフレッシュになるぞ~~と言ったことにされてた……こわ……他人の言葉を雑に引用してドヤるクズ死ね」って話は今はいいから)
とにかくスポーツをしても健康にはなれず関節寿命が減っていくだけだし、勝てばよかろうと年功序列のゴミシステムで人格はあっという間に破綻していくから存在そのものが間違ってる。
ハッキリ言ってスポーツなんてやりこんでも毎日5時間ぐらいゲーセンに通い詰めてストリートファイターやガンダムの格ゲーの上手さしか取り柄がない怒りっぽいポンコツと同じ人種になるだけ、でもたまたまプロスポーツという概念が発達してるからスポーツ選手ワンチャンに見えるってだけ。
勉強もスポーツもやれやと無茶言うから子供がイジメでストレス解消するようになる。
最低限度勉強だけしてればいいから習い事とかは好きにしろよって社会にすべき。
少なくともスポーツやることを教育機関が強制するような文化は良くないし、スポーツなんて生産性のないものを必要以上に持ち上げるべきじゃない。
生産性がないものを生産性がないものの範囲内で持ち上げていくことは大事だと思うし、そうやって色んな遊びを通じて人の心が豊かになったり、仕事中毒や人種差別に生きる意味を見出す奴を減らしていけると思ってる。
「小学校の頃、珍しい切手を持っていることがステータスな時期があって……」みたいな話があるけど、その延長線上にスポーツはあるのに何故か圧倒的な地位を得ている現状はとてもよろしくない。
一度オリンピックやめよう。
その上で20年ぐらいしてから「もう一度やる意味があるか」を議論していこう。
こんなものを持ち上げるからスポーツの立ち位置がおかしくなる。
そもそもスポーツに過剰に意味が見いだされることは、選手からしたって鬱陶しいだろう。
たとえばキミがスプラトゥーンで負けるたびに知り合いが一人死んでいくと言われたら、そんなのもう楽しいゲームにはならないだろ?
異常だよ
二番煎じ・三番煎じだろうけど書いておく。
何故なら、作中のニュース記事等で「薬物中毒による犯行」と明言されていないから。
と同時に、覚醒剤(アンフェタミン系の精神刺激薬)の中毒症状における典型的な症状でもある。
発生メカニズム的にこの両者の症状はかなり近い(Wikipediaで「ほぼ同じ」と書かれているくらい https://ja.m.wikipedia.org/wiki/覚醒剤)ので、単純な症状の描写だけでは両者が区別できないのは当然と言える。
ところで、作中の犯人の男は明らかに「理不尽に命を奪う」というイベントの引き金的に描かれている。
用意された悪役というか、憎まれるための舞台装置に近いポジションである。
であれば、メカニズム的にも矛盾はないので、ヤク中だったとするのが最も角は立たない。
「ヤクやるような奴だから人を殺すのだ」は一般的に受け入れやすいストーリーで、犯人が薬物中毒だったとしたら新聞記事やニュースでそこに言及がないのはほぼあり得ない。「薬物中毒者〇人殺人事件」という事件名がついたケースすらある。
逆に言えば、そういった描写をしないことで、明らかに作中では「精神を病んだ患者の犯行」の可能性を匂わせている。
「いわゆる『頭のおかしい奴』との断絶」を強烈なかたちで描くことで、犯行現場へ駆けつけて京本を救うヒーローとしての「ありえたかもしれない藤野」のカタルシスを描いている。
「僕はきれいな部分とか、優しいものを描くなら残酷な部分を描かないといけないと思っていて。そのほうが優しい部分に触れたときに、映えるじゃないですか」と語る藤本氏がいかにも好みそうな「残酷な部分」の象徴として、精神疾患の犯人を描いているのである。
これがヤク中の犯人では「残酷な部分」にはならない。ヤク中では掘り下げて描写しないと「クソ迷惑な阿呆がヤクやって人を殺す」という、「避けられたであろう理不尽さ」が拭えない。
精神病はそうじゃない。ヤクはヤク打ちたくて打って転げ落ちるイメージがあるが、統合失調症患者はなりたくてなるようなもんじゃない。
なりたくてなったわけじゃないのに「そう」なって人を殺してしまう、というのは残酷な話だ。
そう読む読み手がいるのは自然な話であり、精神病の当事者から抗議が行くのも自然な話だ。
普通に精神病への偏見を助長するような、配慮の足らない描写であるからだ。
個人的にはかわいそうなやつだ、と思う。『ルックバック』の犯人の話である。
ヤクか病かは知らないが、登場時点で明らかに被害妄想に苦しめられている。
正史というか京本脱ヒッキーの世界線では、この後人を殺すという大罪を犯してしまい、世間からクソボッコにされるのだ。
ただでさえ日常が意味もなく四面楚歌なのに、一線超えてしまったせいで本当に世界の敵になってしまうのだ。かわいそうに。
かわいそうと言えば藤野もかわいそうだ。「京本を部屋から出さなければ死ぬことはなかった」が完全に正となってしまった。部屋から出さなくてもいずれ漫画家とアシとして組めたというウルトラハッピー世界線の描写が逆に後味悪い。あれを藤野が直接認識することがないのは救いだ。あんなん見てもうたら残りの人生ずっと「京本を部屋から出さなければ良かった」に呪われて、再び歩き出せるようになるまでにえらい時間を食ったことだろう。
なお、『ルックバック』が京アニ放火殺人事件をモデルにしているという言及があるが、京アニの犯人は精神疾患があり過去に投薬治療も受けている。
「京アニの犯人は犯行当時責任能力があった」という言を以って『ルックバック』を擁護する向きがあるようだが、擁護になっていない雑な話と言わざるを得ない。
言及するには今更だけど。
増田が自分の中のフックを刺激されてとてもつらいのは心情として理解できるんだけど、それで抗議するというのはちょっと急ぎすぎだと思う。
まず洗い出してハッキリさせてほしいのが、あの作品の中で出た描写が統合失調症かどうか、それで間違いないかというところから固めていかないと、「でもそれはあなたの感想ですよね?」と延々よそから突かれることになってしまう。「あなたがいまつらい」、という事柄をまず一度切り分けて、「これは統合失調症患者をさしている」という証拠を集めてほしい。
なぜなら、結論を急ぎすぎて「そう見えた」という印象論で批判をしてしまうと、この流れを外から見ているひとからしてみれば、それこそあなたや賛同する方々が「そんなに不確かな地盤でどうして抗議するところまで行ってしまうの?」と思われてしまう。現に、そういう指摘をされはじめている。
もちろん、差別をなくすうえでは、「当事者にとって差別されたと感じたか」という主観の意見に寄り添うのがとても大事。とても大事だけれど、今回の場合は正直どうとでも読めてしまう(それこそ言及ですでに上がっている薬物中毒説etc...)。幻聴や被害妄想というのは、統合失調症でなくても十分に起こりうる症状であって、これだけではまだまだ対象を絞り得ないし、統合失調症を揶揄しているという結論に直結しないのね。まず「この漫画において統合失調症が差別の当事者かどうか」というところから始めなければいけないと思う。
偏見や差別に対して抗議することは正しいよ。でも、あなたや賛同者が抗議するという行動自体も相手に対してネガティブイメージを生んだり、作品の評価に傷をつけるという加害性をはらんでいる。あなたが抗議することでよいことだけが生じて何も傷つけないというわけではなく、今回で言えば作品への風評という流血が相手に生じるの。かなしさ、やりきれないしんどさはあると思う。だからこそ自分たちもナイフを持つ側に回りかねないということを理解した上で、慎重にことを進めてほしいのね。
muchonov 大枠の主張は同意できるけど、解釈と感想の多様性を認めつつ「作品と京アニ事件は関係ないといってみたり、薬物中毒かもしれないといってみるのは間違いなんだよ」と突然正誤の裁定・採点者になっちゃうのはなぜだ
なぜって、正誤はあるからだよ。
あらゆる作品のあらゆる解釈が正しいとすると、そもそも文章や漫画による表現自体意味を持たないだろ。
解釈にある程度の揺らぎがあるのは事実だが、切り捨てられる解釈はあるだろ。あるだろ?「京本を殺したのは実は作中に登場しなかった藤野の兄だ」とか、あり得るかもしれないが「ない」だろ。いやあんのかな。あんのかもしれないね。
俺には明らかに間違った解釈に思えるものが、はてなでは正しい解釈であるなら、間違ってるのは俺の方だ。
「おはよう」を夜の挨拶だと思うのも正しい解釈だし、「障害者にうんこ食わせた」はバレンタインにチョコレートをあげたことの比喩と解釈するのが正しいから小山田が受けた裁きは不当だよな。
本来は多様な解釈が認めれるはずの文章の解釈に正解を求める国語みたいな教科は滅んだほうがいい。国語辞典は、言葉の意味の自由な解釈を奪う最低の本だから燃やすべきだ。
この文章はうちの猫がキーボードを叩いて生成した意味を持たない文字列だ。ちなみに猫というのはお前らが思っている猫じゃなくて、俺が火星から連れてきた宇宙生物の可能性があるからな。
masakinihirota まず最初に薬物や他も疑うでしょ、そもそも医者は最初にこれだと決めつけはしない、あらゆる可能性を考える、この人はもう最初から総合失調症だと決めつけている、これがプロと素人の差。
他も疑うことと統合失調症を疑うことは背反しないんだが。まあ、お前は犯人は薬中だと思うわけね。
医学的な精神鑑定の話ではなく、作中でどう描かれているのかという話なんだけどわかる?漫画が載ってるのは精神鑑定の教科書じゃなくてジャンプ+だからな?作者も読者も素人であるという前提の上で、作中で犯人がどういう意図をもって描かれているか?って話よ?
nanamino 京アニ事件の犯人は精神鑑定の結果完全責任能力が認められてるんでしょ。統合失調症に対する偏見を持っているのは増田の方だよ。
京アニ事件の班員の精神鑑定結果がどうであれ、被害妄想が統合失調症の典型的症状なのは科学的統計的事実だ。作中の犯人について統合失調症として描かれていると考察するのが偏見なら、医者が青葉の統合失調症を疑うのも偏見か?
misomico 統合失調症に対する世間のイメージと実態に乖離がある。精神疾患への興味がなく、理解の解像度が低いためにいつまでもステレオタイプな疾患像から離れない。
ステレオタイプな疾患像もまた事実で(現に「如何にも」な患者はいるわけで)、その共有は一応進歩と認めてよいと思う。ただ、ステレオタイプなイメージが先行すると、早期発見早期治療の妨げになる懸念はあるね。
JackP そもそもルックバックに描かれている通り魔は京アニの犯人像とかけ離れてるのに、どうして京アニ犯人と結び付けられているのかが謎。犯人のおかれている状況、動機も実行方法も違うでしょ……
hedgehogx あの犯人は創作者の誰もが持っている闇の具現化であって、そこに病名を結びつけようとするのが違和感。作品内で開示されてる情報は「住所不定」「男性」のみなのだからむしろホームレス男性が危ないことになる
そうだね。
camellow 純粋な事故ではなくかつ理不尽な殺され方描くためにヤク中が銃を乱射しても「ヤク中がみんな乱射するわけではない。更生してる人もいるのに偏見だ」とか言うのかな。どう描けば納得できたのだろう。
勘違いしているようだから言っておくが、描き方について何も不満は持っていない。ただ不満を持つ人がいるのは当然のことだと思うと述べたまでだ。
siglite ブコメを読んで、薬物による幻覚症状というのは確かにあり得るなあと。だとすると「被害妄想=精神疾患」という偏見を強化してるのはいったい誰なんでしょうね…。
被害妄想を精神疾患と結び付けているのはアメリカ精神医学会という悪の組織。奴らは日常生活に支障をきたすレベルの強い被害妄想を病気ととらえ、治療しようとうする。患者を薬漬けにして金を稼ぐために違いない。ちなみに、奴らは薬物中毒も精神疾患扱いしている。これが何を意味しているのか・・・。
とでも書けばいいの?無知で心の底から精神疾患を差別してなきゃこういうコメントは書けない。強い妄想を精神疾患と関連付けるのは、高熱をインフルエンザと関連付けるのと同じことなんだが。ほんと腹が立つぐらいバカ。
俺の主張は
不快に思う人もいるだろう。
という点だけ。俺自身は不快に思っていない。不快に思ったっていいし、作品が不快に思われたっていいだろ。万人受けするものなんかないんだから。
どうしてそんなにも「不快に思う人もいる」ことを認めたくないんだよ?
①作中の犯人はいかにも統合失調症っぽいってのは、統合失調症を知ってれば誰でもわかることだろ。②京アニの犯人が統合失調症を疑われていたのも周知の事実だろ。③作者だってそれぐらい意識して書いてるだろ。④で、作者が統合失調症にまったく寄り添って描いていないのも事実だ。
それで嫌な気持になる人がいるのは理解できる。作者や作品が悪いといってるわけじゃない。理解できると述べているんだ。どうしてたかが漫画に違う感想を持つ奴に、そうも無理解を突きつけなきゃならないんだか。
でも作品と京アニ事件は関係ないといってみたり、薬物中毒かもしれないといってみるのは間違いなんだよ。わかるか?国語のテストと同じだ。
日本語の読めない奴に、日本語でそれを説明できる気がしないから、はてなーの理解の欠如に無力感しかない、残念だ・・・。
どうすれば話が通じるようになるんだ?教えてほしい。主張を最低限にとどめ、事実と俺の考えは切り分け、簡潔にわかりやすく書いたつもりだったんだが・・・。どうすればはてなーに通じる文章になるんだ・・・。ホッテントリ入りするたびに悩まされる。
本文
幻覚と強い被害妄想ときたら、医者はまず統合失調症を疑う。京本を殺した犯人が作中で統合失調症として描かれていたことはほぼ間違いがないだろう。たとえ統合失調症でなかったとしても、絵から声が聞こえると言うのが精神疾患であることは確かだ。
anond:20210719195613 の言う通り、フィクションが差別を助長することはあり得る。その可能性を差し置いて、なぜ、犯人は統合失調症でなければならなかったのか?
それは統合失調症による殺人が、想定外・突然で、理不尽な事故であるからだ。殺人は統合失調症によって引き起こされたものであり、犯人によるものではない。事故のようなものである。
だから主人公は親友が殺されたのにも関わらず、憎しみを抱かない。物語のテーマは「描くことで前を向く」というものであり、犯人への憎しみは、短い読み切り作品にとって邪魔でしかない。
また、犯人が統合失調症であることは、物語が京アニ事件をテーマにしていることも示している。
統合失調症の患者による殺人は、健常者のそれよりもずっとずっと少ない。しかし、京アニ事件は世間の「精神異常者は人を殺す」というスティグマを強化した。そして、ルックバック作者は、京アニ事件に似た事件を作中で起こすことで、僅かかもしれないが確実に、再びスティグマを強めた。
もし、作者にとっての京本のような人物、つまりは親友が統合失調症当事者であったのならば、彼は統合失調症を単なる装置として利用したりはしなかったろう。
現実には、作者にとって統合失調症は青葉の象徴でしかなく、作中で救済する必要も、現実での差別を憂慮して単なる災害に差し替える必要もなかった。
他の多くの人同様、作者にとって統合失調症はその程度のものであると作品は伝えているのである。
不快に思う人もいるだろう。
帰ってきても全然喋らないけど、さぞ相手は快適なんだろうな〜。
私が喋っていても、向こうが喋っていても、手元では器用にスマホをいじっている。話が噛み合ってなかろうとお構いなし。二人で旅行にいった日にもそうだったから流石に呆れた。
まあ普段私もスマホ触るからやめろとはいわないけどさ、話しかけると怒るのはやめてほしい。
意地になって話しかけ続けたのは悪かったけどさ、おはようからおやすみまで絶えず画面見て上の空で返事をされる状態が続くのに逆にいつなら良いのよ?
目線はくれなくて良いから、せめて噛み合った会話をしてほしい。意味が通ってない事を指摘しても逆ギレしないでほしい。
そういえば、母も父もスマホを持ってから全然喋らなくなったな。みんなやることが沢山あって羨ましい。スマホゲームとか有名どころは一通りやってみたけど、全くハマらなかった。私は気心の知れた相手との会話の方が好きだけど、みんなはそうじゃないの?それとも私の会話がつまらないだけ?一応これでも愚痴は聞かれない限りは言わないようにしてるんだけどな。
1日だけでもスマホのない世界があったらなーとはよく考えるんだけど、そうしたら今度は雑誌やTVに変わるだけなのかな。幼少期を思い返してみれば、両親が割と依存体質だったのか一日中TVにかじりついてあんまり遊んでもらえてなかった。TVからスマホに対象が移行しただけなんだな。
成人した私でさえこんなに寂しくなるのに、親がスマホ中毒で構ってくれない幼い子供ってこの何億倍も寂しく思うんだろうな。
この間家から近い観光名所に買い物へ行った時、とある店の前で並んでいたらちょうど列の横にあるガチャガチャの前に2人の親子がいた。子供は構ってほしいのか頑張って話しかけてて、でも母親はスマホから目を離さず「んー…」とか「へー…」とか全然会話してくれない。子供もムキになって段々叫び声に近い感じで話しかけても、全く見ない。
母親批判がしたいわけではないのでこの行動が良いのか悪いのかと言う話はしないけど、とにかく自分の姿と重なって胸が痛んだ。会話の中身云々より、相手が明らかに自分のことに興味がないとわかるの、本当に辛いんだ。それは同居人も同じはず(前に「友達が遊びにいくとスマホばっかりで悲しい」って愚痴を言っていた)だし、大体の人はそうなんじゃないのかな。