はてなキーワード: 下戸とは
フィクションではないとして。
家事と自由な時間については増田は否定的に言及してるが酒は?妻が酒飲みたいのに飲めてないなら飲ませたらいいのに。
もしかして子供の世話の為に飲めないのなら子供の利益を損なわないようにフォローした上で。妻が下戸なら仕方ないが。
そのようなパターンができてるように見えるが、失敗したときと同じ対応をパターン化するくらい何度も繰り返すのか。まずは感情的になる原因を探って感情的にならないよう、別のやり方をしたいものだ。
既にやってるかもしれないが。
飲酒した時に言ってないか(酔っ払いの喋りは本人の思う以上にグダグダで苛立つものだ)
(これらは可能性であって、増田と増田の妻がそうだと決めつけるものではない。全部外れかもしれない)
願ったり叶ったりでは?全とっかえしなくても、一日やってみて子供も妻も満足な出来栄えなら何でも言えるようになる。
嫁はその場で家を出て行っただろう
缶チューハイを一本飲んだだけで翌日が台無しになるくらいに酔うのでほとんど下戸つってもいいくらいなんだが、そのくせ酒を飲むという行為に憧れがある。
ギョーザや唐揚げなんかを食うと「これで冷えたビールをやれたら最高!」と思うし、ちょっといいチーズを食うとワインがあればなあ!なんて言ってみる。実際にはビールもワインも全然飲まないし、飲めない。
酒に弱いし大してうまいとも思わないってことは経験的に知ってるはずなのになぜか頭のなかに「最高の酒盛り」みたいな概念があって、ツマミ的なものを見るたびにそれが鎌首をもたげる。
エビスビールなんかを買って、自作の餃子をたくさん焼いてグワーッと一発やってみようかな。でもそうすると頭の中の酒盛り幻想がいよいよ本当に実現可能性をなくして泡と消えてしまう気がする。
缶チューハイをまれに飲むくらいがいいんだろう。アルコールの雰囲気だけ覚えておいて、あとの部分は想像力で補う。揚げ物を食うときはビールの喉越しや冷たさを想像して楽しみ、牛すじを食うときは日本酒の玄妙な味を思う。それが俺にできる最高の酒との付き合い方なんだろう。
本当の酒盛りをすると「最高の酒盛り」が霧散してしまって楽しみを失ってしまう。人生で初めて買った宝くじで一等当選!って夢を無くさないために宝くじを一枚も買わないでいるのと少し似ていて、悲しい気もする。
私は都内の理系大学に通う4年生だ。大学へは1時間半かかり、一人暮らしすべきか悩むラインなのだが、この距離なら実家から通う方が格段に経済的なので、実家暮らしのまま大学も4年目に突入した。
実家暮らしは快適だ。衣食住は保証されているし、幸いなことに両親の仲も良い。金銭的にも、一人暮らしだと毎月数万の家賃+光熱費+食費がかかるのに対し、実家暮らしなら毎月せいぜい1万円の定期代しかかからない。一人暮らしだとバイト代からある程度の生活費を補填する場合が多いが、それもしなくて良い。
実家暮らしは最高!と信じ続けていたのだが、去年あたりからそれのほころびに気がつき始め、このコロナ禍でいつにもまして自宅にいることが増えた今、確信するようになった。これは、茹でガエルになって腐っていくやつだ、と。
タイトルは、自分の状況を見て「理系男子+実家+一人っ子」という組み合わせにしてみたが、実家に住んでいればある程度は誰にも起こりうる話だとは思う。しかし、この組み合わせは特にたちが悪い。
一人っ子だときょうだいがいる場合よりも家族から寵愛を受けて育つ、というような話は私には検証しようがないので分からないが、家庭内で近い世代の人がいないことで、家の外で同級生などとコミュニケーションを取りづらくなる、というのは実際起きることだと思う。親との接し方は、きょうだいとの接し方とは異なるわけで、一緒に遊んだり、時には争ったり揉めたり。一人っ子だとその経験が皆無だ。小学生の頃も、友達の家に遊びに行って兄弟喧嘩を目撃すると、これはマズいことになったな…と本気で心配したりしていた。そのような「雑な」コミュニケーションの取り方を覚えられずに成長してきてしまったのだと思う。例えば、友達に連絡する時もダル絡みのように、用件もなくLINEを送る、なんてことはまず考えられない。何かちゃんとした用件がないと連絡しても煙たがれるよな、と想像してしまう。(それでも、ありがたいことに何もない時でも比較的気軽に連絡できる友人が何人かはいる。本当にラッキーなことだ)その結果何が起きるか?LINEをほとんどしないのである。現代においてそれは、交友関係の狭さに直結する。
また、一人っ子で実家暮らしの際のもう一つの実際的な問題として、両親に行動をほぼ完璧に把握されてしまう、ということがある。例えば夕飯にしても、きょうだいがいれば毎晩ある程度の余裕を持って夕飯を作るだろうが、一人っ子だと毎日、今日は夕飯は家で食べるのかと確認される。そして現代の東京では、「遊ぶ」は多くの場合「食べにいく」「飲みにいく」ことを意味する。これだと突発的に友達と食べにいくこともなかなかしづらい。また、私はほぼ下戸である。「衆人皆酔えるに、我独り醒めたり」だ。テンションについていけない場合が多く、周りが酒の勢いで盛り上がっていても特段楽しくもない。
また、休日の行動も、友達と出かける場合は家にいないわけだから、どこかに行っていること自体は筒抜けだ。また、母親がやけに勘が鋭いのと人間関係の記憶力が良く、私がいくつか的確な質問に答えてしまうと、自分の周りの人間関係を如実に把握されてしまう。相手の性格やステータスなどについての評価を下されることも多く、居心地悪いことこの上ない。これも、きょうだいがいて親の関心が分散されていれば、実家暮らしだとしてもこれほどではないのだろうと思う。神経質な私は、交遊は無難な範囲に納めておこう、と無意識のうちに決めていたようだ。
そしてこのような状況は、恋愛関係の問題になってくると致命的となりかねない。
結局この4年間で、女性と正式に付き合うことはできなかった。まず、デートするための口実づくりのための心労が半端ではない。休日に出かけるとなると、大抵の場合、誰と会うの?などと親に聞かれる。そこで、「おんなのこと二人で遊びにいく!」なんて言おうもんなら、相手はどんな人か、どんな家庭か、写真見せてくれ、などと質問責めに合うことだろう。(実際に言ったことはないので分からないが。さすがに少しは気を利かせてくれるとは期待したいが、わざわざ確かめたくはない。)なので、デートの約束が取れた時は、親には適当な友達の名前を出しつつ、あまりにお洒落すると突っ込まれそうなので、友達と会う時にも着そうだしデートでも通用しそうな組み合わせの服を頑張って揃え、親に言うアリバイはどうしようかな、と考えながら家を出る。ストレスがすごい。そこまでしてもなお、勘の鋭い親にはデートに行っていることを見抜かれているのだろう。だったら自分から言えばいいのだろうが、この微妙なバランスを崩したくがないために、デートのたびにこういう流れになるのだ。
ところで、あまり口達者ではなくても、イケメンというわけではなくても頼れるテクニックとはなんだろう。そう、酒の勢いだ。酔いが回ってくれば、ちょっと恥ずかしい話だってできるし、そのまま話し続けて夜遅くなれば、じゃあこれからどうしよっか…ともなるだろう。しかし自分は下戸なのだ!そして、「今日は泊まってくる」なんて家に連絡できるわけがない。付き合えたところで、そういった困難がデートのたびに起きるのが予想できてしまうと、こちらも消極的になるわけだ。
単純接触効果というか、男女同士で定期的に会っているだけで好感が生まれ、好意に発展することもあるだろう。ところがどっこい、理系の学部はほぼ男子校なのだ。あいにく私は異性愛者なので、キャンパスライフを楽しんだところで恋愛的な出会いはほとんどない。いわゆるインカレ的なサークル活動もしてこなかったので、そもそも同年代の女性と会うことがほとんどないのだ。
そして今、問題は新たな局面に入った。感染症の蔓延により、自宅待機を余儀なくされているのだ。なに、「どうせみんな自宅待機なんだから、実家でも一人暮らしでも変わらなくない?」だと?甘い。世の一般的な一人暮らし大学生は、既に夜な夜な飲み会に出歩き、コロナなんて気にせず外出しまくっているのだ(私見)。コロナを広めにいくような行動はやめろよ、とは思うが、納得できるところはある。若者は統計的には重症化率が低く、感染しても軽症で済む場合がほとんどと知られている以上、一人暮らしで親と接する機会がなければ、普通に出歩くのもうなずけるのだ(大局的に見ると、重症化のリスクが高い人にまでウイルスの蔓延を広めているので、大いに賛成はできないが)。しかも、コロナで客足が減った飲食店や施設は空いているし、割引をしていることが多い。このチャンスを逃すのはもったいない、と思うのがむしろ自然だろう。しかし実家暮らしで生真面目な私は、自分から親にウイルスをうつすなど考えたくもない。そうなると、感染状況が落ち着くまでは、友達とカラオケや密な飲食店に行くこともしたくない。また、実家だと電話するにも家族に気を使わないといけない。深夜には話せないし、自室で話していても声が漏れるので、軽い雑談はできても、ぶっちゃけ話やゲスい話など、本当に盛り上がるような話は決してできない。
…………………分かっている。こう書いても、「結局はあなたの社交的な性格の問題でしょ?」と思われることは。性格がもっと外向的だったら、もっと要領がよければ、同じ環境でも全然違う状況になれるのかもしれない。しかし、環境が人を作るとも言う。この状況でどうしたら穏便に暮らせるか無意識に最適化した結果が今の性格、今の状況なのかもしれない。一人暮らしを始めれば、このような足かせから解き放たれるのかもしれない。
しかし、もう遅い。大学生活は終盤に差し掛かり、どうせコロナは年をまたぐであろう。実家引きこもり生活は卒業するまで続き、修士に進学するのでそのまま2年間続くかもしれない。今からでも、少し無理してでも一人暮らしをしてみた方がいいのかもしれない。環境が人を作るのだとしても、人が環境を作ることもできるはずだ。
もしタイトルに書いた条件があなたにも当てはまるなら、ぜひ私よりもマシな大学生活を送ってほしい。実家が近くても、一人暮らしができそうなら、ちょっと背伸びしてでもそうした方がいい。実家暮らしになるのであれば、自由度を増やせるように、早いうちから終電での帰宅などを繰り返して、自分が外出していても親に気にされない状態を作りだそう。そしてそして、女子と会える場をなんとかして見つけてほしい。
24歳 男
下戸ってほど弱くはないけど、まあ強くもない
ビールを2杯も飲んだらベロベロって感じになるし、なんならほろよい程度のチューハイひと缶でそこそこ酔う
酒、まずくはないんだけど酔うのと翌日二日酔いでキツくなるのがデメリットとしてデカすぎて全然飲む気にならない
付き合いでは飲むしそれは別に嫌じゃないんだがひとりで酒飲もうと思うことはほぼない
まあでも一回手を出してしまったらアル中に転がり落ちるんじゃねえかというビビリがあって手を出してないって側面もあるんだよなあ
いや、かつて2回くらいはやってみて「酒は…別にいいや」と思ったんだからその可能性はもはやほとんどないんだけど
俺コーヒーも飲めないんだよ カフェインに弱いのか、ティラミス食ったくらいでもしばらく微妙に具合が悪くなる コーヒーは一杯で数時間気持ち悪くなれる
紅茶はちょっとマシだけど、まあ寝られなくはなるんだよな そもそも眠りが浅いからけっこう死活問題で、午後の紅茶にハマってたころは明らかに体調が悪かった
タバコもこのご時世に吸い始めるのはアホくさいしなあ
下戸はどうしたらいいんや
たとえば岐阜県の上戸村(じょうごむら)は実際にそういう由来らしい、
市町村制施行前後において、当地区は大浦とともに戸町村であった。大浦郷、浪ノ平郷(以上大浦地区)、下郷、上郷、蓑尾郷の5郷があった。1898年、大浦・浪ノ平・下郷が長崎市に編入され、同時に上郷・蓑尾は小ヶ倉村に編入され、戸町村は消滅した。のちに、1938年に小ヶ倉村は長崎市に編入され、旧戸町村が全域長崎市になった。
下郷は1913年に戸町1丁目-3丁目、国分町、小菅町に分割された。また、上郷・蓑尾郷は小ヶ倉村を経て1949年にそれぞれ上戸町・新戸町となった。以降、住居表示の実施により丁目が増設されるなどして現在に至る。
この書き方だと「戸町」に対する「上戸町」っぽいよなあ。
ちなみに「戸町」自体の由来については、
古くは「とはち」ともいい、古地図には“戸八”とも記されているエリア。この「とはち」には、船の停泊地を意味する「門泊(とはち)」に由来する、また、中世(鎌倉~戦国時代)にこの辺り一帯を所領していた戸町氏(戸八氏)に由来するなど諸説あるようだ。
とのことらしい。
その下もよんだほうがいいね
古くから日本では、酒を全く飲めないか、または飲める量が他と比較しても少ない人を「下戸」と呼び、その対義語には「上戸」が宛てられる。
酒類を多量に飲む行為やそれを行う向きを指して俗に「うわばみ」「ざる(水を汲んでも満ちない意を掛けている)」と呼び、また殊のほか酒類に強い向きを「酒豪」という。